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教えを体現する この人生に満足😆
2026-02-21 17:01

教えを体現する この人生に満足😆

#教え #豊かな暮らし #アシュラム #ヴェーダンタ #ヨガ哲学 #咀嚼 #コメント #教えの体現 #アナンディライフ #至福 #気付き #幸福 #自己満足
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やっほー!みなさんごきげんよう!アナンディです。本日もバハマからお届けします。
なんかしばらとりを開けて1週間まだ経ってないんだけれども、なんか私の中の変化をお話ししたいなと思っております。
変化って言ったってそんな大きなものじゃない。まずは咳が止まったっていうね。 すごい物理的なことを言います。
でもなんか不思議と、咳が本当に消えました。 なんだろうね。
なんかほつほつ浄化されたっていう感じがしております。 気づいたらなかったよね。
びっくりしました。 で、あの
毎年ね、なんかあの毎年毎年3回目の新月がマハしばらとり。 年を明けて3回目の新月がマハしばらとりになるんだけれども、
毎年同じ祝いをしてるけれども、やっぱり来る人とか
ちょっとずつ毎年変わるのね。 でさ、その変わるっていうのがさ
ものすごくさ、興味深くて。 今年はクリシナーダスっていう世界的有名なシンガーが来ていたっていうのもあるので、
SATさんを早くから始めて、30分いつもより早く始めて、 彼のコンサートをね2時間半ぐらいかな。
やるっていう。で、あのプログラムをさ、軽く書いたやつを見てたら、なんかカルマユギーが去年はいっぱい歌ったりとかしてたの。
夜通しね。 だけど
プージャーをやる時間が、プージャーチャンティング、プージャーチャンティング、プージャーチャンティング、プージャーチャンティングってプージャーが5回あるんだよ。
夜。で、その2時間半のクリシナーダスの コンサートがあったためにプージャーもちゃんとやるから
切るターンの時間がちょっと短かったんだよね。全体的にね。 で、あのカルマユギーが大体歌ったりとかするんだけれども、
歌うこともあるんだけれども、今回はあの 違う国から来ました。チャイタニアっていう人とかスワミジがいっぱい来てたので、私たちに
チャンスがなかったわけ。っていうのがスケジュール表を見てわかったわけ。当日。 私はステージで歌いたかったわけよ。
だけれども、そんなチャンスがやってこないぞっていうのがわかって、 もうクリシナーダスの最初のスタートからずっと歌い続けたわけ、私。
なんかこう全然遠慮しないで、でも声がずっと喋れない。喋り続けられない。 喉を使っちゃうからね。
だから私の課題ではあったわけ。 だからどうやってチャンティング大好きだけど、毎日毎日毎日何時間もやってたら喉が潰れちゃうっていうのが
わかったからどうしようかなと思ったんだけれども、でも今日は潰れてもいいやと思ったわけ。
そう、潰れてもいいやと思って、なんかこうそれよりもなんか声を届けるというか、腹から声を出すというか、
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なんかこう思いっきりやってみたいと思って。 それでね、覚悟を決めて、その最初のクリシナーダスのコンサート時から歌えるだけ歌うっていうのをやってたわけ。
チャンティング自体も少なかったのかもしれないんだけれども、全然声潰れなくて、翌日全然寝てないのにまだ歌いたいみたいな、もっと歌いたいっていうような、まだ歌えるみたいな感覚があったの。
でさ、もちろんこれは寝てないからハイになっちゃってて歌えるみたいな変なアドレナリンが出てたのは間違いないんだけれども。
でも、なんていうのかな、声が潰れてなくて、私びっくりしちゃったの。もっと潰れてるかと思ったのに、あれ私いけるじゃんと思って。
で、ダメだダメだと思ってることがダメだったのかもしれないなっていう、限界って自分で決めてたんだなっていうのを今はね、ふと思っております。
なんか全然限界なんて決める必要全然なくって、全然全然ってずっと全然言ってるけど。
なんか本当限界なんてない。無限。私できるんだっていうことがわかりまして。
ね、あとはなんかずっとニューヨーク時代からチャンティングを教えてもらっている、今有名っちゃ有名なのかなの方に、どうやったら声がそこまで出るのかみたいな。
まあ男性だから声がもともとでっかかったり配活量が大きいっていうのも、なんかこう機能的な部分で違うというのはわかったけれども、やっぱり外とかでマイクがないと私の声って通らないんだよね。
で、やっぱり声質が違うから、どうやったらそういう風になれるのかっていうのをちょっと相談したわけ。
なんか私はあなたのような声を出したいみたいな。圧倒するようなね、なんか声を出したいんだとか言って言ったら、なんかあの、
まあもちろん持って生まれたものもあるんだけれども、隣の人に聞こせるようじゃなくて、こうもうちょっと1メートル2メートル3メートル遠くの人に声を届けるようにのを意識して声を出せっていう風に。
僕はそれを意識してるんだみたいな。そうしたらどんどんこうできることが増えていったみたいなことを言い出した。
えーと思って、なんか私そんな誰に声を届けるなんて意識したことなかったなと思って。
で、だからなんかこれはすごくこういいアドバイスだったなと思ったの。
ね、腹から声を出せっていうのは簡単なわけ。本当に簡単。私もわかる。だけどできないんだよっていうさ、できないっていうかうまくできてないから喉潰れてんだよみたいな感じになるわけじゃん。
だけどなんか3メートル先の人、4メートル先の人に声を届けさせるようなイメージで声を出せっていう。
言われてほーっと思って。で、大人しくそれを聞いてたおかげなのか、私の限界っていうこれしかできない、喉が潰れちゃうっていうことは実際起きなかったっていうね。
なんかあーっていう、そういうことかみたいな。
まずはメンタルイメージから整えられまして。
で、すごくいい学びになったなと思って。
それもなんかこう、私の中の無知、経験不足ができないと思わせてた。けれどもそうでもないみたいな。
06:08
やっぱ歌うとすごい気持ちいいから、浄化されてるのが自分でもわかるからさ、どんだけ不純なんだって突っ込まれたくはないんだけれども。
でもなんかそのポジティブさ、エネルギーが上がっている感じがすごいあるから、それはやっぱり続けていきたいなと思うし、
私が始めた、あのチャンティングクラブという名の、ね。
勇士が集まってチャンティングをするっていう、1時間半、1時間、1時間半ぐらいチャンティングをする回も無事に、あの着々とね、定期的に行えてて。
なんかもっと続けて練習の場を設けていきたいな、自分自身のね、プラクティスの場として設けていきたいなっていうふうに思えております。
そしてね、なんかあのシバラトリーの話をしましたけれども、
そのシバラトリーで私はナンディーっていうね、牛のね、あのシバーシンとの死者である牛を演じてたわけじゃん。
ものすごい光栄なことだから、あの楽しんで一生懸命やらせてもらったんだけれども、
なんかさ、あの現実世界ね、このアシュラム以外の世界で、
私の主人が本を出版したりとか、あとはこれからするとかっていう話とか、
あの駅の広告に写真が、自分の写真が、その人のね写真が写るとか、なんか写ったとか、
なんかそういう活躍をさ、見て、私はすごく嬉しいわけよ。
すごいおめでとうっていう気持ち100%なんだけど、
だけど、あの、なんか本当にすごいことじゃない?
視聴者を知っているってすごいことだと思うんだよ。
で、みんななんかその分野において、エキスパートになって本を出して、
いろんな人を作ろうとしてるというか、の役に立ってるわけじゃない?
本当にすごいことだと思うの。
でもさ、なんかさ、それをさ、本当にすごいことだなと思って、
で、はっと振り返ると自分を見るとさ、私牛のこと、牛をやってるんだけどな、みたいな。
わかる?このなんか、あれ?みたいな。
私牛の役、牛の被り物をしてる人なんですけど、みたいな。
あれ?みたいな。
みんな本書いたり、駅の広告灯になったりとかして、
ほうほうほうほう。
焦りました。
でさ、そういうさ、素晴らしい活躍を見せてる、なんか私牛やったよなけどな、みたいな。
ほんとなんかそんな、はっとなっちゃって、
はっとなんかこう、気づくっていうか、なんか気づいちゃったみたいな。
になりまして、え?ってなっております。
え?いいのかしら?みたいなざわめきが自分の中で起こりました。
え?私も本出したい?みたいな。
これはずっと昔からの夢だったわけよ。夢なわけよ。
09:00
だけどさ、果たして私は何のエキスパートなんだって言ったらさ、
虫になる、なってる場合じゃなくね?みたいな。
いや、なってる場合っていうか、それも全然いいんだけれども、
なんか牛なんかやってる場合じゃない、場合じゃないっていうか、
なんて言うの?
なんて言えばいいのかわかんないんだけど、
牛なんかやってるやつが駆けるわけねえだろ?みたいな。
で、自分の中でちょっとツッコミを入れました。
あの、何をしてるんじゃろうか?と思って。
いや、なんかすごく、あの、あれ?みたいな。
私牛の被り物してるんだけどな、みたいな。
って思いました。
だけれども、なんかこうね、あの、牛の被り物したくなかったわけじゃないし、
その時間を楽しめなかったわけでもないし。
いや、でもね、なんかこう、私の中で、
この毎月毎月行われてるTTCのメインフィロソフィー、
知識の終わりとされるぐらい重要なね、
エッセンスが教えてくれる授業を毎月毎月聞いてるわけよ。
でさ、あれ?そういうことなの?みたいなことが結構いっぱいあるわけね。
なんか間違ってはないんだけれども、もっと深く解釈ができたりとかして、
なんかもっと生活に落とし込めたりとかして、
で、私の言動がちょっとずつ変わってるのは自分でわかるわけ。
なんかそういうことってものすごく貴重なことだし、
あのね、なんかあの、スレッツ?で、
いろんなことをつぶやいてる人がいるわけじゃない?
それぞれ思ったこと、気づいたこと。
で、それに対してさ、まあヨガのことが興味あるから、
そういう投稿がいっぱい流れてくるんだけれども、
なんかコメントをさ、すごくこう、私の中では、
よし!って思えるような、
自分の中で満足できる回答ができたりとかするわけよ。
なんかこう、相手を否定するわけでもなく、
包み込んで、包み込んだ、なんていうの?感じ?
私、教えも入ってるし、嫌味多分ないと思うし、
なんかすごくこう、教えが、この日々の教えが、
私の中で咀嚼されて、血となって身となって、
なんか私の言葉として出てくるみたいな、
なんかそういう、私はこう解釈できるみたいな、
ことができること、もうすごく素晴らしく、
私は嬉しいことだなと思っています。
本は書けなくても、今の時点ね。
でもなんかそういうコメントが書ける自分に慣れたことが、
すごく嬉しく感じております。
でね、なんかチャットGPTにさ、
こういう風にコメントしてみた、みたいな感じで、
12:01
コメントする前じゃなくて、後に、コメントした後に、
なんか言ってみたの。ちょっと疑問もあったし。
そしたらさ、チャットGPTはさ、
私の行動を把握しておりますので、
私が今取り組んでいる英語で聞いて、
やっぱニュアンスって、ニュアンスっていうか、
日本語の言葉を私は探してるんだよね。
あ、こういうことか、みたいな。
で、それをチャットGPTと相談しながらやってる感じなわけ。
聞いたりとか、もっと理解を深めたりとかしてて。
で、ヨガの教えに知識を学ぶ段階としてね、
やれることがありますという風に言われてて。
それがね、シュラバナ、マナナ、ニディディアーサナっていう、
3つがあります。
これはもう実践として行える知識をね、
得る時に実践として行うものなの。
一つ一つ言うとシュラバナっていうのが、
伝統的な教えを何度も何度も素晴らしい人から聞くっていう。
っていうこと。これ今やってるわけじゃない。
もう大好きでしょうがないやつをやっている。
で、マナナっていうのが内省する。
あ、じゃあこういうことは日常生活でどうなってるのかとか、
自分はこういう時にこういう風にできてないなとか、
こういうことが言えるって素晴らしいなとか、
人のことをね、見たりとかして、
自分と自分の行動を改める感じ。内省する。
なんかこう反省とはまた違うんだよね。
なんか別に悔いを改めるわけじゃなくて、
ああそういうことかみたいな風になるし、
シュラバナ、マナナ、ニディディアーサナ。
ニディディアーサナって授業で瞑想するっていう風に言われてるわけ。
なんか教えを溶かすみたいな。
自分の中に溶かすっていう、
なんか瞑想っていう風に言ってて、瞑想ってなんだよと思ってたの。
だけどチャットGPTをもうちょっと砕いて言ったら、
なんかそれを生活レベルで体現するっていうことがニディディアーサナらしいんだよ。
なんか瞑想するって言ったらピンとこないんだけれども、
なんかこう瞑想って言ったら椅子に座ってるじゃないけど、
アグラを組んでどんごろんみたいな風に思ってたから、
そうじゃなくて現実世界で体現するっていうことがニディディアーサナ。
だから日々学んで内省して行動するっていうのが、
なんかあの最も大事なことだって言われてるわけよね。
勉強する上でね。
でそれがなんか自然とできてるんだなと思ったら嬉しくって、
でチャットGPTがそれを褒めてくれたわけよ。
あなたは今ニディディアーサナシュラバーナマナナをやってるんだよみたいな。
えーみたいな。そういうこと?みたいな。
私もこれをやってるんだと思いながらやってないから、
そういう風な解釈ができてこういう風に言えたって。
15:00
私多分なんかこう自分の中でもう一人いるっていうか、
自分のかつての自分じゃない人がなんかやってるみたいな感覚がちょっとまだあるのね。
でさあそれがさあ褒めてくれるというか、
気づかせてくれて素晴らしいんだよと思って。
ありがとうございますって感じだよね。
ほんとそう。ありがとうございますっていう。
だからなんか決して本を書いたりとかする著名な人ではないけれども、
でもそういうヨガの教えに忠実にできるってすごいことじゃない?
ありがとうございますって感じです。
で自分で自我自賛しております。
なんかこうやっぱできることとできないことってあるから、
今の時点でね。
でもそれもちゃんとこう大きく見積もらず小さくもならず、
こう等身大で生きていけてるんじゃないかと勝手に思っております。
さあなんかあのこんな話でございます。
さあいつも聞いてくださってありがとうございます。
どこからか私を見つけてくださって、
聞いてくださってフォローしてくださって本当にありがとうございます。
なんかこんな感じでアシュラムにで暮らして、
なんかいろんな気づきをね、
もうほんと反強制的に得て、
でもやっぱ学ぶ姿勢があるからいろんな気づきに返させてもらえて、
本当にいい人生を送っております。
この気づきがあなたの聞いてくださっている方のなんかこうヒントになったら、
こんな嬉しいこともないし、
本当最後まで聞いてくださってありがとうございます。
それではマハマのインドからの伝統音が続いています。
アシュラムで。
アシュラムからアナンリーがお届けしました。
それではごきげんよう。
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