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どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、属性による偏見というテーマで話をしていきます。
属性、これによる偏見ということですね。
属性とは、例えば何歳だとか、どういう仕事をしているだとか、職業、役職、肩書き、
どこの誰で何をしている人、もしくは何をしてきた人、これらが属性ですね。
個人に付与するもの、何かしらによる属性によってあなたが誰かを見る際に、ある種の偏見を抱くというようなこと。
こうしたことがあるかと思いますが、
それは、あなた自身にも、自分を見る時に属性による偏見というものが、覆いかぶさっているようなことがあります。
ですから、このような人を見る際に、何かしらの属性による偏見があるなというようなことを知っておくといいんじゃないでしょうかということで、
例えばね、あなたが誰かと話をしますとなった場合に、今目の前にいる人。
その人がどういう人であるのか。男性であろうが女性であろうが、今自分の目の前にいる人は一人の人間であると。
それに付随したものは何なんだろうなというようなことを、会話の中で判明していくようなことがあるかと思います。
例えば仮にあなたが40歳だとして、相手が50歳ですと。
ああ、年上の人か。
30歳です。
ああ、年下の人か。
それによって言葉遣いを変えたり、敬語を使ったり、ため口を使ったりだとか。
わかりやすく言うとね、
例えば普通の会社員ですとか、何々を経営していますとか、
ある大企業の役員ですとか、中小零細の管理職ですとか、役職や肩書きですね。
このようなものがあったり、職業であって、
サッカーをしていますとか、プロのスポーツ選手でスポーツをやっていますとか、
パイロットですとか、教習所の教官ですとか、
無数にありますよね。言い出したらキリがないと思いますが。
また名詞に書いてあるもの、肩書きを見て、
この人はそういう人なんだなというような偏見が自分の中で形成をされていくわけです。
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いいとか悪いじゃなくて、これらの情報から会話が発展するようなことになりますから。
自分と年が近ければ、若かりし頃に同じような当時流行をしていたもので盛り上がることもあるでしょうし、
職業だ、役職だ、肩書きだというのもどこそこにある会社ですよね、
名前聞いたことありますよとか、いろいろ会話の発展の糸口になりますので、
別にこれがいいとか悪いじゃなくて、
そういうものによる偏見、つまり属性による偏見というものを抱きますよね。
これは相手にもそうなんですけど、自分自身にもそうした属性による偏見というものがかかるというようなこと。
相手は相手でね。
たとえそれがどのような偏見であろうとも、個人が抱くものですから、
それは思った通りに思えばいいと思いますが、
自分自身に対しての偏見というもの、
過去に何々をしてきたから、今後もそうなるだろうとか、
今がこうだからずっとこうだろうとか、
こうした自分自身に対する属性による偏見というものを持ち合わせていると、
良くも悪くもそのままでい続けるということになります。
特段ね、今から何か変化を望んでいるだとか、
新しい知見を取り入れるだとか、そのようなことを考えていない場合には、
自分自身に対してもそのままの属性による偏見というものを持っていればいいと思いますが、
何か現状から違う状態へと変化していきたいだとか、
今のままの状態じゃちょっとまずいかもなと、
そのように思うようなことがあるのだとすれば、
まず自分自身が自分自身のことを属性によることの偏見として確立しているなということを知るということですね。
そして改めて意識を向けてみないと、
今あるものを解くということができないですから、
それはね、自分自身が今どういう考え方をしていると、
それがどこから来ているのか、
なぜ自分自身のことをそのように見ているのか、
つまり自分の属性が何だということを理解をするというところで、
分かったものに対しては対処が可能になるわけです。
今このような属性を持っているから、
それによって自分自身のことを偏った目線で見ているから、
一旦これを解こうと。
靴紐を緩めるかのように、自分自身に対しての余白を作るというような。
ぎゅうぎゅうに靴の紐を締めていたら、靴脱げないじゃないですか。
自分自身に対しての偏見、こうしたものを一旦解かないと、
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他の何者も入る余地がないですから、
脱いで新しい履物を履くこともできませんし。
ですからまずそのことに対して理解をする。
自分がどのような属性から来ていて、
そしてどのような偏見を抱いているのかということ、
自分自身に問いかけてみるということ。
何かしらの変化を望むのであれば、
こうしたことをやってみてもいいんじゃないでしょうか、
というようなことですね。
自分の属性を解いてみることができるということは、
相手の属性も解いてみることができるということになりますので、
変化を望むのであればと言いましたが、
いずれにしても自分自身がどこから来たのか、
今どうなのか、今後どうなのか、
このようなことを何事の制限もない状態、
何者にも縛られていない状態、
偏った目線がない状態で見てみるというのもいいかもしれません。
つまり何が言いたいのかというと、
属性による偏見。
こうした見方があります。
それは相手にもそうですけれども、
自分自身にも偏見というものがかかっている。
例えば何歳であるとか、職業が何だとか、役職があれだとか、
肩書きが何だとか、家族構成がどうだとか、その他諸々ね。
自分自身という、裸でいる個人という状態に
幾重にも重なっている属性。
これがどういうものなのか。
相手がどうということは相手が決めることですから、
それはいいんですけれども、
相手にそのような属性をかぶせているということは、
自分自身にもそうした属性による偏見がかかっていますよと。
これは変化を望むと望まずあるとに関わらず、
一旦自分自身がどのような属性を用いているのか、
そしてそれによってどのような目線で自分のことを見ているのか、
過去を何々をしたから、今がこうだから、今後もそうだから、
そうした一元的な見方ではなくて、
今の自分はどのような属性で自分のことを見ているのかな、
というようなことを解いて見れるようになると、
相手のことも解いて見ることができる。
つまり偏りのない目線で見ることができるということですね。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。