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2024-04-24 27:10

#32 保護猫まみれなペットシッターのペットロス🌈との向き合い方

まつりちゃんご乱心により、雑音多めでした💦

東京練馬区でペットシッターあにふるを開業して7年🐕
人にも動物にも優しい、本当の共生社会を目指して
さまざまな活動をしています☘️


📻こんな方におすすめの番組です↓
・動物が大好き!
・ペットシッターというお仕事に興味がある
・猫ボラのリアルを聞いてみたい
・動物をめぐる社会問題について考えたい
・個人で起業をしたいと思っている
・夫婦の会話を盗み聞きしてみたい笑

◆練馬区地域猫推進ボランティア「あにふるそとねこ部」
◆出会った猫たちのおうち探し「あにふるほごねこ部」

動物取扱責任者
2級愛玩動物飼養管理士
愛玩動物介護士
ペット共生住宅管理士

🐾ペットシッターあにふる
http://ani-full.com

🐾リンクいろいろ
https://knoow.jp/@/anifull

#ペットシッター #猫 #犬 #地域猫 #保護猫 #ペット #練馬区 #夫婦 #起業 #女性起業 #個人事業主 #ボランティア #日常 #好きを仕事に
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ペットシッターを始めたら、保護猫まみれになった夫婦のラジオ。このチャンネルは、ペットシッターをしながら保護猫活動をしている妻が夫を巻き込んで、仕事や活動をする中での出来事や日頃考えていることなどを皆さんにシェアしていきます。
こんにちは、ペットシッターあにふるのようこです。 こんにちは、ペットシッターあにふるののりです。 本日もよろしくお願い致します。
本日お話しするテーマなんですけれども、 保護猫まみれなペットシッターのペットロスとの向き合い方というお話をしたいと思います。
ペットロスというのは直訳するとペットを失うということで、一般的にはペットとの私別のことを指す言葉になります。
はい、ということで今日のお話はですね、本当にちょっとこのテーマにするとうまく話せるのかなって、
なんかちょっと言葉を選ぶのが難しいので、どんなふうにお話になっていくのか自分でもちょっとまだわかんないんですけど。
向き合い方だからね。いいじゃない?自分がどうしてるか喋っちゃえば。
そうだね。なので今日の話は全ての人に当てはまるものではないとは思うんですけれども、
一、保護、猫活動をしているものとして、そして一、ペットシッターがペットロスについてこんなふうに考えてるんだなっていうふうに、そんなふうに聞いてみていただけたらなと思います。
はい、まずですね、先日4月6日になりますけれども、我が家の保護猫のイケニャンがですね、旅立ちました。
もともとは、そうですね、団体の保護猫を我が家でお預かりするということで、とはいえもう4年ぐらい我が家にいました。
そうだね。
で、その前からシェルターでお世話をさせていただいていたので、もうかれこれ8年の中のイケニャンので、すごくね、思い出はたくさんあるんですけれども、
昨年の12月頃に多分この配信でお話ししたと思うんですけれども、喉の、喉というか舌と喉の間っていうんですかね、
南部組織肉種という悪性腫瘍が見つかりまして、そこから糖尿生活といいますか、治療をしたいと思ったんですけれども、手術はできませんというふうに診断がありまして、
放射線治療とかも考えたんですけれども、場所が場所だけに手立てがないというふうに言われてしまいまして、そこからは本当にイケニャンがいかに辛くなく、少しでも快適に穏やかに過ごしてくれるようにっていうふうに考えながらお世話をしてきたんですね。
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ちょっと病院で診断が下った時には、やっぱりご飯が食べられなくなる可能性が高いっていうふうに言われて、イケニャン自身食べたいんだけれども、よだれがすごい出てきてしまって、食べても食べてもダラダラと口から食べ物が流れていっちゃうっていう状態が続いてます。
育児は口の中からすごい出血をしてしまって、それはおそらく腫瘍が原因というよりかは、腫瘍と併発してたぶん口の中に炎症が起きて、そこから出血をしてしまったんだと思うんですよね。
その中でもうやっぱり食べるのがどんどん困難になってくる。食べさせるのに胃炎チューブって言って、胃に穴を、管を通して胃から食事をあげるっていう方法もあるよっていうふうに言われてたんだけれども、イケニャンはちょっとそういう人間との触れ合いがそもそもちょっと苦手な子だったので、
そういうこともできないよねっていう話でね、イケニャンが自分でご飯を美味しく食べられる間は、とにかく食べさせてあげようって、とにかくそうだね、苦しんで最後を迎えるのだけは本当に嫌だな嫌だなって、そういう想像をしながら過ごしていたんだけれども、
最後はイケニャン自身が、そろそろもう僕、ご飯食べるのやめるね、みたいな感じで、すごくね、穏やかな最後を迎えました。
本当に前日までは、自分でトイレも行っていたし、お水も飲んでいたし、で、最後の前日に、僕もご飯はいらないって言って、で、帰宅した時には普通にベッドに寝てね、その体勢のまま
本当に眠るように最後を迎えたっていうことで、想像していた最後の中で本当に一番良かったなって思える最後だったんじゃないかなって思って
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で、そうだね、私帰ってきた時にさ、あの、イケニャン本当にその人に慣れてなかったからさ、抱っこすることなんて、洗濯ネットに無理矢理入れてさ、病院に連れて行くときは、まあ抱っこはできてたけど
それ以外でね、あの、抱き上げるなんてことはできない子だったからさ、最後まだ体が柔らかくて暖かいうちに抱き上げさせてもらえたのは、ありがとうって思いました。
こんな話になっちゃったんだけれども、まあそこでね、まあ、後で振り返るのもあれだから、一番僕が思ったのもあっていうか、いろいろほら糖尿とかさ、言うならば延命っていうことに関していろいろね、あの意見分かれるところじゃない、あと悩むとこだよね、とかかんとか、どこまでするの、糖薬も含めてねって
でも僕がこれはこうだなって、カチッと僕の中にインプットされて、どんな状況であれ治療に関してね、ここはしたほうがいいなって思うのは、口内治療、口内環境、口の中、つまり食べるということに関して、そこで何か差し障りがないようにはしてあげたほうがいいんだなと思った。
そうだね。
あの根源の腫瘍とかがんとかそういったものの治療、まあいろいろ意見が分かる、そこはいいね、それはその人その人だけど、やっぱり好きなものを食べて、痛みがどこかあるかわからないけど、その食べる、その段階でつまずくのは一番、ちょっといろん、その、どういう、どの方向を選ぶにせよ、よくないのかなと。
やっぱりさ、動物にとって食べることって本当に生きることそのものだと思うからさ、本当にさ、それが食べたいのに食べられないっていうのを見ているのが本当につらくてさ、
あの、やっぱ、ずーっとね、私イケニャンを見とるまでさ、あんまり周りの人にも言えなかったんだけど、ずっと安楽死っていう言葉がさ、あの、頭の片隅にずっとあったんだよね、いつかそれを決断しなきゃいけない時が来るんじゃないかっていうね、ちょっとこういう話になっちゃったけど、
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でも、本当に、そこをイケニャンの優しさだったかなって思う、そうじゃなく、穏やかにね、最後迎えてくれたのは、もう本当になんだろう、感謝っていう気持ち。
まあ仲間もいたしね、みんなね、イケニャン一人じゃなかったしね。
イケニャンにとってはね、本当に人よりも仲間の猫たちと過ごせる時間っていうのが本当に何よりだったと思うからさ、うん、そうだね。
どんな結果になる、お別れは来るわけだけども。
そうだね、今日のテーマがさ、保護猫まみれのペットシッターがペットロスとどう向き合うかっていうお話をしたかったんだけど。
そうだね、まずはでもこれ喋ればいいんじゃない、だって自分が。
そう、自分がさ、やっぱ保護猫活動をしてると、どうしてもこうやってお別れをね、経験することになるっていうことと、
ちょっとね、今回たまたまだけれども、実はこの数週間の間にお客様のね、ペットさんの悲しいお知らせっていうのを立て続けにね、ご報告を受けたんですよ。
で、やっぱさ、これってさ、やっぱこの仕事をしてるっていうことと、この活動をしてるっていうことで、
必ずね、経験することになることだよね。普通に生活してるよりも、ずっとずっとそういうお別れっていうのが間近にある。
まあ、そういう機会はある可能性があるよね。
思うんだよね。だから、その時にさ、やっぱりお客様の悲しみっていうのをさ、少しでも寄り添える存在になりたいなっていうのは、普段からすごく感じてるんだけれども。
思って言ってたもんね。
元ノリもさ、やっぱりね、お世話してた子があるっていう経験もしてると思うんだけどさ、
やっぱり、なんだろうな、難しいなって感じることも多いよね。なんかどういう、なんて言ったらいいんだろうね。
どうだろう。僕の場合、ほら、ワンコだったりするしさ、とにかく仕事だっていうこともあるかもしれないけど、まあ僕は、
まあ、いけにゃん、せんむんもそうだけど、それは自分じゃない?
だけど、お客様っていう人間がいる中で、ペットがなくなるってことだから、もう自分のことだけじゃないというか、自分じゃない、まずね、相手優先で。
で、そこで相手によって、こういうこと言うのもあれだけど、僕は自分をコントロールしなきゃいけないよね。
だから、寄り添うのか、人によって変えていくよね。だから、こっちがもっとより大きく、本当に素直に悲しみをこっちも出した方が喜ばれるっていうかね、安心する人もいるし、
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ちゃんとね、あの、毅然として、こうだよね、こうだよねって言ってる方がいい時もあるし、単純に黙って、そうですねって話を聞いてるだけの方がいい。それ人それぞれだよね。
ペットシッターって、これも仕事だよなと思うわ、思うよね。
本当にそう思うんだね。
仕事って言っちゃおかしいな。
これも仕事というか、大事な役割かなって思う。
あとそれだけじゃなくて、やっぱりワンコの場合、お散歩ってのがあって、近所の方々からも言われるわけよ。
そうなんだよね。
このワンコはやっぱり好かれてたりして、ね、へへーってことになるね。
その時に僕がどう対応するかで、やっぱり皆様ね、いろいろ変わってきちゃうんで。
ワンコの場合はさ、やっぱりそうやって、近所のさ、たくさんの方にさ、愛されてさ、
そうやってさ、悲しみを飼い主様と共有できる方がたくさんいたりするじゃない?
それってすごく温かいし、飼い主様も救いになるなって思うところあるんだけどさ、
私はやっぱり猫さんのお世話もすごく多いじゃない?
猫さんの場合は、やっぱりそういうコミュニティーってあんまり多くなくってさ、
で、何ならお一人暮らしの方だったりすると、もうその子のことを知っている人って、飼い主様と私しかいなかったりすることもあるんだよね。
そういう時にさ、やっぱペットシッターの存在がどれだけその飼い主様の心に寄り添えるんだろうっていうことを、すごく考えたりするんだよね。
でさ、本当に大切な大切な家族を失ってさ、その悲しみの受け入れ方とか、それを周りに吐き出せるかとか、
それをどのぐらいかけて乗り越えるかっていうの、どれだけ時間がかかるのかっていうのってさ、本当に本当に人それぞれで、
だから、できるだけ寄り添いたいって思ってるんだけれども、でもペットシッターとしてできることの正解って決まってるわけじゃないから、
本当にいつもいつも悩みながら、その方のことを全てを理解できるわけじゃないけれども、
本当に心に寄り添いたいなっていうのを、なんかいつもいつも考えながら、悩みながら、
やってるんだよね。 まあそうだね。それで正解を引ける。必ずしも正解を引ける。そういうもんじゃないんだって人間なんだもん。
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でもね、私がその保護活動をしているからこそ感じるのって、
今回のイケニャンもそうだけどさ、保護活動をしているとさ、やっぱその保護猫のことを知ってる人がたくさんいるからさ、
さっきのワンコの話もそうだけど、会いに来てくれる人がいてさ、その方とイケニャンの思い出をね、語ったりとかして、
お見送りも一緒にしてくれたりとかしてさ、それが本当に心の支えになるんだよね。
だから、飼い主さんに対しても、飼い主さんがそれを望んでるかどうかはわからないけれども、
やっぱり直前までね、お世話させていただいていた子に関しては、できれば、
会いに行ってもいいですか?っていうご迷惑じゃなければ、その子に会いに行ってもいいですか?っていうふうにお願いをしてね。
少しでもその子との思い出の話をできるといいなって思ってるんだよね。
ただこれが本当に正解かはわからない。私がそれで救われてるから、飼い主様に少しでもそういうふうに思ってもらえたらいいなって思うんだけれども、
でもやっぱり人によってはね、静かにその子とだけのね、お別れをしたいっていう方もいると思うからさ、
本当に本当にやっぱり悩みながらでね、答えはないんだけどさ、
やっぱり人に話すっていう、吐き出すっていうことがその、ペトロスからの立ち直りのステップにあるっていうふうに言われてるからさ、
元乗りとかはどう?それってなかなかできない人もいるじゃない?
僕は理屈だけで言うと、ごめん、理屈だけね。そこまでそれでさ、ちゃんとできるかどうかって。
やっぱり嫌なこととして捉えてしまって、思い出したくない、逃げたい、避けたいってなるよりは、やっぱり大事な子なわけだから、
その人、そう言ったら絶対そんなにならないと思うけど、しっかり思い出と向き合って一つ一つに感謝をするということを、ちゃんと心の中に反抗するように、
ありがとう、変わったね、ありがとう、ありがとうって言うと、しっかりその、それをなくすことじゃない、向き合って立ち直るのはそれをなくすことじゃない、
感謝として受け入れて、自分の次の一歩にできること、生命として亡くなってお別れじゃなくて、しっかり自分の中でお別れができるのかなって、一応今までの生きてきた中で思ってる。
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ただ、そんな、そんなね、そんながササッとできるわけではない、実際には。どんどん思い出してるほど沈んでいくというか、うわーってなっていくのは仕方がない。
それもでも時間かかっても、一つ一つゆっくり噛んで、噛んで、ありがとう、ありがとうってやっていくと、やっぱり最終的に最後に今までありがとう、で、パタンと蓋を閉じられるのかな、
っていうのは、今のとこ思ってる。人にもこれを言おうと思ってる。そういうときが、僕の目の前で喋る。
いろんな方を見てきてるとさ、フェットロスのね、そのステップっていうのがさ、一般的にあってさ、最初はやっぱその死を認めたくないっていうところ、それをまず否定したいっていう気持ちから入る。
やっぱさ、特にさ、突然の死だったりするとさ、もう本当にそれが強く出ると思うんだよね。そういう人見てるともう本当にさ、そのときにしてあげられることって多分本当に何もないんだなとか思うしさ、やっぱりその方が認めたくないっていうところだったり、
あとはその後は、自分をなんでこのときこうしてなかったんだろうとかさ、自分を責めちゃったり、あとは、あるいはさ、お医者さんを責めてしまったりさ、なんでこうしてくれなかったのとか、やっぱそこから本人がどう抜け、どうその本当に失ったんだっていうことを認めてさ、
本当にこの思い出をさ、大切にして、で、今までのこと、思い出にありがとう、それから周りの人へのありがとうっていう気持ち、一緒に暮らせて幸せだったっていう気持ちとか、そういうことに、これたときにようやく、なんかこのペットシッターの役割っていうのも出てくるのかな。
どの時点でも、必要というか、いていいんじゃないかと思う。本当になくなって、最初のステップというか、どういう状況によってかは、それに同意してあげて、軽くしてあげるとか、いろんな、どの時点でも、どのポイントポイントで、多分役に立つと思う。いろんな経験があって、いろんな人を見てるから。
あとは、ちゃんとその蓋は閉められたとしても、その後もあって、それは悪い意味じゃないんだよ。抜け出せなくて苦しんでるとかじゃなくても、その都度その都度その本を開きたくなるよね。その時にもう付き合いできるんだよね。
だから、僕がさっき言いそびれたけど、思い出のアルバムを自分の中に作れるのよ。だから、一つ一つページ開くじゃない。まず、「だれだれさん?」っていう表紙があるの。この表紙を開くと、今までこの子の出会いからどんどんどんどん本が進んでいくのよ。一つ一つにありがとう、ありがとう。一ページ一ページにありがとう。最後この背拍子をちゃんと閉じることが大事で。
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開きっぱなしで、もうあってなっちゃう子も人もいて、その開きっぱなしのまま、もうなんか辛いんだ辛いんだって言ってる方もいたら、ちゃんと一緒にね、その本を最後まで閉じるまで、ありがとうで閉じられると。しっかりその背拍子にはその子の笑顔があって、応援になるから。って僕は実感で思っているので。そこまで導くっていう偉そうだけど、お手伝いはやろうと思えば、頑張ればできるんじゃないかなと思うよね。
これが僕は多分あなたからそういうことをやりたいんだって聞いたときに、僕も真剣にそういうことを考えてたの。ずっと。僕の今現時点での答え。
いろんな方がいて、やっぱりこういう表現、本、アルバムっていう表現をすると、いろんなページで引っかかっていらっしゃったり、開け始めから開けないとね。
閉じたはずなのに、ちゃんとハンコ押してこなかったから。ちゃんと最後まで閉じたはずなのに、不安でしょうがないのよ。
だったらそれはもう本を開けて、もう一回一緒に終わったよねって。ありがとう、ありがとうって。これね、口に出すこと大事だと思うんだよね、人って。これね、生理つくんだわ、ほんとに。
ほんのちょっとしたことだよ。これはペットだけに限らないんだけどね。何回こうなったときに、ありがとうって言って、次へ行く。
ちゃんとこう形で本をやっていくと、本当に実感になるから。ちょっとそのアルバムの例えっていうのは、いいね。ちゃんと本当に背拍子に行った時に、笑顔に見えるのよ。
そんなわけないっていうか、そんなわけないって当たり前だよね。そこに存在してるわけじゃないから。比喩的なものだもんね。自分の心なのだから、これが。心の中のアルバム。
だから鏡だから、鏡。ポエマーだから。鏡だから。自分の今の状態が背拍子に出るの。その子の顔になって。だから応援してるように見えるんだよ。そこまで行けたら、もうやったねって感じだよね。
で、この人は実は他人の力になる。これが素敵なのよ。だって、そうじゃん。やっぱり駆けつけてくれるじゃん。
で、その人もいろいろ経験してるじゃん。そういう思いをしたら、やっぱり人にも助けようと思うじゃん。これが、やっぱりペットシッターとしても、お客様って言っちゃうけど、お客様にそういったお金のサービスでなんてことじゃなくて、生き方だよね。ペットシッターとしてのね。
ペットシッターとしては、こういう時には、やっぱりそうあった方がいいんじゃないかと、今は思ってる。で、余計なお世話もして。そうなることもあるよね。邪魔でしたーみたいなこともね。それはしょうがない。
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答えがね、その方にとっての答えっていうのは、なかなか見つけ、自分がね、正解にたどり着けるかどうかわからないけれども、でも、今はもとのりが言ったような、そのね、アルバムを一緒に開いてありがとうをして、最後まで閉じるところまでをできるような、そういう存在になれたらいいなって思うけど、まだちょっと修行中だからね。
でも、この考え方を念頭に置くだけで、具体的に行動が変わるの。あと言うことも。そうだよそうだよ。だって、この理論がなんもなくてさ、でも気持ちは一緒なんだよ。で、あーってこうやって向き合って、そうですよねって言ってんのと、これこういう時にこうでしたよねって言ったら、本当に1ページ。
あの時はもう最高、可愛い。笑っててもいいんだよね。いい思い出は。ピタンってちゃんと閉じることを言うと、本当に整理つくから、なぜか。不思議なんだよね。だから思い込みなんだろうけどね。もちろんそんな後、楽になりましたってことはないよ。だけど、またそれをね、繰り返すんだろうね。一回閉じ終わったとしても、またそれができる。でもちゃんと閉じてれば、この開き方が変わるから。
うわーって開くんじゃなくてもう、もう一回意識的に開けるからもう。でさーってこれ話できるから、この方の。そうだよ。これ大事。そうなれるように。なれるでしょう。なれるでしょうってなんか変だね。これは考え方の一つだから。そうだね。その考え方を持って、ちょっと向き合っていけたらいいなと。
やってみればいいんだ。違うかもしれないし。これ僕だけかもしれない。わかんない。合わないかもしれない。そのイメージがね、元ノリの言ったようなイメージがしっくり来る人と来ない人がいるかもしれないけれども。でもすごくいいイメージだなって思った。そうだね。で、もちろんそれは本当に年単位だし、になることもたくさんあるし。あるね。
なので、これからもう本当に修行だなって。修行?そうだね。毎日毎日やっぱりこれと向き合いながら悩みながら、人としてもペットシッターとしても成長していけたらいいなっていうふうに思っているところかなと思います。
はい、あんまりうまくはお話できなかったと思いますけれども、今日もお聞きいただきましてありがとうございました。ということで、皆様からのご意見、ご感想、メッセージいただけたら嬉しいです。今日もどうも最後までお聞きいただきましてありがとうございました。いいですかね。それではまた次回お会いしましょう。さようなら。さようなら。
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