2024-08-07 10:17

してあげてる理論

理論と言うとそれっぽく聞こえるのはなんででしょうね。言いたかっただけです。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、してあげてる理論というテーマで話をしていきます。
はい、してあげてる理論、ですね。
理論でもなんでもないんですけど、ゴロがいいんでね、してあげてる理論。
なんかゴロがいいですよね。まあどうでもいいんですけど。
してあげてるというようなこと、誰かに何かをしてあげてるというような感覚がある場合に、
陥りやすいですね、思考の罠というものがあります。
誰かに何かを頼まれたとして、お願いされたとして、依頼をされたとして、あなたが自分のためだと思わずに、
誰かのためにやっているというようなことを感じた場合に、このしてあげてるという感覚が頭をもたげてくるんですけれども、
そうした時にですね、陥りやすい思考の罠というところ。
あとは、どのようにすればその罠にはまらなくなるのかというようなことですね。
誰かに何かを頼まれた時に、あなたはどのように感じるでしょうか。
やってあげてる、してあげてる。あなたが私にこう言ったから、私はあなたのためにこのようにしてあげている。
そうした状況なんだから、何かしらの前情報、あなたがやってくれと言ったことに対する付随した情報、お膳立て、
そうしたことをするのが頼む側の当然やるべきことでしょう、当たり前でしょう。
このように感じることがあるかもしれませんし、
してあげているからこそ、自分の方が偉い、立場が上になった、
だから相手に対して攻撃的な態度をとってもいいと、自分自身を無理やり正当化するというような、
そうした接し方をしてしまう、そのようなこともあるかもしれません。
このような対応をですね、誰かに何かを頼まれてあなたがしてあげている状態の時に取った場合には、
おそらくその相手との関係性はうまくは行かないことだと思います。
少なくとも、この人いい人だなぁというようにですね、喜んでもらうというようなことは難しくなってしまうかと思います。
例えば組織の上下の関係だとか、年が上だとか下だとか、そうしたことが加味してくると、
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してあげているということに拍車がかかるわけですね。
平たく言うと、相手に対して不満が募ることがあるというようなことですね。
なぜこのような思考になるのか。
それは、してあげているというようなことが、あなたにとっては自分のためではなくて、相手のためにしてあげている。
自分の時間を犠牲にしてまで、自分の活動、行動を制限してまで、相手のために頼んできたから、仕方ないからやってあげるよと、
そのようなですね、感覚で行っているからということになります。
であるならば、どのように思考をすると、こうしたしてあげている理論というね、罠にはまらないようになるのか。
これは二つのことを意識をするといいかと思います。
一つは、あなたに依頼をしてきた相手、その相手の状況を知ろうとする。
つまり、どういった背景で、どういう戦いがあって、あなたに対してそのことを頼んできたのか。
そうした相手の状況というものをですね、知ろうとしてあげるというようなことですね。
それは、相手に対して何かを依頼されたときに、
わかった、やりますよ。
ちなみにどういった理由なんですか?というような質問をすることによって知れるわけです。
その場合にね、相手の背景を知るというようなことで、納得してやってあげるようなことができるかもしれません。
そして二つ目にですね、
してあげようと決めたのは、あなた自身なわけです。
断ることも可能なはずですよね。
何かしらの制約があって、受けざるを得ないというような。
そのようなことは、依頼だとか頼まれた、お願いされたということではなくて、命令ですから。
命令を受けているというような状況ですから、
してあげてる云々、依然の問題です。
してあげてるも何もないわけですよね。
何かしらの制約があって断れないようなことを言われた場合には、
あなたが相手のために何かしてあげているというよりかは、やらざるを得ないというような。
社会でね、生活をしているとそうしたことも起こり得ると思いますので。
その命令というものに従わざるを得ない状況、これはしてあげているということには当てはまりませんので、
そうしたことはですね、今回は一旦置いておいて。
そうではなくて、してあげようと決めることができる状況、
断ろうと思えば断れる状況、
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そのような場合において、いくら相手が心の底から懇願をしてきたから、
場合によってはね、涙を流しながらあなたに、心情に、良心に訴えかけて、
何かやろうと、やってくれというようなことを言われた場合に、
最終的に、相手に依頼をされたことをしてあげようと決めたのは、あなた自身なわけです。
その上で、必要としてくれたこと、あなたを頼ってくれたこと、
こうしたことに感謝をするというようなね、思考を持つということです。
先に挙げた、いわゆる不平不満、そのようなことがですね、
してあげているという状況で湧き上がってくる場合には、
一つも自分のためになっていない、むしろ自分自身のことを犠牲にして、
相手のために何かをしてあげている、というような思考の罠に陥っていると、
湧き上がってくることですので、してあげようと決めたのは自分自身なんだ。
そして、自分を必要としてくれて、頼ってくれて、ありがとう、
このようにですね、感謝をするというような思考ができたならば、
してあげているというようなことが、相手のためのみならず、
あなたのためにもなっているという、自分自身のためにもなっているというような、
受け入れ方をできるわけです。
そうなると、どこかの誰かに依頼をされたこと、喜んで引き受けたくなりますよね。
つまり、何がですね、言いたいのかというと、
このような状況が発生することがあるかと思います。
そのことに対して、どのように思考をすると、考えるといいのかと、
そして陥りやすい罠というものがあるということで、
罠の方はですね、やってあげているんだから、もっとお膳立てをしてくれよと、
それが依頼をする側の、当然やるべきことでしょうというように、
あなたの当たり前を押し付けてしまう、そうした懲り固まった思考を持っている、
もしくは、してあげている、
イコール自分の方が偉い、イコール攻撃的な態度をとってもいい、
相手に何を言ってもいい、
そのように自分自身を無理やり正当化してしまうというような、
そうした愚かしいせし方、こうしたものをしてしまうようなこともあります。
してあげているということに対して、不満を感じる場合には。
そのような時に、どのような思考のパターンをすれば、罠に陥らないのかというようなことで、
一つは、相手の状況を知ろうとするということ。
どういう経緯があって、自分自身に依頼をしてきた、頼んできてくれたんだということを知る。
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そのためには聞いてあげるというような。
さらに、してあげようと最終的に決めたのは自分だと。
思いはさず断ろうと思えば断れることは断れた。
ただ、やろうとしてあげようと決めたのは自分であって、
その上で自分自身を必要としてくれた相手に対して、
頼ってくれてありがとうというように感謝をするということですね。
ともすれば、かつて感じていた不平不満、このようなことは起こらなくなります。
むしろありがたいというふうに思うようになって、
そのような思考パターンで人と接した場合には、
おそらく良好な関係が築けるようなことになるかと思います。
仮に今、そうしたしてあげているという状況で罠にはまっているなということがあれば、
こうしたことを思い起こしてみていただくといいかもしれません。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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