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2021-11-09 14:26

#268 それは会話と呼べるのか?「話し合い」と「自分の意見を通すこと」の違いの重要性

妻と話し合いをする際にどうしてもぼくらは、相手に自分の意見を納得してさせようとしてしまいます。本当の夫婦の話し合いとはなんなのか?詳しくお話しします。
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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係悩む男性向けに夫婦関係改善のヒントになる発信をしています。
今日お話したいことは、夫婦の話し合いってあるじゃないですか。この話し合いをすることということと、自分の意見を通すってことはちょっと違うということについて話をしたいなと思います。
なんでこんなことを話すかというと、僕もそうなんですけど、ついついその妻との話し合いをしようと言って話し合いをしだすと、
どうしても気がついたら自分の意見を押し通すことに執着している時っていうのがあるんですよね。
ここら辺りある方もいらっしゃると思うんですけど、例えば妻と自分である一つの題材について話をしていますと、それについて意見が食い違っているとき、
僕はこう思う。妻としては私はこう思うと。意見が食い違ってしまっているときに、どうしても僕らというのは自分の意見を妻に飲んでもらいたくて、
納得してもらいたくて、いかに妻は説得するか、いかに妻に分かってもらうか、いかに妻にこっちの条件を理解してもらって受け入れてもらえるか、いかにして自分を受け入れてもらえるかってことを考えてしまいがちなんですけども、
こうなってしまうと話が平行線になってしまって、さらにお互いがお互いのことを分かってくれないというふうに無理解に繋がっていくんですね。お互いの無理解に繋がっていく。
妻は夫に対して夫は私のことを分かってくれないと、夫は妻に対して妻は全然俺のことを分かってくれないというふうにお互いに分かってくれないというふうに思う気持ちだけが残ってしまう。
そしてついに無気になってしまうことってあるじゃないですか。妻と話をしていて妻がいやそうじゃないと否定されてしまうと、ついつい僕らって感情的に無気になってしまう時ってあると思うんですよ。
そうなってしまうと相手も無気になってしまって、お互いに折れてもいいと思うようなところで折れないで、結局不毛な喧嘩が始まってしまうということは結構あったりもするんですけど、
これがお互いにとっての落とし所を探ろうとしないまま話し合いが終わってしまう。
あとは、じゃあどうすべきか。お互いに意見が食い違ってしまって、じゃあどうすべきかどうしたらいいのかっていうところを、
なんで納得できないんだとかね、こうすべきだろうとか、何々するべきだという、どうしても考えがちになってしまうんですよね。
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いろんな話す台座によっていろんなことはあるとは思うんですけど、
どんな話をするにしても自分の中にある常識とか文化規範ってあると思うんですよ。こうすべきだとか、あーすべきだっていう、
何々するべきって、べき論って多分自分の中に誰もがあると思うんですよね。それが妻とは違う時に夫婦喧嘩ってのは起こりやすいなと思っていて、
どうすべきかってことばっかりが話をされて、それに対してどう感じたのかといった感情についてはあまり共有されないなって思うんですよね。
例えば、仕事で自分が転勤になりますと話がありましたと。
その時に家族と一緒に転勤する人もいれば、自分だけ単身不倫にする方もいますよね。こういった時に自分は家族みんなで一緒に行くべきだと思ってる。
だけど妻からしたら、子供たちは学校もあるし、自分の仕事もあるしということで納得できないというか、私はそう思わないというケースがあると思うんですよ。
こういう時ってお互いにどうすべきかってことばっかりが話をされて、それに対してどう感じたのかっていうことがあまりないんですよね。
家族と一緒にいれないのは悲しい、寂しいという感情の話だったりとか、妻からしたら、私はもっと仕事頑張りたい、自分の経済的にディルトしたいんだとか、
そういった自分の感情とか思いということをあまり話をせずに、嫌だからとか、こうすべきだからとか、べき論ばかりが話をされてしまう。
これって他のことでもいろいろたくさんあると思うんですよね。
例えば子供が生まれてからになると、小学校とか中学校とか、私立に行かせるかどうかとか、
僕が住んでいる地域はそうでもないんですけど、結構都会の方だと多いですよね、私立の小学校行く子たちって。中学校も多いですよね。
そういう地域だと、私立行くべきだろうとか、というふうにどうしても話をされがちだったりとかすると思うんですよ。
こういったどうすべきかっていうのは、自分にとってのべき論であって、相手にとっては違うことっていうのは結構あるんですよね。
さらに言うと、この何々すべきだっていう、この理屈っていうのは、なかなか人を動かしにくい部分があるんですよね。
そうは言ってもさーってあるじゃないですか。いやいやこうすべきだろうとか言われても、いやそれ、あなたがそう思ってるだけじゃんとかね。
だから何?って言われちゃうんですよ。だけどそうじゃなくて、人を動かすために大事なことって、僕は理屈よりも感情の方が人を動かせるなって思うんですよね。
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だけどこの感情っていう大事な感情を、多くの男性も女性もあまり伝えようとしないんですよね。
それがために、なかなか妻に自分の思いがわかってもらえない、そして逆にまた夫に自分の思いがわかってもらえないということが起こり得るんだと思うんです。
この感情に対してなんですけど、僕、昨日ですね、昨日アップしたノートがあるんですけど、
夫に意見を物申すことは日本社会に意見を言うことだったかな。
Kさんが夫を変えることができた理由とはという記事をアップしたんですけど、その記事の中でね、お話をしてくださった方、女性の方なんですけど、
夫を変えるために、理屈で詰めていったっていう感じではないんですが、感情も結構出していて、
私はこうなりたい、こうしたい、あなたにはこうなってほしいんだっていうような気持ちをすごい伝えたんですよ。
それによって、夫の方も気持ちを開いてほしい、夫の気持ちを出してほしいと、夫の魂と触れ合いたいということをその方はおっしゃっていて、
妻がそういうことを言われるので、夫も一生懸命自分の感情を出そうと努力するんですよね。
それによって、二人がお互いに思い合って思っていることを言葉に出して伝え合うことができるようになっていったんですけど、
こんな風に、理屈じゃ人は動かなくて、感情でこそ人は動くんだなって僕はすごい思うんですよね。
その感情をきちんと伝えないがために、お互いにこう、何かの内頭にされたと感じて、余計な言葉で相手を傷つけてしまう。
理屈っていうのは相手を傷つけやすい言葉だなと僕はすごく思うんですよね。
じゃあどうやって話し合いでやるのかってことなんですけど、まず大事なことは相手の思いをきちんと聞くってことなんですよ。
傾聴が大事とか言うじゃないですか。あれって、自分の妻がどういうふうに思っているのか、何を感じているのかってことを聞いていくんですね。
自分の意見に、こっちの夫の意見に同意できない場合は、その理由を冷静にヒアリングしていく。
どうしてもこっちが感情的になってしまって、ムキになって、売り言葉で買い言葉みたいな喧嘩になりやすくなってしまうとは思うんですけど、
そこでちょっと抑えて、なぜ妻がそのように思うのかっていうことを妻の文脈に立って理解しようと努めるんですよ。
妻、例えばお互いに考え方が違うと。なんで僕らこんなに考え方が違うんだろうかと。
で、よく考えてみたら妻の育ってきた家庭環境の影響だったりとか、仕事に対するスタンスとか、向き合い方とか、あと子供たちに対する考え方とかっていうことを
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妻の目線に立って妻がどう感じているのかってことを自分で追体験していくんですよね。
そうすると、なぜそう思っているのかってことが、なるほどなって分かる時が来るんですよ。そういうふうに思っているから嫌なのかと。
そう思う時に、自分がどう、そうは言っても俺はこう思うんだよとかっていうふうな、自分の眼鏡を外す必要があるんですよ。
自分の文脈から物事を考えずに、妻の文脈から物事を考えていくと、
なんで妻がそう思っているのか、なぜそう感じているのか、なぜその言葉を発したのかということが理解できるようになっていくんですね。
そして、同時に自分が、僕ら夫がなぜそのように思うのかってことも、
冷静に気持ち、この感情を交えながら伝えていくんですね。悲しいとか、寂しいとか、嬉しいとか、いろいろあるじゃないですか。
そういった感情があるからこそ、こういった選択をしたいんだっていうことを冷静に伝えていく。
そうすると、お互いにこうすべきだとか、ああすべきだっていうふうなべき論には陥りづらくなると思うんですよ。
お互いにどう思っているのかっていうその感情、色がついたその感情の部分って否定はできないじゃないですか。
私はこう感じているっていうその感情っていうのは、その感情を起点としてお互いに何を感じているのかっていうことを
お互いに相手の文脈に立って考えていくっていうことがすごい大事なんですね。これが話し合いだなと僕は思っていて。
そして、その上で意見が食い違ってしまっている場合は、お互いに大事にしている核となる部分って何かしらあると思うんですよ。
これが嫌だ、あんたが言うそれが嫌だと言っていたとしても、それ自体が嫌なんじゃなくて、それによって犠牲にされてしまう別な部分が嫌だと。
それが彼女にとってもすごい大事なことだったりするんですよね。
その部分を身に出してお互いにそのポイントをカバーできるように、第三の選択肢を一緒に考えていくっていうことが
夫婦の話し合いにおいてはすごく大事なことなんじゃないのかなって思うんですね。
なので、話し合いをしようと言った時に、どうしても僕もそうなんですけど、つまり自分の意見を聞いてもらいたいと、
分かってもらいたいというふうに思ってしまって、それが話し合いだと思ってしまうんですけど、そうじゃなくて、
話し合いっていうのはお互いが相手の文脈に立って、相手の見せようを理解し合うってことなんですよね。
その上でお互いにとってベタな選択肢を一緒に探していく。お互いが本当に大事にしているポイントをお互いに身に出して、
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そのポイントをカバーできるように、2人が納得できる、2人が幸せを感じられるような選択肢を一緒に探していくっていうことが話し合いなんじゃないのかなって僕は思うんです。
ということで、今日は話し合いと自分の意見を通すことは違うってことについてお話をさせていただきました。
妻との関係の悩み方の参考になれば幸いです。
ノートのサークル機能を使って、夫婦関係改善カウンセリングタイマーズという名前で、妻との関係を悩む男性向けにアドバイスに載っております。
妻との関係を悩んでいて、本気でどうにかしたいと思う方はぜひご連絡ください。僕が一緒に伴奏していきます。
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はい、ということで、全然話が違うんですけど、夏って僕バジルを育てていて、バジルペーストをすごい作ってたんですよ。
バジルペーストがすごい大好きで、バジルパスタとか、ジェノベーゼですよね。あれが大好きで作ったんですけど、
秋になると枯れちゃうんですよね、バジルって。日本って一年中暑くないんで。
なんか冬に作れるものないかなーって探してて、前だホームセンターグラブラしてたら、
小松菜とサラダほうれん草と人間菜、その3種類がプランターで育てられますって書いてあって、
それでね、サラダほうれん草ってやつを買ってきたんですよ。今年の冬はこのサラダほうれん草っていう聞いたことない野菜なんですけど、
それを育てようかなって思ってるんですね。なんかね、そのほうれん草なんだけど、アクが少ないんで、サラダとして生でも食べられるんですって。
人間菜とか小松菜って美味しいですけど、茹でなきゃあんないんで、めんどくさいわと思って、簡単に食べられるものがいいなと思って、
サラダほうれん草ってやつを選んだんですけど、土にいちりしてると結構気持ちが落ち着いたりとかもするんでね、
癒されるんで、今年の冬はサラダほうれん草作りを頑張りたいなって思っています。
はい、全然関係ない話でしたけど、今回も最後までありがとうございました。また明日お会いしましょう。さようなら。
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