1. ポイエティークRADIO
  2. 第百一回 それぞれの「勝手に..

ゲストに赤井あぞさんをお迎えしてのおしゃべりです。

赤いあぞさんの制作物 → https://note.com/akaiazo/n/nb54b69aed8ec

00:01
こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は私、あ、ごめんなさいね、これ今ロックオンがまだ開始してなかった。もう一回聞きます。
はい、大丈夫です。僕の声もちゃんと入ってるかな?大丈夫かな?
あ、たぶん大丈夫そうです。
はい。
ポイエティークRADIO、お相手は私、柿内正午と、本日はゲストでこの方です。
はい、赤井あぞです。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。
ということで、改めて嬉しいです。
こちらこそありがとうございます。
ありがとうございます。
なんか、お互いに存在は認知し合ってる状態ではあっても、お会いしたこともないですし、
そうですね。
今これ、ポイエティークRADIOの収録で喋ってますけど、喋るのも今日が、この瞬間が本当に初めてっていう状態ですね。
そうですね。
本当につい5分前に本当の本当に初めましてをして、
そのまま、特に何も打ち合わせも録音せずに話し始めるっていう、
はい。
毎回そういうスタンスでやってます。
なんか、あぞさん、でもあれですね。やっぱり、僕もあぞさんとかやまさんがやってる積み立て走行のポッドキャストだったりを
聞いていたりもしたので、なんとなくやっぱり声を知っている。
確かに。僕も逆の立場で言うと、ポイエティークRADIOで声はお聞きしているので、わかるという感じがします。
だから、なんか、この声だっていう、初めてなんだけど謎の知ってる感があるのが面白いなって。
確かに。
そうですね。積み立て走行って、普段漫画とかを描いている、かやま鉄っていう作家さんが、
かおる山で、鉄学の鉄で、かやま鉄って言うんですけど、
かやまさんの手伝いを僕は普段やってまして、
それの一つのプロジェクトとして、
ノートっていう媒体でやってた、積み立て走行っていうやつを、
今は積み立て走行を停止というか、休止してるんですけど、
それを柿内さんは講読してくださっていて、
そこを通じて一応、面識というか、お互いに知ってはいる状態という感じですね。
そうですね。僕は結構だから一方的に、かやまさんとあぞーさんのやりとりを聞いていいなと思いながら、
03:01
ノートの講読だったりとか、ディスコードの参加だったりっていうところで入っていたので、
なんだろう、結構、あぞーさんからすると距離感が難しかったんじゃないかなというか、
先に僕がお客さん側で関わりを始めてしまったので、
僕もあぞーさんと一度お話してみたいなと思いつつ、
僕のほうからそれをグイグイ行くと、ずーずーしいお客じゃなくて、
あんまり気にしないですけど。
そういうところがあっちゃうかもなみたいなので、すごい遠慮してた部分があったので。
そうだったんですね。
お便りを前の回なのかな、これで配信するタイミングで言うと、
セイロで肉まんを作って。
お便りを読み上げていただきました。
そのときに僕のポエティブラジオのお便りフォームは最後に、
出たい人はここに連絡先書いてねっていうフォームを作ってるんですけど、
そこにもよかったらっていうことを書いてくださっていて、
今までもあのGoogleフォームを開いたの、実は今回が初めてじゃなくて、
前にも開いたことあったんですけど、
自由入力だけみたいなかと思いきや、結構最初から色々設定されてるって思って、
なるほどねと思って、そこで手が止まったりして、今まではやめたりしたんですけど。
最近の回が多分3月とか4月とかに配信した分が、
それこそ巷では瞑想回とか言われたりしたみたいですけど、
僕も毎回じゃないんですけど、たまに聞いてて、
その最近の3月4月の回とか聞いたら、ちょっとなんていうか調子悪いかもなと思って、
悪そうだなというような気がして、かつお便りとか欲しいですって感じだったみたいなので、
それもせっかくラジオ聞いてそのお便り欲しいとかっていう言葉をこっちも受け取ったので、
せっかくだから送ってみるかみたいな気持ちになって。
嬉しい。助かりました。
ありがとうございます。
そうなんですよね、本当に3月4月は調子が悪くて、今もそんなに調子がいいわけじゃないような感じなんですが、
てか何だろうな、結構自分で日記書いたりポストキャストやったりしてると、
記録されてる自分、だいたい常にちょっと調子悪いなっていう気づいてくるので、
あれなんですけど、とはいえやっぱりこの春ぐらい一番迷走感があったなっていうのは。
06:02
なんかそれも体調が悪いとか、それはもう本当にお大事にって感じだと思うんですけど、
なんかその調子が悪そうにもいろんな方向性があると思うんですけど、
そうですね。
なんかこの3月4月とかで感じてたのは、なんかこれはかやまさんと一緒に作ってる作品の中でも結構よく言ってることなんですけど、
なんか僕とかは勝手に、それぞれの人々が勝手にやっていくことってのを割と応援したい気持ちとか、
あるいは自分自身が勝手にやっていきたいっていう気持ちがあるんですけど、
なんかその最近の書きなりさんの感じは勝手に性がちょっと揺らいでしまってるかもしれないなというか、
もしかしたら手早に手に入る、例えば評価とか反応とかを求めて、
あんまりやりたくないこととかを反応を求めてやりだしちゃったりする。
それは自分自身がやりたい政策とか活動ではないのに、
ちょっとなんとなくそういうことに手を出しちゃったりする可能性がある。
あるいは活動とか制作すること自体をそもそもやめちゃうというか、
遠ざかってしまったりとか、そういうこともあるかもしれないなと思ったので、
ちょっとそういう方向の調子悪いかもっていうのを感じたので、
他にももしかしたら全然僕以外からもお便りとか来てるかもしれないけど、
でももし仮に何もないんだとしたら、一応知ってる人でもあるし、
猫の手でも借りたい気持ちに、もしだっていたら何かできたらよいなという気持ちで。
すごいありがたいですね。
いや何だろう本当に、多分今お話しいただいたことが、
それこそ僕も香山さんとアドさんのお仕事、作品というか制作を見ていて、
毎回励まされる部分ってさっきもお話に出てきた、
勝手にやっていく性の大げさみたいなところだったり、
何だろうな、やっぱりアドさんの制作物でいうと、
僕はいつかのエアコミティアか何かでアンプされてた坂道な気分と、
消しゴムハンコの人のPDFを見てたり、
あとはノートでやってた頃の日記も読んでたりしてたんですけど、
やっぱりそういうところで見てると、
特定の目的に追い立てられないで、
ちゃんとその時その時の状況を味わうみたいなところを、
すごい大事にされてるなっていうのも、そこすごいいいなというか。
09:02
ありがとうございます。
僕もそれめちゃくちゃその方向でいたいと思いつつも、
割と追い立てられがちというか、勝手にやってるはずなのに、
勝手に自分で苦労を背負い込んで、勝手にやらなくていいことに手を出すみたいなこと、
確かにあるなという感じがして、
本当にそこでアドさんからお便りが来たっていうこと自体が一つ立ち止まるじゃないですけど、
今なんか無理なスピード出してたかもなみたいな。
気持ちに慣れたっていうのは結構大きかったなって。
そういう才をもたらせていただいたことより良くて良かったなと思います。
でもなんかちょっと自分の話が長くなっちゃうかもなんですけど、
今回5月の末に文学フリマっていう制作物の陣の即売会があって、
そこに今回いつも自分で勝手に作って本出してるんですけど、
勝手に作ってはいるんですけど、ゾンビの本を出して、
それはリョウタさんっていうゲストの方と一緒に喋ったものを一緒に書き起こして作ったっていうところで、
初めて自分一人の勝手にじゃなくて、
人を巻き込んで勝手に作ったものっていうものができて、
そのくせこれまでで一番売れそうにない本作っちゃったなっていうのがあって、
別にもともとそこで売上をたくさん取るぞっていうのを設定した本じゃないからそれでいいっちゃいいんですけど、
やっぱり何かいざ出来上がってくると、
せっかく付き合ってくれたリョウタさんに、
それこそお金の形でもやってよかったなみたいな気持ちの面でも、
ある程度の結果が出た方がいいなみたいな、
出来上がってからやる気が出ちゃった感じがあって、
すごいそこの制作の仕方のところで、
自分じゃないリズムが入りやすい時期だったなみたいなのは、
今文振りを終えて、
思った通りにそこそこなというか、
このぐらいだなみたいな気持ちを受けて、
すごい思ったというか、
一旦落ち着くとこに落ち着いたなって感じもある。
すごい人と作るとまた勝手にの具合が結構違ってくるなというか、
そうですね。
結構アドさんも自分で作られてる制作と、
ある皆さんのサポートという形で入られる制作とだと、
多分また結構勝手が違ってくるんじゃないかなというふうに。
12:04
そうですね。
そうではあるんですけど、
もともと僕は最初からアシスタント希望とかで、
最初からかやまさんにアプローチしたわけじゃなくて、
ただのかやまさんの作品のファンだっただけで、
でもその中でも一応交流とかも少しはあってって感じだったのが、
たまたまなんかこうなったっていう感じ。
今手伝いをやってるのも、
僕はかやまさんは漫画とかを基本的によく連載とかでやってらっしゃいますけど、
漫画のアシスタントって普通だったら作画の手伝い、
トーンを張るとかベタを塗るとか背景を描くとか、
そういうアシスタントをイメージされる方が多いと思うんですけど、
僕はそのアシスタントではなくて、
作画のアシスタントではなくて、
話づくりとかあとは文字の、
この表現はこういうふうにした方がいいんじゃないかとか、
セリフ回しとかそういう部分で調整する手伝いをしていて、
なんでこの仕事が欲しされているかっていうと、
かやまさんからオファーがあるかっていうと、
3人によれば文字の知恵みたいな感じで、
他者の視点を一緒に導入することによって、
今まで見えなかったものが見えたりとか、
あるいは仕事って感じじゃなくても雑談してるだけでなんとなく、
シナプス的なものに指摘が走ったりして、
急に思いついたりすることってあると思うんですけど。
なるほど。
だからそういう、今このポイエティックラジオで喋ってるのと
同じような温度感で普段もかやまさんと喋って、
それが仕事になってるっていう。
なるほど、なるほど。
面白いですね。
だからそれこそ、
実際の読者と編集者の間ぐらいに。
そうですね。
という感じなのかもですね。
なるほど、面白いな。
すごい。
一応最近の悩みとしては、
それでも一般的というか、
この漫画を書いて、こういうふうな表現で書いたら
読者はどう思うかとか考えて、
いや、こういうふうに取られちゃうかもしれないから、
こういうふうに表現を改めたほうがいいんじゃないですかとか、
いろいろ言ったりはするんですけど、
最近その一般的な読者がどう読むかってことが
だいぶ分かんなくなってきたというか、
あるいは僕がかやまさんに近寄りすぎちゃってるというか、
価値観みたいなのが近くなりすぎてて、
他者性みたいなのを確保するのがちょっと難しくなってるっていうのが、
15:01
ちょっと最近難しい部分ではあるなっていう。
難しいですね、それ。
でもそっか、それもすごい分かる気がします。
積み立て走行の録音だったりを聞いてた頃も、
すごいだからスタンスとしてこんなに似てる人同士がいるんだみたいな、
結構感覚っていうのは確かに結構持っていって、
すごい2人で同じ方向、同じぐらいの温度感で見てて、
すごいちょうどいいなというか、
なるほど。
感じがすごいこうして、
本当に寄り添って歩いてる感じがすごいあるなと思いながら聞いてたんですけど、
確かにそれはそれで他者性とかも、
そうですね。
第3者的な意味で言うと。
それは一応知っておかないといけないものではあるからっていう感じで。
そうですね。
とはいえ別個体だから何か違うところあるとはいえっていう。
とはいえって感じですね。
フェイテックラジオの僕の奥さんというか妻である奥さんとの会が一番メインで多いんですけど、
やっぱり一番摩擦が少ないというか、
同じような感じで喋っているから、
たまにずっと同じ話してるとか、
ずっと同じこと言い続けてるなみたいな感覚には確かになってきて、
しかも過去回で自分の発言だったか相手の発言だったかとかすら、
だんだん互い分かんなくなっていっちゃうみたいなのがあるので、
近すぎて質が慣らされていっちゃうと、
ある意味その雑談の雑味みたいなものがだいぶ薄れて肉に近くなっていっちゃうみたいなのがあるなみたいなのが感覚的にわかる気がします。
そうですね。
今の文化政策に関しては、共同の政策っていうよりはチェック機能というか、
相手の政策に伴走するような形でいる感じ。
だから、自分で本作ったりとか、自分で何かものを作ったりするときとは、
どちらかというと作り手というよりは受け手側に近いところでの関与という感じ。
そうですね。ちょっと難しいですね。
どっちの目線も意識はするという感じですね。
なるほど。だから本当にお互いを行ったり来たりして。
そうですね。スイッチしながらって感じですね。
すごい。それも本当に自分も作っているからできる感じの。
18:03
そうですね。
なるほど。面白い。
だから場合によっては、ここの部分は僕個人としてはすごい好きなんだけど、でも変えたほうがいいと思いますみたいなのがありますね。
なるほど。はいはいはいはい。
すごい。自分の好みだけでなくってっていう。
そうですね。僕は立場から言っても、かやまさんが作っている作品なので、かやまさんに一番フィットした形になるのがもちろん望ましいと思うので、
僕の思っていることがなるべく反映されているとかというよりは、かやまさんが考えたり思ったりしていることっていうのが、なるべくノイズが少ない形で出力されている方が良いと思うので、
なるべくそれにかなうようにって感じで。
面白いですね。今もご自分での制作みたいなのもやられてる?
そうですね。これは大前提として、人には様々な気分の時とか状態の時があると思うから、全く正反対の、今までの態度とは正反対の状態になることってあると思うんですけど、
僕は今、自主制作とかでそんなに興味がない状態に、この1、2年ぐらいになってて。
だから今は自分自身で作ってるものもないですし、作ってる途中のものもないですし、こういうの作りたいなっていう計画も特にないみたいな感じですね。
なるほど。今は本当にそういう、自分発信でっていうよりは、人のお手伝いだったりみたいなことに、肝心としてはシフトしてるみたいな。
そうですね。自費出版に関しても、僕それこそ文学フリマとかコミティアとかも、一昔、一昔って言っても本当3年前とかまですごいよく言ってたんですけど、
最近はめっきりいかなくなってて。
なるほど、なるほど。ありますよね、そういう波は。
そうですね。だから全然飽きたとかではなくて、また復活することとか、復活した後にまた辞めることとか、また辞めた後にもう1回やることとか、いくらでもあると思うんですけど、
とりあえず今はそういう周期じゃなくなってるって感じ。
なるほど、なるほど。すごい、すごくいいですね。
ありがとうございます。
なんか、僕はその周期は絶対あるなというのは思いつつ、その周期に合わせて、周期を点検してそれに合わせて自分の動く動かないとかを決めるみたいなのが、
21:01
逆に一番体力を使う感じがあって、そこの思考を停止するために毎日日記を書きますとか、毎週ポッドキャストやりますとかで、決めちゃって、それはとにかくやるっていう風なやり方をしているので、
もしかしたらそれこそこの最近の周期からすると、本当は1回やめてみると年としては良くなる可能性も。
確かに可能性としてはありますね。
可能性としてはあるなと思いつつ。
ポッドキャストとか日記は別に自分としては制作の気分でやってないから続けられちゃってるみたいなところもあるような気もするから。
でも本当に、自分はこうだと決め込まないで、周期を受け入れるみたいなのが大事さがすごい感じるなって。
本当にその人それぞれによってとか、その人の中でも時期によってとかいろいろ違いはあると思うんですけど、
僕は特定のルールを決めて、1週間に1回これをやるとかっていう、もちろんそっちも試したことはあるんですけど、
僕は結構長年変頭痛持ちで、これ親とかもそうだからこういうものって感じなんですけど、
この変頭痛が起きると何もできなくなるんですね。
もう横になるしかできないんですけど、横になっても眠れるわけでもないし、
本当に横になってただただ痛いのが去ってくれるのを待つだけ。
もちろん仕事もできないし、本読んだりとかもできないし、音楽聴いたりもできないし、本当に何もできない状態になるんですけど、
そういうのが突発的に起きるから、こういうルールを決めてやろうとかってやると、
頭痛みたいなことによってもうやむを得ず中断せざるを得ないことがあって、
かつやむを得ないのは分かってるんですけど、ルールだって決めて頑張ろうって決めたのに、
それができない時があったりとか、僕結構それにショックを受けちゃうタイプ。
連続記録止まっちゃったなみたいなのを結構気にしちゃうタイプというか。
それはそれで絶対ありますよね。
そうなんですよね。
だから、自分でリズム作るためにあえてルールみたいな感じで外出しする良さもあるし、
それで外出ししちゃうからこそ、それ自体が悪さをすることもありますからね。
どんなことにもやっぱり良い面と悪い面というか、いろんな側面があると思うんで。
そうですね。
24:01
でもすごい自分で変頭痛とかはコントロールできないじゃないですか。
僕もそこまで動けなくなるほどは稀なんですけど、本当に気圧の変化だったりで、
常に下がると頭が痛くなるみたいなのがあったりすると、
計画されたパフォーマンスを予定通りに発揮するみたいなの、
人間には無理だなっていう気持ちになる。
あと、昨日の自分の信念を今日の自分が持ってるっていうのも嘘だなっていう気持ちになったりっていうところで、
でもそこの自分の一貫性を信じないであげるみたいなのって、すごい大事だなというか。
そうですね。
コントロールをどれだけ手放しても、
むしろ手放した方が自分らしいペースをつかめるようになるというか、
逆説的なような気も聞こえちゃうかもだけど、
自分らしいリズムをつかむためには、
自分から自分のコントロールを諦めていくことが結構大事なんだよなみたいなのはありますね。
いろいろ手放していって、手放して手放して、
それでもなお手放せなくて何か残ってしまうものっていうのが、
それこそが一貫性みたいな、自分にとっての一貫性だったりすることがあったり。
そうですね。だからなんか結構、自分としては刻々と変わってるつもりでも、
振り返ってみるとずっと同じようなことしてるし、ずっと同じことやってるみたいなのは、
何年か続けてみるとわかっちゃうというか、
こんなに変わんないんだみたいな。
それはたぶん柿内さんの日記とかにも通ずるところがあって、
この間の対談、ポイエティックラジオの中で対談してるときに、
柿内さんの言葉で言うと日記と日誌を分けて喋ってて、
柿内さんがやりたいのは、日記を書く前と書いた後で、
自分が変わってることを、何か変化があることを求めたいというか、
そうですね。
一種の自己変革というか、自己破壊って言葉をたぶん使ってたと思いますけど、
それとして、日記あるいは作品作りみたいなのをやってるっていう話とかを聞いてて、
27:02
何ていうか、現状維持みたいなのがあんまり好きじゃないタイプの人なんだなってことは、
それからちょっとわかったというか。
そうですね。
確かに現状維持すごい苦手な概念かもしれないですね。
たぶん僕は自分の一貫性が信じられないからこそ、
明日も同じものが好きとは限らないとか、
いつ今やってることに飽きるかわからないみたいな、
すごい恐怖とまでは言わないけど、心配があって、
自分に変わる余地を取っておかないと、
今の状況に飽きたり嫌になっちゃった時、どうしようみたいな、
その備えをずっとしている感覚はあるかもしれないですね。
麻生さんは現状維持みたいなところは、絵のスタンスとしては?
僕は現状維持とかでも、
例えば重力には逆らってたりするみたいな、
現状維持ってもの自体も何がしかの力に対しての抵抗とかはしてたり、
座標が変わらないっていうのは重力とかには抵抗してる状態だったりするんで、
その努力は認めてもいいし、
僕はそれで結構いいなって思ってる。
むしろ状況のほうは国営国と変わって、座標もそれこそ動いていっちゃうから、
そこでもずっと同じポイントを維持し続けることのほうが、
むしろ何かしら外界との作用面としては、
大きな力がかかっていることはありますもんね、きっと。
そういう意味で僕のほうは、状況に流されて、
常に何か成り行きに任せて動いてしまっていて、
一箇所に踏ん張るみたいな力の入れ方が、
足腰が弱いみたいなところは絶対あるとは思うので、
それもそれですごい分かります。
そうですね、なるほど。
結構一箇所にいるのでも、
僕はすごい、なんだろうな、
ここが自分にとって一番心地がいいみたいな確信が、
常々持ててない感じがあるからかもしれないですね。
まだ自分にここだっていうところが定まってなくて。
僕も別にここだっていう確信があるわけではないんですけど、
30:02
まあまあここでいいみたいな。
なるほど、この辺だったらみたいな。
そうですね。
だからもちろんもうちょっといいところはあるかなって、
散歩なり、探ってみたりとかいろいろそういうのはありますけど、
でもいろいろ試したけど、
現状のところで割と今のところ満足してるなと。
経営の満足してる状態があれば、
さらにいい満足、
仏教的な遁欲みたいな気持ちみたいなのはそんなに湧いてこないというか、
さらに上、さらに上、さらに快適へみたいなのはあんまりない。
そうですね。
それって結構ずっとというか長く続いてるスタンスですか?
そうだと思いますね。
なんか振り返ったときに、
自分の価値観とかを決定付けてるっていうか、
これが自分自身っていうものを個性付けてるというか、
僕の個性の重要な核になってる部分ってなんだろうって考えると、
僕子供の頃サッカーをやってたんですけど、
なんか結構、
その時はそんなにサッカーがめちゃくちゃ好きだったとかじゃないけど、
なんか結構サッカーが僕の中で考え方とかの核になってる部分があったりして、
サッカーってボールを蹴ってゴールに入れるゲームですけど、
あれもゲームとしてどんなゲームかって見ていくと、
あれ空間を争うゲームというか、
11人対11人でゴールとボールをめぐって、
長方形のフィールドをいかに効率よく、
あんまり一つの場所に人数が密集しすぎても隙ができちゃうし、
逆に広がりすぎてもスカスカになっちゃうしっていう。
僕はサッカーやってるときに、
比較的守りのポジションで、
子供たちとかみんなボールを注目するんで、
あんまり周りとか見ずにボールにバーって集まっていっちゃうんですけど、
そういうふうにした中で、
チームのフォーメーションみたいな隙が生まれたりするんですけど、
そういう隙間を埋めるみたいなのとかを、
僕はずっとその頃から意識してて、
これが大事だって。
なるほど。
だから今でも社会的な政治とかのことに関してもそうだし、
マイノリティがどうとかいう問題に関しても、
こっち側の役が少ないなと思ったら、
33:00
こっち側に回るみたいなこととか。
自分自身も本当にそこまでそれが、
自分にとって重要だとか思ってはない場合があるとしても、
それでもこっち側の人数が今少ないから、
こっち側をサポートしなきゃダメだよねみたいな気持ちで、
そっちをやったりとかっていう。
だから本当に常にバランスを取る主義みたいなのは、
多分僕はサッカーから学んでることなんじゃないかなと。
なるほど、なるほど。
うわ、その話すごい面白いですね。
ありがとうございます。
僕はそれこそあんまりスポーツが得意じゃない子供だったので、
あんまりサッカーとかもどういうゲームなのかとかまで、
きちんと考えられたことがなかったんですけど、
すごく空間を埋めるゲームだった。
そうなんですよね。
すごい、すごい。
それ何が面白かったかっていうと、
僕も小学校の頃、体育の授業とかでサッカーがあったりするときに、
多分僕は相当意識せずに空間を埋める側に、
なるほど、なるほど。
僕本当に嫌いだったんですよ、体育が。
サッカーのゲームとかがあると、
みんながボールに集中していく中、
僕はなるべくボールがないところにずっとポジションを取ってたんですけど、
そうすると、すごいいざという局面で、
僕のいるポジションがすごい効いてきちゃうんですよ。
そうですよね。
守備のときも攻めのときも、
僕がボールから離れようとすればするほどそこがキーポイントになって、
そこにボールが飛び込んできちゃう。
すごいそれが嫌で、
避けてると思ってたんですけど、
今の話を聞いて、
知らず知らずのうちにそういう埋めるところを、
バランスを取るところに逃げて、
結果的に何か機能しちゃってた。
そうです。
多分それクラスメイトのサッカーやってる子の目線に行ったら、
柿内君空いてるじゃんみたいな。
そうです。
いいところにいるじゃんみたいな。
パス出そうみたいな気持ち、割となるというか。
そうです。
パス受け取れないんだけどなみたいな。
そうあるんだなっていうのをすごい思って。
でも、それでいうとやっぱり僕も気づいたら、
僕の場合半分どんくさかったり間が悪かったりしただけなんですけど、
気づいたら空いてるポジションにいるみたいな経験は、
ずっとあった気がするなって思って、
なんとなくバランスの取り方というか、
隙間を埋める感覚みたいなものっていうのを、
スタンスみたいなところが、
多分Azoさんほどもともと意識的にやってたっていう感じではないんですけど、
事後的に振り返るとそういうことだったのかなみたいな、
自分の子供の頃のことを思い返して思いました。
36:07
面白いな。
文化的というか知的、語弊がある言い方だけど、
そういう人々の中ではスポーツ嫌われてることの方が多かったりするのは僕も認識してて、
かつ体育会系のどういうところが煙たく思われてるかとかも分かるんで、
あんまり大々的にスポーツの魅力とかって主張したいわけではないんですけど、
こういう中で僕とかに何かできる仕事が、
僕にしかできない仕事は何かあるかなとかって考えたときに、
スポーツのこととかはあんまり拒絶することが、
うまくやれない人の方が多かったりするから、
僕が何か書きたいなって少し思うのはスポーツマンシップっていう概念について、
僕はそのスポーツマンシップっていう概念が競技者をやってた人間の視点として結構好きな概念なんですけど、
これとかを本当に学術的な研究とかでは及ばないけど、
自分なりに考えたり、自分なりに調べたりしてまとめ上げてみるっていうのは、
さっき自主政策そんなにそういう気持ちはなくなってるって言いましたけど、
長い目で見て、あと20年とか30年とか40年とか生きる中で、
その中で勝てたらいいなっていうふうにはちょっと思ってるというか。
それすごい読みたいですね。
面白い。今のさっきのサッカーの話もすごい面白かった。
今はそんなことないですけど、やっぱり小学校の頃とかの体を動かすことが上手な人たちに対してのほぼ厄仮面からの言いがかりみたいなところで言うと、
みんなボールにがっついてゴールだけ見ててみたいな気持ちがどうしても先走っちゃうところがあったんですけど、
やっぱりその頃から根本として割と隙間埋めることの大事さとかバランス取ることの大事さとか、
それこそ多分スポーツマンシップみたいなところでフェアにプレーしようみたいなスタンスの取り方とかも含めて、
実はすごい基礎的なレッスンの場でもとして機能するものでもあるんだよなみたいなのが、
すごい今、素朴にそうだよなっていうふうに思って、
やっぱりそこは、もともとその時間が好きじゃなかった人が書くと、
39:00
そうしたってやっぱり偏りが出ちゃうから、そこをフラットに語って書けるっていうのがすごい良いなっていう感じがしますね。
もしこの仕事ができたらいいなっていう気持ちはありますね。
仕事ってのは本当に作品作りぐらいの意味で、自分の本職としたいとかそういう意味ではなくて。
そうですね、すごいいいですね。
最近出た、ちょっとタイトルが曖昧で、風光とスポーツっていう名前か、スポーツと風光っていう名前だったか、順番どっちだったか忘れたんですけど、
結構最近にそういう本が出たりして、まだちょっと読めてないんですけど、絶対面白いから。
絶対面白いですね。
絶対面白いからこれ読むべきだなとか思いながら、読むタイミングを待ってたりしてるんですけど。
スポーツと風光ですね。
そうですね。
スポーツってこういう権力関係の中とかでも、権力関係というか統治の方法というか、そういう文脈からももちろん捉えた方がいいだろうし、
かつ競技者の視点から言うと、さっき言ったスポーツマンシップとかっていうのがその権力に対する、むしろこのスポーツと風光とかでは多分スポーツマンシップっていうのが、
市民とか競技者ってものを統制する装置として多分、解説したりとかされてると思うんですけど、
そうですね。
競技者の視点で言うと、むしろスポーツマンシップとかっていうものが反抗の装置にもなるんじゃないかなっていう気が僕はちょっとしてて。
なんでかっていうと、僕にとってのスポーツマンシップって、スポーツっていうのがあくまでこれは遊びであるっていうことの相互了解というか、
これは戦争とかそういうことじゃなくて、遊びなんだっていうのを思い出すというか、ずっと心の片隅に置いておくためのものというような気がしてて。
単なる遊びだっていうのが、それこそ権力とかに指図されるときとかに、遊びなんだからで逃げることも同時にできるという気がするというか。
そういうことを全然至らないなりに、じわじわと考えていきたいなっていう感じで。
面白そう。そうですよね。何だろう。僕も今全然まとまらないまま喋るんで、全然着手できないかもしれないんですけど。
42:05
それこそ、風光の権力論とかって、めちゃくちゃわかりやすく偉い権力者みたいな人がいて、その人がトップダウンで支配を下ろしていくみたいなものではないんだと。
そうですね。むしろ下から来るっていう。
そう、下からも来るし、だからあらゆる方向から人がいる数だけ矢印がたくさんあって、その中に権力の対応ができるんだみたいなことを言ってるなって思っていて。
サッカーの話で言うと、やっぱり空間の中に合計22人の肉体がどう配列されるかで、全然空間の中での権力関係が刻意変わっていくゲームなわけじゃないですか。
そこのサッカーのゲームの在り方だったり、一人一人の配置によって関係性がどんどん書き換わっていって、権力関係の強弱が何度も書き直されていくみたいな在り方って、すごいだからそれを風光の権力論への例え話として使っていくと、すごいしっくりきそうだなみたいなことを今聞いてて。
あと本当に、もう一個はやっぱりそれをマジでやってしまうと、すごい苦しくなっちゃったりもしそうだけど、あくまで遊びっていう前提があるからこそ、権力の本来的には入れ替わっていくもので、両方ともが持ちつもたれつになっていくものだみたいな感じとか。
すごいイメージしやすくなるんだな。
なんか面白そうですね。
ありがとうございます。
スポーツと風光もそうだし。
スポーツと風光単純に面白そうですよね。
スポーツと風光今ちょっとここ調べてたんですけど、めっちゃ面白そうですね。
録音終わったら買います。
全然聞いたことのない出版社って出てますね。
そうなんですよね。
高揚処分。
本当にそうなんですよね。
スポーツもそうだしゲームもそうだし、ただの遊び感のあるものみたいなものから一回シミュレートし直してみるじゃないけど、
今の在り方に対しての試行錯誤ができる場所みたいなのは、一時期すごいいろいろ関心があって、
45:06
最近ちょっとそういう本読んでないので、今あんまり語彙が残ってないんですけど、なんか面白いよなというふうに聞いてます。
その語彙が残ってないとかって感覚すごいよくわかります。
スーパーファミコンとかみたいにカセット、カートリッジ式になってるとか記憶が。
そうなんですよ。まさにそうですね。
そのカートリッジが刺さってる間は結構それに関連した言葉とかがスラスラ出てきたりするけど、カセット抜いちゃうとどうにもっていう。
そうなんですよ。本当に。
今の里屋すごいわかります。僕だから最近の機種みたいにダウンロードゲームはあんまり入らなくて、一個一個カートリッジでその時々の言葉が出てくるから、今全然空港はギリギリちょっと入ってるんだけど。
なんか最近読んだりしてるっぽいですね。
そうですね。最近ちょうどこうすると読み返そうと思って読んでたりするので、ちょうどカセットがハマってたりして。
ゲームとかスポーツの話に一時期それやったなというかカセットに差し込んだなっていう記憶だけが今ありますね。
でもなんかそれはなんかこの記憶とかだけじゃなくてなんですけど、たぶん日記とか読んでて、たぶん僕柿内さんと同じぐらいの年で。
はいはい。
柿内さんってもともと東京生まれ東京育ちですか?
僕は名古屋で。
名古屋なんですね。なるほどなるほど。
でも都会って感じではありますね。
そうですね。ある程度の都市感はありましたね。
僕も東京都の中では板橋区で生まれて育ったんですけど、ちょっと中心的な部分ではないというか。
そういう感じのところで育った大体同世代ぐらいの人っていう感じで、なんだか親近感を覚える部分とか単純に似てるとかって思うこともあるんですけど、
それってなんかただ僕と柿内さんがたまたま似てたっていうよりはなんかこの時代性とかによるものがあるなって感じがして。
そうですね。
なんとなくカートリッジ式的な記憶の仕方とか、それがなんか小学校とか中学校とかぐらいにパソコンとかが普及しだして、
なんか辞書とかの記憶を頭の中に詰め込むよりはインターネットで聞いた方が効率が良いみたいな時点があったりとか。
そうですね。
そういう時代に、何ていうか10代20代とかを過ごした感じの。
そうですね。
それがなんか似たような生活というか行動様式みたいな感じで現れたりはするかもしれないなと。
それは面白いですね。そうか。
48:01
毎年ぐらいかな。これ別に答えなくても、録音してるのであれだったら答えなくてもいいんですけど、
僕は91年の生まれなんですけど、どうですか?近そうですか?
僕も91年です。
じゃあ本当にその辺。
早生まれとかじゃなくて普通なので。
はいはい。じゃあ本当に学年も。
そうです。学年も同じですね。そうしたら。
なるほどなるほど。本当にこれ僕あれなんですよ。本当にどうしても悪口になっちゃうかもしれないんですけど、
板橋に住んでたことがあるんですよ。東京に上京してから何年だったかな?本当にちょっと2,3年ぐらい板橋に住んでたことがあって、
すごい板橋の中でもエリアとしてはいろいろあるから一概には言えないんですけど、
僕は自分の住んでた板橋がすごい苦手だったんですね。
で、なんで苦手だったかっていうとすごい子供の頃嫌いで仕方がなかった地元名古屋の幹事と似てたからなんですよ。
だからこれがすごいアドさんの経験とどれだけそこが似通ってるかっていうと、
なんか分かんないというか勝手に人の地元にするのもなんだなってところがあるんですけど、
なんか僕はすごい、名古屋ってやたら道路が広かったり、全部神棚みたいな感じなんですけど、板橋も僕神棚もずっといたので、
でかいところの均質性だったり、車の速さだったり、歩いてる人間より車の方が偉そうな感じだったり、
ちょっと派手な服着て歩くとすぐ同じパートの人がめっちゃ見てくる感じだったり、
そういうすごい規格に乗ったものに対してはめちゃくちゃ快適なんだけど、そうじゃないところにあるものに対してすごい冷淡みたいな雰囲気を、
すごい僕は名古屋と板橋に懐かしく感じていて、なんとなくだから。
いやでも実際そんな感じだとは思いません。
僕も今ここで喋ってるのは板橋区じゃなくて兵庫県神戸市なので、
僕も板橋区に出た人間なので。
だからすごいそこの感じと、丸っきりそこに乗れなかったわけじゃないんだけど、
なんかこの速さでいいんだろうかみたいな気がすごいずっとあったので、
なんかすごいその感覚も含めて確かに何か均質的なものがあれそうな感じはするなって思います。
そうなんですよね。そっか今神戸なんですね。
はい、神戸です。
すごい本当にこれ世間話になってるんですけど、この前初めて神戸に行って、
ゴールデンウィークですよね。一気に一気に書いてありましたね。
ゴールデンウィークに行ってすごい2日10日しかいなかったんですけど、すごいいいところだなっていうふうに思いました。
51:02
なんかすごい名古屋っぽさもあるんですけど、地方都市感あるんですけど、
なんかあんまりそのすごい均質化されちゃってる感じがあんまり感じなくて、
まあ観光客で行ったからっていうのもあるんでしょうけど、
なんかあんまりこう、何ていうのかな、
割と変な逸雑とか臭みが許容される余地がある。
そうですね、割とそういう感じ。
まあもともとやっぱ港って感じでも異文化が結構普通に授与されてきたっていう経緯があるからか、
まあ結構いろんなものに対して寛容な感じはしますね。
あとやっぱりなんか海と山が結構ギュッて集合してるじゃないですか。
すぐ近くなんですよね。
両方すぐ行けちゃうから、なんかすごいミニチュア感も含めて、
その詰まり具合が、街に対しての情報の詰まり具合がすごいちょうどいいなって感じが受けます。
やっぱその海と山が近いみたいなのが、
僕、神戸に引っ越してきたのが2017年で、
それまでずっと東京都で実家でだったんで、
完全に一人暮らし初めてがいきなり神戸まで来たんですけど、
その神戸選んだ理由が旅行とかしたときに坂道がすごい良かったから。
はいはいはい、確かに。
かつ、いろんな人に東京から来たんですとか言うと、
なんでとか仕事の都合とかっていろいろ聞かれたりすると思うんですけど、
坂道が良かったんでって言うと、
こいつなんかわけわかんない人間だなって思ってくれるというか、
ああそうなのねみたいな感じになって、
なんかかえって別に多く説明しなくても良くなったりして。
なるほど、なるほど。すごい良いですね。
そうか、ちょうどあれですよね、たぶん。
坂道な気分って陣を出されたときのEDFを今ちょうど出してるんですけど、
これの奥づけが17年とかだから。
そうですね、そのときに。
本当に坂道のこの短期をしている中でも。
はい、そうですね。
それしかも初めて作った自主製作物ってなんかあるけど。
そうなんですね。なるほど。
そうか、坂道いいですね。
これは僕が入手したときは無料でしたが、今もこれは無料配布なんですか?
そうですね、今はもう無料だし、原物、紙のやつを刷る気はもうなくて、
紙のやつしかももう全部なくなっちゃってるからもういいやって感じで。
もうなくなっちゃってるって言っても別にたくさん刷ったとか言われてなくて、
その2017年のとき、それを刷った結果、僕の銀行の残高が2万円とかになったので、
54:06
おしまいって感じで。
それはすごいありますよね、自分の限界はそこで決まりますね。
これすごく僕好きだったので。
ありがとうございます。
この録音の概要欄の中にリンクを貼っておくので、聞いてる人はぜひ。
もし気が向いたら。
坂道の良さをこれでね。
写真プラスちょっとしたエッセイというか文章って感じの本です。
そうですね。
すごい今日お話ししてるようなスタンスだったりも含めて、
結構坂道の研究に凝縮されてるなみたいな感じたりもする。
めちゃくちゃいいなと思ってたんだけど、
そうかそういう本当にもうそこが住む場所の決め手にもなるっていう。
そうですね。
いいですね。
すごいいい話ですね。
なるほど。
そうなんだ。確かに坂道。
そうですね。だから東京も平坦ですもんね。
場所にもよりますけど、極端なイメージですかね結構。
平坦なところと坂が多いところが極端。
どういう坂がパドさん的にはフィットするんですか。
あんまり急激なのよりは。
やっぱうねりが多かったりする方が好きですから。
なるほど。
なるべく有機的な感じというか。
はいはいはい。
まっすぐに無理矢理作ったやつじゃなくて道なりにちゃんと後からできたんだろうなみたいな。
で、1回のあるカメラアングルから見たときにもうカーブが1回じゃなくて2回とか3回とかあるいは高さうねりがあるとかそういうのが個人的には好きですね。
なるほどなるほど。やっぱりバリエーションというかバラエティ豊かな道がいいですね。
坂道いいなと思って写真に撮っても坂道って写真に撮るのが難しいというか写真でその傾斜感みたいなのを出すのが難しくて。
はいはいはい。
例えば比較対象とかがないと標識とかがないと傾斜してるとかって感じが伝わらなかったりとか。
あるいは望遠レンズでうまく背景、遠景と全景を潰してやったりしないと今自分が肉体というか身体的な経験としてこれぐらいの傾斜だったっていうのは写真としてはうまく記憶できない部分があるなと思って。
57:08
あーなるほど。
それの表現が難しいなと思ってそれで坂道な気分で元々紙の本で作ったんですけど。
はいはいはい。
それは配置が見開きの片方に写真があって片方に文章があるって感じなんですけど。
片方に写真を配置するとこれ紙の本だと本のトジの喉があるので勝手に湾曲してくれるんですよねページが。
うんうんうん。なるほどなるほど。
その湾曲がなんていうかパース的なものになる。
はいはいはい。あーなるほど。
なんかそれを意図して坂道の写真を撮るときに必要なのは湾曲があることが必要なんじゃないかなと思って。
それで紙の本で作るとしたらというか発想としては逆かな。紙の本を自分が作るとしたらやっぱ紙の本ならではのものの方が作りたいよねってことになって。
だったらこういうのはどうかなっていうアイディアとして生まれて。
なるほど。
だからもともとはPDF版は作るところがなかったんですけど。
そうですね。
まあでも現物だけあったから置いとくかみたいな気持ちで今は適当に置いてあります。
あーそれも含めて今の根付けというかまあその根は付けないみたいなところもあって。
そうですね。
なるほど。あーでも確かにそれすごい面白いですね。
そっか紙でフィジカルで作るとものとして起伏がそこにできるかなっていう。
そうですね。
なるほどな。面白い。考えたこともなかった。
いいな。ちょっとぜひね。今紙版はないですがPDF版でチェックをして。
よろしく。よろしければ。
なるほど。すごい。そうか。
そうですね。
これまでずっとこの板橋と名古屋が似てる仮説を温めてたんですけど、あんまり披露するかがなかったので。
まあなかなか板橋君の話をする機会とかないですよね。
そうですね。どの突入も別に特殊性はあるんですけど、板橋はすごい自分がいたからのもあるんですけど、
すごい変なところだなというか、自分がイメージしてた東京とは全然違う場所だなっていう感じが。
東京って感じだよ確かに。
でも空き地にどんどんどんどん家が建ったりは。
でもそれは柿内さんがこっちにいた頃っていうよりは僕が子供だった頃とかの話なんですけど、
今まで駐車場だったところってすごい隣の家と隣の家の間隔がすごい狭いような、
本当に密集した住宅みたいなのがどんどんどんどん建っていったり。
1:00:03
なるほどなるほど。
そうか、だから本当に今の形になる前はもっとその東京感じゃないけど、
人の密集具合も含めて全然違ったんだろうなって。
まだまだ僕子供の頃とかにはまだ畑とかもあったりしたし、
舗装されてない砂利道とかもあったりしたという感じですけど。
そうなんですよね。それでだから本当にあんまり体験のありようが変わらないような気もしますね。
面白いな。良いですね。ちょうど1時間ぐらい経ってきているので、一旦一区切りにしようかなと思います。
すごい面白いお話を。
ありがとうございます。
いいですね。ありがとうございます。
よかった。初対面って感じで全然話膨らまないとかにならなくてよかったです。
本当にそうですね。よかったです。
本当に2人ともああって言って終わっちゃうみたいなのだとどうしようかなと思って楽しくお話できて。
よかったです。ありがとうございます。
ありがとうございました。
録音としては一旦こちらで停止したいと思います。
コヒーティックラジオ、本日のお相手は私、垣根翔吾と
テイスト、赤井亜佑でした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
01:01:47

コメント

スクロール