00:09
あのさ、そう言って語り始める無数の私たちの話。
とるに足りないとされるかもしれないけど、それは私たちにとっては大切な話。
たとえ分かり合えなくても、言葉を紡いでいくことで見えてくる地平があるのかもしれない。
そんな可能性にかけて、まとまらない話を、結論のない話を、解決策のない話をひたすらに重ねていく。
あ、そう、そういえばね、本頼んでて5冊ぐらい。
ん?6冊?7冊?
全部やっと来たっていう感じなんだけど、この間りょうちゃん、
りょうちゃんも買ったって言ってたさ、レベガソルニットの新作。
私も買ったの。
日本語?
あ、日本語じゃないんだけど、ごめん。
日本語じゃない、ごめん。
だけど、日本から本買うのめっちゃ高いんだもん、送料が。
だから英語で買ったけど、たぶん同じ表紙?同じ表紙だよね?
うん、同じ同じ。
それ、やっと京都といったらすごい1ヶ月半ぐらいかかったかな。
なんかイギリスから発送するからさ、なんかめっちゃ、
安いのはいいんだけど、一番たぶん船便とかかな?
ので送ってくるから。
待ってこれ字こんなに?
なんか字が溶けてる気がする。
なに字が溶けてるって。
見てこれなんかホラー映画みたいになってない?見える?
めっちゃなんか、
気づかなかった。
まあいいや、読めるから中身。
まあいいんだけど、
あとは、
これたぶん日本語でも翻訳出てて何度もりょうちゃんに話してたけど、
裁判と魔女、日本語で出てくるかな?
そう、全部で1,2,3,4,5,6,7。
タワーじゃん。
めっちゃ楽しみ。
でもなんかさ、大学終わってそのまますぐさ仕事、
まあそれこそ大学まだやってる間に仕事始めたから、
全然その間、まあそれこそ卒業して仕事始まるまでみたいな、
03:01
その間の期間が一切なくないから、
自分の中で計画してた、
大学終わったら1ヶ月半、2ヶ月ぐらいのんびり好きな本を読んで、
みたいな計画が全部なくなったから、
なんか気持ちだけはそれを堪能したくて、
本をめちゃくちゃ頼んではいるんだけど、
読む時間が少ないみたいな感じでひたすら溜まっていくっていう、
そんな感じでタワーになってます。
これ、これかも。
キャリバンと魔女、前話してたやつ。
それを読んでみようと思って買った。
けどめっちゃ分厚い。
日本語でもめっちゃ分厚いよ、それ。
字めっちゃ分厚い。
イタリアの、あんま詳しくないんだけど、
イタリアのカチロードに賃金持っているというムーブメントの中の、
マリア・ローザ・タラコスタっていう人に、
を研究してる人がいて、
で、その人の報告がゼミでこの間あって、
その時にキャンペーンがちょうどその本の日本語訳版を持ってきて、
魔女狩りの話が出てきたから、
それでその本を持ってきてた。
えーすごーい。
結構分厚いよね。
この人もイタリア人だから。
イタリア系意味か。
だからそうそうそう。
結構めっちゃ面白そうと思って。
なんかこの間も記事出てたよね。
そうそうそう。
結構最近あちこちで活動してるよね。
なんか面白い記事見つけた今。
なんか出版社のインタビューみたいなのが。
えーこのリンク面白そう。
あとりょうちゃんが来る。
おーい、待ってます。
これと、
何だろう。
オリビア・ラングっていう。
翻訳されてないのかな。
なんかりょうちゃんめちゃくちゃ好きそうと思ったんだけど。
なんか、
日本語訳はなさそうだけど、
この人の文章を引用した本は翻訳されてる。
06:04
何だろう。
えっとね、
なんかそのオリビア・ラングの
Holy Cityから引用された言葉が、
日本語訳だと、
エレノア・オリファントは今日も元気です。
という小説の冒頭に引用されてるっぽくて。
ブログだから正しい情報がよくわからんけど、
ここに書いてあるのは、
深い孤独を覚えるほど、
人はその体験を終わらせたいと願うものだ。
でもそういう体験は単なる意思の力によっても、
あるいは別の何かを得ることによっても終わらせることができない。
終わらせられるのは、
誰かと親密な関係を築くことによってのみだ。
とはいえ、言うは安く行う若たし、
特に喪失や追放、あるいは偏見によって
孤独を覚えている人はなおさらだろう。
他人と関わりたいという強い憧れの気持ちと同じぐらい、
他人に対して強烈な恐怖や不信を抱えているのだから、
孤独を募らせるにつれ、
人は社会にうまく適応できなくなっていく。
そういう人の周囲には、
カビや水垢のようにどんどん孤独が増殖し、
本人がいかに人との接触を望んでも、
周囲との交流を妨げることになる。
孤独とは徐々に増加し、拡大し、はびこってしまうものだ。
ひとたびとらわれたら、はねのけるのはけいしてよいではない。
っていう文章らしい。
読んでてめっちゃいいなと思った。
めっちゃ好きそう。
日本語で訳されたらまた全然雰囲気違うけど、
テーマはそんな感じ。
ノンフィクションだけど、エッセイみたいな感じで。
一番今リョウちゃんが読んだ本、
The Lonely Cityが一番彼女の売れてる作品だけど、
彼女自身イギリス人なんだけど、
前の大失恋をした時に、
イギリスからニューヨークに移行して、
ニューヨークってそれこそ都市の極みじゃん。
すごい色んな人がいて、色々な文化があってっていう場所で、
孤独についてすごい追求していく。
もちろん自分自身も、
失恋した後で孤独だし、
都市にいる一員としても孤独だし、
自分の体験とすり合わせながら、
09:02
いろいろなアーティスト、
ニューヨークで活動してたアーティストたちを、
一人一人を分析しながら、
自分の体験の、
自分の孤独の体験と絡めながら、
彼らの孤独について、
孤独とアートの関係について、
追求していくみたいな感じの本。
主にアートをメインに、
芸術っていう視点から、
いろいろなテーマを模索するっていうので、
一番の新作が、
これ、
Everybodyってやつなんだけど、
これも似たようなアプローチで、
アートに、
芸術を通して、
物理的な体だったりとか、
政府とか組織みたいな、
ボディっていう、
体とかを考えていくみたいな。
それと、
体の自由みたいなところを、
すごい追求していく感じかな。
まだ読んでないけど、
常に、
芸術、
アートが中心にある感じではある。
全部ノンフィクションだけど、
エッセイみたいな感じ。
結構、
リサーチしてるし、
ものすごい情報量ではあるんだけど、
文献を読んでるみたいな感じではない。
のに、
いろんなことを学べるし、
かつ、
エッセイみたいな部分が、
うまく組み込まれてて、
全部、
訳してほしいぐらい。
てっきり、
訳されてるのかと思ってたけど、
全然。
これも同じかな。
これも、
芸術を中心に、
これは、
芸術の意味みたいな感じ。
だから、
世界が、
社会とかが、
それこそコロナだったり、
戦争だったりとか、
いろんなそういう、
大きな社会問題が出てきた時の、
芸術、
そういうものが出てきた時に、
芸術ってどこにあるべきなのか、
みたいな。
芸術の意味は、
社会の中でのそういう意味は、
何なんだろう、
みたいなのを、
いろいろな、
何人ぐらいかな。
だいたいいつも、
5、6人ぐらい。
これ7人ぐらいいるけど、
のアーティスト。
いろいろな芸術家だよね。
だから、
作家だったりとか、
それこそ、
画家だったり、
あと、
何だろう、
ミュージシャンだったり、
いろいろなアーティストたちを、
中心に、
分析していく、
みたいな感じ。
すごい、
多分、
りょうちゃん、
さっき言ってた、
12:00
ロンリーシティめちゃくちゃ気に入ると思う。
引用されてる本は持ってます。
何?
どの本?
今のこの、
引用文が、
冒頭に、
あるって言ってたやつ。
さっきブログのやつ読んじゃったけど、
普通にこっち読めばよかった、
と思ったんだけど。
エレノア・オリファントは今日も元気です。
という小説。
ずっとつんどくになってて、
結構、
2年ぐらい前に、
結構精神的に落ち込んでた時に、
その時読書会で、
普通にオフラインの読書会で知り合った人に、
これいいよって言って、
読められて、
すぐ読めたらいいものの、
そこからつんどくになっちゃってて、
でも今ここの冒頭見たら、
書いてある、書いてある。
そのまま読んで。
今見てたけど、
それ映画化されてる感じでもないかな。
読もう、これ。
読んでみて、また感想聞かせてほしい。
それが引用されてるっていうだけで。
この引用からめっちゃいいなと思ったし、
この部分を取ってくるのもいいなって思った。
確かに。
そこを選ぶセンス。
めちゃくちゃりょうちゃんに読んでほしい本。
こんなに本って翻訳されてないんだってびっくりしてる今。
自分の中では結構いろんな本がわりと早く、
もちろん前に比べて圧倒的にいろいろな本が早く翻訳されてるなっていう風には思ってたけど、
それでもまだ全然結構翻訳されてない本があるんだってびっくりしてる。
これもね、一応リンク送っとくけど、めちゃくちゃこれも翻訳ないっぽいけど、
すごい好きな本。
オリバーサックスっていうさ、農科学者っていうのかな。
神経学者って読むのか。
もう亡くなったんだけど、
彼はものすごく、
確かにすごい科学者だから、サイエンティストだからすごい、
15:04
その分野でもすごい認められた、いろいろなすごい研究をしてた人だけど、
同時にものすごい芸術とか文章を書くことが好きだったし、
すごいそういう分野で長けてた文章を書くなり、
ピアノも多分すごい上手かったのかな。
彼自身が研究してた患者さんたちも結構、
神経科学だから脳のいろいろな神経の誤作動みたいなものによって
音が見えたりとか、いろいろなそういう共感覚だったりとか、
そういう患者さんたちを結構見てきた人。
だからそういう視点からすごいいろいろな本を書いてて、
だから作家としてもすごい有名なのね、同時に。
でもその作家として書いてるテーマっていうのは、
自分の神経学者としてのテーマというか、
自分が扱った患者さんたちをテーマに書いてるみたいな感じ。
すごい面白い人なんだけど、その人のパートナーだった
ビル・ヘイズっていう人が、多分最後の数年間か、
何かな、オリバー・サックス亡くなったのかなんかで、
すごい結構苦しんでて、
彼のパートナーだったビル・ヘイズっていう人が
書いた本なんだけど、今送ったやつ。
だからなんか彼とオリバー・サックスとの関係性と同時に、
多分どっちかが不眠症で、
どっちかはめちゃくちゃ寝られる人なの。
一方が寝てる間に片方は寝られないから街を歩くみたいな感じ。
街を歩いて出会った人とか、
あと普段の日常みたいなものについて書いてある本なんだけど、
めちゃくちゃローちゃんの雰囲気に合いそうと思った。
さっきのオリビア・ラングのやつが好きだったら、
多分これもすごい好きだと思う。
翻訳されてる。
オリバー・サックスの本はめちゃくちゃ面白いから、
オリバー・サックスの本は翻訳されてるはず。
私も日本語で見つかった。
妻を防止と間違えた男が一番有名かな。
タイトル聞いたことある。
それが多分一番売れた本だし、一番知られてる本。
他にも幻覚の脳科学。
18:02
あと音楽。
なんて読むの?漢字が読めないか。
やば。
リンクあってる。すごい試行詳。
読めた。よかった。
ちゃんと読む前にリオちゃん先に読んでもらおう。
間違ってたら恥ずかしいから。
この2冊が一番有名かな。
すごい面白い。
結構人生のことについても書いてるし。
結構脳の研究してる人だから、
意識とか感覚、視覚みたいなところをすごい研究してて。
すごい。
いろいろ読んでていろいろ考えさせられるし、
自分が見てる世界だけが全てじゃないなってものすごい思い知らされる。
彼の本読むたびにいろいろな人がいるから、
いろんな自分の患者さんたちについて書いてるけど、
ものすごいいろいろな人たちがいるから、
みんなそれぞれいろんな世界に生きてるんだって思うし。
自分の世界の狭さについて思い知らされるみたいな本でもある。
もちろんこれ、そこまで一般的な症状ではないにしろ、
共感覚だったりとか、いろいろ脳の状態によって音楽、
音楽志向書なんですけど、
雷に撃たれてした途端音楽を渇望するようになった医師。
ナポリミンをお聞くと発作を起こす女性。
めっちゃ面白い。
でも多分書き方がすごい上手いから、
小説読んでるみたいな感じになる。
本当の話なんだけど、え?みたいな。
もちろん起こってることも非日常的だし、
普通ではないけどでも存在するみたいな。
こういう世界やこういう感覚っていうものが存在するんだみたいなのは
すごい伝わってくるし、
彼が一人の医者として書いてるからね。
実際の本当に自分が診察した患者さんたちについて書いてるわけだから、
全然フィクションでもなんでもないっていうのも
すごいリアリティを与えてくるし、
でも同時にすごい普通の感覚ではないっていうのもあるから、
21:00
それがすごい同時にあってすごい不思議な感じ、
全体的に彼の本全部。
3冊、2冊ぐらいしか読んだことないけど、
まだいっぱいあるけど、
おすすめ。
もし全然違うものが読みたいと思った時。
チェックします。
ぜひ。
私が最近読んだものとか、
多分先週話した時にもう言っちゃったから。
いいよ、また言って。
言いたかったから。
何それ。
いいな、りょうちゃんの本棚欲しい。
最近は僕と漫画が増えてきてるから。
いいな。
昨日発売した新しい漫画。
ツイッターに載せてたやつだ。
止まりによくってツイッターでつぶやきすぎたの。
つぶやきたのって。
たかのひとみさんっていう漫画家さんの
ジーンブライドっていう漫画が昨日発売されて、
あらすじを説明するのが下手くそなので、
後ろの書いてあるあらすじを読むけど。
女であるゆえの生きづらさに
厳しい人生に絶望するイサハヤイチ
仕事相手からのセクハラにも
変質者との遭遇にも飽き飽きだ
そんな彼女のもとへ
元同級生のマサキ・マクヒトが突然会いに来た
15年前の出来事の例に来たという彼を
イチは警戒するが
不徳なペースで生きるマクヒトは
イチを全く脅かさない
イチの誤信のための奇抜な解決策を
マクヒトが提案したり
セクハラ自体に弱いマクヒトの探し者を
イチが手伝ったり
ちょこぼこの二人は互いに助け合う中になっていき
フェミニズムが一番核にある作品
実際に作者のインタビューの階段にも
そういうことが書いてあったんだけど
同時にカズオ・イシグロの
私は離さないで
メインのインタビューの中に
カズオ・イシグロの
私は離さないで
私は離さないで
24:01
めっちゃ好き
ああいうSF要素が入ってて
それがまだ具体的に一巻では展開はしてないんだけど
それをこのめかすような
表現とか描写が結構あって
一巻以降どうなるのっていうのを
気になる感じで
めっちゃ読んでみたい
めっちゃよかったし
私が読んでて
ネタバレになるから
もし聞いてる人で
これから読むのにっていうのは
絶対聞かないでほしいんだけど
私がこの全体を通して
めっちゃ印象的だなと思ったのが
結構選挙のシーンとか
選挙の行動のシーンみたいなのは
メインではないんだけど
主人公たちの日常の中に
ピョコって出たりとか
音声が書かれてたり
そのやり方が印象的で
絶対に昨日読んでた
この作者の
対談の中にも
絶対にこの選挙のシーンを入れたかった
っていうことが書いてあって
私が怒っているのは
男性社会に対してで
一人の男性に怒って攻撃しているように
恣意的に読まれて取り上げられるのは
嫌だなと思っていました
だから選挙のシーンは絶対に入れたかった
女性社会の話なんだよ
男性社会なんてもう終わりにしようよ
これからの社会は私たちが選択して監視して
盛り上げていこうよって伝えたかった
っていうことが
この対談の中で書かれてて
この選挙のシーンっていうのは
意図的なんだなっていう風に
本当に描き方が
選挙に
フォーカスが当たるっていうよりかは
キャラクターたちの日常の中に
選挙が入り込んでいる
選挙が入り込んでいるっていうのが
うまく描かれてて
それが多分全体読んでて
めっちゃ印象的だなっていう風に
思って
なかなかないよね
これが
テーマみたいな感じで
それを中心に持ってくることはあっても
それこそ当たり前だよね
27:02
そこにあるのが普通
それについてコメントしたり話すのが
普通みたいな感じ
私もあんまり見たことないかもしれない
特に漫画とかで
最近結構本当にいろんな
いい意味でいろんな漫画が
あって
それこそ小学生とか中学生の頃とかも
漫画は読んでたし
お兄ちゃんもいたから
結構少年漫画とか
たくさん持ってたからそれを勝手に
借りて読んでる
でも高校とか大学入ってすぐぐらいとか
そのぐらいまでは
全然漫画と縁がない
っていう感じだったけど
本当にここ3年4年ぐらいで
漫画めっちゃいいのいっぱいあるじゃん
今発掘している最中っていう
感じ
良いね
なんかりょうちゃんから話聞いて
こういうジャンルの漫画とか
こういう漫画
ちょっと変わった顔がある
私もそうだもん結構
なんかこの
ジーンプライドっていうタイトル
最初なんて読むんだっけ
さっきも言ったけど
私を離さないでっていう要素があるって
言ってたんだけど
英語で書いてここにあって
こういう
もうガチネタバレ
一番最後の
一番最後のシーンに
私と全く同じ顔をした
全く同じ名前を持った人が現れて
あって
2巻以降どうなるんだっていう
めっちゃあれだね
和尾石黒の
そうだよね
めっちゃ
主人公たちの日常での
大小さまざまな絶望とか
怒りとか
すごい身に覚えがある感覚みたいなのも
すごい書き込まれてるし
同時にそういうSFみたいな要素
ギャップがいいなと思って
すごいね
それを一つの作品に組み込めるところが
ただ単に
社会的メッセージみたいのが主題で
ってなっちゃう
30:02
それでも物語として面白い作品はあるだろうけど
そこだけが中心になっちゃうと
物語としては
面白くないっていうこともあると思うんだけど
こういう絵みたいな要素が
出てくることによって
普通に読んでてストーリーとして楽しめる
超気になる
多分これ電子でも買えるから
読んでみて
あった
読んでみる
めっちゃ気になるありがとう
あとはね
何度も話しすぎてるこの異国日記の
8巻の感想
こないだ別の友達と話してて
私この8巻でめっちゃいいって思ったセリフ
前回も言ったような気もするんだけど
関係に名前なんかなくていいんだよっていう
セリフがあって
言ってない前
言ってない
私にも言ってないと
ある人との関係を研究するときに
それが例えば男女とかだと
そこに恋愛があって
恋愛感情があるんじゃないかみたいな感じで
当たられちゃうんだけど
いろんな物語がちょっと発症
このセリフを言った人にとっては
相手はまず友達で
関係性その関係に
どういう恋人っていう風な時期があっても
そこから恋人ではなくなっても
よくその2人の関係において
まず第一に来るのが友達だっていう風に
言って
それに納得しない
その言い方に納得しないで
実はそうじゃなくて
恋してるんじゃないのみたいな
そういう視線に対して
関係に名前なんかなくていいんだよみたいに
これがめっちゃいいなと思って
いろんな
人間関係というか
結構自分のセクシュアリティについて
考えてた時に
この人は友達
この人は恋人
この人は例えば家族とか
その
名前を付けることによって
本当はもっとその2人の間には
いろいろと形容できる
33:02
関係性があるはずなのに
友達ねとか彼氏ね彼女ねとか
そういう風に整理されちゃう
実際はそうじゃなくてっていうのが
私は結構あったんだけど
そうやって関係性に
誰もが通じる
その名前を与えることによって
実際のその関係性を
すごく単純化してしまったりとか
それによって
じゃあ私たちの関係は何なんだろうって
思いながらとか
いうことがあるなってすごい思ってたから
だからそもそも関係に
名前なんかなくていいっていうのは
確かにねって思ったし
すごいわかるかもね
友達とかって言っても
その親密度も違って
人によって全然違うじゃん
例えば10代の頃とか
中高とかのクラスメイトのことを
言及するときも
友達って言うけど
でもぶっちゃけ全然親しくなかったし
なんかそんなに私は
好きではなかったっていうか
あまり一緒にいたいと思わなかった
人に会っても友達って言うし
逆に例えばムーちゃんみたいに
話したら永遠と話し続けるみたいな
めっちゃ信頼してるみたいな
そういう関係性の人に対しても
中身は全然違うんだよみたいな
気持ちが結構あって
誰かにその人の話をするときとか
便宜的に関係性について
ちょっと前置きをしなきゃいけない
みたいなときに
なんて使える言葉が少ないことって思って
関係性に名前がなくていいっていうのも
本当にその通りで
もっと私たちの個々の関係性っていうのは
複雑だし
一言でポンって表せるような
関係性じゃないっていうことはすごくあるし
同時にもっとその関係性を
様々に表せるような
言葉が増えたらいいのにな
その方が便利なのになって
いいなみたいに思う
確かに
すごいわかる
感覚なんだろう
りょうちゃんが言ったみたいに
複雑じゃん人間関係って
ある一定の時期はもしかしたらものすごい
36:01
親密かもしれないけど
その後どうなるかなって誰にもわかんないし
でもそれが添えになったからといって
変わったわけでもなくて
その人にとってその時期にはすごい大切な
関係性であったっていう事実は
存在し続けるわけじゃん
だからそういう時間によって変わっていく
に関係性とかも
多分そういう言葉だけじゃ
言い表せないし
時間によって変わっていった関係性を
一括りにしないといけないみたいな
友達か友達じゃないかみたいな感じ
もうすごい嫌だし
関係性はめっちゃ重なるみたいな
絶対あり得る
そうじゃなくてその関係性は一つに定義
しなきゃいけないっていうような圧力が
働くとかってすごくあるし
何なんだろうね便利なんじゃない
他の人から
他の人が他人について話す時に
友達がとか
自分が例えば他の人の関係性について
説明する時とかも
そういう言葉を使うことによって
単純化
自分は相手じゃないから分からないじゃん
友達の重みなりパートナーが誰なり
そういう深入りしないで
うまく人と
人について説明するとか
自分が他者に対して
関係性を説明しないといけないとか
説明しないといけないっていうのも
自分私的には
なんで説明しないといけないのって思って
そこから始まるところもあるよね
これだけでまだ1時間ぐらい話せそうな
感じもするけど
その関係性を
なんでいちいち
自分以外の人間に
関係性を
それこそ証明しないといけないとか
説明しないといけないの
その義務はどこから
あなたは誰
なんでそれを私たちに強制することが
できるのみたいな
なんでそれをあなたに説明しなきゃいけないの
単純化された関係性の
名称にはそれぞれ
なんていうんだろう
度合いというかレベルというか
例えば
友達よりも家族の方が
その人にとってはより親密であるとか
より人際関係が起きるはずであるっていう
39:02
それは恋人に置き換わってもそうだし
でもそんな単純じゃないし
友達だったらある一定の距離が
保たれている
というふうに捉えられたとしても
でもそれはどの関係性においても
なんていうんだろう
その一人の領域とかってあるはずだし
その距離をゼロにしていいわけではないはず
だけど
でもなんか家族ならとか
恋人すらとか
私はずっと不健全だなって思ってる
わかる
すっごいわかるそれ
特に家族だからいいだろうみたいな
感じ
昔からそういう恋人に対してすごい嫌悪感があるし
お互いそれはめっちゃある
お互いわかってると思うからすごい
今話し通じると思うけど
なかなかそういう
まず
関係性云々の前に
一人の相手とか
自分以外の他者に対しての
リスペクトっていうものがない
あるないっていうところ
相手を尊重するとか
相手に対して丁寧に徹するみたいな
そういう気持ちが
ベースにあるべきで
そこからいろいろな関係性なり
何なりの話はしてもいいかもしれないけど
それがないところに
家族なんだからとか
それこそ親友なんだからとか
何してもいいみたいな
そういう考え方とか
他者に対しての捉え方っていうのを
私はいくら血のつながった家族だからとか
そういういろいろな理由があるじゃん
特に家族とか
血のつながってるみたいな感じの
そういう理由
私的にはもう本当に
あんまり受け付けられない考え方というか
個人的なそういう
家族に対する考え方から
来てるっていうところもあるけど
でもそれでも
家族じゃなかったとしても
どんな人に対してでも
ちゃんと丁寧に向き合っていきたいよね
っていうのがあるし
自分もそういうふうに向き合ってほしい
っていうのがあるから
まずそこからじゃないっていう話
本当に家族でなると
42:00
一気に
その間の境目みたいな部分が
簡単に打ち破られちゃうというか
何みたいな
なんでそんな家族
優遇されんのみたいなところが
社会的にあるじゃん
そういう
家族なんだからみたいな
家族の絆みたいなフレーズに
すごくドワドワってしちゃう
わかる
自分が
例えば結婚したくないって思うのも
やっぱりそういうのがあるかもしれない
家族だからって
自分がそういうふうに言われるのも
もちろん嫌だけど
自分がいつの間にかそういう関係性みたいな
何て言うんだろう
無意識のうちに
でもうちら家族じゃんみたいな
言い方を知ってるんじゃないかみたいな
そういう器具が
だからそうじゃない
家族じゃないからといって
家族の関係性の
信頼の度合いだとか
密さっていうのは
もしかしたら
むしろ家族じゃない方が
もしかしたらお互いに対して
ちゃんと接近ができるから
何て言うんだろう
ちゃんと自分と相手
私とあなたみたいな関係性で
ちゃんとその関係を維持できるかもしれない
みたいな
そういう考え方がある
結婚したくない
確かに
家族とか
私も母親と妹さんに暮らしてたけど
それぞれみんな
家がばらばらになってからの方が
行きやすくなったし
話しやすくなったっていうのがすごいある
もちろんそこまでに
そこに到達するまでに
家族として
同じ屋根の下に住むグループとして
一緒に
体験してきた
過去っていうものの
積み重ねは確かにあるけども
同時に距離ができることによって
それこそ今りょうちゃんが言ったみたいに
一人の相手として見られるようになった
から
家族として
45:01
一緒に話すこともできるし
もっと
それこそ友達みたいにりょうちゃんに
話すみたいな感じで
もっと
普通に会話ができるようになった
それこそ今までは自分の中でも
家族なんだからっていう甘えみたいな
ものがあって
自分が
もちろんそれこそ家族だったら絶対に
言わないだろうみたいなことをたぶん
平気で言ってたと思うし相手側もそうだった
お互いにそうだったところがすごいあるけど
でも今お互いそれぞれみんなバラバラに
暮らしてそれこそ会うって言っても
外で会うわけじゃんお互いの家に訪ねに
行くときもあるかもしれないけど
外で会うことによってまたその距離の
ところがすごい変わってきたし
関係性もすごい変わったなっていうのは
あるからなんかそのりょうちゃんの
距離の話聞いてても確かに
なっていう風な
それこそ物理的な距離も結構大事だったり
するなって思う
それはめっちゃなんか普通に物理的距離が
できたからこそ自分もちょっと落ち着いて
話すこともできるようにしたし
でもなんか離れたことで結構うちの場合は
私はお母さん母親との関係というか
母親自体も結構変わったって
多分母親から見て私も変わったって思う
でもなんかやっぱり一緒の家に暮らして
たときって未成年だったこともあるから
やっぱりその母親は母親っていう役割の中で
自分と会議してたときに
自分と会議してたときに
何かやったときにやらかした
なんかそれをしつけとしてやるんだけど
でもなんかそう一旦家を住まして出て
そこから私もなんか環境が変わったから
いろいろ話す人も変わったし
話す人を選ぶようにもなったから
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
これ自分が新しく勉強したこととか
考えたこととか
勉強したことをもとに
過去の経験について考えたときに
なんかあれはちょっと違うと思うとか
そういう違和感が少しずつ
言葉にできるようになったから
それを離れたということによって
多分母親も
私が例えば
そういう言い方は傷つくとか
はっきりと言うようになったから
48:00
それに対してもし同じ家の中で暮らしてたら
それが素直に受け取らなかったかもしれない
自分の母親で
ある場所的には上にいて
ここも育てるみたいな立場だったら
今も母親は母親ではあるんだけど
家が多分昔よりちょっとずれてるから
なんか私が
自分が傷つくとか
そのやり方は良くないって言ったときに
それを多分結構昔よりもさらに
柔軟に受け入れて自分で考えて
なんかあれは良くなかったからって言って
お題してくれたりとか
っていう風な関係性を築けるようになってきて
だから今もたまに規制したりして話すけど
それこそすごい長い時間話して
なんか相手がちゃんと
話を聞いてくれてるっていうのも分かるし
それが母親っていう立場から
自分を見てるっていうよりかは
同じフラットな立場になって
ちゃんと会話が成り立ってるっていう感触が
得られるようになったから
だから物理的距離を取って
互いに取ってから
また関係性を見直すみたいなのも
あるなっていうのを
めっちゃ分かる
今リオちゃんとみたいに落ち着くよね
自分の中で一息つけるみたいな
何かを言う前に
それこそ考える時間があるし
もちろんそれこそ物理的距離があるから
タイムラグもあるし
そういうものが全部
よく関係性をよく保つための
一つの方法みたいになってる
自分の中で消化することができるじゃん
先に
何かをしたりとか反応したりする前に
だから多分
距離大事って
今すごい話聞いてて思った
でもなんか距離
親しいんだけど
今も母親めっちゃ信頼してるし
話すの楽しいって思うけど
でもなんか去年1年間は実家にいたから
っていうのもあって
相手が変わるっていうのもあるかもしれないけど
ずっと同じ場所で
同じように過ごしてると
自分自身がまた母親っていう
今まで10代の頃
母親娘の感じで
自分自身が
関係にちょっと引き戻されるっていうか
甘えてしまってるみたいな
自分でできてたことを任せちゃうみたいな
51:00
ことが思ったから
2人の関係のためにも自分のためにも
ちゃんと距離をとって
それでも関係性を維持し続けるっていうのが
いいんだなって
特に血縁家族の場合
関係思うし
でもとはいえ
物理的距離をとることで自分は落ち着くんだけど
会った瞬間に戻っちゃうみたいな
上手くいかないみたいな関係性もあるなって
同時に思うから
物理的距離だけずっと保ってればよし
みたいなことではなく
それが変化のきっかけにはなるかもしれない
ぐらいの感じ
そんな簡単には
変われないよね
ずっと生まれたときから一緒に暮らしてきた
わけだから
それはずっとあるだろうし
でも多分お互いが変わっていく
時間を得て
お互い多分いろいろな人に会ったりとか
いろいろなことを見聞きして
またそこから世界が変わっていくから
お互いの関係性もそれに応じて
多分合わせて変わっていくだろうし
だから
必ずしも
距離
でもそれが距離を取ってる間に起こるんじゃない?
だから戻ってきたときに
今はまだ
家に住んでた時間
一緒に家族と住んでた時間と
りょうちゃんが家に出てきた時間
まだ半にもなってないじゃん
それ考えたらまだまだ
道は長い
私もたぶんりょうちゃんよりも短いと思う
5年ぐらいかな
4年とか5年ぐらいだから
まだ同じような
りょうちゃんよりも全然って感じだからさ
甘えるときもあるし
ゆるんじゃう
言いたいこととかやってることが
自分の中でもツッコミ入れたくなる
お前ゆるんだよ
ツッコミ入れたくなる感じがあるというか
それも
まだまだこれからお互い変わっていくと思うし
変わっていく余地があると思う
だけどまた
変わっていく余地があると思う
だから何かわかんないけど
っていう感じ
変わりますっていう
ね