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バウンダリー ごきげんでいるための境界線
2026-03-16 13:59

バウンダリー ごきげんでいるための境界線

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やっほー!みなさんごきげんよう!アナンディです。本日もバハマからお届けします。 本日2回目の投稿になります。
ちょっとやりすぎだよね。 だけれども、あのーすごいことに気づいちゃったんだ。この
今朝、1個前のね投稿で、なんかすごく
なんていうのかな、 憤慨するようなことがあって、ドラマの中にいて、なんかすごくバカバカしいからやめたと思って
さあ、それで約1日半日経ってさ、なんかまた色々考えることがあって、気づいたことがあったのでシェアします。
なんかこの一連の流れって、バウンダリーっていう境界線がどこにあるのかっていうのをはっきり
分かった瞬間、出来事だったんだなっていうのが一つあります。
ね、バウンダリーとかね、なんかいきなり英語で私も全然わからない、あれだったな境界線っていう
ここまではできるけれども、ここからはできないっていう 線
が自分の中に、私存在してなかったんだよね。なんかいつまでもどこまでも行けると思ってたし、 実際行けないのにね。
でもなんかそういうふうにちょっとどっかで思ってたりとかもするし、やっぱり人のためにやるっていうのも、あのナチュラルにそう思ってるから
なんかやっちゃうじゃんねみたいな、当たり前じゃんみたいなぐらいの感じでいたのよ。
だけどほら実際的にあの物理的な問題でできないことってあるよねっていうさ、例えばさ3日間
連続して起きてないといけないなんて言ったら無理じゃんそんなの。できないんだよ。 ね、コーヒーとかカフェインとかいっぱい入れてたら意外といけるかもしれないんだけれども
やってどうなるんだっていうね。その後ボロボロじゃんみたいになるじゃない。 だからなんかあの一連の
ことでドラマの中で、私には境界線っていうもう概念すらなかったっていうから、っていうことをもうちょっと言えるし、それを作ることで私の
今現在すごく平和なのね。もうびっくりするほど平和で、なんかあのドラマにいたことがなんかバカバカしいというか嘘みたいな感じ。
なんか、何世紀前の話ですか?みたいなぐらいの距離感なわけ。
ね、嘘ではなかったけれども、でもなんか昨日の出来事、一昨日の出来事っていうよりは、本当に何世紀前かの話みたいな感じなわけよ。すごい距離感でしょ。
なんかそれだけ、なんかその束縛されていた、囚われたことから、ものすごい距離感を持ってして反対側にいるわけよ。
つまり自由にいるわけね。こんなに自由で楽でいいんだ、みたいな風に今はすごいびっくりしています。
そして今までの、彼女のシェフのウィーンってなってる、なんかあれやれこれやれっていう、なんかすごいタスクばっかりやってくるっていう
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ことがあったからこそ、こんなに自由になれるんだっていうことを経験させてもらえて、もうすごくありがとうって感じなわけ。
なんか本当に感謝して、この後お食事を取りに行くんだけれども、チャンスがあったら感謝を伝えようかなと思ってるぐらいなわけ。
おかげで、おかげさまで気づけたよって言って。
っていうのも、ほら、あのそもそも彼女のことがトリガーにはなったけれども、それよりも前の時から、なんか私ちょっと急いでたのかもしれないなと思って。
なんかディナーが用意だよ、されてるよって言われた。だからちょっとだけ話させて。
その前から私は無理してたなと思ったわけよ。
なんかその後1日後1日みたいな感じで、なんかやっぱ切れやすくなるっていうか、なんかこういろいろし始めるっていうか、まあそれはもう無理だから、いろいろするじゃんね。
でもそういうことがあったにも変わらず、それを無視してたんだよね。
あと1日だけ頑張れば大丈夫だみたいな、なんか山を乗り越えれば大丈夫だみたいな、なんかそういうので騙し騙しやってきたんだなぁと思って。
だからそもそも私は手伝ってくれる人もいなくなっちゃったわけだから、なんかもっと自由にトイレに行きたかったらトイレに行けばいいし、
なんかお水を飲みたかったらふーっと腰掛けて椅子に座って飲んでいいし、なんかそうやってやっていいやっていいっていうのを自分に許可したんだよね、今日ね。
そしたらさ、もちろんさ、あの1時間40分かな?40分くらい1時間は経ってない。40分くらいいつもより遅かったわけ、終わったのが。
だけれども、なんか疲労感はないし、むしろなんかゆったりとした気持ちでいられるというか、余裕があるみたいな感じだったんだよ、なんか不思議と。
なんかずっとその間立ってないといけないんだから、大変じゃん、体は疲れるじゃんと思ってたんだけど、意外や意外、心が平和だから、なんか体の疲れなんかそんなに感じてない。
まあ途中途中座ってたしね、なんかお水を、氷水を作ってさ、もうキンキンに冷えたやつを飲まないとちょっとなんかリフレッシュさせようと思ったりとかして、
なんかそういうのをやったりとかしてて、あ、こうやって自分のご機嫌って取るんだっていうのにパッとさせられたわけよね。
でさ、私がご機嫌だと周りの人もみんなご機嫌なわけよ。
ほら昨日すごく闇にいたじゃない?そしたら私に対してこんな顔見たことがないっていつもニコニコしてて、笑顔を振りまいてて、幸せを振りまいてる人なのに、どうしたんだ、何があったんだっていう風に言われてて。
で、そんだけ心配してくれるのはありがたいことなんだじゃん。
わーお、ご飯やってきたわ。
いや本当にそのくらい私は別人になってたわけよね。もう怒りに任せてるとか、怒りというか悲しみというかなんかこう悔しさみたいなのが全部混じってて、
ゴミーってなってたんだけれども、なんかよくよく考えたら、あ、私自身がそこから離れることによって、
幸せな状態によることによって、みんなが幸せになってるわけだし、私自身もものすごい幸せだから、
あ、こんなに体も楽だし、気持ちも楽だし、ハッピーだし、なんかもうなんかうるんるんるんみたいなスキップしちゃうみたいなぐらいな感じなわけね。
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なんか飛んでっちゃいそうな感じのぐらいイェイイェイってなってるわけ。
で、もちろんなんか静かなイェイイェイね。
でさ、今日は米団体のクラスにも午後フリーになったために、もうビクトリーって感じだったわけよね。
もう勝利を勝ち取ったぜぐらいな感じで、朝から浮き浮きで、そっか私はもう行かなくていいんだと思ったら、
もうなんか囚われから自由になれた。物理的に自由になれて。
で、私はその頭でボチャボチャ考えていることすらもうバカバカしくなってやめたっていうのが昨日あるじゃない。
で、もう物理的にも行かなくて済むんだってなったら、すごく浮き浮きになって。
で、今日米団体のクラスを取って、フィロソフィーのクラスを取ったら、
なんかさ、まさに私が陥ってた罠の話をしてて、なんかあ、みたいな。
すいません、私これフルコンボでやってましたみたいな。
なんかこうエゴが大暴走して、マインドがあっち行ったりこっち行ったりしてて、全然こう休まらない。
休まらないし、真実を何かっていうのを全く無視してるというか、全然知れてない。
分かってもいないみたいな。もう忘れてる状態みたいな感じだったし、
なんかこうフルコンボでそれをやってて。マラ、ビッグシェーパー、アヴァラナって言うんだけど、
なんかそれをフルコンボでやってて、だからこそそれをマインドをきれいにしましょうねとか、
マインドを落ち着かせましょうねとか、真実をそれから学びましょうねっていうことを3段階するんだけれども、
もう全部フルコンボで暴走してるみたいな。
私もダイクサイドに落ちてるし、もう呪ってやるくらいなことを言ってたから、私は昨日の夜。
腹が立てて本当に呪ってやるんだみたいなことを、彼女はテントの隣にいるから丸木越えなのに、
分かってて言ってるっていうね、もう本当悪意あることをしてて、なんかもう止められなかったんだけれども、
でもなんかそれのおかげで、あ、私にはこれができてこれができないっていう境界線をはっきりと作らないといけないんだっていう
ことが分かった。この境界線というのがまた不思議で、私はもうJATGPTに聞いたよね。
これは諏訪道に聞いてもよかったんだけれども、ちょっと時間がなかったからJATGPTにささっと聞いちゃったの。
なんか私の、私たちの本来ってリミットレス、制限のないものだって言われてるわけよ。
なのになんでバウンダリーっていう境界線を引かなきゃいけないんだっていう、なんかおかしくないって思ったわけ。
なんかさ矛盾してるじゃんと思って。これはかなりの矛盾だよと思って。
なんなのどういうことみたいな感じでちょっと頭では理解できなかったのね。
しかも私の中ではこのバウンダリーっていう境界線は存在してないから、いつまでもできるぐらいな感じで思ってるわけから、
そのリミットレスなわけよ。だからなんでそんな性を引かなきゃいけないだろうっていう疑問が浮かびまして、
聞いてみたらなんかすごくいい視点だねみたいな感じで言ってくれて。
本質的にはリミットレスなわけよ、制限のないものだという風にされてるんだけれども、
でも実際的に私たちは体を持ってて、マインドを持ってて、時間っていう概念を持ってて、
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っていうその概念とか体っていうフィジカルなものとか、マインドっていう目に見えるような見えないような捉えようのもないもの、これも概念だよね。
を持ってるってことはウパディっていうこの器の中にいるわけじゃん。
もう器って言ってる時点で制限がある状態の中で生きてるわけだから、
物理的に制限があるのはもう仕方のないこととか当然のことですって言われて。
ああなるほどと思って。
で、昔聞いた制限があるからこそ自由を感じられる。
もし最初から制限も何にもなかったら、そこが自由だかどうかもわからないっていうのを寒地が説明してたことがあって、
まさにそういうことかと思って。
だからそのすごく逆説的なことだけれども、
幸せってとか制限のないことって制限があるからこそ感じられる。
幸せって苦しみがあるからこそ感じられる。
悲しみがあるからこそ喜びがあるみたいな。
なんかそのについが共存してるっていうのがそういうことなんだ。
なんか変にフに落ちちゃって。
ワオって感じでさ。
ほんと勉強になりますって感じだよね。
なんか本当にすっきりしちゃったし、
本当に何億年前の話だったかなって思うほどの距離感を保ててるし、
今日の私のカルマヨガを焦ることなく40分プラスの時間はあったんだけれども、
なんか心は軽いし、
なんかこういうことかみたいな。
制限のないことが本当の自由?
だし制限を経験してるからこその自由っていうのをすごく感じました。
強く感じた。
なんか体験を通して感じました。
だからなんかこんなふうに思ってることがすぐにできたし、
なんか全部リンクしてるなと思って。
この授業がすごくあーっていう。
なんかもう耳が痛いというか、
私フルコンボでこれやってたのかと思って。
私知ってたのにもうわかんなくなってるわと思って。
でもなんかそういう時間を取れることが私のエネルギーの活力になってるし、
これも私をご機嫌にする一つのツールだから、
やっぱりやめたくないなと思って思ったし、
なんかそのなんていうのかな?
なんかこの境界線、現実世界における境界線っていうのはものすごく大事。
しかも私数日で9番思ってると、
なんかあのすごく迫愛の人って言われて、
なんか人のためにやっちゃうみたいな。
自分を犠牲にしてまでやっちゃうっていう癖がある。
傾向があるんだって。
で、確かになんかあるんだよ。
で、しかもNOっていうのがものすごく辛いの。
できないの。
もしNOって言ったらこの人は悲しんじゃうんじゃないかみたいな風に思っちゃってて、
意外と意外と言えないんだよね。
だけどなんかNOっていう練習をしないといけなくて、
NOってごめんねのNOではなくて、
ありがとうのNOっていうの。
なんかもう一つ心の喜びとしてのNOっていう、
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NOって言えね、言えね、無理ですっていうのを
言うっていう概念があるんだっていう。
カテゴリーが一個あるんだっていうのに気づきまして。
なんかねこの、もし私がここまでしかできない、
ここからは私が辛くなっちゃうから無理ですっていうために
言う風に感じてNOって言った場合のNOは、
なんかセルフ、この私の本当の私からありがとうって言われる。
心が軽くなる。
なんかそれをもっともっと経験していきたいなと思ったの。
だからこそ次のチャレンジ何かなみたいな風に
また降ってこないかなと思ってて、
ちょっとあれやってこれやってって言われないかなみたいな風に。
どうせねYESYESとか言っちゃうんだろうけど、
ほら数年前からNOって言っていいんだよみたいな感じで
すごい言われてて、
なんか言う時もあるけれども、
なんか言っても文字文字してたわけよな。
これ言ってもよかったのかなみたいな。
誰か傷ついてんじゃないかななんて思ってたんだけれども、
自分の気持ちを第一優先にしてるっていうか、
自分をご機嫌で保った上でのYESっていうのを
すごく感じないといけないんだなっていう課題が見えてきました。
っていう話でございます。
あなたの中のバウンダリー、境界線ってありますでしょうか?
私は全く存在もしておりませんでしたので、
なんか君臨させていきたいと思っております。
こうしたらさ、もっともっともっともっともっともっと
ご機嫌でいられるんじゃないかなと思ったら
嬉しくなっちゃいました。
ちょっと夕飯が届きましたのでいただきたいと思います。
それではここまで聞いてくださってありがとうございます。
パハマからナンディーがお届けしました。
それではごきげんよう。
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