この展示の主催である鈴木敏夫の言葉でもあるんですけど、都会で暮らす人がちょっとほっとする場所でもあるというようなことを言っていて、
なんかそれは一理あるなというふうに思いました。
本当に何にもない場所に、いい意味で何にもない場所にあるところで、
どちらかというと車の交通量も少ないし、コンビニとかも周りにないので、
人里離れたところにある温泉地で、車も大通りに停めてから少し歩いて会場まで行くような形になるんですが、
木が薄そうとしていて、ちょうど紅葉が始まった時期なのですごく綺麗です。
雨の日に行ったときは、この紅葉の赤とか黄色が余計濃く見えてものすごく綺麗でした。
今日晴れている中で見るその色もまた別の美しさと、
前回より1時間か2時間時間が遅く行ったので、
太陽の角度が違くて、また全然違う井戸が見えて美しくて、
温泉宿が古いので趣があるというか、建物の一部がかやぶきになっていて、
昔ながらの透明じゃないガラス、もやもやしているガラスって言うんでしょうか、
透明度の低いガラスが使われていて、そこを通して日が差してくる雰囲気がものすごく綺麗で良くて、
その光を見ているだけで意識が持っていかれるくらい綺麗で、何枚もその写真を撮りました。
その透明度の低いガラスの向こうには紅葉がたくさん見えていて、
温泉の湯気が見えていたりして、雰囲気がものすごくいいです。
今度泊まりに行ってみようかなって思います。
給食してから秘境の回、秘境の登録がされている温泉地のスタンプカードみたいなのを手に入れて、
一箇所鶴の湯温泉っていうところは行ったんですけど、
その後なかなか行けずにいたので、また寒くなってきたからどこかしら行きたいなって思っています。
大沢にもしあれば、まずはそこに行きたいです。
なんとなく自分の肌に合う場所なのかなって思っています。
どこもない場所って、そこの場所を感じることしかできなくなるから、それがいいんですよね。
岩手県の芸美渓っていう船下りをできるところがあるんですが、
そこも私大好きで何回も一人で行っているんですけど、
3〜40分くらい船で往復するんですけど、
船に乗った途端、電波が届かなくなるので、
スマホも閉まって、ただ船から景色を見ているしかなくなるんです。
帰り道は船頭さんが船歌を歌ってくれたりして、
その歌を聞きながらチャプチャプ水の音を聞いて、
たまに鳥が低空飛行してくるのをワーッとか言ってみたり、
カモがついてくるのをカワイイって見たりしているだけの時間になるんですけど、
それが自分の中では貴重で、
特に仕事が忙しくなるとそこの川下りに行きたくなってはよく行っていたりしました。
それに近いものをこの大沢温泉にも感じるなって思いました。
子どもの私と大人の私っていう話なんですけども、
先日通っているカウンセリングの先生に、
これに近いことを相談しました。
自分の頭の中ではこうって分かっているのに、
別の部分がそれを納得しないような感じがあって、
いつまでもモヤモヤするっていうようなことを相談しました。
そしたら先生が、そのモヤモヤする自分っていうのは、
何歳ぐらいの自分がイメージできるのかっていうのを聞いてくださって、
ちょうど私その話をしたときに、
なんとなく自分の中で保育園に通っていた時の自分を思い出していたんです。
なので、大体4,5歳ぐらいですって答えました。
その4,5歳ぐらいの時にこういうことがあったとかは話していないんですけれども、
その4,5歳ぐらいの自分に対して、
今のアスさんが何か声をかけるとしたら、
何て言ってあげますかって聞かれました。
それにうまく答えることができなかったんです。
例えば、アスは悪くないよとか、
そういうことを言えればよかったのかなって思うんですけど、
それを口にしようとすると、
でも、アスにもちょっと悪いところあるよねみたいな、
プラスアルファをつけてしまいそうで言い淀んでしまうみたいな感じがあって、
自分でもそれが不思議でした。
いつも先生に質問されるとパッパッと答えていたんだけど、
他その日はそういうふうにできなかったんです。
そしたら先生が、
じゃあ私がと先生がと、
もしその4,5歳ぐらいのアスさんがいらっしゃる場所にいて、
先生がここにいるから大丈夫だよ、もう安心していいよって言ってくれたとしたらどう思いますか?
というようなことを聞いてくれようとしたんですけど、
その先生がもう大丈夫だよとか、何も悪くないよとか、
安心していいよとかっていう言葉を話されているときに、
その言葉をもう聞きたくなくて、わーってなってしまったんです。
私はそれがすごいびっくり、自分ですごくびっくりしたんですけど、
話を聞いている最中に突然呼吸が苦しくなって、
犬みたいな呼吸になりました。
みたいな感じなんですけど、
もうやめてくださいって先生にお願いをしていて、
もうそれ以上言わないでくださいって言って、わーってなって、
それと同時に背中にグーッと力が入っていくのが分かりました。
それが久しぶりの感覚で、
このカウンセリングに通うようになってから、
先生がその力を抜く方法を何度も教えてもらっていて、
だいたい4年ぐらいそれを実践していたので、
久しぶりにその力が入ったことを実感して、
これ久しぶりっていうふうに感じたんだと思うんですけど、
その力の抜き方を知るまでは、
40年ずっと力を入れ続けて生きてきたんだと思います。
それが溶けて数年して、
それで久しぶりにまたグーッと力が入ったような感覚でした。
これ久しぶりと思ってめちゃくちゃ痛いって思ったんですけど、
その背中のグーッていう力は取ることができませんでした。
そうするうちにだんだん手とか足とかにもグーッと力が入っていて、
抜けなくなってしまって震え出してしまって、
どうしようって思う感覚でした。
この状態がたぶん子供の時に戻っている状態なんじゃないかなと思います。
先生がそれだけ怖かったんだよって言っていたんですけど、
自覚がなくて、私は確かに結構辛辣な言葉とか辛辣な態度を母に捉えていたんですけど、
怖いことを言われたとか怖いことをされたというような感覚がないというか、
自覚が、実感がなくいて、
先生にそれを説明されても本当かなみたいな感じでいたんでしたが、
今回のこの状態が実際に自分の体の症状として出て、
本当に怖かったんだってやっと納得したというか、
頭のシステムって不思議って思いました。
たぶん感情的にワーってなったのは、
先生が口にした、もう安心していいよとか、何も悪くないよっていう言葉が信じられなかったからなんです。
それを言われたところで、どうせ家に帰ったらまたお母さんにやられるから、
余計なこと言わないでほしいっていう気持ちがその時頭にありました。
それでやめてくださいって言ったんです。
どうせ外の人が介入しようとしたって、
家に帰ったらお母さんにやられるっていうこの考え方っていうのがとってもびっくりしました。
家に帰ったら何をされるのか、
具体的に何か思い浮かぶわけでもないんですけど、
そういうふうに考えたんです。
そういう気持ちが子どもの時にあったんだっていうことなんですが、
それを自分でも意識の中になくて、
それが今回話しているうちに意識に上がってきたっていうことですよね。
きっとそういうことなんだと思います。
そういう話を教えてもらっている最中に、
パンって意識が切り替わるような感じになりました。
これは子どもの時よくあったことで、
理人っていうことなんだそうなんです。
理人っていうのは子どもの頃からよくなっていたから、
特別なことだっていう意識がなくいたんです。
しかもこの状態になると気分が楽になる、ヘラヘラするんですよ。
楽しくなるというか楽になるので、
自分としては嫌ではなくて、悪いことじゃないと思っていたんです。
それが30歳くらいの時に一度通ったカウンセリングの先生に、
それは理人といって、子どもの頃につらいことがあったりした時に、
意識を分離して現実に起こっていることを感じないようにする、
痛みとか苦しみとかを感じないようにするシステムだっていうのを教わりました。
そんなに気にしないでいればそのうち治るって言われたので、
特に自分としても気にする必要がなかったんで、気にしていなかったら、
だんだん年に数回だったのが年に1回になって、
ここ4,5年は全然それがなくいたんです。
それが久しぶりにパンって切り替わる感覚がカウンセリング中になって、
懐かしいって思いました。
それとともにそっかってしみじみこういうシステムを使うことで、
私は苦しみとかから逃れてたんだっていうことを改めて実感しました。
正直面白いって思ってしまって、
カウンセリング中も面白いですねとか言ってニヤニヤしてしまったんですが、
このリジンに入ると自分の頭の後ろから自分を含めた世界を見ている感覚になります。
だいたい寝ると治るんですけど、
これ仕事中にもなってて、
特に30代前後くらいの一番忙しかったときかな、
すごくハードワーカーで仕事人間だったときはまあまあ良くなっていて、
しかしこれになっても勝手に自分は仕事するんです。
特に商談中とかになることが多くて、
パンって切り替わると勝手にペラペラペラペラ喋るんです。
それでしっかりと制約とかも済ませて、
普通に仕事済ませて帰るから、
すげーって思っていて不思議だなって思っていて、
ただなると言っても多くて年に2,3回とかだったから、
寝ると治ったから特に支障もなく、
ただその時が訪れると自分的にはボーナスタイムというか、
勝手に自分が動くから楽みたいな、
そういう感覚でいたのが最近なかったから、
カウンセリング中に切り替わったときに懐かしいって思いました。
それとともにそうやって自分の心を守っていたんだっていうことを、
そうだったのかっていうふうにやっと納得したというか認めたというか、
こんなに自分のことを明日チャンネルで話したり、
ノートに書き留めたりとかして打ち明けているようでいて、
自分が実際に虐待というような、ネグレクトというようなものの被害を受けていたっていうことを
どこか納得していなかった、実感があまり実はないままに話していたというところがあったと思います。
それで大人の自分としてはこうでしょうっていう理論だった考えがある一方で、
見ようとしていない子どものところの自分が、
そんなわけない、危ない危ないってずっと警鐘を鳴らしているというような状況でずっと過ごしていたのかなって思いました。
それで子どもの頃の自分に近づくような質問をされると、
それまでカウンセリング中にすぐにパッパッと答えていたんです、それっぽいことを。
例えば小さい頃の子どもの頃の自分に声かけるならなんて言うって言われたら、
もう大丈夫だよって言いますみたいな正解だろうと思われる言葉をパッパッと返していたのがその日できなくて、
先生に代わって言われた時にやめてくれっていうふうに言えたことが、
その時に本当の自分がやっと出せたというか、
自分がどんなに怖かったかっていうことをやっと認めて受け入れられたから口に出せたんだっていうことを少し感動しました。
これは仕事で緊張しているとできるだけそういう自分を出さないように気を張っているので、
きっと働いてたら出てこなかったんじゃないかなって思いました。
給食してすぐに後藤列島に旅行に行ったんですが、
その時にもう8歳ぐらいの時の自分の姿がイメージとして出てきたっていうことがあって、
それもその時初めてで、
どんなに子どもの頃の自分をイメージしてくださいって言われても、
それまで一度も自分のイメージなんかわかなくて、
カウンセリングやっても自分のことよくわかんないっていうのがあったんですけど、
給食した途端に一度そういう自分がイメージとして出てきて感動したんですけど、
今回またもっと小さい時の自分のイメージが出てきて、
少しずつ打ち解けていくような感覚があって、
面白いなって思っています。
こんな風に自分がこれだけ時間を割いて考えて発信しているのにも関わらず、
やっと実感できたっていうことに私はとっても衝撃を受けて、
難しいことだなっていうのを改めて思いました。
自分との対峙っていうのが。
最近ずっと本を読んでいるんですけど、
まずゲドセンキ、これは学生の頃から大好きで何回も何回も読んでいるんですけど、
まさにこの自分との対峙の話をずっと書かれていて、
心理学の本なんです。
それから今もうちょっとで読み終わりそうなのが、
中野信子さんという脳科学者さんが書いている脳の闇という本。
それからちょっと前に読んだバカとムチっていう本と、
あと並行して読んでたマインドコントロールとは何かっていう本と、
あともう一冊、何だっけ、
なんかそういう最近脳科学の本とかをすごく読んでいてて、
どれを読んでも脳っていうのは私が思っているよりも確実ではなくて、
結構適当で曖昧で間違ったことを非合理的に理解したりするものであるという風に
どの本にも書いてあって、
そういうもんなんだって思うことが多いです。
ゲド戦記の2巻にあたるのかな、
テナーっていう女の子が出てくるお話があるんですけど、
これもこの女の子は宗教団体の象徴として連れてこられて、
そこでずっとあがめたてまつられているんですけれど、
この宗教団体も崩壊を迎えそうな時期にその子は連れてこられていて、
その子ももうこの宗教はおしまいだ、神様なんていないんだっていうことを理解しつつあるのに、
生まれた時からその場にいさせられているものだから、
その信仰も捨てきれずにいるところにゲドがやってきて、
手助けをして普通の女の子に戻ることを一緒に成し遂げるっていうような一冊なんですけれども、
冷静に考えたらもう終わっていることを脳の勘違いで夢を見続けたいと思ってしまうようなところがあるんだなっていうふうに、
いろんな本を見て、そこを通して自分の行動も重ねて考えるようになりました。
それで今までのカウンセリングと違う内容になったのかなって思うんですが、
自分はたぶんちゃんと現実を見る力があるのに、
それと同じくらいの強さで怖い思いをした自分が、
ずっと私を守り続けていて、世界を歪めて見せているところがあるのかなっていうことです。
それが難しいっていうのは、それを自覚することが難しいっていう。
だけど私の場合は、自分を守る子供の頃の私のこの葛藤があったからこそ、
今まで仕事で成果を出せてきたっていうのがあると思うんです。
だから悪い面だけじゃなかったんじゃないかなというふうにも思っています。
けど気がついてしまったから、今となってはもっとより良い自分の状態になれるなっていう風景も見えかけていて、
どうせ気づけたんだったらそっちに行きたいなって今は思っています。
抽象的な表現ばっかりでわかりづらかったかもしれませんけれども、そんなようなことがありました。
最後まで聞いてくださってありがとうございます。
今日はこんなところで、ではでは。