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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、僕自身が夫婦関係改善のために行ったことや、過去のエピソード、そして夫婦関係改善に役立つ書籍の紹介などをしています。
このラジオを通して、あなたにとっての夫婦関係改善のヒントが見つかれば幸いです。
パートナーと肌を重ねているとき、こんなにも近くにいながら、パートナーの存在を遠くに感じる。
どれだけ体を重ねても、二人は一つになれる気がしない。
離れていく心を遠くに見やりながら、どうしたらいいのか、途方に暮れてしまう。
そんな経験はないでしょうか。
今日は、途切れてしまった性生活に関する最終話になります。
セックスレスに関する話ですね。
心理学者スージョンソンは、セックスは3種類あるというふうに言いました。
セックスのためのセックス、慰めのセックス、そして共鳴するセックス。
今日は、最後の共鳴するセックスについて話をしたいと思います。
第1回目のセックスのためのセックスは329話。
慰めのセックスは、前回の330話でお話をさせていただきました。
今回は、性生活に関する最後の話です。
この話が結論になるわけですが、
ここを理解するためには、前回と前々回の2回を聞いていただいたほうが、よりよく理解しやすくなると思います。
なぜ共鳴するセックスが重要なのか、そして共鳴するセックスとはどういうことなのかが、よりくっきりと分かりやすくなると思うので、
ぜひ前回と前々回を聞いていただければと思います。
今日も心理学者スージョンソンの著作、私をぎゅっと抱きしめてを元にお話をさせていただきます。
まず前回と前々回のおさらいを簡単にしますね。
今日の話は、ここを抑えないと理解がしにくい部分があるかと思いますので、ちょっと簡単に振り返ります。
前々回お話をしたセックスのためのセックス。
これはオーガズムの達成や自分のテクニックの満足だけが目的になっているというものですね。
その行為そのもの自体が目的になっている。
そこに生身の相手がいる、大切なパートナーがいるという実感がないということです。
こうなってしまうとパートナーは自分が人として尊重されているということを感じられなくなってしまうということですね。
次に慰めのセックスなんですけど、これは愛着不安を解消することが目的になっているというふうにお話をしました。
この行為の真ん中には不安というものがめっちゃでかくドーンと座っているんですよね。
すべてが不安を中心に回っているんです。
自分は愛されているのか。愛されているんだったらそれを感じたい。
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セックスをすれば愛されていると実感できるということなんですけど、
このタイプの場合は行為を重ねれば重ねるほどパートナーとの精神的距離がどんどん広がっていくというふうに言います。
なぜならば本当に求めているものはセックスではないからなんですね。
セックスを通じて不安を解消しようとしているということは本当に欲しいものは安心感そのものなんですよね。
愛されているという安心感。自分は大切にされているという安心感。それを求めているわけなんです。
大切なことはそういった愛着欲求を寝室以外で解消していくということなんですね。
手をつないでハグをしたり肩に手を置いたり背中をさすったりとかそういったことによって愛着欲求を満たすことができるようになるというコツでした。
最後の話ですね。共鳴するセックス。これは一体何なのかということなんですが、何度も何度もセックスと言うのでちょっと恥ずかしくなるんですけど、
今日最後なのでちょっときらめいて話をしていきたいと思います。
共鳴するセックスとは何なのか。
常著的共鳴が拡大され身体的調和にまで広がった状態のこと。
ちょっとね何言ってるのってなると思うんですけどちょっとよくわかんないなと思うんですけど
これは324話。僕の放送の324話。
妻の愛着欲求はあなたにしか満たせないっていう回を聞いていただけると多分それを聞くとすごい理解できると思います。
どういうことかっていうと心の底にある愛着欲求これを言葉にしてお互いに伝え合うと。
怒りとか沈黙とかそういった表層的な感情の下には寂しかったとか抱きしめて欲しかったとか
別に熱かった欲しかったっていう愛着欲求心の中核にある欲求があるわけなんですよね。
これを言語化してお互いに伝え合う。
そしてそれをお互いに受け止め合った時に2人の間に共鳴が生まれるということを話しました。
共鳴というのは2つの個体の間でそれぞれの音が同期して新しいハーモニーが生まれるっていうことなんですね。
オーケストラとかバンドとかで想像するとすごいわかりやすいと思います。
オーケストラっていろんな楽器が演奏されますよね。いろんな楽器の音が鳴りますよね。
それが重なっていくわけですよね。
同じ曲調の音をいろんな楽器が別々の楽器の音で表現していく。
曲のクライマックスになるとすべての音が重なり合ってとてつもなく美しいハーモニーを生み出すことがある。
あれが共鳴なんですね。
演奏者と曲と自分自身がまるで一体化したような感覚を覚える。
あれが共鳴って言うんです。
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共鳴するセックスというのは心が触れ合う共鳴が体にまで広がった状態のことを言っているんですね。
このことについてスーションソーは本の中でこう書いています。
身体的表明についてこういうふうに表現をしています。
コーネル大学の心理学者ダンスターンも恋人同士が調和している状態を指すのにこの用語を使う。
母親と赤ん坊の波長が合っているのと同じように恋人同士はお互いの内的状態や意図を感じ取って互いの興奮の変化に反応する。
赤ん坊は目を見開きキャッキャと笑う。
母親は優しくささやき返し赤ん坊の嬉しそうな声に合わせて自分の声の高さを決める。
恋人は顔の向きを変えて溜息をつくともう一方は微笑んでその溜息をリズムに合わせて相手の脇腹を撫でる。
暗黙の深い調和の感覚を与えるこの同時性は情緒的・身体的・性的な結びつきの本質である。
情緒的な安全が身体的な同時性をもたらし、身体的な同時性が情緒的な安全をもたらす。
情緒的な安全が身体的な同時性をもたらす。
情緒的な安全が身体的な同時性をもたらし、身体的な同時性をもたらす。
夫婦二人の身体の動きをシンクロさせていくということなんです。
相手のちょっとした動きに無意識のうちに影響されて相手を優しく撫でたりとか、
こういった心と心が通じ合っている身体的な接触が起こるということを言っています。
そして、お互いの感情に揺れ動かされて発生する身体接触のシンクロ。
これが二人に心地いいリズムを生み出していくんですね。
そして、それがさらなる情緒的な安心感を生み出していくというわけなんです。
こういった情緒的な安全と、そしてそれによって発生する身体的な同時性、
これが日常生活の中でもあれば、寝室の中じゃなくて、日常生活、普段の生活の中でもあれば、
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それを寝室の中にも延長させて持ち込むことができると通常の人は言うんですね。
安定した絆、二人の間にある親密な絆、これが安定している状態が二人の間にあるのであれば、
怖がらずに相手に自分の要望とか弱みということをさらけ出すことができるんですよね。
それはセックスの中の行動とか行為において、自分の要望とかこういうのが嫌なんだということを言えるようになる。
何をされると嫌で、何をされると嬉しいのか、そういった具体的なことも怖がらずに口に出せるようになるということなんです。
こういった安心感、これ全て安心感なんですよね。
こういった安心感があるからこそ、二人とも心から楽しめるセックスを行えるようになるというわけなんです。
恋愛初期のような、出会ったばっかりのような、すごい盛り上がっている、燃え上がっているような情熱というのを
まだ取り戻そうと僕らは思うじゃないですか。またあの時のような環境に戻りたい。
出会ったばっかりのような情熱のあるあの環境に戻りたいと思う。
あの時のような心の興味を得たいと思う。
だけど、そのようにですね、出会ったばっかりのような燃え上がるような情熱を復活させようとしても
心の紅葉は得ることができないとスージョンソンは書いているんですね。
心の紅葉というのは、身体的そして情緒的結合のその時々に思い切って自分をさらけ出すことによってもたらされるという風に言っているんです。
そういった出会ったばっかりの情熱というのは基本的には戻っては来ないですよね。
それを望んでそこをゴールとしてしまうとちょっと辛いことになる。
ちなみにそんな出会ったばっかりのような情熱というのは長続きするような情熱というのは不倫とかでないと多分手に入らないんじゃないかなと思うんですよね。
同じように出会ったばっかりの人にドキドキする感情とかっていうのは同じ人相手には多分全く同じ感情って戻ってこなくて
それを求めてしまうと不倫とかに走ることになるのかなってちょっと思ったりもしてます。
そうじゃなくて心と身体が結びついた状態。
情緒と身体がお互いに共鳴し合っている状態。
そういった心からの親密な関係を取り戻した時にその瞬間に心の紅葉が訪れるということを書いてるんですね。
これスピリチュアルっぽく聞こえるかもしれないんですけど、そういうのとは全然違うんですよ。
性情書の書き方がそういう風に読めたりもするんですけど、そういうスピリチュアル系じゃなくて
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お互いに相手のことを大切にし合っている状態。
そしてそれがお互いに理解できる、感じられる。
この人は私のことを大事にしてくれてるな、この人は僕のことを大事にしてくれてるなってことが
お互いに分かり合っている状態というのは心と心が結びついている状態とも言えますよね。
そういうお互いへの親密性が共鳴し合っている状態ということなんです。
そしてその状態が二人の体に同時性をもたらしていくということを書いてるわけです。
夫婦の倦怠期を乗り越えるために必要なこと、それは性生活において他のことにおいてもそうですけど
今回の性生活の倦怠期について書いてますが、乗り越えるために必要なことは
刺激を求めて新しいことを試したり、テクニックに頼ろうとするんじゃなくて
ただ心を寄り添わせること、親密さを生み出せること、互いに波長を合わせられること
情緒的共鳴を作り出すことであると、そしてそれこそが満たされたセックスへの王道だということを言っています。
すごいシンプルなんですよ。すごい簡単ですよね。
だけど、このシンプルさの重要性を理解するためには
前回、前々回お話をしたセックスのためのセックスとか、慰めのセックスとか
そういったものがあるんだということを理解する必要があると僕は思っています。
最後にですね、ツージョンソンが満たされたセックスと心を寄り添わせることについて描いている描写があるので
ここを読み上げて本編を終わりたいと思います。
制服と浸水が旗印の新鮮な関係にしか性の喜びはないと専門家たちが言うとき
私は長く連れ添った知り合いの熟練を受け継いで、
どんな風にアルゼンチン単語を踊るかを思い出す。
その夫婦は完全に心が通い合っているのだ。
二人の動きは痛いほど意図的で、それでいて茶目っ気があり驚くほどエロティックだ。
ぴったりと息が合っているため、誘導的で即興のダンスであるにも関わらず
決してステップやターンは間違いない。
二人は一つになって動くのだ。優雅に。
はい、ということで今回でセックスレッスンに関する話は終わりになります。
性生活の改善に関する話はこれで終わり。
3つあったんですけど、その3つ全て今日で終わりました。
これがね、結構僕エネルギーがいて、やっと終わったなって感じなんですけど
だけど、すごいシンプルだと思うんですよ。
結論すごいシンプルでしたよね。
愛着の上に全てが気づかれるっていう、ただそれだけなんですよ。
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だけどそのシンプルさの重要性はなかなか伝わらないし
多くの人が目にする機会、見聞きする機会は本当にないなと思うんです。
僕自身もこの本を読むまではそういったことにこうなかなか気づくことができなかった。
愛着が全ての目に気づく。
愛着が全ての土台の上にある。
そういったことを知っておくだけでも
自分の普段の行動ってちょっとずつ変わっていくんじゃないかなって思うんですよね。
その愛着という土台の上に2人の親密な関係があったりとか
そこにはセクシュアリティももちろん存在するというわけなんですね。
ぜひこの本を読んでもらいたい。
もうこの本を読んでもらいたい。
この本を読んでほしい。
僕最近この本の解説をしてるんですけど
読めば読むほど学びがあって何回も読み直してるんですね。
ぜひ読んでほしい。
不不可解で悩む方はぜひ読んでほしい。
ぜひあなたにとっての不不可解を解決してほしい。
この本を読んでほしい。
この本を読んでほしい。
この本を読んでほしい。
あなたにとっての夫婦関係改善のためのヒントがこの本の中から見つかると思います。
はい、ということで
全然関係ないんですけど
最近ね、うちの子供が長男がね
学童でマスター将棋ってやつを面白いって言って買ってくれって言うんでね
買ったんですよ。
マスター将棋って何?って
なにマスターってスターウォーズ?って思ったんですけど
全然関係なくて
マスター将棋のコマってどこにどう進むかって
初心者には分かんないじゃないですか
僕も全然知らなかったんですけど
でもそのマスター将棋って
コマにこっちに進めるよっていう
なんか矢印が書いてあるんですよね
マス目が書いてあって
そのマス目に矢印が書いてあるんですよね
ここに一マスみたいな
こっちはずっと行けるよみたいな風になってて
すごい分かりやすいんですよ
それ見ると誰でもできるようになってて
小学校1年生でもできるぐらいなんで
僕でもそれが分かって
子供がやりたいって言ってやったんですけど
やりだしたら面白くて
面白すぎてムキになりすぎちゃって
どうしても大人の方が
より考えてやるじゃないですか
考えてやるんでね
子供が泣いちゃうんですよね負けて
いやーってパパのバカーって言って泣き出して
もう嫌だーって泣き出したって
ちょっと遊んでくれなくなって
妻と一緒にやろうかなと思ってるんですけど
これ以外の面白さを
小学校1,2年生ぐらいの子供だったら
多分できると思うんですよね
もし将棋とかやらせたいなとか
頭使う遊びとか
ボードゲーム的なやつとか
一緒にやりたいなって方は
もしかしたらいいかもしれないです
そんな感じで
今日も私をギュッと抱きしめてのもとに
お話をさせていただきました
また次回
もしかしたらちょっとまた
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続きを何回か続けていきたいと思います
それではまた
また明日お会いしましょう
さようなら