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どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、逆説というテーマで話をしていきます。
はい、逆説。逆さまと説という字で逆説ですね。
いわゆる反論、相手が言ったことと別の意見を言うというような時に、
あなたはそうは言っているけど、私はこう思いますよというようにですね。
違う意見を述べる時に、どのように振る舞うかというようなことですかね。
誰かとコミュニケーションを取る際に、相手の言っていること、
それをあなたの思うことと別の意見だとして、違うことだとあなたが思った場合に、
私はこう思うけどなと、なぜならこれこれこうだから、このようにですね、
言いたくなるような時、あるかと思います。
ストレートに相手の言ったことを否定しにかかったり、
違うと断言をしたりだとか、逆説を唱えるというようなこと、
通常の生活においてこのようなことは好ましいものではないかと思います。
いわゆるリベート、議論ですね。
そうした場において、さまざまな意見を一つのテーマに対して、
あらゆる角度から出して話し合うだとか、
企業で言ったら会議なんかもそうですかね。
その状況においては、逆説というものを提示して、
よりその空間にいる人々の思考が広まる、もしくは深まる、
そうした状況であれば、この逆説というものをストレートにですね、
私はそうは思わないんですけれども、これこれこういう理由でね、
それについてどう思いますかというように言った方がね、分かりやすいんですけれども、
日常の会話において、あなたが誰かと何気ない会話をしている時だとか、
そのようなものを決めるような場ではなくて、
普段の会話の中においてですね、これも習慣、癖ではあるんですけれども、
いや、でも、だって、しかし、こうしたあなたの言ったこととは違いますけどねというように、
逆を言うような言葉、逆を言うような言葉、
逆を言うような言葉、逆を言うような言葉、逆を言うような言葉、
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逆を言うような言葉、こうしたものをですね、言うと、
多くの人は違和感を感じると思います。
なんで否定をしに来るのというようにですね、
その相対している相手との間に不協和音が流れるというか、
そうした空気感ですね、あると思うんですけれども、
そうした場合において、とはいえ、自分はそうは思わないからというような意見を述べたいときに、
相手が言ったこととの逆の説を唱えたいときに、
あることをしていると、よりひどいような状況になるので、
そのあることではなくて、このようにしましょうというようなものがあるんですけれども、
そのあることというのはですね、
どこどこの誰々がこう言っているから、だからそれは違うと思うよ、
だから私はそうは思わないな、
そのようにですね、今あなたがコミュニケーションをとっている相手、
そしてあなた、もしくは他の人もその場にいるかもしれませんけれども、
その場にいない人がこういうふうに言っているから、
だから私はそれも違うと思うよというようなことを伝える、
このようなことを言う、
これはですね、相手からすると自分の意見でもないのに、
なぜどこかの誰かの話を持ち出して、
今私が言ったようなことを否定しに来るんだろうというように、
思われかねないというようなことがあります。
逆説を唱えたいときに、
自分の意見ではなくて、
どこかの誰かがこう言っているというような、
今の時代はですね、どんなことに対しても、
何かの意見に対して逆を唱えている人はいると思います。
調べればすぐ出たりだとか、見聞きするだとか、
これだけ情報が行き交っている現代ですから、
逆を唱えようと思えばいくらでも唱えられるわけですよ。
それは外部から情報を拾ってくれば、
相手の言ったことに対して違うというようなことを言えるわけですね。
このようなことをしてしまっているというように思う場合には、
これはあまり使わない方がいい手法ですね。
いわゆるソース情報源、これがどこだとか、
通常の会話、日常のコミュニケーションにおいては、
学者さんだとかね、そのようなことでもない限りは、
どうでもいいことじゃないですか。
あなたが言ったことに対して私は違うと思う。
それはどこどこの誰かがこのように言っていたから。
あゆる否定癖のあるような場合だとかね、
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自分の方が正しいというようなことを言いがちな場合には、
どこかの誰かがどう言っていたからこうだよと、
彼に逆にあなたがそのように言われたらどう思うでしょうかと。
だから何でしょうかというふうに思うと思うんですよ。
でもそれってあなたの意見じゃないじゃないと。
それなのになぜ私のことを否定するのというように思うようなことがあると思います。
ですので、
相手が言ったことに対して何か違う意見があるなというような場合には、
言うのであれば自分の意見を言うということです。
それ以前に相手が言ったことに対しては、
肯定をして受け止めて相手に聞いてもらえる姿勢を整えてから
自分の意見を言うというようなことがあるんですけれども、
相手が言ったことに対して違う意見を言いたい。
逆の意見を述べたい。
自分はそうは思わないから。
あるならば、
言った方がいいと思います。
見方によっては、
そして第三者、いわゆる今その場にいない人、
別の情報源を引っ張り出して言うことによって、
逆説を唱えるにもかかわらず、
相手が言ったことに対しては、
相手が言ったことに対しては、
相手が言ったことに対しては、
相手が言ったことに対しては、
言うことによって、
逆説を唱えるにもかかわらず、
私には非はないと。
なぜならこのようなことを言っているとある有名な人がいるから。
虎の意を借るなんて言いますけれども、
第三者の牽引性を借りるというようなことは、
特定の場面においては重要なことになるようなこともありますし、
当然私もそうしたことを引用することはあるんですけれども、
ことは日常のコミュニケーション、会話というものにおいて、
逆説を唱えたいという場合に、
あなたが言ったこととは違う意見を話しますよという場合には、
どこかの誰かがなんていう話を持ち出したところで、
相手との関係性を悪くするだけですから、
必要のないことですよね。
ただこうした習慣というもの、惑星というもの、
とりわけ仕事なんかで、
仕事なんかで、そのように第三の情報源があった方が、
より説得性が増すというような業務に携わっている場合には、
それが癖となっている場合がありますので、
習慣となっている場合がありますので、
日常とそのような場面においても、
ひょっとすると使ってしまっているかもしれない。
これは確かに牽引性を借りてきて説得力はありますが、
逆を唱えた私に対して攻撃性を示さないでねというようなことと同時に、
その発言に責任を負わないようにあえて防御を固めているというような、
そのようにも捉えられるわけです。
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であると、あなたと相対している相手からすると、
今はそのような場ではないですよというように思われるようなこともあるかと思います。
ただ普通に話をしているだけなのに、なぜか否定をされる。
しかもその否定、逆説の唱え方が自分の意見でもなくて誰かの意見だというような、
何なんだろうこの人だというようになりますので、
つまり何が言いたいのかというと、逆説というようなこと。
こうして日常会話において話をしている相手に対して、
逆の意見を言いたくなる場合があるというようなことが発生した場合に、
どこかの誰かがこう言ってますよというようなことを引き合いに出していませんかというようなことで、
これは相手からすると、どこかの誰かなんてどうでもいいですから、
情報源がどこだとか、そんなことはどうでもいいですから、
言うのであれば自分の意見を言うというようなことですね。
主体性を持つとこのように逆説を唱えたい場合においても、
どこかの誰かが言ったからというよりかは私がこう思うからというように、
真っ向から自分の意見を述べるようなことができるようになります。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。