2025-03-07 35:35

2025 Vol.2【ゲスト 淡路ラボ代表 山中昌幸さん】国生みの島、淡路島。自然・人と響き合う先に生まれる共創を、万博の年に。

カンファレンスを淡路島に呼んだ立役者、淡路ラボ代表の山中昌幸さんをお迎えしました。
国生みの神話や、島で育まれた文化(淡路島モンキーセンターの猿がその象徴!)と、山中さん自身がキャリアの中で築いてこられた文脈が重なった2020年。そこから何が生まれ、世界に広がるAuthentic Japanの活動へと繋がり、2025年万博の年になるのか。山中さんの歩みという物語を通じて、淡路島でカンファレンスをする意義を感じる回となりました!

 

〇ゲスト〇 

山中昌幸さん

淡路ラボ事務局 代表、大正大学地域構想研究所淡路支局長、NPO法人JAEファウンダー

 

〇パーソナリティ◯

伊東篤史(株式会社 ミズ 経営戦略本部 まちづくり推進部 共創推進グループ )

河村翔(株式会社ジャムセッションズ 共同代表/京都超SDGsコンソーシアム 事務局)

日出間真理子(NPO法人ETIC. コーディネーター)

Summary

2025年の万博に向けて、淡路島では自然と人々が共創するプロジェクトが進行しています。ゲストの山中昌幸さんは、淡路ラボの活動を通じて地域の可能性を引き出し、若者との関係を築いている様子を話します。淡路島の国生みの神話やその文化的背景についての話があり、地域創生の取り組みが全国や世界に広がる意義が強調されます。また、淡路島の豊かな自然や食文化が地域の魅力を形成し、神社との結びつきが人々の生活に影響を与えていることも紹介されます。2025年に向けた淡路島の取り組みや、自然と人が共創する環境についての対話が展開され、地域の価値が再評価されます。特に、淡路島での国際会議の意義や未来への期待についても語られています。

淡路島でのカンファレンス
はい、改めましてよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、このチャンネルはですね、年に一度の採点Beyond Conferenceに関わる様々な方をゲストとしてお招きをしまして、
その楽しみ方を共に探っていく番組となります。
今年はですね、4月25日、26日の近道の2日間にわたり、なんと淡路島にみんなで行くということになっているんですけれども、
淡路にですね、Beyond Conferenceを呼ぶというか、つないでくださった一番の盾役者である山中さんに今日は来ていただいております。
山中さん、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
お忙しい中、ありがとうございます。
そして、私、NPO Geneticの秀間と、お名前、自己紹介よろしいですか。
はい、河村翔と申します。Beyond Conferenceは前々回の京都は事務局をやらせていただいて、前回東京はですね、スタッフとしてサポートさせていただきました。よろしくお願いします。
お願いします。
そしてもう一方。
佐賀で町財薬局をメインにしています株式会社みずの伊藤と申します。Beyond Conferenceの事務局も少しお手伝いしながら、今回3回目の参加になります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで前回ゲストの伊藤さんも今回はパーソナリティーになって、山中さんの掘り返しをですね、この3人でやらせていただこうというのが、今回の第2回になっております。
はい山中さん。
はい。
コンファレンスはいつから参加してくださってましたっけ。
いつからかな、そう考えるとね。
京都のときから?
あ、京都ですね。
そうですよね。
そういうことですね。京都で万博のステッションをやるっていう話で、
ちょうど私が京都の京都がすごい好きな場所なんですよ。
それもあって、京都でやるんだったらぜひ来たいなって。
あの日はね、特に5月でしたよね。
そうです。
5月はバイクにも乗ってて。
そうそうそう、すごく大きいバイクで。
そうそうそう、青島から京都のバイクツーリングがてらに行って、すごく気持ちよかったのを今思い出しました。
そうでしたか。
帰りもね、温泉寄って帰った気がする、青島から。
そうですよね、5月ってすごい気候的には一番いい時期かもしれないですね、渓谷はね。
5月、7月、8月大好きですね。
いやー、もうあのね、緑、青々としたね。
そうですよね。またあのくね道をバスで行くと酔っちゃう。
はいはいはい。
抜けて、なんかね、別世界に行くような感じでね、すごいよかったですよね。
で、その後去年は羽田にもいらしてくださったのかな。
羽田はね、いろんな国の中で。
そっかそっか、はい。羽田は千人規模で、都会のど真ん中でやったんですけど、
今回はまたあのね、緑豊かで人の生活の匂いも近い淡路島にみんなで行こうということで、
今企画の真っ最中なんですけれども、
淡路ラボの設立
なんかカンファレンスの話にこのまま突っ込んでいきそうですが、
その前にリスナーの皆さんは、山中さん誰だろうって思ってると思うので、
ちょっと自己紹介から始めさせていただいてもよろしいでしょうか。
はい。
じゃあ私はもうね。
はい、すいません。
改めまして、淡路ラボ事務局の代表をやっております山中と申します。
どうぞよろしくお願いします。
お願いします。
どこからという話なんですけども、淡路島に来たのは丸5年前ですね。
ちょうど淡路島に来て、1週間後にコロナの日本で初めて緊急事態宣言になってですね、
ちょうどその前の仕事が東京の大正大学というところで受けてまして、
ただ東京からとか大学からとかが、コロナのことですごく嫌がられた。
東京から来ることが嫌がられたんですね。
全く身動きをとれない半年間を送ってました。
そうなんですよね。
でもその間に逆に暮らしを割り切る仕事ができる状況じゃなかったので、
看板すら立てる状況じゃなかったので、あの頃ですね。
なので、さも市住民のように暮らしを割り切って楽しんでたら、
そしたらそこの地域の事業者とかが、
あわし市は高校を出た後、基本みんな都外に出るんですよ。
大学とか専門学校はほとんどないんで、一回出るんですね。
20代は帰ってこないので、20代とか30代はこっから空いてるんですよ。
コロナで急にデジタル化が進んで、
オンラインミーティングとかSNSマーケティングとか急になってきたんですけど、
それが使える若手がそもそもいないので、
地域の事業者が困ってたんですね。
一方で大学生たちも、もう覚えてらっしゃると思うんですけど、
せっかく大学入ったのにいきなり自宅待機でオンライン授業になる。
大学に行けないっていうことがあって。
チャレンジ、挑戦したくても受け入れてくれないというか、
海外留学もみんな楽々諦めてた。
だったらオンラインで授業できるなんて、あわし市まで来て。
あわし市からオンライン授業を学生としてやればいいやと。
その活動を地域の事業者のデジタル化を含めて、デジタルプロモーションをやればいいなということで、
つなげようというような動きで始まったのがあわじラボということで。
あわじ市全域をラボと見立てて、
そこで地域と若者がくっついて、どんどんいろんな面白いものが生まれたらいいなということで、始めたんですね。
その中の状況を受けて、あわじラボさんの第一フェーズっていうんですか。
そうなんです。
作られたんですね。
あの頃めっちゃ来ましたよ。
ちょうど半年間の長期のインターシップだったんですけど、
あのときは地域だと日本で一番集めてたと思うんですけど、2年間で60人近く来ました。
そのうち15人は大学休学して来ましたよ。
すごい。
それだけの腹くくりのある学生をつなげることができるってすごいことですよね。
それを聞いたら、やっぱり留学で行っていけなかったっていうのが結構多かったんですよ。
そういうときにしてもらえるようになっちゃうんですよね。
あわじを来たらいいやーってことで。
めっちゃ来るなと思って、後で調べたら、コロナの前で日本一の学生が留学行ったら年間8万人いたんですよ。
年間8万人が生き残ってたんです。
こんな数ですね。
それでね、どんどん呼べた。
結構あのとき、他の地域もそう言ってたんです。逆に若者を呼べるチャンスですよ。
でもそういう中でね、全ての地域が若者を呼ぶことができたわけではないようなことを思ってるんですけど、
淡路島と世界をつなぐ取り組み
あわじランボさんにそれだけの人が来たっていうのは何かポイントがあったんですかね。
もともとね、コロナの前に大学の教員をやってたっていう話にさせてもらったんですけども、
さらにその前が、もともとキャリア教育、29歳のときですね。
ほぼ日本でもキャリア教育ってない時代に始めてですね。
そのときに、兵学生からやってたんですけど、大学生は長期のインターンシップを2001年ぐらいからやってたんですね。
そのときにまさにエティックさんと一緒にチャレンジコミュニティープロジェクトを立ち上げさせてもらって、
そのときから長期のインターンシップのプラットフォームみたいなのがあったので、あれはすごく助かりましたよね。
あれがあったおかげでどんどんつなげられたっていう。
なるほど。そうですよね。
チャレコミを全国の中間支援組織で作られてる組織ですけども、
牽引してくださってきたのが山中さんでいらっしゃると思ってるので、
そこが8万人の人たちに時代とともに会っていたっていう瞬間だったんですね。
なるほど。
あのとき大学生とか若手の社会人もやってたんですよ。
入卒で入ってもみんないきなり自宅待機で、いきなりリポートパークになっちゃって。
あのときは学生だけじゃなくて若手社会人も受け入れてたんですね。
2年間60人弱で、結局1割くらいそのまま青石を残ってます。
結構島の様子もそれ以降変わってきたような感じなんでしょうか。
もうコロナ落ちてたらまた普通に戻ってくるんですよね。
淡路ラボさんのウェブを拝見すると、シーズン1とシーズン2。
授業の内容をモデルチェンジしていかれたのかなってことを感じるんですけども、
淡路島と世界をつなぐっていうのが2023年から始まってるのはその影響もあるんですかね。
そうですね。コロナがそれで終わって、
私自身も正直言うと、あんだけ若者を日本で一番集められたと思うんですけど、
コロナは正直様々だと思ってて。
コロナが落ちてたら絶対にまた他の地域との飛び合いになるとか、
それもあんまりしたくないなと思ってて。
まさに淡路ラボが目指すビジョンが、
さっきの河村さんの話と同じだなと思ったら、
響き合う地球というビジョンをしてるんですね。
人間だけじゃなくて自然も含めて、一人ひとりが役割があって、
それぞれが可能性を最大限に発揮して、輝いて、お互いに響き合うといいなと思ってて。
なのでそれを目指してるので、地域間競争みたいなのは望むことではなかったので。
ちょうど次のフェーズって、ちょうど2025年、ちょうど今年万博もあるので、
万博の向けで今度は淡路島と世界をつなごうというフェーズに、
もうすぐ切り替えたというかですね。
意図的に何か。
そうですね。
開発があってとかじゃなくて、それはビジョンを元にそちらの方向に舵を切っていかれたんですね。
なるほど、それは2023年だから、ちょうど京都で伊藤さんが、
ビヨンドカンファレンスのビヨンドミーティングで、オーセンティックラボの構想を聞いたぐらいの時ですかね。
そうですね。たぶんその時に、100人以上淡路島に来るんだみたいなお話があったような。
そうですね。
そうですね。すごいどうなったのかなって気になっていて。
よく覚えていただいて。長期のインターンで60人で、それ以外を含めたら100人以上は淡路島に来ました。
オーセンティックジャパンの話はね、私たちABCでも一度お話をしていただいたんですけれども、
淡路ラボの第2ページの話とかけて、リスナーの皆さんにもご紹介したいなと思うんですけども、お話いただいてもいいですか。
わかりました。まさに2023年からの、淡路島と世界つなぐなんですけども、
淡路島はそもそも古事記という、日本で1300年前に編集された一番古い歴史書なんですけども、
そこの最初の冒頭に、いわゆる日本の神話の話ですね。
そこでイザナギとイザナギの神様が最初に淡路島を作ってたんですね。
槍で突くやつですね。
そうそう。
淡路島の国生み
そこから、ある種の性格変化で作るんじゃなくて、かき混ぜるんですね。
かき混ぜて、それで引き上げたやつから、塩みたいなやつでかき混ぜて、引き上げたやつでポタッといったのが島になっていく。
一しずくなの。
そうなんですよ。
そこから最初の淡路島が生まれ、次が8つの島なんですけど、
四国、沖の島、九州、池、福島、佐渡、本州という順番なんですね。
この大矢島という言い方とするんですけど、この順番でできたんですけども、
淡路島は国産の島でもあるので、
淡路島だけを盛り上げると出れなくてですね。
そういう場所でもあるので、淡路島から日本とか世界を良くするように活動したいと思ってます。
一番最初の淡路島は5年前に来たときに、地域の有力者みたいな人がいて、
その人に最初に相談したときに、淡路島でこれから活動するんですけどって話したら、
まず淡路島で活動するんだったら、
マックさんが祀られているいざなぎ神宮に行ったほうがいいよと。
そこで行って、パワーもらってから活動するのは大事だと言われて、
めっちゃイケイケの40代ぐらいのイケイケの社長がそういうことを言ってくれるんで、
なんか淡路島って面白いなと思って。
都会で40代のイケイケベンチャーの社長が、まず神社に行って手を合わせたほうがいいってあんまり言わないじゃないですか。
いきなりどうも起きるかって話したら、淡路島っておもろいなと思って。
そうですよね。土地とつながり、神話とつながるみたいなものは、
人の間に育まれている文化とか、
神話って絵本の中の世界って感じで、思いがちですけど、
実は脈々と受け継がれている、人の間に言語化されない雰囲気とか文化とか、
そういうものの象徴でもありますよね。
ほんまそうだね。
地域活動の意義
つながっていらっしゃるイケイケ40歳ベンチャーの社長がいらっしゃる。面白い島。
行きたすぎる。
その人がそういうことを言って、実際伊藤永神宮さんにお参り行って、
そこで紹介してもらってた宮司の息子さんの管理士さんがいて、
管理士さんとお話を聞いてたら、管理士さんも、
淡路島は国有の場所でもあるので、
私が言われたのは、淡路島だけを盛り上げることは全然考えなくていいです。
淡路島から日本とか世界をよくすることをやってくれたほうが、
淡路島の神様が喜びますって言ってくれて。
淡路島一宮なんて一番格が高い神社で、
そこの管理士さんがそれを言ってくれたので、すごく嬉しくて。
と同時に、そこで私の役割が明確になったというのがあります。
そうなんですね。
山中さんが29歳のとき、
キャリア教育を日本でまだされてないところから始めて、
ずっと歩まれてきて、
淡路島にいらっしゃる直前は大正大学で教えてらっしゃったし、
いろんな日本全国の地域の中間支援のみなさんがつながる活動が精力的にされてきた中で、
導かれるように神社に行った。
すごいですね。
ほんまにね。
ハマる感じね。
これが淡路島なんでしょうね。
ちなみに、なんで淡路島に移住してきたんですか?
淡路島に来たんですかって、淡路島の人に聞かれるんですよ。
はいはい。
それで私が、淡路島に来たのは、そもそも大学のトップの方に、
地域創生学部のお手伝いをさせてもらって、
それをある程度完成して、
自宅が大阪だったので関西に戻りたいと。
トップに相談したら、
じゃあ淡路市と大正大学が包括連携協定を結んでるので、
大学の市局とそこで会社やってみたらいいんちゃうかって言われてですね。
で、行ったんですよ。
それがポーンといって、そういう話で導かれるようになっていって。
先ほど話したことがあるんですけど、
淡路島の人たちに、なんで山本さん淡路島に来たんですか?
いやーなんか理屈っていうよりかは、なんか呼ばれたんすよねって話してると、
みんな意外とそれに対してニヤリとして、やっぱりそうですかみたいな。
あーそうなんだー。
それがすっごい面白いと思って。
へへへー。
結構そういう人たちが多いんだと思って、淡路島は。
はいはい。
だから理屈で、例えば経済がどうだかこうだなこうだな、課題がこうだなこれをかけるような、
なんかこう、理屈で来てる人たちが、そこに来るんですよ。
すごいですね。
エティックに行ってこういう仕事をさせてもらってると、
やっぱり自分の意思が最初のスタートであって、
意思があればどこへでも行ける、それは絶対そうだと思うんですけども、
でもそれをどんどん深めていくと、
なんか一人でやったわけじゃないなっていうことにも、すごく気づいていくというのはあって。
なんかね、この言葉が合ってるかわかんないけど、
周りの方にも祝福されてるじゃないですか、山中さん。
祝福されてるじゃないですか。
大学のトップの方にも、じゃあこういうふうに天気を作ってみたらって言われていたことをはじめとして。
淡路島の自然と文化
そうなんですね。
当然、青島は観光で、バイクのツーリングが好きだから、
たまに年に一回ぐらいはツーリングに行ってたんだけど、でも逆にプロミテーションだったんで。
なるほどですね。私がテンションが上がりすぎてすごい聞いてるんですけど、
田村さんと伊藤さんも横から突っ込んでくださいね。
ありがとうございます。私もちょっと聞いてみたいなと思ったのが、
私も青島に降り立ったことがないんですね。
徳島とかにバスで行ったりするときに通過するんですけど、降り立ったことがなくて、
今回すごく楽しみにしてるんですけど、
例えばさっき言ってた、イザナギ神宮行けるのかなとか、
他にもどういうところに行けるんだろうっていうのが、
前知識がないからこそすごく楽しみなんですけど、
カンファレンスでどういうことが楽しめるのかなっていうところに関連してご質問なんですけど、
初めて青島に行かれる方も多いと思うので、
こういうところがおすすめだよとか、
カンファレンスに来たらこういうとこ行けるよみたいなところに、
イザナギ神宮以外にあったらご紹介いただけると面白いかなと思いました。
青島は平安時代ぐらいから、食を公室に献上していたんですよ。
それを三月国って言うんですけど、
恩に食べる国って書くんですよ。
実は日本で三月国は3カ国あったんですね。
青島はもともと一つの国、アワジっていう国だったので、
実はね、あと2つが福井県若狭と三重県の伊勢神宮の下の島。
島、若狭、アワジが三月国っていう公室に食を献上した場所なんですよ。
逆にもそれだけで食が非常に豊か。
今も食料自給率100%青島に超えてるんですけども。
青島だけでいくと自給自足ができちゃう。
食が豊かってことは逆に自然が豊か。
なのでそこはやっぱり、自然と食というのは地方でもみんなどこでも豊かで、食もおいしいですけど、
そういう歴史もあるという場所でもありますね。
あとは逆に、それで育つ場所なので、
前の地元の人に言われたのは、青島ってあんまり敬語の文化ないよって言われた。
敬語なんですかって聞いたら、食が豊かって、ヒエラルキーがいわゆる権力者みたいにあんまり生まれなかったらしいと。
昔の縄文時代じゃないですけど、食が豊かって、別に奪う必要がない。
人の食がね。
だからそういうヒエラルキーがあったのに、敬語が生まれなかった話とか、面白い話とかね。
あともう一つ、淡路島の南への方に淡路島モンキーセンターがあります。
これは大阪大学の人たちが結構調べてるんですけども、
みなさん、サルのボスザルのイメージってどんなイメージですか?
すごい太ってて、偉そうで、強そうで。
それは普通なんですよ。
淡路島のボスザルは、ボスザルになる条件があって、愛と思いやりにあるサルがボスになるんですよ。
音声で聞いてる方には全く伝わらないと思うんですけど、画面共有で淡路島モンキーセンターのトップページを見てまして。
なんですかこの慈愛に満ちた悟りの境地のような春の絵。
全国放送でよく、必ずしないか、サル文字も出たりするんですけど、
サルは密集してると思うんですけど、
サルって自分のパーソナルスペースがあって絶対こんなにくっつかないらしいんですよ。
くっついたら取り合いになってるから、食べ物とかもね。
こんなにくっつくことないらしいんですよ。
こういうのもすごく珍しいっていう話で。
みどしのみって書いてる、サルの名前が20匹くらい。
毎年全国放送の朝の番組に出るんですけど、これにボスの企画っていうのがあって、
この中に伝説のボスザルがいたんですよ。
ただ名前知らないんですよ。
第10代ボスとか。
何代目やったかわからない。
サルの世界では、ピラミッドの冷えられるキュウリなんで、下から上がっていくんですけど。
そしたら伝説のボスザルのジョニーがいた。
サルも当然障害を持つサルもいるわけですね。
ピラミッドの一番下のペイペイのときに、障害を持ったサルたちでご飯を揚げてたみたいなね。
そうすると、そのサルが人望のある援護を集めて、どんどんヒラリキーが上がっていって、とうとうボスになってですね。
へえー。
そういう話があって。
これが誰かが聞いたかというと、
淡路島に5つの高校があって、1つは私学の高校があるんですね。
そこのアスリートコースのサッカー部の総監督がいて、
その人はこの3月で辞めて、違う学校に行ったんですけど、
その先生は元Jリーグのコーシカなんかもやってて、引っ張られてきたんですね。
青島高校の私学のね。
最初は大会系でガシガシ教えてたらしいんですけど、
ある程度強くなったらしいんですけど、ある程度止まってしまったらしいんですね。成長がね。
その青島モンキーセンターの話を聞いて、見に行ったら、なんかちょっとやり方が違うのかもしれないと思って。
まさに相手を思いやりじゃないけど。
子どもたちも人間性を高めるようなね、を始めたんですね。
そうすると、またグッと突破してさらに強くなってて。
表記点でサッカーって非常に凶暴なんですけど、人生で青島は決勝まで始めてたのかな。
そのときも準決勝か何か行ったときに、強豪校とぶっかって、これはもう勝てないじゃんってなったら、
たぶんみんな応援見に来ないだろうと思って、神戸か何かに行ったら、
淡路島の自然と人の共創
青島他の4つの高校、ブラッドバンド部がみんな応援に来てくれたんですよ。
へー。
他の高校が?すごくない?
そうそう。みんな応援に来てくれて。
それで後押しになって、勝てた。強豪校で。
で決勝まで行けたっていう話聞いて、そういうような形になるんですよ。
さっきのね、もともと敬語ないというか、食が痛かった、自然が痛かった。
だからみんな穏やかというか、そんな場所ですよね。
それが実は、昔日本もたぶんそうだったと思うんですよね。
縄文時代とかですよね。
あんまり取り合いせずに、共同体を大切にしてて、みんなでわきあたえたりとかですね。
それが、先ほど青島が日本に生まれた場所で言うと、英語で言うとThe origin of Japanなんですよ。
日本の起源とか、日本の源頭で言うと、
たぶん今回のカンファレンスで言うと、そこを感じてもらえると私は嬉しいなと思うので、
僕は本来は日本語ですね。
逆に競争するにしても、本質的な部分は向き合わせが大事だと思うし、
そこを伸ばすのがとても大事だと思うんですね。
そういう意味では、本当の自分に帰る場所、島みたいな感じになってくれたら嬉しいなと思ってます。
ありがとうございます。めちゃくちゃ行きたくなりましたね。
おいしい食べ物もそうだしね。
あ、ごめんなさい。たぶん長くなっちゃってるんですね。
あ、そうですね。
すごい行きたいことがありすぎるんですよね。
でも本当に私も今のオリジン・オブ・ジャパンの話っていうのがすごい解像度高く聞けて、
しかもABC、元残りが17社の企業のコンソーシアムなので、
皆さん資本主義の仕組みの中で、とことんまでいろいろ試行錯誤をした中で、
人間の本質みたいなものに立ち返ったりだとか、応援っていうキーワードで、
自分自身の奥深くに眠っているものに目を向ける、
そういうことを株式会社の中であっても、株式会社だけじゃないですけど、
そういう組織の中であっても、始めてみると、何か次のイノベーションというか、
変化を作っていけるんじゃないかという勘どころのある人たちの集まりだと思っていて。
ただそれは一朝一夕にはいかない。すごく難しいことだから、
淡路島の土地の力を借りて、いざやってみたいっていうのはすごく感じましたね。
初日は淡路島全体を会場と見立てて、15ヵ所ぐらいにそれぞれ散らばってもらって、
淡路島を体感してもらおうと思ってたんで。
そこで自分と向き合う時間を作ってもらって、
2日目でみんなで集まって、とても立体的な国際会議場が淡路島にあって、
大きな公園の中にあって。
そこで2Doというか、初日は自分を向き合って2Beとなって、
2日目で改めて競争になれるといいんちゃうかなと。表面的には競争にならない。
2日間で来てほしい。
本当に。そうですよね。
伊藤さん、2年前、京都でオーセンティックジャパンの構想を聞かれていたとおっしゃってたんですけど、
2年経ってこんなふうに形になっていることを、今聞いてみていかがですか。
そうですね。
話を聞いていて、スケールもすごいし、何より
ビヨンドミーティングで応援者の人たちの力を借りたみたいに、今、淡路島全体の力を借りながら、
世界に向けて進めていこうとしているのがすごい感動というか、
本当に早く行って、島の雰囲気を感じたいなというふうに、ワクワクしております。
ありがとうございます。
今、オーセンティックジャパンのウェブを画面共有していただいてるんですけど。
あのときは淡路島だけであったんですけど、
そこが淡路島から日本の各地域のコーディネーターとつないでやろうと思って。
なので私は、
未来への期待と再評価
構想も広がっているんですね。
逆に皆さんと会えて一緒にできる人が見つけたいなと思って。
企業の方だけじゃなくて、いろいろなセクターの方が来ますからね。
各地域の方が来てもらいたいんで。
はい。
ありがとうございます。
ぜひリスナーの皆さんもオーセンティックジャパンって検索してみていただけたら、
様子をすごくきれいな写真とともに見ていただけると思います。
はい、ではちょっとまだまだ聞きたいことは山盛りではありますけれども、
この後の第3回以降でも淡路島の方に登場していただいて、
さらにいろいろ話を聞いていく予定でもありますので、
そこにバトンをつないでいただいたということで、
今日の収録は終えていきたいと思います。
山盛さん本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
皆さん、淡路島でお待ちしておりますんで。
ぜひせっかくなんでリラックスして、
いい2日になればなと思っています。
それでは皆さんまたお会いしましょう。
さようなら。
35:35

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