説明を諦める意義
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、説明を諦めるという話をしていきます。
説明を諦める、ですね。
説明をしないという選択肢もありますということですね。
この説明というものは、あなたが相手に対して分かっていてほしいこと、知っていてほしいこと、アピールしたいこと、これは相手に伝えたいんだと、言いたいんだというようなことですかね。
今回のこの説明というものは、それらを総称しての意味合いになります。
これも人間関係ですよね。
自分の言いたいことを相手に聞いてほしい、説明をしたい。
そうしたことがあったとしても、時には説明を諦めるということもありますよというようなことで、
これはどういう人に対してあなたは説明を諦めた方がいいですよというと、言っても聞かない人ですね。
残念ながら、こうした人は一定数います。
もちろんあなたはそうではないですけれども、
人がお話をすること、説明をすることに対して、すべからく反論をしてきたり、否定をしてきたり、自分の話にすり替えたり、
そういう人は一定数いますよね。
あなたの周囲にそういう人がいたとしても、その人のことをバカにしたり、何かしらにしたりすることはなくて、
その人はその人でそういう生き方をしているわけですから、他の誰かが咎めるようなことでもないですから。
言ってあげる人がいないというのもまた悲しいことではありますが、本人はそれでいいと思って過ごしているので、
それはそのままにしておいてあげてください。
そうした相手に対してのあなたの対応ですね。
あなたが相手に対してどう対応するかということはあなたが決められることですから、
そういう人と、言っても聞かない人と遭遇した場合には説明することを諦めるということをする。
その理由はいくつかあると思います。
言ってもしょうがないから。
いちいち話すのも面倒くさいから。
本当は違うんだけれども、まあいいやというようにですね。
いちいち全部話さなくてもこの人はどうせ聞かないからいいやというように、
ある種の諦めるということをする。
これをすることによって2つのメリットがあるわけです。
1つはあなたがその話を聞かない、言っても聞かない、説明をしても聞かない人に対しての
かかざらうことがなくなる。
その人のことを考える時間がなくなる。
必要もなくなる。そこに思考のリソースを割かなくなる。
言っても聞かない人に対して、あなたも目くじらを立てていると、
どういうふうに言ったらこの人は聞いてくれるんだろうとか、
逐一否定反論をしてきて、どうしたらこの人を論破できるだろうかとか、
その対象の人がもしあなたの周囲にいるのであれば、
その人のことを考えるためにあなたの貴重な時間、思考を割かなければいけないことになります。
ですから諦めるという選択をとることによって、
もうその人のことはかやの外、あなたの思考からは出ていってもらって、
一切考えなくなるということ、思考が1つクリアになるということです。
思考のクリアな状態
それにもう1つ、諦めるということをすることによって、
それに気づく人もいるんですね。数は少ないんですけれども、
あなたが言っても聞かない人に対して、
この人は相手を見定めて言うことを、説明を一日全部しないなということに、
気づく人がいる可能性があるということです。
かつ、そうしたことに気づける人というのは、人格者であるようなケースが多いんですね。
いわゆる思考のベースが、考えていること、日頃思っていることが、
あなたと近しいような可能性があります。
当然こうした説明を諦めるという選択をとれるあなたも、
1つ人格者に近しい存在というようなことにもなります。
多くの人はそういうことで、どうでもいいようなことを話したりする場面も見かけると思いますので、
そこから一歩、段階を先にいるようなこと、考えていることが先にあるようなこと。
私もこういう表現をすると、少し棘があるように聞こえてしまいますが、
思考には、物事を考えるものには、やはりステージがあるわけです。
これも上下ということではなくて、左右、先か後かというような話なんですけれども、
どうしても、あなたより後にいる人とは話が合いませんから、思考のステージが違うということもあります。
ですが、あなたが、この人は言っても聞かないなということを判断した上で説明を諦めた、
というような行いを見ている人もいるわけです。
見ていても、それに気づく気づかないのもありますけど、気づくというような人もいる。
こういう人は、先にも言いましたが、人格者があるというのと同時に、
いわゆる社会的なステージというもの、思考のステージというものが先にあるようなことも多いです。
こうした選択をすると、一つ、大衆から抜きに出るということもあります。
大衆であってもいいんですよ、もちろん。
それは、いいか悪いか、好きか嫌いか、それを判断するのはあなたですから、
全然、大衆に紛れて属して生きていきたいということであれば、
それはもう、あなたの判断ですから、好きにしたらいいと思います。
この説明を諦めるということも、人間関係ですけれども、あなたがどうしたいかということですね。
それでも、なお、分かってほしいから説明をしたいということであればすればいいでしょうし、
そうして諦めるということもあるんだなということで、
もう散々言ってきたけれども、この人には言うのやめようというふうにしてもいいですし、
それはもう、当然あなたの自由ですから、好きな方を選んで実行してみたらどうでしょうかというようなことですね。
つまり、何が言いたいのかというと、説明を諦める。
この説明というものは、言いたいこと、伝えたいこと、話したいこと、
あなたが相手に対して説明をしたいというような、その総称をとって説明というふうに表現しています。
それで、言っても聞かない人がいる中、一定数いるわけですよね。
もしかしたら、あなたの周囲にもいるかもしれないです。
そういう人に対しては、あなたがそういう人のことを考えるための思考のリソース、時間のリソース、
作る必要はないですから、諦めた上で、あなたの頭の中から出て行ってもらいましょうというようなことですね。
これをすることによって、メリットが2つあります。
それは、あなたの思考がクリアになる、その人のことを考えなくなるからクリアになるということですね。
もう1つが、あなたがそのような判断をして実行に移したということに、同じような思考のステージにいるわけですから。
はい。ありがとうございました。