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はい、どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということでですね、今回は、
社会人なら知っておくべき、なんていうことは1つもない、
というようなね、テーマで話をしていきます。
ちょっとね、長いんですけど、テーマはね、社会人なら知っておくべき、なんていうことは1つもない、と。
これね、よく言いますよね。
特に、勤め人なんて人であれば多いんじゃないですか。社会人だったらね、それぐらいできて当たり前だよ、とか。
社会人になったんだから当然だよ、なんていうね、なったんだからは、あれか、の学札のね、なんていうんですか、
まだ数年しか経ってないような人がね、
いわゆる社会人歴が長いと、おじさん、おばさんたちにね、こう言われるような。
これね、社会人なら知っておくべきっていうのって、何なんですかね、これは。
こういう発想が、私自身はね、嫌いなんですけれども、
〇〇なら、
何かのその括りにしているわけですよ。
これは、
いつ、どこで、誰が決めたかも、
よくわからないような、
その括りに、一括りになって、
こうですね、その、
それをですね、その声をかけられた人、もしあなたがこういう言葉をかけられたことがあるのであれば、
それは一つ、あなた自身の幕を増やしているっていうことになるんですよね。
そうですね、こういった発想というか話、こういったものを知らない状態で、
無垢な状態でそういったことを聞いたならば、
納得させられてしまう危険性があるわけですよ。
ああ、そうなんだと。
社会人なら、そういうことは知っておくべきだったんだと。
これは、言ったら、社会人の常識、社会人の当たり前。
あなたはそれを得たいと思っていないにも関わらず、
それを与えられてしまっているわけなんですね。
いわゆる一種の洗脳と同じなんですよ、これって。
これはね、社会人なら知っておくべき、こんなことは一つもないんですよ。
こんなことは一つもないんですけれども、あなたが知っておくべきことはあるかもしれませんよね。
その、あなたが知っておくべきことは、あなた自身が決めることであって。
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ただこの、あなた自身とあなたが思っているもの、その考え方、
ひょっとするとそれすらも、
いつか、どこかで、誰かに、表現をね、わかりやすく言うと、
いわゆる洗脳をされている状態のあなたが発想するもの。
そういうことになりかねない。
対外的にはですよ、対外的には今見えているあなたが、相手からすると全て本当のあなたなんですけれども、
あなた自身、あなた自身の人生、社会人なら知っておくべきだとか、
もしくは、今の社会に揉まれた状態のあなたが、自分自身で、あなたが知っておくべき、自分が知っておくべきということはあるかも、というようなこと。
これを思ったときに、本当にその人生で、たった一度きりの人生で、本当にそれでいいんですか、と。
軽感も兼ねた、一つのメッセージというか。
生まれながらにして、何か考え方、こういったものが、誰かの影響を受ける前にあったその自分自身、生まれたときの自分自身、
そうしてこの社会に成長していくにつれて得ていった何かしらというものは、全て誰かの手垢のついたものなんですよ。
それをね、分かった上で受け入れると。
世の中そういうものなんだ、というようにですね、受け入れる。これはですね、別に悪いことではないです。
それをね、知った上で、理解をした上で、その上で納得をして生活をしていくと。
これはですね、全く悪いことではないんですよ。
むしろ、誇るべき、その許容力、そうしたね、心を育んできたこと、そのこと自体が素晴らしいこと、良い魂の持ち主だという証なのでね、
それは誇るべきことなんです。
ただそうではないと。
このね、私のこの話を聞いていただいて、一つでもハッとするようなことがあるのであれば、
これは何か、これまでの様々な現象、事象、情報、知識、
そうしたものに、そうしたものたちによって、真なるあなた、
その真なるあなたの周りに、皮が一枚一枚貼り付いていって、
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実はそれは、あなたが今思っていること、考えていることは、
本当の、真の、自分自身が思う、自分ではないの、自分ではないのかも。
これはね、世の中が上手く回るように、
一部のですね、人たちが、いわゆる異性者と、
それから一般大衆と、あえて分けるとするならばですよ、そういうね、なんとなくイメージはあるかと思います。
その異性者たちが、一般大衆をですね、強い言い方をすると、洗脳ですよ。
するためにですよ、洗脳をするために。
解いていった様々な○○なら、何々を知っておくべき、こういうね、考え方。
多くの人はですね、その周囲の大人たちに、そうしたことを言われて育ってきていると思うんですよ。
ではその周囲の大人たちは、あなたがかつて何もわからなかった、何も知らなかった状態の時に、
それを教えてくれた大人、親なのか教師なのか、
知らないおじさんなのか、近所のおばさんなのか、
その彼ら彼女らは誰に教わったんですかと、そうしたことをね。
その教わったこと、教えられたことをそのまんままた次の世代へ伝えて、そうしてですね、皮を何重にも重ねていくわけですよ。
玉ねぎの皮みたいなね、おもんなんですよ。剥いても剥いても、皮が一枚一枚どんどんあって。
たとえがね、玉ねぎで恐縮なんですけれども、あなたが、真のあなたが玉ねぎの真だとするならば、
そのですね、もう皮のついた泥のかぶったその状態の玉ねぎになっていませんかと。
そんなようなことなんですよ。本当に。
コミュニケーションというところも一つ。
何々なら何々でおくべき。社会人なら知っておくべき。
そういう、洗脳に代表されるような言葉というか、そういったものをですね、受け続けてきたがために、本来は何の制限もなく、
話をね、コミュニケーションというもの、こうしたものをできていた、もともと備わっていた技術、
そういうものをですね、封印していってしまっている。封印されてしまっている。
そういったようなですね、発想もできるわけですよ。
今、その、コミュニケーションを取ることが苦手だとか、
思ったように話せないだとか、ということがもしね、あったりして、それは〇〇なら何々でおくべきだとか、
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そういったことも一つ要因としてあるんですと。
これは、あれですね、見栄とか恥とかプライドとかも全部そうですよ。
誰が何のためにそんなものを必要としますかと。
そういったですね、いわゆる源流の根本の部分を考えてみると。
はたとね、こう気づいて、そういったことに立ち返って、そういえばなんでだったんだろう、なんでだったんだろうと。
そのね、ふと思い立って立ち止まって、今あなた自身が思っていること、考えていること、これは果たしてどこから来たものなんだと、
いうことにですね、思いを馳せてみる。そういったことをするのもですね、一つ気づきをですね、得るきっかけとなりますので。
この社会人なら知っておくべきという、そういうことは一つもないんだと、いうことを強く私は主張したいわけです。
あなたが知っておくべきことはあるかもしれないんですけれども、ただ社会人なら知っておくべきなんてことは一つもないと。
これは、そう、そうなんです。
そういうことなんですよ。
ということでですね、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。