2024-06-16 10:22

人として○○はスルー

全てを真に受ける必要はないです。あなたにとって必要なことだけ受け入れましょう。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、
人として○○はスルーというテーマで話をしていきます。
人としてね、○○ですよと。
そういった言葉、スルーしてくださいと。
そんなような話なんですけれども、
なぜかと。
ということで、
あなたもですね、もしかしたら、
そうした言い回ししたことがあるかもしれません。
当然私もあります。
この人として○○、
例えば、人として当たり前だよ。
人として間違ってるよ。
人として当然だよ。
そんなようなことね。
この人として○○という言葉、
時代によって違うじゃないですか。
例えば、
昔のね、戦国時代とかであったら、
人を殺したら英雄扱いされたかもしれないですけれども、
今の現代では人を殺めてしまったら、
まずいですよね。
そうした状況に色々あると思うんですけれども、
時代に即した人として○○という定義というものがあるわけです。
そうして、さっきの例は極端なんでね、
あれなんですけれども、
その人として○○ということは、
このコミュニケーションを取る上においても、
もしかすると一つ障壁となっていることかもしれません。
というのも、
もし仮にあなた自身が、
人として話をするときは、
言葉を間違えてしまってはいけない、だとか、
人として接するときは、
こうした対応をしなければいけない、だとか、
こうしたことを仮に考えていたとしたら、
そのことに即していないことをしてしまうかもしれないと、
そういったことが行動の妨げになる可能性もありますよね。
これは完璧主義だとか、
そうしたことを複合的にということはあると思うんですけれども、
ここでは、人として○○だというようなことを仮に思っているようであれば、
それは時代によっても違いますし、
今あなたが置かれている状況によっても違いますし、
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様々な定義があるとは思うんですけれども、
そのすべては忘れてください。
これもコミュニケーションを取る上では全く必要のない考えです。
人として○○だというようなことを仮に思っているのは、
それはあなただけなんですね。
仮にそれを相手から言われたとして、
それをあなたの考えとして受け入れるかどうかは、あなたが決めることなんです。
例えば誰かに、
人としてそういう話し方は良くないよ、
そんなようなことが分かりにあったとしたら、
それはたまたま相手からすると、そうしたことは人として○○だというようなことで、
この人はそう思っているんだなと、
ただ私はそれを受け入れないですけどね、というようなことを思ってもいいんですよ。
ただ人間関係という部分においては、
その場では素直に受け入れてあげた方が相手も嬉しいので、
何ですよね、自分で言ったことを面と向かって否定をされるということは、
誰にとっても気持ちの良いものではないので、
そういう場合においては、人間関係というものも仮にした上で、
臨機応変に返答はしてあげた方がいいんですけれども、
ただ真の考え方の部分で、
あなた自身が誰かに人として○○だよというようなことを言われた時に、
それを自分の考えとして受け止めなくてもいいんですよ。
これはですね、正直であって素直であって、
心の清い人であればあるほど、
そうなってしまうことがあるんですけれども、
当然それは良いことであって、そうであるというようなことは非常に良いことなんですけれども、
人から何かを言われたからといって、あなたがそのものにならなくてもいいということです。
語弊のないようにですけど、その正直であって素直であって、
清い心を持っているというのは素晴らしいことですから、
私もそうありたいと思っているので、それは非常に素晴らしいことです。
ただその上で他人から言われたことを、
あなたの人格にペーストしないでくださいと、そういうようなことですね。
人の意思であなた自身というものが変わってしまうということほど、
恐ろしいことはないので、
あっているなと思えば自分のものにしてもいいんですけれども、
少しでもそうは思わないなと思うのであれば、
それはそうは思わないままでいいんですね。
それでこの人として○○というようなことを、
これを言う人、いわゆる上から見た意見というものを知らないことが多いので、
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一つの視点からしか物事を見ていない人の言うことを間に受けないと、
そうしたことも大切です。
一つの視点からしか見ていない人も、どこかの誰かからそうしたことを教わって、
そうしてそうした人間になっていったと、
つまり自分を持っていないということになるんですね。
その自分を持っていない人が言う人として○○ということに対して、
あなたも賛同をして確かにその通りだなとなって、
そのように成長していくと、
また次の世代に同じことを繰り返すことになるわけです。
こうした人が量産されているからこそ、
このコミュニケーションというものでですね、
悩むという、そうした人もなかなかに多いというところではあるんですけれども、
それは仕方のないことでもあります。
いわゆる学びをしていこうと、自己の成長をさせていこうという人は、
あなたの思っているよりも少ないですから、
周りに競争をするような、競争というよりかは自分との競争をするという、
過去の自分から成長しようというようにですね、
日々を過ごしている人というのは想像以上に少ないですから、
そうしたことになるのは仕方のないことなんですけれども、
あなた自身が言うなれば人格のラッドレースと言ってもいいかもしれません。
そうしたことに巻き込まれないように、
こうしたですね、考えを持っておくといいんじゃないでしょうか。
人としてですね、〇〇という。
これは組織によっても違いますし、時代によっても違いますし、
一つの企業で言ってもね、ある企業では人として先輩上司に報告するのは、
何でも報告するのは当たり前だというような考えがあったとしても、
もう一方の組織では人としてそのぐらいのことは報告をせずとも
自分で考えるのは当たり前だというようなところもありますし、
様々なんですね。
本当に場所によってルールだとか、常識だとか、人として〇〇だとか、
そうしたものが全く異なりますので、
何か一つこれが正しいんだということはないんですよね。
考えてみれば、これもそうだなとなることなんですけれども。
私も一つの視点からしか物事を見ていないと、そうした発想に至ることがないですし、
人との組織だとか、そうしたものに長く所属をしていると、
だんだんとそうしたことを教えてくれる人も少なくなってきますよね。
その人よりもその組織に長いことを言う人は、
さらに色濃い偏見を獲得していってしまっているので、
そうした風土が出来上がっている中で、
あなた自身がそれに巻き込まれないようにですね。
本当に私自身も、会社員としては7つ会社をやってきたんですけれども、
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雇われでということですね。
雇われで7つの会社で働いてきたんですけれども、当然全部違いますから。
そうした経験があるからこうした人として丸まれたとか、
そういうことはどの状況にも当てはまるようなことはなくて、
自分を持っていた方がいいんだなということを思うわけですけれども。
ただね、その一つの組織に長いこと所属をしている人だとしても、
外部からの情報をインプットしているような人はその限りではないので、
そういった人はですね、会話をすればわかるんですけれども、
この人は一つの視点からだけじゃないなっていう人ね、いると思うんですよ。
なのでね、その人として〇〇はするということで。
誰が何を言ってこようとも、
それはその時代に即した、そしてその組織に即したことをその人が言っているだけなんだと。
そのようにですね、受け止めるのがいいですよと、そういうような話です。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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