建設コンサルタントのあれこれ
【建コンのあれこれ】の【建コンのアレ】です。
このポッドキャストは、建設コンサルタントというわかりにくく、つかみにくい業界について、業界16年目の私、建コンのあれが、あれこれをお話しする番組です。
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ご都合の良いツールを使ってお聴きいただければと思います。よろしくお願いします。
そんな建コンのあれこれなんですけれども、もう、かれこれ3年ぐらいやってまして、4年目にもう突入しているみたいな長いことでですね、意外とそのくらいやってるんですけれども、
エピソードの数っていうともうすぐ150ぐらいになるんですけど、47、シャープ番号つけてるんですけど、シャープで番号つけてるんですけど、
シャープの47と49っていう、これが2022年1月なんで2年以上前のエピソードなんですけど、そこであれのあれこれっていうコーナーをやったんです、2回だけ。
あれのあれこれって何かっていうと、私の体験談っていうか自分語りみたいなやつをあれのあれこれっていうことでやりまして、47っていうのは就活の話、シャープ47ね。
49っていうのは入社した後の数年っていうかの話で、簡単に振り返りますと47の就活、間の48何なんだよって、間の48はちょっとなんだか忘れましたけど、なんか一個飛ばしてアップしたみたいです。
47っていうのは就活の話で、もともと私はODAに携わりたいっていう、要は政府開発援助、発展途上国とかのインフラの仕事がしたいと思って、健康に入社したというか応募したんですね。
海外プロジェクトでは建設コンサルタントのことは開発コンサルタントって言い方をするんですけど、ただ実際に入社してみたら国内の部署に配属されたんですわ。
それでその時の気持ちとか、希望叶わなかった気持ちとか、あとその次の49、シャープ49ではそれで実際に配属された後に海外の仕事したいなっていう気持ちがどんな風に変化していったかっていうことを49では語っていて、
結論というと、私はだんだんと海外の仕事をしたいっていう気持ちが薄れていって、国内の仕事をすることに意義を感じて今に至るわけなんです。
気付けば16年目というところなんですけども、その話をしたのが2022年なんですけど、実際、これまた別のエピソードでも話してるんだけど、国内部署にね、願い叶わず国内部署に配属された当初っていうのは、
でも海外やりたいのになって実際思ってて、仕事で海外に携われないんだったらプライベートだけでもって思ってインドに行ったりとか、中国とか一人旅してこういう感じかって行ったりしてたんですけどね。
でもさっきチラッと言ったみたいに海外に対する思いっていうのは私はだんだん小さくなっていくのに合わせて、一人旅の行き先もインド、中国、台湾みたいに韓国みたいに、だんだん日本に近くなっていって、30代になる頃には結構国内で一人旅してたんですね。
島に行ったりとかしてね。ちなみにインドに行った話はシャープ63で語ってますんで気になる人は聞いてください。とか言ってるうちに2016年目になったわけなんですけど、その話エピソードシャープの47とか49喋ったのは2022年なんですけど、今は2024年で2年経ちまして、その2年の間になぜか不思議と海外に関わる機会が増えまして、
海外プロジェクトについに16年越しの願いが叶って、アサインされるっていう形をするんですけど、メンバーとして参画することになって、それで今私チャカルタにいるっていう状況なんですよね。
なんで14年目、15年目、16年目っていう頃になって私を国内に配属しておきながら海外プロジェクトに携わることになったかっていうと、
一つは企業の戦略として、今後も日本の人口が減少することは確実なんで、海外のプロジェクト、海外向けのビジネスという企業としてを拡大していきたいっていう企業戦略もあって、
海外プロジェクトへのアサイン
国内の技術者が海外のプロジェクトもやるっていう体制を何とか作っていけないかっていう模索の中で私が海外に携わることになって、だから巡り合わせもありますね。
16年前、私が入社した時も、うちの会社は海外っていうのはそれなりにやってる会社なんで、ジャイ科業務、いわゆるジャイ科の業務をやってるんで、当時と比べてぐっと増やしてて、規模がどのくらい変わったのかな、海外の舞台は。
ちょっとわかんないんだけど、でも今国内の人も海外にもっとっていう流れが最近あって、その流れっていうのもあります。私が16年目でなぜ急に海外来るようになったかっていう。
あともう一つは機械の技術者ってなかなかいないんで、海外でも国内でもどこでもニーズが高いんですね。
もう一つ、これは私の中では結構ポイントだと思っていて、そうこう言って私が16年目の技術者になったことによって、一人でいろいろできるようになったっていうのがあります。
やっぱり若いうちに海外に連れてこうとすると、その人には海外のプロジェクトの中で教えなきゃいけないし、育ってもらわなきゃいけないわけで、プロジェクト全体のメンバーからするとそういう教える分の負担が発生するわけですけど、
今の私はもう機械はあれさんよろしくってポーンといってできるんで、それがやっぱり大きいでしょうかね。
なんかちょっとぬるっと始めちゃいましたけども、今日この話はそういう感じであれのあれこれ第3弾としてやってます。
ダメだなちょっとバタバタしながら原稿を作って、一応軽くプロットを書いたんですけど、なんかちょっと順序がうまくいかないんです。
第1弾は就活、第2弾は入社してその後の話、第3弾は急に16年経った今、海外に携わるようになりましたっていうその話をしてます。
その49、シャープ49の中でも語ってるんですけども、私はその当時国内部署に配属されたことをそんなに悲観してなくて、
というのはやっぱり当時から最初から海外の部署に配属をされて技術者として身につけていくと、純粋な技術以外にやらなきゃいけないことが多くて、
っていうような話があって、国内でまず技術、純粋に技術を磨くっていうのは良いことなんじゃないのっていう意見が私が入社した当時、私の周りの人から会って、会社の人がそういうことを言ってる人がいて、
それはそうなのかもなって、そんならそれでやってみるかという気持ちだったんですけど、今振り返ってどっちが良いか悪いかは分からないが、どちらがより良いかってのは分からないけど、私が結局結果的に16年国内で過ごして、
16年目で海外の仕事をするようになったことは良いかなって思ってます。これは一つのパターンとして自分としては納得して良かったな、要は何が言いたいかっていうと、もっと早く海外の仕事をしたかったのにみたいな、
望んだ機会を奪われたとか、こんな過ごし方したかったのにっていう気持ちは不思議とない。不思議とないって割と入社当時から、49番、シャープ49聞いてください。そんなに速やかに自分の気持ちは整理されていったわけなんですけれども、
16年経って携わることもないかもしれないと思ってたからね。シャープ49喋ってる時はこのままずっと国内かもしれないって結構思ってたんですけど、意外と海外やることになったけど、それでも自然とやれてるなっていう感じがありますね。
だからずっと最初から海外に配属されてたらまたその海外のプロジェクトを進めたりやるっていうことでプロフェッショナルになれたんだろうけど、私は今たくさんいる調査団っていう言い方をJICAの業務ではするんですけど、設計計画のメンバーの中のたったある一人、私一人が機械担当者っていう形なんだけど、
やっぱり国内で16年培ったからたった一人の機械担当者を担えるんだなって思えば、それはそれでよかったかなって結構思いますね。
シャープ49のエピソードで、特にその後半に、2022年の当時の、だから私が当時14年目ですかね、のときの認識として、
エイド、なんて言えばいいんだ、援助か、援助っていうものの性格はだんだん変わっていくんじゃないか、すでに変わってきてるんじゃないかって思うって話をしたんですね。
16年前に入社したときは、もっと困ってる国に対して経済的に豊かな日本が助けてあげなきゃいけないって思ってたんですけど、でもいろんな海外一人旅とかしてみたりして、なんかそれはちょっとすごく思い上がりだった気がするなっていう認識を持っていて、
JICAプロジェクトに携わる理由
だから上から目線で助けてあげるっていうよりも、もう少しフェアなビジネスパートナーとしての、してエンジニアリングサービスを提供すること、そういう感じになってくるんじゃないかなっていう話をしたんです。
実際私がその在家業務に携わってみて、在家業務である以上は支援なんですけどね、無償資金協力って言ったら本当に無償で、利子なしで資金を提供して、資金とともにその資金によるインフラサービスを提供するんですけど、
優勝だったら利子付きで貸し付けるような形になるんですけど、でも私が49で語ってたビジネスパートナーとはやっぱりちょっと違う、日本の予算っていうものを持ち出して、それで途上国と言われる日本よりも開発レベルが発展していないと、
一応そういうことになってる国に対して、今回で言えばインドネシアっていう国に対してエンジニアリングサービスを提供する。在家の中はそれはエンジニアリングに限らずコンストラクションですね、施工まで含めたものを作るってとこも含めて在家のプロジェクトってものになったりするわけなんですけど、
だから在家で生きてる以上はフェアなビジネスパートナーっていう意味は、本当にインドネシア政府から仕事をもらって何かするっていうイメージで言ってたんだけど、それとは違うんですけどね。それとは違うんだけど、でもなんとなくやっぱり私の認識間違ってなさそうな気がするなって、実際に在家業務に関わっても思うんですよね。
なんでかっていうと、今回のプロジェクトは対象地がジャカルタ近郊で、ジャカルタはやっぱりものすごい都会なんですよ。ものすごい都会なんですよ。びっくりするぐらい。本当に都会。
だからね、今私はこのジャカルタを対象としたプロジェクトに携わっているわけなんだけれども、やっぱりいまだにそんなに日本が豊かだから助けてあげなきゃっていう気持ちはなくて、
ただね、これがまたさっきちょっと話した16年目でこのプロジェクトに出会えたのは良かったなという気持ちがあるのは、一人の機械の技術者として自分一人でできることが色々あるんで、
単純に複合的でちょっと難しい分野横断的な、今回の調査団には土木屋さんももちろんいるし、それも河川屋さんもいればトンネル屋さんもいれば建築屋さんもいるんですけど、
そういうマルチな課題に取り組む面白さみたいなのを感じてて、だからなんか別にたまたま対象地がインドネシアではあるけど、別に日本と変わらないっていうと大げさだけど、
単純に課題と技術者っていう、課題とそれに対面する技術者っていう構図で私はなんか感じられていて、その課題がある場所がたまたまインドネシアだっていう感じで、すごくフェアな気持ち、フラットな気持ちで自然な気持ちで仕事ができてるっていうのが嬉しいなって思うし、
それは多分16年前の私の助けてあげなきゃっていう気持ちではできなかったことが今できてる。
当時の認識が改まった上で改めて国際的な課題に再び出会ってるみたいな、久しぶり、変わったねっていう感じ。
だから念願かなって、僕の手で困ってる人たちを助けてあげるんだみたいなね、そういうことよりももっと純粋な課題と技術っていう問題として取り組めてるなっていうふうに思います。
これが対象値が違えばもっと支援するっていう要素を強く感じて取り組むような仕事に今後出会う可能性もあるんだけど、でも多分それを感じる度に水害で日本でも人が亡くなって、土砂災害でも亡くなってるし、この間お正月にもノトで地震があったし、
いまだに私の中では日本が助けてあげるべき存在、なんて言えばいいのかな、あっちにもこっちにも課題がいっぱいあってね、どちらが優先とも言えないからね。
だから私の中でやっぱり日本に存在する課題と日本じゃない海外に存在する課題の境目があまりなくなってきてるんですよね。
自分はそれが心地よいというかそれでいいなと思ってて、どっちもできる技術者であればそれはいいなって思ってるから、そういういろんな認識を改めたり技術を高めたりして16年目でこの仕事に出会えたっていうことはありがたいなっていうようなことを思っています。
16年目で初めてのプロジェクト参加
そんな16年目で初めてJICAプロジェクトに携わった健康のあれの気持ちでございました。あれのあれこれ第3弾でございました。
ちょっとこのそのうちね、今就活の話と入社後の話とそれから16年目の話っていきなり間ポコーンって飛ばしちゃったんで、ちょっとその間もだんだんあれのあれこれとして語れることは語ってみたいななんていうことも思っておりますが、
今日のところはそんな感じで、ちょっとグダグダとした話になりましたけれどもやってみましたけど最後まで聞いていただきありがとうございました。