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2021-05-21 26:10

第314回 特別ゲスト・武沢信行氏「21年間毎日メルマガを継続するインパクト!」

第314回 特別ゲスト・武沢信行氏「21年間毎日メルマガを継続するインパクト!」上場企業から中小企業に至るまで、2万人を超える営業支援を行った青木毅が、営業に関わるあらゆる問題をわかりやすく解説する番組です。 ★番組への質問はこちら↓↓ https://ck-production.com/podcast/aoki/q/
00:04
青木たけしの質問型営業。営業、それは商売の原点。
トヨタ、大阪ガス、青京などの営業マンも実践。
2万人を超える営業支援を行った青木たけしが、営業の真髄を語り尽くします。
こんにちは、遠藤和樹です。青木たけしの質問型営業、青木先生よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いいたします。
さあ、今日は特別ゲストでございます。
今日は特別ゲストやね。
なんで2回言ったんですか?
いやー、本当に、なんで今まで出てもらえなかったか。
いや、本当そこですよ。
なんで出てなかったのかなっていう感じの方を、今回はお呼びさせていただいておりますので、早速ご紹介したいと思います。
本日のゲストは、有限会社がんばれ社長の代表、武沢信行先生にお越しいただいております。武沢先生、よろしくお願いいたします。
こんにちは、よろしくお願いします。
武沢さん、よろしくお願いいたします。
今日ちょっと上手くしゃべれないんで、勘弁してくださいね。
どうしました?
歯の治療中でね、前歯の上のほうがちょっと今、一本欠けてる状態なんで、
滑舌が悪いと思います。
全然そんな感じじゃないですけど。
あいうえおかきくけこはスラスラ言えるんですが、さしすせそはこんな感じです。
言えてるよ。
さしすせそとたちつてとは言えないので、なるべく作業、他業を使わなくても済むような、どんな番組の議論にしていきましょう。
どんなんや、それ。
そんなことじゃなくて、自己紹介と言いますか、簡単なプロフィールをご紹介させていただきたいと思うので、後にご紹介をお願いしたいんですけども。
Kコンサルタントという言い方がいいですね。
世の中の社長さんたちに事業計画等々を支援しているというのが私の認識でありますけれども、あとは21年間メルマガを毎日。
すごいよね。経営者メルマガの先駆者やからね。
本当にそうですよね。
竹澤さんとは前の外資系の教材、その仕事が一緒やったんですよ。
そうですね。30代ですね、お互い。
私は29代で入ってるけど、その後に実は石原さんがおるんですよね。
3%のね。
確か1年違いですよね、お互い。
石原さん亡くなっちゃったけどなぁ、残念。
03:04
悲しいね。
本当に今年の話ですけどね。寂しくなりましたけど。
ちょうどあれですよね、東の石原、西の青木、中央の竹澤と言われたという話は、いろんなところで金が引いておりましたけれども。
お互い外資の教材の代理店で、日本220社ぐらいあって、東京、大阪、名古屋ということで。
これ代理店がだいたい30名から50名ぐらいいましたよね、みんな。
そうですね。
我々と言いますか、同時期に入ったんですけども、我々が入る前はあんまり売れずに苦しんでいたんですが、
我々が入ってから物の見事に売れまくるようになりましたよね。
そうそう。みんな30前後ぐらいでね。そんな若いやつに売れるか、みたいなね。
結婚されたときもっと40とか50とかね。
いろいろ人たちがはみこってたよね。はみこってたって怒られるけどね。
悪の強い人がね。
それで我々が入って、本当にメンバーを騒動にして売れて、東京、それから名古屋、大阪。
これがもう本当、あと九州までありましたけど、トップ5に必ず入っててね。競ってたというね。
このメンツが。
竹澤さんも私も石原君も、全部ナンバー2なんですよ。
代理店のってことですか。
代理店のナンバー2なんです。
すごい共通項で。
3人ともね、癖のある社長だったんですよ。
語弊のある人もひょっとしたら聞いてもらえるかもわからないんで、あまり言いませんけど。
ナンバー2がうまくコントロールしてマネジメントしてたっていうふうに。
でも今では、お三方逆に同じこと言われてると思いますよ。
癖の強い人たち。癖の強いコンサルヤ。
そうなるんや。
なるのかもしれないね。
いやー、本当に懐かしいね。
どうやってこれ売るんやみたいなことで、本当悪戦苦闘してたもんね。
でも言ってしまえば、今はこういう感じでお話しされてますけど、要はライバルってことですよね。
ライバルなので、青木さんと石原さんはわりと親しかったみたいなんですが、
私は後発組というのもあって、また癖の強い売り方もしてたのかもしれないけども、
名古屋の人たちとは交わるなっていうふうに石原さんから東京の人たちに通達言ってましたよ。
どういうことですか。
要はね、正しい売り方じゃない情報をくれちゃうから、
正しい売り方は俺たちが教えてる通りにやってほしいから、
06:01
その癖の強いやり方を学ばないでほしいっていう。
竹澤軍団にまだ触れるなと。
そんな感じで嫌われてましたよ。
どんな売り方してたんですか。
でも逆にね、名古屋は名古屋で基本に忠実にやってるつもりだったんですよ。
すごい、そういう意味ではプレゼンテーションを本当に大事にやってたよね。
ただトップの考え方とやり方が違ってて、
名古屋は一人ずつのセールスマーが強くなるっていう。
強くなるためにはベーシックに忠実にっていう考えでやってたんですよ。
東京はね、一人一人は弱くてもいい。
その代わり組織力で、チームの力で一人一人売れるようにしようと。
大阪はもうすごかったね。
一人一人はもうみんな中小企業の社長、押し出しの強い。
そういう迫力ある人間でなければ、中小企業の経営者に売れない。
なんか芸人魂的なやり方ってことですか?
そんな感じが。
さすが大阪チーム。バランバラじゃないですか。
内野は、うちなんかもコンのスーツ以外着るなっていう話だったからね。
コンなんだ。
IBMの社員みたいです。
そうなんや。
本当にね、そういう中で、それでも何とか売ってきてね。
どのように苦労して、今ここにそれぞれ全く違う世界に今、
世界ってコンサルという意味ではね、記憶あるんですけど、
また全然色も違うし、サービスも提供してるものも違うじゃないですか。
どうやってここに行き着かれて、今こうされてるみたいなところって、
話したらもう1時間ぐらい話せちゃいそうですけど。
何度でも出てくるね。
僕は手短に言うとね、20代のときに最初にカルチャーショック、
勤務先で受けたのが経営計画書というものの存在だったんですよ。
社長が発表する経営計画書にね、むしゃぶりしちゃって、
なんですごい会社に僕は入ることができたんだっていう、
その感動がね、サラリーマンの幼児体験みたいになってるんで、
経営計画書がない会社っていうのがあると知って驚いたのと、
それからない会社にこれはもう進めなきゃいけないという気持ちで、
20代からもうコンサルになりたいというのを書いてましたね。
オーナーに?
はい。願望リストに書いてました。
それを、そういう計画書を作るのを支援するような人になりたいの方に
意識は入ってたんですね。
そうそうそう。
そういうコンサル、船井さんの本だとかドラッカーさんの本とか、
当時読み出してたんで、
コンサルの願望と経営計画のありがたさと合体して、
これを教えるコンサルになりたいなというようなものを書き出したのは、
09:03
25、6のときですね。
やっぱり元はそうじゃないんだな。
もう私なんかもともと飲食、寿司やったからね。
それで遅れを取って、この世界に入ってきたけど、
もう立ち上がるにはセールスマンになるしかないとか、
営業になるしかないと思って。
もうすごい興味持ってたよね、そこ。
寿司屋から、僕それ知らなかった。
あ、知らないんだ、そういうの。
寿司屋から営業マンって劇的な違いじゃないですか。
180度くらい。
どういう方向かわかんないですけど、確かに。
まあ、だからそういう中でね。
だからやっぱり今思えば、竹田さんはやっぱりその望みどおりの道へ行ってるし、
私は私でやっぱりそこを極めたいと思ってるから、その道へ行ってるし。
で、石原君はやっぱりマーケティングとか好きやったからね。
ああ、そう。
そうそうそうそう。
やっぱりいかに…
SMI時代そうだったね。
SMIのときいかにトップから全部団体で落としていくかみたいなね。
そんなことやってたからね。
マーケティングだったんですね、石原さんは。
そうそう。
マーケティング的発想で教材売ってましたよね、当時から。
へー、じゃあバラバラで。
だからもう30年以上前、2、3年前です、これ。
3年前ね。
生まれてるか。
生まれてるか。
それで結局、一番最初に独立したのは竹田さん?石原君?
どうだろう、僕94年。
まあ同じぐらいの時期だよね。
どんなタイミングでみなさんは独立を決めた?
影響し合ってるんですか?
いや。
関係ないですか?
関係なしも何もないね。
一つはね、92年か1年にバブルが弾けましたよね。
思ったほどそれ以前みたいにね、ガンガン売れなくなってきた。
だから次のビジネス考えなきゃいけないねというような雰囲気がなんとなくあった。
それで金が温めていたアイディアを実行するタイミングがそろそろかもしれないなという、
そういう時代背景もありましたね。
じゃあ外部環境をちょっと読みながらというのはあったんですね、竹田さん先生は。
僕の場合はありましたね。
私は92年に会社が代理店が大阪のほうがあんまりうまくいかないようになったんで、
自分でもう1回やろうと思って、もう1回極めてみようと思って独立したんです。
自分でやってみようと?
そうそう。
3年ぐらいであかんようになって、その前に石原君独立したんだよね。
92年ごろってやっぱり転機になってますね。
12:02
そうね、あの頃。
でもあれですよね、当時リーマンのときに独立した方々って、
今活躍してる中で変な人多いというか。
たぶん今回で言うと、コロナのタイミングで独立した人間変なやつ多いと思うんですよね。
同じ感じですよね。
バブル期に独立してんの?
だからリーマンのときは質問が大変だよ。
リーマンのときにも今までのコーチングをやってたけど、
ここをもっと変えていかなあかん。質問が大変になったよね。
僕ね、コロナのとき投資研究会です。
リーマンは?
リーマンのときは何もないね。
何もなくやってきましたね。
あの頃、竹澤さんは、
それこそさっきのガンバレ社長のメルマガで、経営者用のメルマガで、
メルマガの先駆者ですからね、この人。
本当にいろいろその話は至る所で聞きますよね。
すごかったんやから。
広告だけでももう。
先駆者とは言えないと思うんだけど、
一応マグマグっていう会社がサービスを始めたのが97年で、
僕が始めたのは2000年ですから、本当の先駆者じゃないんですけども、
ただITバブル崩壊した年なので、2000年というのは。
そういう意味では今頃メルマガなんて言われましたよ。やりだした頃。
やっぱりそういう意味でも逆張ってますね。
どのタイミングでもみなさんは逆張るんですね。
どっか行ったからなあ。
先駆者という気持ちはゼロで、むしろ最高発っていうつもりですよ、ずっと。
さすがに今最高発とは思わないけども、
5年ぐらいは高発組だと思ってまして。
竹澤先生はメルマガはずっと仕込んでたんですか?いつかやろうというか。
書くことを仕事にしたいという願望はずっと20代からありましたね。
それも20代だ。
書くことが好きだったんですよ。
ただ書いてご飯食べれるとは思ってもいなかったんで、
趣味みたいにしてやってましたけど。
ウィッシュリストの実現やね。
ウィッシュリスト書いてました。20代から。
竹澤先生がバーンって言ったっていう表現されてますけど、
青木先生はあれですよね。
指加えて見てたよ。
その次に石原君が、営業マンは断ることを覚えなさいって言ったんですよ。
木の国がドゥワーって流れてて。
青木先生はその時。
また指加えて見てたよ。
ありがとうございます。
ありがとうございまして。
石原さんと僕がね、別の友達と一緒に3人でね、
メルマガを1万人突破するにはどうやるかっていうセミナーをやったんですよ。
15:03
10万円ぐらいのやつでね、300人ぐらい集めましてね。
1日でね。
10万円かける300人で、いくら?3000万?
3000万を3人で山分けしましたよ。1日のセミナーで。
そういった時もありました。
ドル箱世代ですね。
いやいやいやいや。
それで俺は、その後質問が出るようで、ぼちぼちぼちぼち。
だけど気がついたらこれ3人がね、それぞれの分野で活躍してみたいなね。
いやー本当に。
でも経営者の方々を支援するという意味では共通ですね。
一緒ですね。
あーそうですね。
それ以外はもう何一つ被るとこないバラバラな感じですもんね。
個性豊かというふうに言いたいところです。
それでおととし10周年をやった時にね、ぜひ竹澤さんに出てもらいたいと言って、大阪で出てもらって。
あの時遠藤さん来てくれたでしょ。
はい。
それで東京は石原君に来てもらってね。
それで話してもらったんですよね。
会いましたね。何も関わらず初めてのゲストですからね。
それで去年3人で、私と竹澤さんと石原君と3人で公演やったよね、合同で。
夏やりました、去年。
初めてなんですか?
初めて。
初めて。
そうなんですか。
あれ去年、おととしじゃない?
おととしか。おととし、おととし。
去年頃だったもんね。
おととしね。
飲み会も3人とも出てね、居酒屋でね。
10人ぐらいの人も来て、やってましたよね。
あれが本当最初で最後になってもたけどさ。
すごかったんですね。
でもずいぶん竹澤さんも活躍して、全国、中国行ったりいろいろすごい活躍してるもんね。
中国とか行かれてるんですか?
和教会、今名前は和王子っていうのに変わりましたけども、
日本から海外に出て行って仕事を立ち上げるっていうね、
そういう人たちの起業家のネットワーク作ったんですよ。
2004年に作りまして。
最初の7,8年ぐらいはずっとコモンっていう肩書きでね、
各地の和教会設立で飛び回ってました。
竹澤先生そうなんですか?
僕は鎮太郎だとか常州だとかで、
中国人経営者相手に何度も講演やってますよ。
18:01
日本語で。
熟字通訳っていうのをつけてね。
大丈夫です。青木先生も日本語で台湾で講演されるんです。
それでね、「質問ありませんか?」50人ぐらいいましたけど、
50人が一斉に手を挙げるんですよ。
すごいな。
日本語で考えられないですね。
ただ質問の内容が中国的でしたね。
私はこういう製品は使ってるんですが、
日本でこれ売れますか?とかね。
めっちゃ具体的ですね。
極めて商売の話が多かったですけど、
1人2人はすごい良い質問しますよ。
日本企業の強みは、
社員と経営者が運命共同体というか、
一心同体でファミリー的になってるのが強みだと思いますが、
僕も中国でそういう企業を作りたいんですけども、
そのためには何をすべきでしょうか?
こういう質問をするんですよ。
ドキッとしますよね。
日本人が忘れてしまってるような経営の話を。
そういう意味では一番幅広く、
経営者ともすごい知り合いがいるだろうし、
活躍をしてるよね。
グローバルで見て、
いろんな角度から経営を見られた中で、
その目線から見た時に竹澤先生から見て、
質問が大事だというのはどうなんですか?
ポテンシャルすごいですね。
面白いところに目をつけたと思いますよ。
質問するスキルっていうものをさえ、
しっかりとマスターしてしまえば、
仕事だけじゃなくてプライベートでも、
やっぱりコミュニケーションの達人じゃないですか。
質問するスキルっていうのは。
相手の人がいかにして自分が話したいことを、
気持ちよく話していただくかということですよね。
それは言えますよね。
それができれば、掴みだけじゃなくて、
それがメインですよね。
僕も外資系教材売れない時代は、
一方的に製品説明ばっかりしてたんです。
あるんですね。
売れるようになった転機というのは、
相手の人が自分が望んでいることを、
本音レベルの話を引っ張り出すことができるような、
製品説明を身につけたから売れるようになった。
だからこれは営業って決して難しくないね。
質問するスキルさえ身につけていけば、
大事なんですが。
ただ質問するスキルが、経験と知識がいりますね。
そうですね。
うちで言ってるのは、本当にお役に立とうという、
気持ちがないと引き出せないからね。
そういうのって相手は見えちゃうからね。
そうね。
21:00
多少なりとも呼び水になるような話を提供しないと、
質問しただけじゃ答えてくれないっていう時もある。
そこをうちは人間関係を作れということを言ってるわけですね。
それでアイスブレイクでそこが仲良くなれば出てきますね。
時々ね、私教材の営業のときに質問をバンバンバンと発すると、
最初横に専務がいたりとか奥さんがいたりしたときに、
相手の人は人払いするんですよ。
ちょっと席外してくれるかなって。
一対一になってね。
専務や奥さん、旦那さんの席外してもらった一対一のときに、
初対面の方に何なんだけども、私実は独立したいと思ってるんですとかね。
そういうようなことを言ってくれるんですよ。
その瞬間にね、あ、売れたなーと思って。
そこ面白いな。
誰も言っていない秘密の話を、あって10分後の私にしてくれるわけですから。
そうですね。
青木先生は喜びすぎじゃないですか。
これやっぱ質問の技術の成せる技ですよ。
あまりにもストレートすぎるな。売れたなって。
言わないよ。ただ心の中で。
そんな言い訳ないやん。
売れましたねって。
いやーおかしいな。
でもやっぱり竹澤先生から見ても質問が大量。面白いというか、
ポテンシャルすごいなというところなんですね。
世界中で売れるんじゃないですか。
いやーありがとうございます。そう言っていただいたらね、
頑張りたいと思いますけどね。
パテント権利取らせてもらってアジアを任せてほしいですよ。
そっちのほうがでかくなって。
質問型営業の竹澤って言われてそうです。
まあというわけで、気づいたらもう20分。
いやいやいや。ありがとうございます。
今竹澤さんの活動とか、さっき言ったコンサルタントですけど、
他にも投資の研究会とかやったりね。
私あらゆるところでですね、なんで竹澤先生ポッドキャストやってないのって、
いろんなお客さんとかリスナーの方に聞かれるんですけど。
YouTubeされてますもんね。
特に深い理由はないけど、去年YouTube始めて、
やっとメルマガ以外のものをやりだして、
まだ極めてる最終なので。
YouTubeも今もう倍ぐらいになってるよね。
そうね。だいぶ一時一時と伸ばしていってますよね。
竹澤先生の情報を取りたいという方は、
YouTubeとメルマガの方を当然。
24:02
そちらの方をいただくと、いろいろとさっき言ってた通信の話もあれば、
経営計画の話とかいろいろと。
経営計画も本当に長年指導してますからね。
それが今までの専門ですよね、今までのというか。
私も勉強しに行きましたから、竹澤さんとこへ。
青木先生の計画見たことないですけど。
いやいや、ちゃんと持ってますよ、俺。ちゃんと持ってますよ。
ほんとですか。
まあ、というわけで、お二方集まると、瞬間的に盛り上がって終わると思います。
まだまだ時間は足らんですけど、
竹澤さん、最後にご自身のこととか、今後の展開とか。
そういうことなので、こうやって青木さんと遠藤さんとお話ししてると、
こういうトークの番組って面白いなと思いますよね。
ポッドキャストとか、今流行りのクラブハウスとかね、やってみたくなりますよね。
スタンドFMとかいろいろありますんでね。
そういうのもあるの?
まあ耳だけなんでね、聞きやすいっていうのはあるよね。
なんかしながらでも行けますからね。
YouTube見てくれてる人もね、声しか聞いてないっていう人、たまにいるんですよ。
ああ、なるほどね。
移動中とかね。
まあ、というわけで、またタイミングを見て、ぜひ半年後、一年後後どこかでね。
またこんなふうにお互い変化してますというようなことをね。
ありがとうございました。
というわけで、今回は竹澤先生にお越しいただきました。
青木先生、竹澤先生、ありがとうございました。
ありがとうございました。
本日の番組はいかがでしたか?
番組では、青木武氏への質問を受け付けております。
ウェブ検索で質問型営業と入力し、検索結果に出てくるオフィシャルウェブサイトにアクセス。
その中のポッドキャストのバナーから質問フォームにご入力ください。
たくさんのご応募お待ちしております。
26:10

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