哲学の道の魅力
おはようございます。 10月4日金曜日の朝です。
昨日ね、だいぶ雨が降ってたんで 地面が濡れてますけど
今日の朝は 止んでまして
ちょっとね、濡れた 哲学の道に来て
散歩ができています。 またでもちょっと
電気悪くなるんですかね。 昨日はよく降りましたね。
まあなんか涼しいのはね いいんですけど
寒暖の差があってね、なんか暑い日は結局 30度以上に戻るみたいな感じで、戻ると
またちょっとしんどくなるみたいな感じだったんで あのなかなかこう
もう大丈夫みたいな感じにならないなと思って 思ってたら、なんかニュースで言ってたのは
暑く、暑さに慣れる 暑いと暑さに慣れる、体がちょっと慣れるんですけど
その暑さへの慣れっていうのがすぐにリセットされるらしくて 数日涼しい日があると暑さへの慣れがリセットされて
で急にまた暑くなるとしんどくなるみたいなことがあるらしくて
まあそれでちょっとね30度超える日とかが戻ってくると またしんどくなったり
しているのかなーって思いますけど まあこんなにね暑さのことを意識した年も今までなかったですけど
なんかもう本当にあれはあれはやばいみたいな感じですごい警戒している 自分がいまして
なんとかあんまりね 元気がなくなって
動けなくなったりしないように すごい警戒しながら
生きているっていう感じで もう大丈夫って一回安心したいんですけどもうちょっとですかね
暑い日が なくなるのも
そんな 朝です
舗装に関する議論
おはようございまーす
哲学の道をね歩いていると こうやって今ちょっとザクザクって
足音が聞こえているかと思いますけど 実はちょっと最近ね
この哲学の道に張り紙が してありまして
まあそれで知ったんですけど この哲学の道の
この未舗装の道 なんですね哲学の道って
土の上に砂利とかが 乗っかっていて
舗装されていないんで こうやって歩くと
ザクザクっていうような音がするような そんな道なんですけど
この道を ちょっと舗装するかもみたいな
話が 出ているらしくて
京都市が見直しをしようとしているのかな
でその哲学の道保障会っていうなんか その哲学の道を
守っている会 地元のなんか
あの組織というか あの
活動があるみたいでして まあその方々が
まあなんか提言というかね その京都市の会議にも出て提言をしようとしてるみたいで
なんか皆さんのご意見もお寄せください みたいな感じで張り紙が貼ってあって
そんな議論が出ているのかということをね 知ったんですけど
まああの現状のその 砂利道というか土と砂利の道の
風情はねあるんですけど課題があると でそこに書かれていた課題っていうのは
まあ雨の日の後に 水たまりができて
できてしまうとか あとはなんか輪立ちがね
残りやすくて なんか
あの そうですね
タイヤの輪立ちとかがぐりっとえぐられてしまったりとかするとか あと何が書いてあったかなぁ
まあ小石が飛散する
砂利が 巻いてあるんですけどそれが飛び散ったりとか
あとはあそっか車椅子 車椅子が
歩きにくい そうですねまあバリアフリーじゃないというか車椅子の人がちょっと
行きにくいみたいな ことが書いてあって
まあ確かになっていう 気がしますね
今日は雨上がりなのでちょうどその 水たまりがねありまして
ちょうど今目の前にあるので写真撮ってあげようかな まあこんな感じであの水たまりが残ってたりするんで
まあ確かに雨上がりの日はちょっと跨いで歩かなきゃいけないみたいな 感じなんで
まあ課題といえば課題なのかもしれないですけど ただねなんかその舗装炉っていうのもあまりにも
風情がないっていうことでその保証会の方もそれは思ってるらしくて でまあ舗装するにしてもね
京都市内だと風情のある舗装みたいな感じで 例えば祇園の方だと
石畳のね 道路になっていたりとかまぁそういうこう
ちょっと景観に配慮したというか風情のある舗装みたいなものが エリアによって行われていたりして
まあそういうのも 検討されたというかそういうのもありかと思ったみたいですけど保証会の方は
ただその実際祇園の その石畳のやつとかもなんか
ガスの工事とかね水道の工事とかがあるとその一部の石畳が剥がされて その後コンクリートというかアスファルトで埋めるみたいな工事をしちゃうんで
だんだんこうパッチワークみたいになっていって なんか継ぎ接ぎのなんか汚い感じになっていくので
まあそれも違うと思いましたみたいな ことが書かれていて
でまぁ 哲学の道保証会の方の提案としては
京都市内の 仲良木の道という
植物園の隣にある鴨川沿いのね 道があるんですけどそこは土なんですけど
なぜか何年なのかあの水溜りとかができなくなっていて こんな感じでどうでしょうかみたいな提案を
京都市に対して行おうとしていますが 皆さんはどう思いますかと
そういうね 張り紙が今哲学の道に貼ってあって
不便さと風情の共存
ちょっと調べたら その哲学の道保証会のホームページにも同じ張り紙が
紹介されていて意見を 求められていました
でねその意見を聞かせてくださいの 聞かせ先があの電話番号が書いてあって
電話をかけるみたいな感じなんで めっちゃ
敷居高いなと思って なんかちょっと当初というか
あの書いてもいいかなって一瞬思ったんですけど 電話かーみたいなね
そのなんか見ず知らずの人にいきなり電話するの 結構敷居高いなって思いながら
見ていたんですけど まあちょっとそれを送るかどうかは置いておいても
こうやってね なんか毎日のように
僕も哲学の道を歩いていて 散歩しててしかもこういうふうに
その散歩の様子を 録音したりしているもんで
まあ それなりに関係のあることというか
なんならですね この
歩いている時のこのザクザクっていう この音がいいって言ってくださった方とかも
今までいて でなんならねあの
京都に行ったら このザクザク音を響かせながら
散歩の音を録ってみたいっていうふうに 今まで言ってくださった方
確かマーチンさんだったかな マーチンさんとか まあでもあの
おだじんさんとかもね 一緒に歩いて録りましたけど
実際 ああこれがあのとかみたいな感じで 言ってくださったりとか
結構今までその公園日記を聞いてくれた方が
多分この足跡とか周りの環境音を聞きながら 聞いてくださっていて
このねやっぱり地面が 土や砂利でできているっていうことで
まあそこの 散歩道の様子っていうのを想像してもらって
でそれがまあなんかこの公園日記のね その環境音として定着しているというか
みたいなところもあると思うんで まああの結構ねちょっとは関係あるどころか
この朝の散歩というこの ポッドキャストにおいても非常に重大事項っていうかね
地面のサーフェスが表面が 特に細ろいでもなってしまった日には
何のね特徴もなくなるというか まあ多分音はなくなって普通の
街の中道路を歩いているのと 全く同じになるんで
まあ少なくともそのザクザクっていうような 音の個性っていうのは全くなくなってしまうと思うし
いやーなかなか重大事項だなと思って 思っておりました
でまあどうしたらいいと思いますかっていう ご意見募集されてたんで
ちょっと自分も考えてみたんですけど いやどうしたらいいかってねどうしたらいいでしょうね
あの
まあ ちょっと僕は
考えたんですけど 結論は
そのままじゃダメですかっていう 結論でしたね
なんかちょっと保守的なのかもしれないですけど
まあ不便なことはあるかもしれないです 確かに今日の朝この水たまりができていて
またがばんたかなきゃいけない大股でまたいだり 飛び越えたりしなきゃいけないっていうのは
不便と言われたら不便なんですけど まあそれでもう良くないですかっていう
雨が降ったんで水たまりができました 雨が降ったんでまたがなきゃいけませんっていうぐらいは
楽しみとしてね捉えて それは雨の日もありますよっていうね
水たまりができることだってありますよって言うじゃダメかなぁっていう のがまあ僕の感想ですね
まああの山とかねよく歩いたり走ったりするんで そもそも雨が降ったらもうドロドロになって歩けなくなるような道があったりとか
まあそういうねもう山だったらもっともっと ひどいひどいというかあの天候によってはねずるずるになって
泥まみれになって帰ってくることとかあったりもするんで まあ山道に比べたら全然
歩きやすい たとえ水たまりができていいようが
別にねちょっと良ければ歩けるし まあ平坦な
それなりにちゃんと整備されている道なんで なんかその雨で崩れてずるずるで歩けなくなるとか
本当に川のようになっていて 足の踏み間がどこにもないみたいなこともないし
まあどこかしら工夫すれば歩くことができますし
どうなんでしょうその車椅子乗って言われると 乗ったことがないんでわからないんですけど
まあ平らなんでね別に そっちの上でも車椅子も
進めるんじゃないかなと思うし この砂利の音とかもそれはそれで
風情があるんじゃないかななんて思うんですけど
そこはまあちょっと自分でねどれぐらい車椅子だと不便かって試してないんで
あまり勝手なこと言えないですけど それもその
進めなくはないんじゃないかなっていうのはちょっとまあ 思うところですし
まあとにかくその 不便なものを全部消せばそれでいいかって言われると
いやあの ザクザクがいいんですみたいなことはさ
なかなかねあの証明しにくいですよね でも不便なものは不便って証明しやすいんで
水溜りは不便ですって言われたらそりゃそうですよねってなるかもしれないです けど
このザクザク音がいいんですっていうのは 何なんですかそれはって言われると
いやいいとしか言いようがないみたいな感じで
いやー それがいいんだけどなぁみたいなのを
なかなかね じゃあ残すべきだっていうぐらい説得
説得力のある説明が難しいですけど
うーんそんなちょっとした不便 ちょっとしたでもないかもしれんけど不便を全部消すために
うん まあこれを失うっていうのはちょっとあまりにももったいないかなっていう気がして
ます 特にねもう今時こんな3キロぐらいに渡って
あの見穂走路がずっと続いているっていう場所って なかなか市街地では今ないと思うので
かなり貴重な 散歩道になっていると思いますし
元々ねあの哲学の道の
名付け元 明明の由来になった
これは多分あれかな西田鬼太郎さんとかが歩いてたんでしたっけ とかだと思いますけどまあそうやってね
試作にふけりながら 歩ける道ということでまあそういう名前になったと思うんですけど
その試作に吹けるっていう意味でも その歩いていると
やっぱりこの不整地 あの舗装されていない道って
すごい子足の裏からの情報が多いんですよね こう
歩いていて下が凸凹なんで まあ足の裏からいろんな情報というかが刺激されて
今ちょっとこうポコッと膨らんだところを踏んだなぁみたいなこととか 砂利がね動く様子とかなんかそういうのがどんどん足の裏から伝わってきて
なんかそういうふうに足の裏が刺激されるってやっぱり考えるっていうことと なんかつながっている感じがしてて
何のこっちゃって感じかもしれないですけど考えるってねなんかあの 結構歩いていると考えが進むってすごいあると思うんですけど
適度な 刺激があった方がなんか考えて進む感じがあるんですよ
哲学の道の考察
なのでまぁちょっと考え事したい時とか僕 哲学の道とか来てたまに歩いたりしてるんですけど
やっぱりこう足の裏にね凸凹があってちょっと刺激があると その分考えがはかどるっていうか
まあそういう外的なね刺激が何か多分 考えるってこととつながっているんだと思うんですけど
まあそれが促進されているような 感覚も
ありますし こういうのもねそんな気がするみたいなことだとまたね説得力にかけるのかもしれない
ですけど 僕にとってはこの不整地っていうのはめちゃくちゃ
あの大事っていうか あの特にね他にないので山に入れば確かに不整地がありますけど
フラッと歩ける平らな道で
凸凹道というか なかなか
鴨川のねほとりとかもありますけど まあ今ちょっと距離ができちゃったのと
鴨川のほとりもどんどん今ね舗装されようとしているんで だんだん土の部分が減ってきてますけど
まあ減ってきてるし
いやー そうだなぁ残してほしいなっていう気持ちですね
思い出の農道
あのその話をねちょっと考えてて 昔
三重県の実家の近くの あの田んぼの中のね
あぜ道というか田んぼの中の道 農道というかね一応車が通れるような道が
まあ実家の僕の家のすぐ裏に行けばもう あったんですけど
そこもね昔あの見放送だったんですね 田んぼと田んぼの間の
まあ 農耕者とかが行き来するような道なんですけど
でそこをね 自転車で
走るのがすごい僕は好きで なぜかというとボコボコボコボコやっぱりこう
えぐれていって なんか穴が空くんですよ
で水たまりになったりとか雨の日はね するし晴れててもちょっとこう
ボコボコボコボコ穴が空いてて なんていうか段差がずっとあるというかみたいな感じなんですけど
自転車でねフラッと走る時にそこを走るのがすごい好きで よくあの
自転車でねフラッと後ろあの家の裏の方に行って まあその農道の
まあボコボコを楽しみに自転車で 自転車で散歩というか
ちょっとくるっと走り回りに行ったりとか 子供の頃よくしていて
でまぁたまにねその やっぱり
水たまりができてしまうし穴ぼこが酷くなってどんどんえぐれていくんで あのみんなでね埋める作業
大道って言って 組があってね
地区に南蛮組みたいな組があって その組の人たちが日曜日の朝とかに集まっては
その穴をねみんなで土を持ってきて埋めるみたいな作業をね 地区でやったりとかして
で子供の頃にねちょっとそれを手伝いに行ったりとか してましたけどみんなで
あのスコップを持ち寄ってねあの土を どっかから持ってきて
まあそれを平らに埋めるみたいな作業を地区のみんなでやったりとかして まあそういうのも面倒くさかったのかもしれないですけど
ある日ね その道が舗装されてしまったんですよね
で まあ真っ平らになってぺたーってなって
まあ綺麗なんだ綺麗になったなーって一瞬思ったんですけど それから全然自転車でそのボコボコを楽しみに走りに行くことが
なくなってしまいましたし みんなでね地区のみんなで集まって日曜日の朝に大道をやって
大道ってなんかその代わりに働くみたいな感じで書くらしいんですけど 何語なんかなあんまり
その地元以外で聞いたことないですけどまあその大道をやって みんなでね
穴を埋める作業を一緒にやったりとかっていうのもなくなってしまって まあ楽になったかもしれないですけど
なんかあの 自転車でね
穴ぼこだらけの道をボコボコボコボコ 起伏をなぞるようにね走ってるの楽しかったなぁみたいな
のが小学校の どうかなぁ低学年とか中学年ぐらいだったかな
頃にあって まあそれもよく覚えてるんですけど
その時もなんかねやっぱりあの最初道が綺麗になって良かったって思ったんですよ その時はそんなに
悲しい寂しいみたいななかったんですけど 舗装された後にふと気づいたんですよね
あの穴ぼこが楽しかったんだなぁみたいなのとか全然その 味気なくなっちゃって自転車で遊びに行くことがなくなった自分を
自分を感じて 別にこうなんでも便利にすりゃ
いいってもんでもないのかもなぁみたいなことをね ちょっと幼な心に思った思い出がありますけど
舗装の影響
なんかそれもちょっと思い出しましたね今回ね これを舗装するかどうかっていう
話で でまぁただね時代がやっぱり
違って最近日本もね なんでもかんでも効率化すりゃいいっていうよりは割とこう風情を残そうみたいな
感じにもなってきてますし地元のその 哲学の道保障会の方も何とかして
まあ舗装は止めようとされているみたいでどっちかというとその 不便がちょっとでも少ない未舗装の道を模索されているのかなっていう
まあそのチラシを見て思ったので まあその中ラギの道方式とこの今の砂利砂利方式とどう違うのかよくわかんない
ですけど そんなに変わらないんちゃうかな水溜りができるのどっちかっていうとこの土の
質とか その排水の音あの水のちゃんと排水ができているかとかそっちなんじゃないかなって思います
けど まあまあ
何しようその 未舗装のまま残そうという風な
a 意見の方も
いらっしゃるようですしまあそもそもね あの数少ない京都市の中でも未舗装のまま残ってきていて
それが今ねすごい観光地になっていて 日本中どころか世界中から人がやってきてあの
ここを歩くのを楽しまれているような現状があるんで まあなんかそうやすやすといきなり舗装みたいな風にはならないんじゃないかなという気は
しますけど まあとにかく僕ははい
少なくとも舗装されないことを願っていますということと まあこのままでよくないですかっていう
そうそうああとね今不便なところのとしてこの昔 設置された石がね
顔を出していて危ないって書いてあるんですけどそれをまたね踏むのも楽しいんですよ この足裏マッサージみたいな感じでね
たまにこうちょっと大きな石が地面に埋まっていて頭を出しているんですけど そこ踏むとね
足裏マッサージみたいになって気持ちいいんで なんか割と僕結構歩いている時に意識的にそこ踏んじゃうんですけど
そういうのがね楽しいんですって もう毎日歩いてくださいよっていうね
視聴者さんも歩いてくださいっていう気持ちですけど
まあこの楽しみをできればこれからも続けて あとはねこのザクザクっていう
音の入った朝の散歩がこれからも撮り続けられることを 一市民としては願っております
はい どうしようかな電話かけるかな
ちょっと敷居高いけどな 勇気を出して
保証会に電話してみようかな なんかねメールアドレスとかの窓口があって
あのちょっと 僕の声日記で自分の意見を言ってるんで聞いてくださいみたいな感じで
リンクが遅れたりすると嬉しいんですけどね 電話ってなるとね
このポッドキャストちょっと聞いてみてくださいとか 呼んでみてくださいみたいなことも言えないし
はてどうしようかという感じですけど 電話しようかな
はい ということで
まだみごしょうの哲学の道からでした それでは