1. あのさ、
  2. #23 声の届かない夜に
2025-02-16 1:06:48

#23 声の届かない夜に

うまく話せなかったり聞こえなかったり。人が集まって話す時、どんな場所が苦手でどこなら安心して話せるのか。


大人数での集まりが苦手 / 会話のテンポについていけない / ざわざわした場所、声の重なる場所でうまく聞き取れない / 声が小さい、届かない / お酒の場であることも関わっているのかも / 安心して話せる場所が少ない / 一対一は集中して相手の話を聞ける / 大人数の中でも分裂したり / ファシリテートするのが上手い人がいると話せる / 集中していないと話が聞き取れない / 空間的な情報過多 / 4人以上は大人数 / 飲み会文化は日本だけ? / オーストラリアも結構飲み会的なのはある / 割と自由参加みたいな感じ / 外で飲むのは高いので人数集まる時は家飲みが多い / 全く共通点がない集まりは居心地が悪い / 深い話ができない / 他の形で交流できる場所が欲しい / 順番に話すのもストレスがあるよね / 小学校とかでの班分けがいい感じ?/ 発言のハードルが下がる / 発言権の分配の難しさ / 哲学対話に興味ある / 正しい答えのないことについて話す時 / ニュアンスを捉えた対話のあり方 / 一方通行にならない会話が理想 / 聞くことの重要性と難しさ / つい共感を示そうとして途中で話を挟んでしまう / 最後まで相手の話を聞くって難しい / 聞くことって訓練必要だよね / 言葉以外の表現の可能性 / 少人数の方が話しやすい / ルールがあると発言しやすい?/ イベントを観察して学びたい / 自分の苦手意識を明確にする / それぞれイベントに参加してみよう


紹介した本やサイトなど💫

世界の適切な保存』永井怜衣


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感想や質問はこちらへ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年2月12日]

00:05
こんにちは、りょうこです。
むぎほです。
ポッドキャスターのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい。
えーっと、
今日は、私のちょっと最近の出来事から、
うんうん。
っていうか、最近こんなことがあったよという報告なんだけど、
うんうん。
なんかあの、そんなにもともと数は多くないんだけど、
うん。
飲み会とか、大人数で何か集まった後の食事会、
うん。
みたいなのに、こないだ参加して、
うん。
まあ、でも基本的には、私は大人数でまず自分が話すの苦手、
うん。
その場所も苦手、
うん。
で、プラスお酒も飲まない、
うん。
っていうのもあって、
うんうん。
基本的にあんまりそういう場は積極的にはいかなくって、
うん。
なんか、あんまり楽しい思いをしたことがないから、
あーね。
あの、そういう場にお金を出すっていうのが、
そうだね。
嫌だと思って、
わざわざ出向かないよね。
そうそう。
なぜ?みたいな。
うんうん。
っていうのもあって、もともと行かないほうではあるんだけど、
うん。
つい最近ちょっと行くことになって、
でもほんとに、
うん。
序盤だけ顔出して、すぐ帰っちゃったんだけど、
うんうん。
なんか改めて苦手だなと思ったの。
で、それ、
うん。
なんでこんなに自分が苦手なんだろうって思った、
うん。
んだけど、
さっき言ったみたいに、そもそも大人数苦手とか、
うん。
飲まないし、
うん。
っていうのももちろんあるし、
うん。
で、なんでそもそも、その大人数で話すのが苦手かっていうと、
うん。
まず、なんかその、なんだろう、会話のテンポに入っていけないっていうのもあるのね、一つ。
あー。
人数が多ければ多いほど、全員で話すってあんまりないじゃん。
ない。
難しい。
なんかどうしてもショーグループ、ショーグループとかになったり、
それがちょっと合体したり、また分裂したりみたいな、
そうだね。
感じになって、
なんか、そこのショーグループにせよ、ちょっと大きくなったグループにせよ、
うん。
なんか、自分がその会話のそれぞれのテンポにうまくついていけないなっていう感覚もあるし、
うん。
あとはなんか、これ検査したことないから、
03:01
ていうか、検査してわかるもんなのかとかもよくわかんないんだけど、
うん。
たぶん、あんまり耳が良くないなっていうのは、なんかずっと思ってて、自分が。
あー、昔からってこと?
たぶんその、日々、
うーん、ある。
最近?
そうね。
うん。
結構前かな?
うん。
普通に、あの、何、思春期の頃というか、
うんうん。
10代の頃から割と思ってて、
うん。
でも、なんていうの、その日常生活に支障があるとか、
うん。
その、明らかに聴力が落ちてるとか、
うん。
そういう感じではなくって、
うん。
なんかその、会話になったときに、
うん。
なんかうまく、1対1なら、
うん。
その、相手の話だけにずっと集中してるから、
うんうん。
もちろん聞き取れる、だいたい?
うん。
なんか、結構聞き間違いも多くて、よく聞き返しちゃうんだけど、
うん。
とはいえ、1対1は、まあそんなに自分の中では支障があるって思ってなくて、
うん。
それが複数に、もう4人以上とかになったら、私の中では大人数だから、
うんうん。
ってなると、なんかその、なんだろう、人の声がこう重なってくるじゃない?
人数が多ければ多いほど。
うんうん。
ってなると、なんかその、言葉を発してるのはわかるんだけど、
うん。
なんかうまく言葉としてとか、なんか意味のある単語として、
うんうん。
書き消しにくいの、なんか。
ああ。
だからその飲み会でってなると、そもそもその、まあ当たり前だけど飲む人はやっぱ声が大きくなるし、
そうだね。
盛り上がってくると、余計になんかその人の声で別の人の声とかが、
うんうん。
全然書き消されて聞こえないとか、
うんうん。
あとはお店の音とかも、そもそもその個室とかじゃないから、
うん。
そのお店の音楽なり、他にいるお客さんたちの声なりで、いろんな音とかがあると、
うん。
なんかその雑多な音の中で、会話の言葉に、なんかうまく聞き取れないみたいなのが結構あって、
うんうん。
で、それにすごい神経を使っちゃうから、
うんうん。
聞き取れないのに、その場にいることが結構ストレス。
そうだね。
うんうんうん。
っていうのもある。
うん。
プラス、私の声も、なんかこの、なんだろう、音声、ポッドキャストで聞いてて、
どう聞こえてるのか、私よくわからないんだけど、
うん。
基本的に、あんまり滑舌も良くなければ、
うん。
なんか、声質的に、すごい書き消される声質してるのね。
あー。
なんか、いろんな人の声に割と書き消されやすく、
うん。
かつ、声もボリュームが小さくて、
うん。
なんか喋ってんのに、相手に聞こえてなくて、
うん。
ちょっと無視されたかもって、勝手に思って、
うんうんうん。
もう話すのやめちゃうみたいなのが、
06:00
あー。
もうめっちゃくちゃあって、
うんうん。
そう、そういうのも多分重なってて、
うん。
なんかその、大人数とか、まあ飲み会的な場所で、
うん。
に、自分が参加するのが苦手だし、
うん。
なんかそういう場で話を自分がしたりとか、
うんうん。
そこで話を聞くみたいなこと自体が、
うんうん。
めちゃくちゃ苦手だなっていう意識がある、
うんうん。
っていうことを、なんかその出来事の後に最近考えてて、
うんうん。
だから、なんか私の場合は、基本的にその話すのが苦手な局面が、
うんうん。
まあその飲み会とかじゃなくても、
うんうん。
まあとにかく人数が集まれば集まるほど、
うんうん。
なんか苦手ってなっちゃうから、
うんうんうん。
社会生活を送る中で、
うん。
その会話をするっていう意味、
うんうん。
というか会話をすることが、
うんうん。
苦手な場所の方が圧倒的に多いのね、
うんうん。
むしろ、こうやってなんか安心して話せるみたいな場所の方が、
うんうん。
すごい少なくって、
うんうん。
だからなんかそれが結構、なんか日常でいろんな難しさを感じるなっていうのを最近考えてて、
うんうん。
だからなんか、ムーちゃんは話すのが苦手な場所とか、
うんうん。
逆に得意になる場所とか、
うんうん。
あるのかなっていうのが一つと、
うんうん。
なんか昔よりは緩和されたとはいえ、
うんうん。
なんか日本の社会の中でやっぱ飲み会カルチャー的なものって、
うんうん。
今も割と根強くあるなって、
うんうん。
私は思ってて、
うんうん。
なんかそれってニュージーランドとかオーストラリアとか、
うんうん。
ある程度まとまった時間、生活をしてきたような場所で、
うんうん。
の、なんかそういうカルチャーってあるのかなっていうのを聞いてみたいなと思ったっていうのが、
うんうん。
今日のテーマです。
今日のテーマね。
うん。
そう、私もなんかそのりょうちゃんの最初テーマ提案してくれたの読んでて、
なんかすごい結構、私の体験と重なるところが多くて、
私もなんか割と大人数の場が苦手で、
なんかどうして苦手なんだろうっていうのをこうまあいろいろ考えてて、
なんか私は多分一番おっきいのはその、
なんていうんだろう、こう、
なんか大人数で話すと結局その全員としゃべるわけじゃなくて、
その例えば隣に座ってた人と話すとか、
なんかたまたまそのあたりにいた人たちと話すみたいなのか、
なんかその人によってはそのちっちゃいグループをてんてんとする人とかもいて、
このテンポの移り変わり、さっき言ってたみたいな、
そのテンポについていけないっていうのがたぶん私は一番おっきい。
うん。
で、そうそうそう、だからなんか、
09:02
たぶん、でもそのテンポについていけないっていうのも、
なんか人によってすごい、
なんかどういうその大人数でって言って集まってる人たちがどんな人たちかっていうのはすごい影響するなって思ってて、
なんかすごい会話がうまい人とか、こうなんていうんだろう、
なんか仲介っていうかこうファシリテートするのがうまい人っているじゃんたまに、
で、なんかそういう人が一人でも、なんかそういうグループというか、
その人数の中にいると、
なんかその、こうなんていうのかな、
一人の人がこうメインで話すとか、
逆にその一人の人が割と声の大きめの人たちが話す中で、
あんまりこう話すのが得意じゃなかったりとか、
声が小さい人とか、
あんまりこうね、表に出て行きますみたいな感じじゃない人とかの声が、
こうあまり聞こえなくなったりとかするのを、
なんかすごい結構よくわかってる人とかっていうのがたまにいて、
なんかそういう人がその輪の中にいると、
なんかすごい話せる。
なんかなんていうのかな、
質問とか、
この会話の流れの向きとかをすごいうまく、
なんかコントロールしてるわけではない、
結構流している感があって、
だからなんかそういう中にいると、
なんか私もなんか自然な感じ、
なんかこう無理に話さなきゃとかじゃなくて、
なんか自然な流れ、自然な雰囲気でこう受け答えができるから、
なんかそういう場だと、
割と話せるかなっていうふうなのが、
なんかそのりょうちゃんの話せる場はあるっていうので思ったのと、
でもやっぱりその聞き取れないってやつは、
私もあるよって思った。
なんかその、わかんない。
りょうちゃんがどれだけこの日常生活の中で、
こうなんか不便だなとか、
あとなんかこう、
あんまりうまく聞き取れなかったなとか、
そういう体験をしてるのかはわからないんだけど、
私もなんかそう、
けっこう大人数とかの場で、
こうかなり集中しないと、
目の前の人が何言ってるかとかが聞き取れないのと、
あとなんかすごい気が散っちゃう。
なんかその、すでにこの周りがざわざわしてる、
で、この違うね、
まあその大人数の中でもいくつかのグループがあるって言ったけど、
その中でみんなそれぞれ違う会話をしてて、
で、なんかそういうのが耳に入ってくるじゃん。
で、なんかそれプラス、
目の前にいる人なり、
まあその自分のいるちっちゃいグループなりの中で、
こうまあ何か会話されてたとしたら、
なんかその、気が散ってしまって、
12:01
なんかそれ、
え、何の話してたっけ?みたいなのとか、
あと聞き逃したりとか、
なんかこう、
質問されてもそれがうまく聞き取れてなかったりとか、
っていうのがけっこうあって、
だからかなりなんか集中して、
なんかこう話を聞こうとか、
なんか会話しなきゃみたいな意識がないと、
なんかこうすぐにこう散ってしまうから、
なんかすごい疲れるっていうのがある。
なんか、そうね、
だからなんかりょうちゃんの体験してる、
そのこととはちょっと違うのかもしれないけど、
その大人数での聞き取れない、聞き取れるってやつ。
でもなんかその、
常にこう外からの刺激、
いろいろなものに対して、
こううまく対応しきれないから、
っていうのもあるのかなっていうのは思った。
なんかこの、
人数だけじゃないじゃん、
さっき言ったみたいにお店の音とか、
なんかその周りで誰かがこう、
なんていうのかな、
例えばお酒の場とかだったら、
けっこうワイワイしてる感じだったりとか、
っていうのってけっこうさ、
けっこう来るじゃん、
雰囲気とか音とか、
いろいろな空間的な情報が入ってくるから、
なんかそういうのにも、
けっこう影響されてるのかなっていうのを思った。
その音だけじゃなくて、
どうなんだろう。
そうね、
なんかもうすべてが、
なんていうの、
そんな要素がありすぎて、
認識しきれてない、
っていうのもあるのかもしれないし、
どうなんだろうね、わかんないけど、
とにかく話が聞けないみたいな、
なんかその部分部分はわかるんだけど、
なんか多分文章の真ん中、
とびとびでなんかわかんなくて、
なんかそれを聞き返しても、
またなんか聞こえなくて、みたいな感じで、
で、なんか適当に愛想笑いして、
適当に流しておく。
そうそう、なんかもうよくわかんないなと思って。
そうそう、で、なんか結局いてもさ、
ほとんど聞き取れないからっていうのもあるけど、
ほとんどしゃべんないから、
そのグループの中で、
いろんな意味でもちろん単純に、
ファシリテイトするのがうまい人っていうのもいるんだけど、
やっぱ立場上、声がでかくなりやすい人とか、
みんなに耳を傾けてもらいやすい立場の人っていうのは、
15:00
いるわけで、
いるね。
そう、で、なんかそういう人たちがワーワーワーって話してて、
で、なんかこう一旦、それが一旦落ち着くみたいなタイミングで、
あーって感じで話を振られるわけ。
たぶんその人的には、自分ばっかり話しちゃったみたいな感じで、
なんかうまいこと別の人に質問とか、
投げかけてくれるんだけど、
それもまた自分はうまく聞き取れないわけ。
で、答えようとするんだけど、
断片的に拾い上げた要素から、
でも、またそこでさらに自分の声が今度相手に聞き取られない。
声がうまく通らなくて、
声質とかボリュームとか、自分のもともとのこの声っていうものの特質上っていうのもあって、
なんか、え?え?みたいな感じでめっちゃ聞き返されるから、
なんかそれで余計話すのが嫌になってて、
嫌だよね。
で、なんか適当な理由をつけて帰るみたいな感じで、なんかやり過ごしてるんだけど、
なんか飲み会ってね、なんか自分のそういうもしかしたら、
何かしらの声なり、聴力なり、そういう持ってる身体的な要素で、
その場に居にくいっていうのももちろんあるかもしれないけど、
でもなんかそれだけじゃなくてさ、
なんかその、ああいう場苦手な人って多いと思うんだよ。
でも、なんでなくならないんだろうとか、
なんか、なんだろう、そのいろんな立場の人とか、
まあ、初対面の人とか、そんなに会う機会がない人とかが、
一堂にこう返して、なんかこう場を持つみたいな、やっぱすごい重要だと思うんだけど、
それがイコール飲みの場になっちゃうみたいなのは、
なんかもっと他の形でできないのっていつも思ってて、
なんでみんなこんな飲み会好きなんだろうって思って。
え、なんかその、りょうちゃんがその、なんだっけ、その大人数で話す場が苦手みたいな話って、
なんかそのお酒の場に限っての話、
それとも、なんか全体的に、やっぱり人が集まる場所は苦手みたいな感じ、
それとも、たまたまこの今回の体験が、
それが重なって、なんかお酒の場であり、大人数の場であったっていうのが重なっての、なんていうか。
基本的には、さっき言ったみたいに、4人以上は自分の中で大人数だから、苦手なの。
18:04
苦手なの。どちらかというと、私は常に1対1で会って話したい人だから、
まあ、マックス3人だなみたいな感じ。
そうじゃないと、本当になんか話にうまくついて、自分がついていけなくなるから、
だから、なんか4人になるともう大人数で、その場自体は基本的に苦手ではあるんだけど、
中でも飲みの場って、アルコール入ると一部の人は絶対声がでかくなって、
絶対発言権が増すの。
わかる。
なんか、もともとの立場の違いとかもあるけど、なんかその、酔ったのり。
別にお酒好きなのも、別にいいし、自分のことではないし、
で、そういうなんかお酒でわーってなる場が好きっていうのも、まあそういう人もいるだろうなとも思うんだけど、
なんか、完全にもちろん強制ではないんだけど、
中場行くことが進められるような感じの飲み会の場で、やっぱ飲む人の声が大きくなっちゃうと、
なんかもう、その大人数がダメな、プラス飲み会だとやっぱ特定の人の声がでかくなって、
さらに話についていけないとか、自分の声通らないとかっていうのが増しちゃって、
そうそうそう。
なんか余計に、なんかストレスがなんか倍増する場所みたいな、
普段のその大人数プラスそれが加わりみたいな。
そうねー。
なんかそのニュージーランドとかオーストラリアはどんな?
あ、でも、なんかこっちの人はめっちゃ飲むよ。
なんかでも、私もなんか基本的にあんまりそういう場好きじゃないから、なんか行かないけど、
そうか。
そう、だから、たぶん他の人から、なんかそういう場に行く人からしたら、なんかあんまり参考にならないとか、
別にその代表してるのあれじゃないから、一個人の体験としてだけど、
割とこう、なんていうのかな、なんかパーティーカルチャーみたいな、
パーティーっていうよりかは、なんかこう集まりみたいな、
なんかこう友達の家に、なんか誰かの家に、こうご飯とかお酒を持ち寄って、
集まりで、こうお酒飲みながら、こうゲームしたり話したり、
あと、まあ音楽聞いたりみたいな、
なんかそういう、特にこう娯楽がないから、なんかその外で飲むしかもすごい高いのね、
アルコールが基本的にすごい高いから、で、特にそのお店とか外で飲むってなると、
結構、なんか日本とかは、たぶんすごいものすごい安い、他の国と比べて、
ニュージーランド、オーストラリア、外で飲むのめちゃくちゃ高いから、
21:00
なんかみんな家飲みで、基本的に、そういう、なんかこうみんなで集まるときとかは、
で、なんかでもそういう場だとさ、まあ結構みんな持ち寄りで休めに飲めるから、結構飲むのね、
で、そうするとやっぱりこう結構、わりとそういう、なんていうのかな、声の大きい人とか、
なんかそう、ね、こう元気になる人みたいなのがいて、
で、なかなかそういうところは、話せないというか、
なんかあんまりそのノリ、その輪のノリについていくべきなのか、わからないけど、
なんかあんまりこううまく入れないみたいなのがよくあって、
で、なんか会社とかは、わりと、なんていうのかな、人によってだね、そういうの参加するかしないかみたいな、
なんか結構いろんな人いるし、なんか子供の迎えに行かないといけないから無理とか、
なんか私が働いてきた場所は、わりと結構いろいろな年代の人とかも多かったし、
なんかこう、なに、宗教上お酒飲まないとかっていう人もいるし、
だから、なんか人それぞれ、なんかでも結構そういう、なんていうの、なんか文化的にこう飲むみたいなのはあるから、
飲まないとなると、わりとマイノリティーのほうにはなるけど、
でも、なんか結構そういう場所でも、こうノンアルコールで飲めるように配慮されてたりとか、
っていうのもあるから、こういろいろな人が参加できるようにみたいな、配慮はされてる感じはある、たぶん日本よりは。
だから、そうね、ただそこに参加する、
集まるっていうのは、ごめんごめん、集まるっていうのはさ、
友達が多いの?友達とか、その友達の友達とか、
そうね、それともなんか仕事関係とか、そのプライベートではない集まりとかも結構多いのかとか、
人によるかな、あと人とか会社、なんか私が前の前にいたところは、わりとみんな、
私はあんまり参加しなかったけど、結構わりと在宅勤務が多かったから、
でもなんかそのプライベートでも結構仲良くて、
プライベートでも、仕事以外の週末とかに集まって、なんかそういうのしたりしてたけど、
私がわりと経験あるのは、私のパートナーとかの友達の友達、
でもその友達の友達が招待する友達って、私知らないじゃん、全くの他人で、
で、共通点ほぼほぼゼロで、みたいな感じだから、なんかその、なんか余計にストレス。
24:06
なんか、たぶん逆に会社とかのほうが知ってる人いるし、
なんかこう会社っていう、こうなんていうの、なんか共通の何かがあるけど、
なんかそういう感じの、なんか全く知らない人たちが集う集まりとかで、
その、そういうところに行くときって、なんか超外交的で、
誰とでも話せますみたいな人か、あとは誰かを知ってるかじゃないと、
わりとこう居心地があまり良くないというか、っていうのはあって、
私はだからそれがあって、あんまりそういう、そういう系のにはあんまり参加しない。
で、会社のにも基本的にあんまり参加しないから、あんまり参考にならないって感じかな。
でも、なんかその会社のほうは、なんか強制とかはないから、
なんかたぶん、なんていうのかな、業界とかによっては、たぶんあるんだろうけど、
お付き合い的な感じのは。
でも私が、私基本的にフルタイムで、正社員として働いてきた場所は、
わりとこう、IT業界がほぼほぼで、で、わりとそういうとこって結構、なんていうのかな、
自由っていうか、なんかあんまりその他の業界ほど、
規律みたいなのが、なんかすごい決まった、こうしなきゃみたいなとか、お付き合いとか、特にないから、
そうね、なんか参加したい人は、わりとそういうイベントとかいっぱいあるから、参加する人は参加するし、
でも、なんかあんまそういうの興味ないとか、いいっていう人は、特に行かなくてもいいし、
行ったとしても、なんかその、別にお酒飲まなくてもいい状態があるのが、わりとふつう。
で、なんか多分、もっと飲みたいとか、なんかそういうワイワイしたい人は、こう二次会とか、
そのイベントの外にそれぞれで行き、続けるみたいな感じかな。
だから、ちょっと違う、日本とだいぶ違うかなって感じ、りょうちゃんの話聞いて。
なんか、私は別に日本の会社に所属してとかないからか、わかんないしは、身近な人たちの話とか、見てきたものとかだけだけど、
27:07
でも、日本ももう、強制はアウトなんじゃないかな。
でも、なんていうんだろう、ストレートな強制ではないけど、案に強制するみたいなのは、たぶん全然あるだろうなと思うし、
それでも、もう自分の意思をかたく持ってる人は、絶対に参加しませんみたいな感じで、
裏でなんて言っていようが、みたいな感じで、貫けるのかもしれないけど、
私の場合は、なんか今、陰性で、結構今、自分が参加した研究会とか、学会で知り合った人とか、
そんなに日常的に頻繁に会うわけじゃないんだけど、せっかく会ったし、いろいろお互いのことについて、私も聞きたいし、
相手との接点とか、乗てればいいな、みたいなのもあって、
そういう人とかが、それこそ会の後のお食事に、実体は飲み会なんだけど、に行けませんか?ってなって、
その人が行くなら、じゃあちょっとだけ顔出そうかな、みたいな感じで、この間もそれだったのね。
そう、だけど、やっぱなんか、行ったところで、みたいな、
なんかあんまり結局、その人について聞けることも、そういう大人数でワイワイみたいな場ってないし、
基本的に話がなんか浅くなるから、
それわかる。
そう、だから、なんか私はその人についてもっと知りたかったし、
せっかくその参加した、その研究会で参加したっていう機会に会えたから、
なんかいろいろやりとりができればな、今後も、みたいな感じで、
なんかそのために行くみたいなとこが、数少ない参加の中にはあるんだけど、
ただなんか、そういう目的で行ってるんだけど、いざ行ってみると、
そういう話ができる場にはなってない。
なんか、もっとその相手の話が聞きたいっていうのは、結局自分は多分、
もうちょっと腰を据えて、ちゃんと話したいみたいな。
ゆっくり話したい。
そうそうそう、っていう感じなんだけど、やっぱその飲み会とかになると、
まあ、その人がアルコール飲む人だったら、その人自身も結構、わーってこう高揚したりとかするし、
まあ、飲まなかった場合には、そうじゃない、飲んでる人たちがずっと喋るわけで、
いや、なんかその話聞きたくないんだよね、みたいな、
そのために私参加したんじゃないんだよね、みたいな感じになっちゃうし、
30:02
なんか話はもちろん、そういう、なんだろう、新しくその場に来た人に対して話は振られるんだけど、
まあ、なんか全体的にこう、あんまり深くはならないし、
多分その深くはならないっていうところが、もしかしたら飲み会とかそういう場が好きみたいな人にとっては、
なんか程よいコミュニケーションのあり方みたいな感じで、気軽なのかもしれないとか、
なんかやっぱ人によっては、アルコール入んないと陽気に喋れないみたいな人とかもいて、
なんかそういう人たちはそういう場になって、別に深い話をするんじゃないんだけど、
気持ち的にこう、結構テンションが上がって、ワーワーワーワー話せるっていうのが、
その求めているコミュニケーションのあり方なのかもとか思ったりして、
ただなんかそうなると、やっぱ自分の目的とその場を構成するなんか、
雰囲気みたいなものはあんまりマッチングしてないなと思って、
何回そのミスしてんだよって思うんだけど、
でもそれ以外に、なんかやっぱ、なんだろう、その人とわざわざ話す場っていうのが作れないし、
なんかやっぱ1対1に持ち込むには、ある程度接点をそれなりに深めるまでいかなくてもいいんだけど、
もうちょっと擦り合わせてないと、なんか一瞬、なんかこうスカッみたいな感じで、
点と点がかすったみたいな感じでだと、なんかその誘いにくいし、自分も。
だからなんかもうちょっと、なんかその接点がスカーってよりかは、
もうちょっとぐりぐりっていく感じがあれば、そこをきっかけにちょっと持っていけるって思うんだけど、
なんかそのぐりぐりのための場に飲み会はならないっていう風になんか思って、
でもそのための場はそれ以外には設定されていなくて、
なんか難しいなぁと思って、
でもなんかやっぱりめっちゃ今回、めっちゃ久しぶりに参加したんだけど、
なんかやっぱダメだわって思ったから、
また当分そういう場にはいかないかを聞かれるし。
なんでかなぁ、なんかそのお酒が問題なのか、
なんかやっぱりそういう場になってしまうと、人数が増えてしまうと、
やっぱりこう声の大きい人とか、なんかこう何かしらの形で注目っていうか、
この中心的な、その会話の中心的になる人っていうのが決まっちゃうから、やっぱり話しづらいのか、
何がこう、
33:03
例えばさ、私たちが何か例えばね、イベントを主催しようってなったときに、
こう人数を集めてね、こう4人以上の人々を集めて何かをしようってなったときに、
どういう場だったら理想っていうか、こう安心して、
そういうふうなストレスとか、なんかそういう思いをせずに、
もうちょっといい形で話せるのかなっていうのを今ちょっと考えてたけど、
なんかでもそれを考えるには、なんかそもそもそういう場で、
自分は何が苦手というか、こう難しいと思っているのかっていうのが、
こうわりとはっきりわからないと、それを避けないとじゃん、それ。
だから何かなーって今ちょっと考えてたんだけど、
なんか飲みとか一切関係なく、
飲食しないような場での複数人での集まりとか、
なんかそれこそ最近は全然ないんだけど、それこそコロナ前とかは、
なんかその個人で主催しているような読書会とかにたまに参加することがあって、
対面でってこと?
そうそうそうそう。
で、なんかその時のこととか思い出してたんだけど、
でもなんか私結局アルコールがなくても、
もう例えばその場に10人集まりましたとかだと、
やっぱその場で自分がしゃべるとか、
まあ少なくともその場、読書会とか特に一斉にわーとかってみんなしゃべるんじゃなくて、
誰かがしゃべってる間、他の人が黙ってるから、
自分のその聞き取れなさの問題っていうのは、
あのだいぶないの、1対1と話してる時ぐらいの集中力で聞けるんだけど、
で、ただなんかその場で自分が話すってなると、
やっぱり例えば10何人とかいたら、
絶対無理、絶対無理。
そう、だから結構緊張しでもあるから、
絶対緊張しちゃうし、
なんかそのあんまりしゃべれないっていうか、
もう自分の話したいことをあらかじめ決めてて、
それを一直線に暗記したことを口から出すみたいなぐらいの勢いでなら、
もちろんしゃべれるんだけど、
36:00
それって多分自分が求めてる会話のあり方とか、
しゃべりたいことではなくて、
多分なんか行ったり来たりする話が自分は多分楽だし、
それに対して、自分が話したことに対してのフィードバックも誰かにしてほしいし、
なんかやっぱりその相互関係みたいなのがないと、
やっぱり会話してるっていう感じにはならないなと思って、
そういうなんかもう10人とかいる場だと、
あと何人で自分の番だって思って、
相手の話聞くよりも、とりあえず自分の番が終わってないときは、
もう自分の話したいことだけを考えてて、
それを自分の番が来たら、
なんかただ口に出す。
で、終わったって思って、
で、次の人からちょっと聞けるようになってくるみたいな感じで、
別になんかそれって楽しくないわけじゃないけど、
でもめっちゃ楽しいわけでもないし、
なんか望ましい場のあり方でもないなって感じてて、
でもなんか参加した中でよかったのは、
やっぱり4,5人、マックス4,5人とかで、
別に話す順番とかも決まってなくって、
なんかその言いたいことがある人からっていう感じで一応話してて、
で、それでピッタリ順番決まってないけど、
一通り全員話したなとかってなったら、
二巡目話す人が出てくるみたいな感じで、
その中で会話のちゃんと往復運動というか、
自分が話したことに対して誰かが、
ちょっとかすっただけでもいいから、
何かキャッチして、それで話をつなげてくれるみたいなことも、
その場で結構生まれたりとかしてて、
それは結構楽しかった記憶として残ってるかな。
4,5人っていいよね。
私も今、人数、数の面で考えてて、
小学校とか中学校でクラスで、
半分けみたいな、机を並べて、
4人とかの半になるじゃん。
例えば、国語の授業とか何とかで、
ディスカッション的なのをするときって、
私も基本的に超上がり症だから、
人の前で発言とか、
とてもじゃないけど、クラスで手あげるとか、
絶対できないくて、ずっと。
でも、やっぱりそういう半分けされて、
4人で机並べて話すってなったときの会話、
自分も含めて4人だから、
自分以外に3人しかいない状態での発言って、
39:00
だいぶハードルが下がるというか、
あんまりちゃんとしたことを言おうっていうのもないし、
人数が少ない分、
例えば、自分が何か言ったら、すぐそれに対しての返答とか、
さっき両親が言ったみたいな、フィードバック的なものが入ってくるから、
それが早いから、
テンポ的にも緊張したりとか、
いろいろ自分の番まで待つとか、
そういうのを考えてる時間がない。
そういうのを待ってたりする時間がないから、
わりと自然に会話が進みやすい感じはあったなって、今考えて思ってて。
私もいくつか会社っていうか、
私の業界での主催のミートアップ的なイベントとかがいくつかあって、
そういうのにも参加したことあるけど、
そういうのでも、イベントによっては、
わりと大人数の前で発言するみたいなところもあれば、
私がでも、やっぱりよかったなって思ったのは、
似たようなちっちゃめのグループに分かれて、
その中で全体に出されたテーマ、
みんなだから共通のテーマがあるけど、
その小さめのグループで話して、
それでちょっと話した後に、またちょっとグループがずれて、
また違う人と話してみたいな感じの、
ちょっと動きがある感じのイベントとかは、
わりと話しやすかったなって思って、
やっぱりそれって、
さっきリョウちゃん言ってたみたいに、
私も結局一人一人の発言とかってなると、
自分が発表するのをずっと待ってて、
すごい緊張してるから、
ちゃんと言わなきゃみたいなので、
それで頭がいっぱいで、
全然他の人の話聞けなくて、
私はそれがすごい自分的にもったいない、
自分も聞きたいんだけど、
自分的にそれどころじゃないから聞けなくて、
聞きたかったのに、
それで後から直接話すわけにもいかないし、
そういう機会ってなかなかないっていうか、
大人数で話してるときって、
だから、4人とかってすごいいい数字、
話しやすい数字だし、
そういう4人とかのグループがいくつかあっても、
例えばその大人数を4人ずつとかに分けたら、
話しやすくなるのかなって思ったりもしたけど、
どうかな?
私あれ、長井玲司さんの哲学対話に参加してみたいんだよね。
42:01
あ、ね、私も行ってみたい。
どんな感じでやってるんだろうって、今ちょっと考えてて、
今読んでるからさ、
世界の適切な保存ってやつ、
そこに結構、哲学対話での状況みたいのが、
結構例として出てくるから、
でも、書かれてる感じだと、
それこそ、りょうちゃんに出た読書会みたいな感じっぽい、
問いがあって、
たぶん長井さんがファシリテーター的な感じなんだろうけど、
その問いかけみたいのをして、
結構みんな考えてて、話し始めるみたいな、
その1人がね、感じ。
それもさ、ファシリテーターの役割すごい多分大きいよね。
それこそさ、誰か1人の声だけがすごい通っちゃってもダメだし、
全くうまく話ができない人とかが、
無視されていっちゃうような場もダメだし、
そうじゃなくて、
適切に発言権と発言の実感を分配するみたいなのって、
めっちゃ難しいからさ、
それをね、哲学対話の場の中で毎回どういうふうに進めてるんだろうっていう、
1人1人が何をどう話すかとか、
自分がそこに参加したらどうなるかなみたいなのもあるし、
単純にファシリテーターの人を観察してみたいっていう。
どんな感じで行われるんだ?
しかも、問いとか話す内容も結構さ、
プライベートなことだったりとか、
自分の体験から話す場合ね、
そういう問いについて考えてると、
やっぱり自然と自分の体験とか、
感情的なものとかが出てくるから、
場としてはすごく、
ちゃんとファシリテートしないと、
簡単に崩れてしまうような場だから、
すごい参加して、
どういう感じで行われているのかなっていうのを体験するために、
すごく興味があるというか、参加してみたいなっていうのがあって、
でも、たぶん対面でしかやらないから、哲学対話は。
もちろん、たぶんそれもいろいろ理由はあるし、
そう、だから、りょうちゃん、機会があったら参加してみてほしいって、
45:02
今思った、せっかく。
なんか、前から参加したいなとか思ってたけど、
場所がちょっとね、合わなかったりとか、
一回ニアミスみたいな感じで、
地元から普通に車で行けるような場所で、
初めてたぶんその場所でやってたと思うんだけど、
っていうのをやってて、
でも全然自分、地元のほう行くような時期でもなかったから、
私が行く時期だったら、参加したかったと思って。
いつかどこかで、きっと。
結構全国まわってるっぽい。
なんか、こないだ告知されてたのは、北海道とかって書いてある。
あ、私も見た見た。
え、そんなとこ行く?
今日もかなり全国と思って。
だからまた、タイミングと機会が、
機会というか場所のあれが合えば、
そうね。
すごく興味はある。
うん。
いや、でも難しいよ。
そうね。
なんか、
自分の話せなさとか、聞けなさとか、
もう、何が原因なんだろう。
飲みもあるし、人数もたぶんあるし、
例えば研究会とか、
ちょっとね、特殊な場でもあるから、
あんまり一般化もできないんだけど、
たぶん仕事の人とかもそうだと思うんだけど、
なんかその、例えば会議とかもいいんだけど、
会議はあれか、一応議題というか目的があるからあれなんだけど、
なんかそのある種、何時から何時までこの時間です、研究会です、みたいな感じで、
くくられた時間の中での会話って、
会話じゃなくて、やっぱ、議論ではあるんだけど、
なんかその、しゃべり方とかも、やっぱり休憩の時の感じとはみんな違くて、
なんか全然慣れ親しんだ人たちなのに、
めっちゃ賢かった言い方で、
自分の意見と相手の質問なりコメントなりするみたいな、
自分が例えばそれされたら、ちょっとドキッとするみたいな場面とかもあって、
なんかそのドキッとするのも、質問の内容そのものにっていう時もあるけど、
この場で答えなきゃいけないっていうことに対するドキッと感もあるので、
例えばそれを話す、応答するっていうのが、
休憩の時間とかだったら、なんか全然たぶん話せるのね、
48:00
その質問をしてくれた人と面と向かって、
それこそ話が行ったり来たりしながら、
なんかその聞いてくれたことに対しての自分なりの考えを、
一緒に話しながら考えるみたいなことができるんだけど、
ある種その賢かった場では、
なんかアンサーが求められてる感じがやっぱりある、
もちろん完璧な回答でなくていいんだけど、
現時点での自分の主張みたいなものを、
もうちょっと形を整えたものとして出してくださいって、
誰も言ってないんだけど、そういう感じの場にどうしてもなるって、
なんかそれも苦手、それがすごい苦手で、
なんで休憩のときはこんなにフランクにお互いに話せるのに、
休憩が終わったらこんなにまたカチコチになっちゃうんだろうみたいな、
だからなんかね、自分のそういう話せる場、話せない場みたいなのが、
結局のところ、今まで話してきた中でのいろんな要素とかも絶対あるんだけど、
なんかやっぱそれ以外にもある感じはしてて、
それってなんかもはや自分のコントロールが及ばない場所で、
勝手に生成してるみたいなものもあったりして、
そうね、なんかあれじゃない、
たぶんなんか、私たちがこのポッドキャストやってる理由っていうのも、
なんかそのグレーな話ができるっていうのが結構あれじゃん、
なんか物事をやっぱりこう複雑で簡単に白黒つけられなくて、
いろいろなニュアンスだったりとか、
なんかそのこれっていうふうに提示されたものでは汲み取れない、
その他のものみたいのがたくさんあって、
でもそういう場とかで提示されるものとか、
発表のされ方って、そういうものをそぎ落として、
ある程度の白黒みたいなのを表明しないといけないから、
あれ何かな、りょうちゃん的にこう、
でもその他の場もそう、
例えば、さっき最初に例えで出たお酒の大人数の場っていうのも、
一人の人の声が大きくなるとか、ある程度の数の人の声が大きくなるのって、
結局その人たちの声が一方通行っていうか、
なんかその行ったり来たりがなくなるじゃん、
51:01
割と大きい人たち同士での循環みたいな、
そこにこう、なんていうのかな、
例えば声が小さかったりとか、
あんまりお酒を飲まない人だったりとか、
今メインではないその他の人たちのニュアンスとか、
いろいろな違った会話とかっていうのが、
入る余地がないみたいなのが、やっぱりこう、
なんか苦手ポイントというか、
なのかなって、今話し聞いてて思った。
なんかこの行ったり来たりができないみたいなのが結構、
あれなのかな、あんまりっていう感じ。
なかなかわかんないな。
なんか私が例えばだから、そういう場を主催として、
提供するってなった時は、たぶん、
小人数で、大人数たくさん人がいたとしても、
小人数ずつで話せる場っていうのを作るっていうのと、
たぶん、ある程度の会話の行ったり来たりができるようにするっていうのは、
すごい重要で、
それができない場所って、間違えちゃいけないみたいなのが大きいじゃん。
間違えちゃいけないというか、ただしくなければとか、
自分をよく見せなきゃとか、
そういう外からの目に対するプレッシャー、何かみたいなのがすごいあって、
私はね、特に個人的に、
例えば飲み会とか、パーティー的な場所ではあって、
そうじゃない場所にしたいなって思った。
そういうプレッシャーのない場所。
そういうのに、何ていうのかな、
もっと、そういうものにとらわれ、
参加してる人自体がそういうものに、たぶん、あんまりとらわれていないとか、
気にしないというか、許容できるみたいな、
さっき話した永井さんの例で言うと、
ひとつの哲学対話の中で話してたのが、
54:00
ポロポロ出てくる言葉。
全然、あんまり意味をなしてない、文章的に。
でも、それを真剣に聞いてくれる誰かがいる場所、
みたいなのが、たぶん、その哲学対話の場で、
だから、たぶん、あってるあってないとか、
正しく正しい正しくないとか、
声が大きい大きくないとかじゃなくて、
単純にその人から出てくる言葉を、ただ受け取る人がいるみたいな場所。
必ずしもそれに対して、
スマートなコメントを入れたりとか、
応答しなければいけないというプレッシャーもない場所。
たぶん、お互いにそういうプレッシャーが、
お互いにそういうものを押しつけ合っちゃうから、
たぶん、ただ受け取る人がいる場所みたいなのが、
一番、私は今話してた中で、
自分の理想に近いんじゃないかなって思った。
でも、ちゃんと受け取るみたいなのも、
実は結構難しいと思ってて、
前も話した気がするんだけど、
誰かの話を聞くっていうことも、
全然受動的な行為じゃなくて、むしろ濃度的に、
そうだね。
かなり意識しないと、意外と人の話って聞いてないし、
聞いてても、その人が話したいと思ってる最後の地点まで、
忍耐強く聞くみたいなことって、
意外とできない。
もちろん、誓いも込めて自分もなんだろうけど、
聞くっていうのは、意外とできないことだなと思って、
話を聞いてるんだけど、
その人が言い切る前に口を挟んじゃうとか、
それによって、話すの諦めちゃうとか、
私、自分もそういうことしてると思うし、
自分自身も、もういいやみたいな感じで、諦めがち。
割と会話するのは諦めがちだから、
もういいやってなっちゃうんだけど、
たぶん本当は、もっと言い淀みとか、ちょっとした間も含めて、
たぶん聞いてくれたら嬉しいし、
自分もそういうふうに聞きたいなっていう意識は、とりあえずあるんだけど、
57:02
でも、なんかやっぱり言いたくなっちゃうとか、
例えば共感することだったりしたらさ、
私もそれわかるとか、たぶん言いたくなっちゃうけど、
それをこらえて、その人が言い切る、一通りハーって言い切るまで聞くって、
すごい難しいなって思ってて、
簡単ではないよね。
なんか訓練必要だと思う。
訓練が必要だし、たぶん本当に日常会話の中で、
常にやっぱり練習練習、意識意識みたいな感じでやってないと、
自然にそういうふうな聞き方ができるとかって、ないと結構思ってて、
だから、たぶんそういう、例えば自分たちが主催になって、
場を作って人を集めてとかってなっても、
それをうまく回していく、
口挟みたくなっちゃう人をなるべくそうさせないで、
話してる人が最後まで言い切るまでの時間を確保するみたいなのって、
結構わりと視界力みたいなのにかかってるのかもって思って、
そういう人数がいっぱい集まる場とかにおいては、
1対1だとまた違うと思うんだけど、
そうだね、たぶんある程度共通のルールがあるみたいのは、
重要なのかもしれないって思った。
なんか目に見える形で、本当にそれこそ数字で、
この1分間の間は誰も口を挟まないとか、
なんかそういう感じでの、超わかりやすいルールみたいなのが、
2位に参加してるみんなが同意するっていうのを前提での進め方みたいなのじゃないと、
普段からそういうのを考えたり訓練してる人って、
たぶんあんまりいないと思うから、
それが仕事じゃない限りね、
みんなたぶん初めてとか、
全然わかんないし、自分も含めて、
だからたぶん、そういう共通の目に見えるルール的なの、
起きてみたいな感じで、この場の起きてっていう感じで提示して、
で、そこからそれをベースにやるとかじゃないと、
たぶん無理だと思った。
たぶんあれだよね、長井玲音さんの哲学対話とかも、
1:00:03
そういう参加者向けのその場でのルールとか、
ちゃんとある気がする。
そうじゃないと、やっぱポロポロ言葉が出てくるみたいなこと自体が難しい気もするし、
そう、それに対して、誰も口挟んだりとか遮ったりしないっていうのも、
なんか普通だったらありえないから、
そうそう。
たぶんある程度の共通の何かルール的なものがあっての、そういう場。
でも、それをどういうふうに決めるのかとか、
どういうふうにみんながそれに同意するのかとか、
どうしたらみんなが納得できる、そういうルールがあるのかなとか、
そういうのってある程度、たとえば主催者が提示したものに、
同意できる人だけが参加するのかとか、
それだったらたぶん、それで参加できない人とかもいるのかなとか、
いろいろ考えるし、
表現の仕方も喋るだけじゃなくて、
人によっては違う表現の仕方のほうがうまく表現できるとかもあるかもしれないから、
たとえば絵描いたほうがうまくしゃべれるとかだったら、
自分の描いた絵をベースにそれを解説するみたいな感じで発表というか、
会話のきっかけとか、そういう対話に参加するとか、
どうしたらより多くの人が自分なりのそういう表現の仕方、
たぶん、みんな言葉で話さなきゃみたいなのが、
社会的にたぶん前提として思い込んで、
思ってるというか、そういう場所が基本、普通というか、
基本的にそれしかないから、そう思ってるかもしれないけど、
やっぱりそういう場所でも、言葉だけじゃなくて、
音だったりとか、動きだったりとか、
言葉以外でもたぶん、いろいろ表現できることはたくさんあって、
そういう表現の多様性みたいなのも含めて、
なんかもうちょっと広く、いろいろな形で、
会話をできる場所があればなって、話してて思った。
なんか割とそういうことを実践、
何かしらルールを決めてその場を作るみたいなことを実践、
いろんな側面からアプローチとかでやろうとしてる人とかは、
1:03:05
哲学対話とかもそうだし、それ以外のお店でのイベントとかでもそうだし、
たぶんあるにはあると思うから、
なんかそういう、たぶんそれ多い人数だからなとか思って、
自分は割と、なんかちょっと尻込みしちゃうんだけど、
でもなんかやっぱそういう場に行ってみて、みんなどうやってるのかみたいなのを、
ちょっと観察してくるっていうのは、
なんかもし自分が、いずれそういうのを作るみたいなのがあるかわからないけど、
そういうときのために、みたいな感じで、
ちょっと偵察に行くのもいいかもしれないと思った。
ねえ、私も今それ思った。
私もなんかイベント行ってみようかなって今思った。
なんか逆にそういうのに行って、自分は何が嫌だったかっていうのをはっきりさせるのも、
たぶんその場を作る上で、結構逆に立つというか、
たとえばお酒抜きの大人数の場で、
自分の、たとえば研究とか学問以外の場、
だからたぶん自分とあまり接点というかがないけど、
自分がちょっと興味あるかなとか、
そういう割とちょっと自分に近いところにある場みたいなのに行ってみるのもいいかもしれない。
私も思った今。
ねえ、なんかたぶんいずれの自分たちのためにだけじゃなくて、
今の自分が何がダメでそういう大人数の場に苦手意識があって、
逆に何かルールとか、その場でのいろんな、
特徴的なやり方みたいなものを真似したら、
少しそういうのがなくなるのか、それとも全くそれとは関係なく、
単純に人の相性の問題なのかとか、
いろいろもしかしたら自分が選べる可能な範囲で、
どういう場には参加して、どういう場には参加しないみたいなのを決めるためのきっかけとしても、
自分が参加者としてそういう場作りをやってる人たちのところに飛び込んでみるっていうのは、
あるかもしれないなって思った。
なんかね、いろいろよくも悪くも見えてくることはあると思うから、
私も何か探してみる。
1:06:01
で、またりょうちゃんに報告する。
こんな感じだったよ。
私もじゃあ、何か参加できたら報告するわ。
うん、楽しみにしてる。
今日はこんな感じ?
そうだね、なかなかいい時間になったから。
楽しかった、また今日も。
ね。
じゃあ、今週のエピソードはここまでで。
ここまでで。
じゃあ、また次回。
はーい。
はーい、ばいばーい。
ばいばーい。
01:06:48

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