00:05
アツの夫婦関係学ラジオ、このラジオでは、夫婦関係をより良くしたい、そんな方向けに、夫婦関係に役立つヒントを発信しています。
今日はですね、離婚への分かれ道、親密さのパラドクスって話をしたいと思うんですけど、これ何なのかというと、
前々回から離婚への分かれ道って話をしてまして、その3回目にあたるんですけど、
うまくいく夫婦といかない夫婦、長続きする夫婦と長続きしない夫婦、離婚に至る夫婦と離婚に至らない夫婦、この違いはどこにあるのかということを、今僕調べてるんですね。
調べてきて分かったことは、離婚に至ってしまう夫婦というのは、夫婦関係循環プロセスモデルというのがあるんですけど、
この中におけるお互いに裏切られたように感じる期間をうまく和解できなかったことによって、離婚に至ってしまうということがあるということが分かりました。
この裏切られたように感じてしまう期間のことを縮小配信期と呼ぶんですけど、この縮小配信期が起こるきっかけというのは4つあります。
その2つ目が今日の親密さのパラドクス。
前回は結婚生活への期待と見つけつきについて話をしまして、今日は親密さのパラドクスという2つ目の理由、離婚への分かれ道の2つ目の理由について話をしようと思います。
これはパッと聞いたときは、僕も何言ってるの?って思ってよく分からなかったんですけど、よくよく本を読み進めていって、
日本の夫婦パートナーでやっていく幸せの葛藤という本なんですけど、この本を何度も何度も読んで、情報を他にもネットで調べたりとかして、
自分に落とし込んだり、他の夫婦の地理に落とし込んだりして考えたら、やっと分かってきたんですよね。
親密さのパラドクスとは一体何なのか?これは夫婦喧嘩における原因の一つでもあるんですよ。
親密さのパラドクスが分かると、自分たちが何で揉めてるのか?なんでこんなに嫌な気持ちになるんだろう?ということが分かるなぁって思います。
じゃあ始めますね。親密さのパラドクスについて話をする前に、前回話をした見つけつきについて再度話をするんですけど、
見つけつきというのは、結婚前後のラブダブ期ですね。
大好きって、あなたのこと大好きって、君のことが大好きってなってしまって、お互いの悪いところとか、ちょっとここイマイチなんだよねっていうところが見に入らなくなって、
大好きラブダブってなっている期間が見つけつきです。
だけど、僕もそうだし他の方もそうだと思うんですけど、見つけつきっていつか終わるんですよね。
なんかこの人のここちょっとどうなの?みたいな風に思う時期がいつれば誰もがやってくる。
03:06
そうなってくると、相手に対して抱いていた期待が叶わなくなってくるんですね。こうして欲しいな、ああして欲しいなっていう期待があるじゃないですか、欲求が。
ラブダブ期の時には相手が気になりようとして色でやってくれるんですよね。その期待に応えようとしてくれて、おやるよって。
もう自ら進んで相手が何を望んでいるのかを先回りしてやってくれたいとか、言ったことは全部やってくれたいとかするようになる。
新婚当初とか付き合ったばっかりの頃ってそうじゃないですか。
だけどこれが終わりが来る日がやってくる。誰もが経験あると思うんですけど、叶わなくなる期待が叶わなくなる日がやってくるわけですね。
見つけつきは長くは続かなくて、お互いの素顔や考え方の違いが徐々に明らかになってきますよね。
だいたい付き合って結婚して2,3年とか経ってくると、3,4年とか5年目とかですかね。
人によってばらつきはあると思うんですけど、何か違うなって、何か話合わないなとか。
なんでこの人こんな感じなの?っていう風にだんだん気になってくるんですよね。
すると相手もパートナーの期待とか要求を満たそうとしなくなるので、今まで満たされていた要求や期待が叶わなくなってくるわけです。
これは簡単に言っちゃうと恋の終わりであるんですけど。
ちょっと結構前に話をしたフェネルエチルアミンという粘愛ホルモンがあるんですけど、神経転倒物質があるんですけど、
これの効果で3年で切れちゃうんですよね。
どんな人も粘愛から3年で切れる背景には神経転倒物質の効果芸というのもあったりします。
これは本書には書いてはないんですけど、ホルモンに関する本とかにはよく脳科学の本とかによく出てくる話ですね。
そうなると違いを受け入れられなくなるんですね、お互いの。
なんでそんなことするかなとか、なんでこう思わないのとか、普通こうするじゃんみたいな風にだんだんなってくるんですね。
今まではラブラブ期だったんで、なんかそういう人と違うところが素敵みたいな風に思っていたところが、
なんでちょっと違うことするかなみたいな風に思われてくる時期。
僕もね、そういうことよく言われるのですごくわかるんですけど、多分多くの人がそういう風な経験あると思います。
それが三月期の終わりなわけですよね。
この時期に重なってくるのが家族のライブサイクルの変化なんですよ。
出産と育児が重なってくる時期ですよね。
結婚から4,5年とか、人によってはバラつきあると思いますけど、多くの人がその間の時期で妊娠、出産、育児を経験するようになる。
すると、今までに起こらなかったストレスが発生するわけですよ。
第一子が生まれた夫婦の7割が結婚生活に不満を覚えるといったデータがあるんですね。
06:03
これはまさに家族のライブサイクルが変化することによって発生した不満なんですよ。
出産、育児によって相手への期待とか欲求が高まりますよね。
例えば女性の場合は、妊娠して出産するというこの期間に自分が思い通りに動けなくなったりとか、体調が優れない時期が増えるので、
夫に対してああしてほしいな、こうしてほしいなという期待が高まってくる時期ですよね。
出産、育児を減ると、ますます育児に対してもっと関わってほしいとか、自分の体調を気遣ってほしいとかという期待が増える時期になってくる。
一方で男性は人それぞれあると思いますけど、子供が生まれるということは責任が伴う、経済的な責任も重くなる。
だからより稼がなきゃいけない、もっと働かなきゃというプレッシャーがかかるようになるんですよね。
すると本来なら早く家に帰って妻を支えなければいけないんだけど残業をしたいとか、より負荷の多い仕事を選んで給与を上げようとする、そういった意識が働くようになるわけですね。
あとは妻が自分のことを見てくれなくなる子供ばっかりになってしまうことによって、こっちを見てほしいなという気持ちにもなったりするわけですね。
女性からしたら子供がいるんだからお前が子供みたいなことを言うなよって思うと思うんですけど、
だけど事実としてそういうこともあるんですよ。
男性側からしたら寂しいなって、妻が子供ばっかりに関わってこっちのことも相手にしてほしいなという時期に思うこともあるわけです。
これがお互いの期待とか欲求が高まってるんだけど全然すれ違ってるんで満たされなくなるんですよね。
夫婦はお互いにケアしてほしいと望んでるんですよ。
だけど育児とか自分の健康の維持とか、睡眠不足になりますからね、子供生まれた後って。
育児と自分の健康の維持でいっぱいいっぱいになって、もうそれどころじゃなくなっちゃうんですよね。
ちょっと何言ってんのって自分のことは自分でやってくれないみたいな風に妻からしたらなってしまう。
夫からしたらこっち見てよって思うようになると。
お互いにケアしてほしいと望むんだけど、もういっぱいいっぱいでそれどころじゃなくなってくるというわけなんです。
本書の中で書かれているのが、だからこそこういった状況になることによって
夫婦は互いに協力していこうとする姿勢を持ちながらも、相手に頼れなかったり甘えられなかったりする事態を自分なりに受け止めるという必要性に迫られますということが書いてあるんですね。
自分自身のこととか振り返るとまさにそうで、
09:03
妊娠、出産、育児の段階になると、お互いに夫婦って協力していかないとやっていけないじゃないですか。
協力していこうと姿勢を持つんだけど、だけど上手く相手に頼れない。
例えばその夫側がもっと稼がなきゃってプレッシャーを感じていたりすると頼れないとか。
妻側は子供の世話でいっぱいいっぱいになっているので夫が妻に甘えられないとかというケースがある。
このように相手に頼れなかったり甘えられなかったりする事態が発生するだけですよね。
それを自分なりに受け止めなきゃいけなくなってくる。
これが親密さのパラドクスにつながっていくんですね。
そしてその親密さのパラドクスが夫婦関係にひびを入れていくということになるわけなんですが、
この親密さのパラドクスは一体何なのかについて詳しく話をしますね。
パラドクスというのは矛盾とか葛藤ということで、相反発という二つの事象が存在してそれがぶつかり合っている状況のことを指します。
親密さのパラドクスというのは親密さというものがぶつかり合っているということなんですけど、
簡単に言うと、人は自分で色々決めたいという気持ちを持っていますよね。
自由に自分で色々なことを決めたい、自己決定権を持ちたいという気持ちを持っている。
自分を犠牲にすることなく自分らしさを大切にしたいという思いを多くの人は抱いていると思うんですよ。
僕もあるし他の方もあると思います。自分らしく生きたいという。
当たり前っちゃ当たり前ですよね。
他人に自分の人生を左右されたいとか指示されることなく、自分で自分の人生を選んでいきたい。
何か決める時は自分で決めたいという意志を多くの人は持っているわけです。
だけど同時に自分のパートナーに対して自分の感情とか価値観を分かち合いたい。
分かってもらいたい。共感してほしいという気持ちも併せ持っているわけですよ。
この2つがぶつかり合っているわけなんですよね。
これって簡単に言うと分かってくれない問題の原因でもあるかなと思うんですよ。
例えば夫婦がよく私のこと分かってくれないとか俺のこと分かってくれないとか言うじゃないですか。
そういった分かってくれないって言っている側が相手側の主張を分かろうとしていないのかもしれないなって思うんですよね。
これって自分で色々決めたいという思いと自分の感情を分かち合いたい。私の気持ちを分かってほしいという思いがある。
両方があるわけですよ。両方とも悪いことじゃないんですよね。
この2つがぶつかり合っている。これをうまく折り合いをつけながら僕らはやっていかなきゃいけないんですよ。
この時に矛盾と葛藤が生まれるんですよね。
だけど本書で書かれているのはこれを乗り越えて夫婦は自分を犠牲にすることなく自分らしさを大切にした上で
12:08
しかも相手を自分の都合のいいように変えようとか説得しようなどと過大な欲求を抱かずに
互いに相手のありようを認めるという親密性を築かなくてはいけないってことが書かれているんですよ。
すごく難しいですよね。なぜ難しいかというとそこには矛盾が存在するからなんですよ。
自分らしさを大切にしたい。自己決定権を持ちたい。自分らしさを大切にしたいと思っている。
だけど同時に自分の気持ちも分かってほしいと思っているわけですよ。
分かってほしいと言っているけど自分らしさも大切にしたい。
もちろん相手も自分らしさを大切にしたいと思っているんですよ。
この人に自分の気持ちを分かってほしい、理解してほしいと望んでいる。
だけどその向こうにいる相手をまた自分らしさを大切にしたいと思っているんですよ。
そこでぶつかり合っているわけですね。
多くの夫婦というのは自分の気持ちを分かってほしい、自分の期待に応えてほしいと願っているわけですよね。
だけど願っているんだけど相手に対して説得しようとか変えようという課題の欲求を抱かずに相手のありを認めなければいけない。難しいですよね。
これって簡単ではなくて夫婦それぞれの心の成熟性や自立性が試されることになるわけです。
何回か前の話をした自己文化との話があったと思うんですね。
知性システムと感情システムというものが人には備わっていて、人は生まれた時には感情システムが塊ですね。
眠いとかお腹空いたという感情システムが塊。だけど心身の発達に伴って知性システムが発達していくわけですよ。
論理的に物事を考えられるようになったりとか、理屈で物を考えたりとかできるようになったりとか知性システムが発達していく。
この知性システムと感情システムがうまく分岐していくと心の成熟度が上がっていって、
いろんな物事を自分の都合だけで自分の感情に振り回されずに冷静に分析できるようになってくるわけですね。
夫婦二人ともがこうやって自己分化度が高まっていくといいんだけども、
自己分化度の高まり具合、知性システムが高いか感情システムが高いかというのは人それぞれなのでぶつかり合いが起こるというわけなんです。
だから夫婦関係がうまくいくためには、そういった心の成熟性というものも重要になってくるということなんですよね。
15:00
ここで問題になってくるのが、親密さのパラドクスを解消するために分かったと。
私も自分に色々決めたい、自己決定権を持ちたいという気持ちもある。自分の意見を曲げたくないという気持ちもあるけど、
あなたの気持ちを考えてみれば確かにあなたがそういうことも理解できると。
だからお互いに歩み寄っていこうと。僕も君の歩み寄るから、僕も君の歩み寄ってほしいと。
お互いに歩み寄りながら、自分たちにとって最適な夫婦関係を構築していこうという気持ちを持つようになる。
これすごくいいことですよね。すごくいいこと。
だけど、これは片方だけに偏っているとうまくいかないんですよ。
片方だけが分かったと、君の気持ちは分かったと、じゃあお互いに歩み寄りながらうまくやっていこうよと。
いやふざけんなと。あんたが歩み寄るのはいいけど、こっちが歩み寄るならもう願い下げよってなったりするケースもあるわけですよ。
間違っているのはあんたでしょ。私は間違っていません。
あなたが悪いんです。あなたが直せばいいんです。
そして直らないんだったらもう別れます。という風になってしまうとうまくいかないわけなんですよ。
これがなんでこんなことが起こるのかというと夫婦が夫や妻がケアされたいって望む時期はそれぞれ違うんですよね。
相手に情緒的ケアを期待するタイミングってずれがあるんですよ。
これは例えば妊娠・出産の時期に妻がすごくケアしてほしいと望んでいた。
だけど夫はケアされてほしいと望んでいなかったので、相手に対してケアをしようという気持ちが生まれなかったことがすごく多いんですけど、
こうやって情緒的ケアを期待するタイミングがずれてしまうと、相手の気持ちは理解できなくて、
ちょっとわからないな、何言ってるのかなってなってしまうわけですよ。
これがずれてしまって、後からそれを取り返そうとすると、
いやいや何言ってるの?悪いのはあんたでしょ?
あなたがどんだけこっちにすり寄ってきたとしても当たり前でしょ?
私はそんなことするつもりないよってなってしまう。
この情緒的ケアを期待するタイミングのずれについては次回詳しく話をしていこうと思います。
最後にちょっと付け加えたいのが、この親密なパラドクスによって起こる分かってくれない問題についてもうちょっと話をしたいんですけど、
私の気持ちを何で分かってくれないの?っていうことが背景で起こる問題って多いと思うんですよ。
あなたが悪いんだと。あなたの考え方が問題なんだと。
あなたが私の気持ちを分かってくれればすべて解決するんだと。
これって相手を自分の都合のいいように買い落としているっていうことなんですよね。
もちろんその相手がすごく悪い時もあると思うんですよ。
パートナーのことをきちんと考えていない。パートナーの心と体のことを考えていなくてケアしようとしないっていうケースもあると思うんです。
18:07
だけどどう思ってるのかってことは聞いてみないと分からないじゃないですか。
分かってくれないと言っている側が相手側の主張を分かろうとしていないこともあると思うんですよ。
よくよく話を聞いてみると、相手の主張を聞いてみると、本人の思い込みだったりとか勘違いがあることもあると思うんですね。
僕ら夫婦も結構たくさんあって、なんで分かってくれないんだよって僕は思うこともあるし、妻がなんであんた分かってくれないのって思うこともあるんです。
だけどよくよく話を聞いてみると、自分の思い込みだったりとかすれ違いってことはすごい多いんですよね。
そこが理解できると、無駄な言い争いが減るし、夫婦関係の循環プロセスモデルもうまく回ると思うんですよ。
拡大保証器、縮小配信機、和解器、これがぐるぐるぐるぐる回り続けることによって、いつかそのぐるぐる回る大きな円が小さな円と変わっていくんだと思うんですよ。
これについてすごく分かりやすい記事があるんですよ。
ちょっと紹介したいんですけど、ノートの記事なんですけど、和製ウィルスミスさんという方が書いているノートの記事で、
逆プロポーズしてみた24の夜っていう記事があるんですね。
この中で書いているのが簡単に言うと、
女性側の記事で、付き合っている彼氏に結婚したいって話をしたんですよ。
だけど男性側は結婚願望がないっていうふうにさらっと言ったんですね。
ここでじゃあ別れようかっていうのはすごく簡単だったと。
だけどそうじゃなくて、なぜそう思うのかっていうことをよく話を聞いてみたんですね、女性側が。
すると分かったのは、彼氏は妻を結婚したならば妻を幸せにしなければいけないっていうプレッシャーを抱えていたんですよ。
だけどそうじゃないんだと。男が女を幸せにしなければいけないっていう価値観に縛られる必要はないんだと。
私は私で勝手に幸せになるっていうことを話をして、男性側もそうだったのかと。
自分は妻を大切にしなければいけないっていうことに囚われていたのかもしれないってことに気がついたんですね。
それで結婚されて、以前ポッドキャストにも出演いただいたんですけど、すごく素敵なご夫婦なんですよね。
お互いに愛し愛されてるなとかすごい伝わるご夫婦で。
これがマスにわかってくれない問題の背景にある親密さのパラドクスをうまく解消した事例だなって感じたんですよ。
自分に色々決めたい、自己決定権持ちたい、自分らしくありたい、自分の考えを大事にしたいっていう気持ちもある。
同時に相手に自分の気持ちを伝えたい、分かってもらいたいという気持ちもある。
21:02
このコンフリクトが起こっているんだけど、相手がなぜそう思うのかなっていうことを聞いてみると、
全然違う答えが返ってきて、解決するのが難しいと思っているという課題がスルスルと解決することがあると思うんですよね。
これって主語を愛から上にするって話だと思うんですよ。
自分たちの幸せのために自分を変えることというのは、自分なしさを失うことではないと思うんですよね。
夫婦になったことによって主語を愛から上にすること、主語を私から私たちにすることで、犠牲になる感覚って減るんじゃないのかなって思うんですよ。
自分のことだけではなくて、自分たち、主語を自分たち夫婦、私たち2人という主語で考えることによって、
自分だけ損しているという犠牲なる感覚は減っていくんじゃないのかなって。
自分たちにとって幸せな生き方は何なんだろうということを模索し続けることが、
僕はより良い夫婦関係にとっては重要なんじゃないのかなって思ったりもしています。
これは疲れない家族っていう本に詳しく書いてあるので、気になる方はぜひ読んでみてください。
はい、ということで、今日は新密さんのパラドクスについてお話をしました。
次回は相手に情緒的ケアを期待するタイミングのズレについて話をしていこうと思います。
この間ノートの記事を書いたんですけど、仕事と家庭に悩み、キャリアダウンすることにした話って記事を書いたんですね。
2022年11月5日の記事なんですけど、子供がうち3人いるんですけど、
やっぱり家庭を優先するのか仕事を優先するのかっていうことをずっと考え続けてきた5年、3、4年くらいかな。
上の子が生まれたときはそんなに深く考えてなくて、仕事中心で動いてきたんだけど、
下の子が生まれてからはすごくそれを考え続けてきたんですよね。
長めに育休を取っていくこともあって、考える機会がすごく多くて、
この3、4年間は家庭と仕事のバランスをずっと考え続けてきたんですよ。
結果、僕自身のストレスも結構増えてきたり、目前が止まらなくなったりとかもあったので、
仕事の負荷を減らすことにしたんですよね。会社とも話し合って負荷を減らすことにした。
そのことに関しては僕のカットオブ記事に書いたんです。
その中で気がついたことがあって、僕は仕事を通して賞賛されたい、頼られたい、尊敬されたいっていう思いがすごく強かったんだなって気がついたんですよね。
24:04
もちろん仕事を通して得られる高揚感とか、自己実現とか楽しみっていうのは多いんだけど、
何で仕事が楽しいのかっていうことを考えるきっかけになったんですよ。
仕事を減らそうかとか、業務負荷の低い部署に変えようかとかって話し合いをしたときに感じたのが、結局僕はすごく寂しかったんですよ。
いろんな気持ちがあったんですよね。楽になれるんだっていう安堵感もあったし、
だけど一方で切り捨てられるような寂しさも感じたんですよ。
自分はもう必要とされなくなるんだとか、頼りにされなくなるのかっていう寂しさを感じたんですよね。
会社から必要とされなくなる、頼りにされなくなることの寂しさとか、見捨てられた感じとかもすごく感じたんですよ。
その寂しさの正体っていうのは、たぶん頼りにされたいとか、賞賛を浴びたいとか、尊敬されたいとかっていう気持ちがあったんだと思うんです。
何年もずっと働いてきたので、いろんな人から頼られたりすることも増えてきて、業務の幅と深さも広がってきて、
できたっていう時とか、うまくいった時とか、そういった成功体験が増えてきたので、それが得られなくなることが寂しかった。
その正体は尊敬されたいとか、頼られたいとかっていう願望だったんですよね。
いろいろ考えたんですけど、家庭の中においても、家庭だからこそ僕が最も必要としている人がこの家の中にいるってことに基礎を書いてきた気がついたんですよね。
子どもたちと妻と一緒に過ごすこの家の中で僕は一番必要とされてるんだなって。
家庭の中で僕は尊敬されたいとか、称賛されたいとか、そんな思いは感じないんだけど、必要とされているんだなってことは感じたんですよ。
それが仕方なくやってるっていうと違うんだけど、父親だからこの家の中でやっていく、父親だから必要とされている、僕だから必要とされている。
子どもたちが生まれてから、上野家が生まれてからの7,8年間過ごしてきた関係性があるからこそ僕は必要とされているんだっていうことは感じるんですね。
ずっとそこに対して、僕も子どもたちのことすごく大好きだし、幸せを運んできてくれると思ってる、幸せを感じられるんだけど、仕事っていうことに関して関わって言うとネガティブな思いも若干あったんだと思うんです。
27:03
今はそれが消えたんですよ。消えて必要とされてるんだっていう感覚を嬉しく受け止められてるんですよね。
自分の自己実現のためだけじゃなくて、家族の幸せ、その家族の幸せの中には自分も含まれてるんですよ。
僕も含まれていて、妻と子どもたちと僕、この僕ら5人の幸せを模索し続けなきゃいけないなって、模索し続けることに今は前向きに僕はなってきたんですよね。楽しみにそれも感じられるようになってきたんです。
僕の働き方とか、僕の仕事、僕の働くっていうことの答えというか、ありようっていうのは、家族と一緒に幸せの中でつかんでいこうって決めたんですよ。
これは記事を書きながら無理になってきたんですけど、自分のためだけに動くんじゃなくて、家族と一緒にある意味幸せの中に自分の働き方をうまくチューニングしていこうと、合わせていこうと思ったんですよ。
その枠組みの中で、僕は僕の働き方、働く幸せを模索していこうって、簡単に見つからないけど、今も何となく掴みつつあるんですよね。
それをずっと模索し続ける中で、家族の幸せもあるし、僕自身の働く幸せもあるんじゃないのかなって思ったりもしてます。
まだまだ模索し続ける毎日なので、これからどうなるか分からないけど、その延長線上の中に多分あるんだろうなって、僕の幸せも家族の幸せもその中にあるんじゃないのかなって今は思っています。
ということで、この記事ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
2022年11月5日の記事ですね。
仕事と家庭に悩み、キャリアターンをすることにした話という記事です。
ということで、今回も最後までありがとうございました。
また次回お会いしましょう。さようなら。