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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係の悩みを男性向けに、夫婦関係改善のヒントになる発信をしています。
いかがお過ごしでしょうか。お元気ですか。
今日はですね、妻と自分を同一視する、妻イコール自分ってことですね。
このことについてちょっと話をしたいなと思うんですね。
何を言っているのかよくわからないぞ、と思う方もいらっしゃると思うんですけども、
夫がですね、妻のことを大切に扱わないケースというのは、
夫にとって妻というのが他者ではないというふうなことがですね、よく言われるわけなんですけど、
家族社会学のですね、本などで書かれてるんですよね。
上野千鶴子さんという社会学者の方がいらっしゃって、ジェンダーの活動とかの方が有名だったりしますけど、
この上野千鶴子さんが、この方に結構昔の小説とかからこの家族社会学について論じたりとかするんですけど、
確かちょっと僕の記憶も曖昧なんですけど、確か明治の頃の、明治から昭和初めぐらいの小説を元に書かれてた話で、
妻が夫に対して自分の意見をとうとうと述べたりとか、
そういった自分の主張をするようなシーンの時に、
夫が初めて見る女がそこにいた、みたいな表現をするっていう、確かそんなことが書いてあったんですよね。
要はこれは、今までの自分が知っている妻ではない妻がそこに存在すると、そこには他者がいたというふうなことを言うんですね。
これは妻のことを他者として認識していなかったという証拠になるわけです。
どういうことかというと、妻イコール自分、妻と自分を同一視していたということなんですね。
同一のものであるというふうに真相真理で認識していた。
だからこそ、自分と異なる意見をとうとうと述べる妻に対して驚きを禁じえなかったというわけなんですね。
ちょっと難しいかもしれないんですけど、簡単に言うと、妻というのは、妻はいつも自分と同じようなことを考えているだろうとか、
俺と同じことを考えているよねとか、安心しきっているというか、妻のことは俺はわかっているからみたいなね。
妻とは、ちゃんと同じ方向を向いているからとか、俺と同じことを考えているから大丈夫みたいな、
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というふうな安直な思い込みによる妻への間違った認識というか、そういったことが往々にしてあるということなんですよね。
これは男性自身も多くは気づいていないと思うんですよ。
妻というのは他人ですよねと。そりゃそうですよね。違う人間ですよねと。言われればきっとそう思うと思うんですよ。
何を言っているのと、違う人間、別人なんだからイコールでつながる存在ではないだろうと思われると思うんですけど、本当にあなたはそう思ってますか?
ということを自分の目に問いかけてほしいんですよね。
妻と自分、妻のことに対して明確に他者というふうにあなたは認識しているでしょうか?ということなんですね。
これは僕も改め問われると、自分と同一している、同一視しているという時があるんですよね。
そういった時に自分の認識がちょっと間違っているなと、甘いなというふうに思い知らされる時があったりもするんですけど、
妻と自分の同一心ですね。今言ったような感じで妻の価値観が自分と同じだと思っていたりとか、
妻は自分と異なる意見を持つということを正しく理解していなかったりとかですね。
これはですね、妻のことを知ろうと、妻を理解したい、知りたいというふうな欲求が生まれてこない限りは、
妻の中に眠る他者というのを見つけることは我々はできないわけなんですね。
なぜならば、そういった危機的な状況に陥らない限りは、妻に対して僕らというのは同じ思考を持っているだろうと、
同じ考え方を持っていたりするだろうというふうに甘く考えているんですよね。
例えばですね、妻が性的に僕に対して拒否をして、触れてほしくない、指一本くれてほしくないという状況になった時に、
そこで初めて全く知らない人と出会ったような気持ちになると思います。
そういった感情を感じた方もいらっしゃると思います。
この人は一体誰なんだろうと。自分の目の前にいるこの女性は一体誰なんだ。
自分の知っている妻ではないと。そこにいるのは明確な他者なんですよね。
そこで初めて出会うわけです。
そこから、この人と解けるためには一体どうしたらいいのかということを真剣に考え始めるんですね。
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そのような夫婦の危機に陥らない限りは、多くの男性は妻の中に眠る他者を見つけることができないんだろうなと僕は考えています。
僕自身もそうでした。
ではこの妻の中に眠る他者、これを見つけられないことのデメリットとは一体何なのかということを話したいと思うんですね。
この妻の中に眠る他者というのを見つけたときに、初めて妻との間に親密な関係を作ろうと僕らは自主的に考えるようになると思うんです。
そこで初めて自分と妻との関係性を自分ごと化することができて、妻との間に架け橋を作って、
妻との間に親密な関係とか愛着関係、そして二人の間に温かい絆を作りたいというふうに望むようになると思うんですね。
だからこそ妻とは、妻という人間は自分とは異なる他者であるということに早く気づく必要があると思うんです。
これに気づけなかった場合にどうなるか、どうなってしまうのか、あなたはどうなっているのかということですね。
これ多くの夫婦はおそらくこういうふうになっているんだろうなと僕は思うんです。
妻と自分が別な人間である、妻と自分は同一視してはいけないと。
これを妻イコール自分と考えてしまったときの三つのデメリットなんですけど、
まず一つ目は妻の気持ちが正確にわからなくなってくるんですよね。
なんでわからなくなってくるかというと考えないからです、妻の気持ちを。
そして妻の気持ちを知ろうという気持ち、知りたいと知らなければいけないというふうな思いが生まれてこないからですね。
だからこの安易な思い込みで妻の感情を勝手にこう推測したりするわけです。
そしてその時には自分と同じことを考えているだろうとか、まさか自分に逆らうようなとか、
はむかうようなとか、全く違う意見を持っているとか、自分と敵対するような意見を持っているとか、
そんなことがあるとは全く注意とも思わないわけですね。
ですけども妻と自分というのは全く違う人間であると。
何らかの夫婦の危機を迎えたときに妻の中に眠る他者を見つけたときに、
僕らはそこで大いに驚くわけです。この人は一体誰なんだと。
そこで初めて妻の気持ちを知りたいと思うようになるわけですね。
ですので妻イコール自分と勘違いしている場合のデメリットの一つ目は、妻の気持ちがわからなくなる。
本当の気持ちはわからなくなると。
いやいやわかってるよと、妻が何考えてもわかってるよという場合は、
それは自分勝手な思い込みなのかもしれません。
次、デメリット二つ目ですね。これは妻のことを大切に扱わなくなるということです。
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例えばですけれども、停止感覚と言わずともそれに近いような性格がもしあったとした場合、
妻に対してひどい言葉遣いを使ってしまったりとか、ひどい態度を取ってしまったりとか、
というふうなことをしがちになってくるわけですね。
なんでこんなことをしてしまうかというと、妻がどう感じるか、何を思っているのかがわからないからです。
妻はきっと自分と同じようなことを考えているだろうと、
自分と同じような気持ちを持っているんだろうというふうな勝手な思い込みで判断してしまうと、
妻が何に傷つくのかがわからなくなるため、妻に対してひどい言葉遣いをしてしまうときが出てくる。
そして妻のことを徐々に徐々に大切に扱わなくなってくる。
そして大切に扱わないことに対して、自分自身そのことに気がつけなくなるんですね。
妻のことを大切に扱っていないということに自分で気がつけないわけです。
これ、立ちが悪いんですよ。
どんどんどんどん妻のことを邪剣に扱うようになってきますんで。
そしてデメリットの3番目。
妻に嫌悪されるようになる。
嫌われるってことですね。
嫌悪感を感じられて、
妻が夫に対して嫌悪感を感じるようになる。
嫌いになるってことですね。
これは今までの流れを理解すれば分かると思うんですけど、
妻の気持ちは分からなくなってしまって、
妻のことを大切に扱わなくなってくる。
そうなると当然のように嫌われますよね。
触ってほしくない、近くに来てほしくない、
なんでこの人と結婚したんだろうとか、
そんなことまで考え始めてしまうわけです。
これがデメリットの3番目ですね。
この2番目と3番目に共通する部分だと思うんですけども、
妻のことを人間扱いしてしなくなってくる傾向があるんじゃないのかなと思うんです。
つまりは性の道具としてしか見なくなってくるということですね。
妻の感情が分からなくなってくるわけなので、
そこに感情がある生物としてきちんと認識してるんでしょうかということですね。
これはですね、また別の問題をはらんでると思ってまして、
日本というのは女性をコンテンツ化しやすい国といいますか、
コンテンツ化するケースが多いなというふうに感じるんですね。
女子穴、女子大生、女子高生、人妻ですとか、
そういった表現がありますよね。
これ男性に置き換えてみると、
女子穴の反対、男子穴、そして男子高校生、男子大学生、
そして人妻の逆って何て言ったらいいんでしょうね。
人夫、人の旦那、人旦那。
こんな表現ないですよね、日本に。
女性に関することだけなんですよ。
そしてこれってみんなコンテンツ化されてるんですよね。
コンテンツ化されてるんですよね。
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それはポロの業界における商品名であったりとか、
雑誌だったりとか、ビデオだったり、動画だったりとか、
いろんなところで、もしくは普通の一般の地上波に流れるテレビとかでも、
女子大生がどうだとか、女子穴がどうだとか、人妻がどうだとか、
というふうに見事にコンテンツ化されてるんですよ。
女性のせいということをコンテンツにしちゃってるんですよ。
そして将棋してるんですよね、この国は。
だからこそ余計僕らというのは、女性のことを物扱いしやすくなる傾向があるんじゃないのかな。
コンテンツ化しやすくなる傾向があるんじゃないのかな。
そしてその傾向は自分の妻にさえ及んでしまっているんじゃないのかなと僕は思うんですね。
これはまた別の話に詳しくしたいと思うんですけども、
あなたは自分の妻のことを一人の女性として、一人の人間としてどのように捉えているのか、
それはきちんと考えた方がいいと思うんですね。
世の中にあふれる女性をコンテンツ化するその枠組みの中に自分の妻を当てはめてはいないのかということですね。
これがもしそんなことをしているとしたら、
妻から嫌われてしまいますよね、もちろん。
そんなふうに道具としてしか見ていない、自分の妻を人間として見ていないコンテンツとして見ているということですので、
自分の妻をコンテンツとして消費しようとしているということですね。
ということで今日は、妻を自分と同一視する3つのデメリットということでお話をさせていただきました。
これ、女性はこういうことって考えないらしいんですよ。
妻、自分と夫を同一視するということはあまり考えない、そうなんですね。
全く別の他人であるということははっきりとわかっているし、あえてそういうことでもないと認識されているということなんですよね。
離婚をするときとかって結構、熟年離婚とか家庭内別居とかするときって、
女性から結構聞き出すことって多いと言われるじゃないですか。
僕の知り合いで家庭内別居をしている方がいらっしゃいますけど、
その方は女性ですけど、その方も自分から夫に対して距離を置いて、
家庭の中で全く生活を分けていたりとかしてますし、
離婚された方も女性の方から離婚を申し出たりとかしているんですよね。
結構、家庭内別居をされている方とか、外で不倫をされている女性とかって、
夫と自分はイコールで結んでないんですよ。
でも僕ら男性って、自分の妻と自分を同一視しているイコールで結んでいて、
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妻から自分が否定されるという経験があると、
自分が二つに引き裂かれるような感覚を覚えると思うんですよ。
僕はそうなんですけど、多くの男性でも同じような思いを抱く方が多いと思うんですけど、
これって妻と自分を同一視している何よりの証拠なんだろうなと思うんですよね。
これを放っておくと、気がつかないとそのようになってしまうので、
そういった自分の特性というのをあえて認識することによって、
そこから離れていくという作業が必要になるのかなと思うんですよね。
自分を知って、まずは自分を知ること。
そしてそこからどのように行動していくかというのは、
自分で選択することがそこからはじめにできるようになるんじゃないのかなと思うんですよね。
ということで、今日は妻と自分を同一視する3つのデメリットということでお話をさせていただきました。
妻との関係の悩み方の参考になれば幸いです。
質問箱の方でご相談、お悩みなど、男女問わず受け付けておりますので、ぜひそちらご利用ください。
あと、妻との関係改善、夫婦関係改善、もしくはセックスの解消に向けて歩んでいる方、
真っ暗な暗闇の中を歩いているような気持ちだと思うんですね。
今、自分はどこにいるのか、どこに向かっているのか、それすらもわからない。
だけどそこの闇から抜け出すことができた僕としては、
そういった方も助けになりたいと思っておりますので、ぜひご連絡をください。
ノートのサークル機能を使って、厚な夫婦関係オンラインカウンセリング松明という名前でカウンセリングアドバイスを行っております。
そちらもチェックしていただければと思います。概要欄にリンクを貼っておきます。
はい、ということで、今回も最後までありがとうございました。
それではまた。