謝罪の重要性
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、悪いと思ったら謝る、という話をしていきます。
はい、悪いと思ったら謝る、ですね。
人とコミュニケーションを取る際に、争いになったり、いさかいが起こると。
これはどちらか一方、不特定多数でもいいですけれども、
良い方と悪い方があるからこそ争うことが起こる。
そういった時に、謝るというような行為。
もし仮に誰かと争った際に、自分が悪いなと思ったら、それは謝るじゃないですか。
そんな今さら子供に言うようなことを、改めて聞く必要もないですよと。
そんなことはわかってますよと。
わざわざ聞く必要ないですと。
そういうふうに思いますよね。
自家が芽生えた時から、幼稚園とか保育園とか、そのぐらいの小さい子供の時から教わってますから、
今さらそんなことわかってますと。
そして、常にやってますと。
それは悪いと思ったら、自分は謝ってますよというふうに思いますよね。
それほど当然のことであると。
そういう認識を持っていらっしゃるかと思います。
日常活動していく中で、悪いなと思ったら、それは当然謝りますと。
自己認識と謝罪
あなたもそう思いますよね。
そんな中で、この悪いというものの定義、自分と相手、もしくは複数の相手がいた場合に、
自分が悪いと思ったら、それは謝るのは当然だと。
じゃあ、相手が悪いと思っていることと、自分が悪いと思っていることは果たして同じなのかどうか。
自分は悪いと思っていないけれども、相手からしたら謝ってほしいと思っていることが、もしかしたらあるんじゃないか。
そういうケースもありますよね。
もしくは、自分は気づいている。
それだけ悪いと思ったら謝るということは当たり前であるということはわかっているけれども、
100%自分が悪いわけではない。
むしろ相手の方が悪いぐらいであると。
9対1とか8対2ぐらいで、むしろ自分に謝ってほしいという。
そういうことももしかしたらあるかもしれない。
そのようなケースにおいて、プライドが邪魔をして、自分は別に悪くないというふうに。
他人の方が自分よりも悲がある。
ということは悪いと思っていない。
だからこそ謝らない。
自分と相手の認識のずれということも発生しますし、
悪い悪くないということで、謝る謝らないということが起こりますよね。
あまり人間関係をメリット・デメリットで判断して発言するというのは、
ある意味での罠に陥ってしまうので、よろしくないんですけれども、
謝ることの意味というか、プライドも当然そうなんですけど、
メリット・デメリットというところ。
それもまた考えてしまって、
たとえちょっとは謝ったほうがいいのかなと思っていても謝らないという。
あとは文化圏によっては、謝るということによって相手に服従するというか、
何対何とか関係なしに謝ったら負けと言いますか。
そんなね、勝ちも負けもないんですけれども、謝るということに関して。
そういう文化圏もありますよね。
そうした諸々のことが頭によぎって、
たとえ自分が悪いと思ったとしても謝らないということをする。
もしくは気づいていないから、相手は謝ってほしいと思っているけど、
自分は謝らないということ。
これらを包括して言えることは、悪くない遺憾にかかわらず、
たとえ9対1で相手のほうに火があるというように思ったとしても、
先手を打って謝ることが人格者の対応なんですよ。
大人の対応と言ってもいいですよね。
人格者としての振る舞い
子どもの喧嘩だとか、どっちが悪いとか悪くないとか、
そんなことはどうでもいいことなんです。
そして勝ちも負けも関係ないんですよ。
その相手とどういう人間関係を築いていきたいかというところにおいて、
見栄も恥もプライドも悪いとか悪くないとかも関係なく、
たとえ9対1で相手が悪いと思ったとしても、
まず自らが謝るというような行いをする。
平心抵抗というのは、ただペコペコするとかそういうことではなくて、
しっかりと現状を認識した上で、
お互いの悪い悪くないということはありますと。
自分はこう、相手はこう、そういうことを説明として加えてもいいですね。
100%自分が悪いというようなことはないけれども、
ただ自分にも当然悲があると。
だからこそ、まずは謝らせてほしいというふうにですね、
自分から先手を打つ。
こうして先手を打った上で、仮に相手が勝ち誇った雰囲気というか表情というか、
謝ってもらったから自分の方が勝ちとか、自分は悪くないとか、
そういう対応をしてきたならば、
それはその程度の人間であるということなんですよ。
あなたから見て、当然謝ったあなたの方が人格者であって、
あまり人間に上下をつけるということは本来ないんですけれども、
ただ魂の心の段階はあるわけですよ。
どのようなレイヤーで物事を認識しているのか。
シザーですね。
一人の人間として、一つの魂として考えたときに、
たとえ100%自分が悪くなくても謝ることができる人というのは、
人格者と言われる人を形成するうちの一つでもあるわけですよ。
100%悪くなくても謝ることができるというのは。
ですから、悪いと思ったら謝るということは当たり前ですけれども、できない。
それはプライドが邪魔してとか。
気づいていない。
気づいていないというのはそもそものになってしまうので、
ちょっとここで割愛しますけれども、
それはたとえ1割でも0.1%でもちょっと自分も悪かったかなと思ったら、
先手を打った謝るということです。
それが人格者ですよというような、そういう話ですね。
つまり何が言いたいのかというと、悪いと思ったら謝る。
これもまた人間関係というところにおいて、
多くの場合、あなたもそうだと思うんですけれども、
そんなことは小さい頃から教わってきましたと。
いろんな大人から言われてきました。
悪いと思ったら謝るというのはそれはもうそうですと。
そして日常生活において自分が悪いなと思ったら当然相手に謝ってますと。
その上でですけれどもそれは本当にそうなんでしょうかと。
誰かに対して悪いと思う。
そしたら謝る。それは当然ですね。
ただその比率というもの。
たとえ9対1であろうが8対2であろうが数が少ない方が
あなたであったとしても謝ることをできていますかということ。
ここはもうメリットデメリットではないんですね。
いわゆる人格者の対応というようなところは、
0.1%でも自分自身に悲があると感じたのであれば、
それを相手に伝えて先手を打って謝る。
その謝るという行為に対して負けたとか、
自分の方がくらいが下だとか、そういうことを感じる必要は全くなくて、
むしろ謝ることができるという時点で、
非常に崇高な魂を持っている人なんですね。
どういう人間でありたいかというような、
そういったところにも関わってくると、
プライドが邪魔をして見栄とか恥とかを感じるから嫌だというようにですね、
誇示することもそれは当然あなたの判断ですけれども、
どういうふうに生きていきたいですかと、そういうことですよね。
悪いとか謝るとか、そういうことについてつらつらと話をしてきましたが、
少しでも自分が悪いなというふうに思うのであれば、
その比率以下にかかわらず、
自分から先手を打って相手に謝るというような行いをする。
相手がどういう反応をしようとも、
自分の中ではそれで満足していいじゃないですかと。
そうした行いをすることによって、
あなたと相手が合っているのかどうかというような、
そういうこともわかるわけですよね。
そんなことは言われなくてもわかってますというようなことですけれども、
これもまた当たり前の一つで、
悪いと思ったら謝るということをしていきましょうと、
そういうことですね。
はい。ありがとうございました。