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アセスメントと東洋哲学、西洋哲学ということで、前にですね、アセスメントと哲学みたいな話を少しさせてもらいました。
アセスメントっていうものがね、今、目に見えてないものとか、言語化されてなかったりとか、数値化されてないもの、基準がないもの、
こういったものに見えないものを見るようにしたりとか、言語化したりとか、数値化したりとか、基準を設けたりとか、そういったことがアセスメントだとしたときに、
その見えないものを見えるようにしていくことっていうのは、ものの見方であり、それって一つは哲学っていうところの中に凝縮されてるというふうに捉えてます。
なので、哲学を学ぶことでアセスメント、より良いアセスメントを考えていくことっていうのができるんじゃないかなって思ってるんですけど、
哲学をものの見方としたときに、大きく東洋の哲学と西洋の哲学っていうのがありますと。
哲学っていうと、普段あんまり哲学のことを考えたりとか、なじみがなかったりすると思うんで、東洋のものの見方と西洋のものの見方があるというふうに捉えていきたいと思ってるんですけど、
アセスメントっていうものも、皆さん普段そんなに使わないと思うので、すごく身近に捉えていくと、二者卓一で捉えていくっていうのがわかりやすいアセスメントだと思ってるんですよ。
自分にとって良いものなのか、良くないものなのか、そういうような極めてシンプルな二者卓一、やるのかやらないのかとか、そういう二者卓一にしていけると、アセスメントってもっと実用的でわかりやすいものになるんじゃないかなというふうに思っています。
なんで東洋の考え方とか、西洋のものの見方の話をしたかということなんですけど、
例えば西洋的なものの見方だと、ポジティブかネガティブかっていう二者卓一がありますよね。
ポジティブなものはプラスで、ネガティブなものはマイナスというのが、我々が普段認識しているものだと思います。
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これに対して、東洋の同じようなものの見方でいくと、因か要かっていうものの見方があります。
因要なんていうふうに言ったりするんですけど、
この因と要というのは、ポジティブかネガティブかと比較すると、わかりにくいものの見方なので、
ポジティブが要で、ネガティブが因というふうに捉えられているところがあるんですけど、
実はこの東洋のものの見方って、因とか悪いとかっていうことではないんですね、その因と要というのは。
因も要もどっちも必要なもの。
この因と要で世の中ができているっていう考え方なんですよ。
例えば、世の中のものをいろいろ因と要に分けていったときに、要というのは表面、因というのは本質。
例えばこんなふうに区分けしたりするんですね。
西洋的なポジティブかネガティブだというのは、ポジティブが良くてネガティブが悪いというのが、
割とはっきりした考え方だと思うんですけど、
例えば表面と本質って言ったらどっちがいいのって、なかなか難しいですよね。
表面の要が良くて本質の因が悪いっていうふうにはならないし、
逆に本質が良いとした時に、じゃあ要の表面は良くないの?って言ったらそんなことはないということなんで。
一つの二者択一というか、二つのポジティブネガティブで考えるとか、
因と要で考えるっていうものを二つに分けて考えるっていうものの見方一個といっても、
西洋的なアプローチと東洋的なアプローチっていうのは違います。
そうは言っても、我々日本人で東洋にいますけど、
ポジティブとネガティブの方が馴染みがあって、因と要っていう考え方の方がいまいち掴み切れてないなっていう方が多いんじゃないかなというふうに思うんですけど、
それっていうのは私たちが資本主義の中で生活するにあたって、
西洋的なものの見方がだいぶ浸透して身に染み付いてしまっているということでもあるんじゃないかなと思っています。
そこでポジティブが良くてネガティブが悪いっていう西洋のものの見方から脱却して、
因と要っていうどっちも大事っていう東洋のものの見方に切り替えていって、
アセスメントってもう一回向き合っていくとまた新しい発見があるんじゃないかなっていうことを思っています。
このアセスメントを考える上で、因と要の考え方っていうのはものすごく大事だと思いますし、
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伝えたい領域なので、今回に限らず継続的に因要論っていう話をアセスメントで見ていったらどんな話になるのかっていうことを発信したいなというふうには思っています。
ぜひ自分のものの見方、価値観っていうのが西洋的なポジティブ、ネガティブのものの見方になっているのか、
東洋的などっちも大事っていう因と要のものの見方になっているのかっていうことをぜひ自分自身でセルフアセスメントをしてみていただけるといいなと思っています。