1. 拝啓、3000年の人類へ
  2. 写真1枚の価値変遷 / 食べれる..
2024-12-23 1:07:16

写真1枚の価値変遷 / 食べれる写真があってもいいじゃない?【time coordinate: 2024.12】

写真1枚の価値が変わったのはいつから?

今回は、写真にまつわるゲストをお招きし、お話をしていきます!


ゲスト:アルさん(おいでよ!あるスタジオ)

https://open.spotify.com/show/76PH4ey3R7ONfAeX1W3d1p



この番組は、西暦3000年の、未来を生きる人類に向けて、

現代人が日々感じることや、ワクワクする未来への想いを発信し、

今を生きる皆さんと一緒に、未来に音声を残そうとする番組です。


BGM素材:DOVA-SYNDOROME、効果音ラボ


X@echo3000_radio https://twitter.com/echo3000_radio

感想等は #echo3000 でツイートしていただけると喜びマス

サマリー

このエピソードでは、写真アルバムの価値の変化やデジタル時代における写真の捉え方について議論されています。物理的なアルバムからデジタル写真の共有への移行の中で、写真の重要性がどのように変わってきたのかが考察されています。デジタル写真の普及に伴い、フィルムカメラや古い写真の楽しみ方を再評価する動きも見られます。また、アナログとデジタルの写真の価値の変遷や、制約がもたらす楽しさについても考えられています。さらに、写真の価値が時代とともにどのように変化してきたのか、食べられる写真の可能性についても議論されています。オープンワールドゲームのトレンドとアート写真の関係を通じて、自由や制限の概念が掘り下げられ、写真の「いい」とは何かが考察されます。加えて、写真の未来やその価値についても議論され、視覚以外の感覚に訴える「食べられる写真」という新たな可能性が提案されています。脱線しながらも、写真に対する感情の変化や物事の楽しみ方を再考する視点が示されています。ポッドキャストを通じて、写真アルバムのテーマから写真が持つ価値や異なる見方について深く考える機会が提供されています。

写真アルバムの回顧
みなさんこんにちは、あっちゃんです。
みなさんは、思い出の写真はありますか?
小学校や中学校の頃、楽しかった運動会や修学旅行の写真、
友達と出かけた写真に、パートナーとの楽しい時間、たくさんの写真があるんじゃないかなと思います。
今回は、写真にまつわるゲストをお招きし、お話をしていきます。
では、本編です。
ということで、今回はゲストにお越しいただいております。
ポッドキャスト番組あるスタジオ裏、あるさんです。よろしくお願いします。
お願いします。おいでよ、あるスタジオから来ました、あるです。
よろしくお願いします。
お願いします。
ということで、あるさんにようやくお越しいただくことができたんですけども、
最近よくいろんなところでご一緒することが多いかなと思っております。
はい。
超個校という、ソロポッドキャスターの集いに近いところなんですけども、
そういったところで一緒にイベントをやらせていただいたりとか、
それこそ直近ではポッドキャストウィークエンドとかですよね。
非常にお話しさせていただいてとか、させていただきましたけれども。
はい。
普段からよくいろんなところでおしゃべりさせていただいておりまして、
ようやくお越しいただく機会をいただくことができました。
ですね。番組は全然ね、なかなか呼んでいただけないで。
いや、呼んでいただけないとかではないですね。
シンプルにタイミングの問題かと思うんですけども。
いやいや、よかったですね。
はい。ありがとうございます。
でもですね、一応テーマ自体はずっとこれあるさんといつか話したいなっていうのを温めていてですね。
ちょうどこの前、そろそろ呼んでくださいよみたいな話をいただいたので、
よし、やっと今後書を入れて呼べるなと思いまして。
なるほど。
今日はテーマを持ってきました。
何でしょう。
今日のテーマは、写真アルバムですね。
あー、なるほどね。
はいはいはい。
僕が本業カメラマンなんで、それにも結構関連してって感じですかね。
はい、おっしゃる通りで。
僕らは写真のアルバムみたいなものを、小さい頃は何か親とか周りの方々が作っていて、持っていたような気がしてるんですけど、
そういえば最近写真アルバムって聞かなくなったなーみたいな気持ちが前々からあってですね。
ちょうどあるさんはお写真を、本当に人の写真を撮ることが多いと思っていて、写真を撮ってそれを保存をするといいますか、
ある人生の一番輝いている瞬間ですね。
そういった瞬間を聞い取られることも多いかなと思っていたので、この写真のアルバムについて今回お話したいなと思っておりました。
デジタル化の影響
はいはいはい。ぜひ話しましょう。
はい、よろしくお願いいたします。
で、少しお話しさせていただいたんですけど、もしかしたら聞いている方の中にもいらっしゃるかなと思うんですけども、
僕ら世代が小さい時っていうのは、物理的な写真のアルバムっていうのを持っている方が多かったんじゃないかなって思ってるんですけど、
あるさんどうでした?持ってました?
それは個人の話です。
例えば、個人もそうですし、家族もそうですけど。
家族は当然のようにありますよね。
ただ、どうでしょうね。他の家庭と比べるとうちは少ない方かもしれません。
そうなんですね。
まあ、ほどほどと言いますか、アルバムはあるけれど、たくさんあるというわけではないと。
そうですね。たぶんうちの父親ももうすでに結構デジタル人間なんで、
移行が早かったんですよね。
なるほど。
もうスマートフォンが出始めても一番最初のあたりから使いこなしていた家庭なので、家族全員が。
早いですね、それは。
そうですね。
なるほど。
うちの家庭とか家計とかを思い返したときに、祖父母の家に昔行ったときに、母親だったかのアルバムが確かあった記憶があって、
そこの中では、いわゆるおじいちゃん、おばあちゃんと、その娘にあたる母親ですよね。
と、兄弟のアルバムみたいのがあるっていうのを見せてもらったなって、今思えば記憶になってですね。
確かに。そういうのはありますね。
ありますよね。
僕の母方のおじいちゃんはちょっと頭がツルツルしてるタイプなんですけど、
昔の写真を見ると、頭がフサフサだったみたいなところがギャップがあって、印象的だったなって今思いつきますけど。
なるほど。
そういう意味では、昔のアルバムみたいな残ってる家と、デジタル化進んでも20年くらい経ちますけども、もう完全にデジタルに移行したみたいな形で、
結構最近では、家によってはあるとこないとこがあるのかもしれないですね。
そうですね。
最近だと、赤ちゃんに関してで言うと、どの家庭でも写真をたくさん撮ってるような印象はあるんですけど、
子供は撮りますよね。ペット、子供はめちゃめちゃ撮りますね。
撮りますよね。
最近だったかちょっと前に知ったんですけど、最近だとそういった写真の共有を祖父母とか親族とできるみたいなアプリがあって、
そこにアップロードすると親族も見れるみたいなアプリがあったりとか、
それに付随してデジタル写真をフォトブックみたいにして送ってもらえるみたいなサービスも出てきてるっていうのを知ったんですけど、
この辺ってあるさんとかはよく目にされたりします?
知ってはいますね。ただ、利用はしたことないかな。
そういうものがあるのはもちろん存じ上げてます。
ありますよね。
すごく写真を撮ってアップロードして共有するっていうところまでかなりスピーディと言いますか、
そこの撮ってから昔だと現像をするみたいなステップがあって、
例えば今は写真屋さんってありますけど、昔は本当にフィルム写真の時代とかはその現像をするために持ってって、
例えばそこで現像された写真をもらってみたいなことをやってたような記憶があるんですけど、
そこの時間軸と言いますか、スピード感がめちゃくちゃ変わったなっていうのが最近すごく印象的ですね。
全然違いますよね。
良くも悪くもかな。
そうですね。良くも悪くもかなと思ってて、
それ以外にも写真の環境っていうのはすごく変わってきていると思いまして、
僕らが中高生くらいですか、もうちょっと前かもしれませんが、
誰でもデジタルカメラを持つような時代がやってきて、
そこからスマートフォンという形でどんどんと写真を自分自身で撮るとか、
それをアップロードするとか、
どんどん自分とかその周りの写真を点じゃなくて連続的なものとして撮れるようになってきたことで、
ライフログみたいな側面がかなり増えてきているなっていうのは最近感じますね。
特にもっとインスタントなもので言うと、
インスタグラムとかのストーリーとか、TikTokとかですね。
本当にもう日々の記録っていうものが連続的に撮れるようになってきたことで、
写真ってこれまではある時間であったりとかある記憶の中の一瞬を切り取るものだったのに、
写真の価値の変化
最近はどちらかというとコンテンツに近くなってきているんじゃないかなっていうのを最近感じるようになってきているんですけど、
アルさんはどう考えます?
記録は記録なんじゃないですかね。
ただ、多すぎるっていうことかなと思います。
そうですね。
要は、需要と供給みたいな話。
あんまりにも多すぎると一個一個の価値が下がるわけで、基本的に。
結局、それで相対的に写真っていうものの重要さを忘れているみたいなところはあるんじゃないかな。
昔は撮れる枚数も限られてたから、一枚一枚を大切に撮ってたわけじゃないですか。
それはそれしかできなかったわけだけど。
同じ写真でも一枚の価値が違うっていうところが大きく違うのかなと思いますね、昔と今で。
確かにそうですね。昔はフィルム写真とか、今でもリバイバルでありますけど、手巻きで写真撮れるカメラあるじゃないですか。
フジフィルムとかが出してるやつでしたっけ、インスタントカメラ。
あれも10枚後半とか20枚弱ぐらいしか撮れない中で、撮りたいなと思った瞬間を切り取ってますけど、
今のiPhoneのカメラとかだと連続で撮れるじゃないですか。
それ一回やっただけでもうフィルムカメラ一個分みたいな形になってて、
一瞬一瞬を全部撮ろうとしてるというか、逃したくない瞬間すべてを撮ろうとしてるに対して、
昔のやつは本当にしっかりとどういうものを撮りたいのかなとか、
カメラとかカメラの枠を除いて選んでたなっていうところに結構今ギャップが出てきてるかなってすごい僕も感じてますね。
そりゃそうでしょうね。
僕も中学生か小学生ぐらいの時にフィルムカメラを使ったことがあるんですけど、
フィルムカメラというかインスタントカメラですね。
確かそれが中学旅行だったか、学校の旅行みたいなやつで遠方にある観光地に行った記憶があるんですけど、
その時はやっぱり撮れる枚数が限られていたので、ここで今写真撮るべきなのかなみたいな。
なるほど。
写真を撮る瞬間に自分に問いを立てるという行為があった気がするんですよね。
まあ確かにね。
それがあったことで、その問いも含めてですよ。
カメラを撮って現像されたものに対してなんか思い入れと言いますか、
一枚に対する思いみたいなものがすごく強かったんじゃないかなって今思えば感じますね。
まあそうでしょうね。
それはそうですよね。
今が軽すぎるわけで。
はい。すごい軽いなと思ってて、
カメラロールとかあるさんに見返すことって多分お写真撮られてるから多いと思うんですけど、
例えば3ヶ月前にどんな写真撮ったかっていうのがパッと思いつきますかって言われたときに、
たぶん今スマートフォンで写真を撮っている人たちはあんまり思い返せないんじゃないかなみたいな気がしちゃうんですよね。
どうなんですかね。でも逆に言うと、そういうインスタグラムとかでアップして、
自動的に撮ったものがスマートフォンの中でアルバム化してるわけじゃないですか。
そうですね。
本というか元々のアナログの写真に関してはアルバムを引っ張り出して見ないと思い出すことがないわけで、
そういう意味では撮った写真に改めてもう一度触れる機会は今の方がむしろ多いかもしれないですよね。
確かにアクセシビリティと言いますか、見たい写真というかね。
もちろん今あっちゃんが言ったような話って多分頭の中でそれを思い出す頻度の話だとは思うんですけど、
はい。
そういうのではなく物理的に実際に見る回数という意味で言うと、今の方がむしろ多かったりもするので。
はい、確かに。
そうですね。逆に見る機会が多いからこそわざわざ思い出そうともしないっていう感じなのかな。
今一瞬思ったのは、何度も見返しているからこそうっすらと全部記憶があって、
その中でどれが自分にとってピークであったり、一番印象深いかっていうのは今あんまりなくて、
全部まんべんなく見てるんでしょうね。
うーん。
まあそうですよね。
はい、アルバムの方は本当にいろんな写真がある中で時間をかけて撮られたものであったり、吟味されて撮られたものが残っているので、
撮影方法の進化
どれもピークと言いますか、きちんと刻まれている点が集合したものかなって感じました。
そうですね。
そうですね。
まあそう考えると、アルバムっていうものは依然としてあるんだけど、
なんかより薄く面のように広がっているというか。
うん、なるほど。
そんな印象が受けますね、やっぱり。
うんうんうんうんうん。
まあ、何だろう、個人的にはあんまりデジタル人間なもんで、
はい。
うん。
そんなにネガティブに意識してないです、そういうとこに関しては。
うん。
ただ、やっぱカメラマン界隈でも、
はい。
でも、わざわざ不便にするのを楽しむ人とか、
はい。
今デジタル写真が使えるのにあえてフィルムで撮ったりとか、
デジタルでも撮ってすぐ画面が見れないように最初から作られているカメラが出てきたりとか、
へー。
あるんですよ、そういうのが。
要は、そういう需要があるのは間違いないんですよね。
なるほど。
だから、
あえてデジタルではなくアナログを続ける、もしくはアナログを選ぶという人もいるし、
その場で撮られたものをすぐに確認しないということを選択している方もいると。
そうですね。選択しているというか、もうそれをさせないようにメーカーが設計をしている。
カメラがあったりするという話ですね。
メーカーがそもそも設計しているんですね。
その要は、昔の写真の楽しみ方というのを今の人に知ってもらいたいとか、
そういう思いで作っているカメラがあったりするので、
はい。
そうそうそう。だから、本当におっしゃる通りというか、
そう考えている人は多いんだろうなと思いますね。
うん。
確かにその場で見れないがゆえに、面白いこともたくさんあると僕は思っていて、
今って写真を撮って、その写真をカメラロールで確認して、
ちょっと違うな、もう一回撮ろうみたいな試行錯誤というのがどうしても生まれていると思うんですよね。
でも逆に、今見れないことによって、
後でどんな風に撮れていたんだろうなというワクワク感みたいなのが
醸成されるんじゃないかなって一瞬思ったんですよね。
そうですね。
それはありますよね。
それって結構いいなと思いました。
うん。だから昔のインスタントカメラの現像写真とかを見ると、
ピンボケしているのが結構多いと思うんですよ。
ですね。
ピントが合っていないやつ。
ただ、それもみんな多分写真アルバムに入れてたと思うんですね。
入れてましたね。
写真の思い出
ピントが合っていないのも、それはそれで、今だったら捨てちゃう写真だけど、
ピントが合っていないのも含めて思い出として昔は撮ってたと思うんですよ。
確かに。
そのピンの合っていなさがむしろエモいとか、
そうですね。
そういう効果を生むので、まあ面白いなとか思いますよね。
思いますね。
なんかそのあたりは、今振り返ると確かにあったなと思ってて、
なんかなんでもないミスった写真ってあるじゃないですか。
撮りたいタイミングで撮ろうと思ってたのに、間違えてシャッター切っちゃったみたいな。
のがあって、なんかたまたま空に向かって、
なんか青い空とちょっとだけ木が写ってるみたいな写真が混ざってたりすると、
なんかその宝石に出会ったというか、
偶然の中でたまたまなんかいい写真撮れてたなみたいなのがあって、
なんかそれはそれでよかったなって思ったんですよね。
そうですね。それはそれでよかったっていうことですよね。
そうですね。
なんかそういうのを今は、間違ったものは捨てるじゃないですけど、
そうですね。
なんか気に入らなかったから残さないとか、
カメラロールの中にあるけれど、
まあ要するに今だとお気に入りとかっていうのがあって、
選別みたいなことが起こるんですけど、
なんか昔は選別してなかったんだろうなっていうのを思っちゃいましたね。
そうですね。あとこれ結構意外な、なんか盲点というか、
僕が思っていることですけど、
今アナログかデジタルかのところで話をしてるじゃないですか。
アナログかデジタルかのところで話をしてるじゃないですか。
そうですね。
でも、実はスマホ以降、スマホ以前ではあると思ってて、
でもデジタルでも、シャメってあったじゃないですか、柄形時代に。
ありましたね。
シャメの時代は、デジタルを結構、
楽しんでませんでした?って思うんですよ。
あー、確かに。
うん。シャメのあの時の記憶をたどると、
そのデジタルに今乗っかってきているそういう、
まあネガティブな感情というか、なんかなくなっちゃった物悲しさとか、
そういう感じがあって、
まあネガティブな感情というか、なんかなくなっちゃった物悲しさとか、
それはシャメの時にはなかったと思うんですよね。
確かにそうですね。
うん。で、それ、なんでだろうって思った時に、
はい。
一つ明らかにおかしいのは、そのハードディスクの容量が、
あまりにもテラとか、
はい。
そういうのは昔想像できなかったわけですよ。
だから、柄系でも撮れる写真には限度があって、
はい。
みんな一人ね、一台パソコンを持ってるみたいな時代でもないですから、
そうですね。
結局その、持ってたハードの中で頑張るしかなかったわけですよね。
はい。
うん。だからその柄系のメモリーがもういっぱいになっちゃったらおしまいだから、
大切に一枚一枚やっぱり撮ってたと思うんですよ、デジタルだとしても。
うん。
うん。だからそこら辺が結構大事なのかなっていう、
要は制限された中でやってるかどうかっていう部分?
制約の価値
確かにそれはありますね。
うん。
今あれですもんね、一枚写真撮っても本当に形式にもよりますけど、
うん。
一枚で10MBとか、
うん。
それでもまあ大きいなと思っていたけれど、
うん。
記憶媒体の方がどんどんどんどん容量が大きくなっていて、
いやそうですね。
だから相対的に、あれですね、制限がなくなってしまってるというところは、
そう。
あります。
だから音楽も似てると思ってて、
はい。
MP3みたいなのが登場する以前以降で、
まあ全然違うわけですけど楽しみ方が。
はい。
まあMDとかは一瞬あった時代が僕結構ぶっ刺さってるんですけど、
はい。
その頃はもう12曲とか、
決められた好きなアーティストのこの曲だけを入れてとか、
全部本当は入れたいけど全部入りきらないからって言って、
制限の中で頑張ってたから、
特に好きな曲ができたし、
はい。
けど今はね、そこも無制限なわけで、実質。
確かにありますね、それは。
うん、そう。だからずっと話してるのが、
アナログオアデジタルみたいなところで区切りがちだけど、
実はデジタルの中でもそういう楽しみ方はできてた時代はあるんじゃないかなって今、
聞いて思いましたね。
確かにその観点はなかったですね。
おっしゃる通り、CDでありMDというものについては10曲、
もしくは十数曲が上限として、
自分にとってどれが最高のプレイリスト、
曲順なのかみたいなのがあったりとかしてましたけど、
ことiPhoneに変わってからというものをプレイリスト作るけど、
それに対するあんまり価値と言いますか、
1個のプレイリストに対する思い入れみたいなところは、
そこまでなくなってきてるのかなと思いましたね。
そう。そうなんですよね、結局。
じゃあ逆を返すと、我々はもっと制限を設けた中で、
写真を撮るなり、曲を選ぶなり、
やっていく方に回帰をした方が、
実はもっと日常を楽しめるんじゃないかと思いました。
これ、めちゃめちゃ話脱線するのありです?
めっちゃありですよ。
わかんない方がいたら本当に申し訳ないんですけど、
僕、ポケモンが好きなんですよ。
ポケモンってどんどん新作が出てきて、
ものすごい数になってるんですね。
もう1000匹以上いるわけですよ。
いますね。
ってなった時に最新作どうなってるかっていうと、
実は全部出てこないんですよね。
確かにそうですね。
そう。で、オンライン対戦みたいな文化があったりするんですけど、
それでどういう風に遊んでいるかっていうと、
限定ルールみたいなのを公式側が設けていて、
なるほど。
ここまでは使っていいけど、
この辺のポケモンは使っちゃダメですよみたいに、
公式側が制限を設けた上で遊んでくださいっていう箱を用意しているわけですよ。
それがユーザーにとってすごい面白いわけですね。
確かに選び甲斐がありますよね。
っていうのがちょっと脱線しちゃいましたけど、
一例で、こんな感じでゲームの世界とかでも、
わざわざ本当は全部使えるのに、
制限をして遊んだ方が楽しいっていうのに、
ユーザーも作る側も気づきつつあるっていうことですね。
それはさっき言ったカメラも、
一部のカメラはあえて不便に作られていたりとか、
そういうものに魅力を感じる、
人が増えつつあるっていうことですね。
そうですよね。
似たような話かもしれませんが、
今でもたまに聞きますけど、
おやつは300円までみたいな話と一緒で。
そうそう、それもまさに良い例ですね。
上限というか、制限があるからこそ、
ユーザーは、
どうしようかなみたいな、
選ぶ楽しさがあったりとか。
そうなんですよね。
よく哲学で有名な言葉で、
不安は自由のめまいだっていう言葉がありますけど、
結局、自由すぎたら何やっていいか分からないんですよね、
人って。
確かに。
何でもやっていいよって言われるのが一番恐ろしいけど、
くくりの中ではとても楽しく遊べるような、
もんなんですよね。
そうですよね。
だから、お笑いでも例えば、
漫才とか、コントっていう、
そのくくりを設けているわけじゃないですか。
そうですね。
何でもありなようで、
漫才の中で好きなことをやってくださいとか、
スポーツも全部そうですよね。
サッカーっていう、このルールの中で遊んでください。
ってなってようやく楽しいものなんで、
そうですね。
うん。
今のデジタルに対するもやもやっていうのは、
あまりにも、
自由だから、
それに対してのストレスというか、
そういうところが少なからず、
発生しているんじゃないかなと思いますね。
確かにそれはありますね。
写真の価値と選択肢
選択肢っていうものがありすぎると、
選択するのにかけるコストと言いますか、
うん。
何て言うんですか、
頭の使い方がかなり、
つらくなってくるので、
それはそれでストレスだなって思っちゃいますし、
そんな中で、
例えば有限の選択肢って言い方が正しくはないですけども、
両手で数えるくらいから選び取るのであれば、
制限の中でどう楽しむかっていうのができるから、
それはそれでいいなとすごく思いました。
ただ一方で、
なんかそれで不思議だなと思ったことが、
ちょっと脱線するかもしれないですが、
それがゲームの分野なんですよね。
最近のゲームの分野のトレンドっていうのが、
オープンワールドっていうのがメインなんですよ。
面白い話きた。
まさにポケモンもそうですけども、
昔よりも行ける場所が増えたとか、
やれることが増えてる、
っていうのもありますし、
モンスターハンター、いわゆるモンハンも、
最近出てきているものは、
オープンワールドが増えてきていますし、
たぶんもっと端の話で言うと、
マインクラフトとかもまさにそうだと思ってるんですよ。
そうですね。
そういった制限の中で楽しむというところは、
あるのかなと思いつつも、
領域によっては無制限であることが流行りであるっていうところが、
また違って面白いなと今一瞬思いましたね。
それの答えなんとなく僕わかってますよ。
お、ではお願いいたします。
おそらくですけど、間違ってたら申し訳ないですよ。
はい。
おそらく、ゲーム実況者の登場が大きく関係してると思ってます。
なるほど。面白い。
要は自由なんじゃなくて、
いろんな人のプレイを事前に見れるようになったから、
その中で、じゃああの人がやってたように遊んでみようっていう、
教科書的な目標みたいなのが、
簡単に見れるようになったからこそ、
そういう遊びが生まれたのかなと思ってますね。
確かにそれはありますね。
そう。
ゲームによっては、
ゲーム実況者がやったゲームの方が売れてるというか、
ネタバレされてる方が売れてるのもあったりしますよね。
そう。だからオープンワールドなんか、おそらくみんな、
一旦誰かがやったのを見てから、
え、私もやってみたいで入ってる、
場合が結構多いんじゃないかなと思いますね。
ありますね、確かに。
それが本当に同じようにデジタルの波が普及し、
動画配信が普及する中で、
出てきたことによって、
ゲームの遊び方というのを公式が教えることはせずに、
いろんな人たちがやっている姿の中で、
自分に合ったスタイルを教科書であったりというか、
指針として楽しむやり方というのがまた別で生まれたことで、
オープンワールドでも楽しめているということですよね。
ですね。
面白いですね、それは確かに。
ちょっともう話が写真と関係なくなっちゃいましたが、
まあでもね、大枠はそういうことですよね。
そうですよね。
大枠としては制限のある中で楽しむというやり方が主流だったものの、
今は誰かの例を見て楽しむという形で、
まあいろんな写真も含めですけども、
コンテンツの楽しみ方っていうのが変わってきている、
いい写真の基準
というところに行き着くのかなって、
僕は話して思いましたね。
そうですね。
これまだもう少し喋っても大丈夫ですね?
もっと喋りましょう。
あの、まあちょっと写真の話に戻して、
僕がよく言っていることでもあるし、思っていることなんですけど、
はい。
いい写真って何だと思います?
いい写真ですか?
うん。
まあ、何でしょうね。
まあ、僕個人の観点だと、
その写真から、
意図が伝わる写真と言いますか、
ちょっと言葉がぼやっとしたら良かったんですけど、
見て何かわかるっていう、
感じるものがあるっていうのが、
いい写真なのかなって今ふと思ったりしましたけどね。
まあでも、例えばアート写真とかで、
わけわかんないけどなんか、
そういうのもあるじゃないですか。
あります。
なんて言うんだろう。
まあ今要は質問が意地悪なわけですけど、
何が言いたいかって、
いい写真とは何かっていう問いに対する答えが、
これ僕無限だと思うんですよ。
そうですね。
だからさっきの自由のめまいじゃないですけど、
この質問は自由すぎて答えられないっていうのが答えだと思ってるんですね。
はい。
なんで、人によってはさっき話したような、
失敗写真、インスタントカメラで撮って、
顔がぼけてて、わけわかんない写真、
これが一番思い出のいい写真だっていうのも間違ってないと思うんですよ。
そうですね。
ただですよ。
はい。
僕が今仕事で、
メインでやってるのって結構ファッションが多いんですね。
はい。
クライアントから依頼を受けて、
服を売るための写真を撮ってくださいと言われて、
撮ってるわけです。
こうなるとですよ、
急にいい写真とは何かに答えが出てくるんですよ。
確かに。
もうズバリ、それを見たお客さんが、
服を買いたくなる写真がいい写真ですって言い切れちゃうんですよ。
言えますね。
そうなんです。
これがまあ面白いわけで、
さっきの制限を設けるっていうのがまさにそういう話なんですね。
つまり、制限がなかった場合じゃ、
何にも制限ないですよって時は、
自ら制限を作ることを考えない限り、
何も作れないなっていうのが最近思っていることです。
なるほど。
自分で制限を作ることを考えない限り、
なるほど。
自分で制限を作る。
確かにそれは大事ですね。
例えば、一例ですけど、
僕は自宅を撮影スペースで使えるように工夫して作ってるんですけど、
すごい狭いんですよ。
スペース的にね。
ただ、狭いからこそできることがあるわけです。
そうですよね。
逆に、ここではできないことを切り捨てられるんですよ、簡単に。
要は、これやりたいなと思っても、
ここ狭いからできないな、じゃあやめとこうって言って、
自然とどんどん制限がスペース的にかかってくるんですね。
そうですよね。
そうすると、
じゃあ今このスペースで一番最大限できることってなんだっけっていう方向に
頭が切り替わるわけですよ。
そうすると、いい作品ができるっていうところですね。
なるほど。
いい作品ができるっていうところですね。
確かに。
この部屋でできるいい写真を撮ろうという制約というか、
制限があるからこそ、そこで輝く写真が撮れる。
そうなんですよ。
あれ、ハンター×ハンターとかご存知ですか?
はい、一応。
ハンター×ハンターとかもまさに制約が力になるみたいなテーマがあったと思いますけど。
ありますね。
まさにあれですよね。
確かにあれはそうですね。
アナログのパワーっていうのは、そこにあるんだと思ってます。
めっちゃいい話ですね。
うん。
制限が物理的にあるからこそ選んだものの価値が出るといいますか、
選択肢を取ることに価値と意味が出るというのは思いました。
はい。
で、今話す中でちょっと頭の中で考えてたんですけど、
制限というものを物差しみたいなもので置き換えた時に、
今まではここからここまでっていう制限といいますか、
例えば本当に物差しの長さがあると思うんですけど、
その長さの中で工夫をするというのが以前のものだったと思ってて、
いわゆる実況者時代以後っていうのは、
他人が持っている物差しを見て相対的に自分の物差しを決めるみたいな形で、
変わったっていうところで解釈ができるのかなっていうのは少し考えてますね。
そうですね。
まさに。
そういう意味ではこれまでっていうのは、
物理的な制約というところにかなり目が行っていたものの、
今は他人の物差しというものがより見える形になったからこそ、
自分で選ぶときの相対的な選択というところに変わってきているのかもしれないですね。
そうですね。おっしゃる通りですね。
もし仮にですけども、
昔アナログだった時代に、
もっといろんな方のアルバムを見ている状態というのが存在していたとするのであれば、
それはまたアルバムというものが実は変わっていたのかもしれないですよね。
でしょうね。
冒頭もお話ししましたけども、僕が見たのは自分の家族であり、
両親だったりというところの範囲のアルバムというものを見ていましたが、
実はもっと広く誰のアルバムでも見れるような状態だったときには、
もしかしたら、そういったアルバムに載せる写真の選定方法であったりとか、
そもそもアルバム帳というものではなく、
壁に貼るとか、また違った発想というものが生まれて、
今もともと見ていたようなアルバムではなくて、
違うものも生まれていた時代があったかもしれないっていうのを少し思いました。
そうですね。
文化と制限の関係
ただなんかちょっと一つ悔しいのは、
はい。
今話している話って全部、ゼロイチの話ではない気はしていて、
はい。
誰かが制限を作ってくれたからこそ出来上がったもので、
やはりその制限自体をクリエイトしないと、
なんていうんですかね、難しい話になってきましたけど、
新しい文化をゼロから作るとか、そういうスケールで考えた場合、
要はアルバムが見れてしまうと、みんなそれをなぞることしかしなくなってしまうっていうところもあると思っていて、
ありますね。
だから、真にすごい人、大物になる人っていうのは、
制限があってもそこを軽々飛び越えていく人なのかなとも思うんですよね。
確かにそれはありますね。
さっきは制限がないと何も出来ないからっていうのを言いましたけど、
それはあくまで一般の枠に収まる人の話で、
はい。
やっぱりその時代を変えていく人っていうのは、
おそらく、たとえ制限があっても、それを平気で無視する人なのかなとも思うんですね。
そうですね。
他の話で類似するものか分かりませんけども、
型破りという話もありますが、
それは本当に型を知った上で飛び越えている人たちであって、
評価がされているみたいなところがあって、
それともたぶん似ているところかもしれませんが。
まさにそういうことですね。
ですよね。
そういう意味では、制限の中で工夫するというのは最初のステップとして良いとは思いますけれど、
自由な表現の探求
そこから、じゃあその制限を飛び越えた先にある本当の自由の中で、
自分が選び取りたいものを選ぶというのも大事というか。
そうなるのかなと思いましたね。
そうですね。
仮にここから、何か我々が写真を撮るとか、
アルバムを作るみたいな話に戻ったときに、
制限を越えて楽しんでいくために、
何を考えなきゃいけないのかなっていうのを、
今無言になりながら考えていたんですけど、
はいはいはい。
今まで、アナログとデジタルという二軸の話と、
制限という話と、絶対的な物差しと相対的な物差しという話が出てきたと思っていて、
その上で、自由な世界に行くためには、
何をしたらいいのかとか、何もしなくていいのかもしれないんですけど、
もしそういうふうにイノベーターと言いますか、
なりたい人たちっていうのは、
どうやって自由から解き放たれるべきなのかなみたいなところを悩んでいるというか、
悩んでいるというか変ですけど、
無言になりながら考えているんですけど、
何か思いつかなくて、次の言葉が出ないと言いますか。
まあ、そう簡単に思いついたら楽じゃなんなんだろうね。
ないですね。
いやまあ、たぶんおそらくiPhoneが出てきたときに、
はい。
時代が大きく変わったのは間違いないと思うんですけど、
はい。
でも、初代iPhoneのときって覚えてます?初代iPhoneが発売されたとき。
覚えてないですね。
ぬるっと浸透したじゃないですか。
ぬるっと浸透しましたね。
まあ、LINEとかもそうですよね。
当たり前に全員が今使っているものを、
技術の進化と写真
登場時を覚えていますかって言われると、
たぶんほとんどすべて覚えてないと思うんですよ、誰も。
そうですね。なんか日常の中で勝手に浸透してきたなーっていうのがありましたね。
気づいたらあったって感じじゃないですか。
はい。
それは要は、もちろん作った、スティーブ・ジョブズとか、
作った本人は分かってたのかもしれないけど、
ユーザー側は、これがまさかそんなすごいものだっていうのを気づいてなかったわけですよね。
そうですね。
みたいな感じで、おそらく今まだない何かが今後も出てくるんでしょうね。
出てくると思います。
だから、今写真アルバムっていうところで話をしてますけど、
1000年後、2000年後、3000年後と、その時写真はどうなってるんだろうかって考えるわけじゃないですか、僕らは。
そうですね。
でもそもそも写真なんてなくて、知らない何かが写真にとって変わってるというか。
そもそも切り取るという行為をしなくて済むのかもしれないですね。
そう、そういうぶっ飛んだところまで想像しないと、多分正解は出ないのかなーとか思いますよね。
そうですね。
今歩いている道の先にあるものを想像するんじゃなくて、道から外れたところにそもそも何かがあるかもっていう発想ですよね。
そう。ただ、ごめんなさいね、長くなっちゃって。
いえいえ。
それと同時にですね。
はい。
これ結構僕、実家帰るとしょっちゅうこの話するんですけど。
はい。
傘ってずーっと傘だよねっていう話してて。
はい。
なんかこれいつまで刺さなきゃいけないんだろうっていう。傘ぐらいは。
そう、わかりますね。
うん。なんか来年ぐらいなくなっててもいいんじゃないのとか思ったりするんですけど。
はい。
ずーっと変わらずみんな刺してたりするのが、変わらないところって変わらないんだねーとも思うんですよね。
それ僕も思うんですよ。傘もそうですし、あとは床屋ですよね。
うんうんうんうん。確かに。なんか自動化しててもおかしくないイメージはありますよね。
はい。なんかそういう変わらないものも結構あって、まさに傘もそうですけど、いつまで僕らは塗れなきゃいけないんだろうっていうところはありますよね。
うん。
あとは服とかもある意味ではずーっと着てるというか。
ねー、何がなくなると思いますか?
何がなくなるかと言われると難しいですけど、以前見たものの中で服っていうものとかも、皮膚を着るみたいな発想に変わるとかはあるかもねーみたいな。
うんうんうん。
話は見たことがあったりはしますけど、あとあれですね。そろそろなんか目覚まし時計とかってなくならないんですかねって思ったりとか。
あー。目覚まし機能みたいな話ですか?それは。
そうです。そうです。とか、なくなるんじゃないかなと僕思ったりするんですけどね。
うーん、確かにその辺はなくなってもおかしくなさそうだなー。
あとは何でしょうね。掃除をするっていうのも、ルンバが出てきて、多少なくなっているように見えますけど、掃除をするという行為自体はなくなってないとか。
うーん、そうですね。ルンバとかは、でも時間の問題な気もしてるんですよね、僕。えっと、価格帯とファッショナブルかどうかかなと思ってますね。やっぱ浸透するかどうかは。
確かに。
で、オシャレで安いっていうのが出たら一気にそれと置き換わる気もしてるんですよね。
まさにiPhoneとかもそうですよね、最初は。
うーん、そうだ。
まあ今ほど高級ではないですけど、その時は安かったですし、相対的にですけど。
僕は、親父が音楽をやってた関係で、
はい。
全部Apple製品だったんですよ、家の中のパソコンから何から。だから、だいぶ小さい頃からMacを触って育ちましたけど、
はい。
当時は誰も使ってなかったです。
で、まさか今こんなに普及するとはっていう感じなんで、結構時間かかってるんですよね、Appleですら。
我々が認知をしてからは早いけれど、実は認知されてないところを含めるとめちゃくちゃ長いという。
そう。で、YouTubeだってそうですよね。
そうですね、確かに。
できてから跳ねるまでに相当時間かかってるんですよ。
長いですもんね、あれも。
ポッドキャストも今後どこまで伸びるかわからないですけど、
はい。
急に来る可能性もあるんでね。
ありますね。
そういう破壊的なものっていうのは実は潜っている期間が長かったりするということだと思ってますけど、
例えば写真とか将来どうなるのかって話の観点で言うと、
極端な話、目で見てそれが視神経を通って脳に入るわけですけど、
その情報を得られればいいのであれば、
例えばですよ、食べられる写真があってもおかしくないなと思ったりするわけですよ。
ああ、面白い面白い。
また変な話になっちゃいますけど。
いやいやいやいや。
その通りだと思いますね。
今は視神経と言いますか、目の網膜で得られた像を見て、
写真というものが記憶の断片というものをアナログであったりデジタル化したものでしかないですけど、
脳みそに伝わる情報であればいいのであれば、別に手で感じる写真もあってもいいし、
鼻で感じる写真もあってもいいわけですよね。
単に今の技術だと目で見るのが一番手っ取り早いと言いますか。
一番情報量が多いから、目で見て残された映像というものが断片化した写真になっているわけですけど、
いやまさに。
記憶ってものを、まあ何でしょうね。
懐中みたいな、もぐもぐ噛めば噛むほど旨味が出るじゃないですけど、
噛めば噛むほど映像が浮かび上がってくるみたいなのがあってもおかしくないよなってふと思いました。
そう、あのー、まあ音声?
音声というか言葉か。
言葉の限界は感じてるんですよ。間違いなく。
なるほど。
それは日本語話者だからとかじゃなく、
多分全ての言葉を喋れたとしても、表現には限界がある。
そうですね。
なあと思っていて、そこはやっぱり映像の強さなわけですけど、
視覚、聴覚で我々はメインで情報を得ているわけだけど、
さっき言った味覚とか、嗅覚、触覚っていうところは未知の分野ですよね、やっぱり。
新しい楽しみ方の提案
未知だと思いますし。
可能性をすごい感じますよね。
感じます。微妙にもっと脱線しちゃうんですけど、
小さい頃ってピーマンとか苦味の強いもの食べれないですけど、
それが大人になると食べれるようになるとか、
大人になると魚がおいしいとか、
そういう感じ方の変化っていうものが、
視覚と比べて、視覚はどっちかというと、
視力が落ちるのはあるけれど、
見えるものに対しての変化というか、円熟さみたいなのがあるのかないのかわからないですけど、
味はあるじゃないですか。
なるほどね。
それって写真とか映像に置き換えた時どうなるかというと、
見た時に抱く感情が変わるのか、見え方が変わるのかっていうのはあると思うんですけど。
確かにね。
そういうものがもし仮に食べる写真とかってなってきた時に、
実は感じ方がめっちゃ変わるとかはあるかなって思ったりしましたね。
ねー。難しいけど面白いですね、その辺はね。
すごい脱線しちゃったんですけど、
だいぶ脱線しましたね。
ある意味では一つの観点としてというか、
その観点というもの自体もある意味条件というか制約だと思ってるんですけど、
写真に限らずですが、
普段我々がもっと物事を楽しむためには、
実はそういう制約をかけるっていう観点があってもいいと思いますし、
今から見える先じゃなくて、
全く違う概念であったりとか、
っていうところから物事を見てみるみたいなところは、
普段やらないので、
こういうエピソードも含めですけども、
聞いていただいた中で、
何か新しい視点というか、
そういったものを獲得してもらえたら、
話した甲斐があるのかなと思いました。
結構いい話ができたような気がしてますよ。
そうですね。すごく最初は本当に写真という括りでしたけど、
もう少し引いてみたときに、
そこに抱いていた感情っていうのは結構、
他でも当てはまるんだなっていうのを改めて気づけましたし。
そうですね。
脱線してるようで実はこれ脱線してないっていう面白い話ですね。
ですね。
ありがとうございます。
そういう意味では本当に、
なんでしょうね、
普段の生活とかも含めてですけど、
何気なく過ごしている中で、
見方を変えるとか、条件を与えることによって、
楽しめるものってもっとたくさん世の中にあると思うので、
明日からちょっと実践してみたいなって思いました。
うん。
僕も話しながら思いましたね。
すごく噛めば噛むほど、
味があるエピソードじゃないですけども、
これもまた聞くたびに考えが変わりそうだし、
普段考えていないことを想起させるような、
そういったお話になったかなと思いました。
はい。
ということで、
かなり楽しくおしゃべりさせていただいたわけなんですけども、
最後にアルサムさんにお話をさせていただきたいと思います。
はい。
アルサムさんにお話をさせていただきたいと思います。
はい。
かなり楽しくおしゃべりさせていただいたわけなんですけども、
最後にアルサムさんから何か告知などございますでしょうか。
あ、告知ですね。
はい。
写真イベントの計画
現時点ではまだ公式発表はしてないんですが、
来年、
ポッドキャストを絡めた写真のイベントをやろうと企画して動いてます。
こちらも準備して撮影進めているので、
来年、まだ日程までは確定していないんですが、
必ずやろうと思ってます。
内容としてはですね、
ポッドキャストをやっている方、
顔を見る機会ってあんまりないと思うんですが、
一部の顔出しされている配信者の方の写真を
僕の方で撮らせていただき、
その写真を見ながらですね、
その人の話を聞くことで、
より話が入ってくるんじゃないかなと。
それをカフェとかですね、
お酒だったりコーヒーを飲みながら楽しむっていう、
そういった形のイベントを今計画中ですので、
ぜひぜひ興味があればですね、
来ていただけたらなと思います。
はい、ありがとうございます。
イベントの詳細自体はまた、
あるさんの番組の方でも随時更新されていくので。
できれば、来年には、
頭ぐらいには言えるようにしたいなと思って動いてはいます。
楽しみですね。
はい。
写真アルバムの価値
はい、ということで今回はですね、
すごく深い話までできたかなと思うんですけども、
写真アルバムのテーマにですね、
写真だけじゃないですけども、
いろんな見方であったりとか、
自分が普段気づかなかったようなところに
到達できるエピソードだと思いますけども、
とても楽しくお話しすることができました。
ということで、あるさんありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
エンディングです。
今回は、ポッドキャスト番組
おいでよ!あるスタジオより
あるさんにお越しいただき、
写真アルバムをテーマにお話をしました。
いかがだったでしょうか。
これぞゲスト界の新骨頂といった感じで、
ゲストのあるさんにまつわるエピソードをお話ししながら、
普段はたどり着けないような思考の先に
出会うことができました。
無限に近い選択肢がある現代だからこそ、
制限を設けて楽しんでみたり、
はたまた制限を越えた先にあるかもしれない
自分らしいスタイル、
そういったものを写真だけではなく、
自分の趣味であったり、仕事であったり、
はたまた普段の暮らしの中で
出会えるといいなと思いました。
とても楽しかったです。
あるさん、ありがとうございました。
エンディングと感想
番組では感想をお待ちしています。
Xのハッシュタグ、エコー3000までお寄せください。
では今回はここまでです。
現代人の皆さんも、未来人の皆さんも、
また次回お会いしましょう。
じゃね。
01:07:16

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