ご出演なんですけれども、このアスチャンネルを始めることになったきっかけのエッセンシャルラジオというポッドキャスト番組に、10月の1週目、2週目、3週目、3回連続で出演させていただいています。
1週目の内容はかなり真面目で、オフトークをそのまま出してもらっているので、本音というか本当の話をしているのですが、給食することになった理由とか現状とかを素直に話すことができたので、もしよかったらぜひ聞
いてみてください。
2週目と3週目はだいぶふざけた内容になっていて、このアスチャンネルでは出さない私が見られます。
私は子供の頃から猫が好きで、猫はふわふわで柔らかくて、抱っこするとクニャクニャって丸くなるからかわいいなって思ったんですけど、犬って硬いじゃないですか。なんか抱っこしてもピンってなってて、全然丸く
ならないっていうか、背筋丸まらないっていうか、なんて言うでしょう。硬いじゃないですか。触り心地が。
子供の頃にシェパード犬を放し飼いしている人がいて、近所の公園に行くと犬を散歩している人がリードを放すんです。
私はシェパード犬に囲まれたことがあって、めっちゃくちゃ怖くて、それ以来犬が苦手になりました。
自分が子供の頃って犬がいっぱいいて、そのシェパードは飼われている犬なんですけど、飼われてない犬とか、脱走してきた犬とかなのかな。
よく犬がそこら中を走ってて、めっちゃくちゃ怖かったんですよ。狂犬病とかもあったし。
遠くに犬見たら家にすぐ帰るみたいなことをよくしていたくらい犬苦手でした。
そんな私なんですけど、このエッセンシャルラジオで犬を迎えることになりそうな展開になっているので、ぜひ聴いてみてください。
あと私はお化粧に全く興味がなくて、就職するまでお化粧してなかったんですよ。22、23歳とかですかね。
その頃に一応就職マナー講座みたいなやつで、就職するときは化粧するのがマナーですみたいなのを学んで、今もあるのかな。
それでなんでって思いながら納得がいかない気持ちながら渋々するようになったんですけど。
そんな私なんですけれども、どんなメイク使ってるのっていう話をこのエッセンシャルラジオでお話ししています。
メイク道具がわからない私なので、ちったかぶりで参加している感がかなりありましたが、うまくお話しできたんじゃないかなって思っています。
ぜひ聴いてみてください。
岩手県から帰っている途中です。
行ってきた場所が大沢温泉という岩手にある温泉街なんですけど、
ジブリとケンジとカンヤダとだったかな。
単語が全部あやふやな話し続けますので、聞き苦しいところがあるかと思うんですが、
概要欄のところに正式名称は載せておくようにするので、曖昧が気になる人はそちらを確認してください。
それが大沢温泉のとある旅館を貸し切って展示されていて、それを見に行ってきました。
ジブリとっていうタイトルがついてるんですけど、厳密には鈴木敏夫がみたいなところがあって、
ジブリはそこに無理やりくっつけた感がある内容です。
この展示会はフォロワーさんが教えてくれて面白いなって思ったから見に行ってきました。
私はとってもジブリが好きなんですけど、
ジブリがというか宮崎駿と高畑勲が好きなんですけど、
鈴木敏夫は勝手なイメージ、私の勝手なイメージでは金の亡者的な、
ジブリが儲かるためならどんな策でも使うみたいなイメージがありまして、
あんまり好きではないながらも、鈴木敏夫プロデュースあってのジブリっていうところもあるので、
またこういう策略で売り出してるんだなぁみたいな、やってんな鈴木敏夫みたいな見方をしていた人物だったんですけれども、
そんな鈴木敏夫さんが、神矢田さんという若い女性を気に入って、
その神矢田さんが撮った写真を展示するっていう展示会だったと思います。
私の目ではそういうふうに見えました。
若干茶化しに行ったようなところがあって、
というのもそこに無理やり宮沢賢治もくっつけた感があるように見えたんです。
ホームページを見た。
どういうふうにくっつけるんだろうっていう興味もあったので、
見に行ってきました。
そうしたら、雰囲気がものすごく良くて、思いのほか集中して展示を見てしまい、
挙句の果てには神矢田さんの写真集も買うという、自分でもびっくりした行動に出てしまいました。
本船っていう土地自体、私初めて行ったんですが、
とても雰囲気が良くて、時期的に紅葉が始まっていたのでなおさらでした。
駐車場からゆっくり歩いて10分くらいのところにある温泉地だったんですけれども、
大きな橋を歩いて渡るところがとても美しくて、たくさん写真を撮りました。
はと気づいたら煙のようなものが上がっていて、雨が降っていたのでその靄なのかなと思ったら、
その場所が温泉になっていて露天だったんですよ。
よく確認したら普通に男湯が丸見えだったので、びっくりしてそれは全部消しました。
この建物の入り口にジブリ展っていう展示の看板と、
あとそこに鈴木敏夫のサインと神谷田のサインなんかもあったんですけれど、
そこに大きな赤い傘が広げておいてありました。
今日はすごい雨が降っていたので、傘を干すっていうのもおかしい状況だったんですけど、
遠くから写真を撮ったときにその赤い傘がものすごく生えていいなと思ったんです。
入り口の入る横のところのお庭みたいなところにも小さなトトロの置物が隠してあったりして、
それを見るだけでもちょっとワクワクしました。
チケットを買って入ると、下駄箱の上の隅の方とか、天井の隅の方とかに、
真っ黒クロスケとかトトロのぬいぐるみとかがちょこちょこ置いてあって、
屋根の地部がかやぶきのまま見上げると、
梁がむき出しの状態の建物を活かしている展示だったんです。
その展示の中に、上手に光を使って写真パネルを展示していました。
前半が地ぶり関連なんですけど、奥に進めば進むほど、
半分ぐらいがカイヤダの写真になっています。
カイヤダという女性の方はタイの出身なんだそうです。
タイの街並みというか、ふとした日常の景色とか、田んぼとか川とか、
そこに住む子どもたちとか、バイクに乗った大人の姿とか、
どちらかというと田舎景色みたいなのの、
一瞬がパチッと切り取られた写真がたくさん展示してありました。
そして、そこの写真に一枚一枚文章が書かれているんですけど、
その文章が私にすごく刺さったんです。
多分、今の私に刺さったということなんだと思います。
BGMがものすごくヒーリング的な、
女性の歌声が延々とハミングで続く音楽がかかっていて、
ちょっと瞑想に近いような雰囲気に入り込めたんです。
間接照明が上手に使われていて薄暗いし、
そこに田舎のきれいな風景がポンポンポンってたくさん飾ってあって、
そこに短い文章がポンポンって置いてあるんですけど、
そこを一枚一枚見ていたら、どんどん気分が落ち着いていって、
その言葉がすっと胸に入ってくるような感覚がありました。
窓の外はきれいな紅葉で川が流れていて、
温泉の煙が昇っていて、すごく静かだったので、
わあ、いいなあと思って、
一枚一枚写真を見ると何でもない風景ばかりだったんですけど、
すごく感動してしまいました。
若干茶化しに行ったって最初に言った通り、
大したことないんだろうみたいな目で見に行ったので、
この神谷田さんという方のことを、
いいパトロン見つけたなあくらいに思っていたんですけど、
帰る頃にはすっかり、
パトロンを見つけるにも実力がいるような、みたいな気持ちになっていました。
熱風っていうジブリが出している雑誌があるんですけど、
その中で連載もしていたので、この展示が今回できたそうで、
その熱風の展示もありました。
何十冊も展示してあったんですが、
私はそれは読んでいなかったので、
そういう活動もしてたんだって思いました。
それからあとちょっとだけインターネットをサッと検索したら、
この鈴木敏夫と神谷田の出会いはマンションのエレベーターだったみたいな一文を見ました。
その後は詳しくは読んでないんですけど、
本当に些細な出会いから熱風の連載をして、
こんな大きな展示会を全国で、これ多分全国で巡回しているんだと思うんですけど、
するようになるっていうのはすごいことだよなって思って、
そこまでチャンスを掴む人がこんな素朴な写真を撮るんだみたいな感覚も
どこかあったのも事実です。
それから帰りに美術館に降りました。
ちょっと美術館の正式名称をすっかり忘れてしまったんですが、なんとかかんとか美術館っていうところなんですけど。
なんで行ったかっていうと、これまた賢治にまつわる展示をやっていたからです。
生誕130年記念宮沢賢治展っていうのをやっていました。
なんちゃらかんちゃら美術館には人の名前が入るんですが、この方が宮沢賢治と同年代かな、10歳ぐらい早く生まれてる年代に生きた人なようです。
その人物と宮沢賢治がどう関係するかっていうことをうまく絡めた展示でした。
時間が、意外とかんやだてんの方に時間を思いのほか割いてしまったために、この美術館には1時間ほどしかいられなかったのですが、内容が濃くて、もう1回見直しに行きたいなってぐらいよかったです。
私は宮沢賢治記念館が大好きで、展示が年に4回変わるんですけど、それをすべて行くようにしていて、行くと展示の冊子がもらえるんですが、その冊子が欲しくて全部コンプリートしようとして通い詰めています。
それぐらい好きなんですが、今まで知ることのできなかった情報がそこの展示にあって、それが行ってよかったなって思う理由です。
美術館なので、宮沢賢治が描いた絵っていうのを説明がされていました。
宮沢賢治って絵を描いているんですけど、近代的な絵を描かれているんです。
それが何からの影響だったのかっていうのを詳しく考察していて、面白いなと思いました。
そもそも岩手県っていうのは、全国的にも有名な画家がたくさん生まれている県なんだそうです。
1900年前後ぐらいには、岩手県を出身とする画家が集まる七つの光の会って書いたかな。
七皇会って読むのかな。
そんなような名前の会を作って、そのメンバーが助け合いながら励まし合いながら絵を描いていたっていうことで、その人たちの写真がたくさん掲載されていたんですけれども、
その中に宮沢賢治が出版した本の冊子絵とか表紙を手がけた人がいたっていうことだったんです。
宮沢賢治が生前に出版できた本体二冊です。
一つは春と修羅、もう一つは注文の多い料理店なんですけれども、この二冊とも七皇会の中のメンバーだったんですって。
まあびっくり。
そのうちの一人の菊池武雄さんっていったかな、注文の多い料理店の表紙と冊子絵を手がけた方なんですけど、
この方はもともと岩手県で図画の先生をされてた方で、冊子絵を手がけた頃は岩手県にいたんですけど、
その後東京の方に移って東京で教師をやりながら画家を目指していたそうです。
その身を寄せる場所がなかったので、東京に行って出会った深沢さんっていったかな、
深沢さんっていう画家の方のところに身を寄せていたんだそうなんですけど、
宮沢賢治が亡くなる直前にこの菊池さんのお家に遊びに行ったことがあったそうなんですけれど、
その時たまたま菊池さんが不在だったので隣のお家、隣に家を建てたんだそうなんですけど、
隣に住んでた深沢さんのお宅に荷物を預けて帰っていったっていうことが書いてありました。
ちなみにその荷物の内容は、確か米東弁のレコード数枚と浮世絵だったって書いてあったように記憶します。
この方が宮沢賢治の死後、宮沢賢治の出した童話に写真を描いたりしていたそうで、
それの原画が展示されていました。
夫婦で画家の方なんだそうで、その夫婦両名の原画が並んでいて、
時間がなくてじっくり見れなかったんですけど、ものすごく綺麗な絵でした。
それから宮沢賢治が石災工場に勤めて晩年働いていたのはご存知でしょうか。
石灰を加工して販売する工場の営業マンとして働いていたんですが、
賢治の父親は病気なんだから家の中で働けと言って、今でいうリモートワークみたいなことをするように進めたそうだったんですけど、
賢治の性格なのでそれを良しとしなくて、石灰で作ったタイルのようなもの、石材ですね。
重たいものをトランクたくさんに詰めて東京に売りに行ったということが有名でして、
そうしたために病気が悪化して東京で発熱して倒れる、その後亡くなるということが言われているんですけど、
この発熱した時に助けに来てくれたのもまたこの画家の木口さんだったということが展示に書いてあって、
それは初耳だったのでびっくりしました。
いろいろな賢治と名前がつくものはできるだけ読んだり見たり見に行ったりするようにしているんですけど、
8割方知っていることだったりするんですが、その中の1割か2割ぐらい新しい情報とか、
そこの展示を作った人の見解とか研究とかだったりするのが面白くて、
まだまだ知れることがあるなって思ってワクワクします。
この美術館のタイトルになっている人物なんですけれども、
さっきほどお伝えした七光会の東京バージョン、中央部みたいなやつのメンバーだった人のようです。
そのタイトルはすっかり忘れてしまいました。
これは3文字なんとか会みたいなやつで、
これはもう東京でやっているぐらいだから、
全国から七たる画家が集まった当時の会なんだと思うんですけど、
宮沢賢治が17歳ぐらいの時っていうのは、
毎週どこかしらでこの人物の展示会が行われていたそうなんです。
岩手でそっちこっちで名前が見られた人だったそうなんです。
なので、この宮沢賢治がこの人の影響を受けなかったはずがないというような見解が書かれていました。
宮沢賢治浮世絵を集めたりしていたので、絵にはとても関心があったはずです。
それから宮沢賢治記念館に行くと、
教師時代に描いた絵っていうのもたくさん展示されているんです。
教師時代に描いた絵っていうのは、地質学を教えていたので、
土の断面図とか、植物の詳細図とかなんですけども、
すごく細かく綺麗に描かれていて、絵の才能も絶対あったんだろうなって思います。
セロを弾きのゴージュっていう物語を書いていますが、
宮沢賢治自身もチェロを弾いていて、音楽も大好きだったから作曲もしていましたし、
ベートーベンのレコードを菊池さんに持って行ったっていう話もさっき触れたんですけど、
レコードの収集家としても有名だったそうで、
レコード屋さんからお礼の表彰をされたりするぐらいレコードコレクターだったっていうことです。
なので、文章だけじゃなくて、芸術全般に才能のある人だったんじゃないか、
っていうようなことをこの展示でもまとめて書いてありました。
宮沢賢治が描いている絵っていうのが、有名なのはフクロウの絵じゃないかなって思うんですけど、
その絵以外に月夜の伝心柱っていう物語の挿絵になっている、
伝心柱が男の人になったみたいなデザインの絵とか、
それから時空の割れ目から人の顔が覗いている不思議な絵とか、
あと赤い丸が3つぐらい並んでて、そこに黒いジグザグの線が放射状に伸びている絵とか、
意外と不思議な絵が多いんです。
何だろうっていう感じの近代的なデザインの絵が多いなって思うんですけど、
これがちょっと名前をまたこれうろ覚えなんですけど、
小木原さんっていう人だったかな、萩原さんなのかな、
という方の刺繍に挿絵となっていた絵が、
インスピレーションを与えたんじゃないかっていう見解の展示があって、
そこがまた興味深かったです。
今までどこの展示を見ても、こういう見解の展示ってなかったので面白いと思いました。
この刺繍の中にあった挿絵が展示されていて、
その上にケンジが描いたイラストが展示されていたんですけども、
明らかにインスピレーションを受けているなっていうのが、
全くその通り、私も同感でした。
宮沢賢治はこの刺繍のイラストを描いた人に影響を受けて、
宮崎駿も高畑勲も宮沢賢治にインスピレーションを受けて作品を作り、
みんな何かの元あった何かを影響を受けて作品を作っていくっていうこと。
全てのことは何かの影響を受けているっていうような言葉が書いてあって、
本当にそうだよなって思いました。
私は素敵だなって思う人が何を見てそういう作品を作れるのかとか、
すごく興味があって調べるんです。
なので、宮沢賢治がもしかしたらこの刺繍の挿絵に影響を受けたんだっていうふうに考えると、
とてもワクワクします。
それからこの美術館の展示では、原稿の副写もたくさん展示してありましたが、
その中に2つ印象深い言葉がありました。
1つは銀河鉄道の夜はアインシュタインから影響を受けて書いているっていう意見です。
確かにアインシュタインが来日した後に書かれているはずなので、間違いないなと思います。
3次元とか4次元とかっていう言葉が銀河鉄道の夜の中に出てきて書かれているので、
きっとそうなんだろうなって私も思います。
もう1つは注文の多い料理店っていう本を出した直後に、
ちょっとこれは名前を全く忘れてしまったんですが、
とある詩を書いている方から一緒に刺繍を出さないかっていう誘いを受けてたようなんです。
その雑誌に実際寄稿しているようで、10回くらいその作品一緒に手がけているようでして、
その本も展示されていたんですが、この依頼を受けるときに、
私は詩を書く人ではないけれど、科学者ではあるっていうことを展示していたと書かれていました。
これは何かで耳にしたような記憶もあるんですけど、
実際、春人修羅という作品を詩集というふうには本人は考えていなくて、
あくまで心象スケッチだというふうに表現していたことも有名だと思います。
心に思い浮かんできたことを絵のスケッチのように文章にしたためた、書きつけたということだと思うんですが、
宮沢賢治が教員時代の生徒さんたちから見た宮沢賢治像というのをまとめた本を読んだことがあるんですけど、
そこに書いてあったことには、宮沢賢治はいつも手帳を胸に入れていて、
胸ポケットからその手帳とペンを取り出しては唐突に何かを書きつける癖があったと。
本当に心に浮かんだことを文章に書き留めているだけで、詩を作っているという感覚ではなかったんだろうなと思います。
それから金槌を持っては山に入っていくということを小学生、中学生の頃すごくしていたそうで、
何をしていたかというと、岩や石を砕いてその石の性質を調べていたので、石っ子研さんという風なあだ名もついていたということなんですけれど、
宮沢賢治はちっちゃい時から石に興味を持って、それが地球の欠片だということを調べていたはずなんです。
地球の成り立ちとか地層の出来方とか、子供の頃からそういったことを研究していたので、地質学の教員になり、
それから教員を辞めた後も農作物がどういう風にしたら育ちやすくなるかということを研究して、
だから石灰を使う業者から声がかかって、晩年はそこで仕事をしていた。
宮沢賢治は童話作家として有名なんだけれども、本人はあくまで科学者として人の役に立とうとしていたんだろうなということがしみじみ思いました。
本の上料理店という本を出した時にチラシを作っていて、どんぐりとヤマネコの説明書きが2、3行あったんですが、
そこに競争することでしか才能を認められない現代の子供たちに向けて書いた童話というようなことが書いてありまして、
宮沢賢治の時代ですでにそういう風潮があって、それを宮沢賢治は教師として子供たちを気の毒に思っていたのかなというふうに考えたりしました。
どこまでも子供を救いたい、それから貧困にあえぐ農民たちを救いたいという気持ちがあったんだろうなって感じます。
同じ時代に生きた岩手県に住む男性というのを、画家たちが集まった写真がたくさん並んでいたんですけど、
いずれも宮沢賢治が生きた時代の同じ時代の写真なわけなんですが、
絵を描く人ってお金持ちなのかな、どの写真もものすごいお金持ちそうなお屋敷で撮られていて、みんなきちっとしたみなりをしていました。
おでこを出して、眉毛はきりっと整えられていて、それぞれが背広かもしくは着物を着ていて、
当時の撮り方だったのかわかりませんか、目線をちょっと下にしたり、それから腕を前に組んだり、あるいは後ろに組んで腕を見せないようなスタイルで撮っている人が多かったです。
同じ展示室に宮沢賢治の写真も何枚か載っていましたが、
それと比較するとやっぱり宮沢賢治って病気をしていたためもあるからか、どちらかというと小柄で痩せているような印象を初めて受けました。
そしてどの写真もすごく優しそうで素朴なイメージの顔で写っていて、
一方その画家たちの集まりの写真というのは、どの人たちも自信に満ち溢れているという感じなんでしょうか。
インテリという感じのイメージが私はすごく強く印象があって、
この人たちと宮沢賢治が同じ時代に岩手県にいたというのはどうも結びつかないというような感覚があり、不思議な気持ちになりました。
一方の側からの意見だけ聞いていると、一面しか見れないんだけど、
いろんな方向からいろんな切り口から見ていくと、語って無数にあるから正解なんかなくて、面白いですよね。
私は宮沢賢治が好きなので、あきもせずいろんな方向から見続けているんですけど、
今回もまた新しい見方の宮沢賢治が見えてきて、すごく面白かったです。
今日は思いがけなくファンや座の写真集を買ってしまったので、予算オーバーということで、帰りは高速を使わずに下道で帰っています。
好き並みな言葉とか昔から言われている言葉って、自分が必要な時にならないと全然染みてこないですよね。
今日見た神谷座展の写真の言葉も、よく言われている言葉ばかりだと思うんですけど、
上手な照明と、古い温泉旅館っていうシチュエーションと、かかってた音楽ですね。
こういうのの融合で、自分の心に素直に染み渡ったんだと思います。
だけど、それを作り出すっていう工作力みたいなものが素直にすごいなと思って、この展示ももう一回見に行きたいなって思います。
そうだと、雨にも負けず風にも負けずっていう有名な詩が載っている手帳があるじゃないですか。
あれの原本を初めて見ました。
どこに行っても複製の手帳はよく展示されてるんですけど、今回の展示で初めてそのものが展示されてて、わーって思いました。声出そうになりました。
こういう自分の好きなものをすごく面白かったなって思って、
それを子供のときの作文みたいに先生あのねっていうタイトルで書かされたのを覚えてるんですけど、聞かせるようにこうやって話せるっていうのは私はとても幸せです。
そういう感覚が関谷座展の写真見てるときに感じたので、なんか不思議な写真展だったなっていうふうに思います。
いいタイミングで見に行ったなっていうふうに思っています。
今日も長々と聞いてくださってありがとうございました。ではまた!