所有権の基本概念
この番組は、法律ってなんでこうなっているんだろうという疑問を、日本国憲法の三大原則に鳥肌が立って法学部に入ったなあちゃんと、
法律は専門家だけど、ルールが社会をどう形作るのかについて、関心を持つ本が作ります。
本です。よろしくお願いします。
なあちゃんです。お願いします。
というわけで、今日は【所有権】。
【所有権】ね。
最初の疑問は、「所有ってなんだ?」っていうところからなんですけど。
確かに。
所有するってできるの?何を指すの?みたいな話。
本当に所有できるの?っていう話ですね。
空気とか息は所有できているのかとか。
食べ物を例えば収穫して取って食べたとすると。
体の中に入ったとしてそれは自分のものなのか?みたいな。
所有権ってなんだ?
所有ってなんだ?からか。
所有権ってなんだ?で、所有権っていうのが何だったかっていう疑問で、
ちょっと勉強してやってみようぜっていう話になりました。
日本国憲法と西洋思想の対比
はい。あったね。
約束ね、この所有権っていう言葉を持ち出したジョン・ロックのやつ、ちゃんと読みましたよ。初めて。
これ法学部ってさ、読んだりするもんなの?やっぱり。
読まないね。
初めて読んだ。
まさかジョン・ロックに手を出すと思わなかったっていう。
それ本なの?法学誌は読まないのか?
法学誌まで読まないかな。
法学みたいな授業は絶対あるんだけど、
サラッドだよね。そこまで読まない。
新鮮でございました。
全部は読んでないんだけど、
ジョン・ロックの統治理論の中の所有権の部分だけね。
統治理論とか歴史のテストで書くのかな、みたいな。
統治理論までは書かなかったけど、私は。
感動ですね。読みましたね。
読みましたよ。どうでした?
いろいろ思ったけど、
土地っていうのは神様から与えられて、
神様はちゃんとそこで自分たちで働いて、
自分たちで生きれるようにやってねって言ってプレゼントされた。
だから神様は私たちに、
労働みたいなこともセットで、
この土地っていうのを与えてやるみたいな話を読んだときに、
この前の労働の義務の話を思い出し、
なるほど、そういう価値観で、
西洋は神からそういうふうに指名を受けているみたいな感覚で、
労働をもしかして捉えているのかなと思ったときに、
昔の、これまた前の勤労の義務の話に戻っちゃうけど、
勤労の義務で、昔の大日本帝国憲法では、
平気の義務とか義務付けられて、
それが日本国憲法でなくなって、
日本国憲法で新しく勤労の義務が出てきたねって話を前にしてたんですけど、
完全に日本国憲法って神様みたいなワード、
天皇を神格化するみたいなところを払拭したいみたいなところがあった中で、
西洋的な神からそういった指名を受けているみたいなエッセンスが取り込めない。
西洋も別にそんなものを法律には取り込んでないと思うけども、
それってみんなの意識の中にあるから、
法律に書くことではないみたいな感じになっていると推測したときに、
日本国憲法以降の日本はそれができないから、
わざわざ勤労の義務って法化したのかな、みたいなことを考えたっていう。
つながりを思いながら見たのと、
時代的なところ、土地っていうところの所有権について、
所有統治理論では書かれてるんだけど、
植民地化していくみたいなところを、
いかに正当化するかみたいなことを書いてるのかな、みたいな感覚を持って、
余ってる土地はちゃんと有効活用しなきゃいけないから、
われわれみたくきちんとした文化的な生産ができるものが、
未開の地を開拓すべきみたいな話をしてるのかなっていう。
この思想の出発点ってどこからなのかな、みたいな。
所有権あるねっていう純粋な発見からなのか、
若干そういう政策的なものが混じってるのかな、みたいな。
そういうような感想でございました。
労働と所有権の関係
法律のところはね、ジョン・ロックの話は所有権の部分しか読んでないんだけど、
前書きが結構あるんですよ、この作者による。
今回だから使っている本が、
今回の本の松浦義一さんなのかな。
松浦義一役、ジョン・ロック、土地議論。
オープンシルフってどこだろう。
知らないけど、そこが出しているものを読んでるんですけど、
その前の解説の部分に、
なぜジョン・ロックはこの土地議論を出したのかっていうのが書いてあるんですよ。
なるほど。
そこだけ読んだんだけど、
それの中でどっちかというと歴史書みたいな感じで、ちょっと面白くて読んだんだけど。
ジェームズ2世という王様がイギリスにいた時代に、
ジェームズ2世がすごい先制君主をやろうとしたと。
確かあれじゃないか。
エリザベスの後か。
エリザベス1世の後にスウェーデン王室が入ってきて、
スウェーデン王室で先制君主をやって、
そうすると議会が強かったイギリスとして反発をして、
その直後じゃない、たぶん2世代あったのかな。
わかんないけど、ジェームズ2世をフランスへ亡命させたんですよね。
追いやった。
追いやった後、オランダから別の王家を持ってきた。
というタイミング。
別の王家を持ってきた側の党を支持していたのが、
ジョン・ロックもその一人であった。
スウェーデン王室側の方が王権真珠説なんですよ。
王権というのは神から与え給われたものである。
オランダから来た人は、
もうちょっと議会に弱めの王としていてほしいという国民の願いがあって、
王権というのは限定的なんだよということを主張したかったのだと。
なので、王だからといって何でもかんでも市民から物を取り上げてはいけないのだ、
ということを言いたかったのだと。
というようなことが多分書かれてるんですよね。
なるほど。
先生君主を反対したいというので、
先生君主っていうのが、
そんなの聖書に書いてないじゃん、みたいなことをずっと言ってるのが、
トーチ・ニオンの一論目、前半。
だから、アダムとエビは何なんだ、みたいな話がずっとタイトルとして続くんですよ。
アダムの主権要求の施策についてとかがバーっとね。
難しいこと。
アダムの相続には何なんだ、みたいなことがトーチ・ニオンの前編に続いて、
後編から、じゃあ今の社会はどうなんだっていうのが書かれている構成でした。
その中で所有権、私有財産を守りたいっていうのが出てくるんですね。
うんうんうん。
という話で、
聞いている人はさすがに読んでないと思うので、
なんとなく書かれてたことを解説すると、
キリスト教、というか一神教の世界観で、
全ての自然とか土地とか、そういうのは神様から与えられて、
人間はそこで生き抜く権利があるんだ。
生きるためにそれを使う権利があるんだ、みたいなところから入る。
神様から与えられた土地とか自然というのは共有物なのである。
というのが前提のもと。
ただし自分の体は自分のものである。
自分の体が労働をすると、その労働も自分のものである。
共有物に対して労働を加えると、
それは自分のものになるという論理展開でしたね。
でしたね。
街中の森にある林檎を採取するという労働によって、
その林は自分のものになるという話が書かれてた。
特に土地に関しては、
ただ土地があるだけだったら共有物なんだけど、
人が耕し、植え、改良し、栽培し、
そしてその作物を得るだけの土地が、
彼の私有財産となると書いてありますね。
労働によって、いわば自分の土地を共有地から囲い込むのであると。
うん。
もうへーと思ってた。私がこれを読んでて。
そういう論理展開で私有財産になると。
面白いですね。
面白いですね。
線引いたのが、
共有地から私有地が出てきて、
その私有の限界みたいな話がその後から出てきて、
多分そこから貨幣経済みたいな話が出てくるんだけど、
だが、神はどの程度それを我々に賜ったのだろうか。
もしくは消費する限りである。
それが腐敗したりして無駄にならぬうちに、
生活のために利用し得る。
その程度を労働による所有権の限界と定めてよかろう。
って書いてあって。
そうそうそう。
これが、なるほど、限界なんだっていう。
迷惑かけない範囲とかではなく、
不足のない、過不足のない状態っていうのが、
ちょうどいい所有の状態なのかっていうのが。
過剰のない範囲っていうのが限界だっていうね。
だから、神から受けたまわったものだから、
たまわったものも神からたまわったものだから、
それを腐敗させるっていうのは、
罪に近いんだよね、きっと。
所有権の限界
そうなの。
生かさないとダメ。
腐らせるほど持つってのはいけないんだと。
いけない。
活用しきる分だけが限界であると。
そう。
だから、無駄にたくさん耕して、
すげえ大きな土地を持っても、
それを腐敗させてしまうんだったら、
結局耕せなくなるんだったら、
それは取り過ぎなのだ。
限界を超えている取得になるからダメだっていうことを
言ってんだよね、きっとね。
そう。
なんかこれちょっと示唆的だなと思って、
現代社会に。
それを計算すれば、
全人類が自分のものを持っても、
まだ余るはずだっていうのは彼の発説なんですよね。
そうそう。
そうなんだよね。
その後、下辺がある。
ただ、それを下辺に交換できると、
下辺はいつまでも使える、腐らない、
墓造化できるから、
矛盾してくるよね、ぐらいで終わってるよね、多分ね。
矛盾してくるね。
母って言って終わってる。
母で終わってるよね。
だから、どうなの?みたいなところまでは言ってない。
その後みたいな。
そうそう。
下辺がなければ、それがちょうどよかった、あるみたいな感じで、
終わりましたけどね。
その後の章はね。
そう。
人間中心主義と法律
そうなのよ。
そんなことを指摘してた。
すごい、
ヒューマンセントリックな考えだなっていうのは、
私はちょっと思った。
ヒューマンセントリックってどういうこと?
人間中心主義?
あー。
すごい、人間中心の考えすんだなと。
それはそうか。
神の一番の造形物みたいな扱いですもんね。
そうね。
そうだよね。
所有ってできるのかっていう話を、
この前提でしてたけど、
所有権って何かっていうと、
他人に奪われない権利のことを言ってるのね、
っていうことが。
人と社会において、
人に奪われない権利のことを言ってるんだなってことを、
私は理解した感じですね。
だから、
スイカ泥棒で人に奪われたら窃盗罪だけど、
スイカ畑にイノシシ入ってきても、
窃盗罪にはならんじゃないですか。
そうね。
所有権を奪われたことにはならない、
そういうことかって、
ちょっと別の理解をして、
人間同士の話しかしてないんだなっていうことを理解した。
そうだね。
所有できるかできないかじゃなくて、
他人に奪われないっていう権利かっていう。
他生物でもなくてね、
他人に奪われない権利かと思って、
ああ、と思いましたね。
そうね。
確かに。
所有権ルールが通じるものとじゃないとできないもんね。
奪わないでって。
そしたら人間同士になっちゃう。
人間関係の話してるんだね、所有権ってと思ったら。
そうね。
そういう理解を言いましたよ。
そこ面白いですね。
人間関係、法律って物件と債権があって、
物件っていうのは物に対する権利、
所有権も物件の1個だから、
そのものを配達的に自分で処分とかできる権利、
利用とか収益を得るとかできる権利って捉えていて、
債権は人間関係の権利。
だから、物売買とか貸し買いとかみたいなのを債権っていう風に言ってて、
民法だと物件があって、次に債権の説明が書いてあるんだけど、
でも究極やっぱり物に対する権利も人に奪われない権利ってなると、
人間関係の権利のルール。
ルールっていう、
まあ、猪に言えないしね。
そうだよね。
ここ私の畑だし、さあ、みたいな。
言えない言えない。
言えないし、窃盗とは言わないもんね。
もう、そうね、窃盗食べちゃったね、みたいな。
荒らされたね、っていう話であって。
結局、法律って人間関係の調整。
ね、そうなんだなあと思ったし。
所有権を見てて、思いましたよ。
耕すことと感覚
うーん、
そうね。
人と神しか出てこない感じだったもんね。
そうそう。
神が全部与えたっていう状態だったからね。
動植物含めて。
そうだね。
人を生かすために。
うん。
確かに与えちゃったね。
そうね。
人間同士の話しかしないわな。
そうよね。
あとは全部利用される側だもんね。
うん。
すごい、人間中心主義なんだなあと思って、本当に思った。
うーん。
最近ちょっとデザイン志向の話とかも、
全然読書家だから出たんですけど、
デザイン志向は人間中心のデザインをしましょうっていうポリシーが入るんですよ。
へー。
多分前提としてのが、機能から入るんじゃなくて、
人間のニーズから入りましょうって意味なんだと思うんですけど、
デザインをするときね。
たまにいるんですよ、デザイナーで人間中心的なデザイン、
ヒューマンセントリックとか言ってますけども、
そんなデザインができますみたいなこと書いてあって、
主張されてる方がいて。
たまに組織論とか生態論とかいう本と話してると、
人間中心ってそんなにいい言葉に聞こえてなかったんですよね。
うーん。
そうか、人間中心って別にいいこととは限んないんだなあと思いながら、
私はこの前聞いてたりしましたね。
人間中心って大義語あるんですか?
うーんとね、デザイン思考とかはどちらかというと、
機械主義とか機能主義?
うーん。
から脱却しましょうって意味で人間中心って言っていたんだと思いますね。
そうね。
こんなことができるよとか、
ウォッカンこんなことできるよみたいなことじゃなく。
そうそうそう。
私たちが必要なものを作りましょうみたいな意味だと。
人間中心。
そうだね。
生態論とか社会学とかの世界に行くと、
人間だけを見てちゃダメだよねっていう文化には。
そうだよね。
こっちの大義語だとこの生態系とか、
自然とか社会とか文化とか、そっちに行くんだと思う。
だから大義語って足大義語はないんだけど、
人間以外を中心する考え方はいろいろある。
うーん。
そして法律、少なくともこの所有権は人間中心なんだなと思って今。
うーん。
そうだ。
人間中心主義の背景にあるのはどうしても一心教なんかなって思ったしね。
うん。
ここの場での論理展開からするとね。
うん。
そうだね。
それを日本国憲法に入れても一心教にはならなかったからさ。
うん。
結構違和感ありません?
耕したら自分の土地になるって考えが。
うん。
耕したら自分の土地になる。
感覚的には、土地を借りて耕してるっていう感覚の方が日本人はあるような気がする。
うーん。
留作元をいただいてるって感覚の方がある気がする。
うーん。
そうだね。
うん。
いただく感覚ね。
共有?
うん。
共有。
昔も何が違う?
神様の、ああでもそっかそうだね。
耕したら自分の土地になる。
作文化的なところとはまた違う、もっと大きい視点ってことですよね。
うーん。
耕さなくて、耕すまでいかんと思う。
最終であってもさ。
うん。
自分のものになったっていうより、自然の恵みをいただくみたいな感覚ね。
ああ、まあそうね。
ああ、それはわかるな。
面白い。
うん。
こう行動したもん勝ちだね。
取りに行ったもん勝ち。
それもまた猫の所有権耕したら勝ちじゃんって思って。
奪い合いにはならないとは言ってるけどさ、そこの土地がいいってなっちゃった場合はさ、やったもん勝ちでしょ、先にって思って。
やったもん勝ちだよね。
そうでもしなきゃ、確かに職員ってそうだよねってなっちゃう。
わからないよね。あんな急いで取りに行った感じって、やったもん勝ちだったんみたいな思想。
やったもん勝ちですよ。
いただいたみたいな。船で流れ着いて、土地に巡り合ったみたいな感覚では絶対ないみたいな感じ。
神様のお星召しなんだけど、神様がくれたっていう感覚になるんでしょうね。
うん、くれた。
そうそう。
引き取ってくれたとかじゃなくて、くれた。
巡り合いじゃなくてプレゼントっていう感じになる。
うん。
ギフトの重要性
ミートじゃないんだなっていう感じですよね。ミートじゃなく、もうギフトなんだなって感じだったよね。
そうだよね。それは行動のスピード感とか、いろいろ感覚変わるよねって。
先言った方が違うね。ミートだったら別に何度でも繰り返せるけどさ、ギフトはもう2回目がないよね。
才能のことギフトって言ったりするじゃないですか、英語で。
あれもだから、くれたっていう感じなんだな。
あ、そうだね。
与えてもらった、だから自分のものであるって感じなんだな、やっぱ才能が。
あ、そうだね。自分のものである、そうだね。だからそんな売り込めるんでしょうね。
うん。
主張できるというか、こんなにできるよって。
なれるのか。なんか日本人がやっぱ、なんかうまいこと勉強の機会があっただけみたいな感覚でいるのとちょっと違うんでしょうね。
そうですよね。先生の教え方がよくて。
神様が自分に与えてくれたギフト、ものなのである。だから自分のものだから活用しなきゃいけないんだろうっていう。
そうそう、活用しなきゃいけないって。
売りさせたらダメだから。
売りさせたらダメだから。
そうそうそう。
ちょっとなんかね、初めからその考えだったら大変とは感じないだろうけど。
ね、なんか。
たまたまできたみたいな感覚だと、またできる時にやろうっていうくらいの感覚でのんびりしてるかもしれないけど。
無駄にさせちゃいけないっていう感覚。
そうですね。使い切らなきゃいけないんだよね。
常に木を燃やし切らないから。
そりゃあ働くわな。確かに。
働くと働かなきゃいけなくなるわな。金融の義務なんて書かなくても。
そうだね。
燃やし切らなきゃいけないもんね、もらったギフトをね。
燃やし切らなきゃいけないからね。
腐敗させてはいけないってすごいね。どのくらい残ってるかわかんないけど、その感覚が。
そうだね。今もそうなのかちょっとわかんないけど。
腐敗させちゃいけないってすごいよな。
循環の考え方
腐敗したらもう終わりなんでしょうね。腐敗したら土に帰るとかそういうのない?
あーそういうことか。そういうことか。
もう終わりなんだと思う。
そうだね。
腐敗してもなんかどっかに循環されて、誰かのとこ行くかもしれないしまた自分にも来るかもしれないしみたいな。
あーそうかそうかそうだね。一個ずつこの思想だもんな。
直線的思想ですもんね多分ね、西洋だって。東洋とかの循環思考じゃないからな。
腐敗したらおしまいなのか。
おしまいなんだと思う。
命を燃やし尽くさなきゃいけないんだねこれ。
そうね。
何もせんで終わっても次の世代が何とかするわとかじゃないんだねきっとね。人間の命も。
そうだね。
あーそうか。直線な感じなものが近代の日本に来て、そっちの方が確かにスピード上がるし、すごい成果も上げられそうだしと思って取り入れてたけど、
でも日本的な循環していくみたいな。
まあでもまたなんか後々いい感じに巡るよみたいなところを言い訳に使うと危うい感じ、後にツケを回す感じになりそう。
でも言っても80年持ってますからね。
持ったね。
いいとこ取りしたような気もするけどね。
いいとこ取りか。
いいとこ取りか。
じゃあ一旦全録ここまでにして。
全録ありがとうございました。
全録面白かったですよ。読んでみてやっぱ。
へー、へーって思った。
そうですね。これ所有権の次に。
ちょっと気になるのよ。気になる。私読んだの?読んだの?
読んでない。次付権かと思って。
付権って私初めて聞いて。
あー。
神が父であるみたいな感じですよね、きっと。すごい支配な感じ?
父親も母親も両方の権利があるんじゃないかみたいなことから書いてるから。
ってことはやっぱ男女の話行くの?みたいな。
そこそこ。
男女の話も見えて、ちょっと気にはなってるけど。
男女の話行くの?
そういうこと?急に?そうか。
もうちょっと概念的な感じに行くかと思って。
その方向性も不思議だったよね。
思いついた順かなとか。
思うね、確かにね。
この時代の人たち結構思いついた順に書いてそうって。
そんな感じがします。後半になっていきなり立法権と行政権出てくるんですね。
これでかみたいな。
もうちょっと読みたいと思います。ジョン・ロックありがとう。
ジョン・ロックありがとう。
次回へ続く。