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(自分語りの話)
元気のあれ、これの元気のあれです。よろしくお願いします。
今回は私の自分語りの話をしたいと思います。
前回の1つ目の自分語りを
アップロードの順番は今決めてないのでわからないですけど
前々回か前々々回くらいかもしれないですけど
1回目の自分語りの話をしまして、これは2回目です。
タイトルを1回目の時に「なんとかの歩み」にしようかなと言ったんですけど
その後いろいろ思い直しまして「あれのあれこれ」というサブタイトルにしたいと思います。
ということで「あれのあれこれ」第2弾
就職直後の私の話をしたいと思います。
1回目の振り返りを短くすると
1回目のあれのあれこれは就活の話でですね。
私が機械を専門に学んだんだけど
機械のメーカーとか機械の企業に行くことに関心が持てなくなって
そうじゃなくて人の暮らしを支える
しかも日本の暮らしよりももっと暮らしにくい地域
平たく言ったら、例えばあの時持ってたのは発展途上国の暮らしを良くする仕事って
世の中にないかなと思ったらODAっていうものを見つけて
ODAを受注している建設コンサルタントにめでたく就職できたんだけども
最初の配属先が国内の設計の部署だったというところまでお話ししました。
今日はその国内の設計部署に希望をかなわずなってしまったっていうところから話します。
では参ります。
そんな感じで私は海外のプロジェクトをやりたかったんだけれども国内の部署に配属されました。
だけど実は気持ちは全然沈んでなくて
というのはですね当時噂があったんですね。
私実体験してないんでわからないんですけど
海外のプロジェクトっていうのは当然ながら出張したりして
現地で対象地域とかを現地調査したりとか
打ち合わせね現地の国の人と打ち合わせしたりするわけなんですけど
知らない人のために簡単に言うとオーソドックスな
プロジェクト例えば設計の業務だったりすると2ヶ月とか3ヶ月の出張を何回も行くみたいなそんなパターンみたいですね
だから1年とか2年現地に張り付くみたいなそういう形ではないみたいなんですけど
それにしてもですね日本でやるよりも結構雑務が多いらしいんですよね
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考えてみれば当然で現地への往復の飛行機とか現地の宿泊とか
それから現地での通貨の調達とか現地での移動
レンタカーを運転するってわけにいかないからドライバーさん雇ったりとかするんですけど
そういうのの手配とか現地である程度何ヶ月間かやるんだったら
そのオフィスを調達したりとかしなきゃいけないとか
あと日本だったら当時だったら結構いろいろクレジット決済とかできるようになってましたし
日本円でね生産するんで簡単なんですけど
現地通貨に監禁してそれで現地の通貨を使って
いろいろなんか支払いをしなきゃいけないわけなんですけど
そうするといっぱい療傷症が発生するわけですよね
現地通貨のそういう長文の管理だとか
単純に考えても一つのエンジニアリングサービスを実施する上で
必要になる雑務っていうのは当然多いわけですね
チームの中で誰がそれを担うかって言った時に
チームのパフォーマンスを合理的に考えると
若手の人がその雑務を担当する方が合理的だということで
ちょっと実際私は経験してないし
また十数年前と今とではいろんな事情が違うかもしれないですけども
当時はこんなことが言われてて
国内の部署の方が技術的な内容に集中してできるから
成長も早いと思うよみたいな
身につけてから海外の仕事するようになってもいいんじゃないみたいな話があって
入社した時に社員の人にそう言われたんだったかなって気がするんですけど
そうならそうなのかなと思って
そんならいいかと
私結構やりたいことを後回しにするのを得意っていうか
準備するの苦手じゃないんですよね
そうそうそうその言い方があれかな
準備するの苦手じゃないんですよ
だからじっくり試験勉強するとかも苦手じゃないんですよ
海外のために修行だと思って国内で過ごすみたいなことも苦じゃなくて
むしろちょっとワクワク楽しみみたいな
なんかそんな気持ちで
あんまり希望が叶わなくて残念だっていうテンションじゃなく
前向きにポジティブに国内の部署でのスタートをしました
ただその時は当然機械の技術者として実力を身につけたら
海外のプロジェクトやるぞっていう思いだったんですけど
実はその後だんだん海外プロジェクトに向けた熱っていうのが
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小さくなっていきます
大きくは2つ理由があって
その2つの理由を説明して今日の会話を終わりたいと思います
2つの理由の1つは
実際に発展途上国に行って
これはプライベートで行って
現地の様子を見たから
見たからです
具体には
ネパールからインドを陸路で移動して
ゴールデンウィークで12連休ぐらい取ってね
一人旅したりとかですね
その後は中国行って台湾行って
インドからだんだん手前に戻ってくる
日本に近くなってくるんですけど
やっぱり一番きっかけになったのはネパールインドの一人旅ですね
興味がある人はいないかもしれないけど一応こうすると
カトマンズネパールのカトマンズに飛行機で行って
そこからバスでバラトプールっていうところ
ナライアンガールとかバラトプールとか名前が2つあるのかな
いうあたりまでバスで行って一泊して
そこから次の日バスで陸路で国境を渡って
ゴーラックプールっていうインドの街に行って
そこからバスでバラナシっていうこれは有名ですね
あの岩実川のほとりにあるバラナシっていうとこ行って
バラナシンイアの列車に乗ってコルカタに行きましたね
コルカタで終わりそんな旅しました
その旅で感じたのは明るいなって思ったんですよ
元気だなって思って
なんか日本のがよっぽど暗くて元気がないような気がしてね
私はやっぱり当時発展途上国の暮らしを良くするみたいな
手を差し伸べるみたいな思いを持っていたんですけど
それは間違ってないかもしれないんですけどね
単純にインフラがどっちが整ってるかといえば日本が整ってるし
経済力でも日本のがあるわけで
現地の暮らしをより良くする仕事の価値は別に変わったわけではないと思うんです
なんだけどなんか自分が勘違いをしてたことは確かなんですよ
なんか自分が思ってた状態と違うことは確かなんですよ
それがねなんか自分の海外プロジェクトをやりたいっていう思いに
その気持ち本当かな
その気持ちの前提となってた自分のイメージは現実とずれてないかなっていう
なんかはてなマークが発生して
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それでねなんとなく自分のそのパッションを見直していくようになったんですね
そっからでそれと全く時を同じくして2つ目の理由です
私が海外に対する興味が減った2つ目の理由
こっちのがどっちかというと大きい東日本大震災ですね
これが起こって実際に私はその岩手県の沿岸の被災した水門の復旧のプロジェクトとかにも
いくつか関わりました
っていう中で私がその発展途上国とか日本よりも暮らしにくい地域に興味が向いていた
大前提は日本ってもうokだよねっていう
日本の暮らしこれ以上良くするポイントもうほぼないよねみたいな
インフラもいっぱいあるよねみたいな
車ももう普及してるよねと
冷蔵庫がないお家あんまりないよねみたいな
洗濯機ないお家あんまりないよねみたいな
インドにありますから洗濯機ないお家いっぱいありますけど
日本にはかなり少ないと思います
っていう感じで日本はokっていう前提的な認識があったんです私の中に
それがまたもう完璧にクエスチョンになったわけですね
日本に住んでてokなんてことないんかもしれんぞと思って
こんな地震が起こるとか
でもその後もいろんな地震もありますし
台風水害なんかもたびたび起こって
私のその日本はokっていう前提がもうガラガラっと崩れて
日本にこそやらなきゃいけないこといっぱいあるんだわ
っていうような認識に変わっていったんですね
そんなような2つの要因で
このまま国内で自分の技術者としての価値を高めつつ
価値を発揮するということに今も気持ちが向いて現在に至るっていう
そんな感じです
でちょっと付け加えると
最近そう言って十何年経つ間にファクトフルネスじゃないですけど
ファクトフルネスの本がだいぶ古いですけど
発展途上国と呼ばれているあるいは呼ばれていた国々も成長をしていて
実際になんだろうな日本の援助とか
いわゆるこういう呼び方がいいかどうかが先進国の援助に基づいてやるよりも
なるべく自国のプロジェクトでやりますと
自分たちのプロジェクトで高速鉄道を作りますとかいう国が増えてるんですよね
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って言った時に援助っていうわけじゃなくて
一つのパートナーとしてエンジニアリングのパートナーとして
現地国のプロジェクトなんだけどエンジニアリングの一部を日本の国が担うみたいな
助けてあげますじゃなくてある意味順前たるビジネスとして
海外の仕事に関わるんだったら私は結構気持ちがポジティブで
その方がフェアな気がするんですよね対等というか
僕たち進んでてあなたたち遅れてるから助けてあげるよっていうよりも
そんなプロジェクトやりたいんですね僕たちこんな技術持ってますけど
フィーはこんぐらいになりますけれどもいりますかお願いしますってなったら契約成立みたいな
本当にシンプルにビジネスパートナーとして
日本の外のプロジェクトに関わるんだったら結構やりたいなーって思いがあるんですけど
なんとなくねもうその援助っていうことについては少し私は気持ちが変わってしまって
今に至るとそんな感じになっています
はい今日のあれのあれこれはこの辺までです
次回以降はちょっと私が具体的に過去に経験したプロジェクトの話を
話してこんなことがあってこんなこと思いましたみたいなことを
ポツポツっと話していきたいと思いますけれども
次はいつになるかわかりませんあんまり連続的にじゃなくて
思いついたら続きの話をしたいと思います
では最後までお付き合いいただきありがとうございました
さようなら