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2025-08-18 15:56

歴史の主役ではない「石」が語る、時代を超えた ”強者との出会い”

力石(ちからいし)って知ってますか?

昔のストロングマンとの勝負を、数百年たった現在でも可能なハードウェアと、脆弱で汚染が始まったネットの記録についてお話ししています。


この番組は、西暦3000年の、未来を生きる人類に向けて、

現代人が日々感じることや、ワクワクする未来への想いを発信し、

今を生きる皆さんと一緒に、未来に音声を残そうとする番組です。


BGM素材:DOVA-SYNDOROME、効果音ラボ


X@echo3000_radio https://twitter.com/echo3000_radio

感想等は #echo3000 でツイートしていただけると喜びマス

サマリー

このエピソードでは、力石という歴史的な伝承や祭祀に関連する石について語られています。ドスコイ坂本さんが250キロの力石を持ち上げる様子が紹介されており、力石は過去のストロングマンとのつながりを感じさせる存在です。現在のメディアの脆弱さと対比しながら、力石が持つ未来に残る価値についても考察されています。そして、デジタルの儚さに対するアナログの素晴らしさが再認識され、時代を超えた文化の保存の重要性やハードウェアの役割についても言及されています。

力石の紹介
西暦3000年の未来を生きる人類に向けて、今を生きる現代人が感じることを音声として残すことを、この番組のテーマにしているんですが、
それもあって、歴史の教科書に出てくるような、時代のメインストリーム、例えば
平安時代の枕草史とか、源氏物語、みたいな、一般的な物語というよりは、
民話ですね。 例えば柳田九龍の塔の物語、みたいな、
その地を生きる人たちの逸話、伝承みたいなものが、より惹かれることが多いなって感じるんですよ。
先日、大阪の方で大人気な番組として、探偵ナイトスクープっていう番組があるんですけど、
その中でちょっと今回興味を持ったものがあったので、お話ししたいんですけど、 皆さんって、地下雷史って知ってます?
この地下雷史なんですけど、 全国の神社とか石碑とか記念碑とかの近くに転がってたり、
鎮座していたりする巨大な丸石のことなんですね。 これは例えば神社の
祭祀とか、成人儀礼みたいなところで、 持ち上げる用途として使われた石になります。
この石なんですけど、今も各地に残っているようでして、 この探偵ナイトスクープの中でも
紹介がされていたんですけども、 この探偵ナイトスクープという番組は、視聴者の方から寄せられた様々な
依頼に対して、番組の中での所属をしている芸人さんとかが探偵として解決していく番組になるんですけど、
この力石を題材とした依頼では、 ある依頼者の方が
神社に神社されている 約250キロの
力石を持ち上げるところを見てみたいということで、 各地から力自慢の方を集めて、
その持ち上げる様子を見守るというようなエピソードになっておりました。 最終的に
ドスコイ坂本さんという、全国各地の力石を上げて回っている方がいるんですけども、 この方がパワーリスティング選手の方とかレスラーの方が上げられなかった
250キロの石を持ち上げるということで、 依頼を完了したわけなんですけど、
歴史的背景と文化
このなんかドスコイ坂本さんという方はすごい方で、 全国200ヶ所以上、300個以上の力石を上げていた
ツワモノということで、 すごいなんか
上げ方がすごかったんですよね。 ドスコイって言いながら
ガバッと石を掴んで、持ち上げるというところだったんですけど、 僕が今回この力石というところが面白いなと思ったのは、
持ち上げている様子というよりは、 この力石という存在なんですよね。
この力石には、 過去持ち上げた人の名前と住所が刻まれているものがあったりしてですね、
中には石の平蔵という人がいるんですけど、 江戸時代の末期の方で、
なんか関東の29の力石に名前が刻まれているというところで、 面白いなと思ったんですよ。
なんかこういう歴史の教科書とかには出てこないような、 でも実際にあった、その時代を生きていた人の痕跡っていうのが、
石という形で、150年、200年、もしかしたらもうちょっと前のもあるかもしれませんが、 全国各地に残っているというところが、なんか面白いなと思ったんですよね。
この力石の起源なんですけど、調べた限りだと、 もともとは力を競う民族行事として、
江戸時代の中で盛んになっていたというふうにされているんですけど、 刻まれているものの中で一番古い
力石というところで言うと、東京の江東区にある神社らしいんですが、 1664年というのもあるということです。
この力石が江戸時代に流行っていたというところの理由の一つとしては、 もともと日本のこの神様の信仰じゃないですけども、
自然にいろんなものが宿っているというふうにみなして、神社とか祭祀とか 教室で使っていたというところがあったりとか、
昔は今みたいに機械とかじゃなくて、 労働の力となるものの中心が人間だったので、
その力を示すみたいなところっていうのにかっこよさといいますか、 娯楽的な要素があったというのがありそうですね。
今でもですね、岡山の方でこの力石を使ったような大会というのはまだあったりするというところだったり、
今もですね、いくつかの力石は文化財としていたりとかってところで、 すごく
脈々とですね、大事に文化継承とか伝統として残っているというのがあるんですけど、
現代との対比
一方ではですね、そこら辺の公園とか、そういうところに無造作に置かれているっていう、 苔が蒸しちゃったみたいなところもあったりするみたいです。
特にこの力石、なんかロマンみたいなものを感じているところは、 やっぱりですね、昔のストロングマンとの勝負を
数百年経った現在でもできるということかなと思ってるんですよ。 力石という、ある種ハードウェアを通じてですね、
昔と今のストロングマンがつながっているというところに、 なんか嬉しさと楽しさというところを僕自身は感じました。
例えばその250キロの石とかにもですね、 いついつにどこの誰が持ち上げたとか、
その石の重さとかも刻まれていたりするわけですけども、 それを上げるということによって、
昔の記録に挑戦するという、まあこれはある種オリンピックとか、 そういったものに近い要素もありますけど、
なんかワールドレコードに勝負するみたいなところを今でもできちゃうというところに、 なんか面白みがあるというか、
アナログの時代で記録もなかなか残らない中でも、 そういったものが各所に残っているところに、やっぱり面白さを感じましたね。
一方でですね、 この時代のメインストリームじゃない民族とかカルチャーというところで名前を残すというところについて、
この昔は石というハードウェアを使っていたからこそ、 こうやって200年300年もっと残ってきているわけなんですが、
現代人の活動って逆にすごく脆弱だなというふうにも感じたんですよね。 今のメインストリームというのは、
オタクウェブとかが中心だと思っていて、 皆さんも感じているかなと思うんですけども、
紙でいろいろ残していた時代からどんどんとデジタルで記憶を取るっていう時代になってくる中で、 インターネットの文化というのがだいぶ普及したと思うんですよね。
僕らがインターネットに触れ始めたところとかで言うと、 僕はそんなに触ってこなかったですが、2チャンネルと言いますか掲示板文化みたいなもともとあって、
そこからだんだんとSNSも広がって、 大容量のデータも皆さんに拡散できるようになってきたというところなんですけど、
このインターネット文化の中で何かを残すというところは、 ある種脆弱というか、
例えばXみたいなプラットフォーマーで言っても、 そこの一存とか財政状況とかで簡単にデータがロストしてしまうというのはかなり厳しいなと思ったりとか、
生成アイというものが出てきたところによって、 ネットに無限に生成されるデータというところが
人間との区別がつかなくなってきたとか、 ある種汚染された情報が増えたというところによって、
例えば掲示板文化の中であったところで言うと、 なんか洒落にならない怖い話みたいなものが、
当時は本当なのかな、嘘なのかなっていうところを 結構楽しめていたりとかしたっていう人も多いかなと思うんですけど、
それすらもなんかもう全部ファンタジーでしょみたいになっちゃったりとか、 そういったなんか
本当なのかどうなのかみたいな、嘘か誠かの余白を楽しむというところが、 結構難しくなってきたなっていうところもあったりとか、
名前の観点で言うと、 何か自分の功績を残したいなという人にとっては、
インターネットの中における自分の名前をバーンと出るっていうのは、 拡散力が増えましたけど、ネットのブームの中の消費期限ってすごく短くなっちゃったので、
力石の価値
名声を上げられる期間、そして名が残る期間っていうのはすごく、 本当にすごく短くなっちゃったなと思ったんですよね。
そういった意味では、名前とか功績とか証をみんなネットの中で残そうとか、 このネット文化でも残していこうというところで、デジタルをベースとしたいろんなものを作っていくというのは多いですけども、
やっぱソフトウェアよりもハードウェアの方が残るんじゃないかなっていうのは、 やっぱり強く思うようになってきちゃいましたね。
それこそ曲とか音楽なんてまさにそうだと思うんですけども、 昔のレコードとかそういったものは寿命が長く持つわけなんですけども、ここから
デジタル配信になり、サブスクリーンになりってなった時に、 現状やっぱり配信が止まっちゃうと聞けなくなるみたいなリスクが結構あるようにもなってきましたし、
そういった意味では、まあアナログ回帰じゃないですけど最近もレコードブームと言いますか、 そういったのまた、また戻ってきたいとかもしてますので、
果たして自分はどこに何を残すのか、そういったところで選択肢の一つとして、 アナログを排除してしまうのは結構
脆弱だなというふうに改めて思いました。 この力石っていうところのなんかロマンで言うと、
今まだ残っているけど、将来的にも残り続けるんじゃないだろうかなっていうところもやっぱり、 その価値のあることだなと思ってまして、
例えば日本の人口が半分になってしまった 2100年頃とかですよね。
人間が住む場所は狭くなってしまったとはいえ、 自然の中で
朽ち果ててしまった灰神社の中にも、 おそらく苔むした状態で、この力石は残り続けてんじゃないかなと思うんですよ。
2100年の段階で、まあ僕みたいなくらいの年齢の人が 考古学者なりなんなり目指して
全国をフィールドワークする中で、そういった灰神社の中で 苔むした石に
刻まれた文字を見たら、 なんと江戸時代の200キロの力石を上げていたという男が
いたんだという証が書かれていて、 遠い昔の記録がこんなところに残っていたのかっていうところで、
なんかロマンを感じそうだなと思っていて、 そこがなんかこの力石の、なんか将来的に渡っての魅力となっているのかなと
いうのでいいなと思っているところです。 先ほども話しましたが、型やSNSのプラットフォームとか
アプリのところで言うと、 やっぱりサービス収量によって
いろんな文化も含めて残ってきた
テキストの履歴とか、 まあデータ的な資産ですよね。
そういったものが一緒にしてゼロになってしまうというところは、 かなり苦しいと思いますし、
もしかしたら皆さんももう経験はあるかもしれませんが、 例えばスマートフォンのゲームのアプリとかで
サービス収量みたいなところで、 せっかく今まで課金をしたりとか、何かしてきたものが
何もなくなってしまうというところは結構苦しいし、 やっぱりリスクがあるなと感じるんですよね。
そういった意味ではやはり、この一億総クリエイター時代ですけども、 数多くソフトな証がある中で、
ハードで残した方がいいものっていうのもあるんじゃないかなというのを、 改めて感じたというのが、今回この力石というものを知った上で、
思ったなというところです。 その中でこの番組自体もですね、
西暦3000の人類に向けて何か話すとか言ってますけども、 ネットの海だけに流すのが本当に未来に届ける最適解なのかっていうところは、
今一度再考してもいいのかなというふうに思いました。 そんな石というハードウェアの素晴らしさに改めて気づいた、
2025年8月の現代人でした。 ということでエンディングです。
ポッドキャストイベントの参加
今回は、力石の方が残ってるよというテーマで、 ネットの海に証を残すよりも、
ハードな現実世界に名を残す方が未来に届くのでは、というようなお話をしました。
話は変わりまして、7月26日に名古屋で開催された ポッドキャストイベント、ポッドキャストミスさんの方に
参加をしてきました。 やっぱりポッドキャストイベントっていいですね。
名古屋という場所を起点にしながら、 ポッドキャスターさんが交わるトークセッションというところを拝見してきたんですが、
番組ごとに会場の雰囲気も変わったりして、とても聴講者として楽しむことができました。
やっぱりリアルイベントっていいなぁと思えるイベントでした。 番組では感想をお待ちしています。
Xのハッシュタグエコー3000までお寄せください。 では今回はここまでです。
現代人の皆さんも未来人の皆さんもまた次回お会いしましょう。 じゃあね!
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