変な人の定義
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、変な人という話をしていきます。
はい、変な人ですね。
変な人という話をしますと、それ自体が変だなというテーマなんですけれども、
あなたから見て、変な人とはどんな人でしょうか。
もしくは、あなた自身が変な人だというように思われるようなことがあるでしょうか。
思われたらどう思うでしょうか。
これも一つ人間関係ですよね。
人のことを見て変だと思う。自分を誰かが変だと言う。
こうしたことによって、傷つけられというような現象が起こるようなことも、もしかしたらあるかもしれないですね。
これに関しては、結論から言うと、変な人はいないんです。
どういうことですかね。
変な人はいないと言ったって変だと思う人はいる、もしくは変だと言われていると。
ただですね、その変ということの概念。
その一個人が思う変だと思うということ。
それは何をもって変だとするのか。人のことを変だとするのか。
それは、自らの常識というものにいないという人を変だと思うわけです。
それはあなたが誰かに思うことであれ、あなたが誰かから言われることであれ、
その当人は変だと思ったら思われる原因の行動、言動、そうしたことをしないわけですよ。
それはただ人からの評価であって、評価というか、評判。
狭い世界での一個人の考えなわけです。もしくは一組織の考え。
その人が過ごしてきた経験からの、知識からの考え。
それをもって、その枠の中にいない人に対して、
この人は変だなというように思ったり、思われたりするわけです。
そんな一個人の考えというものは、吹けば飛ぶようなものなんですよ。
世界に何人人口がいますかと。関わり合う人だけでも何人いますかと。
そういう人から言う言われる、変な人というふうに思われる。
そのようなことは、あくまで自分自身の常識から外れているだけであって、
だからといってどうということはないわけですよ。
例えば、あなたが誰かのことを、この人変な人だなというふうに思ったからといって、
何かがあるわけでもなしに、誰かから変な人だなというふうに思われたからといって、
何かが起こるわけでもなく、ただそれはあくまでその人の考え方であって、
良いも悪いもないわけです。
それに対して傷ついたり、傷つけたりするような、そこまで発展させるようなこと柄でもないんですね。
もっと言えば、自分以外は、あなた以外は、
それはあなたから見たら、変な人というふうに言ってもおかしくないわけですよ。
自分の一個人の考えなわけですから。
思われようが思うが、どうということはないというようなことなんですね。
個人の常識と評価
ただ、そうは言っても、変だと思う人はいる。もしくは変だと思われている。
こういうことがあると思いますので。
それぞれの視点からの考え方というもので、
まずあなたが誰かのことを変な人だなというふうに思う場合には、
それはあくまであなた一個人から見て、あなたの経験から見て、知識から見て、変な人だというように思うだけであって、
そのことが原因で、あなたが変だと思う人に対して何か強く当たる必要もない。
それはあなたから見たら変だと思うかもしれない。
自分自身の常識から外れているかもしれない。
だからといって、相手のことを非難する必要は全くないわけですね。
私はそのように思いませんけれども、あなたはそのように思うんですねというふうに。
あくまで別の考え方を持っている一個人同士の付き合い。
そういうふうに考えると、あなたが変だと思う人に対しての当たりも優しくなる。
とすると、あなたが仮に変だと思う人と出会ったとしても、
良好な人間関係を築いていけるようになりますよね。
別にあなたが拒絶するわけでもないですから、あなたはそういう人なんですねというふうに思うだけでいいんです。
あなたはそういう人だから、自分とは違うから排除しようとか、
そういうことは一切思う必要はないわけですよ。
自分と違う人を攻撃したくなる。
自分と違う考え、組織に属している人を攻撃したくなるというのは、
人はナショナリズム、自分自身の所属しているところに対しての帰属意識というものがありますから、
それは人の行動として現れるようなことでもありますが、
それがきっかけ原因で人間関係がこじれてもいいことないじゃないですか。
自分自身にいいことがないですよ、誰よりも。
というところが、あなたが相手に対して変だと思うように思ったときの考え方ですね。
それとは逆で、仮にあなた自身が誰かから変な人だというように思われたり言われている場合に、
このケースにおいては、あなたが相手の考え方を変えることはできません。
ですから、あなたが私のことを変な人だと思っていても、
それはただそう思っているだけで何も危害を加えないでくださいと言ったとしても、
相手からするとそうはならない。
そういう可能性が高いということですね。
あなたが相手のことは操作できません。
ですから、相手があなたのことを変だと思う場合には何かしらの危害を加えてくるかもしれないです。
自分とは違う組織に、考え方に属していると。
先ほど言ったことですね。
そのような場合には、あなたは相手のことを慈しみの心を持って、
それに反発する、ぶつかっていく、
自分とは違う意見を持っている人だというふうにぶつかっていくのではなくて、
あなたは私のことを変な人だと思うんですね。
それはあなたと私の常識が違うからかもしれません。
そうした心持ちで相手と接する。
そもそも、人のことを変な人だというような人、
直接的に危害を加えてくる人、
こういう人に対しては、何を言っても通じませんから。
できることであれば、徐々にそうした人からは、
あなたは離れていくようなことをするといいですね。
近くにいても、駅はなく外しかない。
そういうケースが多いですから、
無理に関わる必要もないということですね。
受けて、変な人だと思われている側は、
寛容な精神が必要になってきますから、
慈しみの心での接し方
それはなかなか難しいことでもありますけれども、
あなたならできます。
あなたならそのような対応ができます。
心を広く持って対応してあげましょう。
相手は可哀想な人ですから、
人のことを変な人だと決めつけて、自分を害するという、
攻撃的な人は可哀想な人だなというふうに、
慈しみの心を持って包んであげましょうというようなことですね。
つまり何が言いたいのかというと、
変な人。
これはどんな人が変な人ですかと言ったら、
思う側、思われる側あります。
それは自分以外は変な人なのかもしれないし、
相手から見たら自分は変な人なのかもしれない。
ただ結論から言えば、変な人はいないというようなことなんですね。
それはあくまで一個人の考えですから、
そのようなもので、あくまで一個人。
あなたがどう思うと、相手のことをどう思うと、
あなたがどう思われようと、
それはあくまで狭い世界での考え方であって、
このことについて何か気を患う必要は全くないということです。
狭い現実の世界でそうした人と接触しているというような場合には対応策として、
仮にあなたが相手のことを変だと思う場合には、
あくまで自分と相手は違う人間であるから、
変だとか何だとかそういうことの前に、
違う考え方を持っている人なんだというように思うこと。
そして変だと思われている場合には、
それは相手は人のことを変な人だというように、
思ってしまうような人なんだなというふうに思って、
その人の周囲を包んであげるような、
そういう優しい慈しみを持った対応をしてあげるということですね。
こうした対応というものは、
その場、その一瞬、一時、
一期一会の関係性であれば、それはまた一つですけれども、
継続的に付き合っていくような関係性であるならば、
継続的にそのような対応をしていくと。
そうすると、ある時お境にこの人との関係性が変わっていっているなというような、
そのきっかけとなる部分が発生するようなことがあります。
ですから根気強く、
この変な人を思われるいずれの立場にあっても、
そういう人ともし出会ったとするならば、
こうしたことを思い起こしてみてください。
この世界に変な人というものはいないんですね。
それだけ覚えておいてください。
はい。ありがとうございました。