過剰なサービスとは
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、過剰なサービスという話をしていきます。 はい、過剰なサービスですね。
これは何というか、サービスをする側とされる側、もてなす側ともてなされる側といいますか、その人と相対する中でポジションがあると思うんですよ。
その中でも、特に金銭が絡み合う場合、ですから職業においてという側面が強いですかね。
従業員とお客、取引先において受注をする、発注をする、依頼をする、されるという、そういうですね、双方の関係性の中において、
いずれの立場においても、コミュニケーションという観点から見て、何を意識をしておくといいですよという、そういうところですね。
サービス提供側の視点
というのもですね、過剰なサービスというテーマですけれども、それをする側、される側、いずれにおいても過剰なサービスをしなければいけないとか、過剰なサービスを求めてしまうというのは、
そのあたりにおいて、いわゆる相応のサービスというものがあるわけですよ。相応というのは、金銭のやり取りが発生する場合、値段相応という見方ですよね。
結論から言えば、標語としては、する側はそれ以上を、される側はそれ以下をというような表現になるかと思います。
する側、される側、双方の視点からですけれども、まずはそのする側ですよね。サービスをする側。
これは、される側でもおそらく同じような表現をするかと思うんですが、わかりやすい例えで、飲食店にしましょうか。
あなたが働いたことがある、ないに関わらず、自分がサービスをする側ということをイメージしてみてください。
1000円のランチを出すお店で、そのサービスをする側のあなたは、至れり尽くせりのサービスをする。
お客さんが入ってきたら、サービスを受ける側が入ってきたら、挨拶をして、席に通して、お部屋を出して、
メニューを聞いて、提供もスムーズにこなして、きっちり丁寧な言葉遣いで対応をして、というようにやるとしますよね。
そんな中で、値段相応というものがあるわけですよ。ちょっとやりすぎかなぐらいまでのサービスというものが、
特に日本においては、別にそこまでする必要はないんじゃないかなと思うようなサービス。
これは受ける側からしたら、ありがたい値段以上の価値を与えてもらったというようなことになるので、非常にありがたいことではあるんですけれども、
仮にする側としての意識として、別にそこまでする必要はない。
まあしてもいいんですけどね。むしろした方がリピーターになってもらえるというようなそういうメリットはあるんですけれども、
しなければいけないというような意識は別に持つ必要はないということがまず一つ言えますね。
これは別に、例えば飲食店を使いましたけれども、それに限らずサービスを与える側は、
果たして自分のサービスのレベルは足りていないんじゃないかと、そこまで過剰に考える必要はないということですね。
それは別に受ける側の人の感性にもよるものですけれども、そこの値段のサービスに足りてる足りてないというものは、
あくまで相手が判断するものであって、サービスをする側であるあなたが判断することではない。
もっと言うと、肩の力を抜いてこのぐらいでいいかなというような対応でも回るというような、場は収まるというような、
相手も納得してくれるというような、そういう状況も往々にしてあるという意識をしすぎないということですね。
過剰にサービスをしすぎようと頑張りすぎないということです。自分を追い詰めないということですよね。
サービスを受ける側の視点
もう一方でサービスを受ける側、される側ですね。先ほどの飲食店の例でもう一度言いますけれども、
例えばあなたがランチ1000円のお店に行ったとして、存在の扱いを受けたとしましょう。
呼んでもなかなか店員さん来ないし、料理を提供されるスピードも遅いし、味もいまいち美味しくないし、帰りもぶっきらぼうだし、みたいな、
そういう予想とされるサービス以下の対応を受けたとしても、そこに腹を立てていても何も生まれないんですよね。
過剰なサービスを求めるがあまり、実はその値段設定の相応のサービスであったのにもかかわらず、
ある意味で期待をしすぎてしまっていた、その期待を下回ったサービスを受けたから、相手に息取りを感じてしまう。
それは過剰なサービスをもしかしたら求めていたからなのかもしれないという、この辺りが言えるわけですよね。
過剰なサービスの基準と心構え
分かりやすいように過剰なサービスというところで、する側、される側という双方の意見がありますけれども、
それはどこを基準にしたらというのは、資本主義の世界で生きる私たちにとっては金銭の価格、この値段だったらこのぐらいのサービスがあるだろう、
1000円のサービスだったらこのぐらい、1万円だったらこのぐらい、10万円だったら100万円だったら1000万円だったら、
そういう値段によってサービスをする、もしくは受けるという、その質は当然のように変わってくる、これが当たり前なんであるというような意識を持っていくと、
無理に頑張りすぎることもなく、期待をしすぎることもなく、望みなくサービスをする、されるということが可能になるんじゃないかなと思います。
つまり何が言いたいのかというと、過剰なサービス。
これはサービスをする側、される側というものがあって、過剰である、過剰ではないという、
どこに基準を置くのかといったら金銭という価値、そこに相応なのかどうかという見方。
そして双方からの視点でいうと、サービスをする側はその値段設定以上のサービスをしようとする。
される側はそれ以下を想定する。
また別の言い方をすれば、サービスをする側は頑張りすぎず、される側は期待をしすぎずということにもなります。
とにかくこの過剰であるサービスという、特に日本においてはというところで言いたいことは、それ相応の見方というものがあるということ。
もし仮にサービスをするされるというところで、これは何だかちょっとなというふうに思うところがあれば、今回の内容を参考にしてみてください。
ありがとうございました。