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2025-02-27 33:48

#176 科学と哲学のすきま〜サイエントークを聞いて

サイエントークを聴き通してみて、科学と哲学の関係について考えてみました。


◽️サイエントーク

https://open.spotify.com/show/7xSdoDeakt5aMs7s31GVsz?si=wr0kppBKS2uq8l2gB5k7jQ


◽️哲学と科学の年表

https://docs.google.com/document/d/14nAE_TWQHP0LYqqpeoxF2WNCsmKmNi6DxFVq2qiE1sw/edit


◽️イギリスで”Science”が科学を意味するようになったのはいつなのか?

https://our.repo.nii.ac.jp/record/2012823/files/kenkyu-kiyou_4.pdf


◽️A SCOPE

https://open.spotify.com/show/5J4aIjFLjTF06PiFrZ5lhW?si=-QpBYUg2THWEawNDRW6qTg


◯建コンのあれこれ質問・感想フォーム

https://forms.gle/yUKLPb8LbUm67qNAA

サマリー

このエピソードでは、ポッドキャスト「サイエントーク」の視聴体験を通じて、科学と哲学の関係について考察しています。科学が自然哲学から発展し、両者が真理探求に共通する部分を持つことや、19世紀におけるサイエンスの言葉の変遷が紹介されます。また、デカルトやガリレオ・ガリレーを通じて、科学と哲学の関係性やそれが生活に与える影響について考察され、真理追求の重要性や、科学の発展がどのように哲学に根ざしているかに関する洞察が語られます。加えて、イエス・キリストの行動や言葉が後の宗教改革や科学の発展に与えた影響についても考察され、科学と哲学の関係におけるクオリティやコミュニティの重要性が述べられます。

ポッドキャスト「サイエントーク」の紹介
健康なりこれの健康なれです。こんばんは。このポッドキャストは、建設コンサルタント業界という、わかりにくくつかみにくい業界についてあれこれお話をしていく番組です。
Spotify、Apple Podcastなどのポッドキャストアプリのほか、YouTubeでも視聴することができます。
年度末も過境に入ってまいりましたけれども、皆さんはいいかがお過ごしでしょうか。
建コン業界はいろいろと変わってきたと言っても、年度末は忙しいっちゃ忙しいですね。
最近、ちょっと営業さんとも話してたんですけど、3月の後期のお仕事って確かに減ってきてて、
2月が山みたいな人もいますね。 あとね、5月とか夏、
8月お盆前とか、締め切りになっている仕事もすごく増えてて、まああんまり昔ほど年度末年度末って感じじゃないかもしれない。
私はちょっとやっぱり1日3月忙しかったですね。来年度はもうちょっと仕事減らしたいなぁ。今年はきつかった。
という、私の個人の話は置いておいてですね。
最近、TikTokに切り抜きが出てたのをきっかけにですね、サイエントークというポッドキャストを聞き始めまして、
このポッドキャストもすごい長くやってる。 長くって言ってもね、
2021年の4月ぐらいからやってるポッドキャスト。
この度、ジャパンポッドキャストアワードというポッドキャストの表彰があるんですけど、
それの一次選考を通過された20番組のうちの一つに選ばれているということで。 私が聞き始めたのと、
ポッドキャストアワードに選ばれているのを見たのと、ちょっとどっちが先でどっちが後だったかってぐらい同時ぐらいだったんですけど、
最近、ポッドキャストの切り抜きがTikTokに流れてきたりとかしてね、面白いですよね。
音だけなんですけど、でも短尺で面白い部分だけ。 私が聞いたのはね、酸素ってなんで酸素って言うんだろうねっていう話。
サイエントークってどういう番組かって話なんだけど、めっちゃかめっちゃかになってる。
レンさんっていう男性とエマさんっていう女性で、今は夫婦です。
ポッドキャストを開始した時はまだ結婚していなくて、ポッドキャストの初期の方を聞くと、結婚式の準備の話とか、
指輪を買いに行きますみたいなやつとかもあるんですけど、今ではご夫婦がやってる話で、
レンさんという方がメーカーに勤める研究者、エマさんはOLって名乗ってるんですけど、
OLって何ですかね、オフィスレディーのことだということぐらいは知ってるんですけど、
今、現代、令和の現在にOLって言った場合にはどういう仕事を指すのか、私ちょっとわかんないんだけど。
まあ、研究者とOLが科学について面白く語るポッドキャストですというふうに言っている番組で、
私がTikTokで聞いて面白いなと思って本編探しに行って聞きに行ったのは、酸素ってなんで酸素って言うんだろうとかいう話から始まって、
酸ってね、酸ってHプラスっていう水素イオンが酸なわけなんだけど、なんでオオの酸素が酸なんだみたいな話でその歴史を語っていくという、
それはあの機体の歴史、ガスですね。機体の歴史をこう話していくシリーズの一編、ある一編がその酸素を取り上げた話題だったんですけど、
面白かったんですけど、それが面白くて、まあ初期の回からザーッと聞いてみましたですね。
途中で奥さんであるエマさんが日本からロンドンに仕事で転勤するという、海外転勤ということになって、結婚して早々離れ離れになりますみたいな回とかがあったりとかしてですね、
非常にそのお二人の人間模様というか、そういう面白い番組なんですけれども、
あ、ポッドキャストの一時選考通過おめでとうございます。
ポッドキャストアワード今年はですね、なんかまた去年以前と選び方がちょっと変わってて、一時選考という形で20番組選ばれてるんですけど、20番組の半分ぐらいは
ラジオ系っていうかね、TBSとか日本放送とか、あとオールナイトニッポンも日本放送だと思うんだけども、
そういう系で芸能人とかがやってるポッドキャスト番組も多いんですよ、選ばれたやつの中には。
多い中で、サイエント奥さんはね、かなりだから、なんて言えばいいんだろう、アマチュアっていうか個人でやってるポッドキャストとしてはかなりレアですよね。
科学と哲学の関係
私がよく聞いてるニュースコネクトっていう番組もありますけど、あれもクロニクルっていう会社がやってるし、
コテンラジオも今年もノミネートされてましたけど、コテンラジオもコテンさんとかね、ブックさんがやってる番組ですけど、サイエント奥はもう本当に個人でやってるものが選ばれたっていう意味ではすごく応援してます。
それでですね、今日はちょっと科学の話をしたいと思ってまして、科学史っていうシリーズをサイエント奥で話しされてて、
ガリレオとかニュートンとかオイラーとか、あと私が以前にちょっと取り上げましたけどデカルトっていう哲学者というか科学者も取り上げて、古い時代からですね、科学の発展の歴史を語っているような、そういう科学史のシリーズがそのサイエント奥のエピソードにあるんですけど、結構昔からやってるんですけど。
で、その科学史を聞いてるとですね、哲学っていう言葉がちらほら出てくるんですよね。で、哲学は哲学で単品で、私は以前から関心があって、哲学の話をしたエピソードもあるし、あとはそれ哲ラジオっていう哲学のポッドキャストも好んで聞いているんですけれども、
このサイエント奥がレンさんと山さんがおしゃべりしている中で、科学の歴史を語りながら所々に、例えばライプニッツは哲学者としての側面もありますみたいな、デカルトも哲学者の側面もありますみたいな話が出てきて、以前から気になっている哲学っていうものと、その科学っていうものの繋がりがですね、ちょっと改めて気になってきて、
で、そこで今回の回は、この科学と哲学の関係をちょっと、まあちょっとですけども調べたりなんかしてみたものがあるので、私なりにお話ししてみたいと思います。
で、科学と哲学っていうものは、真理を探求するっていう点では共通をしていると思うんですよね。
共通をしているものにも、そもそもサイエンスっていう言葉は、サイエンスっていう、日本語で科学と翻訳されるサイエンスという言葉が、今の意味で使われるようになったのは19世紀頃らしいんですね。
で、それ以前は何て呼ばれてたかっていうと、自然哲学って呼ばれてたみたいなんですよね。
で、19世紀ってどんな感じっていうふうにも思うと思うんで、今回私ですね、GoogleのAIジェミニを使って、この哲学から科学に至る主要人物の年代表をAIで年表にして生成してもらったんで、それを共有します。
概要欄にURLを貼っておきますんで、それをちょっと見てみてください。
19世紀っていうのが、科学の発展の歴史の、まあそこそこ後ろの方っていうのがわかると思います。
19世紀って言うから、1800年代ってことですね。
で、面白い論文を見つけまして、大分大学の方と九州工業大学の方が、ちょうどね、去年の2024年の12月に受理されてましたけど、書いた論文で、
えー、ちょっと待ってね。
えーと、イギリスでサイエンスを、
ん?イギリスでサイエンスが科学を意味するようになったのはいつなのかっていう論文があるんですよ。
イギリスでサイエンスが科学を意味するようになったのはいつなのか。
園井さんという方と平田さんという方が書いている論文で、大分大学理工学部企業第一号っていうのに載っている論文ですね。
ネット、オンラインで見ることができます。
で、ここでイギリスの中で、サイエンスっていうのはかつては学問ぐらいの広い意味だったんだけれども、
だんだん今でいう科学、日本語の今の科学という意味で使われるようになった歴史があって、
まあ、それがいつなのかなっていうのを調べましたという、分析しましたというような、分析?調べましたっていうそういう論文で、
で、オックスフォード英語辞典、OEDという、これはね、ゆる言語学ラジオでよく出てくる辞典ですけど、
オックスフォード英語辞典でこういう意味、今の意味で科学という言葉が載ったのが1863年なんだそうです。
なんですけど辞書に載るよりもずっと前から実用的には使われていたはずなんで、それをこういろんな文献で追いかけていくと、
いくつかの文献を辿ってこう遡るように後ろに後ろに見ていくとですね、
この論文の一つの結論としては、イギリスの王立研究所っていうのが1799年に設立されて、翌年1800年になんか、王に認可されたっていうことらしいんですけど、
すいません。
そのですね、設立目的のところに、哲学的な講義や実験のコースを通じて、科学を生活に応用することを教える公的機関です。
っていう表現があって、哲学的な講義や実験っていう言葉と、科学を生活に応用するっていう言葉の、
そのサイエンスっていう言葉が哲学と対比されて、同時に出てきて、しかも対比されて出てくるんで、
この辺が、科学って言葉を今に近い意味で使った最初期の例であろうということで、結論としては1799年ぐらいまで遡れそうですね。
それ以前になっちゃうと、もう科学っていうのは哲学の一部みたいになってて、自然哲学と呼ばれていたようです。
あと、ちょっと大切に補足しなきゃいけないのは、この論文の中でも、フランスやドイツでは、もうちょっと早い時期から、
科学の歴史と用語の変遷
科学っていう言葉は今に近い言葉で呼ばれていたと思われるけど、それは今後の研究に譲りますということが書いてありました。
いずれにしても1800年代、1700年代に遡るみたいな感じですけど、
結構最近っちゃ最近なんですよね、哲学とか科学の発展の歴史からするとですね、
例えば、この間私が取り上げたデカルトは、1596年の人ですし、
その前のガリエル・ラリネンが1560年ぐらいに生まれて、1640年ぐらいに亡くなったと。
その前のコペルニクスとかまでいっちゃうと、1473年に生まれて、そこから1543年ぐらいまでに亡くなったというぐらいなんで、
まあ、そう、科学的な。だから逆に言うとね、そのコペルニクスもガリレオ・ガリレーもデカルトもアイザック・ニュートンもゴッドフリーとライプニッツ、
この辺の人たちは当時、科学者っていう呼び方では呼ばれてなかったであろうということですね。
当時、そういう意味で科学っていう言葉、科学者って言葉はなかったってことですからね。
だからもう、この辺の人たちは哲学者だったってことです。
哲学者だったってことで、呼ばれ方としては哲学だった。そういうことみたいなんですよね。
なんですけども、だから哲学とか科学とかっていうのは、とにかく当時は真理を探求するっていう一つの大きな試みの一種であったということですね。
でも今、私たちが聞いた時に、科学っていうのは結構身近に感じるし、哲学ってなんかちょっと縁のないような、縁通い感覚を感じるのは、
そういう真理を探求しているうちに、ある時に真理を暮らしに応用するとめっちゃ役立つんじゃね?って気づいた人がいて、
そこからですね、真理を探求するだけじゃなくて、その探求した真理からわかったことを暮らしに応用するっていう営みが始まるんですね。
この暮らしに生かすっていうことが始まったあたりから、科学っていうものが一つの独立した分野として旅立っていったというかね。
哲学とはちょっと路線が分かれて、別のものになっていったっていうことなんじゃないかなーっていう感じがします。
デカルトと哲学の役割
で、えーっとですね、そうとした時に、まあだから、ある時、それでその暮らしにね、哲学が暮らしに役立つじゃんっていうことを最初に言い出した、言い出しっぺの一人が以前に私が取り上げたそのデカルトであろうということが言えるわけですね。
だからデカルトの方法序説には、我思う、故に我ありみたいなめっちゃ哲学的なパートがあったかと思えば、心臓の解剖みたいな医学的なパートがあったりして、これっていうのはこの哲学っていう営みを通じて見えてきた真理とか確かめたことを演劇的に推論してって応用をしていくと、医学とか産業に生かせるわっていうことを言い出したのがデカルトであろうということですね。
デカルトとかその時代の人たち。逆に言うとデカルト以前の人たちっていうのは、その生かすということよりももっと真理を追求するっていうことに特化してたってことですね。
だからガリレオ・ガリレーも、そのどうなんでしょうね、天体の動きを観察して、回ってんのって地球じゃんっていう地動説というものを唱えたということで有名なわけですけど、
地球が動いてるっていうことを明らかにしたことで、それをどんなふうに生かそうと考えていたかというと、たぶんなんとなく、これもね、私ちょっといくつか本を買いまして注文をして、
ちょっとまだ届いてないんですけど、これから読んでからちょっとまた改めて、今今日言ってる話がどれぐらい間違ってたか合ってたかまたちょっとポッドキャスターで話そうと思いますけれども、
ガリレオ・ガリレーが天体の動きを観察していた姿勢態度よりも、デカルトの方がもう少し暮らしに生かすっていうことを意識してたような感じがしますね。
方々小説を読んだ感じとかは、もうこの人は本当に生活に生かすっていうことをはっきりと書いていたんで、そこら辺が境目なんだなっていう感じがするんですけど、
まあ、暮らしに生かすっていう目的を持って科学を追求するっていうのは、なんかもう我々としてはすごくよくわかるじゃないですか、AIの研究してAIが生かせるとか、
量子コンピューターなんかが実用化されたとして、それで何ができるとかいろんなことができるとか、いろんなことが科学の研究、医療とか医学、医薬品、
量子コンピューターとかその創薬って言って、薬を新たに開発するのに結構活かせそうだって話もあるなんていうことを聞きますけども。
なんですけど、だからまあ科学は割と意味わかるけど、純粋に真理を追求していた人たちっていうのが、科学以前の時代にずっとあるわけじゃないですか。
真理追求してた人たち。彼らは彼ら彼女らは哲学者と呼ばれていたというわけで、その哲学者の中から科学がこう枝分かりしていくんだとした場合に、その真理を追求してた人たちって何がモチベーションだったんだろうなっていうのが結構私は興味があって。
ガリレオの地動説
今でも真理を追求しているような科学者研究者の人はいますよね。宇宙物理学とか、なんかわかんないあと数学の難しい問題とか、フェルマーの最終定理とかね、ああいうのを解き明かそうとしていた人たちというのは
まあそれをやっているうちに何か知らぬ間に実生活に生かせるものが発見されることも、副次的に発見されることもあったんでしょうけども、
真理を探求することそのものに関心がある研究者というのもある。そういう学問も今でもあると思いますけど、当時の人たちってどうだったんだろうなーってことをちょっと
思うんですけど、なんかいろいろ、この辺の部分をちょっとこれから本を読んで確かめたいと思いつつも、今私がわーっといろいろ調べてみたような
限りでの過程としてはね、その当時、中世とかね、近代になるならないぐらいの
当時、で今ここの話は西洋ヨーロッパの話ですけど、当時はあの言い伝えられてきた真実みたいなのが多かったっぽいなーって感じが割とします。
ルネサンスとかって言われる時代にアリストテレスとか古代ギリシャの文献がヨーロッパに流入してきて、1000年以上前の人たちがこんなことをしていたのかわかっていたのか
すごいなこれは、と言ってアリストテレスの言ってることが正しいですみたいな、あの
アリストテレスは重いものが早く落ちるって言ってたんですけど、今の物理学はね、あの落ちる重力加速度っていうか落ちる速度は重さに
影響しないっていう、これは空気抵抗がなかった場合なんですけど、なんかこれを証明したのもガリレオガリレらしいですけどね
でもアリストテレスの時代は重いものが早く落ちるって言われてたっていう
あのみたいですけど、まあそういう言い伝えられてきた真実を真実と見なされていたっていうことなのかなとか
あとキリスト教に紐づいた真実っていうのも多かったんだろうなっていう
天道説みたいなのはまさにキリスト教の教理に基づいた真実で地球は止まってます
太陽と星が動いてますということが真理真実とされていたと
そしてもう一つはね、確かめるってことがまあ今より難しかったんでしょうね
そのガリレオガリレがその地道説というものを証明したのはやっぱ望遠鏡というものが
あの発明されたという技術の発達が大きなきっかけになったみたいで
実際に地道説、動いてるの地球じゃねって言ったのは
ガリレオガリレの以前にもコペルニクスって人が100年とは言わないけど100年ぐらい前
ガリレオガリレの100年前ぐらいに言っていて
コペルニクスさんが動いてるの地球っぽい気がしますわって言ったのには
さらに前に古代ギリシャにも地球が動いてるのかもねーって言った人がいたっていう
それをきっかけとしてコペルニクスはその着想を得たんじゃないかとも言われてるらしくて
だから結局地球が動いてるかもって思ってた人はその紀元前ぐらいからいたっていう話なわけだけど
でも確かめるのが難しかったってことですね
哲学と科学の発展
そのさっきのアリストテレスの重いものが早く落ちるっていうのも
いくらやってみても確かに葉っぱと石だったら石の方が早く落ちるし
枝と石だったら人間の背の高さぐらいだったらだいたい同時に落ちるように見えるかもしれないけど
崖の上からポンって落としたらやっぱり石の方が早く落ちそうな気しますもんね
木はやっぱり空気抵抗を受けちゃうからね
空気抵抗を受けなかったら原理的に重力がどう働いてるのかということを
それを空気抵抗なしの状態で確かめる方法ってやっぱ難しいんだよね
それがその難しさが
その真理真実を追求し続けるみたいな営みに結局なっていたのかもなーなんてことを思ったりしています
ところでねそうとすると当時の人たちはそうかそういう感じで
その真理っていうものを一生懸命探求したかったんだなーみたいなことを思うわけですけど
スコープっていうもう終わっちゃったポッドキャスト番組があるんですけど
それに橋爪大三郎さんというキリスト教とか社会学者の先生が出てる回があって
そこで橋爪大三郎さんはその西洋の哲学っていうのはキリスト教から生まれたっていうことを言ってるんですよね
でまぁ実際にデカルトというのはその哲学を使って神の存在証明っていうのをしようとしていたりとか
あのホップスとかなんかヘーゲル関東なんとか関とかって橋爪大三郎先生は
列挙してましたけどいろんな西洋の特に初期の霊媒期の哲学者というのはキリスト教教徒であったと
キリスト教の枠組みの中から哲学というものを生み出していったっていうようなことを言っていました
でそのね確かめるっていうことが難しかったんだろうなーって話に紐付けて今この話をしようと思ってるんだけど
その 科学とかデカルトが
うんと そう我思うゆえに我ありって言ったのもその我が存在する自分自身が存在するって
ことを確かめてでそこから演劇的にいろんなものを観察しようとしていたっていうことなんだと思うんだけど
その確かめるっていうことはその中世のキリスト教の中では結構 まあまあブームじゃないけど大事な徐々に大事な姿勢になってたのかなぁと思ってっていうのは
あの 宗教改革とかも
当時だから中世のキリスト教の社会では 聖書っていうものは読まれなかったって言われてるんですよね
で教会の人たちもあの その聖書に書いてあることとはあんまり関係しちょっと別に教会運営をしていたし
キリスト教徒の人たちもラテン語でしか書かれていないキリスト教の聖書を読めなかったと なんだけどあのマルティンルターがその宗教改革をするときにその
ドイツ語に翻訳をして印刷をしたと これは当時のキリスト教のカトリック教会であんまり認められていなかったわけだけども
印刷してあの翻訳をして印刷していろんな人が見れるようになると読んでみると えっびっくりするわけですね
なんか教会のおじさんたちが言ってることとだいぶ違うんですけどみたいな 職勇状買ったら罪が償われるなんて書いてないじゃんみたいな
なんか これまたマルティンルターが翻訳をして印刷をするのをまた100年ぐらい前にも
英語に翻訳をしようとしたジョンウィークリフとかね あのヤンフスとかねあのいろんな人がやっぱりね
聖書ベースで確認してみたいなーって思った人っているっぽいんですよね ルターが1400年から1500年ぐらいの人なんだけども
宗教改革とかでいや読んで確認したら違うみたいなことあるよねーみたいな
なんかそういうのもいろんな流れに影響してたりするのかなぁ その橋爪大理沢先生がキリスト教から哲学が生まれたっていうこととその宗教改革の話も
あの橋爪大理沢さんの回で言ってるんだけども 哲学と絡めてそう語ってるわけではないんだけれども
なんかその科学の姿勢のその確かめるっていうことって なんか昔はなかなか簡単じゃなかったけどでも徐々に徐々にその聖書を読んでみたらとか
望遠鏡で星を眺めてみたらとか あのだんだんだんだんその確かめて自分で確認していくっていう
こう動きが 本当の何百年かかけて1300年400年500年600年みたいな
7700年みたいなぐらいの大きい時間をかけて徐々に 確かめるっていうことが大切になっていったのかなぁってその確かめ
って言った先にこのじゃあ世界ってどうなってるんだろう 教会の神父さんが教えてくれた正しさって聖書には書いてなかったぞと
聖書にはしかしこう書いてあるぞとでこんなふうに聖書に書いてあるとした場合に じゃあでも今の私たちの暮らしってこうだなぁとか
いやあのねわかんないけどこのパンがイエスの あの
肉体と同化しますみたいな本当にこのパンはイエスの体と一緒になっているのかなぁ みたいななんかそういう
罪が償われるってどういう状態になったらどっか書いて体にね 夜勤がいい刻まれているわけでもないし罪ってどういうことなんだろうと
そういうことがずっと関心事としてあってそれを確かめられることを確かめ確かめづらい ことは確かめられないけど試行実験みたいに頭で考え
そういうことをやっていた時代なのかなぁみたいなことを考えたりするということが あるわけですねなんかということをちょっと考えていて
あのなんかそういう営みの中から暮らしに役立つということが科学になっていったんだと するとあ
哲学と科学それがその当時の哲学の問題意識が人なんかふわーっとわかってきたような気がすると そういうことを考えているわけであったりなんかします
でちなみにその橋爪大三郎先生が出ているアスコープっていうポッドキャストの中で 言ってる面白い話であの
イエス・キリストの影響
あのねそのまあイエスキリストというのは当時のユダヤ人社会に生まれユダヤ人として生まれて そしてまあ一応ユダヤ人としてなくなっていく
イエスキリスト自身はその自分がこう言ったこととか振る舞った振る舞いが後に キリスト教として新しい宗教が生まれるとは思っていなかったであろうと言われて
まあ橋爪大三郎さんはそう言っていてなんだけどもその当時のユダヤ教社会の中で キリストイエス自身が正しいと思ったことを正しいと言い
それは当時のユダヤ教の偉い人の立場に至ってみると都合の悪いことなんだけれども 正しいよねと神様からしてみれば貧しい人であろうと裕福であろうと
あの同じ人間のはずですよねみたいなこととかっていうのはあの 当時のユダヤの社会からはちょっと都合の悪いことも含んでいたらしいんだけど
でも正しいと思ったことを空気を読まずに言うっていうことをイエスは当時したということが聖書を読むと読み取れるらしいんだけども
後にルネサンスとかそれこそコペルニクスガリレーとかデカルトなんかはガリレーさんが断罪
一旦尋問受けちゃったからあの 地道説の話ねオピラに言うとキリスト教に目つけられちゃうから気をつけようみたいなことが
方法除説にめっちゃ書いてあるんだけどでもそう思いながら経験なクリスチャンであればあるほど
でも聖書を読んでみるとイエスは空気読んでないんだよな当時の社会でって思ったんじゃないかなとか思って
空気を読まずに正しいと思ったことを正しく言うっていうことがそのイエスが実践したことなんだよなーって
なんか宗教改革のパワーとか科学に向かうパワーとかもそういう実は皮肉かもしれないけども
キリスト教真理というのはそのキリスト教の教えとか何か考えのを正しく実践しようとすればするほど当時権威化してた
カトリック教会と違っていくっていうこととかあったのかなっていうこのなんか 空気を読まないっていうことが大事なんだっていうことがそのキリスト教のイエス自身の行動に
含まれているみたいなことも面白いしなんかそれで哲学とか科学がドライブされている感じ面白いなぁとか思ったりなんかしてるんですけれども
科学と哲学の関係
まぁちょっとそんなことも思ったりしたのでありました はいということでちょっと今日は取り留めもなく話しておりますが
あの 再現トークを古い回からザーッと聞いていく中で
あのもともと関心のあった哲学というものと科学というものの関係とか そのそのおま哲学から科学が生まれる前後の大きな人々の課題意識とか何に気持ち関心があって
それを追い求めていたのかとかなんかそんなことをちょっと 雑貫で調べてみました
なんかねこういう原稿を書くにもAIがすごい役に立つなぁと思って もうジェミニを使いまくってますけれども
あと再現トークさんが2021年の4月 春ぐらいから始まったんですけどちょうど私この
天候のあれこれを始めたのも同じ時期で あの大体同じなんですけどでもそのね
そうそう冒頭に語りそびれましたけど再現トークさんはただポートキャストを長く続けているだけではなくて
あのコミュニティを作ったりノートで発信をしたりとか あの
いろんなポートキャスターとコラボしたりね ニュートンという科学雑誌とコラボしたりとかね
精力的にやっていて私がこうダラダラっと 一人語りで喋っているのとは違ってですね
ポットキャストっていうまあ プラットフォームの発展にもすごく寄与をしているというふうに感じてぜひ
あのそこをですねジャパンポットキャストアワードの審査員の皆さんにも認めていただいて
あの 一時先行突破以上の
以上というかよりなんかさらに上のなんか評価がされてほしいなというふうに個人的には感じております
まあそんな感じでちょっと健康と全然直接関係ない話ですけれども あの科学と哲学の話をもやもやとしてまいりました
でまぁちょっとインターネットとか ai を使ったりとかさっきのちょっといくつか論文とかを見て こういうことなんだろうかなということを話していきましたけれども
ちょっとこれに関わりありそうな本をあの買ったんでそれをまた読んでみて時間かかるかもしれ ませんけどちょっと答え合わせもしてみてまた続きのことをいつか
報告するような会を取りたいと思っておりますということで最後まで聞いていただきありがとうございました
33:48

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