1. 拝啓、3000年の人類へ
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2025-11-17 23:38

10冊の本で、あなたを表現できるか?

もし、本を10冊選ぶなら、何について、どのように選びますか?

大阪で出会った「選書棚」をテーマに、思想の墓や、AIでの復元可能性、失われる新人賞など話しました。


この番組は、西暦3000年の、未来を生きる人類に向けて、

現代人が日々感じることや、ワクワクする未来への想いを発信し、

今を生きる皆さんと一緒に、未来に音声を残そうとする番組です。


BGM素材:DOVA-SYNDOROME、効果音ラボ


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サマリー

このエピソードでは、自分の人生や価値観を10冊の本で表現することができるテーマを探求している。シェア型書店・ホトリオでの体験を通じて、人の思想や選書によって形作られるアイデンティティについて考察し、宮沢賢治の影響を交えながら、現代の情報社会における記憶や価値観の表現方法について語っている。また、戦書棚を通じて10冊の本がどのように人の価値観や思想を反映するのかを探っている。さらに、AIの文章生成が影響を与える現代において、古典として残るべき本の選び方についても考察している。

人生を本で表現する
皆さんはもし、自分の人生や価値観というものを10冊の本で表すとしたら、どんな本を選びますか?
10冊っていう本の数は少ないと思いますか?それとも多いと思いますか?
先日、関西で開催されたお祭りっすんというイベントに登壇させていただきまして、そのついでにですけども、ちょっと大阪の方に寄ってきました。
その中でですね、友人に会いに行ったんです。
その時、たまたま大阪の方でイベントが開催されてまして、生きた建築ミュージアムフェス、通称池フェスと呼ばれるイベントが開催されていまして、そこをですね、友人と回ってきました。
このイベントなんですけど、毎年秋の週末にですね、大阪の魅力的な建築物が一斉に無料公開される日本最大級の建築イベントになっていまして、大阪の街の中、いろんなところにある建築がだいたい200ぐらい無料開放されるというようなイベントになっています。
このビルとかですね、いろんなものあるんですけど、それこそ一般企業の高層ビルから、僕の大好きなバブルが漂う喫茶店、大阪にはマズラというところがあったりするんですけど、そんなところも含めですね、現存していて、今も使われている建物が開放されていたという日がありました。
その中の一つにですね、一軒の本屋さんがありまして、ホトリオという本屋さんがありました。今回のエピソードでお話しする部分は、そのホトリオという本屋さんでですね、目撃したものが発端となっております。
このホトリオという本屋さんはですね、シェア型書店というタイプの本屋さんなんですけど、壁一面にずらっと本棚がですね、木製の本棚がずらーっと並んでいるわけなんですが、その棚一つ一つが洗書棚になっています。
この洗書棚というのはですね、その棚一つをですね、おそらく一般の方が借りて、自分の売りたい本、並べたい本っていうのを並べて貸し出しているというような感じのタイプになっているというところです。
中身はですね、それぞれ自分の本屋さんの名前みたいのをつけていて、本の種類で言うと小説から漫画からいろんな図解からあるんですけども、ジャンルとしてももう様々いろいろあって、建築とかそれこそ漫画、町づくりとか古墳とかパンダとか、すごい様々なジャンルのですね、本が並べられた洗書棚が並んでいる書店です。
僕はですね、本屋さんとかはよく行くんですけど、こういった洗書型のタイプ、シェア型書店というところは初めてだったので、なんか面白いなぁと思って、洗書棚1個1個を横目でちらーっと眺めながら歩いていたわけなんですけど、なんか面白いなと思った瞬間がふとあって、
この洗書棚にですね、並んでいる本を10冊ぐらい見ていると、なんかその後ろにですね、その本を選んだ人の輪郭というか思想の形みたいなのが見えるような気がしていて、面白いなぁと思って見ていました。
そして、今回の冒頭の話にも繋がるんですが、なんか人の形、人の思想、人の価値観っていうものを、なんか10冊程度で表現できるのか、できないのだろうか、みたいなところがすごく気になったんですよね。
宮沢賢治の影響
以前のエピソードで、東の物語の回を撮ったんですけど、東の市に行ったついでに、隣にある花巻というところに行ったんですね。
この花巻市のところにですね、新花巻という新幹線の駅があるんですけど、そこからすぐのところに宮沢賢治記念館というですね、立派な博物館と言いますか、宮沢賢治の展示物がいろいろと並んでいる大きな観光地があります。
ここにですね、宮沢賢治の文学はもちろんのこと、宇宙とか農業とか教育とか、そういったものをはじめとした宮沢賢治の人生とゆかりのある展示がいろいろと並んでたんですね。
宮沢賢治の著書だけでなく、この広い展示スペースの中には、いろんな宮沢賢治が興味を持ったもの、つながったもの、残したものというのが、ある種マンダラのようにですね、たくさん展示されてまして、
これのことをその時思い出したんですけど、宮沢賢治が生きた時代においても、彼の人生を表すためには、十冊どころでは収まりきらないような時代だったのに、この僕らが生きる情報型の時代に、僕ら一般人の人生ですら、十冊で表すのは難しいんじゃないかなって思ったりしたんですよ。
そう考えると、十冊で人の輪郭が見えると言いつつ、本当に十冊程度の本で人生や思想、価値観みたいなところを表現できるんだろうかっていうのを結構感じたんですよね。
たぶん聞いてる皆さんも、自分だったらどんな本だろうなっていうのを聞いていただきながら考えたりされてるのかなと思うんですけど、自分のこれまでの人生の中で自分史みたいなところを表現するときに、
自分が感じたこととか、影響を受けたこと、与えられたこと、そういったものを何かこの本だ、みたいなものに収めることってできたりしますでしょうか。
僕もですね、いくつか本を考えながら、千書棚であったり、この宮沢賢治の記念館に行った時のことを思い出しながら、目の前に広がっている千書棚を考えて、いや十冊どころじゃないなっていうのをふと思いました。
そんなことを思いつつもですね、なんかそういった自分にまつわる本、自分の価値観とか思想を表現する本、そういったものを寄せ集めた千書棚って、なんか思想の墓みたいだなと思ったんですよ。
墓っていうのは本当に墓地の方の墓ですね。人間がこう肉体とかが滅びて、石の墓とかに収められたりするわけですけど、価値観とか人生哲学を母標にするんだったら、千書棚ってありなのかな、どうなのかな、みたいなところもふと感じたんですよね。
なぜかというと、その人が本を選んだ基準とか、そういったものを含めた千書という形のものは、生き方の痕跡みたいなものが残っているような気がするからなんですよね。
単純に本の中にその人の人生史が刻まれているわけではなく、その人が何かの思想価値観によって選んだ、選ばれた本っていうものが集合しているということは、なんだか千書棚っていうのは思想の墓みたいだなっていうふうに思いました。
ただ一方で、逆に現代の方を見ていると、もうこの時代になると、ありとあらゆるもの、発言とか、それこそその人が生きたセンシングデータみたいなところを含めてですね、残せないものの方が少なくなっているなっていう違いがありますよね。
そう考えると、記憶をまとめるとか、価値観、思想をより集めて作り出すというよりは、全てをさらけ出して公開する、みたいな方が多かったりする気もします。
そういう意味では、こういった千書っていうのは、ある種情報の圧縮みたいなものなので、これはこれで必要なのかなと思ったりもしているわけですね。
本当に例えばの話ですけど、皆さんもSNSいろいろやってると思います。そんな中である時、ふとSNS、例えばXで、この食べ物うますぎわろたとか、にゃーんっていうなんか謎の発言とかポストしたくなる時あるじゃないですか。
そういうのがいつまでも残っていて、それもひっくるめてその人の記憶として残っていたりとか、その人がよくスーパーで買って食べたものは何かとかもですね、決済履歴とかも全部残っているというところがあるので、
なんか嫌だなと思う未来の一つとして、なんか母表とかにですね、その人のQRコードみたいなのがあって、それを読み解くと、その人の全てのセンシングデータ、全記憶、ある種性癖とかまで読み取られてしまいそうな感じになったりもするんだよなと思って、なんかそれはそれで嫌だなと思ったんですよね。
なんかそう考えると、皆さんはどっちがいいかなと思うんですが、自分の考えとか発言みたいなものが10冊の選ばれた本で表現されているのと、QRコードで全SNSの記録が残って見られるっていうのがどっちがいいんでしょうねっていうのを思ったりしました。
またちょっと別の観点にはなるんですけど、昨今いろんなAIが流行る中で、AIっていうのは文章を数値化して圧縮をして理解をしたりするわけなんですよ。
例えばわかりやすい例で言うと、翻訳がいいかなと思うんですけど、日本語の文章を一度通学の数値の表現っていうものに落として、文の意味を変えずに別の言語に複合するっていうことができたりするわけで、
ある人が選んだ10冊の選書の中から文章を取り出して、それをAIに全部加わせて、その人の価値観とか思想っていうのを複合できたりしないのかなっていうのも当時思ったんですよね。
僕が選書棚の書籍を選んだというのはないので、答え合わせができるものではないんですけど、そういった選書棚に本を置いた人の価値観とか思想みたいなものをある種現代の力であるAIを使って、
具現してどんな人だろうなっていうのを見てみると、なんか面白いかなと思ったりしました。より具体的な話をすると、だいたい本って1冊10万文字ぐらいなんですけど、10冊の本というのは100万文字になります。
皆さんもよく使っているチャットGPTでおなじみの最新のモデルGPT5というものの入力上限文字数というのはですね、だいたい40万トークンって言われてるんですけど、それを日本語の文字に換算すると、だいたい1.23倍になるので50万文字ぐらいになります。
となるとですよ、10冊の本というものを入力しようとすると半分ぐらいしか入力できないので、現状のAIではなかなか全部は入れることが難しそうだなということがわかりました。
半分ぐらいは選称した人の価値観とか思想みたいなところはもしかしたら読み取れるかもしれないんですけども、全部をいきなり入れるというのは難しそうだなというふうにわかったというわけです。
そしてその時、そしてホトリオでですね、本を見ている時、友人もいたんですけども、その友人が言った言葉が少し残っていて、僕とは逆のことを言っていて、だいたいみんな似たり寄ったりで大差ないねっていうのを言ってたんですよ。
なんかその話も面白いなぁと思ったんですよね。何が面白いかというと2つぐらいあるんですけど、なんか一つは、選称するということは何かしらみんな別の観点で本を選ぶのかと思いきや、ある種選ぶ選定基準みたいののなんか共通項というかバイアスみたいのがあるんじゃないかなと思ったんですよね。
これ何が言いたいかというと、だいたいみんな選称するとなると自分のことを選称したりするんじゃないかなと思うんですよ。自分が影響を受けた本、自分の人生とか、なんかそういう選称というものに対するバイアスっていうのが何かしら載ってるのかなってふと思ったっていうのが一つ面白いなと思ったところと、
もう一つは意外と人って同じようなものに影響を受けている可能性がある。つまり共通でいろんな人に読み継がれている古典みたいなものがあるんじゃないかなと思ったところですね。
みんな違う本を読んでいると思いがちですが、実はみんなが影響を受ける本っていうのはある種読み継がれ続け、そしてみんなそれをあげているっていう可能性が何かありそうだなと思いましたね。これ結構面白いなと思っていて、現状は選称棚というものを知っている人の中で、かつ選称棚を出したいと思っている人に絞って出しているわけですけど、
仮に誰でも選称をすることができて、選称棚をやるとなった時に、どこかしらで共通項が必ず出てしまうみたいなところがありそうだなというところが何か面白そうですよね。同じ本のジャンルとか同じタイトルとかが品質するみたいなところです。
戦書棚と現代の文章
まあそれはもともとは結局人気の本ほど出ている数が多いし、いろんな本屋さんに置かれてるし、いろんな図書館にあるしってことで目に触れる機会が多くて、読むことも多いからっていうのが一因だと思うんですけど、現人類、この生成愛が普及して2,3年の段階ではまだ共通項として出てくる本がいっぱいあるんだろうなっていうふうに思いました。
逆を返すと、この2,3年で文章というものはAIの文章、きっと皆さんも気づいてないだけで見ている方多いかなと思いますし、AIで作られた小説とかウェブの文章とかいろんなポストとか見ていく中で、選称棚ってどうなっちゃうんだろうなっていうのも思ったんですよね。
ある意味昔はというか、この2000年代入ってちょっとくらいまではみんな本とか同じようなものを読んできたわけですが、一億総クリエイター時代ということもあって、誰でもウェブ上では書籍を出すことができたりとか、文章を書くことができたりってことで趣味が多様化している感じがするので、そもそも古典となるものがあるのかなっていうのは気になっています。
わかりやすい例で言うとテレビですよね。2000年代の初頭ぐらいまでって、大体小学校、中学校、高校、大学とかも含めですけど、大体テレビで見た内容って共通ネタだったと思うんですけど、今はYouTubeもあるし、いろんなNetflixとかアマプラとかそういうウェブでいろんなものを見れるようになっているので、
共通のネタで話すっていうのを自分の身近の人間でできるということがちょっと減ってきているかなと思うんですよ。それに類する形で、千書棚もみんな同じようなものを読んだり見たりしているわけではないので、もっとバラエティがあるというか、共通項っていうのは減ったりするのかなと思ったりしています。
加えて、そもそも人の文章というものが見分けつかなくなってきていると思うんですよ。つい最近も話がありましたが、例えばAIで簡単に物語が作れるようになってしまっているので、小説家とかの新人賞とかの応募っていうのは多分なくなるでしょうし、最近は千流とかもですね、応募がなくなったりしたというニュースも出てきています。
それは結局、人が書いたものが判断ができなくなってきているからだし、そういうAIを使って制度の穴じゃないですけど、一人で何百本も応募することもできちゃうようになってしまったので、おそらくそれも影響を出るだろうなと思いました。
ちょうど直近でも小説サイトの書く読むだったかで、1日でありえない量の小説を出すのはやめてくださいみたいな声明が出てきたりするぐらいですから、本当に何でしょうね、人間が精査をして残してきた名作というものが1900年代から2000年代初頭までのものは残ってるけど、
この2020年代以降は残りにくいんじゃないかなと思ってしまいました。逆を返すと、これを正常と言うべきかわかりませんが、2020年代、2030年代、2040年代以降も、
戦書などに置かれる本というものは、その生成AIとかAIによる文章生成をされる以前にきちんと評価がされて、ある程度実力を担保された人の書籍しか残り続けないというのもなくはないのかなと思ったりもしています。
あとはですね、先ほども少しお話ししましたが、戦書にはバイアスがあるという話をしていたと思うんですけど、結局戦書をするにはやっぱり文脈が必要というところはありますよね。自由な戦書っていうのはやっぱり存在しないと思うんですよ。
結局選ぶということは何かしらの基準とか文脈が必要になるので、それがおおよそ皆さんにとっては人生とか自分のことというバイアスがかかっているので、似たようになるのかなと思ったりしますし、逆を返すとその文脈次第では本当に多様性のある書籍が置かれるとかですね。
何かしらの違いというものは出てくるかもしれません。この文脈がある種普遍的であればあるほど、みんな同じようなものを戦書をするので、その中で選ばれるものであればあるほど、その書籍というのは古典になり得るものなのかなとも思ったりします。
そんなわけで、戦書棚というものを初めて自分の目で見て、いろんな方が自分のいろんな本を選んで、ビジネスになるかどうかはさておき、人に届けたいという思いで選ばれた戦書棚を見ると、なんだかその後ろに人がいるなっていうのが今回の話でした。
もし皆さんが何か10冊本を選ぶとしたら、何について、どんな基準でどんな本を選ぶでしょうか。そしてその頭の中に浮かべた本というのは、古典として残りそうですか。
僕自身の頭の中で浮かんだ何冊かの本というのは、今の自分が勉強してきた大学時代の専攻につながっていたりとか、社会人の中でもつながっていたりとか、やっぱり自分の人生の中に影響を与えた本であることが多いので、もしかしたらバイアスがかかっているかなと思ったりするわけですけども、
何かしら本を選んでですね、人に届けるというのはやっぱり面白いので、何か機会があったら自分もやってみたいなと思いましたね。そんな戦書棚の面白さや未来を考えてみた、2024年の11月の現代人でした。
ということでエンディングです。今回は大阪のですね、シェア型書店のホトリオで出会った戦書棚の話の起点として、10冊の本で人は表現できるのか、10冊の本から人の価値観や思想というものは読み取ることができるのか、はたまた戦書というものは人によって変わらないもの、変わるものがあるのか、みたいなところをお話をしてみました。
僕もですね、いつか何か自分の思いをですね、選んだ本として届けるということをすることがあった時には、何かしら皆さんに僕自身の思想、価値観というものが見えるものを選んでみたいなと思いつつも、
なんかそれはそれでなんか尺だなと思う、ちょっと天の尺の自分もいるんですが、楽しんでやってみたいなと思っております。
番組ではお便りを募集しています。Xのハッシュタグ、エコー3000まで応援してください。
では今回はここまでです。現代人の皆さんも未来人の皆さんもまた次回お会いしましょう。
じゃあね。
23:38

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