よりゴールが必要だっていう理由ですよね。
よりもっとわかりやすく伝えるために。でも主体性を持つためって言っても、それもちょっとわかりづらい人っていると思うんですよね。
主体性を持って人生を歩むためにって言うとどういうことなのかって言ったら、
主体性の要は、自分軸に近いのかな。若干似てる部分はあるんですけども、
自分の人生を舵を取りながら生きていくっていう風にも言い換えられると思うんですよ。
それはみんなやってる、自分はやってますっていう人とか思ってる人って多いんですけども、結構世の中の人って主体性がなく生きている人ってすごく多いんですよ。
私もそうですね、自分の人生を振り返るとどうなのかしたら、私は結構自分の欲望に対して素直に欲しいから取りに行くっていうスタンスは結構昔からあるんですよ。実は。
だからそれが、私にとってはデフォルトの状態なんで、
そうじゃないっていう人を知った時に結構ショックだったんです。もうカルチャーショックどころじゃないですよね。
マジか!みたいな思ったんですけど。欲しいと思ったものは欲しいじゃないですか。
例えば、私は人とかをすごくどっそりと取りに行くっていうのが、このラジオを聞いている人はわかるかと思うんですけども、
あの人と話したいと思ったら素直に話したいですっていうのを相手に伝えるし、時間を作ってもらえるのであれば時間を作ってもらって、それで話すし、
直接会いたいですってなったら直接アプローチを相手にちゃんと伝えるし、っていう感じで、本当に人に対しては結構素直にその自分の出てきた感情に対して私は
なんだろう、こう、相手に対してその気持ちっていうのをしっかり伝えるスタンスは昔からありますね。
でも世の中の人って意外とそうじゃないっていうのを、いろんな人の話を聞いているとそうなんですよね。
それすらも思わない人っていうのもいるんですよね。
そういうのを結構私は知らないというか、理解していない部分っていうのがすごくあるんですよね。
なので、主体性を持って言うと、やっぱり自分でこうしたい、ああしたいっていうものが、少なからず欲求としてあるじゃないですか。
それに対してどれだけ素直につかんでいくかですよね。
欲求すら見えないっていう人も、もしかしたらいるのかもしれないですね。
それこそ、自分が何になりたいのかわからないとか、自分が、自分の気持ちがわからないとかっていうのもそうですよね。
たぶんそれは、自分の気持ちっていうのを常に無視してきたからなのかなと思うんですよ。
そうですよね。私なんか結構振り返ってみると、自分の気持ちに構いすぎてた部分ってめちゃくちゃあるなって思ってて、そういう人もいるんですよね。
自分の気持ちに構いすぎると、過保護になったりとかもするし、
自分の気持ちを大事にしすぎてて、何か行動に移せなかったりとかするっていうパターンもあるんですよ。
私なんかも本当にそれだなっていうふうに最近思うんですけども。
そこもバランスなんですよね。
そう、なかなかね、そのバランス…ね、何年人間やってんだよって思うんですけども、面白いなーって自分ながらに思うんです。
思いますね。
そうだな、主体性…そうですね。自分の人生って本当に自分のものなんですよ。
主体性がじゃあ無く人生を生きるってどういうことなのかって言ったら、
要はゴール設定をしていない、何か欲求に対して、別に行動していないとかっていうふうになりますよね。
たぶん生理的欲求に関しては、皆さん普通に行動すると思うんですよ。
眠るとか食べるとかね、そういったものっていうのは、そうじゃないものですよね。
そうなると、自分の人生なのに人から人生を握られるっていうような状況になっていくんですよ。
極端に言えばですね、人間ってものすごくいろんなものに影響を受けながら生きている動物でもあるんですね。
なので、すごく自分の目的地とかそういったものがない場合って、結構流れやすくなるんですよ。いろんなものに流されやすいかな。
だからテレビの情報とかで、テレビとか、まあテレビ最近見ないよね。
YouTubeの情報とか、SNSの情報とかに、例えばね、極端な不安とか恐怖とか、そういった煽るようなものに対して、すごくそっちに流されやすくなっちゃったりするんですよ。
なので、そうなってくると、不安に飲まれやすくもなるし、その見る情報によって影響が出るんで。
だから自分の人生じゃなくなってくるんですよね。
知り合いの中で、すごく言葉が強いとか、画が強い人とかで、めっちゃ自分と距離感が近くなってくると、その人ってあなたのためにとかって言って、いろんなものを強烈に押し付けたりとかするんですよ。
そういう人もいるんですね。
そうすると、あの人って私のためにすごい言ってくれてるんだから、まあそういうふうにしていこうとかしていかなきゃとか、そういった一種のちょっと呪いじゃないですけども、そういったところに流されやすくなるんですよ。
旗がないんで、自分はここに行きたいっていう旗がないと、いろんなところに流されていっちゃうんですよ。
それが私はゴール設定をしてないと、やっぱあるかなと思いますね。
だってどこに向かうのかっていうのを決めてないから、どこでもいい状態。
じゃあ、近くにいる人の影響を受けちゃうっていう状態になるんで、それがなんか主体性のないっていうことなのかなっていうふうに、私は今のね、現段階としてはそういうふうに捉えてますね。
別に何だろう、それでその人の人生が楽しいとか幸せだっていうふうに思っているのならば、別にそこは問題ではないんですよ。主体性があろうがなかろうが。
ただ、今の現状の中ですごく嫌だなって思ってたりとか、
私はこういった自分自身になりたいなっていうのが、もしあるんだとしたら、ちゃんと自分の目的地っていうものを旗を立てるじゃないですけど、ここだよ!みたいな。ここに向かいます!みたいな感じで、ブスッと自分の脳みその中に旗を立てて生きていった方のが、
いろんなものがたくさんね、今まで見えてなかったものがたくさん見えてくるから、すごくこう、いろんな変化も感じるしね、面白いんじゃないのかなって思うんですよ。
ただ、何を持って面白いかっていうのも人それぞれだと思うんですよ。人生において何を大事にしてるかっていうのも人それぞれだし、
私は本当シンプルに楽しく生きてればいいよっていう風に捉えてます。人生っていうのは。
その中で大事にしているものっていうのが、まあその家族だったり、あとは家族っていうか、まあそうね、伴侶だったり、あとは自分の中で切っても切れない海外っていうワードだったりとかですね。
今日谷山さんと話してて、なんかその人の趣味とかを聞いていったら、セッションの下、セッションかわかんないですけど、友達だか知らないですけど、その時に趣味が海外旅行って言ってて、
それで目標の中で、何だったっけなぁ?
なかなか面白いなって、それも。
そういった人?でもそれは大なり小なり誰しも持ってるんですよ。
それこそ、なんだろう、常識もそうだし、一般常識もそうだし、ビジネスをやっている人の中でも、ビジネスってこうなんだっていう枠ですね。
枠にとらわれているものってあるんですよ。私もすごくそれは今でもたくさんあるなっていうふうに思ってて。
ただ知らないだけだし、そういった人が、ビジネスってこういうものだっていうふうに思ってない?思ってない?言ったらいいのかな?
自分がこう思っているものと全く真逆の人が楽しくやってるとするじゃないですか。
その人を見て、
あ、もしかしたらビジネスってこういうふうにできるかもしれないっていうふうに自分が思ったら、やっぱその昔持ってたビジネスってこうでなきゃいけないっていうのが現実っていうのが崩れるんですよね。
これがやっぱめちゃくちゃ大事だなと思って、自分の固定観念って言ったらいいのかな?
それをどんどんどんどん壊していく。壊していくがめっちゃ大事なんですよね。
そう、なんか新しい世界じゃないですけど、その自分のそのこうなりたい、ああなりたいって言っているところって、今の自分の持っている考え方とか、そういったなんて言ったらいいの?固定観念を壊した先に結構あるんですよね。
壊した先に全く違う現実があるっていう風な感じなんだろうなぁと思って、でもその壊すのって怖いんですよ。
怖いの。いつもと違う不安があるみたいなね。
そう、だからなんだろうなんだろうね。まあまあちょっと話はね、だいぶ広がっちゃいましたけども、まあ
自分のその欲求に対して
どれだけ素直に欲しいんですって、それで取りに行くかだけなんじゃないのかなと思いますね。
で、ゴール設定っていうのは、何のためにするのかって言ったら、自分の人生の舵を取るためですね。
自分の人生の舵を取るっていうのは、もっとざっくり言ったら、自分が中心、そのなんだろう、この地球の中心にいて、自分からこの外の世界は始まってるっていう感覚になるため。
すぐわかりづらい。
自分中心に世界って回ってるんだっていう風になるためって言ったらいいのかな。
だいたい起業家の人はみんなそう思ってると思います。起業家の人で、なんかいろんなことを成し遂げてきた人とか、そういった人って全部そういうふうに思ってると思いますよ。
ちょっと長くなりましたけども、もしね、なんかよくわかんないっていう人がいれば、ゴール設定についてはちょっと聞いて、質問してもらえれば全然答えるので、聞いてもらえれば返信します。
でも難しく捉えてほしくないですね。自分の舵、人生の舵を握るためです。
自分で主体性を持って生きた方のが、いろんなものが見える。そしていろんなものが掴めるので、すごく面白いですよ。
なんで、ゴール設定、今一度ね、考えてもらえたらなと思います。
ということで今回は以上となります。またです。