自己探求の始まり
こんにちは、50代の最初の一歩を応援します。安葉ようこです。
今日はですね、ちょっと遅くなっちゃったんですけれども、
この間ですね、去年まで私が受講していたフローリッシュビジネス講座の主催でいらっしゃいました、
愛と受容のワークというのを、講座というかワークブックを使って、
自分の気持ちを掘り下げていくというようなワークに参加しておりまして、
そのズーム会がこの間あったので、その話をしようかなと思います。
その時、めちゃめちゃ気づくことが山のようにあって、
自分が今まで思い込んでいたこととか、自分の中で気につけていたこととかっていうのが、
いろいろ見つけることができたなっていうのと、
あと一番すごく感じたのは、私意外と自分の気持ちをスルーしているというか、
あんまり気に留めてなかったなっていうのをすごく感じました。
私もそのズーム会の中で質問させてもらって、
そのワークブックの中に親を許すというのが一番最初にあって、
そこが自分自身を見つめるための肝になるところということで、
みちこさんもすごく何度も何度もおっしゃってくれるんですけれども、
そのワークをやっている時に、
私はお母さんに対して、自分の母親に対してそんなにネガティブなイメージ全然ないし、
むしろ今はそういう考え方ができていることが、
あの年齢にしては珍しいなとか思ったりとか、
ありがたいなって思うこともあるし、助けられているなっていうことが多くて、
全然母親に対してそういうイメージないんですけど、どうしたらいいですかねみたいなことを質問させてもらったんですよ。
そしたら本当に何もないのかという話になりまして、
でも本当にゼロではなくて、うちの母親は結構自由に遊び回っている人で、
早くに離婚をしていて、祖父母と一緒に暮らしていたこともあって、
ほぼほぼシングルを満喫しているような女性だったんですよね。
本当に趣味もたくさんあって、家にいないっていうのが私の中ではすごいあって、
おそらく半公期ぐらいの中学校ぐらいかな、その時ぐらいに、
この人いるんか私に、何が必要なのかみたいな、家のこと全然しないし、家にいないし、
私が寝るときにはまだいなかったりとかして、朝はまだ寝てるみたいな感じでね。
ちゃんと仕事もしてたんですけど、フルタイムでめちゃめちゃね。
だけどそんなイメージが残ってますっていう話をちょっとだけさせてもらったら、
それって結構強い印象じゃないですかって言われて、その時初めて、
これって結構みんなが、親とかに対してはそういう感情を抱くってことは、
結構強い思いがあっての発言だったんだ、そういう思いだったんだっていうことに、
気づいたんですよね。そこからちょっと考えてみたら、
こういうこともそうかもとか、あれもそうかもとか、いろいろ思い出してきて、
家に全然いなかったのもあって、私を遊びに連れてってくれるのは、
大体ね、母の弟たちだったんですよ、おじさんですね。
おじさんたちが私を本当にどっかに連れてってくれてて、よくよく思い出してみると、
母とお母さんと一緒に出かけた記憶ってのがほぼなくて、
かといってでも、いまだにそれだけ思い出せないのは、
それを寂しいと思ってたかどうかっていうのはまだ私の中では分からなくて、
そういうところをどんどん先ほどの言葉をきっかけに思い出すことができました。
そういうことを考えながら、自分の感情をあまり気にしてないというか、
我慢してるつもりもないけど、気づけてない。
自然とサッとスルーしちゃうっていうところが、私の中にあるんだなって思って、
そう思ったらね、私は結構嫌なことがあっても、
寝れば忘れます、忘れられます、何時間かで忘れられますっていうのが、
自分のいいところって思っていたんだけれども、
それもね、なんかちょっと違うんだなと、感じないようにしているのか、
無意識のうちに蓋をして無視をしているのかっていうところが、
忘れられてる、忘れ切れてるっていうところに繋げていってるんじゃないのかなっていうのをすごく感じて、
それがね、決して悪いところとか、それが今までいいところと思ってたところが、
実は悪いところだったとは思わないし、いいところでもあるとは思うんだけれども、
物事の捉え方っていうか、物の見方一つで、
こんなにも意味が違ってくるっていうのを見つけられたっていうのも、
なんかすごく私の中では衝撃だったし、
何よりも本当に自分があまり物に執着しないとか、
何か推しがいないとかっていうのを今まで話してきた中で、
そういうのも全部一つ一つをね、私が気にしてないだけなんだ、
スルーしてきてるだけなんだっていうふうに思えてきたら、
なんかちょっともったいないなっていうふうな気持ちが浮かんできたと同時に、
そういえば何かすごくはしゃいでいたりとか、
例えばすごく嫌なことがあって悩くような時も、
感情の受容と自己理解
どっかでもう一人の私がいて、すごくそれを見つめてるような感覚、
もう一人の私がすごく私を冷静にさせてくれてるというか、
それが何らかの影響を私の心の中で引き起こしてるんじゃないのかなっていうふうに思うこともできました。
なんかね、もう一人の自分がいるなみたいなのは、
なんかちょっと感じていて、いつも引きで見てるなっていう感覚が私の中にあったので、
それをよくよく思い出してみると、
何か本当に何かを言葉にしたいなっていうふうに思いました。
何かを言葉にしてるわけではないけど、
とにかく俯瞰でずっと私が楽しんでいても泣いていても、
なんか澄ました顔で冷たい目で見ているなって。
その視線を私が感じると、
スーッと私も冷めていってしまうみたいな感覚が、
そういえばあるなっていうことに気づいたんですよね。
やっぱり自分のこと自分で分からないっていうのを
ずっと自分の中で思っていたんだけれども、
私が自分のことを分からなかったのは、
自分の気持ちを見ていなかったっていうことに尽きるんだなというふうに、
今回のZoom会でめっちゃ気づくことができて、
なんかね、
もっとはっちゃけたりとか、
弾けたりとかっていうのを、
今度から体験してみたいなっていうふうに思えてきました。
これから私が楽しい選択をしようとか、
どっちかを選ぶのであれば、
自分が楽しい方とか心地いい方っていうところを考えるのであれば、
本当に素直にそれを感じ取れる状態じゃないと、
それも選べないよなっていうふうに思ってしまったので、
少しずつでもいいからやっぱり自分の気持ちをスルーしないで、
見つめていくというか、
もっと探ってみるっていうようなことをね、
今後ワークが残っているので、
そこでやっていきたいなって思いました。
はい、
三塚さんのワークとか、
どっちかというと、
自分の気持ちを大切にっていう言葉がね、
今までそれを意識しているつもりではあったけど、
本当の意味でのそういうところかっていうのを、
おそまきながら気づけたなっていうのが、
すごく今回の大発見、
自分の大発見だったなと思っています。
いつもそういう気づきをあげて、
自分の気持ちを大切にするという言葉が、
今までそれを意識しているつもりではあったけど、
いつもそういう気づきを、
私に気づかせてくれる、
三塚さんありがとうございました。
しばらくワークとか、
ズーム会の方にも参加して、
もっとどんどん自分の気持ちに潜っていけるように、
なりたいなって思っています。
今日は先日ありました、
三塚さんの許しと需要のワークの、
ズーム会の話をさせていただきました。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
今日は以上になります。
ありがとうございました。