2024-09-06 48:21

#4【ポスドクの先輩・池田宗樹さん 前編】学位取得までと神経科学研究のお話し

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今回はカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)でポスドク研究者として活躍される池田宗樹さん (@imuneki) にゲストに来ていただき、博士課程での他大学院進学と理論神経科学研究のお話しを伺いました!


この回では、

  • 東京の私立男子校
  • 博士課程からの他大学院への進学
  • 線虫を使った理論神経科学研究
  • 線虫に意識はあるか?

などをお話ししています★


もっと詳しい話は池田さんのホームページをチェックしてくださいね!

https://sites.google.com/view/munekiikeda/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E


本配信は個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠@ANG_2024⁠⁠

⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠

★パーソナリティー ⁠NAKAMURA ⁠

★雑務 ⁠おニューのわら人形⁠

★オープニング

⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠

★エンディング

⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠

★ジングル

⁠⁠ハードロック・ジングル(shimtone様)

00:00
アメリカンナイトGOLD
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。
このポートキャストは、アメリカで生活する私、NAKAMURAが、私の日常についてだったり、
アメリカ生活を経験した、または今楽しんでいる方をお招きして、
人生におけるアメリカ留学の意味を掘り下げていきます。
アメリカって聞くと、ちょっと若干楽しそうだなっていう気もするし、ちょっと危ないなっていう気もして、
たまに自分が大学で働いているときも、銃撃があったよとか、銃撃はほんとたまにしかないですけど、
いったくりがあったよとかっていうアラートが来るんですけど、
最近多いアラートとして面白いのが、雇用手アラートってやつがあって、
雇用手がここに出ましたよっていうのが、めちゃめちゃ最近、この2、3週間で来てて、
雇用手なんか一回も見たことなくて、雇用手ってなんだろうなと知られてみたら、
狐の中で一回、狐と狼の間みたいなやつで、結構意外と攻撃的なやつで、
普通にいたら大人の男でも噛みつかれる可能性があるって書かれてて、
結構怖い、銃とかそういうのじゃなくて意外と怖いなと思って、
どうやってやったら倒せるのかなと思って、いろいろ調べてたんですけど、
なんか倒したら違法になっちゃってこっちが捕まるって書いてあって、
だから雇用手に襲われたら、とにかく大声を出して立ち去りなさいって書いてあって、
必ず蹴ったり殴ったり物を投げたりするのは違法に当たるって書いてあったんで、
ちょっと不平等な世界だなと思いつつ、アメリカ生活を堪能しています。
今回、雇用手が出没する大学のハウジングに、
同じハウジングに住んでいる先輩でもある方をお招きして、
そのゲストの方のアメリカに来るまで、また来てからのお話を聞いていこうと思います。
アメリカンナイトGOLD
それでは今回のゲスト、池田宗樹さんです。よろしくお願いします。
お願いします。こんにちは。
こんにちは。
一回池田さんから僕との関係性を簡単に言ってもらってもいいですか。
そうですね。
NAKAMURAさんと同じカリフォルニア大学サンフランシスコ校、UCSFでポスドクをしている池田宗樹と申します。
私がアメリカに来たのは2020年の8月なので、ちょうど4年が経ちまして、
おそらくNAKAMURAさんはその2年後、今いらっしゃるということで、
まず先ほどあったように、同じUCSFがプロバイトしている寮、
ハウジングに住んでいるということと、
もう一つは日本人のポスドクが運営しているコミュニティがあるんですけど、
ベイエリアセミナー、通称バスというふうに訳されるんですが、
そのセミナーの運営スタッフとしてお世話になっているという感じですね。
03:02
という2つの共通点があります。
ありがとうございます。
僕はそこにもう2つ加えるんですけど、
YouTubeが好きな研究者。
なるほど、確かに。
まさかのYouTube、まずYouTube好きで、しかも見てるチャンネルが結構かぶってるという点で、
最初話が弾んだという記憶があるんですよね。
そうですね。
それでいうと結構お互いYouTubeのトレンドみたいなのも入れ替わりまして、
NAKAMURAさん結構ヒカルとか、レペゼンとか、
最近だとわかってTVとかでしたっけ?
そうですね、学歴中系の。
結構炎上してる。
私もそこら辺も渡り歩きましたし、今ちょうどあれなんですよね、
ぐんぴーさん、バキバキ童貞。
ちなみにぐんぴーさんとタメイなんですよね、私は。
彼が1990年の3月で、私は1989年の4月、平成元年生まれなので、
同い年ということもあって、
彼が話してる結構サブカルのニコ動とか、
そういうアニメ、ネットミームとかがすごい自分の世代に刺さるんで、
楽しんでるという感じです。
ぐんぴーさんって青岳ですよね、確か。
青岳ですね、はい。
東京でもしかしたら出会ってるかもしれないですよね。
いや、ほんとそうですね。近場で渋谷ですからね、たぶん青岳って。
あのインタビューもしかしたら、いたかもしれないですね。
まさにそうですね、はい。
もう一つはポケモンスリープですね。
あ、ポケモンスリープ。はいはい。
最近ポケモンスリープで友達にならしてもらいましたけど、
池田さんがどんだけ寝てるか、池田さんがどんだけ強いポケモン持ってるかっていうのを
ちょっと毎日確認しながら、圧倒的にレベルがもう乾燥しますよね。
そうですね、ポケモンスリープがちょうど1年前、
1年1ヶ月前くらいにリリースして、
リリース直後に結構始めたっていうのもあって、
あれってなんか普通のポケモンとは違って、
もうすぐにレベル上げるみたいなことができなくて、
毎日コツコツ寝続けないとレベルが上がんないんで、
単純に長くやってるが故にどんどん強くなっていくっていう感じですね。
最近寝てなくてもスイッチ押して、
携帯ほっといてやってるんですけど、
パソコンとかでカタカタカタカタしてるってあれ、
意外と反応して睡眠したって認識してくれないんですよね。
そうですね、基本的に推奨されてる使い方ではないんですけど、
寝てる時にだけスイッチ押すってことなんですけど、
確かに結構なんか音声を拾うのもそうだし、
結構振動とかも検知して、
とにかく同じベッドの上に置いて寝返り打つぐらいの頻度で振動するみたいなのが、
ちょうど良い睡眠の検出みたいになっていて、
それ以外の雑音とかは異常な振る舞いをしてしまうっていうのはあります。
よくできてますね、そういう意味で。
なるほど。
もうちょっと静かに過ごせば、
06:01
睡眠時間が長く計測されるってことですね。
そうなりますね。
チートですけど。
確かに、そうか。
共通点はそういう意味ではかなりありますね。
そうですね。
しかも2020年の8月ってことなんで、
僕22年の8月なんで、ぴったし2年差なんですよね。
はいはい、4年と2年になりましたね。
そうですね。
だから今年もう既に3年目と5年目が始まって、
そろそろかな、色々頑張っていかないかなっていう。
そうですね、早いですね、時間が過ぎるのは。
そうですね。
池田さんの簡単に自己紹介、出身地とか、
日本でどういう感じでいたのかっていうのを、
簡単にお話ししていただいてもいいですか。
はい、わかりました。
まず出身、生まれたのは東京なんですけど、
2歳くらいのときに千葉県の流山市っていうところに移りまして、
そこからずっと流山で育ったっていう感じですね。
幼稚園小中等、地元の公立中学校に行きまして、
高校から私立の海西高校、東京の西日本にあるんですけど、
あそこに電車で通学するっていうことになりました。
その後は東京大学の理系のところに行かれまして、
その間、東大の前期課程っていうのは小間場キャンパスっていう、
渋谷の方に通っていたので、一人暮らしをして、
一時期、井の頭公園、吉祥寺あたりに住んでいた時期があり、
普通の平凡なキャンパスライフを過ごしていたんですけど、
東大は3年生から進学振り分けということで、
実際に自分の進路を決めて、いわゆる研究室配属とかがあるんですけど、
多くの人はそこで小間場キャンパスっていうところから、
本郷キャンパスっていう文教区にあるところに移るのですが、
私は小間場キャンパスにある学部っていうのも一部あって、
そこに配属するためにずっと小間場キャンパスに通い続けたということになります。
それが学部3,4で、修士1,2まで行くんですけど、
その後、多分後でお話あると思うんですが、
分野を変えて、かつ大学も変えて、名古屋大学に博士課程から移るということですね。
高期課程ですね。
そこで、通常なら博士3年生で学位を取るところ、
博士から始めた研究ということもあって、
5年間かけて学位を取りまして、それが2020年。
その時、2020年の4月から学位を取ってすぐに、
こちらアメリカのUCSFに来る予定だったんですが、
コロナもあって、4ヶ月ぐらい遅れて、
8月に無事答弁できまして、今に至るという感じです。
ありがとうございます。
そうですね、やっぱり改正って聞くと賢いなという感じがしますけど、
なんで中学の時に、普通の国立に行って、私立の改正に行こうってなったんですか?
09:00
まず、中学校で受験をするという発想がなくて、
一応、姉が2人いるんですけれども、
姉2人も地元の公立中学に行っていましたし、
小学校の時に塾に通うという認識もなかったので、
普通に周りの多くの人たちと一緒に小学校、中学校と上がっていったというのがまず一つで、
高校から別に私立に行きたかったというわけでもないんですけど、
単純に塾とか行き始めたり、受験勉強をしたり始めた中で、
高校受験、結構ハマったというか、すごい面白いなと思って、
それやっていくならトップを目指してみようかなみたいな、
ゲーム感覚で受験勉強をやっていく中で、
開成に入れたというような感じになります。
なるほど。
やっぱり自分とかは岐阜出身なんで、あんまり私立で有名なところが、
滝高校とか結構優秀なところがあるんですけど、
自分は岐阜だったんで、愛知県とか行かないといけないんで、
あんまり私立を受けるという文化がなかったんで、
もちろん受けるんですけど、
それは国公立と並岸して滑り止めみたいな感じで受けるという感じだったんで、
やっぱり都会の近くになるとそういうチャレンジができてかっこいいなと思います。
それは本当にそうですね。
当時は全然認識はなかったんですけど、
そうやっていろんな日本の箇所から出身、
進学された方と話していく中で、
関東って恵まれた環境だったんだなというのも後から知りましたね。
一方で、そうは言っても千葉県民で、
東京都民が享受するもののうち受けられないものもあって、
例えばですけど、
筑波大学付属の駒場高校というところがありまして、
そこは東大の進学率でいうと多分改正より上なんですけど、
それは完全に都民、都立なので都民しか受けられなかったりとか、
あと最近で言うと結構都立って中高一貫都立みたいなのがあるみたいで、
もちろん本当に多い子めい子とかそういうところを目指しているみたいなんですけど、
そういうのはやっぱり千葉、埼玉、近郊だと享受できないっていうこともあって、
関東の中でもやっぱり傾斜はあるっていう感じですね。
男子校じゃないですか。
はい。
よかったですか、男子校は。
そうですね。
もちろん後悔している面と、よかったなって思う面はありまして、
後悔している面で言うと、
やっぱり単純に高校3年間のいわゆる普通の青春みたいなのが送れないっていうことは、
やっぱりトラウマにはなりますけど、
ただ一方で、そうは言ってもその開成高校って計400人いる中で、
300人が中学校から上がってきて、100人が高校から入るんですけど、
その残りの300人は中学校3年間も男子校で過ごしてきたっていうのもあって、
それを思うと彼らよりは良かったなっていうまず安心感があったっていう感じですね。
良かった面で言うと、これなんか男子校女子校いった方に多分共通だと思うんですけど、
やっぱりなんていうか、そういう異性の目を気にせずに、
12:01
勉強もできるし、いろいろバカできるっていうことはあって、
それこそなんか授業、夏場とか授業みんなやっぱ半裸で受けてますし、
あとなんかそうですね、覚えているので言うと結構なんか、
例えばなんか英語の先生ですごい発音よくするために、
いっぱいツバが飛んじゃう先生がいたんですけど、
その先生のツバがかからないように前のほうの席の人、
ツバをささしながら授業を受けたりとか、
なんかギリギリの範囲なんですけど、
そういうのはやっぱ男子校のアホさだな、すごい面白かったなっていうのはありますね。
確かにそれはできないですね。女性の前では恥ずかしいですからね、
初心期の頃は。
そうですね。
確かにそういう点では確かにいいですね。
それで大学に東大に行くわけじゃないですか、
で、ビーチである程度やっぱり生物が好きで、
新フリーのときも生物学に行くと思うんですけど、
新フリーして学部生と修士っていうのは、
どういうテーマで研究をされてたんですか。
そうですね、実はリーチに入ったときは、
生物は全然好きじゃなくて、
むしろ最初に生物好きな人っていうのは理科二類に入るんですよね。
リーチなので、数学とか物理が好きだったっていうのはその当時あって、
それは高校時代とかも結構理数系が得意だったっていうのもあったんで、
入ったんですよね。
ただし、大学の数学とか物理に若干ついていけなかったっていうのがありまして、
ゲーム感覚で楽しんでたっていうことなんで、
答えを求めたりというのが好きだったんですけど、
定義定理証明を繰り返すみたいなのすごい何のためにやってるのか、
いわゆるお気持ちみたいなのが当時わかってなくて、
っていうのがあって、ちょっと数理つまんないなと思っていく中で、
結構そういう自分の心の揺らぎみたいなのもあって、
生物、特に脳科学、神経科学とか心理とかそっちの方に興味が移って、
心不利のタイミングで生物系、特に脳科学を選んだっていう感じですね。
心不利だと何でも選べるんですか?
例えば理系から文系に行くこともできるんですかね?
はい、原理的にできます。
ただ当然枠転移みたいなのがあって、
例えば文化一流から何人、文化二流から何人の中で、
理系から何人の枠がすごい少ない。
例えば1人とか2人とか、みたいなそういうことはありますけど、
そこにうまく捻じ込めれば、生きることは生きるっていう感じです。
なるほど。そういう点ではやっぱり東大に、
どこに入っても途中で興味が変わっても、
その分野を変えれるっていう点ではすごい汎用性があるというか、
フレキシブルな大学なんですね。
僕広島だったんで、広島は3年の時に確かに変えれるんですよ。
ただ単位が違うんで、取るべき単位が違うんで、
そこが苦しくなるっていうのがあって、
みんな普通は変えないっていう感じでしたね。
なるほど。確かにそうですね。
変えれるっていうのも取り入れてるのかもしれないですけど、
15:03
そもそも決めなくていいっていうのがまず嬉しいですね。
例えば入試の時に理学部とか医学部とか決めなくていい、
医学部は理算なんであれなんですけど、
とにかく実際に大学の学問に触れてから自分の適性を見極めるっていうのは、
すごい自分には合ってたなと思います。
質問だと、そのまま生物の神経科学に行きまして、
学部と修士の違いでいうと、自分は全く感じなくて、
研究を始めたのが学部4年生、あるいは学部4年生の後期とか、
そのぐらいになるんですよね。
研究室配属が遅くなる分。
そこでやり始めた時から、
修士で続けることを前提に実験とか組んだり、
プロジェクト立てたりしてたんで、
修士って学部4年生の延長っていうのが自分の中ではありました。
何の研究をされてたんですか?
僕たぶん知らないと思うんですよね。
なるほど。
その時はマウスラット、下肢類をモデル動物として、
構造神経科学、いわゆる神経細胞の形状を見るっていうことをやってたんですよね。
特にシナプスの後部構造であるスパインっていうのがあるんですけど、
それの大きさだったり数みたいなのを数えていたりして、
それを指標にして当然マウスラットにいろんな操作をするんですけど、
特に私がいた川戸すぐる研究室では、
性ホルモンとかストレスホルモン、いわゆるステロイドホルモンに着目していて、
それは体でホルモンって作られるんですけど、
ステロイドなんでも油なんで、ブラッドブレインバリアを投下するんですよね。
なので性ホルモン、ストレスホルモンっていうのはダイレクトに脳に影響を与えるということで、
かつ私たちが着目していた階盤の領域っていうのは、
ステロイドホルモンのレセプターの発現量が多いみたいなこともあって、
それで抹消からのストレスホルモンと中枢階盤の細胞の形状みたいなのの関係を見るっていうことをやっていました。
どちらかというとある程度ミクロなマウス、哺乳類を使ってやられてたってことですかね。
スパインっていうのは神経でいうとミクロにあたるんですか?
そういう意味ではそうですね。スパイン、大きさが数十マイクロから数百マイクロくらいの直径なんで、かなり詳細な構造で、
当然今は美貌とかでも見れる、ライブとかでも見れるんですけど、当時は本当に固定して、
後からコンフォーカルとかで、教書点検美胸とかで詳細に見るっていうようなことをやっていました。
そこから名古屋大学に行かれたんですね。
そうですね。
そこは何で東大から名古屋大学に移られたんですか?
まず一番直接的な原因は、川戸研究室の川戸先生っていうのが、僕は修士2年の時に体幹だったんですよね、単純に。
18:04
もちろんそれを知った上で配属、進んだんですけど、なので博士に行くタイミングでどこかに移るってことは事前に決まっていたっていうことと、
それから移るにあたり、分野を変えようかなと思っていまして、
自分は大学数学についていけなかったとはいえ、やっぱり理数系のアプローチっていうのがすごい好きだったので、
もうちょっとモデリングとか理論適用とかそういうのをやっていきたいなと思っていたんですけど、
それをするにはやっぱり哺乳類、人間もそうだと思うんですけど、
まず神経細胞の数も多いですし、すごい詳細に何か実験できるわけじゃないので、ちょっとあまり向かないかなっていうのがありまして、
そこで今の研究につながるんですけど、神経科学の中の一番単純なモデル生物であるセンチュー、シエレガンスっていうものを採用したんですよね。
センチューは302項しか神経細胞がないので、すごい数理的なアプローチに向いていそうだなというふうに、
それは本当にラボを移する前、だから修士1年、修士2年のときに進路を考えていく中で、
センチューしかないなという中でまず自分で決めたというのがあります。
かつその上で、センチューで神経科学でいうと、そんなに研究室ってないんですよね、実は日本に。
なので必然的に選択肢が狭まっていき、名古屋大学に行った森池先生という先生は、
センチューをモデル動物として選んだシドニーブレナーという研究者がいるんですけど、
シドニーブレナーの弟子の弟子、いわゆる孫弟子にあたって、海外でPhDを取られた先生で、
どうせ新しくセンチュー研究を始めるなら、いわゆる血統のしっかりされた先生に教わるのが良いのかなというふうに考えまして、
名古屋大学を選んだという感じです。森先生のラボを選んだということです。
なるほど。センチューというのは、僕1回だけ見たことがあるんですけど、あれは正直どのくらいのサイズなんですか?
まず長さは1ミリですね。直径が50マイクロ、60マイクロくらいです。本当に細長い。
目で見ようと思ったら見れるレベルの小さい虫みたいな。
はい、そうですね。本当に蛍光灯に透かしてみると見えるみたいな感じです。
あの子たちは大腸菌を食べていると聞いたんですけど。
はい、そうですね。センチュー自体は一応多細胞。当然動物なので多細胞生物で、一線細胞くらいあるんですけど、
餌となるのはバクテリア、単細胞生物で。
センチューは土壌に住んでいるので、土壌の中にいる微生物とかを食べているんですね。
特に腐敗した葉っぱとかフルーツとかに集まるような微生物、単細胞生物、バクテリアを餌にしてセンチューは暮らしています。
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今、自分はマウスを使っているんですけど、マウスを見るとかわいいなと思うんですよ。
センチューは見ていてかわいいなと思いながら実験をやっていましたか?
そうですね。それは本当にありますね。かわいいというのもそうですし、
単純に接触している時間が長いと、ある種の人間の能力だと思うんですけど、投影するというか、
それに心があるように思えたりとか、喜んでいたり悲しんでいたりするように思えるという風になっていくので、
それは単純にセンチューに対してもありますね。
やっぱりそうなんですね。自分も博士のときにオタマジャック氏のしっぽを切っていたんですよ。
しっぽを切ったときのオタマジャック氏の目がうるうるしているように見えたんですよね、昔。
はい。真偽のほどはわからないですけど、やっぱり人間の能力だと思いますね。
ロボットとか相棒とか、そういうのにも感情移入しちゃうと思うんですけど、それの一種だと思っていますね。
マウスからセンチューに変えるって結構、分野も変えるし、動物も変えるしって結構大変かなと思うんですけど、
終始から博士に行くにあたって、何か大変だったことだったり、逆にやっぱり変えてよかったなっていう、
もちろん変えないといけない状況だったと思うんですけど、何か良いとこ悪いとこみたいなところってありますか?
そうですね。結構、まず自分の中でいろいろ考えて、しかも研究もある程度、
ねずみでしてから自分でセンチューだと思っていったっていうこともあって、
全く失敗したなという思いはなくて、それは正しかったなというふうに自分は今でも思っていますね。
だからといって、初めからセンチューを選んでおけばよかったってことも思わなくて、
ねずみ下死類をやっていた3年間で得た神経科学一般の知識とかはすごい今も役に立っているので、
そういう意味ではすごい満足しています。
大変だったことでいうと、センチューは発生とか、あるいはジェネティックスとか、
そこら辺を見越してモデル動物として選ばれたこともあって、
結構そこら辺の知識が自分の中で抜けていたこともあり、
割とその一手から遺伝学とかを改めて勉強し直したり、
遺伝学の知識がないがゆえに、うまく実験が進まないみたいなこともありました。
それはあらゆる分野転換に起こり得る状況だったと思います。
なるほど。自分とかだと、博士のときに回路をずっと使っていて、
毎回学会とかで、結局これは人にはどうなのって聞かれて、
妖精類が人に、哺乳類にどうなっているのって聞かれて、毎回うまく答えられなかったんですけど、
池田さんは逆で、哺乳類からセンチュに行ったわけじゃないですか。
そういう点では、人から遠ざかった段階で神経のことを勉強するという観点に関しては、
今の池田さん的にはどういうことを考えて研究されているのかというのをお聞きしたいんですけど。
24:01
そうですね。分野にもよると思うんですけど、私はやっぱり理数理、神経科学といいますか、
そういうモデルをアプライするというような観点でセンチュを選んでいるということもあって、
多分人への応用が問われるのはセンチュ自身じゃなくてモデルになるんですよね。
そのモデルがいかに人間のファンクションを説明し得るかということをすごい頑張ってやっていて、
モデルなり理論なりというのをアプライする、あるいはテストする先としてセンチュが一ついる。
当然人でもやるし、マウスでもやるし、症状倍でもやるんですけど、
そのうちのワンオブゼムという感じではあるので、
何か直接センチュの私がやっている研究だけをもってして直に人につながるというよりは、
理論がその間に介在してくれているので、あまりそこは心配していないという感じですね。
なるほど。なんか最近こっちに来て、やっぱりセンチュだったりハエ、
自分ちょっと最近ハエも使っているんですけど、
センチュとかハエとかってやっぱり哺乳類よりライフサイクルが短いし、
使いやすいというのはやっぱりあるので、
そういう点ではいろんなモデルを作ったときに、
アプライをするとなったときにやっぱりスピードというのが必要になってくるので、
バイオ細胞だったりセンチュだったりハエだったりという、
比較的早くできるような実験系というのは確かに、
もしあったとしたなら有意義なのかなというのは最近思い始めていて、
何も考えずに最初人に近いマウスだと思って行ったんですけど、
今のラボに。
実際は生物ってやっぱり時間がかかっちゃうんで、
時間がかからない生物を使って検証して、
それで時間がかかる生物でもちょっとやってみるっていうのが、
今のポストコ2年やってちょっとずつ考えてきたこととしてそんな感じがありますね。
そうですね。
そのスピード感も一個大事な観点で、
特に寿命の研究とかになるとセンチュはかなりパワーを発揮して。
21日くらいですね。
そうなんですよ。
こっちのそういう老化研究の研究所みたいなのがたくさんありますけど、
そこのセンチュっていうのはそれなりの役割を果たしてるんですよね。
ただ私の研究の文脈でいうと、
そっちよりもむしろ細胞の数が少ないとか、
細胞同士の接続がすべて分かっているとか、
あとすべての細胞の活動を全部取れるとか、
そっちの方がむしろクリティカルで、
それって多分マウスにしろ人にしろ、
多分なかなか無効数年ではできないことだと思うんですよね。
一方でそういう神経科学の数理の理論とかって、
そういうデータが得られていることを前提に結構構築されている部分もあるので、
そういう意味では本当にセンチュ。
次に多分症状倍が近くできると思うんですけど、
そういうものじゃないと今のところ理論をナイブにアプライできないということが、
そっちの観点でセンチュを重宝しているという感じです。
センチュが1個1個神経がつながっていたり、
この細胞がこの細胞になるよというのは分かっているというのは、
27:02
やっぱり昔の人たちが頑張って1個1個確かめたからなのか、
それともファンシーな研究、技術を使って明らかにしたのかというのは、
どういう歴史でそういう全部が分かっているんですか。
かなり前者による部分が多くて、
最初センチュをモデル動物に選んだシドニーブレナーが、
イギリスの分子生物学研究のMRCというところにいて、
そこでチームを作ったんですね。
そこで本当に分業して、センチュの受精卵から生体の腺細胞による発生の過程を、
全部顕微鏡で肉眼でスケッチして記述するとか、
神経細胞の接続に関しては、
単純に本当に電研の切片を作って、
1枚1枚、当時多分すごい分厚かったと思うんですけど、
それを作って、1個1個神経細胞のシナプスとかをトレースして、
マップを作って、みたいなことを本当に数十年単位でやったんですよね。
1970年代、80年代で。
それのおかげで、かなり今データが揃っている状態で、
研究をできているということがありますね。
なるほど。
そう考えると、やっぱり便利なモデル生物のツールとしてはすごい良いですね。
そうですね。
もちろん、行動の複雑さとか賢さという意味では、
当然高等の動物に劣るので、
そういうことを直でやりたいと思っている人にとってみると、
全く使えないモデル動物になると思うんですけど、
対象を選べばすごいパワフルだと思います。
最近、ドラッグスクリーニングとかもちょこっとだけやっているんですけど、戦中で。
やっぱり彼らは寿命の研究なんですけど、
早く死ぬし。
そういう点でやっぱり非常に生物学的に役立っているなというのは、
最近戦中の活躍が見られているなという感じがしますね。
世界的にも。
そうですね。
そうなっているのはすごい嬉しいことで。
なので、話を戻すと、
日本の戦中研究のラボは数えるほどしかなかったことと、
結構そういう方々も今体感。
私がいたときの森先生も去年体感してしまって、
結構あれなんですよね。
その戦中研究者のコミュニティとしても、
日本はすごいこれから盛り上げないとというフェーズになっていて、
そういう意味ではアメリカに来て、
こんだけたくさんいろんなラボだったり、
併用して戦中も使っているみたいなところもあったりするのは、
すごい嬉しいですね。
そうですね。
めちゃめちゃ戦中使っているグループがいるので、
ハエと戦中って結構みんな使っている。
どこのラボも結構持っているなという感じがしますね。
かせかて戦中やって、
アメリカでも今戦中やられていると思うんですけど、
なんで日本で続けずにアメリカに来たんですか?
そうですね。
多分アメリカに来たかった理由は、
結構今までのストーリーとは独立して、
30:00
単純に何というか、
アメリカというものにまず漠然とした憧れがあるということと、
あとはやっぱり研究を始めてから、論文もそうですし、
学会とかでの欧米の研究者と触れて、
やっぱりそこで一回身を置いてみたいなという、
戦中とか神経科学とかは全然関係なく、
漠然と想像した思いがあって、
実はなので、
修士から博士に移るときに、
海外PhDも結構考えたんですよね。
なるほど。
で、書類のこととかを調べたり、
あるいはどういうテストの点数が必要なのかということを
結構リサーチして、
実際にテストもいくつか受けてたりということをしたんですけど、
それと並行して、
もう戦中はやりたいということはその時点で決まっていたので、
海外のどこの大学に行けばいい戦中の研究者、
特に数理系に強い研究者がいるかということを、
情報収集もしていて、
それをネットでもやってましたし、
日本にいる戦中の研究者にも聞きに行こうみたいな感じで、
結構そこで日本の戦中研究者のシンポジウムとかがあったら、
そこに参加して、
聞きに行って、
今度海外に行きたいんですけど、
どういう戦中研究者いますかみたいなことを聞いていたり
ということをやってたんですよね。
その中で、まず1個は、
テストを多分すごい皆さん何回も何回も受けていると思うんですけど、
あんまり何というか、
初回の数回でちょっとかんばしい成績が出なかったことと、
かつその中で名古屋大学の森先生に行ったときに、
結構すごい熱意を持って話していたら、
うちに博士課程で来るというのもいいんじゃないみたいなお話をいただいて、
揺れたというか、結構迷ったのは迷ったんですけど、
さっき言ったように森先生は海外でPhDを取られて、
かつそういうすごくいい系統の先生だったので、
それもありかな。
しかもそのときはちょっと甘く考えていて、
海外PhDで行ったら確実に5年以上だけど、
博士課程、日本の博士課程なら最短3年で出られるなと思って、
そこら辺の打算もあって、
海外はそこで諦めて、
日本の博士課程に行ったということがありました。
なので、日本にいる間も海外への憧れをずっと捨てていなかったので、
じゃあポストドクのときに行こうということで、
自然的にポストドクで来たという感じです。
なるほど。
例えばシドニーブレーナーとかはイギリスにいて、
戦中で有名な研究者ってヨーロッパにも点在していると思うんですけど、
ヨーロッパとかそういうところじゃなくて、
なぜアメリカだったんですか?
そうですね。
それに関して言うと、
確かにアメリカへの憧れというのも後押ししたというのは間違いなくありますね。
つまり純粋に研究室だけでは決めていないと思います。
ただ、じゃあヨーロッパのほうが戦中研究が強いかというと、
33:02
実際のところ結構ヨーロッパでオリジナルでやっていた人もどんどんアメリカに移って、
現状多分アメリカのほうがコミュニティとしては大きくて、
国際戦中学会というのが2年に1回あるんですけど、
それもほとんどアメリカで開かれているというような状況ではありました。
なのでそこらへんはイーブンかなというところですね。
池田さん、アメリカで戦中の研究をしているという話なんですけど、
実際何の研究をしているのか説明してもらってもいいですか。
はい、そうですね。皆さんそうだと思うんですけど、
結構いくつかのプロジェクトを並行してやっていて、
実は今所属している研究室でメインでやっているのは、
さっき言った戦中の神経細胞の活動を全部取れるというふうに言ってしまったんですけど、
実は302個の神経細胞を全部取るというのはまだちょっと難しくて、
それを取るための顕微鏡を作る、組み立てるというのがメインのプロジェクトなんですよね。
なぜ難しいかというと、戦中さっき言った1ミリって結構細長いので、
顕微鏡の分野では1ミリってそれなりに大きい、長い数字なので、
それをカバーするかつすごい早く神経細胞の活動を
トレースできるぐらいの速いスピードで作動するということで言うと、
結構現存の顕微鏡では難しくて、それをオリジナルで組み立てるということを
4年かけて今やっているというところです。
顕微鏡を組み立てるというのは具体的に、
もう顕微鏡は買ってくるものだと思ったんですけど、
顕微鏡を組み立てるというのは部品を買って反射とかそういうのをいじってやるんですか?
まさにそうですね。
それも一個一個のレンズだったりとか、ミラーだったりとか、
そういうのをまずパーツパーツで買ってくる。
かつ下に等間隔でネジが開いているすごい広いブレッドボードというのがあるんですけど、
それに適切な距離感で配置してボルトをネジで締めて、
そのミラーの角度とかもレーザーとかを使いながらちょっとずつアラインしていくという、
そういうようなことをやっていますね。
それがレゴに近いというか。
生物学とは若干違うという感じですね。
まさにそうですね。
光学よりというか。
実は結構予期しなかったことで、
本当はそれをやるためのメンバーがいたんですけどね、
私がその着任した頃にはいたんですけど、
ちょっとコロナとかもあってその方が去るということになってしまって、
そこで引き継いでみないかということを言われたので、
かなり軽い気持ちで面白そうだしやってみようかなと思ってやったら、
割とこれがすごい、自分が知識がないというのもあって、
かなりタフなプロジェクトだったということがあります。
なのでもしその方がそのままやっていたら、
4年間もかかんない。
2年とかそのくらいできちゃうことだと思うんですけど、
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ちょっと自分の知識不足もあって時間がかかっているという感じですね。
今はもうほぼ完成したという感じですかね。
そうですね。
ようやくもう活動というか像自体は撮れるようになってきて、
だから今はあとはデータ処理の方ですよね。
エタ像から神経細胞を導体して、
それからフレームの間の神経細胞をどれとどれをつなぐかというのも、
こちらで決めなければいけないことなので、
そこら辺を画像処理としてやる。
これもまた別の専門性が必要になるんですけど、
それに着手しているという状況です。
なるほど。
それとは別に他のプロジェクトとかも進めてやっているんですか。
そうですね。
今後でまた話があるのかもしれないですけど、
自分は東京大学の大泉県という理論神経科学のラボにも所属がありまして、
学術振興会の特別研究員のCPDというものがあるんですけど、
それをいただいてアメリカに派遣されているという状況になっています。
なのでそちらはそちらでプロジェクトを持っていまして、
それがまさに言ったように線柱を使って大泉研究室でやっているような理論を適用するということをやっているんですね。
特に大泉研究室では意識とか知覚とかそういうものをどう理論的に捉えられるかということをやっているんですけれども、
それのアプライ先として一つ線柱というのがあって、
まさに自分が取ったデータだったりとか、
他のラボで取られたデータを集めながらその理論を適用して、
理論の正しさだったりとか間違いを修正していくというようなことをやっています。
面白いですね。線柱って意識とかあるんですね。
パッと気になったんですけど、線柱って寝たりするんですか?
寝る、起きる、麻酔、そういうのがあるんですよね。
なので、私たちが日々体験するような意識の変動に相当するような状態はある。
ただし、私たちが起きているときに意識があって、寝ているときに意識がない、
みたいなことが線柱でも主観的に体験できているかというのは究極確かめようはないですね。
コミュニケーションできないですもんね。できるんですかね?
コミュニケーションの問題なのか、これは結構哲学的な問いでもあるんですけど、
究極意識があるかどうかわかるのは自分だけなんですよね。
今こうやって話していても、私は自分に意識があるとわかっていますけど、
NAKAMURAさんに意識があるかどうかは究極確かめようはなくて、
コミュニケーションによって確かめられるとは思いますけど、という見方もありますけど、
別にNAKAMURAさん自身になってNAKAMURAさんの主観を体験することはできない。
それと同じ塩梅で、例えば犬とか、みんなコミュニケーションをとって意識があると思えていますけど、
本当にあるかどうかわからないというのは、実はその戦中に意識があるかどうかわからないのと、
実際というか、同じレベルでわからないので、
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結構だから人に意識があるかどうか、犬に意識があるかどうか、戦中に意識があるかどうかというのは、
結構根底では同じ問いにぶつかると思います。
意識があるという生物学の定義としては、神経の伝達とかなんですか?
生物学的な定義は多分、おそらくなくて、
哲学的な定義でいうと、まさにさっき言ったように、
そのものになったときに感じる何かがあること、それが意識の定義なんですよね。
よくコウモリであるとはどういうことか、みたいな言われ方がするんですけど、
コウモリになったときに、例えば超音波を使ってこういうふうに空間を把握しているから、
こういうふうに感じるだろう、みたいなことを想像できるじゃないですか。
実際にそうなることはできないんですけど、みたいな感じで、
その主観になった、そのものになったときにどういうふうな体験をしているだろう、
その体験のことを意識と定義するんです。
なので、例えば、そういう意味で言うと、もちろんここも賛否がありますけど、
石とか草とか、草はちょっと微妙なところですね。
だからそのものになったときに、自分が今体験しているような意識と思えるような経験があると思えなかったら、
それは、いわゆる意識がないと自分は判断しているということになると思うんですけど、
というような結構バーバルなディスクリプションしかできていないという現状ですね。
面白いですね。そういう定義的なところだったり、
全中でそういう理論を確かめたりするというのも面白いですし。
だからアメリカと日本との共同研究、
言ってしまったら二刀流みたいな感じでやっているということですね。
そうですね。はい。
あと結構、共同研究という意味では割とその2つに加えて、
自分が名古屋大学にいたときに、2ヶ月間だけ研究留学させてもらうみたいな機会があったんですけど、
そういう名古屋大学のプログラムがあったんですけど、
そこでもう理論神経科学のインディアナ大学のラボに所属して、
そこで戦中のモデル化みたいなことをやっていたんですけど、
それも今継続してやっていますし、
今まで出会った人と楽しそうだなと思った人と共同研究をパッと始めて、
意外とすぐ辞めずにそれをずっと継続するという今のところの傾向があるので、
今は割と複数プロジェクト5、6個抱えている感じがあって、
しかもまだどれも論文化していないという状況なので、
ちょっと早くどこかに絞ってどんどん形にしていかなければいけないなというふうに思っています。
日本とアメリカで研究を、日本とやっているのとアメリカで自分でやっているのってあるんですけど、
研究環境って何か違うってありますか?
そうですね。日本もアメリカも自分が観測した研究室というのは数限りあるんですけど、
現状の自分の経験の中で言っても、
例えばアメリカでの研究室の方がお金がふんだんに使えて、
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かつ高い装置も使えて、
それから精神的あるいは物理的な安全性みたいなのもわりと担保されていて、
非常に自分にとってはやりやすい環境だなというふうに思っています。
アメリカの方が安全性があるってどういうことですか?
結構研究室で閉じた空間なので、
そういう厳しい物言いだったりとか、人間関係だったりとか色々苦労すると思うんですけど、
それは日米問わずどこの環境でもあると思うんですが、
アメリカの特にこの西海岸っていうのは、
わりとそういうことを表に出さないことを良しとするっていう、
つまりナイスでいるみたいな、
表層上はナイスでいるみたいなことを良しとするっていうような雰囲気が深くても自分の中で感じていて、
そういう意味で内心どう思っているか分からないけど厳しいことを言わないとか、
そういうようなことを徹底されているっていう雰囲気が自分は感じていて、
それがすごい心理的安全性が保たれているなというふうに思っています。
確かに西海岸はゆったりしているイメージはありますね。東に比べて。
そうですね。東は東でやっぱり違った雰囲気で、
車を運転していてもすぐにクラクションを鳴らすとか、
行列で来ていてもすぐに怒鳴るとか、
わりと強く物を言うっていうのが比較的あるっていうことをニューヨークから来た人から聞くんですけど、
逆に東から西に来た人が言うのは、みんなが表層的すぎて、
すごい友達とかができにくいというか、深い話ができないとか、そういうようなことを聞いたりもしますね。
確かにそのイメージはありますね。人が話していても。
研究室とかではずっと英語で喋っているんですかね。
基本的にそうですね。私のラボはアジア人がいなくて、
日本人もいないですし、アジア人もいなくて、
ミックスの方々がいらっしゃるんですけど、基本的にアジアの言葉を話せる方はいなくて、
皆さん英語で喋っているということですね。
実験系、顕微鏡装置を作るのも、モデルを組むのも一人でやることが多いので、
会話量としてはすごく少なくて、ラボのミーティングとか、
ちょっと挨拶するときは英語で、あとは狭い部屋に閉じこもって、
それこそあんまりよくないですけど、日本のYouTubeを聞きながらやったりすることもあるので、
わりと日本語は抜けないというのは、英語付けには慣れていないかなと思います。
やっぱり英語を喋るという点では、英語はどういうふうに身につけて、
もともとこっちに来る前から身につけてあったのか、
それともこっちに来てだいぶ改善されたのかというのは。
そうですね。まず英語の勉強し始めたタイミングで言うと、
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まさに修士から博士に行くときに海外PhDを考え始めたタイミングで英語の勉強を始めました。
だからそれまでは本当に全く喋れなくて、全く聞けなかったですし、
ただそのときは頑張って英語のYouTubeをずっと聞いたんですよね。
聞けるときはアニメについて語っている人とか、ゲームを実況している人とか、
そういうのを聞きながらやっていたので、すごい耳をどんどん鳴らしていたというのはありますね。
それをずっと続けていたので、聞くことに関してはアメリカに来る前と来た後で
劇的に変わったなということはあまりそこまで感じていないですね。
一方、しゃべるほうに関しては、やっぱり頻度は増えたので、
言いたいことがそれなりにスムーズに出るようになってきたかなということは、
徐々に感じ始めているんですけど、ただ一番変化が大きいなと思うのは、
英語が聞けなかったりしゃべれない瞬間への恐怖とか恥みたいな、
そういう感情が一切なくなったっていうのが、たぶん自分の中で一番でかくて、
英語を話そうとしているときにすっかえちゃったり出てこなくても何の戸惑いもないですし、
逆に英語を聞けなくても何の申し訳なさもなく聞き換えちゃっていますし、
そういう心理面が育ったな、なんであんなに昔ビビっていたんだろうというようなことはすごい思いますね。
なるほど。だからやっぱりビビらないということが大事なんですね。英語をうまくなるには。
そうですね。心理ハードルを超える。
それこそ言ってましたけど、出川イングリッシュでもいいわけじゃないですか。
出川イングリッシュで勝つ実力もちょっとあれば、たぶん最強だと思うので。
そうしてこの研究生活というのは楽しいですか?
研究生活、そうですね。本当に今、自分の人生を振り返っても一番楽しくやらせてもらっている時期かなというふうに思うので、
逆に将来が怖いですね。楽しくなくなっていくだけだったらどうしようという不安を常に抱えています。
それに関してはまた次のブロックでお話しさせてください。
はい。分かりました。
というわけで今回はここまでです。今回は池田文明さんがアメリカに来るまで、そして現在の過ごし方を伺ってきました。
今回の感想はどうでしょうか。
そうですね。こうやって自分のやってきたことを振り返るのはそんなに初めてに近かったので、
意外と自分でこう思ってたんだなというのを喋りながら気づけたというのがすごいありがたかったですね。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
さて、アメリカンナイトGOLD、アップルポッドキャスト、スポーツファイ、アマゾンミュージックにて気が向いた時に配信を行っていく予定です。
48:01
番組のご意見・ご感想は、Xの番組アカウント、
や、メールフォームにてお寄せください。
ここまでのお相手はNAKAMURAと池田がお送りしました。
また次回もお楽しみに。
48:21

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