アメリカで研究室を立ち上げた若手研究者たちと題して博士号を取得を研鑽を積んで アメリカで自分の研究室を立ち上げるに至った
先輩研究者さんたちの奇跡を追っていきます 第3週のゲストはノースウェスタン大学の
千歳優太さんをお迎えします今週もよろしくお願いします アメリカンナイトGOLD
あらためましてNAKAMURAですそれでは本日のゲストをお迎えします千歳さんです よろしくお願いしますはい千歳ですお久しぶりです
まず簡単に自己紹介の方お願いします ノースウェスタン大学にて2025年の初めぐらいから研究室を立ち上げている
千歳優太と申します出身は京都市の南の方の伏見区というところで中高なら大学は 京都と関西で生まれを育ちました
学部を卒業した後は 京都大学の医学部で卒業した後は一応
超短期間3ヶ月の正規研修移 まあ価格ドロップアウトを経て2012年の末より
ニューヨーク大学へと大学院の留学をしてそれ以降もう14年強ちょっとぐらいアメリカに住んで新規化学の研究をしています
大学院の後はその医師先生でポストを起こしてそこで中野さんたちにお会いして お世話になりました
こちらこそこちらがお世話になりました
あれなんですね関西関西生まれなんですけど関西弁はないんですね そうそうですかねまあ
まあ大学 あそうか
大学も京都ですけど 中高もなんかまぁちょっと
あの関西高1期から来てるような中学 まあと結構その関西以外からのルーツの人もいたりして
なんか そうですね徐々に育つにくっつれて関西弁を連れて行ったかもしれないですね
まといつつあの
家族とか話すときとか
あとまぁ最近生まれた子供とまぁ日本語で話すときもしてるんですけど 話すときは関西弁じゃないかなと思います
それ以外のときはまぁ日課的標準語を喋ろうとしてるんですけどね
兄弟の医学部聞いたような気がするけどそうだったんですね
そうですはい 6年間いたんですよね6年間いて卒業して免許も取ったんですか
免許も取ってで
こう言っていいかもしれないですけどいいかわかんないですけど一応免許を取ることがまあ 医学部にいた理由
明かしみたいな
明かしというとまぁまぁまぁ一応医学部行った理由としてはそのねあの そのもっと生命科学をしたかってその生命科学の応用面として医学を理解するっていうのが
まぁ一応まぁメインの建前ですけれども まぁでもまぁ生命科学をしたいってしたときってその
医学部行くかもしくはその医工学部とかそういうところに行くかいる考えでて まぁでもまぁその果たしてその生命科学者っていうのはその処理用として成立するのかっていうのは
ちょっとよくわからなかったので特にその親戚の代理もそういう人がいなかったので でまぁいろいろ考えた結果まぁ
プランBを用意しておこうということで医学部に進学したという って言っていいんかな建前建前それがこのね建前まぁ公式の理由としては
あのー
応用面の人に医学を理解するということはまぁ一応公式の 素晴らしい理由ですね
そのレベルのことは高校生の時にも考えてたんですか そのレベル
いやなんか単純に何々になりたいみたいな感じじゃなくてこれを理解するために
ここに行こうけどディスケッチも考えてこういう選択にしたみたいなその なんて二枚
二段階みたいな まぁそうそうそうですかねまぁでもやっぱり生命科学はしたかった
まぁそこは
じゃあもっとなんかベーシックサイン 医学メディカルというよりベーシックサイエンス
ベーシックサイエンスそうですね そうなんですね
どこからそのベーシックサイエンスやりたいっていう感じになっていったんですか
いやーやっぱりまぁその まぁそろそろそんなに生物学に興味があったわけじゃないんですけどやっぱりその
物理とか科学と高校レベルで勉強して その上で
いやいや一回この物理とか科学の法則 バッパ企画の法則からいかにその
生命活動が立ち上がるかということがすごく不思議だなと思って
じゃあそれを勉強したいなまぁ研究したいなっていうのが まぁそういう純粋な高校生だったんですねはい
うーん じゃあもう
医学部の時勉強しながらずっと 基礎研究やりたいなぁってずっと思いながら医学の勉強したってことですか
いや医学の勉強は 最初は両方ともしっかりとやろうと
まぁそうか 一応2つ まぁでもまぁ一回生の時からその
いろんな研究室を見てまぁその話を聞きに行ったりとかそういうことはして ましたし
まぁでも医学の勉強はもう一応最初はしっかり支え出してたんですけどもまぁ 途中からそのまぁ
結構しっかり勉強しても結構忘れちゃうと 忘れてもその実質とか残ってるってことが大事だと思うんですけども
結構忘れちゃうってことで いやもうそれやったらまぁまぁそれやったというのはあとまぁ結構その研究とかもそっちの方の勉強もしたかったので
まぁ途中からまぁ医学の勉強は まあ医学特に最初の2年間は結構その基礎医薬が
基礎医薬がメインで結構その まぁ生命科学のようなことを結構やるんでまぁそれはしっかりやってその後の
練習のやつはまぁまぁちょっと 抵抗志向というか
うかぐ程度に勉強するっていう感じでやってましたはい でも結構高校の時から研究者になりたくて
1年生大学1年生からも研究室いろいろ入ってたりしたんですか まあ入ったのは2年生2回生の頃からですけども最初最初の年は
どんな研究室がその教科学にあるのかなっていうのをまぁいろいろ話を聞いたり その冊子を見たりして
見てたっていう感じですね それは医学部の研究室なんですか 基本医学部ですけど
うんなんか 医学部とかの方でもまぁ見たりとか
話を聞きに行ったりのところもあったりしますね えー
実際そこで2年生からどういう研究とかそんな2年生から研究できるんですね あーまあ特にコースがあったってわけじゃないですけどまぁまぁでも乗り込んでいった
兄弟学部 まあ兄弟全般 全般側でできない 基礎医学部は結構そういう
なんか その基礎医学も生命科学をしたい人
1年生からしたい人に関して もうこう開いてる研究室が多かったですね
学部生のところですね 学部生の時は2つの研究室にいて
1つは最初にその2年生の初めぐらいから行き始めたのが サルの一応研究室はサルの研究サルの電気整理をやってる
もうちょっとこの視覚に関連のその見る視覚関連の研究をやってる研究室だったんですけどもそこの
グループで僕自身はそのサルじゃなくてその人の心理物理サイクフィゼクスっていうのをやってました
人を被験者としてそのいろんな視覚の特徴の組み合わせを変えるとそのどのようにその視覚その物体のセリエンシー
目立ちやすさが変わるか 引いてはその眼球運動のレイテンシー センジが変わるかっていう そこら辺そんなことをやっていました
これってあの なんか被験者を学内で募集して
そこまで行ってなかったですね 結構その研究室のその当時のメンターもちょうだい君に着任したばかりで
僕自身もその医学の勉強の片手間にやってたのでそんなに
スケールできるわけもないし 特に最初とかそのいかにコードを変えてその
解析をしたりするかっていうところがやっぱり自分があるので
結局はなんか自分とあとなんか研究室にいろいろとあと数人の人を使って実験の まあまあ結構あの自分のでデータって感じですかね
まあそれどうなんやって話もあるんですけど まあでもそれでも自分を筆者としてこのいろんな視覚システムに対して
自分が猿になったようにこのいろんな視覚的にリサッカードをするっていうのをやってみて
その眼球運動のレイテンシーセンジを実際に後でその一ミリセカンドのレトロショーでわかるんで
それを後で見てみたら自分では全然意識してなかったのにこのセンジレイテンシーの違いっていうのはその
目立ちやすさの違いみたいなんで結構変わるんやっていうのが見えてなんか面白いなって
まあまあ結構いろんな人はいるんですけどやっぱこの目はこの精神の入り口なんだなっていうことをまあちょっと少しだけ感じました
そもそも目に今まあボストクとかも目を得られてたじゃないですか
もうその頃から目に興味があったんですか
それはたまたまなんですか
目に興味があったからいったというより単にあのその研究室に行ったら一つの理由はプログラミングをしますってその広告に書いてあって
プログラミングを勉強したいと思っていたのでやっぱりその生命をそのシステムとして理解する上でやっぱりその
軽量的工事的な考え方方法論やスキルが必要だなと思ってたので
プログラミングを教えてくれたらいいなっていうので
それとあとそのまあその生命覚悟の中でもまあ特にその神経にちょっと興味がよりちょっと向いてきた頃なので
まあその神経ができる研究室でプログラミングも学べるっていうので行っただけで別にその時点では別に目に興味があったわけではなかったです
そこから2年生でずっとパソコンとデータ解析やってるわけですね
そうですねパソコンデータ解析とかその視覚刺激の設定とかでパソコンに向き合って
実験は自分がこのバイトバーを噛んでパソコンに向き合って実験するって
そっからもう一個の研究室にはいつ頃移行することになるんですか
それは3年生3回生3年生ぐらいの時に過ぎたいなと思ったっていうのはやっぱりその
もともと生命とか神経科学に興味があるのはそのやっぱりいかにその
個々のエレメントからその現象が立ち上がるかということを理解したいっていうので
その個々のエレメントを理解する上で特にそのニューロン神経細胞に特異的なそのアクセスをするっていうことを考えると
ちょっと人とか猿は厳しいなというのであとその当時やっぱりその3年生3回生の頃2008年
でそのちょうどそのオプトジェネティクスとかあとトゥフォトンのマイクロスコピーとか
もちろんカルシウムイメージとかそういうセルタイプスペシティックまあその時は別に
トゥフォトンは特にセルタイプスペシティックではなかったんですけど
特にまあそういうなんかそのエキサイティングな特にローデントで使いやすいような
テクノロジーがどんどん急速に発展しているべきで
じゃあやっぱりローデントで研究学したいなっていうの方にまあと思い始めて
それでまあうより直接とかまあいろいろその特に教堂の中で探してたら
4年生4回生の頃からそのローデントをやっている研究室で研究を始めようとしました
じゃあそこではマウスとかそういう技術系を学んだんですか
まあ一応マウスの扱いは学んだって感じですね
研究室自体はシステム神経核とかではなくて電気スイッチとかではなくて
まあその大元も研究室はその奈良県っていう
まあなんか薬理炎症とか免疫とか細胞広角の成長とかまあそこら辺がメインで
プロスタグラジンで有名なとこですね
そうそうプロスタグラジンで有名なとこなんですけども
実際僕もプロジェクトのプロスタグラジンに勘でたんですけども
でもそのすごく大きい日本の大口談みたいな感じでこのサブグループが何個かあって
そのサブグループの一つを率いてたのがフルヤシキ先生という人で
まあ結構グループのメイフォーカスは炎症と神経の免疫のクロスドッグみたいな感じだったんですけども
まあでもフラッシュ先生自身はシステム侵却感の臓器がかなり深かった
まあ多分僕は判断して実際そうだと思うんですけども
まあそれでこの人のこのグループでちょっと勉強できたらなという感じで始めました
へえじゃあそこで結構頑張りましたか頑張りましたかっていうか
めちゃめちゃめちゃめちゃ研究やってましたか
だって医学部の勉強って多分4年って研修みたいな前ですよね
だからめっちゃ忙しいんですかね
そうですねまあ忙しいもともとはそのコンピュータベース精査とかそのテストとかもあったりして
忙しかったけれどもまあ医学部の授業ってやっぱりこの
なんかいかに
真面目に勉強してる人たちがたくさんいますけど
僕の場合はそのいかにその最小労力で65%ぐらいの成績を取るかっていうのがそこに最適化してたので
まあそんなん何とかできました
じゃあ結構そこで基礎研究まあ基礎研究的なのにどっぷり使ってったわけなんですね
そうどっぷり使ってましたね
そこで5年生6年生って多分いろいろ回るんですよね医者として
そうですね
でその後アメリカで研究大学院生になっちゃうわけじゃないですか
そこのなんか医者としてなんか別に言ったらサクセスフルな感じですけど
そのまま大学院に行ったきっかけとかなんかあったんですか
ああやっぱりもともとその研究種もだったのでまあ一応書士というか最初のデフォルトは
研究者に行きたいっていう何になりたいっていうことだったんですけども
もちろんその実際病院実習とかで回ってみるとまあ結構少しぐらい医者をするのもいいんじゃないかなっていう
まあやっぱり結構その患者さんとかのインタラクションとかで実際に役に立つし
僕自身は役に立ってなかったですけど
医療というのは非常に社会的に重要であるということがその現場をすごく垣間見れるし
他によれば実際にその研究でその分かってきた音が実際にその臨床の現場で使われてっていうことも見えて
それは面白いなというふうなのも思ったんですけどもまあ何だっけまあ書士関係というか
あとまあハイリスクな音は和歌謡にしてみた方がいいかなっていう
そのまま日本で博士課程に行っちゃったらよかったじゃないですかそのアメリカを選んだ理由とかって何かあったんですか
やっぱり一番の理由はお金が出るってことですね
確かにその通りだな
いやまあ日本でもそのお金を出るルートはあると思う当時もあったと思うんですけどまあ
まあそれは確実じゃないししかもその確実じゃないところでその留学金とか払ったりするのも嫌なので
その理由はそのまあ金銭面とあとはやっぱりそのシステム進化学を得る上ではやっぱりアメリカは中心的な地域にあって
まあ今でもあると思うんですけどまあそういうあとまあ24年間ずっと京都に住んでて
まあ高校とか長いでしたけどまあ住んでたのはずっと20日住まいで
いやもうもう行くか
いやちょちょっぽいきたいなっていうのがあってまあ外行くんやったらまあ遠くに行ってしまおうという
その中でもニューヨークのブジャーキーラボを選んだわけなんですけど
なんか繋がりがないとなんか急にアプライしても多分なんか無理そうなイメージはあるんですけど
実際あらかじめに1回行ったって感じですねその2002年
さすがには2012年だったんですけども2011年の3月にブジャーキーラボじゃなくてその
アメリカの大学院をいくつか訪問してまあどうかなっていうのをまあ行ってみようっていうので
まあまあこれニューヨークでもまあちらっと行ったと思うんですけどまああのまあもともとはその
当時ラトガス大学に行った別のその浄土研究とかっていう研究室に興味があって
そこに行こうと思ったんですけどまあその当時の指導教官がそこに行くんだったらまあブジャーキー研
ラトガス大学にブジャーキー研も当時いたのでブジャーキー先生もいたのでまあ会うべきよっていう感じでそれで行って
で実際行っていろいろ話してみたら結構いい大学いい人
なんかいい人でし広がらだけじゃなくてそのサイエンスアカデミックその
姿勢とかラボもすごくいい人になってまあいいなっていうのででなおかつもそのニューヨーク大学にちょうど移る
ニューヨークって楽しそうみたいな
それでまあニュージャー研を目指したって感じですねと言ってもやっぱりそのアメリカの大学院はその
特にまあ工学系だったらダイレクトアドミッションとかもあるかもしれんですけど 生物系神経学系ではダイレクトアドミッションとかはあんまりなくてやっぱりその
プログラムに応募してそこに通ってから始めていけるっていうふうな感じ なのでまあその時点で
じゃあニューヨーク大学に応募しようと思いましたのただそれは全然ギャランティーされてないですね
じゃあ結構いくつかアプライしたみたいな感じですか そうですねまあでも
まあ4つぐらいって感じですね 結構すごいですねその国家試験もありつつ英語とかいろいろ準備したんですよね
そうですね英語はあの唐古か 受けて
そうですねそうですね大変ですよね大変でしたね そうですよね国家試験っていくら頭良くても結構受験並みに大変って言いますもんね
いや結構大変ですねまあもちろんその 国家試験は囲もうであったりとかまあその勉強グループとかもあったり
僕は勉強グループに入ってというか勉強グループの 勉強グループの果実を友達から吸って勉強させてもらったって感じですけど
まあまあ大事ですよね タイムライン的には2月にあの国家試験あるじゃないですか
その前にアメリカ行ってそうやって辺りをつけて帰ってきてで国家試験受けてそこから その前にアプライしなくちゃいけないのか
11月だよねたぶんその そうですね特にインターナショナルシデントは早めなので11月ぐらいに
そうですねタイムラインその覚えてない 11月ぐらいまでは結構
国家試験の勉強の半分ぐらいしつつ3割ぐらいしつつ 残りの半分から7割ぐらいのレフォートは大学院のアプリケーションに
通用してた気がしますね でまぁこれでアプリケーションが終わって11月12月1月でラストスポットみたいな国家試験って感じ
インタビューとかもありますもんね インタビュー国家試験が終わって2、3週間後にインタビューがあったのかな
しんどいですね その前になんか卒業旅行も行って
卒業旅行帰ってきた翌日に 確か翌日にそのインタビューに行っちゃったって感じですね
インタビューはまあ基本はインターナショナルの人はズームとか スカイプ当時はスカイプですね
そういうビデオカンファレンスシステムがメインだったんですけど まあなんか言い訳もちょうどそのなんか海外投稿を
キャットタイプEFが海外投稿を助ける 予算がちょっと余ってるっていう話を聞いて
幸い使わせていただいて まあそういったのはUCSDだったんですけど UCSDに
じゃああの飛ぶのは自分で行くんで 実地でやらしてくださいって言ったら実地で行きました
じゃあUCSDとかもそのポジションとか取れたんですか UCSDはそこへうまく取れて
UCSDにその飛び立った段階では NYUはオファーは無かった
むしろNYUからあの落ちましたって電話が来ました 電話がなくてメール
でなんかウェイティングリストみたいに載ってたんですかね いや落ちた落ちたって聞いたらそのそこへ
ギューリーにそのギューリーブジャーキーに 落ちたんですけどどうしたらいいですかって言ったら
数日後そのUCSDのインタビューの最終日あたりに NYUからメールが来て
じゃあちょっとスカイプインタビューと何個かセットを拾うから それでよろしくみたいな
それでその後日本に帰ってスカイプインタビューをね BIとかのディレクターとかそのディエンとかとも
インタビューが2,3個こなして で良かったっていう感じですね
へーじゃあもうやっぱアメリカっぽいですねやっぱプッシュして そうですねただきっとあのその当時そのNYUは
今ほどその大きなプログラムじゃなくてちょうどその ギューリーブジャーキーもそのまだ移動してなかったし
新しいディレクターの議員としてそのリークチェーンがスタンフォードから移動して でNYUがどんどんこれから大きくなっていってその前夜
直前だったのでそこまでコンペティティブじゃなかった まあその我儘も言う良しがあったと思うんですね
結果その2年後にアプラしてたらきっとそんなことはおそらく超コンペティティブな 今はそのイメージです
アプリカントの調査があるんでそこに超優秀なアプリカントを押し抜けて こういうなんかわけわからん人を
取って取るのは至難の技になったんじゃないかなと思います
そうなんですね意外そういう やっぱりその足切りが
やっぱりそのまあ先ほどの 申し上げたように結構その医学部の勉強ってのはその
受かるためだけのラインで受かるっていうふうにされてきてたのでGPAはボロボロだった
そもそも大学院の応募にGPAが必要ってそんなに そもそも海外の大学院にアプラしようって思い始めたのがその5年生の終わり6年生の始めくらいなので
ちょっと遅いですね 遅いし思ったとしてもそれをGPAを上げるために頑張るかって言うとちょっとわかんないんですけど
まあまあとにかくGPAがボロボロだったっていうのが
まあ日本人あるあるでありますよね多分GPA苦しいですよね
だから一応そのGPA 京都大学の医学部は結構その採点が厳しいのでGPAが低く出る傾向がありますっていうのをなんか
レターを一応 提供させてもらってくれたり
教務とかの担当の人に担当の長官の人に頼んで書いてもらったんですけど
オフィシャルで出せるんですね そんなん書いてくれるんですね
一応なんか頼みまくってました
すごい 実際ニューヨークとか楽しかったですか そうですね
僕このまま行ってきたんですけど 一晩だけ 一晩だけ
やっぱ一晩だけしかなかった レイオーバーが一晩あったんで 一晩楽しんできたんですけど
なすですか 先々週です
じゃあちょうどいい季節的にはいいんじゃないですか
やっぱずっとパーティーしてるんですか ニューヨークって
どういうこと
なんかすげーもうパーティーピーポーしかいなかったんですよ どこ行ったんですか
もう本当あのマンハッタンのセントラルパークじゃないか あのユニオンスクエアのタイムスクエア
タイムスクエア タイムスクエアはもうなんか観光 観光客のトラップみたいな感じですけど
とんでもないパーティーピーポーだったわけですよね
いやでもニューヨークの魅力はやっぱ観光地以外のところであるんじゃないかなと思いますね
僕も最初にニューヨーク行くときは 確かに観光面白いけどちょっとこれ住むのどうかなとか思ってたんですけど
やっぱ人も多いし ゴミゴミしてるし 都庁もすごく混んでますけど
僕は京都市なんで 都庁もそんなほとんど 住んだこともないですし
まあでもニューヨークは観光地というよりかは 観光地からでも数ブロックだけ奥まで行けばそれで見るのか
結構静かというか すごく多様なネイバーフードがマンハッタン もしマンハッタン以外にもあるっていうのが
僕は結構好き 実際に住み始めててからになって思い始めました
ニューヨーク大学も先生さんが通われたのは 双方のちょっと北ぐらいのところですか
いや双方のちょっと北の方はメイキャンパスでワシのスクエア そっちは全学キャンパスみたいな感じで
向こうはメリカルセンターキャンパス イーストリーバーの国連本部から10ブロックぐらい南行ったとこらへんですね
そうだったんだ なんかニューヨーク旅行行った時に先生さんにどこ行ったらいいですかって相談させて頂いた時に
タイムズスクエアの近くの大手屋を教えてもらったんで
大手屋あるよ 大手屋
大手屋シカゴに来てほしいんですけどね 今ないんですけど
ないですか 結構通われてたんですよね ニューヨーク時代
そうですねやっぱり当時でも高かったですけど 味は美味しいし
アメリカンナイトGOLD 研究はどうだったんですか
博士 急にアメリカに行って
最初はやっぱり大変でしたね 英語のコミュニケーションの面であったり
そもそもブザーに行った時点で一応 UBの入ったリズムズブレインという本を読んでましたし
いくつか論文も読んでましたけども やっぱりカエバとかヒポキャンパス全体の
その領地の知識とかってほぼ仕事に近い状態でいて なおかつ電気整備の
電気整備の技術とかもほぼ同じ状態でいたので
それすごいな
結構最初は苦しいんじゃないかなと思いますね
僕の認識だとブジャーキー研ってカエバとかヒポキャンパスの分野で
本当にトップオブトップのラボだと思ってるんですけど 当時もそういう感じでしょうね
そういう感じで なおかつ
よりもおそらくいかにここのエレメントからのインタラクションから
面白いカエバの機能を形作る現象が立ち上がっているかというのに興味があると思うんですけど
こういう意味で両方だから 例えばオシュレーションとか見てホリスティックな面からの理解をしようとしている一方で
個々のいろんなセルタイプがどういうのをやっているかというのを
フィルロジーとかオフロジーとかを理解しようということも
両面からやっているトップラボだったとは思いますね
じゃあそこで何年ぐらいいたんですか 博士は
博士全体は6年
6年弱か 6年弱
最初は一応ローテーション
ローテーションといっても結構最初からブジャーキー研に行こうと思ったので
8月からに行って それで
8,9,10,11,12だから5ヶ月ぐらい長期ローテーションをして
その後別のラボに3ヶ月ぐらい行った後 またブジャーキー研に帰ってきたってそんな感じですね
だから5年半 5年半弱ぐらいのトータルでいたんですかね
台本の方に英語力や研究実績に自信ありましたかって質問の中で
お答えいただいているのが
英語力や研究実績に特に自信はなかったです ただ研究する土台に関しては多少の自負はありました
その後結構ストレスがあったんですか
最初先ほど申し上げたようにやっぱり英語のストレスコミュニケーションのストレスだと
研究の電気製品の知識であったり
会話の知識であったり そこら辺が全然バハエンドだったのでそこに
それやっぱり一番大きかったのは英語かな 英語わかんないですけどよくわかんないですけど
当時は特にその大変だったと思ってなかったんですけども
レトロスペクトに考えると結構そのうち結構悪夢を見てたんですね
悪夢はなんかその大学病院で研修をしてるっていう悪夢
選ばなかった未来を
いや僕研修院も結構あの3ヶ月だけちょっとなんかちょっとワガママでやらせているんですけど
それも結構あの結構その医学を真面目に勉強してなかったのに
あの研修をやり始めて実際病院に行くとなんか箱生きると先生になってあれこれやばっていう
結構ストレス取れちゃったですね
でまぁもうそういうストレスが後また別のとこ行ってストレスで
その前の大学院のストレスの中でその前のストレスの悪夢を見ていたっていう感じですね
病院でどうしようどうしようって本来言われてもわからへんわみたいな感じで
ですごく焦ってバーっと起きてああ夢やったそういう悪夢を何回も見ましたね
それってやっぱり実験結果とかプロジェクトがうまくいきだすとだんだんそういうのがなくなってきた感じですか
まあまあおそらくやっぱり英語だと思うんですけどやっぱり
それレトロスペックなんですけどまぁ
3年目ぐらいからは結構そういうのはなくなったっていう感じですね
英語、授業とか受けないといけないからそこがストレスなんですかね
授業もやし、あとそのラボの中でもまあラボの中は結構みんな良い人で助けてくれる人だから多かったんですけども
まあでもなんかそもそもいかに助けを求めるかっていうそこらへんから
やっぱりそのブザーキーラボは僕主義で
まあ日本のラボも結構自由にやらしてもらったと思うんですけども
まあでも結構日本のラボ、日本社会って結構この手取りやらしたりとか結構フォローアップをしっかりしようというマインドセットが結構あって
まあまあ何もしなくても結構助けてもらえるけども
アメリカはやっぱりそのこっちから助けを求めに行かないといけないなっていうので
そこをいかにうまくやるかっていうと、あと英語とあと研究とかの諸々で結構大変だったんじゃないかな
当時は大変すぎても大変と思わなかったと思うんですけども
今となった悪夢はそういうことを意味してたんじゃないかなと思いますね
だからそれもあってポストクアメリカで行けるかなみたいな感じですか
そうですかね、まあそうですね、まあその後は確かにその前は結構大変だったかもしれないけど
まあその後はまあまあなんとかなんとかなるかなっていうかな、感じですね
それもなんかずっと神経を一本軸に持って選んだって感じなんですか
そうですね、まあむしろスカンチューニン県は最初から結構興味があったっていう感じですね
やっぱりそのUSDSDの大学院のインタビュー行った時に
まあオフィシャルなそのアサインされたインタビューにはマスティングはいなかったんですけど
その行く途中の飛行機どっかで当日のたくさんスカンチューニンラボからメッチャありますけど
そのうちの一つのコーテックスの、例えばおそらくレイヤースティックスとかがいかにゲームモジュレーションに大事かっていう
そういう研究が出てて、すごいエレガントな研究、エレガントな論文だなというのを持って
で、実際にリーチアートしたらちょっとだけそのインタビューもしてくれて
いいラボやな、いいラボそうやなっていうので、またポストドックでもできたらいいかなと思ってたっていうのがあります
じゃあ一応あれなんですね、そのポストドックインタビューする前に1回繋がりはあったんですね
まあまああったけどもまあ本人は覚えてない、マスティモス関係は覚えてない
その後なんか別に学会であったりとかそういうフォローアップとかも特に
特にどこにないですね
正しいアカデミーの生き残り方としてはインタビューでやった人でもこの保有を温めて
このネットワークを形成していくというのはおそらく正しい道だと思うんですけども
いや僕はそんなことは全く考えてなかったし、別にネットワークをしたくて
サイエンスになっているというふうに思い出しているわけじゃなかったので、と言いつつPIになってみるとやっぱりそのネットワーキングは超重要っていうふうに思うんですけど
その当時はいやそんな、いやむしろノンソーシャルな感じで研究できたら嬉しいなっていう感じだったんで、全くそういうフォローアップはしなかったですね
そこでスカンジャーニーラボは何年くらいいたんですかね
外役員終わって2018年の4月ぐらいから行って
それで7年弱ぐらいいましたね
そこであれですよね、レムスイミンのメガ面の論文
けどスカンジャーニーラボ自体は神経のラボなんですよね
神経、四角系のマッスモ自体は結構ある程度点々としていて、最初のほうは会話とかもやってて
でもおそらく僕が行った時点でMASSIMOの研究を簡単に言うと、いかに抑制性のニューロンだったり
いかに神経回路、特に抑制性の神経の回路が活動であったりコンピューションを形作るかっていうのを
センサリーコーテックス、ビジュアルとかそもそもセンサリーとか、もしくは飛行キャンペーンコーテックスでやってたっていうのが大まかな感じだと思いますね
のどで全くレムスイミンでやらなかったので、別にレムスイミンをしに行ったわけじゃなくて
ビジュアルコーテックスの研究をしに行ったというのがメインの理由ですね
そもそも先生さんご自身はブジャーキーラボで会話とビジュアルコーテックスの相互作用みたいなところを
ユーリーとかも昔の研究でもやってるのはやっぱりそのコーテックスはやっぱりその
飛行キャンペーンコーテックスのコミュニケーションによってそのいろんな機能をアチーブしてるんじゃないかっていう話は
ユーリーではしなくて、いろいろ言うんですけども、言ってる人がいて、ユーリーはその中でもかなり早い時点でそれを提唱しちゃったと思うんですけども
もともと会話とコーテックスを長期的にはしたかった。大学院で会話をしたからポスドクはコーテックスをしたい
感じですけども、ただそのポスドクに移動するときに、トゥーボディープロブレムというか、その当時付き合っていた
後に結婚する同級生だった人が、まだ研究をしているとかその仕事が終わってないので、まだニューヨークに
いようかなと思って、ニューヨークに行ってでも会話の研究もあったし、どうしようっていうので、あれはもう
ビジュアルコーテックスの研究を始めちゃおうって感じで始めだしたっていうのが、そんな感じですね。
その頃からもうなんか研究、独立しようみたいなのビジョンに入れた上で。 いや独立しようっていうのは特に、まあその研究者として生き残るんで、やっぱりその独立っていうのは
一つの、あの時にその自分がしたいことをアチューブするって言ってた独立っていうのしかなかったのかな。
今ではもう少しチャリアパスがあると思うんですけど、まあ僕はそうやっぱそれがメインなのかなと思って、別に独立がしたかったっていうか、まあ
なんか面白い研究をやっていけたらいいなっていうふうに思ってた感じですね。
やっぱり独立ってなるとやっぱボスとはちょっと違うことをやらないといけないわけじゃないですか。
特にその潜在者さんの場合経営を取られてて、あれは完全に独立してないとそこも評価されるわけなんで、そういうのはだいぶ前から意識されてたんですか。
いやーそんなに。 いつぐらいからなんかそのPIに
俺はなれそうだみたいな、なんか俺ならなれるぞみたいな思ったんですか。なんかボスからPIってなんか多分一番大きな変化だと思うんですよね。
うん、それはそうそうだと思います。で、そんなにマインセットはそんなに変わってないとかね、たたんたんに面白い研究をしたいっていうのがまあメインで、
まあでもそのそれを自分のアイディアで面白い研究を長期的にやっていくには見届きつつをしないといけないんだろうなっていうのはまあまあ最初からまあそう思うけど、
まあでも、いやいや僕もきっとあのもっと戦略的にやってたら
ポスト君はもっと早く終わったかもしれないですけども。
いやーなんかポスト君最初の、ポスト君入るときにK99っていうのも一応やっぱりその
ダイヤクイーンのラボでも撮ってた人もたくさんいたんで、いつか撮らへんとかはねえやろうな、撮ったほうがええんかなと思ったんですけどまあ
別にそれに対していかにその戦略的にそれをやろうかって思ったわけがないんですね。
だからそのレム水面の仕事を始めた時も、いやこれはすごく面白いし、まあいろんなアイディアがあって、
まあでも実際にK99を思い始めたのは、そのある程度レムのデータが出てきて、あれ結構これでK99描けるんちゃうんです。
気づいたのが、思ったのが2020年の、そうそうレムの仕事は2020年のコロナの始まりぐらいに始めたので、
そっから半年、2020年の17月ぐらいには結構なんかこれでK99描けるかもって思ってっていう感じですね。
でもおそらくしっかりともっと戦略的にやったほうがよかったかもしれないですけど、
でもそもそも最初のプロジェクトがそもそも全然違う感じだったので、まあ間に合わせる気かどうかわからないですけど、そんな感じですね。
じゃあ結構そこでジョブとかK99申し込むってことは独立を目指したって感じなんですね、そこらへんから。
そうですね。それと、あと、その時点でジョブとか考えてなかったんですね。
ただK99描いて、描き始めて、レシーブアークしたらなんか、結構なんかMASSIMOがすごくこの時の超の興味が出てきたらしいですね。
まあデータが出てきたからっすね。
それで色考えて、これは独立しなきゃと思ったから、独立しようと思ったぐらいですね。
そんな簡単には独立できないわけですもんね。
いやだからまずそこはうまくその交渉をしつつ、なおかつでもサイエンスをしっかり前にやりつつ。
実際そういう交渉っていうのはどうやってやるんですか?
これを持っていきたいみたいなのはやっぱしないといけないわけじゃないですか。
そういうのっていうのは、なんか徐々に話していくのか、パッて決まってさ。
それはもう人に言えるんじゃないですかね、ボスとは喧嘩を絶対するなっていう、ボスとこのボスなんですよ。
まあそれを喧嘩を絶対せずに、僕もマスキンもすごい喧嘩をするっていう感じの人ではないと思うんですけども、
まあでも反敬を判滅させるんじゃなくて、やっぱりその特に今になってよく思うのはやっぱりそのPIになってからも
ポスドクメンターのネタっていうのは、特に最初の時点は超重要で、フェドシップに出すにも何にするにも、ポスドクメンターのネタっていうのは超重要なので、
やっぱりその関係をしっかりとマネージすることは重要であるっていう。
なのでそこ、関係性のマネージを最重要に掲げて、なおかつそのサイエンスのそういった感情とか、
によってそのサイエンスをリレーさせるんじゃないかと。サイエンスをしっかりと前に進めて、なおかつそのマッシモの特性、
すごくロジカルに言えばなんとかなる、なおかつそのあんまり隙間を残さない感じで、そのロジックの
ロジックの添加でなくて、いかにその領域をディファインするかっていう、ディファインの仕方も好きかないようにして提案するっていうふうなことを考えました。
これはおそらくPIによると思うんですけど、マッシモの場合は胸はすごくいい人で、
PIによって悪魔的な人もいるんじゃないかと思うんですけど、マッシモは全くそんな人じゃなくて、
いい人で、まあでもやっぱりその興味が出ちゃうと、やっぱりそういうところはサイエンスとか結構、
まあお金尽くないからやると思うんですけど。 まあそれはそうですね、自分がPIだから。
実際まあ、多くのイニシアのアイディアはおそらく僕の方からと思うんですけど、実際そのお金を取ってきて、
それで自由に研究させてくれて、結構わがまま言ってるのを聞いてくれたみたいな、そういうのはやっぱりそのPIの
コントリビューションでもあると思うので、あとそのいろんな経営内容を確認しても、おそらく経営内容を確認すると結構、アイディアは結構その
ピアに投入されてしまって、それでこのエキサイトに達成されてしまうってとこは、まあ応援してやると思うんですけど、
まあでもその一方、やっぱりいかにうまくその書くかってことも教えてもらったので、僕はすごく感謝をしてます。
そうやってなんか、ジョブマーケットに出ていくのに、そういう準備というか、自分の研究の移動だったりっていうのもあったりして、
どれが一番大変でしたか?そのジョブマーケットに出て、なんかそういうPIのポジションを得る過程で一番大変だったのは何が一番
潜在性的にきつかったですか? いや結構半分ぐらいの悩みはやっぱりその
いかにこの、最近話の延長ですけど、いかにこの設定自体をマネージするかっていう、そこらへんがかなりえっと、
まあ大変でしたね。やっぱりそういう時は頭を切り替えても全く違うことをやるっていうのも一つのことだったんですけど、
やっぱりその資格を理解する、レムスティンの資格を理解するためにこの研究をし始めたっていうのが、
でその愛着があってので、そこは許せないっていう感じで、そこをいかにマネージするかっていうのは半分ぐらいの大変さで、
残りの半分はやっぱりその、超大変ですね。
そのアプライ自体が。
アプライ自体が大変で、いかに研究企画を書いて、カバレーターを書いて、
どんぐらい出されたんですか?結構出されてましたよね。
そうですね、その2020、最初のそのメインのアプリケーションの年、今2022年は、もう2023年、両方も50個ぐらい出したと思います。
50個って、そのニューロサイエンスだけで多分50ないじゃないですか。
いや。
あるんですか?
やっぱりニューロサイエンスはあるんだ。
まあ、ブロードリーファイエンドバイオロジーみたいな感じでも、サイコロジーとか、そういうのでも一応出したり。
もうなんか少しでも可能性があればっていう、我にもしがみつくるなというそんな感じの気持ちで。
あと千歳さんはアメリカだけじゃないですもん、値出されたところが。
そうですね、ほぼアメリカですね。アメリカ以外ではその日本のリケンとオイスと沖縄のインスティロサンステクノロジーと、あとシンガポールのナイアンテクノロジーユニバーシティ。
南洋理工大学ですよね。
そこら辺に応募しました。
例えばそこに通ったら行こうっていう、やっぱり思うんですか?
やっぱりアメリカは優先だったけれども、でも英語が使えるような個性的な環境だったら行く可能性もあったかな。
やっぱりパートナー、妻のキャリアとか考えるとちょっとアメリカ以外は難しいかなって思ったんですけど、まあでも一応可能性、
東京とかったらありかなとか、シンガポールやったら、その当時はありなんかなとか、まあそう思いますね。
あとでやっぱりちょっとシンガポールはやっぱりちょっと厳しいかなっていう結論に落ちていたんですけど。
実際に50応募してどんぐらい取るものなんですか?
どんだけ取るだったらさ、カウントしたんですけどね、ちょっと待ってくださいね。
だって22年の時点でもうサイエンスあるんですよね。
そうですね、2020サイエンス終わったけども、気になってないのはなかった。気になってないのはまだレビュー中で。
サイエンスだけで、まあだけって言ってもすごいんだけど。
2020年は2個って書いてるけど、もうちょっといったかな。まあだいたい2、3個、4個しっかり覚えてます。そんな感じ。
いやきついな。
Zoomで、2023年はZoom7個、うち3個オンサイト、ダイレクトオンサイトは4個、そんな感じ。アメリカで終わってたんですね。シンガポールも行きましたけど。
だってそこ、23年はサイエンスプラスKがあったんですね。
そうですね、やっぱK99が大事。まあK99とあと、コロナの影響はまだちょっと引いてた可能性もありますね。
終わり時ですもんね、コロナが。
コロナが終わり時ですもん、コロナに直撃された世代が、まだそのジョーマーケットに残ってて、超コンペティティブだった。
まあ最近でも結構、そのトランプ関連でもありますし、まあまあおそらくコロナ以降は結構大変な時期が結構連続してるような感じなんかなっていう、まあ断続的にあるんじゃないかなっていうかそんな感じですよね。
zoomとかオンサイトのインタビューって、練習とかするんですか?できるんですか?練習って。
いやまあトークは間違いなくしますし、zoomもまあzoom形式で何人かしてる、U-systemとかもしくはNYUのメンターとかコミュニティメンバーとかにもいろいろお願いしたりして、
そして直撃とかも、直撃はやっぱりそのメンターとかその隣のラボのPIとか、まあそこら辺でたくさんフィードバックをいただきました。
やっぱそこら辺練習しないといけないですね。
もちろん大事なんですけど、やっぱり本当にインプロープするならやっぱり実際に行って、実際に経験してっていう、もちろん大学とかそのデパートメントのサーチによってフォーカスが違ったりするんですけど、
まあね、やっぱりその大まかな流れとかその大まかなその立ち振る舞いとか、そこら辺は結構実際バカ図を踏んでインプロープしてたかな、特に2023年にそのいろいろとそのバカ図を踏んでどんどん上手くなってったのかなって思いますね。
逆に練習していってもやっぱ初回はやっぱ苦しいんですね。
そうだと思いますね。
なんか反省点が見つかるというか。
やっぱり練習してもそれだけでパーフェクトにするのは難しいんじゃないですかね。それは何でも。
まあまあ確かに。なんかプレゼンとかだったらなんかある程度のところまで持っていけるじゃないですか。
まあでもおそらくそれはきっとその実際のプレゼンの経験が過去に何個かあって、その経験と新しいプレゼンの準備を融合させられる方っていうのはあるんじゃないかと思うんですけど、
まあこういうファカリティーサーチのメッセとかは本当に新領域すぎて、
まあそのプレゼンテーション以外は過去の経験が全然通用しない。
うそかな僕の場合は、パワーポイント以外のが特に経験がなかったので、
まあ本当にその練習も含めて、あとその実際の実際の何回もやってみて、
それでインフルエンスしてって感じですね。
7校ぐらいオンサイト、8校か。やってどのぐらい結果、オファーもらえたんですか。
実際にシンガポールの一つと、そのノースウェスタの一つ。
アメリカは特にいくつかはそのノースウェスタのオファーが出そうという段階でインタビューに行ったっていうとこもあるので、
そこはまだまだ巻かなかったんですけど、だからもうちょっと待ってたらもうちょっと出たかもしれない。
確かに、まあその候補たちはノースウェスタンよりかはまあプライオリティが低いところだったみたいな。
そうではなかった。そうでもなかったんですけど、まあでもいろいろなことを総合して考えて、
ノースウェスタに出向けようって考えました。
じゃあ結構なんか早く受けてくれる、そのオファーをアクセプトするかどうかみたいなの言われるんですか。
いや一応まあ一応そういうことも、まあそこらへんも交渉できるかもしれないんですけども。
まあそうっすよね。だってあっちとしては決めたいですもんね、早く。
うん、いや確かにノースウェスタ自体もその僕の前の年にその最初一回ヘールしてるんで、
まあ交渉できるかもしれないけども、でもそれのアリクライしてたらそれで立ち切りになる可能性もあるし。
オファーもらってどんぐらいの期間ですら決めたんですか。
ああ、だからその結構オファーが出るって言うのもその段階的なオファーっていうか、まあまさに最初は屈辞約束みたいなその。
そのこの場合は初期12月ぐらいに最初のインタビュー、あ、1月かな。あれ、覚えてないな。
12月、1月にその最初のインタビュー行って、質問インタビューして、その人の後じゃあ第二名説。
まあ第二名説もほぼ向こうがこっちをリクルートするっていう感じだったんですけども、でそれがおそらく1ヶ月半後ぐらいに行って、
でその時に屈辞約束でオファー出そうと思ってるっていう風に言われました。
でそこで正式なオファーレターが来るんですか。
そこはその屈辞約束で、まあでもそのためにはどうどう何が必要やって言われて、スマの説得が最重要ですっていう。
確かにそりゃそうだ、そりゃそうだ。
で、その第3のサードビジットがそっからまあ3週間後ぐらいからにプランされたっていう感じで。
でその間らへんに実際にオファーレターが来て、
でそのオファーレターが来ても、それがオファーレターがいいレターなんかどうなんかっていうのは、そうするともう判断できないじゃないですか。
しかもそのオファーレターの前にもそのネゴシエーションのそのサラリーであったり、そのスタッカーとかその場所とかもそうするネゴシエーションもあって、
入所者のためにそのバージョン作成とかもして、でその後にその全部その最終的なネゴシエーションはやっぱり電話打ちでして、
でその後にその反映したオファーレターが来て、オファーレターをそれがいいかっていうのを理解するのは自分じゃできないんで、
そのイーステステフのデファンピザウォッチのチェア、やっぱりそのチェアチェアだったら結構分かるからそのデイビッドジュリアスとかに送って、
これどうすかって、これ良そうすかみたいな感じで聞いて、で良さそうってなったらじゃあどうしようかなっていう。
こういうことをやってたところでその別の大学のオンサイトインタビュー、ダイレクトのオンサイトインタビューが来て、
で、どうしようって思ったので、そんな感じです。
そこの辺詳しいところは後半でちょっともうちょっと詳しく聞いていきたいですね。
というわけで今回は千歳さんがアメリカで研究室を持つまでについて伺ってきました。
そうですね、千歳さん、僕Kの申請書をいただいてちょっと見させてもらったんですけど、
やっぱり研究計画全部読んで綺麗だなぁと思いましたし、それでもやっぱりこうやって苦労がされてるんだなっていうのをちょっと知れて、
やっぱりスーパーマンに見える人でもやっぱりその裏ではやっぱり苦労はされてるんだなっていうのをよく分かったので、
僕らも苦労に負けずやっていきたいなというふうに思いました。
また後半ちょっとまた詳しく、まあシカゴの話もね聞いていければなというふうに思うので、またよろしくお願いします。
お願いします。
さて、アメリカンナイトGOLDは毎週日本時間の金曜0時に配信をしています。
番組のご意見ご感想は、ハッシュタグアメゴをつけてSNSで呟いていただくか、メールフォームにお寄せください。
皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお相手はNAKAMURAと
千歳でした。
また来週。