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こんにちは。お聞きいただきありがとうございます。あきねです。
こちらは、ASDの息子を持ち、発達凹凸のある子どもたちの支援の仕事をしている私が、
息子を通して出会った行動分析学を広めたいチャンネルです。
先日スタエフ内である放送を聞いていました。
タカコバさんという小学校の先生のチャンネルで、タイトルが
安心が先、成長は後、言葉が出た日の気づきという放送です。
タカコバ先生の実体験で小学校高学年のAさんのお話です。
Aさんは家庭では会話をするんだけれども、
学校ではかなり限られた相手とお話できるのみで、教室にもあんまり入れないそうです。
でも本人の気持ちとしては、教室で過ごしたい思いがあるというそんなお子さんだそうです。
ある日、タカコバ先生はAさんとしばらく一緒に時間を過ごすことになり、
だけどこれまでそんなにたくさん関わりがなかったそうで、
タカコバ先生としては、Aさんの声は聞けないかもなぁと思いつつも、
自然な語りかけを一人で続けていました。
するとしばらくして、それに応じる形でポツリポツリとAさんも言葉を発してくれたんだそうです。
そのことにもちろん喜びを感じながらも、
先生はその感情をあえて表に出さず、
つまり話してくれたことに注目して褒めたりとかせず、
そのまま自然に会話を続けたとのエピソードでした。
先生はそれについて心理的安全性とか、
自己決定理論といった心理学者さんの理論も交えて分かりやすく話してくださっているので、
聞いてみていただきたいんですけれども、
このエピソードで私が発頭したのは、
これ行動分析学の強化の理論でいくと、
望ましい行動は褒めて増やす、強化する。
だから言葉を発してくれたことを褒めるになっちゃうのかなと思ったんです。
でもじゃあ私が同じ立場だったら、
例えば私がしばらく一人でAさんからの返事のあるなしに関わらず語りかけを続けていたところ、
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Aさんがぽつりと言葉を返してくれたんだとしたら、
私もその時はあえてお話ししてくれてありがとうみたいなことは言わないなぁと思いました。
でもなんでだろうと自分のことながら考えてみたんですけれども、
多分Aさんが言葉を発してくれたのは、
Aさん自身からの返事のあるなしに関わらず、
そばにいて楽しそうにしている、
そういう相手だから発してくれたんじゃないかなと思うんですよね。
言葉を返さないAさんのままでいいよ、別に話さなくたってOKだよと、
まずそこが伝わったから、
安心感を持ってくれたんじゃないかなと想像しました。
そもそもこちらも無理して話してほしいなんて思ってないので、
話してくれてありがとうと言ってしまうと、
なんかずれるというか、
本人の都合よりも周りの話をしてほしい願望を優先しているのが透けて見える言い方な気がします。
褒めたつもりは自分だけで、肝心のAさんは喜ばなさそうというか、
褒めて行動を強化するということの本質は、
その行動の主が喜ぶっていうことにあるんだよなぁと、
改めて整理ができました。
もしもその子Aさんにお話ししてくれたことに関して声をかけるとしたら、
一緒に時間を過ごしてその日さよならするときに、
ありがとう、お話しできて楽しかったとか、
嬉しかった、じゃあまたねぐらいの感じで伝えたいです。
言葉が出た云々より、一緒に過ごせてよかったという自分の感想を伝えたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございます。
ABAで広がれ、シンプルで楽しい生き方。
今日も大事なものを大事にできる一日を。
あきねでした。