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拝啓、3000年の人類へ。私はこう考えます。
デジタルの鎖から解放されたい。
最近というかね、今日しゅんちゃんと会って話してたんですけど、
わりとしゅんちゃんは、どこでも作業をしちゃうというふうに聞きましたと。
移動中もそうだし、常に何かをやっているというような人なんですけど、
それって大変だなぁとかね、常に考えているから大変そうだなって思ってましたと。
それを可能にしているものって結局なんだろうって考えた時に、
あれだよね、充電器とかね、充電ケーブルを常に持ち歩いているのが良くないかなと僕は思っていて、
今回その話をしたいなと思うんだけど、
僕個人としてはね、充電器とか充電ケーブルっていうのはさ、悪い文化かなと思いましたと。
なぜなら、それがある限り無限に作業ができてしまう。
パソコンやスマートフォンから離れられる時間がなくなるので、
常に液晶に向かっているわけですよ。
それって健康に悪くねって僕は思うんだよね。
常に頭を何かしら使い続けているわけだから疲れも取れないし。
だからこそ悪い文化かなと思うんだけど、実際最近どうですか?
充電器を代表のしんちゃんです。
僕はね、充電しながら、充電のバッテリー?アダプターがあって、
それでPCを充電すると同時にそのアダプターが携帯充電器になってて、
そこにどんどん溜まっていくからコンセントから抜いても永遠に充電が止まらないっていうやつの
最高級品を買わせていただいて、常に作業をしています。
充電器って言っても作業できたら最高なんだよねって思うけど、
あと僕は電車に乗りながら作業するのがすごい好きで。
言ってたね。
基本的にハッピーではあるんだよな。
常に例えば文章を書くでもいいし、デザイン作るでもいいしっていうのが楽しくてやってるっていうところはあるけれども、
一方でどのタイミングでじゃあ休むんやっていうのはある。
だよね。
けどそれは僕はお風呂に行く。
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戦闘で水はまだPCもついていけてないので、まだお風呂では作業できない。
そこでは想像を膨らませさせてもらってます。
そこでも一応考えはしてるんだね。
でもマジで近くにめちゃくちゃボロい戦闘があって、最高やけどそこが。
そこでいつもアイデアが浮かぶ。
やっぱり離れるべきなんじゃないかというと。
そこからも離れるべき?
充電というかスマートフォンを持つこともそうだし充電器を持つこともそうだし充電ケーブルを持つことも一回やめた方がいいんじゃないかなと思ったりはしました。
ただ一方で世間的にも充電ができるカフェとかを調べることも多いだろうし、
だいたいカフェって最近充電できたりするんだよね。
新幹線も充電できる。下手したらコンビニでも充電ができるということで、充電から逃れられない世界になってしまったんですよ。逆を返すと。
もうより逃れられない技術、今というか結構前から考えられてて、無線充電ね。
あるね今も。
だからディズニーランドに行くと充電減りませんみたいな。
僕がちょうど見た論文がオリエンタルランドの研究部門の無線充電。
そこがやっぱりやるんやと思って。
ディズニーランドが無線充電とかを一番初めにやる。
ディズニーランドに行くといろいろおいしいし楽しいし電気も減りません。
というのが多分実現されるのか。
もしかするとユーザー向けの無線充電じゃなくてアトラクションの無線充電の可能性もあるかな。
そうだよね。
マグカップ回るやつとかがどこからも線つながってないけど動くとか。
なるほどね。
でも今の話聞いてるとディズニーランド行ってまでスマートフォン起動するのもったいないなって僕は思う派。
それはそうだなと思ってて。
ちょっとこれ今最初充電の話から入っちゃったけど。
どうぞ。
最近さ、どこ行ってもみんなスマートフォンで動画撮りすぎだと思う。
あー思う。
ちなみにちょっとここであっちゃんが喋る前に補足させてもらいたいんだけど。
僕スマホは好きじゃないからな。
スマホは好きじゃない。でも作業は好きってことね。
はい。ではどうぞ。
なんかすげー最近もったいないなって思ってるのが、せっかく現地に行ってるのでそこで動画を撮るっていうのはさ、集中力が半減するわけよね。
だからさ、コンサートとか行っても動画撮ってる人めっちゃいるし、野球場とかでもさ、生で見れたから動画撮っときたいとかってあるけれど、今生で見てるんやと思うんだよね。
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だってもっといい価格はあるからな。
ね。
プロの人がさ、動画とかって撮ってくれてるからさ、なんでその人が自身で撮る必要あるんやろってめちゃくちゃ思う。
自分で撮ったっていう資産を持ちたいのかもしれないけどね、それは。
自分が撮った動画だっていう価値?他の人が撮ったものじゃなくて自分で撮ったっていうところに価値を見出すっていうのもある。
もっと全力で生きろよ。
でもなんかそれもあってさ、今ちょっと話がずれてきたけれど、なんかその、囚われてるよね、我々。
充電もそうだしさ、動画、写真とかもそうだけどさ、なんか我々身の回りでもっと自分自身が一番こう感受性、感受性というか感覚器と言ってさ、一番作れてるわけじゃん。
自分の目で見て触ってっていうのが人間にとっては一番感覚器であるはずなのに、スマートフォンを返して撮っておきたいとか、なんかそれってすげえもったいないなって僕は思ってて、
充電っていうか入ってるけど、スマートフォンを充電し続けるということは何かしら使い続けるというわけで、それは自分の感覚器ではなくてスマートフォンで感覚をとってるからもったいないことしてるなっていう。
飯来てさ、写真撮ろうっていうのあるやん。あっちゃん撮る派あるやん。
何食べたかっていうのに撮ることはある。
なるほどね。僕、あれでさえ割とムカつく派で、熱々食えよというか、全力でやっぱり生きたいのよ。でもそれって未来に残すための今やん。
未来に残して未来から振り返るための今やん。なんてもったいない。
もったいないな。
今100%でいい。
写真撮った時にもちろん綺麗っていうのは最近撮れるからいいんだけど、そこで視覚的な情報を残したから今は適当に食っちゃっていいやってなってないかなって思うんだよね。
食べたことを振り返る時の喜びのために今食ってるみたいだね。
クソやな。
僕も写真撮るのすごい好き。それは何かっていうと、写真を撮るっていうことに全力であるっていう。
今さ、ここで自撮りしようぜって言ってウェーイってなるっていうその場が全力な時に写真を撮りたいのよ。
それは別にその写真は撮った後消してもいいのよ。もはや僕にとってはね。
そうじゃなくて、今この写真を撮る。今ここで思い出を刻もうぜっていうことに、今全力で楽しいっていう時にカメラ使うの愛やけど。
それこそカメラを撮るってことを楽しんでる。単純にこのお花を撮る。全力で撮る。楽しい。
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振り返るために撮るっていうのは違うなって思う。
振り返るっていうのは肯定的な要素であって、それのために撮るっていうのは僕も良くないと思ってて。
もちろん写真を撮っておくことで過去の自分がその時に何をしてたかとかっていうのが記憶が紐づくのはそれは良いと思うんだけど、
あくまでも一番体験を楽しむべきなのはその写真を撮ろうとしている瞬間であってほしいなと。
そう思います。
思うんだよね。だからさっきのディズニーランドもそうだけど、もちろんディズニーランドに行くっていうのは良いことだし、
ディズニーランドの写真を撮りたいっていうのは分かるんだけど、もっと楽しめる要素ってあるんじゃないかなって思ってて。
例えばさ、ディズニーランドってさ、すごく建物の再現もされてて、隠れミッキーがいるとかっていう体験をめっちゃできるわけよね。
その場にいるからこそ。それを全部写真にしちゃうと、なんか体験ではなくて事実を撮ってるだけだよね。
はいはいはい。
その時間を過ごしたことの楽しさというよりは、そこで体験したという事実の方を大事にしちゃってる。
なるほどなるほど。
だから、なんかあんまり写真とかで、もちろん僕も写真も動画も撮る人間だから人のことは言えないんだけど、自分が一番の感覚器なんだからスマートフォンに頼るだけじゃなくて、自分の感覚をもっと使ってほしいなと。
もちろん僕も動画も写真も撮る人間なんやけど、すごいあっちゃんの話には共感していて、動画を撮る、それは後から振り返るためっていうので撮るっていうのは良いねんけど、
それは何やろうな、作品を作る、今全力で作品を作ってる、今も全力で、それは後でその全力で楽しむこともできるっていうのやったら良いねんけど、やっぱその今が全力じゃないというか、
やっぱ何かのための今、それこそSNSに載せるための今の行動、この瞬間であったり、後で振り返るための今の行動、この瞬間であるっていうのは、なんか大丈夫か人生って思う。
こういうラジオとかだったらさ、まだ良いんだよね。なんか普通に喋ってることを、なんかこう考えるときもできたりはするんだけど、動画を、いわゆるカメラマン兼主役っていうになっちゃうと、それはなんか違う気がしていて。
例えばさ、カメラマンが何かこう頑張っている人を撮るっていう状態であれば、自分が例えばさ、なんだろうな、陸上の試合でも何でもよ、その出る側で何か全力で頑張っているところを残してもらうのはいいじゃん。
でも、100mを走りながら自撮りしたらさ、なんかそれ違うかね。
言っても理解できる?
えーと、それがどういう意味で違うか。
っていうと、カメラマンに撮ってもらっている自分っていうのは競技に集中をしている自分であるわけよね。
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はいはいはい。
だから今全力そのものに向き合っている状態で、それを外部に撮ってもらうからそこに集中しているし、撮られた写真も違う人に撮られたから価値があると思ってるけど、
100m走りながら自撮り撮ってたらそれはどっちに集中しているんだって話。
ちょっと今の話を聞いて僕が思っちゃったのは、バリおもろいやんと思って。
それを全力でやってたからな。
全力で自撮り、100m自撮りで撮りながら走ってみたっていうのを、全力で作品として作るんやったらバリおもろいってなるけど、
その100m走るのは自撮りするために100m走ってますっていう話やと違うなと思うけど、
自撮りするために100m走ってますっていうこと自体がもはやよく意味がわからないから、それはバリおもろいと思っちゃった。
極端な例だよそれは。極端な例であって、今自分が楽しもうとしているものに全力で向き合っているっていうのを誰かが撮っているのであればそれはいい写真だと思うんだが、
今せっかく楽しんでいる状況を後でのことを考えて撮っちゃうというのはもったいないなって。
もったいない。ほんまに。大丈夫かって思うっていうのが僕の全ての集約やな。
僕が感じている楽しさの4分の1の楽しさしかこの人たち知らないのかなっていうふうに僕は感じているそういう人たちに対して。
カメラマンだったらいいんだよね。それがカメラが仕事だしさ、伝えるっていうところをフォーカスしてるからいいんだけど、
自分が感じるところに対して伝えるまで入っちゃうとノイズだなって思う。
今のわからない。
例えば、わかりやすい例で言うと、旅行系ユーチューバーっているじゃん。
あれの人たちはその旅行に対して自分が楽しむというよりは紹介をするっていうタイプ好きだからいいけど、
自分も楽しみながら旅行系ユーチューバーをするってなるとブレるじゃん。
今は仕事で動画一通り撮り終えました。じゃあ今から温泉入る。これは全力で楽しむっていうのを
仕事とお金稼ぎのため、生きていくためっていうのと自分が楽しむためっていうので切り分けてる人はいいんだけど、
そこを整理ついてない人というのは良くないなって思う。
なんかもったいないなって思うよね。
多分そういうことだと僕は思っているんだけど、楽しむのであれば集中したいなっていうのはある。
確かにもったいないって思いももちろんあるんだよね。貴重な体験をできている方のことを残したいみたいなのも多分あると思うし。
違うけどな。
分かるよ。分かるけど違うなって思う。
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もちろん集中した方が絶対に楽しい。
撮りたいと思う心理は分かるけど、もったいなすぎだろうと。
この全力で楽しいやつを撮るっていうところに脳を割いたせいで半分ぐらいしか楽しくないんだろう。
もったいな。
そう。だからこの話、今の話だけど、それは次回の意味もあって、
自分も結構さ、海外旅行とか行った時に写真とかよく撮ってたし、動画も撮ったけど、
それもったいないことしてたんじゃないかなって今振り返ると思ったりしてて、
せっかく現地に行ったのに動画で撮ることを優先しちゃって、
今感じられるものを全然感じる時間を撮れなかったっていうね。
ストリートビューでええからな。
まあね。
でもあれやと思うね。やっぱり海外に行って海外の写真を撮るっていうこと、
そのパッケージ、それが全力ですと。
そのパッケージを全力で楽しんでますっていうのは全然ありやと思う。
まあそうだね。
そういうアクティビティーとかやってるのに、その瞬間を動画撮りながらやってると、
アクティビティーのことも考えながら動画のことも考えとって、
なんかもったいないなっていう気がする。
そういう意味ではもしかして、ここに行く、写真撮る、SNSにあげる、みんなが反応するまでの
全てのパッケージを全力で楽しんでいるんだというのであればいいんかもしれない。
そういうことなんだな、彼らは。
俺、輝いてるぜ。俺、楽しんでるぜ。どうだどうだっていう承認欲求が強くなりすぎたがゆえに、
みんな動画を回すようになっちゃったっていうのもあるかもしれないね。
どうしてもさ、今のご時世ってさ、昔みたいにさ、
僕らが本当に小さい時ってスマートフォンまだなかったし、
そういう楽しんでる人っていうのが自分たちの目の前にいるというか周りにいる人だけだったけど、
もっと楽しんでる人がいるとかっていうのが見えてしまうと、
いやいや俺も楽しんでるだぜっていうのを出したくなる人がやっぱりいるわけよね。
なるほど。
僕らは今までは同じ学校の中で聞いた話で楽しんでる人とかは聞いていたけど、
それだけじゃなくて同じ同世代でもっとお金を持っていて海外旅行に行っててみたいなのを見てしまうと、
自分だってっていう。
自分もこんなことやってるんだぜって言いたい人も多分いるだろうし。
なるほどな。
でも散歩とかめっちゃ楽しいけどな。
そういうのを見てしまうと刺激が強すぎて、
自分のやってることが大したことないねみたいな。
なっちゃうかな。
そうなんかな。
愚かやな。
人類は愚かっていうケツになっちゃうけど、大丈夫?
でも人類は愚かじゃないよ。
愚かになってる人いるよねってことだよ。
そうじゃない人ももちろんいるからな。
そうだね。
話を戻すと、最初は充電器とか充電ケーブルっていう話をしたわけだけど、
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それってある意味ペットにつけてる首輪と一緒なわけなんだよね。
ずっとスマートフォンとか作業をしてたりとか、
何かを撮ってたいっていうものにずっと縛られ続けてる。
僕それと一緒にせんといてほしい。
僕は作業をしてるっていうのは、
例えば山に行って絵描いてる人ってどう?
別にいいと思う。
全力で楽しんでるような。
それは楽しんでるとは思うよ。
それと一緒だよ僕は。
じゃあどこ行っても作業を楽しんでるってこと?
そういうこと。
電車で、
じゃあもうちょっと僕に近づけると、
車窓を見ながら執筆活動をしている作家ってどう?
それはいいんじゃないかな。
それに辛い近いところ。
僕の作業がPC使ってデザインしたりとか、
クリエイティブな仕事をしてるってことだよね。
っていうことだから、
まぁええんちゃう。
最初悪い文化とか言ってたけど、
結局はそれはそれでいいってなっちゃうけど。
それはそれでいいやろ。
僕は僕のこと愛してますから。
いいですね。
で、そのスマホで常に車窓も見ずに、
SNSで起こっている何の価値もないことを見てる人間とは一緒にしないで。
これはクリエイティブなものを作ってるんだ。
そうですそうです。
そうか。
それはそれでいいことかな。
いいことかなと思う。
もともとの話としてはあれだよね。
ずっと作業をしてい続けるっていうのも、
それはそれでメンタルとか、
体調に悪いっていうのもあるから、
それがずっと繋がれ続けてるって意味で、
クビアかなっていうのも。
でもそれはそうかもな。
じゃあ忙しくなかった3日間ゴロゴロしようっていう時に比べて、
僕がよりピュアに世界を見れているのかっていうと、
それはそうじゃないかもしれない。
だからそういう意味ではあっちゃんの言葉が合ってるかもしれない。
電気化せいにも何もなくて、
3日間ダラダラして、
6日目に3日ダラダラしたしちょっと外を出るかって、
なんとなくボケとしながら電車乗ってどっか行くっていう時のピュアさは今ないな。
目の前のことに作業をやってるっていうのもあるから、
感度は下がるよね。世界に対する。
それはそうや。
でもそれは僕の中ではね。
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僕の中ではやっぱり今詰め込むのが効率いいかなっていうところで今頑張ってる。
それは何のためかっていうと、
何もしないで良くなるために何かをしてる。
ある意味ではエンジニアの思想と似てるかもしれないけど、
楽するために今頑張る。
だから僕はそれはベストなのは何もせずに、
今日も1日部屋の天井を見ていたっていう日々を過ごすために、
今は部屋の天井は見ない。
なんか名言みたいなこと言ってるよね。
そうだね。
でも確かに夢中になるものがあるんだったらそれはそれでいいと思うし、
それっていうのはさっきので言うところのスマートフォン持ってない状態と同じではあるからさ。
全力で作業に移動する。
全力でやろうとしてっていうのが良いことだなと思います。
ただ一方で、僕は体調であったりとか、
頑張りすぎた時に何もできなくなってしまうってところを心配をしているという部分もある。
ありがとう。
風呂に入っている時以外何も考えているわけがないとか言われるとさ、
脳みそをショートしないって思っちゃってさ。
まあでも寝てるからよく。
寝るのが確かに大事だよね。
睡眠はおろそかにしてる。
この話をどうまとめようかっていうのを考えながら話していたんだけど、
楽しめることがあるのであれば、目の前のことにはやってほしいなと思いつつね、
常にやり続けることができてしまうっていう世界になってしまったがゆえに、
おろそかになっていることとか、
自分の感覚に対して感度が鈍っていることがあるかなと思っているので。
確かに不可抗力だらだらね。
それがあると思うので、たぶん今後進むんだよ、さらにそれは。
逆を返すと。充電がもっと長く持つっていう技術がたぶん今後出てくると思うし、
どこでも充電できるっていう話だったけど、
それって電柱一本単位でできてしまう未来が来なくはないわけじゃないですか。
電気代の請求はスマートフォン側で蓄電された量で換算されるっていう未来も起こり得るわけなので、
逆に自分で意図的に遮断をしないとやり続けるっていう社会を。
そうなってきた時に、ふと今話したことを皆さん思い出していただいて、
ちょっと今日はスマートフォン電源切っとくかとかね。
ちょっと今日の夜はスマートフォン切って早めに寝るかとかね。
そういうのちょっとやってもらうと、もしかしたら普段我々が感度下がっていた日常の体験とかさ、
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日常の日々みたいなところにもう少し気づけるようになるかなと思いました。
という感じですね。
そう、返信遅くて怒るやつはそもそも友達じゃねえから。
今日は返信ゼロで行こう。
どうした急に。
確かにね、前話の方がそれだったらいいじゃんっていうシチュエーションもあったりするけれど、
スマートフォン見続けるだけっていうよりはね、
スマートフォン置いてね、ゆっくりするっていうのもね、たまにはやってみてはいいんじゃないかなと思いますね。
はい、ということでエンディングです。
こんな話をしているとね、夜も深まってきてなんともうすぐ0時っていうね。
ギリ耐えですね。
ギリ耐えですね、本当にもう。
実は今日はもう何分か撮ってるんですけども、3時間近く喋ったら下手したら。
そうね、いや4時間じゃない?
4時間?
え、だって4時間じゃないわ。
今日3時間ですよ。
あ、ほんまや。
我々はくだらないことでもダラダラと喋ってしまうので、3時間も喋っていたということなんですけども。
今日はよく眠れそうですね、そういう意味では。
そうね、もう実は後半の1時間は頭使いすぎてお腹がすごい鳴ってたので、これからめちゃくちゃ飯食います。
夜食ですね、この時間だと。
皆さんもね、こういうバカみたいに長く喋っているだけじゃなくてね、もうゆっくりしてください、本当に。
いや、喋るのはいい。
喋るのは確かにいいことですね。
スマホを手放してギンギンと喋りましょう。
そうだね。
ということで今回はこんな感じなんですけども、我々Twitterの方もやっております。
最近はあんまりつぶやけてないところもあるんですけども、皆さんと交流もする場だと思ってますので、ぜひぜひコメントとかいただけるとね、我々も反応しますのでよかったらお願いいたします。
あとはやっぱりTwitterもそうなんですけども、SpotifyとかApple Podcastの方のフォローであったりとかね、コメントいただけると嬉しいです。
ということで今回はここまでにしたいと思います。
現代人の皆さんも未来人の皆さんもまた次回お会いしましょう。
夜だからもう下が回らなくなってきました。