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2021-12-16 33:03

#43 歴史!いつから国とか都道府県って生まれたのか?明治維新!

行政組織について説明していくシリーズ、諸般の事情でいったん完結します!!
国、都道府県、市町村という土木行政の主体は一体いつ誕生したのか!?
江戸時代の土木行政はどんな感じだったのか?
江戸時代は「ひとつの国家」だったのか?
歴史からインフラ行政を考えることで見える国や人々の営みの奥深さを、一生懸命語りました!

心から、ポッドキャスト番組「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」を尊敬し、感謝しています!!

★おすすめの「コテンラジオ」のシリーズ
#88「高杉晋作ー吉田松陰のDNAを受け継ぎし幕末風雲児【COTEN RADIO】」
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#160「第一次世界大戦〜なぜ世界は戦争を選んだのか〜【COTEN RADIO】」
https://open.spotify.com/episode/7dKdNWqaq0SnFiTyvdOy0k?si=11LjZpzUSL6Ao-dMt_S36w

00:00
♪~
健康のアレコレの健康のアレです。よろしくお願いいたします。
最近番外編ばかり撮ってきたんですけれども、今回は本編です。
久しぶりなので、振り返りますけれども、
ここに至るまでのシリーズでは、特に土木行政の組織について語ってきました。
具体的には国、国土交通省ですね。
それから都道府県、そして市町村。
この市町村を話そうと思っていたんですけど、市町村はまだ喋っていません。
国と都道府県についての土木行政ってこういう仕組みになっています。
こういう組織で実施されています。
そういうことを喋ってきました。
今までの計画だとその続きで市町村の話をしたかったんですけども、
初版の事情で、この後あまり細かい配信ができなさそうだということと、
このシリーズは準備に時間がかかるんですけど、準備に時間を割けそうにないので、
今日は急なんですけど、一旦完結編を撮ります。
今日この回は重要です。
このシリーズ、行政組織シリーズの完結編です。
仮完結というか、仮納品というか、部分竣工というか、
一旦ちょっと納めようということで。
何の話をして完結とするかというと、
土木行政を担っている国とか都道府県市町村っていつからあるのかっていう話をします。
歴史です。今日は歴史の話です。
答えから言っちゃうと、ざっくり明治維新からあるんですね。
こういった今のようなスタイルにつながる行政のあり方っていうのは明治維新以降です。
もうちょっと言うと、廃藩治権っていうのは非常に大きな転機で、
明治維新…というか明治元年は決まってるんですけど、
日付が決まってる概念ですけど、
いつから今の国家体制になったかっていうと、
廃藩治権が非常に重要だったっていうことは、いろんな文献に書いてあるみたいです。
廃藩治権っていうのは、読んで字のごとく藩を辞めて、県を置きましたっていうことじゃないですか。
そういうことなのかなって学びますけど、
そんなシンプルな話じゃなくて、まず藩っていうのは県の前身ではないんですよね。
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組織体系上っていうか立場上、県と藩っていうのは同等のものではないんですよ。
しかも、話はこの県にとどまらなくて、
廃藩治権っていうことが行われて初めて日本という国ができた、みたいな言い方をしても過言ではないらしいんです。
とかって言うと、やや江戸時代だって日本でしょっていう話ですよね。
思うじゃないですか。
私も理系が大好きで、学生時代から物理、数学大好きで勉強してきて、
歴史むっちゃけ嫌いだったんで、全然知らなかったんですけど、
近年私ちょっと非常に自分の中で歴史ブームが巻き起こっていて、
いろいろ調べてみると、江戸時代は日本でしょって、確か日本なんですけど、
日本国っていう一個の国だったかっていうと、これは微妙らしいんですよ。
江戸時代が一つの国だったかっていうのは微妙らしいんですよね。
っていうような話をしていきます。
では参ります。
ちょっと変なタイミングで言っちゃったけど、まいっか。
江戸時代の日本が一つの国と言えるかどうか問題の一つの視点として、
例えば軍事力って、今の日本は、軍事力って言っていいか分からないけど、
実力ですね。
武器を持っている人たちっていうのは日本では自衛隊に集約されていて、
例えば神奈川県の武力とか富山県の兵力なんてものはないですよね、当然。
だけど江戸時代はどうだったかって言ったら、
そもそも毛利家とか、鍋島家とか前田家とかの人たちってお侍さんですよね。
刀持ってる、武器を持ってるお侍さんが、
ガバメントなんですよね、班。
だから軍事力ってのはまず一点に集中してなくて分散しちゃってます。
各地でそれぞれ持ってる。
だから、母親戦争とか、殺鳥同盟とか、西南戦争とか起こったわけですよね。
地方で軍が巨兵して、爆風を倒すぞって言ったり、
西南戦争だったら新しくできた政府を倒すぞみたいな話になってた。
軍事力だけじゃなくて、もっと市民に大きな大事なことは、
警察権とか裁判権、これも各班で持ってたわけですよね。
江戸幕府が、これはね、ことと次第によっては江戸幕府が裁くってことはあったのかもしれないんですけど、
基本的に、例えば街と街とか人と人の争い事っていうのは、班で処理して、
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例えば前田家の漁地、加賀班で起こった争い事に、
幕府が口を出すってことは、まず建前上は基本的になかったみたいです。
あと税制度ね。
税もお米を納めるわけですけど、それってのはもう班でそういった運営が成立してた。
成り立ってて、江戸幕府がお米みたいな感じで、
年貢を人の領地から取り立てるってことはしてなかったみたいです。
ただこの税の話は、皆さんもご存知の、産金交代ってのがあって、
産金交代の時にお金持ってくるみたいな文化があったみたいなんで、
江戸幕府は、班からお金を集めてもいたとも言えるのかもしれないんですけどね。
とにかく今とはかなり雰囲気が違うわけですね。
だって今でそうですよね、国が神奈川県から税を取るってあるんですかね。
多分県っていうものが納税の主体にはなってないと思うんですよ。
だけど江戸幕府が例えば薩摩藩から産金交代に伴って、
お金とか三つ着物をもらってたっていうのは、これはやっぱり全然形が違いますよね。
よっぽど薩摩藩の王が独立した一つの組織として存在している感じがしますよね。
さらにもっと言うと、立法権とか市民に対する支配権っていうのも、
県が我々県民、都道府県が県民とかに持っている位置関係と、
当時の藩とその民との位置関係というのは全然違ったみたいです。
そもそもここで大事な話があって、
藩っていう呼び名は明治以降に使われ始めた言葉で、
江戸時代には使われてなかったっぽいっていうのがどうもあるみたいです。
じゃあ何て呼んでたのか。
全然出てこないな、藩の名前が。
何藩?土佐藩か。土佐藩とか香賀藩とかありますよね。
ああいうところの藩を何て呼んでたかっていうと、
地名を呼びたいときには、まず何々の国の何々村ってのがあったみたいです。
薩摩の国とか、和佐の国、光漬の国、越後の国、越前の国みたいな、
あの何々の国の長岡村とか、そういう村の呼び名があったみたいなんですけど、
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いくつかもっと広い領域を表す言葉っていうのは、
何々家の領地って呼ばれてたみたいです。
藩に代わり呼び名が何だったのかっていうのは、ちょっとはっきりわかってないみたいなことも、
ちょっと私が読んだ方には書いてありましたけど、
一つそれに似たような表現とすると、
島津家の領地とか、毛利家の領地とか、そういう呼ばれ方をしてたみたいです。
毛利家とか島津家とか、なべ島家とかいうのが、
いわゆるよく言われる言葉で言うと大名ってやつですね。
つまり一家であってファミリーなんですよね。
島津ファミリー、毛利ファミリー。
で、その島津家の領地、今で言ったら鹿児島県です。
今の呼び方は薩摩藩の島津家の領地に住んでいる人々は、
領民って呼ばれたんですね。
我々どうですか?神奈川県の領民とか、福岡県の領民みたいなこと言われたら、
なんかすげー支配されてる感じしませんか?
当時はそういう位置関係だったみたいです。
江戸時代っていうのは、かなりファミリーベースの時代なんですね。
僕たちが埼玉県とか都道府県をイメージするときに、
それに特定のファミリー、一族っていうのをイメージしないと思うんですよね。
まあ今は民主主義の国ですから。
ですけど当時は、その支配層っていうのは、固定された一族が代々になっていた時代で、
その一族がその一帯を管轄している、支配しているっていう方が適切かどうかわからないですけど、
そういう時代なわけです。
そういう領地が日本にいっぱいあった時代ってことなんですよ。
この領地がいっぱいあっちゃあこっちゃに存在している日本列島が、
一つの国って言えんのかっていうのが微妙だよねっていう話みたいです。
で、その中でもやっと出てきます。
特別なファミリーがありました。
それが徳川家です。
この徳川家も漏れなく領地を持っています。
徳川家の領地っていうのを持っているんですけど、
この徳川家が持っている領地っていうのがちょっと特殊で、
日本中にいっぱい持っているんですよね。
ものすごい広い。
その徳川家の領地を旗元とか御家人とかに分け与えたりして管理してたんだけど、
大元は徳川家の領地っていうことになっている。
例えば江戸から遠い場所にある徳川家の領地で、
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よく言われるかな。
今でも観光としてアピールしているのが、
北っていうところがありますね。
福岡県、大分県か。
北は天良北とかって言って、
結構前から徳川家の領地であったみたいです。
九州にもあるってことですね。
岩見銀山とか、銀とか鉱物、
地下資源が取れる場所も徳川家が抑えてたみたいな話、
私が読んだ方には書いてありました。
ただ大事なのは、
徳川家の領地、今の日本だったら、
静岡県も山梨県も何々県も全部日本の一部ですよね。
ですけど、ここでちょっと違うのは、
徳川家の領地と鍋島家の領地とか何々家の領地っていうのは、
オーバーラップしてないんです。重なってないんです。
どっちかなんです。
そこが、幕府と日本の今でいう国っていうのが違うところ。
そういうことです。
だからイメージで言うと、巨大な東京みたいな感じなんですよ。
バカでっかいくて、権力を持っている東京が存在してて、
その徳川家に他の大名家が逆らえない時代。
そういう時代って言えるんじゃないかと思います。
なんで徳川家が特別なのかっていうと、
朝廷から正位大将軍っていう役職を代々任命されているってことで特別なんです。
朝廷からすると徳川家に代々お前が日本中の大名をまとめなさいと、
反乱を起こさないようにしなさいっていう、そういう時代だってことですね。
だからその支配っていうのがどれぐらい絶対的だったかっていうと、
今、神奈川県が独立して新たな国になろうとすることは普通に考えられないんですけど、
幕末には実際に起こってますよね。
薩長同盟っていうのが組まれて、幕府に対して戦いを仕掛けるわけですよね。
それが本当に軍事力によってなされたっていうことばかりではないんですけど、
形としては明治維新という形に帰結するわけなんですけど、
そういうふうに独立した藩、今でいう藩っていうのがすごく独立した存在だったから、
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今とだいぶ違うよねっていう話をしたかったってことです。
ちょっと注意事項があって、こんな感じで私がこうだったらしいよ、こうだったらしいよって言ってますけど、
歴史についてですね。
私も歴史好きなんで、いろいろ調べてはいますが、
非常に詳しいわけじゃないので、正確じゃない部分もあるかもしれません。
ただ、私が今日言いたいのは、江戸時代が今とかなり違ったらしいよってことをお伝えしたいので、
不正確な部分があったらすみません。ぜひちょっと指摘してください。
この辺で土木の話をしたいと思います。
江戸時代の土木っていうのがどういうふうになってたかっていうと、
まず一つは、地方の土木行政っていうのは、藩によって管理されていたみたいです。
もっと言うと、農民とか良民の人たちが申請して、
「それやっていいよ」って言ったら、良民の人たちが力を合わせて、
例えば、新しい畑を作るための水路を掘ったりとか、そういうことをしていたみたいです。
だから、自分たちでやっている部分が大きかったみたいですね。
例えば、その過程で、私が読んだ大石信三郎さんという方が書いた、
結構古い本なんですけど、江戸時代っていう本があって、
初版が1977年、初版の時代の本なんですけど、
これに書いてあったので言うと、
これらの時代は江戸時代じゃなくて明治初期みたいですけど、
明治初期に長野県で新しい神殿開発、田んぼを開発するために水路を掘るっていうことを、
現地の人たちがやったそうです。
そこで、温度を取ったリーダー閣のファミリー、これ農民ですね。
農民のファミリーは、現在、現在ってこの本が書かれている当時なんで、
1960年代とかかな、60年代とか50年代に調査した話がこの本に出てるんですけど、
その当時でも利権を持っていたみたいです。
だから、雨が少なくて水の量が減った時に、
こっちにどういう配分をするか、みたいなのを仕切る家柄の人が、
当時、今いるか分からないですけど、当時はいたそうです。
っていうように、農民の人たちが自分で土木工事とかを行って、
その中で特にコミットメントが大きかった人っていうのは利権が得られたりするっていう、
そういう時代だったみたいですね。
最近見た面白い話で、勝手橋っていうものが最近問題になってるんですって。
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勝手橋って何かっていうと、地元の住民の人が川に橋を作っちゃうんですって。
結構小さい川の橋みたいですけど、
単管をガンガンって打ち込んで、床板を張って、みたいな写真が出てましたけど、
結構簡素な橋なんですけど、
それを地域の住民の人が使って、これ便利ですっていう話らしいんですよ。
だけど、これは今の河川の管理方法でいうと、
河川管理者にちゃんと申請して構造物とか作んなきゃいけないんで、
一応その構造物、勝手橋って言われる、勝手に地元の住民が作っちゃう橋っていうのは、
法に基づいていない構造物になっちゃっていて問題だと。
ニュースで言ってたのは、そこで怪我とかしたらどうするんだ、みたいなことを言ってたんですけど、
だけど、勝手橋で今問題だって言うけど、地元の住民が渡る、
向こうの橋とかあっちの橋、正しい橋を渡ろうとすると、すげえ遠回りらしいんですよね。
だからショートカットしたいから勝手橋作るんですって。
その橋の在り方っていうのは、実は公共事業の元々の姿ともいえるっていうことですよね。
自分たちが欲しいものを自分たちで力を出し合って作る。
みんなでそれを使うっていうのがパブリックの原理でもあるなと思って、
それがまた問題ですっていう風にしてニュースになるっていうのがまた面白いもんだなって思ったんですけど、
そういう感じみたいな話です。
土木っていうのは地元の人たちが結婚になっていたよっていう話なんですけど、
江戸時代の土木って言ったらこんな話だろうっていうことあるかもしれないんですけど、
巨大な土木工事は江戸時代の当時でも、
徳川家が他の大名に命令して行わせたっていう事例があるみたいです。
有名なのが紀蘇山川、今で言うと紀蘇川、長良川、伊尾川ですね。
の3つの川を紀蘇山川って言うんですけど、
この川が昔から暴れ川で非常に被害が大きいということで、
川を収める工事をする。
これをどこに頼んだかっていうと、
薩摩藩の島付を筆頭とするいろんな大名から人を出させて工事したんですって。
なんで、言ったら名古屋ですよ。今で言う名古屋の周りを安全にしたかったみたいな話です。
ちょっと雑な表現で申し訳ないけど。
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名古屋を良くするのに、なんで鹿児島から人が行かなきゃいけないんだって話じゃないですか。
当時、あの辺りは徳川家のルーツみたいなところもあるので、
あのエリアはですね、徳川家のメリットになるんですよ。
紀蘇山川が安全になると。
それを他の大名にやらせてたっていうこと。
だからそれだけ徳川家っていうのは非常に特別で、
他の大名に命令をするだけの権限があったってことですね。
っていう感じを見ると、なんかやっぱり国っぽくねっていう風にも見えるんですけど、
でも、あのさっき言ったみたいに徳川家っていうのはあくまでたくさんあるファミリーの一つであるので、
あのやっぱり特別な権限があるにせよですね。
やっぱりまあ大きな東京みたいに徳川家と毛利家と前田家となんとか家っていうのは、
あのファミリー同士なんですよね。
国と何々県が同士じゃないんですよね。
完全に上下関係。もう組織的にも制度的にも上下関係なんですけど、
徳川家っていうファミリーはあくまで大きな大名ファミリーの一つでありながら、
抜きんでてるっていう。まあそういう違いがやっぱりあるよねっていう話なんです。
でですね、そう考えると、
そう考えると、あのそういう風な江戸時代の当時のね、行政とか、
まあ国のあり方、国っていうか日本の姿が明治維新を得て、
今の国、都道府県、市町村っていう形になったのって、
とんでもない変化だと思いませんか。めちゃくちゃ変わってる感じしませんか。
なんかすごくシュッときちんと整理整頓されちゃってないみたいな。
あの江戸時代以前はもっとここに独立して、あっちとこっちそっちとこっちにそれぞれに権利があったんだけど、
それをギュッと一点に集めて、一個の国、ここからここまで全部みんな僕たち日本ですっていう、
そういう感じになったっていうのが明治維新なんですよね。
で、歴史の教科書で、私なんかも歴史がすごく好きではない学生だったんで、
あのもう丸暗記です。封建的な体制から中央春季国家になりました。
それが明治維新です。はい、2点取りましたみたいな。
そんな覚え方をしてたんですけど、そんな一文でハートリ解できるほどシンプルな話じゃないわけですよ。
もうやばい変化が起こっていたわけなんですよ。明治維新って。
っていう話をね、したくて。
そう考えて今があるっていう風にして、今の行政を見ると、
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単純に現状こうなってます。じゃなくて、何がどうなって今があるのかっていうことを、
知るって言うほど私が知れてるかも怪しいにしても、そこに興味を持つと、
すごく立体的に今の姿を見えるなと思って、それが私歴史の面白さだなってすごく思うんです。
で、今これを聞いてくださっている皆さんの中に、
「あ、なんかこの人、今の行政とか言ってるけど、なんだっけそれどうなってんだっけ?」って思った人は、
私のポッドキャストの#32から始まる行政組織を詳しく説明していくシリーズを、
ぜひ聞き返してみてください。
この、あ、江戸時代でそんなに個別バラバラだった状態から、
あ~、国、都道府県、そういう風になってんだっていうのが、
合わせて知っていただくと、私は個人的にはすごく面白いんじゃないかなって思ってます。
そして、そもそも、そんな明治維新とかっていうやばい変化が、
なんで起こったのかっていう歴史の方に興味を持った人は、
ぜひ、古典ラジオというポッドキャストをおすすめします。
で、具体的には、古典ラジオの#88から始まる高杉晋作のシリーズ、
これぜひ聞いてみてください。
それともう一つ、#160から始まる第一次世界大戦のシリーズ、
も、合わせて聞いてみてください。
で、ちょこっとこのそれぞれについて説明すると、
#88、高杉晋作のシリーズは、その高杉晋作っていう人物にフォーカスをしてるんだけど、
思いっきりその人の話だけしてるんじゃなくて、
その当時の明治維新が起きそうになっている江戸時代、まだ江戸時代の当時の時代背景とか、
その時の家ってどういうものかとか、
高杉晋作は毛利家っていう家に仕えてたんですけど、今でいう山口県ですね。
で、その毛利家っていうのはどんな感じの場所で、
で、高杉晋作っていうのは一回脱販をしたりしそうになったりとかしてるんですけど、
脱販って、有名な人でいうと、
土佐藩を脱販したあの人なんだっけ、忘れちゃったけど、
脱販って聞きますよね。
坂本龍馬か。坂本龍馬も脱販してますけど、
脱販ってそもそも何なのかっていう、
これは毛利家っていう家の一員から、
27:01
家に仕えてる一員から抜けちゃうみたいな意味で、
すごい当時は大事だったらしいんですけど、
そんなイメージなんかもこのシリーズ聞くとよくわかりますので、
高杉晋作のシリーズおすすめです。
それから古典ラジオの#160から始まる第一次世界大戦のシリーズは、
そもそも日本が明治維新を成し遂げたいと思った大きな動機は、
私が今日何回か言ってることなんですけど、
一つの国にならなきゃいけないって思った人たちが、
明治維新を推し進めたんですよね。
で、その一つの国になるって一体どういうことなんだっていうのを、
この第一次世界大戦のシリーズで結構触れてます。
なんで第一次世界大戦みたいな巨大な戦争が起こっちゃったかっていうと、
それは当時ヨーロッパを中心として、
いろんな地域が一つの国になっていった結果として、
第一次世界大戦がありますよ、みたいな説明の仕方がされています。
だから、五天のラジオの中では国民国家モデルっていう国家のモデル、形について、
国民国家モデルっていう言葉を言ってるんですけど、
そういう国民国家っていう形の国に、一つの国に、
当時ヨーロッパもバラバラ感があったってことですよね、江戸時代の日本みたいに。
バラバラ感があったのを、一個の国、フランスとかドイツとかってなっていったところで、
ドカーンとぶつかってしまうようになったっていうような話がしてあって、
それもすごいわかりやすいんで、ぜひ聞いてみてください。
という感じで、今回、五天ラジオの話を後半、重めにご紹介しましたけど、
私がこのポッドキャストを始めたきっかけも、もう完全に五天ラジオです。
五天ラジオでポッドキャストに私はハマりました。
私はこの「健康のあれこれ」っていうポッドキャストをやり始めた当初から、
今日のこの回を喋りたくて、ここに向かって結構作ってきたんです、実は。
だから最初から今日のこのラジオをしたかった。
五天ラジオがなかったら、つまりこの「健康のあれこれ」っていうポッドキャストは生まれてなかったんですね。
という意味で、五天ラジオに私はもう心からリスペクトしています。
歴史に興味がある人もない人もいますので、お勧めはさせてください。
ぜひ聴いてみていただきたい。
それで、私の願いとしたら、歴史を知って、歴史を知って今を知ると、
今の公共事業とか、今の公共、今のインフラ、今の私たち健康の仕事、
30:00
土木の皆さんの仕事、事業者さんの仕事が歴史上にプロットした時に何をやっているのか、どういう意味があるのか、
市民ってそもそも何であって、国ってそもそも何であって、
公共団体、地方公共団体、都道府県とか市町村って何なんだっけ、税金って何なんだっけ、
お金を集めてインフラを作るって一体何なんだっけ、
っていうことを江戸時代からの流れで考えると、すごく別の視点から見える気がして、
意味の深さにも気づくっていうか、深さを感じられるなって思うんです。
信号とかガードレールとか鉄道とかパッと見た時に、わーって感じるわけです。
日本の今までの人たちが積み上げていって成し遂げてきた今があるんだな、みたいなね。
それっていうのは明治維新に大きな変化があった流れとしてあるんだな、みたいな。
戦争とかもあって、日本もその戦争に参加してますから、
決してその出来事が今まで歴史上の人々をすべてを一律に幸せにしたわけではないかもしれないですけど、
そういった風な部分もありながらも、今があるっていうのは、
明治維新っていうのが転機になってるってことは言えると思うんですよね。
という感じの思いでやってきました。
このポッドキャストを始めたのが4月ぐらいなんで、半年ちょいですかね、続けてきましたけれども、
今日これで完結とか言ってますけど、ポッドキャスト番組が終わるわけではありません。
一連のシリーズは一回締めますけれども、今後もポッドキャストは配信を続けます。
ただ冒頭にも言ったように、あんまり丁寧な準備に基づくおしゃべりができそうにないので、
ちょっと今私が頭で考えているのは、最近のニュースとかを取り上げて、
これってこんな感じなのかなみたいな話をするような、
そんな感じだったらちょっとパッと撮ってしゃべれるかななんて思っています。
なので、重さで言えばちょっと軽い回を時々アップしていくような続け方をしたいなと思っていますので、
今後ともぜひこの健康のあれこれをよろしくお願いいたします。
今回は私の中ではちょっと記念になる回でありました。
最後まで聞いていただきどうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
チャンネル登録をお願いいたします。
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