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2021-08-13 18:03

#182 セックスは二人が愛し合っている証拠なのか?セックスは愛の証明なのか?

人はなぜ、パートナーとのセックスを求めるのか?なぜ、セックスを愛と結びつけてしまうのか?セックスがないなら愛もないのか?愛されているとはどういうことなのか?詳しくお話しします。夫婦関係改善カウンセリング(noteサークル➡︎ https://note.com/atsuatsu/circle ご相談ご質問はこちら➡︎ https://peing.net/5a2fc6bdc1d35b
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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係を悩む男性向けに、夫婦関係改善のヒントになる発信をしています。
今日お話ししたいことは、セックスというのは二人が愛し合っている証拠なのか、そしてセックスとは愛の証明なのかということについてお話をしたいなと思います。
いきなり何を言ってるんだって思われるかもしれないですけど、
夫婦があって、夫と妻、どちらかがセックスを拒んでいるとしたくないと言った時に、
ついでに拒まれている方としては、愛されていないのかということをつい考えてしまったりするんですよね。
自分が性的に見られないということは、自分はそのパートナーから愛されていないのではないかという恐怖感であったり、
絶望感であったり、失望感を強く感じることになります。 なぜこんなことを思ってしまうのかということなんですが、
セックスをする、もしくはしてもらうということが、相手からの愛の証明であると、愛されている証拠であるというふうに考えてしまうからではないかなと僕は思っているんですね。
今日はこのことについてちょっと深く話をしていきたいなと思うんですが、そもそも夫婦のセックスとは一体何なのかということをちょっと考えていきたいと思うんですね。
愛し合っているからセックスをするのかと。 ならばセックスをしないのであれば、2人は愛し合っていないということになるのかと。
セックスというのは愛の証明なのかということなんですが、実際にセックスをしたくないと思っている方とか、拒まれている場合とか、
いわゆるネスラレというんですかね。ネットでよく言いますけどネスラレとかレスリーとかよく言いますけど、そういった状況になったことがある方だったらわかると思うんですよ。
例えば自分はしたくないと思っている。したくないと思っているということは、じゃあ愛していないのかということになりますけど、実際そんなことないという人が多いと思うんですよ。
例えば妻から拒まれている。だけど妻は家族としては愛しているとか、人としては愛しているとか、だけどただそういう行為はしたくないんだというケースもありますよね。
もしくは人間として、人として、夫としてすごく大好きだし愛していると。ただそういった行為は今はしたくないんだという人もいます。
この場合妻から見たら愛しているわけですよ、夫のことは。だけどただそのセックスをしたくないというだけ、もしくは逆もありますよね。
妻がしたいと思っていると、けど夫はしたくないと思っている。じゃあ夫は妻のことを愛していないのかというと、そんなことはなくて愛している。
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だけどセックスをしたくないと思っている。いろんな事情があってしたくないと思ってしまうというケースもあります。
僕はこのセックスをするという行為は愛の証明ではないと思うんですね。その反応ができないわけですから。
セックスをしないということはじゃあ愛していないのか。愛していないからセックスをしていないのか。
セックスをしないということは愛していないのかということは違いますよね。これは通らない話なので違うんじゃないのかなと思うんですね。
そもそもセックスとは一体何なのかということなんですが、
バッサリと言ってしまうと一つは性欲の解消である、自分自身が感じてしまう、
資産を残したいと思うことによって発生する性欲であったり、異性として魅力的に思う異性に対する欲望。
これを解消するための行為がまず一つ目的としてあると思うんですね。
もう一つは遺伝情報的に惹かれ合う二人が自然に行う繁殖行為であるというふうに定義付けできるかなと僕は個人的には思っていて、
なぜ人は恋に落ちるのかという話があるんですけど、
自分とその相手がお互いに遺伝的に惹かれ合うということがあるんですよね。
この人のことが気になるとかっていうのって、その人の笑顔が素敵とか話し方が素敵とかすごく優しいとか、
面白い、楽しいとか可愛いとか、そういった言葉として表現できる相手のことを外見から判断できる、
素敵だと思うことに対して表現というのはいかがでもできるんですけど、
そういう文化的な欲望ではなくて、本能というか遺伝情報的に自分が持っている遺伝子、DNAが相手が持っているDNAを欲しがっているから惹かれ合うということ、
それによって自然に繁殖をしたくなるということがあるんじゃないのかなと思うんですね。
これは臭いTシャツ実験という実験があって、いろんな男性の汗を吸い取ったTシャツをビニール袋に入れておいて、
それを何人も女性に嗅がせるというケースがあるんですね。
その時にいい匂いだなって思うというのは、その2人は惹かれ合う傾向が高いというふうな実験があって、
その匂いというのは遺伝情報を伝えているんですよね。
私はこういう遺伝情報を持っているよとか、というのを伝えて、それは僕が欲しい遺伝情報だ、
2人で繁殖行為を行えば、より遺伝的に優れた子孫が残すことができる。
だからこそ自然に惹かれ合う、動物として惹かれ合うということですよね。
ということが、セックスの目的の一つなんじゃないのかなと思っているんですね。
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こうやって考えていくと、愛しているからセックスをするのか、
セックスをするということを愛しているという証拠なのかというのって、
すごいぼんやりしてくるんじゃないのかなと思うんですよね。
人間がこれまでに、ここまでいろんな高度に発達してしまったせいで、
余計なことを考えすぎてしまっているからこそ起こる問題だなと思うんですよ。
ネアンデルタール人だった時代とか、ホモサピエンスが生まれたばっかりの時代とかだったら、
こんなことをあまり考えなかったと思うんですよね。
セックスをしてくれないということを愛していないという証拠なのかとか、
愛しているんだったらセックスをしてくれるはずだとか、
そんなことを考えていなかったと思うんですよ。
したかったらする、したくなかったらしないというだけだったと思うんですよね。
セックスが単なる繁殖行為であったりとか、
遺伝的に惹かれ合う2人が自然に残る繁殖行為であった時代ならば、
そういうことだったはずなので、
愛とセックスというのを同じテーブルに並べて議論をするという事象は発生しなかったんだろうなと思うんですよね。
今のこの文化的に発達した人間ならではの悩みだなと思うんです。
じゃあそうは言っても、夫婦であるならばセックスをしたいと、
セックスをしてくれないということを愛していない証拠なのかという悩みはどうしてもつきまといますよね。
すごく裏切りあえたような辛い気持ちにもなりますし、
これをどうしたらいいのかというのもあると思うんです。
そこで考えるのは、そもそも夫婦の愛し方、夫婦の愛というのは一体何なのかということを考える必要があると思うんですね。
それを考えていくと、セックスだけが愛ではないんじゃないのかなと思うんですよ。
セックスをするというのは、愛しているからフューヨーになるというような生つ離れた行為であると考えてしまうんですけど、
セックスというのはたisanに愛を伝える手段の一つでしかないと思うんですね。
目的ではないんですよ。
愛しているということを伝えるための目的ではないんですよ。
愛しているからセックスをするんじゃないんですね。
セックスをするイコール愛ではないんですよ。
目的じゃないんですよ。
履き違えてしまうと辛くなるんですね。
ただ、その愛を伝える手段の一つでしかないと僕は思ってるんです。
セックスイコール愛の証明と考えると、これはすごく辛くなるんです。
なんとなくこれはノンリ破綻してるかなと思うんですね、さっきの話と同じで。
反証ができないんですよね、セックスを。
セックスをするってことは、相手のことを愛しているってことなのかっていうと別に違いますよね。
愛しなくたってセックスすることができる。
じゃあ、愛しているからセックスをするのかというと、
愛していたとしてもできない場合もあるってことなので、
セックスというのは愛の証明ではないんですよね。
これはもう、なんだろうな、この世の中の真理で何でもないんですよ。
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ただ、そう思ってしまうんですけどね。
セックスをしてくれるってことは愛している。
セックスをしてくれないってことは愛していないって思ってしまうんですけど、
なんでこんなに思ってしまうのか、僕にも不思議なんですけど、
たぶん今までの擦り込みでしょうね。
ドラマとか映画とかでも、セックスをするってことは愛している証拠だとか、
愛を誓い合った二人は結婚式は誓いますよね。
誓いますよね。
辞めるときも、健やかなるときも、
愛することを誓いますかって言いますけども、
ついこの性行為と愛というのを一緒くたに、
同じものとして考えてしまうんですけど、
これは若い時はそうなんですよね。
若い時は繁殖行為、性欲も高いですし、
子孫を残そうとするためにテストステロンという男性ホルモンの分泌量が
男女ともに多いので、嫌だなって思うことはそこまでないんですよ。
30代以降と比べると。
だからセックスイコール愛というふうに若い時は考えてしまうんですけど、
だけどどんどん20代後半とか30代とかになってくると、
テストステロンの分泌量がどんどん落ちていくので、
その二つはイーブンにならないんですよね。
セックスイコール愛ではないんですよ。できなくなってきたりもするんで。
もしくはどんどん新鮮さが薄れていって、したいと思わなくなってきてしまう。
だけど相手のことは人としては愛してると。
となると、どんどんイーブンじゃなくなってくるんですよね。
だから昔は違かったのに、今はこんな風になってしまって、
というふうに、愛してないんだとか、好きじゃもうないんだ、
もう好きではないんだというふうに不安になってしまうんですけど、
そんなことはないんですね。
セックスイコール愛の証明ではないからです。
僕はそう思っているんですけど。
セックスするから愛しているわけでも、
愛しているからセックスするわけでもない。
ということか、これをちょっとね、
頭に入れておくと、
辛さがちょっと軽減されるかなと思うんですね。
じゃあその愛の証明って何なのか、
愛されているっていうのはどういう状況なのか、
自分が愛しているとはどういう状況なのか、
ということなんですけど、これは、
僕が個人的に思っているのは、
相手を気遣って、相手を大切に扱うこと、
そして相手の幸せを望むことが、
愛なんじゃないのかなって僕は思うんですよ。
すごい当たり前すぎて、
二層論でしか聞こえないかもしれないんですけど、
実際に3人の子供がいて、
結婚して10年くらい経ちますけど、
夫婦をずっとこうやっていると、
愛って何なんだろうなっていうことをよく考えるんですよね。
僕も30代後半とかになってきて、
以前のような性欲って別にそんなにないわけですよ。
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20代の頃のような性欲、テスト性能値は
僕そんなに高いわけでもないので、
そこまで強い性欲もなくなっては来てるんですけど、
そうなってくると、
男女ともにだんだんそうなってくるんですよ。
女性は特にテストストレーナーがもともと低いので、
性欲がどんどん落ちてくるんですけど、
そうなるとセックスと愛って
イコールじゃないなってことにどっかで気づき始めるんですよね。
夫婦2人が同じタイミングで気づけばいいんですけど、
だいたいずれがあるんですよね。
妻はセックスイコール愛ではないと思っているだけだけど、
夫はまだ性欲が高い、反射力レベルが高いので、
セックスがまだまだ頭から離れないという時には
セックスをイコール愛という風に考えてしまう。
もちろん逆もありますよね。
夫はそんなにセックスに興味がない。
だけど妻はセックスに興味がある。
となると、夫は妻のことを大事に思っているけど
セックスをしたいと思わない。
だけど妻はセックスが愛されている証拠だと思っている。
そうなってくると、してくれないのが辛いという風に思ってしまうわけですね。
けど、そうなんですよ。
セックスが愛の証明だと思っているから辛いんですよ。
愛の証明、愛されているかどうかって何なのかっていうのを
ちゃんと考えたほうがいいと思うんですよね。
普段の何気ない生活の中で
夫が自分のことをすごく大切に扱ってくれたりとか
素敵だねと言ってくれたりとか
いつも自分のことを優先してくれたりとかするのであれば
それは愛されているということなんだと僕は思うんですよ。
もしくは逆にまたしっかりですよね。
妻が夫のことを大事に扱ってくれて
人としてもすごく大切に扱ってくれて
好きだよと言ってくれたりとか
何が所にしなかったりとかっていう風な
あと一緒に話をして
二人で話をしていても話が盛り上がったりとか
楽しい時間を一緒に過ごすことができる
今ここの時間がすごく楽しいと思えるのであれば
それは妻から愛されている証拠なんだろうなと思うんですね。
セックスイコール愛の証明って考えるから辛くなるんですよ。
そこからちょっと一回離れると
楽になってくるんだろうなって思うんですね。
セックスって強制することができないんですよね。
したくない時にはどうやったってできないので
そこで無理やりされると嫌な記憶しか残らないんですよね。
セックスって愛されている証拠ではないということを
これを勘違いしてしまうと
パートナーからの愛を踏みにじることにもなるんですよね。
パートナーはきちんと自分のことを愛しているんだけど
だけど自分はセックスが愛の証明だと思っているとなると
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ひたすらそれを求め続けて
パートナーからの日々の愛を受け流してしまったり
踏みにじってしまったりということになるんですね。
確かに今この瞬間、今二人が共に生きているこの今
相手からの愛が確かにそこに存在する
気遣ってくれたり、大切に扱ってくれたり
あなたの幸せを望んでくれているのであれば
それは愛されているということだと思うんですよね。
セックスに囚われすぎると相手の愛を見えなくなってしまうんですよね。
そこにあるはずの相手の愛が見えなくなってしまうんですよ。
なぜならセックスしか愛ではないと思ってしまっているからですよね。
なのでここはね、結構考え方を変えるのは難しいところではあるんですけど
セックスというのが愛の証明ではないということを
しっかりと頭に入れておくと
普段の生活がもっと楽になるし
夫婦というのがお互いに愛し合うことが
自然にできるようになってくるんじゃないのかなと思っています。
ということで今日は
セックスは二人が愛し合っている証拠なのか
セックスは愛の証明なのかということについて話をさせていただきました。
妻との関係悩む男性や
夫との関係悩む女性の参考になれば幸いです。
質問箱の方で夫婦関係に関するご相談、男女問わず受け付けておりますので
ぜひそちらご利用ください。
放送欄にリンクを貼っておきます。
あと妻との関係に今まさに悩んでいるという方
ノートのサークル機能を使って
アツな夫婦関係改善カウンセリング松明という名前で
妻との関係悩む男性向けに
ズームやメールなどでアドバイスをさせていただいています。
自分一人で何とか妻との関係を改善しようと思うと
真っ暗な暗闇の中でたった一人で
自分がどこにいてどこに向かっているのかわからなくなるんですよね。
夫婦関係改善に関する本とかって世の中にたくさんあるんですけど
その人はそれぞれによってケースってすごいバラバラなんですよね。
自分の場合はどうしたらいいんだ妻の性格がこういう性格で
自分の性格がこういう性格で
こういった場合に何をどうすればいいんだろうっていうのは
すごく行き詰まってしまう時が結構あるんですよね。
僕もそうだったんですけど。
そんな時にその暗闇の中で僕が
あなたを出口へと引っ張っていく松明となって
一緒に伴奏していきたいと思っています。
妻との関係悩んでいて本気でどうにかしたいと思う方は
ぜひご連絡ください。
放送の説明欄にこちらもリンクを貼っておきます。
夫婦関係改善カウンセリング
ノートサークル右矢印の先にURLが書いてありますので
そこをタップしていただくと飛べるようになっています。
はい、ということで今回最後までありがとうございました。
また明日お会いしましょう。さようなら。
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