2026-11-06 49:48

#141 なんか世界はもうちょっと広いらしい【Yale / UJA論文賞2027 Director 佐藤和貴さん 前編】

おたよりを送る

今回のゲストは、Yale大学 Associate Research Scientistでありながら、 UJA論文賞2027 Directorも務められる佐藤和貴さんをお迎えしました。 筑波大を選んだ不純な(?)動機、学生結婚、コロナで一度ホールドされた渡米計画、そして「助教からのポスドク留学」というキャリアパスについて伺いました。


🏆 11月のアメゴーは「UJA論文賞2027コラボ」 🥇

去年に引き続き、NAKAMURAも所属する、海外日本人研究者ネットワーク(UJA) が企画する「UJA論文賞」とのコラボで、この賞に関連したゲストをお迎えする1ヶ月です🙌


☑️ UJA論文賞2027 公募開始!応募期間:10月8日 - 11月30日

https://cheironinitiative.wixsite.com/uja-award


🗽トピック🗽 

・山形の港町から筑波大学農学部へ

・スモモの接ぎ木研究と、真面目に遊んだ大学生活 

・就活に遅れて医学系大学院へ 

・学生結婚と、家族での渡米をめぐる話し合い 

・コロナで一度ホールドされた渡米計画 

・PIになりたい——免疫から相分離(フェイズセパレーション)への分野転換 

・若手PIのラボを選んだ理由 

・家族4人での渡米


✏️参考✏️ 

・筑波大学 生物資源学類:農学部にあたる学類。農業だけでなく経済や工学など複数のコースを持つ。

 ・DNAM-1:免疫細胞の表面にある活性化受容体。ゲストが日本で機能解析していた分子。 

・フェイズセパレーション(相分離):タンパク質が配列に応じてギュッと集まったり拡散したりする現象。「膜のないオルガネラ」とも呼ばれる。膜上でもタンパクがクラスターを形成しうる。 

・Xiaolei Su研究室:2016年Science誌に発表された、T細胞受容体が相分離によって膜上にクラスターを形成することを示した論文のファーストオーサーが率いるラボ。


(2026年10月6日収録)


#アメゴー #佐藤和貴 #Yale #イエール大学 #ポスドク #留学 #免疫学 #フェイズセパレーション #相分離 #筑波大学 #山形 #理系キャリア #科学系ポッドキャスト


————


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★パーソナリティ ⁠⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠⁠

1994年生まれ、岐阜県出身、広島大学大学院にて博士後期課程修了。現在は、米国のサンフランシスコにある大学にて、ポスドク研究員として、循環器、再生関係の研究をしている。


★アシスタント・雑務 ⁠⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠⁠

★番組のX ⁠⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠⁠

★⁠⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠⁠

★ジングル:

⁠気分一新 (otologic様)⁠

⁠OP/EDジングル41 (t12ya様)⁠

感想

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サマリー

山形の港町で育った佐藤和貴さんは、交際相手を追う形で筑波大学の生物資源学類に進み、スモモの接ぎ木研究をしながらサークルや友人との時間を満喫した。就職活動に出遅れたことをきっかけに医学系大学院へ進み、免疫研究室でDNAM-1などの機能解析に取り組み、遊びと研究を両立しながら博士号を取得した。博士課程の途中から海外を意識していたが、学生結婚、妻の就労、子どもの誕生を踏まえ、まず日本でポスドクを続けてから渡米する道を選んだ。コロナで計画が一度止まった後、PIを目指す気持ちと新分野を学びたい意欲から、免疫と接続できるフェイズセパレーションを研究するラボを探した。2016年のScience論文でT細胞受容体の膜上クラスター形成を示した研究者のラボに着目し、現在の若手PIのもとで研究している。家族4人での渡米準備では、ビザの書類や住居だけでなく、居住地と結びつく子どもの学校選びに苦労し、現地の知人から情報を得た。到着時には妻の体調不良や子どもたちの戸惑いもあったが、ボスが車を手配するなど家族を歓迎してくれた。

山形から筑波大学へ進んだ理由
アメリカンナイトGOLD アメリカからこんばんはNAKAMURAです アシスタントのわらです
この番組ではアメリカ研究留学5年目を迎えた私NAKAMURAがゲストとお話しながらアメリカ 留学の魅力を再発見し大きなあなたに襲わせすることを目指しています
はいというわけで今日はのお聞きいただいた通りNAKAMURAさんの声が終わっているので インフルだったということで
はいなんでちょっとサポート多めでいこうと思うんですけどお願いします 今回の配信で配信ではゲストさんのあの研究者になる場合の話を前半に持ってきてるんですけど
大学時代の話をいろいろ聞いたんですよ覚えてますかね いや覚えてますよすげー遊び人だった
もうデタバラシするんだね いやいいけどどう遊び人だったっていうかねまたそこは内容を聞いてもらったらいいですけど
でインタビューしながら思ったんですけどあれNAKAMURAさんってどういう感じの学部生だったんだろうって
服のイメージだとミスドのイメージとあと常に女の子がいる いやそんなことないっすよ
違ったっけ いやまぁそれ付き合ってる人がいたと思いますけど
けど 基本男の友達と遊んでましたね
なるほどね やっぱりなんか
そのアメゴーでよくあるのがさそのゲストさんも言ってたけどさ 1年生からラボ行ってみたいな人結構多かったりするじゃんか
うんいたいた NAKAMURAがどうだったのそういうの
僕も何にもやってないです ただ1年生の頃なんで
飲み歩いてはいないですけどもあのみんなと楽しく遊んでました 飲み歩いたのねつまり
いやいやいやいないですよ その広島最上はねあの首都って呼ばれる酒の都って書いて首都なんですけど
非常に美味しい日本酒がたくさんあるので 本当その大学3年生からですねはいすごい楽しんでました
おっけー ってことはさじゃあ何かサークルとかそのミスドのバイトとか何かそういうのを中心に打ち込んでたの
なんか最初バイトじゃないや部活とかしようかなと思ったんですけど 僕バレーボールやって部活だとちょっとガチすぎたんですね
あーなるほどね でサークルだとちょっと
遊びすぎた なるほど なんでちょっとそういうスポーツ系はやめてといってもなんか
学部理学部だったんですけど理学部でオリエンテーションキャンプ的なのがあって 一番初めとかにあるやつだよね
そうそうそうそれでなんか毎週2回とか2、3回その後輩たちと一緒に
まあパーティーするとか っていうのがまあいわゆる宅
宅飲み 宅飲みですよね 宅飲みしてて
それはその後輩たちとする宅飲みで同級生とかするのはほぼ毎日宅飲みをしてて なんかそのオリエンテーションキャンプの
何パン20パンぐらいあるんですけど理学部全体なんでもう本当数百人のレベルなんで そんないっぱいいるんだ
はいでそこの一応班長みたいなのをやってて 急になんか学知家みたいだったけど
いいよ別にどうでも それはただ飲み歩いてただけ 飲み騒いでまあ飲み歩いてました
1年はずっと 勉強もしてないです
gpaとか酷いもんだった記憶ありますけどね ああそうなんだからとりあえず新級に関わる単位だけ取ってみたいな
最低限取ってみたいな まあ一夜漬けでなんとかなるレベルであったんで
壊滅的ではなかったんですけど でも教職を取ったんだったっけ君
取りました取りました あんなの楽勝して記憶するだけなんで
そうなの? まあそういうなんか学問を勉強する分にはもうなりなかった
なるほどね 教育実習も楽しかったしね
ああそうなんだ だから遊びつつも授業はちゃんと参加してたね
授業休んだことはありそうだな 朝の授業は苦しかったね起きれなかったからね
ただ朝苦手なのに2日酔いでね何もできない だから要は一人暮らし始めたクソ大学生だったってことですね
そうですね ただ楽しんでたっていう
研究なんてまともに始めたら多分4年生の時ですよ
まあ配属されてからってことなんですね
それまではマジで勉強もしてない 全く
まあじゃあその辺のNAKAMURAさんの背景と合わせて今回のゲストさんの学部時代の背景とかも比較しながら
そうだね研究者ってどういう過去を持っているのかっていうので
聞いていきましょう
今月11月は昨年に引き続いてこちらのマンスリーテーマ
UJA論文賞2027コラボ
昨年に引き続きNAKAMURAさんも所属する海外日本人研究者ネットワークUJAが企画するUJA論文賞とのコラボで
このショーに関連したゲストをお迎えする1ヶ月になります
まず第1週2週目のゲストはイエル大学の佐藤さんをお迎えします
アメリカンナイトGOLDこのエピソードは海外日本人研究者ネットワークUJAの応援で
アメリカコネチカット州ニューヘイブンとカリフォルニア州サンフランシスコをつないでお送りします
今週もよろしくお願いします
アメリカンナイトGOLD
改めましてNAKAMURAです
それでは今回のゲストをお迎えします佐藤さんです
よろしくお願いします
どうも佐藤ですよろしくお願いします
簡単に自己紹介をお願いします
出身は山形ですね山形の庄内地方っていう海沿いの港町の方ですね
庄内平野とか米所ですね
教科書に出てくると思います
そこで普通に18年間を過ごし
そこから茨城県にある筑波大学っていうところで生物資源学類っていう農学部なんですけど
そこに入学ですね
そこから大学院はちょっと医学系の方に移って
そこで修士と博士を取ってですね
それは免疫の研究室だったんですけど
渋谷明先生とこの研究室で
博士号まで取ってそこからそのまま
子育女教とやって経営たぶん10年ぐらいいました
そうなんですねだいぶ先輩になるんじゃん
えっそうですか
あれNAKAMURAさんは
94年なんで
そうかえっと僕が89で
早生まれの89なんで
僕ギリギリ平成元年生まれ
おお
ギリギリ平成
昭和64年じゃない63年じゃないっていう
そこからなんで2017年に学位取って
で2022年にこっちイエールですね
アメリカの東海岸の方に来て
で今20264年5年目か5年目になりました
留学は一緒っすね僕も22年に来たんで
ほんとっすか
僕は春に来ましたね
じゃあ先輩っすね
ほぼほぼ一緒なんですか
ほぼ一緒っすね
コロナ終わったぐらいっすよね
まさにコロナが開けてやっと
いろいろ動き出したなっていう感じのところですね
日本ではまだ全然コロナでしたね
まあ確かに
PCR検査とか出しましたもんね
やりましたもう子供が泣きじゃくって大変でした
あーそうか
鼻に棒突っ込まれて
あの親しみはまだ残ってますね
かわいそうだなと思いながら
確かに確かに
結構つく場合でかいっすか
そうですねいやそうなんすよね
だから
結構好きっす
やっぱり山形
冬晴れないんですよ
日本海側って
あー
冬がずっと晴れなくて
で海平洋側ってむっちゃ晴れるじゃないですか
はいはいはい
そうなんですね山形ってそうなんですか
そうそうそうそう
日本海側とりあえず特に東北地方は
ほぼほぼ曇りで
雪が降ってるちょっとどんよりした感じなんで
冬は関東が好きです
そもそもつくば大学選んだ理由ってあるんですか
山形
山形だったら東北大とか
他にもありますけど
いやほんとそうっすよね
これはちょっと恥ずかしい話になるんですけど
当時お付き合いしていた
方が
つくば大に行くって言って
じゃあ俺も行くかなって
言って
つくば大を選びました
高校生の時っすか
高3の時っす
すごいだから不純もいいところっていうか
それ続いたんすか
いや大学1年生の夏に
免許合宿にみんな行くじゃないですか
そこで
電話で振られて
ロビーで泣き晴らし
みんなで慰めていただいたことを
覚えてます
めちゃめちゃ漫画とかであるやつっすね
いやだからなんか
よくこういうポッドキャストとかに
出る人って
大学に行ったらまず研究室
学部生の頃から
研究室に行ってみたいな
いうキラキラエピソード
よく聞いてるんですけど
そんなことは全くなく
ただただ不純な動機で
大学に行って
そしてすぐに知られ
スモモの接ぎ木研究と大学生活
研究室に行こうなんて一回も思ったことない
そうなんですね
農学部だったらなんか
農業好きとかそういう気持ちがあったんじゃないですか
いや本当にこれは
ちょっとこれ共感していただけるか
わかんないですけど
田舎の高校生が
大学に行く理由って
なんか僕個人の話をすれば
なんとなく
大学4年間遊べるらしいぞ
ぐらいの感覚でした
え、筑波大農学部って都会っすか
いや田舎
まあ田舎、土田かではないですけど
地方都市って感じ
一応東京まで電車で
1時間弱ぐらい
じゃあ遊びに行けますね
僕は両親も別に大学
出てないんで
大学で何をするかとか
いうことの
知識もなければイメージもないし
誰も教えてくれない
って感じでしたね
じゃあ結構不純な理由で
いやもう不純な理由ですし
農学部を選んだ理由も
あれですね
実家が農家をやってたんで
実家っていうのは母方の実家が
それでまあなんとなくみたいな
本当になんとなくで選んだ
そこから今となったら研究者に
しかも農業全然関係ないってないんですけど
いやわかんないもんすよね
農学部って卒研みたいなやつあるんですか
いやありますよ
筑波大学の生物資源学類はちょっと
農学部の中でも農業だけではなくて
その中にその
研究を一生懸命やるコースもあれば
農業周りの経済をやるコースもあれば
工学をやるコースもあれば
本当に農業をちゃんとやるコースもある
っていう
そこから
じゃあ結構広いですね
変わった広めです
それで僕は3年生の時に
農業コースを選んだんですよ
はいはい
当時大学生の頃は
基本的にはもう
サークル活動
でバイト
店を出した
大学生
大学生らしい大学生
大学生ライフを
エンジョイしてたので
研究をするっていう
マインドに全くなかったので
研究っぽいこと
じゃないところに行こうかな
っていうことで
農業であれば日中畑に出て
それ以外はゆっくりかなっていうことで
農業コースを選んだんですね
そこで3年からか
一応卒権はあるんですよ
何の研究になるんですか
これが
記憶を
掘ると
果樹ですね
スモモ
だったと思うんですけど
スモモを
継ぎ木ですか
継ぎ木をして
継ぎ木をした後に
枝をこう
特定の角度に固定して
いくと
その後に
つぼみの出来方が
角度によってどう変わるかみたいなのを
測った気がします
それ一発しか出来ないですよね
そうですねM1です
しかもワンシーズン
ワンシーズン一発
ワンシーズン
なので非常にのんびりとした
楽しんだ
学部生活を送った感じですね
いやもう本当に
別にそのつぼみがつくのって
本当に
一回こっきりというか
それ以外の時間は友達の
畑手伝ったり
研究室でお茶飲んだり
僕の大学生活
すごい楽しかったなっていう
全然苦しい思い出とか
ない
でも多分佐藤さんの年代だと
3年生の冬場とかから就活じゃないですか
うわー
確かに
結果的には大学院行かれてるじゃないですか
いつどのタイミングで
大学院になったんですか
すごいっすね
就活の遅れから医学系大学院へ
なんか事前に打ち合わせした感のような気がするんですけど
俺が
大学
そうなんですよね
就職活動もあんまりやる気が
なくて
一生懸命毎日を生きてたんで
4年生の
5月ぐらいに始めたんですよ
遅いなもう終わってるじゃないですか
結論で言うと終わってたっていう
そうなんです
なので
ちょっとやばいぞってなって
一応理系だなと思って
一応理系だと
研究っていうものがどうやらあるらしい
そういう世界が
そのまま別に
農学部の中の
理系の研究室に行っても良かったんですけど
なんとなく
新しいことやりたいなっていう
謎の好奇心があって
で
医学部を見始めたんですね
急に飛びますね
そうっすよね
すももから
それはなんか本当に
なんでかって言われたら
ちょっとわかんないですよね
かっこいいからっすかね
多分本当にそうっす
かっこいいぞっていう
筑波はそのままだったんですか
筑波以外もいろいろ考えてたんですか
いやもう
なんていうか真面目に勉強をしてない
ってことはつまり
範囲もボロボロなわけですよ
もうあの
他の大学になんていうか
行って
先生方に見てもらうような
成績ではなかったんで
もうCが並んでるみたい
もうまずいな
ギリギリ取って
なんとか同じ大学だからって
恩情狙いで
行くしかなかったっすね
すごいなけどなんか
それはもうノリなんですね
ノリでとりあえず研究やってみようみたいな感じなんすね
そうですねそれは
そうとしか言いようがないっすね
終始とりあえず終始ですもんね
そうでとりあえず終始を
その夏に試験があったんで
で
その前にやっぱり
研究室にどうやら挨拶に行かなきゃいけないというか
確かに確かに
らしいらしいっていう
で
でその
医学部のパンフレット見るわけじゃないですか
で研究室の名前が並んでるわけですよ
もう7割
何書いてるかわかんない
名前がその
病理とか書かれても
わかんないっていう
確かに確かに
でその中で唯一輝いて見えたというか
すって入ってきたのが免疫っていう単語
まあ
確かにまあ短っちゃ短っすもんね
これは知ってるっていう
そこで
基礎の免疫と臨床の免疫に会ったんですけど
どっちにも行って
で
基礎の免疫の先生が渋谷明先生っていう先生と
会った時に
僕は本当に知識ゼロで
行ったんで
でそういう人珍しいじゃないですか
まあ確かに
なんなんだっていうので
おそらく面白がってくれたんでしょうね
で割と話も弾んで
ちょっと何話したかよく覚えてないんですけど
研究の話できないですもんね
できません
一切できない
結構喋ったんですよ
1時間
1秒喋ったんですよね2人で
何喋ったんだろう
僕行きますって言って
結構ウェルカムだったんですね
そうだと
演じたいんですけど
これもまたちょっと
黒歴史ではあるんですけど
そこ8月に試験を受けるじゃないですか
でまあ合格すると
で次の年の4月から
ラボ生活がスタートするわけですけど
いかんせん僕の知識はなさすぎたんで
毎週
水曜日の朝
8時か8時半ぐらいから
教科書の臨読会を
やってると
へーそんなんだ なるほどと
そうそううちのラボすごい教育熱心で
教職員の一部と
学生全員応募全員が集まって
その英語の教科書
英語の免疫の教科書を
1週間でちょっとずつ
読み進めていくっていう会をやってたんですね
そこに読んでもらったんすよ
まだ研究室に入る前から
でも僕は
堕落しきった生活を
送ってたんで
まあ遅刻はするはいかないわ
っていう
入る前から
問題児みたいな
でも合格はしちゃってるってことですね
いや合格しちゃってる
そうです
なので
4月に入った瞬間に
一発目は当時の
D4の先輩から
説教されるっていうところから
スタートしたんです
お前やる気あるのかみたいな
ちょっとお前入れ替えないと
ダメだぞっていうところからですね
いい先輩っすね
非常に頭が上がらない素晴らしい先輩でした
でも当時
当時でもその話を伺ってると
ちょっと失礼な言い方かもしれないんですけど
研究へのモチベーション高そうには思えないんですけど
いやないないない
ゼロゼロゼロゼロです
あるわけないじゃないですか
で先輩なんかそんなこと言われたら
ダリーなってなりそうな気はするんですけど
ちゃんとそっから生活直ったんですか
でもなんかその
好奇心はあるんですよ
触れたことのない世界に対して
無駄な憧れ
というか
なんかつまり新しいことを
面白がれる性格なので
始まったら始まったら
多分非常に真面目に
やっていたんじゃないかなと思います
飲み会の次行き来れないとかは
全然ありますけど
つかよいで無理
みたいな
なんか雑種子って感じですね
そうですね
博士課程と海外留学への思い
そっから博士行くっていうのがなんか
信じられないかな
雑種子の学生ってまあなんか
就職のために雑種子行くじゃないですか
はい
そうなんですよ
2年間じゃないですか就職って
何もできないなとは思ったんで
確かに確かにまあそうですね
なので就職に入る段階で博士に行こうとは思ってましたね
そうなんですね
じゃあ研究好きじゃないですか
うーんなんか
そう言われると
でも当時はそう思ったんですよね
2年間だけやって
2年間も2年間じゃないじゃないですか
ほぼ1年ですね
生活が1年の終わりに始まるんで
いやさすがに何もできないだろうと思って
いやさすがにそれは
なんていうか
まあ受け入れる側としても
いい迷惑じゃないですか
まあまあ確かに
押せたのに一瞬で出ていくとか
ちょっとやめてほしいよ
それはまあなんかギリ落とそうじゃないですけど
いやなので
博士は出るまでやろうと思ってましたね
結構その覚悟って
すぐ固まったもんですか
5年間いなくちゃいけないっていう風に
思わなかったですか
いや当時は
何も考えてなかったんで思わなかった
とりあえずとりあえずやってみっかっていう
はいいやもう本当に
やるしかねえと思ってたんで
こんな俺を拾ってくれてありがとうぐらいの気持ちで
ギリを通したわけですね
まあそうですね
そうですそうですなので
モチベーションって言われると確かに
当時は
すごいですねそこからなんか
真面目に博士
だらくしきったところから
博士てしっかり研究するっていう
いや確かに本当そうですね
そこなんかあったんですか天気みたいな
いや
なんだろうな天気は
大学時代も別に
だらだらしてたというよりは
一生懸命遊んでました
真面目に遊んでましたね
真面目に
ちゃんとビリヤードをしてダーツを押し
お酒を飲み
大学生だな
それが
研究にたらたら置き換わった
っていうだけで
興味あるものが変わったってことですね
そうですねそうですね
お二人の出身がわかんないですけど
山形って想像以上に何もないんですよ
ボーリングとか
ボーリングは流石にありますよ
流石にあります
高校生の時って
僕スマホもなかったんですよ
そうですねガラケーですね
たぶんその時代
ガラケースガラケース
外の情報が何も入ってこない
なので
大学で目に入るものは
全て新しい
しかもそうか都会だもんな
そう都会
東京ディズニーランド知ってえと思った
確かに一大旅行ですもんね
田舎からディズニーランドなんで
たぶん俺
1回いや修学旅行
合わせても3回ぐらいしか行ってないです
うんたぶん僕も1,2回しか行ってないですね
うん
そしたらもうなんかいつでも行けるぞみたいになって
なのでちゃんと4年間遊んで
でそこでやっぱ
ちょっと飽きたまあたぶん飽きたんでしょうね遊ぶことに
逆に良かったのかもしれないですね
遊びきった
そうだと思います
じゃあ研究者
博士課程とかめっちゃ忙しいと思いますけど
その時はあんま遊ばず
ずっと実験すか
実験はしてましたけど
遊んでもいましたね
へえ
土日も遊んでましたし
結構まあパワフルな
そうですねなのでメンタルが崩れる
と思ったことはないですね
ああだからもう研究やめようかな
みたいな
みたいなのもないっす
リリースする時があったんですか
遊びでまあとりあえずストレス発散して
そうですねあの
結構実験で基本うまくいかないじゃないですか
そうですねほぼほぼ
なので割と
楽しい予定を先に追い付いて
ああなるほど
それを目標に頑張るみたいな
別に意識してやってたわけじゃないけど
今振り返って思うと
それがあってたぶん
耐え切れたんじゃないかっていう風に思います
だからそっから博士
博士号取って
17年ですか2017年
そうそう17年です
まだコロナじゃないからそっから
海外直で行こうかなと思わなかったですか
ああそうなんすよね
それは
確かに結構思ってて
というか海外には
博士課程の途中ぐらいから
行きたいなと思ってたんですよ
それももちろん
動機は矛盾な動機で
もちろん
あのなんか
当時
僕は就職の時か博士の時か
ちょっと覚えてないですけど
旅系ユーチューバーじゃない旅系ブロガー
みたいなのが流行ってたんですよ
それもなんか友達が
僕の友達が世界一周に行くって言って
へえ
それの繋がりで
こういう旅をしている大学生がいるっていうので
すごいそのブログを結構
読み漁った時期があって
なんかどうやら世界が広いぞって
なんか山形から
茨城に出てきて
すげえと思ってたけど
もうちょっと広いらしいっていうことに
そこで気づくんですよ
そうなので
なんか
日本の外に出てみてもいいなっていうのは
博士課程の途中では
思ってました
へえ
で直接行ってもよかったんですよ
ただ当時
お付き合いしてた彼女が
ちょっと付き合ってんだ
博士2年の時には
1年生の時に
奥さんになってて
学生結婚ですね
向こうはもう
大学出てすぐ働いてたんで
僕だけ学生で向こうは社会人っていう感じで
だったんですけど
僕が大学
博士課程4年目
最後の年に
妊娠が分かって
それでこう
どうしようかってなった時に
さすがにポストトラクテは
日本でしたいと
言ったし
もうちょっと働きたいなっていう風に向こうが言ってて
いやそりゃそうだよなと思って
確かに確かに
で僕の博士課程であった仕事も
まだもうちょっとかかりそうだっていうので
じゃあしばらく
日本でポストトラクテをして
その後
海外行くみたいな
ていうことで一応
残るってことを決めました
その後
女教だったんですね
それ同じラボで女教ですか
同じラボで女教です
よかったですね気に入られてたんですね
いや多分うちのラボだと
あんまり珍しくなくて
割とみんな
医学部のラボだと
割とあるあるな
気がします
お二人のところはそうじゃなかったですか
あるはありますけど
本当なんか
選ばれしというか
残ってる人みたいな
なるほど
それ以外の人は
追い出されるってことですか
追い出されるというか
どっか見つけるっていうのがたぶん正しいですかね
他のところに出ちゃうっていう
なるほどなるほど
あまり僕ら
僕がいたところに関しては
アカデミックにそもそも残んない人が
多かったですね
だからみんなインダストリーに
行っちゃうみたいな
そこって迷いませんでしたインダストリー
行くか就職するかみたいな
ところって
その時は海外を夢見てたんで
インダストリーで海外
行くのはちょっと難しい
難しいということだったんで
結構競争がある
どうやったらさ
おそろくはなんか頑張ったら
普通に行けるらしい
確かにそう
確かにそう
じゃあ
ポストドックでいいかっていう
海外歩きでポストドック選ばれてるんですね
そうです
じゃあそのまま博士で女教をやって
ずっと海外行きたいなみたいな
思ってたんですか
日本でPIでもいいじゃないですか
女教で純教で
教授みたいな
別になので
僕はなんていうか
割と仕事は大事だけど
プライベートも
大事っていうタイプなんで
海外に行きたい欲が結構あって
日本でっていうのは
あんまりないですね
今はまたちょっと違いますけど
当時は外を見てましたね
お子さんがちょっとでかくなってから
海外に行こうって
でかくなってからの方が海外行くの大変そうなイメージがあるんですけど
僕は
あんまり子供のことは
考えてなくて
どっちかっていうと奥さんが
一段落できるぐらいまで
働いたって言えたら
海外行けるかなっていう
それはどういう話し合いを経たんですか
なんかちゃんとした話し合いをした
覚えはないんですけど
毎年海外行こうぜみたいな
いやいやいや
こいつ海外行きてんだなって思わせるっていう
でご存知
コロナ後のラボ探しとPI志向
コロナが直撃してるじゃないですか
確かにそうか
そこでその一旦
いろいろ
いろいろ考えたけど一旦リセットするじゃないですか
そうですね
2,3年そこでホールドして
もうなんか一体世界は果たして
本当に元に戻るのかみたいな
確かに確かに
そのタイミングで
なのですぐには2017年
卒業してコロナが
2020年とかですよね
全然行けたんですけど
行こうと思えば
ちょっと
二の足を踏んだとかですかね
けどコロナが
開けたから海外行くか
みたいな感じですか
そうですね論文もちょうど出たんですよ
なんか一本
なので
行かない理由がないなっていうところで
で
ラボ探しをなので
2021年から始めて
ですね
その免疫を今まで
多分大学院と
除去の時やってらっしゃったんですね
でそこからポストクってなったら
なんかどういう観点で
探していったんですか
そうですねで
もうその当時は
割と海外に
行きたいっていう気持ちプラス
PIになりたいっていう
気持ちも結構出てきてて
っていうのも
もうなんか誰かの下で働くのやだな
って
まあまあ確かにですね
こうやりたいって言ったら
それはダメだとか言われるともうやだなと思って
もういいとしてしてるし
自分でやりたいこと
やりたいと思って
なので日本に
一旦外に出て
帰ってくるにしろ向こうにいるにしろ
まあその
PIポジションを探す
っていうのはもう絶対にあって
でそうなった時に
どういう
次の研究分野
海外で何を研究するか
分野を考える時はそこを結構重視しました
なるほど
当時の免疫っていう
自分の強みに加えて何を
勉強して学んだら
独立しやすいかとか
魅力的に思ってもらえるか
みたいなのは結構
意識して探しましたね
それを踏まえて
で基本アメリカだったんですか
それとも別にヨーロッパとか
ヨーロッパは
ちょっと外しました
へえ
っていうのはこれは僕の
ステレオタイプなのかもしれない
ですけど
コロナ中
特にだったと思うんですけど
わりとアジア人に対するヘイトが
世界的に高まってた
時期だと思ったんですよね
で
僕が
見てた感じだと
アメリカももちろんそうですけど
ヨーロッパの方が
その傾向が強い
印象があったんで
別に僕が言われる分には
なんちゃことないんですけど
さすがに家族連れて行くし
確かに
なんなら子供も現地港に放り込むし
できるだけ
そういうのがないところがいいなっていうので
アメリカでした
へえ
免疫とフェイズセパレーション
今のこのイエールの
ラボシャオレイスですか
は何かきっかけとかあったんですか
学会だったとか
ああそういうのはなかったですね
結局自分が何を
海外で学びたいかってなった時に
いろいろ
選択肢はあったんですけど
その中で結局最後に一つ絞ったのが
総分離っていうフィールドだったんですね
フェイズセパレーション
そうですフェイズセパレーション
総分離
それと免疫と関係あるんですか
それで
どのぐらい
ご存知ですかフェイズセパレーションとかって
僕の中では
DNAとかがギュって集まるっていう
オイルの中に
集まっていくみたいな感じのイメージがあるんですけど
それで
免疫と総分離の
関係がちょっと分かんないですね
でもそれって別に
どの細胞でもそうですよね
今言ってくれたような
転写領域に
転写因子がくっつくことで
エンハンサリング
くっつくことで
そこに凝集
とフェイズセパレーションした
タンパクの集合体ができて
転写活性が爆発的で
上がるっていうようなのは
どの細胞でも
起こること
非常にファンダメンタルな現象だと思います
多分細胞を選ばない
なんでその
免疫と総分離を
なんで
僕が大学院の時
ポスト6の時も含めて
こっち日本でやってた
仕事っていうのは
主にT細胞
厳密に言うと
制御性T細胞っていう
細胞の
強刺激分子
コスミュラトリーモレキュールの
機能解析をやってたんです
ほう
それとはどういう
なので簡単に言うと
活性化需要体ですね
免疫細胞の上に出てる
活性化需要体が
どういう機能を持ってるかっていうような
ことをナウスで
解析をしてたんですけど
この活性化需要体
っていうものは
いろんな細胞に発現してるんですね
Tレグだけじゃなくて
キラーT細胞だったりヘルパーT細胞だったり
発現してたんですけど
キラーT細胞の場合は結構綺麗に
活性化需要体としての
シグナル連達っていうものが
綺麗に見えるんです
ナチュラルキラー細胞もそうっすね
でもこれがTレグだと
見れなくて
進まないんですかカスケードが
そうですねシグナル連達
ドメインがなくても機能が見れた
結局何をしてたかっていうと
そのカウンターパートが
あるんですよ活性化需要体に対して
抑制性需要体
抑制性需要体っていうのは
チェックポイントモニュピューとしても知られてますけど
PD-1とかPD-L-1
あれがその自分が
研究してた
DNAM-1っていう分子に対して
同じ分子を認識する
抑制性需要体があって
どうやらTレグ上においては
僕が見てた
分子っていうのは
そのカウンターパートを
抑制するっていう
働きをしてる主にしてるっていう
なので本来
発見されたときは
活性化需要体として知られてたのに
なぜか
その細胞を変えると
その機能の見え方が違うっていうところに
面白さが
あるんですけど
同時に割と
フラストレーションもあって
まあそうっすよね
多いっていう
確かにそう
なんでだよっていう
簡単に終わる実験
じゃないっすもんね、研究じゃなさそうですね
そうなんすよ
でもそういうのは往々にして
あるじゃないですか
我々はよくそういうときにディスカッションで
細胞が違うし
細胞の状態が違うし
まあこれはフューチャーに
ちょっと取っとこうかみたいな
でもちょっとそこ
なんか嫌だな、嫌だなというか
そこがまあ面白いなと思って
そこでその層分離っていう
ところを
一つのそれに対する
答えの一つとして
検証できたら面白いな
っていうのも層分離っていうのは
まあいろんなタンパクが
細胞質の中にあって
それが
そのタンパクの持つ配列によって
ここにぎゅっと
集まる
もしくは拡散するっていうのが
まあ本質なんですけど
よく膜のないオルガネラ
なんていうふうにも言われますね
なので必要なときだけ
タンパクが集まって必要じゃないときは
集まらない
非常にその
不安定で
一過性の現象なんです
なんかメンブレンタンパクと
層分離ってあんまりなんか
関係なさそうなイメージがあるんですけど
これはでも膜でも
同じようなことが起こっていて
っていうのもちょっと
皆さんのイメージはわかんないですけど膜っていうのは
非常に流動的なんです
あそこでずっとタンパクが
一過性に留まっていることはほぼほぼありなくて
常にこう膜の中を
泳いでいるような状態なんですね
なので特定の条件を
揃えてあげればタンパクが
その細胞質と同じように
三神経空間と同じように
二次元という膜の中で
クラスターを形成するっていうことは
十分になる
でこれを
初めて
フィジオロジカルな文脈で
証明したのが
マイクルーゼン博士と
ロンベール博士っていう
2人のラストオーサーの
論文が2016年の
サイエンスで
それがTCRだった
T細胞需要帯ですね
T細胞需要帯が
フェイズセパレーションの文脈で
膜上でクラスターを形成し
かつそれが
生理的に重要だっていうのを示した論文が
初めてそこで
若手PIのラボを選んだ理由
で今のボスは
その論文のファーストオーサーなんです
おーなるほど
それで知ってたわけですね
知ってたというか
いろんなどの分野に
進もうかなって考えてる中で
僕の中でフェイズセパレーション1個
ヒットしてその論文に
たどり着いたって感じですね
じゃあ結構まだ若手
まだ若いですね
40ちょっとですね
そうですよね
僕とあんま年変わんない
確かに
独立って考えてたわけじゃないですか
そしたらなんか
もっとシニアのところに
行った方がイメージが勝手にあるんですけど
そこはなんか考え変わったんですか
それはコネクションっていう
コネクションもそうですし
やっぱりそのPIに育てる
力っていうのはやっぱり若いとやっぱり
経験がないので
そこら辺で年老いてるとやっぱり
そういうPIを自分のラボから
配置する機会もたくさんあるので
そういう点ではやっぱり
シニアのところに行った方がいいのかな
っていうイメージがあるんですけど
僕の中では
何か教えてもらおうというよりは
何を学ぶかっていうことの方が
非常に重要で
なのでたまたま若手
PIのところに来ましたけど
フェイズセパレーションを
そのタンパク質を
使ってやってるところであれば
どこでもよかったんです
それって当時
今もそんなに多くないですけど
当時アメリカで
根気で探そうとすると
2つしかなくて
もっと若手PIのラボは
もう2つぐらいあった
論文すら出てないぐらいの
若手PIで
なので2つ候補があって
1つは今のシャオレース
もう1つは
さっき言った論文のラストオーサンのラボですね
かなりシニアのラボ
なので2つ送って
そのシニアの方からは
多分数時間で
今スペースないわごめん
って言って
今のボスはここで
ズームしようって言って
でもそこ
2個だけですか出したの
結構チャレンジングっすね
そうっすか
そうでもないんか
日本である程度研究やってるから
関係ないですかね
あとなんかもう1個チャレンジングだなって思ってしまったのは
日本で
その筑波の除去にいられる期間って
お尻ってあったんですか
いつまでに出ないといけないみたいな
雇い止めってありましたよね
そう5年ルールみたいなやつですよね
そうです
なのでちょうど5年経った感じですね
2017年からポストドックとして入ってて
あれは多分
ポジションが変わったとしても
そのルールは継続されたはずなんで
なるほど
もともとのラボにはそもそも
入れなかったっていうのはあります
タイミングも良かったんですね
それでこの第一産協の
フェローシップとかも取られて
行ってるわけですけど
これは何かやっぱそうやって取って来い
とかって言われたんですか
いや言われなかったっすよ
言われなかったですけど
あったら嬉しいっすよね
まあ確かに確かに
もちろん
嫌がる人いないと思うんで
そういう意味では
えっとどこだっけな
上原第一産協あと内藤
あたりは出しましたね
僕はもうあの学位を取ってから
4年ぐらい経ってたんで
海外学者は出せなかったんです
あそこから4年か
あまあそうか逆に財団系は
留学1年目とかっすもんね
そうですそうです財団系の方は
ちょっと緩くてなので出せるところ
もう何個か出したのかな
でもまあ3つ4つですね出しました
あと東洋望とか
アステラスとかぐらいですよね
はいでまあいくつか
運よく引っかかってくれましたね
はい
家族4人での渡米準備と到着
それで実際結構なんか
アメリカに家族で
移動するのって大変なイメージ
あるんですけど実際どうでしたか
イメージ通りです
大変っすか大変っすよね
そうですねなんというか
準備に費やした時間の
9割ぐらいは
家族のためって感じ
何が一番大変っすか
その移動
いや移動ってそれは移動って飛行機に乗るとかですか
その移行
移行ですよね
そうそう家とか
メモ帳とかいろいろあるじゃないですか
ビザとかなんかそういう
それこそなのでビザは
書類が単純に4倍に増える
っていう当時娘が
2人いたんで4人家族だったんですけど
1人でいいところ
それかける4
っていうのでシンプルに大変
でもそれは別に
別にどうてことなくて
やっぱ一番大変だなと思ったのは
家探しっすかね
アメリカって
家探しイコール学校探し
なんですよ
そうか確かに
住んでる場所によって学校が決まるんで
なのでそこだけはかなり
気を使いましたね
それってどうやって情報をもらえるんですか
だってもう日本人とかにコンタクトして
みたいな感じですか
じゃあやっぱ大事っすねコミュニティ
いやめっちゃ大事
別にそこにコミュニティがあるかないかは
さておき
自分からきちんとベンツの人に
コンタクトを取るっていうのは
特に家族がいる人であれば
やれって感じっす
もうやったほうがいいとかじゃないっすね
お前が父親もしくは母親なんだったら
やらなきゃいけないと思います
確かに確かに
最初にコンタクト取った方はどう見つけたんですか
その時は
イエールなんですけど
何人かやっぱいるんですよね
知り合いの知り合いみたいな人が
なので
そこを使いましたね
コンタクトを取って
別にその人に家族がいるいないは
関わらずコンタクトを取って
そうすると当然
もっとふさわしい人に
つなぎ直してくれるじゃん
結局知り合いごと知っている人に
コンタクト取って
本当にサポートしてもらった
ここに住むとこういう学校があってみたいな
そこはネットにも情報はもちろん
転がってますけど
もちろん古いっていうのもありますし
ちょうどコロナも
明けたところだったんで
いろいろ変わってますし
やっぱりその
現地の今の情報を聞くっていう意味では
入り口はなくても
そこはちゃんと
聞きに行かなきゃいけないと
なので
自分の研究の準備とか
行こうとかも別に
片手間じゃないですけど
そんなもんは
10年も研究してたらできる
確かに確かに
ただその
家族を連れての
国外への引っ越しはちょっと初めましてだったんで
そこに時間は
ちょっと費やした感じです
実際その家族が4人で
アメリカ着くわけじゃないですか
飛行機乗って
どうでしたその4人で着いたときに
佐藤さんはそれ嬉しいと思いますけど
やっと来たアメリカって感じだと思いますけど
ご家族の反応がね
ご家族はどんな感じでした
まあ子供2人は
よくわからない
よくわかってないですよね
5歳と3歳だったんで
で妻はなんかそのとき
ちょうど
降り立ったJSKだったんですけど
ジョン・F・ケンリークーボー
降り立ったときはなんか具合が悪かったんですよね
体調崩してて
でももうなんか
それどころじゃないみたいな
アメリカとか
行ってる場合じゃないっていう
アメリカとかを満喫するとかじゃなかった
逆によかったのが
欲しいですね
多分これ当時
なんか当時知らなかったというか
まあ着いてからしばらく
経ってからあそうだったんだと思ったんですけど
うちの
ボスが非常に
優しくてですね
愛に溢れた方で
空港まで
ハリア?リムジ?
なんか車を手渡してくれてたんですよ
僕それが
普通だと思ったんですよ
いやそんなのないっすよ
あそうなんだと思った
初めて聞いた
そんなのあるんだ
ボスが迎えに来てくれるとかはあると思うんですけど
はいはいはい
車手配は初めて聞いたな
車手配してくれたんですよね
多分500ドルぐらいだったな
めちゃウェルカムされてますね
めちゃウェルカムしてくれて
で
最初
そこでだから初めて
タクシードライバーに電話して
もう
何言ってるかなんか分かんないわけですよ
確かに
なんか1ミニって聞こえて
1分でお前来いみたいな
行くぞって言って
だからもう子供たちは
もう訳分かってないし
妻はちょっと具合悪そうだし
行くぞって言って
お荷物持って
移動したとかっていうのを覚えてます
というわけで今回は
佐藤さんがイエールで海外の
ポストクになるまでについて伺ってきました
そうですね
僕らの周りで除去から
ポストクになっている人って
たまにいるんですけど
実際どういう風になったかっていうのは
ちょっと真面目に聞いたのは初めてだったんで
こういうキャリア選択もあるんだな
っていうのは思いました
タイミング的にも多分そこが一番
そこしかないんですよね多分
もし海外に行こうと思ったら
一回除去になって
殉教になっちゃったら多分
苦しいですよね
殉教になってから行った人は聞いたことない
マティカルドケースは増えてますけど
なかなか難しいですよねタイミングが
そこが一つの
だから日本で除去やっても
海外でポストク
行けるんだなっていうのを知れて
そういう選択肢もあるんだなっていうのはちょっと
思いました
医者だといっぱいいますね
医学部だとまた話が変わってくる
医学部だと結構います
なので結構説明に困ります
同僚に
お前除去だったのみたいな
ちょっと待てよみたいな
いや違うんだよこれは違うんだ
って言って
説明がめんどくさい
アシスタントプロフェッサーですからね
後半もイエールと
論文書についてお話ししていければ
という風に思います
さてアメリカンナイトGOLDは
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ここまでのお相手はNAKAMURAと佐藤でした
また来週
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