根拠のある自信と根拠のない自信
今回のしゅらの今ここラジオは、前回からの引き続きのテーマとなります。
前回、共感と同感の違いについてお話しして、最後にメリットとデメリットを次回に話していきますという話をしたんですけど、
メリットとデメリットというか、共感することで伸びて育まれていくものと、
同感、理解することで育まれていくもの、それぞれについて話していきたいと思っています。
本題に入る前にちょっと前提として、まず人間の生きる力だったり、自己肯定感を説明したいなと思っているんですけど、
私がよく引用する松木忠史さんの本、あるがままに生きるインディアの方法という書籍があるんですけど、
その中に人間を木に例えて紹介しているくだりがあるんですね。
それというのは、木の根っこが自己肯定感で、木の幹の部分、それが自信と呼ばれています。
枝はBelief、信念ですね。
これはこれで話すとコーナー1個ぐらい作れるんですけど、
それで葉っぱがレスポンス、行動というところになります。
今日は自信とそれにつながっている自己肯定感、根っこの部分ですね。
それについて話していきたいと思います。
自己肯定感にもつながるんですけど、自信の中に松木忠史さんは2つの自信というのがあるという話をしていて、
それが根拠のある自信と根拠のない自信なんですね。
それはどっちも大切だという話をしています。
根拠のある自信というのは何かというと、
自己肯定感に関わってくる自信
これは分かりやすいと思うんですけど、
良い成績が取れたとか、誰かに褒められたとか、
どこか良い大学に入れた、良い就職先に恵まれた、
あとは何かが資格を持っているとか、肩書きがあるとかですね、
割と他の人にも見えやすい自信になります。
これが根拠のある自信ですね。
対して根拠のない自信というと、
そういった肩書きは全くなくても、
ああ、大丈夫だという、まさに本当に根拠のない自信ですね。
その2つがあります。
自己肯定感に関わってくるのは、
自己肯定感に関わってくるのは、
割と言う根拠のない自信と言われるもので、
先ほどね、なかなか分かりづらいと言ったように、
木で例えてましたけど、
自己肯定感は根っこって言ったんですけど、
根っこは地面の下にあるから分かりづらいんですね。
自信も木の幹の部分と言ったんですけど、
根拠のない自信というのは、
割と木の幹の内側の部分。
根拠のある自信というのは、
木の幹の外側の部分とイメージしてもらえれば分かりやすいと思います。
根拠のない自信のある人って、
周りがどんなにやばいとか、
絶望的な状況だと思われる場面でも、
基本的に大丈夫だ、何とかなるって思ってるんですね。
根拠のある自信の限界
そういう人は周りにいません?
例えば季節かもしれないですけど、
例えば夏休みの宿題を全然やってないけど、
何とかなるっしょみたいなのとか、
ちょっと知性過ぎかな。
でも、問題に対して全然解決策が思い浮かばないんだけど、
一人だけ楽観的で何とかなると思ってる奴がいるみたいな、
そういう友達っていたりしません?
ある意味、根拠のない自信が溢れてるっていう人はそういう人だと思うんですけど、
これがありすぎても問題じゃ問題なのかなっていう気もするんですけど、
根拠のない自信だとか、
自己肯定感が高い低いっていう表現は僕はあんまり好きじゃないんですけど、
高いと言われる、自己肯定感がしっかりあるって言われてる人は、
割とそういう人だったりします。
逆にですね、有能感、根拠のある自信が高いっていうのは、
先ほど言ったように学歴だったり、肩書きだったり、実績だったりっていうのを非常に多く持ってる人ですね。
これはやっぱり根拠のある自信が多いっていうことになると思います。
根拠のある自信っていうのは、
不思議なことにですね、
みんなから見るとわかりやすいので、
一見、他の人から見ると羨ましいなとか、
そんだけすごい実績とか肩書きとか持ってるんだったら、
人生なんとでもうまくいくんじゃないかって周りから思われてるような状況でも、
本人は全然そういう実感がないっていうことがあったりします。
根拠のある自信をいくら積み重ねても、
やっぱりなんとなくうまくいきそうにないなとか、
いう気持ちになったりする人がいらっしゃるんですね。
それはまさに根拠のない自信がないからなんですね。
つまり、自己肯定感という根っこも地面にしっかり張れていないし、
地震という木の幹の部分ですね。
外側だけどんどん大きくなるんですけど、
中は空洞で、何か起きたらもしかしたらポキッと折れちゃう、
というような状態になっているんですね。
こういう状況は何が生み出すかっていうと、
割と同感ということが理解してもらうということが、
割とこういうことを引き起こします。
引き起こすって言ったらいいことなんですけど、
理解とか同感というのが、
条件付きの承認だったりするわけですね。
例えば、何かいい大学、学校に入れたからOKを出す、
理解するということだとしたら、
やっぱりそういう状況にならないと怖いので、
そういう状況にならないようにしっかり頑張ると。
そういうのは分かりやすいので、しっかり勉強するとかね。
今まで試験にクリアするとか、
自己肯定感と根拠のない自信
答えがあることであればすごい頑張れるんですけど、
同感というのも結局答えがあるんですよね。
理解してくれる人の中に答えがあって、
その人がいいと思ってもらう方向に頑張ると。
それはある意味、いいことではあるんですけど、
どんどんどんどん目に見える実績だったり、
肩書きというのを重ねていっても、
全然本人は自信を持てる感覚にならないという状態になったりします。
それをもちろん自覚していらっしゃる人もいますし、
自覚されていない方もいらっしゃるんですけど、
でも何か答えの出ない問題にぶつかった時にポキッと折れちゃったりとか、
歪んでしまったりとか、そういうことが起こってきます。
それに対して根拠のない自信というのは、
まさに自己肯定感、機能、未機能、内側の真の部分を伸ばすものになっていくんですけど、
それは理解されることではなくて、共感されることで伸びてきます。
つまり、いい、悪いとか、分かる、分からないとかではなくて、
まさにあるがままを受け入れてもらう、受容してもらうということによって伸びてきます。
それは赤ちゃんであれば、抱っこしてもらって、
スキンシップというか、お母さんとかお父さんの肌の温度を感じて、
しっかり安心するというところから始まって、
だんだんとしっかり存在を認めてもらう、あるがままの存在を認めてもらうということになってきます。
その時に必要なのは、話をしっかり共感して聞いてあげるということですね。
いい、悪いとかそういう判断を挟まずに、ただただその人の話を傍にいて聞いてあげる。
これが自己肯定感という根っこと、自信というですね、根拠のない自信という、
気の幹の芯の部分を伸ばす力になっていきます。
なので、決してね、共感とか理解とか、それが悪いと言っているわけではなくてですね、バランスが大事なんですけど、
どうしてもね、
同感と共感の意義
ここで経済成長と言ったらあれなんですけど、それより前かな、戦後、もっと明治維新後と言ってもいいのかもしれないですけど、
やっぱり目に見える自信というのが、やっぱり日本では大切にされてきて、そっちに偏っているという現状があります。
なので、同感とか理解というのは、皆さんがあまり意識しなくてもできています。
だけど、共感というのは、なかなか自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が、
意識しないと、なかなか伸びない部分だと思うので、それがすごく僕は重要だと思っています。
今回のね、いまここラジオは、共感と同感で伸びるね、
またね、一旦ね、共感と同感については、ポッドキャストでしゃべるのは以上にしようかなと思うんですけど、
これについてちょっとまた話していきたいと思います。
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