1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.418「モデルになるも自信..

ファッションモデル/ウォーキングプロデューサー・HIROEさんへのインタビュー前編です。
20代からモデルの道に進むも、自信が持てずに断念してしまったHIROEさん。そのことからストレスを抱え、ネガティブ思考に陥っていた時、自分を立て直すきっかけとなったのが、ストレッチとの出会いでした。その後は自分の身体と向き合い、ウォーキングコーチに転身。人生の風向きが変わることに...!
前編では、HIROEさんの30代までの経歴、思考や行動の変化についてお伺いしています。

オープニングトークのテーマは、少し前に話題になっていた「ミス日本を巡る騒動」について。パリ在住イメージコンサルタントのさゆみさんとともにお話ししています。

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00:12
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日はね、せっかくなので、さゆみさんと一緒の時にね、話したい、お話をしたいなと思ったので、
ミス・ニッポンの話ってご存知ですか?
もちろんです。すごい、ずっと話題になってましたよね。
ちょっとわからない方のためにね、言うと、ミス・ニッポンっていうのがあって、
それが選ばれた方、もちろん日本の代表として選ばれた方が、
なんとお父さんがロシア系なのかな?
片方がロシア系のウクライナ、なんか混ざってて、お母さんがウクライナみたいな感じで、
要は100%顔、日本のオリジンがあるわけではないっていう人が、
移住されてきたんですよね、お母さまと彼女が。
ちっちゃい時にね、そのまま日本で育っているから、もちろん日本語も堪能だし、
日本で教育は受けていらっしゃるっていうことなんですけども、
明らかに顔は欧米の顔なので、ご覧になってますよね。
調べればすぐわかると思うんですけど、全然日本人ではないですね、見た目はね。
髪の毛の色も全然違うし。
ここで、私はファイナリストとかそういうのは見てないんで、全然わかんないんですけども、
これがニュースになり、彼女が選ばれて、これが本当に日本の代表かみたいなね。
ちょっと物議をかまし出してましたよね。
彼女がフランスでもニュースになったの知ってます?
それは知らなかった。
これは私が見た時には、彼女がミス日本になったってことではなくて、
ミス日本を結局彼女は辞めることになって、なんか辞退するって言い方なのかな?
だったんですけどね、フランスで。
彼女が日本の風貌、アジアチックな風貌ではないっていうところとセットになったんですけども、
カロリーナさんがなぜ辞退したかっていう理由知ってます?
あるお医者様、審査員側のお医者様なんですよね。
っていう噂を私も聞いたんです。
お医者様も有名なのかわかんないですけども、もちろん審査員側で、
結構長めっていうか、もちろん不倫した後に彼女が結局そこに応募したっていうことなんです。
なので、応募してから不倫関係になったわけではなく、もともと付き合っていて、
で、出てみたらって言われたのか自分の意思出たのかわからないけれども、出たと。
03:04
もともとは日本人の代表として彼女がふさわしいかって結構話題になってたわけですよ。
最初はそうでしたよね。
やっぱり見た目的に日本人っぽくないのに、世界に出ていくときに日本人として出てくると。
彼女は日本で育って、日本の教育を受けて、もちろん寄加もしているから、
日本人として出ていっていいという前提で、もちろん応募はしてるんですけど、
っていう話だったんですけど、その議論がなされている間っていうか、
なんか文集法みたいなのが出たんでしたっけ?
なんかどっかがすっぱ抜いたんですよね。
どっかからのプリーニング報道みたいなのが突然出てきましたよね。
出てきましたよね。
結局彼女は辞退したということなんですよね。
ましてや相手の人が審査員側だったっていう。
このオチは何なんだ?みたいな感じがしますけどね。
ちょっとこれって海外の人たちから聞くと、ちょっとええ?っていう感じもするんじゃないかなと。
一番あってはいけないパターンじゃないですか。
審査する側とされる側に関係があるってことですよね。
結局彼女が辞退した後、ミスが繰り上がったわけでもなく、
空席のまま空席になっちゃったみたいな感じなんですけど、
この例えばカロリーナさんみたいな、一応危下はしてます。
だけど全然見た目的には完全に欧米の人、彼女はウクライナの方ですけど、
っていうのはどう思います?あり?なし?
例えば彼女が本当に日本のメンタルのパーセントを受け継いでるとか、
日本のために将来こういうふうにしたいとかっていうのが、
はっきりわかるんだったら全然平気。
全然私は応援すると思いますけど、
今回別にそういうのは特に、私は何も感じられなくて、
ミス日本になってから彼女がどういうふうに、
彼女のカリアとか、今後の活動っていうのをやっていきたいのか、
あんまりわからない。
確かに。
そういうのがね、もっと明確にわかるんだったら、
それは応援したいと思いました。
けれども、ちょっとミス日本の定義もよくわからないですし、
いろいろありますよね。
一応ね、ミス日本のコンテストの定義は、
日本女性にふさわしい心と健康的な美しさを競う、
で位置づけなんですよね。
日本女性にふさわしい心と健康的な美しさ、みたいな感じなんですよね。
日本女性にふさわしい心と美しさ。
難しいよね。
06:01
ちょっと曖昧な感じもしますけどね。
やっぱりフランスとかだと、いろんなオリジンの人がいっぱいいるじゃないですか。
すごく混じってますね。
でも日本って、確かに純和風の人が基本多くて、
ずいぶん前に日本人とハーフの人が一人いましたよね。
ミスユニバース。
ユニバースの方に。
ユニバースは結構ね、そういうのがありましたね。
多様性なね、なんか。
だからそういうところで出てきた時も、
結構彼女も叩かれてたみたいなところを言ってたから、
一見、純和風じゃないみたいなところが言われたりもするんですよね。
でも今の時代、たぶん日本にたくさんの、
私たちでいうと本当に日普通ファミリーだったりとか、
あとは日普通に限らずも、いろんな国籍のミックスの方達って、
いるからね。
たくさんいると思うんですよ。
そういうこと言ってる時代ではないと。
そうですよね。
思うんですけども、
日本人としての心みたいなところって、
どういうふうに、ミス日本としての、
日本人女性としてっていうところが、
どうなのかなっていうのを、
私はちょっとよくわからない感じがするんですよね。
そうですよね。
でね、私が思ったのは、
ちょっと政治的な利用が、
私は思ったんですね。
すごい感じました。
感じましたよね。
彼女がウクライナの女性っていうのもあるし、
あとやっぱり今回思ったのは、
不倫がきっかけだったのかもしれないんですけど、
彼女が日本人になったのが、
彼女26歳なんですけど、
ミス日本になる1年前ぐらい。
ということは、
彼女が5歳ぐらいから来てたみたいなんですけど、日本に。
そこから20年近くは、
日本人ではなかったわけですよ。
何をきっかけに日本人になったかなんだけれども、
このミス日本が関係しているのかなとか。
その準備のためにということだったのか、
わからないですね。
だからそういう意味でさっき言った、
日本人の心っていうのが、
もともと日本人になるつもりもなかったけれども、
あとはウクライナが戦争中だからっていうところも、
逆にポジティブに使ってたと思ったんですよね。
ウクライナ人の人が、日本に住んでいるウクライナ人の人が、
彼女の投稿をインスタとかで見てみたら、
一個もウクライナのためにとか、
政治的発言は一個もしてないんですよ。
急にミス日本で、
私は日本人にはなったけれども、
ウクライナのことをすごい考えてますみたいな発言を、
急にするようになったところに、
ちょっとした操作性を感じると言ってたんですよね。
09:00
だから誤解を私たちがしてる場合もあるかもしれないけど、
ちょっと操作的なね。
あんまり同盟性がない感じが、私は感じました。
なので最終的には不倫で終わった話だし、
彼女が辞退したっていうところでチャンチャンなんだけれども、
そういうのがなかったとしても、
なかなか難しい問題は残ってるのかなと。
政治的な匂いとなっちゃう。
しますよね。
そういうのが多いですよね、最近ね。
そういうのを利用しようっていう。
彼女がそうだったとは言い切れないと思うんですけど。
見せられた。
ある。
彼女自体ももしかしたら利用されてしまった可能性はありますよね。
自分の意思とは関係なく、せっかくだからみたいな。
こういうタイミングだし。
ミス日本の純ミスの人たちは私はかわいそうだなと思っていて、
結局空席のままだし。
これはミス日本そのものにもあんまり影響がない?今後の。
この課題になりそうですね。
こういうのは。
自分で選んでいくかっていうのはね。
ということです。それでは本編スタートです。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
ファッションモデルでウォーキングプロデューサーのひろえさんです。
ひろえさんどうぞよろしくお願いいたします。
お願いします。
ひろえさんは2月、3月ですかね。
パリにいらっしゃっていて、結構今回も長く滞在されてたんだと思うんですけど、
肩書きで今お話しされてたようにモデルとしてパリにいらっしゃってたっていうことです。
そうです。
今回はどんな1ヶ月間でしたか。
そうですね。パリの街にまたちょっと慣れるための準備期間があって、
そこから私が毎回行くときはファッションウィークって言ってね。
いわゆる日本でいうパリコレの開催される期間に合わせていくので、
その中で様々なオーディションっぽいものだったり、
そこに伴った準備を経てショーに出るっていう、
そういった1ヶ月間を過ごしました。
今回で何回目ですか。
5、6回目ぐらいだと思います。
どうですか。慣れてくるもんなんですか。5、6回目となると。
ちょっとずつ慣れてきました。ようやく。
どういうところで慣れる。慣れるって何に慣れるって感じなんですか。
そうですね。パリでやっているファッションウィークって日本では、
私も参加したことがないので、やっぱりパリやミランで、
ヨーロッパで開催されているファッションウィーク自体の仕組みだったりとか、
なんとなくスケジュール感だったりとか、どんな形でお仕事をしていくのかみたいな感じ。
12:02
あとは空気感だったりとかっていうのにようやく慣れてきました。
なるほどね。結構バタバタしているイメージなんですけど、どうなんですか。
バタバタしている感じなの。
バタバタしています。本当にスケジュールが読めないっていうのがこの時期、
特にモデルの仕事ってもともとそういうものなんですけど、
特にやっぱりファッションウィークってぎゅっと凝縮された期間になるので、
本当に1日のうちで、もうこっちからあっち、あっちからこっち、
みたいな感じの移動が重なる日があったりとか。
いつスケジュールで入るかわからない。本当に予定が見えないっていう感じ。
そうです。本当にそうです。
でもこの広井さんに、また詳しくは聞きたいと思うんですけど、
広井さんにとってこのファッションウィークでの体験っていう、
モデルとしてランウェイを歩くっていうのはどういう経験なんですか。
プロとしての経験なんだと思うんですけど、
感覚的に5回重ねていって、どういう感覚なのかなっていうすごい興味があるんですけど。
自分の中では想像を遥かに超えたところまで来たなっていう感じ。
そういう感覚ですね。つい本当に数年前まではモデルをしているといっても、
日本の中でほとんどは、日本の中で緩い感じで続けてきて、
テレビに出ているような、誰でも知っているようなモデルさんっていう感じの活動ではなかったので、
パリコレにご縁があるとか、本当に自分がそこに出れるようになるなんていうことは想像もしてなかったですし、
それが1回じゃなく、エージェントとも契約をしていただいて、
それで何回も来ることができるようになって、
夢と現実の狭間というかね、現実的なんですけど、いる間は。
でもふと我に帰ると、本当にあそこにいるんだなっていう、なんかそういう不思議な感じです。
じゃあ日本に戻るときにどんな感じになりますか?
日本に戻るときにどんな感じになりますか?
日本に戻るときにどんな感じになりますか?
でもふと我に帰ると、本当にあそこにいるんだなっていう、なんかそういう不思議な感じです。
でもふと我に帰ると、本当にあそこにいるんだなっていう、なんかそういう不思議な感じです。
じゃあ日本に戻られると、パリとかミラノで過ごされた、ある期間限定集中してばっといた時間が不思議な感じに見えるもんなんですかね。
はい、でももうその辺りも慣れてきたっていう感じです。ようやく。
なるほどね。リズムもできてきた感じなんですかね。
そうですね。なんか自分自身のこのパワーのかけどころだったりとか、どこでオン・オフしたらいいとか、
なんか自分の立ち位置だったりとか、あるいは課題点が明確になったりとか、そういう感じで、
何かパワーのかけどころだったり、この自分のバランス感だったりとかが、こうだんだんつかめてきた感じ。
なるほどね。その話もね、ちょっと後半でまた聞きたいなと思うんですけど、
15:03
まずね、ひろゆさんは元々モデルだったのかっていう、東京でゆるっとやってたみたいな話も出ましたけど、
そのモデルとのご縁みたいな、自分の時から背が高くて細くて、モデル体型でみたいな感じだったんですか。
そうですね。私が背が伸びたのは中学・高校でぐんと伸びたので、小学校の時はすごく運動神経がいいおてんばな女の子ではあったんですけど、
背は高くなかったので、なんかモデルになりたいっていうのを思ったのはあんまりなかったですね。
なるほどね。
人前に出ることだったりとか、小学校ぐらいの時は動き系で、私どっちかっていうと体育がすごい好きな子だったので、
スポーツ少女だったのね。
すごいおてんばだったんですよ。私はどっちかっていうと体操選手とかフィギュアスケートとかバレリーナとか、
そういう普通の運動と掛け合わせたようなことにすごく興味がありましたね。
なるほどね。
こういう感じで人前に出るっていうのとはまたちょっと違うのかな。
でも人前でバレーとかだったらパフォーマンスするっていうのが、ある意味誰もいないとこでやるっていうよりもパフォーマンスはやっぱり人前でするって感じだと思うんですけど、
どっちかっていうとスポーツとかそういう世界で動き回ってた人が中高で急に背が伸びて、そこでモデルになったって感じなんですか?モデルを始めたの。
モデルを始めたのは本当に遅かったんです、私。実際やりだしたのはもう20代半ばぐらいで。
そうなんですね。
スカウトっていうほどの大げさなもんじゃないんですけど、ちょっとやってみないっていうのは中大の後半ぐらいから声掛けはいただいたことは何度かあったんですけど、
でも自分の中でやっぱりそれでよしやるよみたいな、やりたいみたいなのはあまりなくて、本当に思春期の頃から身長が伸びて背が高くなっていってるのがすごくコンプレックスだったので。
やっぱりコンプレックスに感じてたんですね。
感じてましたね。小柄な女の子すごい流行ってなかったですか?
時代的にね。私と広島はほぼ同年代なんですけど、ちょっとかわいい系のね。
私がそうだったのかもしれない。そういう女の子、かわいい女の子にすごく憧れてて、いいな、かわいくって、ちっちゃくってっていうのがあったので、どんどん春期に伸びたのがコンプレックスで、
だから身長が高く、またそれを人前に出て何か見せるっていうのがイメージできなくて、それであんまりそこはやりたいなと思ってなかったんですけど、
18:00
24、5ぐらいの時に、やっぱりモデルでもね、10代ぐらいから始めると早くにある程度お仕事とかも波に乗ってくるんですけど、やっぱりスタートが遅いと、
時代的にもやっぱり20代過ぎて24、5ってなってくると、もうある程度年齢がちょっとこういい感じの年齢になってしまってるよねっていうぐらいの時代だったので、もう始めるんだったら今ぐらいでギリギリだよっていうので、
じゃあそれじゃあっていう感じでそのあたりでスタートしたからですね。
それはどういうモデルだったんですか?雑誌とかそういう感じだったんですか?
そうですね、結構もうTHE FASHIONというところに入ってたので。
その事務所が。
そうなんですよ。そういうところにたまたま入れていただくことができて、もうすごくトップモデルの、関西だったんですけど関西の中ではすごいモデルさんばっかり入ってらっしゃるようなところにいきなり入ったんで、
ファッションショーも雑誌もいろんなCMとか、そんないろんな仕事があるところでした。
なるほどね。それはご自身としては、ちょっとアルバイト的って言い方変なんですけど、副業的なイメージなのか、そういったものをやってみようみたいな感じで、そこに絞ってやろうっていう感じだったのか、ひろえさんが入った時はどういう気持ちで入ったんですか?
そうですね、やってみないとわからないなっていう感じだったので、その本業でっていうより本当におっかなびっくりで入ったみたいな感じで。できるかどうかわからないですね。
わからない世界ですもんね、確かに。実際やってみてどうだったんですか?
やってみて、後で考えると結構手応えはあったはずなんですけど、自分がそれを実感することができなかったっていうボタンの掛け違いみたいな感じはあったと思います。
ご自身はどう思ってたってことですか?手応えがないっていうのはどういうところ向いてないっていう感じ?どういうイメージだったんですか?
すごく本気のエージェントだったので、結構厳しめに来るんですよ。いろんなアドバイスだったりとかお話だったりとか、結構バシバシ来るんですね。
そういうプロの世界に全然慣れてなかったので、その言われたことがどういう意味かわからない。
後から今になって考えると、自分がすごくいいなと思ってもらって、じゃあおいでっていう感じで言ってくださってたのを、
怖いみたいな、私そんなできないですみたいな感じで引いちゃって、こういうのあなたできるの?って言われたときに、
いやできないですって。
できないですって言っちゃったんだよ。
できないですみたいな感じで、あなたこれできるの?って言われたら、多分それは見込みがない子とか、いいんだって思ってなかったらそんなこと言われないのに、
私はできないから言われてるとか、自信ないからできないですっていう感じで引いちゃってどんどん。だから何回もチャンスは逃してたと思います。
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なるほどね。じゃあモデルとしてはやりたいなと思うけど、怖さもあったり、そこで厳しいこと言われて自信もちょっとなくしたりした感じで、あんまり積極的にいけてなかったみたいな感じなんですかね。
そうですね。何かいざそこに入ってみると、じゃあもうできなくてもいきますとかっていうのが、もう言えない、怖い、できなかったらどうしようみたいな。
広井さんはバディ系じゃないのね。
具体的に言うと、その時にあなた一日から海外でこういう撮影をやるんだけど、あなたバディ自信ある?とか言われて、バディですか?みたいな、自信ないですみたいな、水着の撮影なんだけどいける?みたいな感じでバシーンって言われて、自信ありませんみたいな、いけませんみたいな感じで、
結構バシバシ来て、自分の中では実際行ったらよかったんだけど、やっぱり行くことができなくて、そういうチャンスを掴めずに、お仕事あんまり掴めないまま1年が過ぎ2年が過ぎみたいな感じで、ちょこちょこちっちゃいお仕事をさせていただいてたみたいな感じ。
それでどうしたんですか?そのまま続けていこうっていう感じだったのか、広井さんの中ではなんとかすればみたいな感じだったのか、どうだったんですか?
もう結構厳しいなって思ってました。自分のメンタルが、自分の自己管理も含め、ちょっと難しいなって、例えば自分の体系の管理だったりとか、メンタルの管理だったりっていうのが、モチベーションがなかなか難しくて、今振り返っても私なんであの時期そんなに自分に自信なかったんだろうって思うぐらい、すごいネガティブだったんですよ。
なのでちょっと厳しいなっていうのは早々と2年ぐらい経った時にはもう思ってました。
じゃあやめようみたいな感じだった?
はい、すごく痩せないとダメだよって言われるぐらい元よりも太っていってたんですよね、ストレスで。
ストレスで逆にスタートした頃よりも太っていっちゃってたんだ。
太ってました。そんなに太ったことなかったのに、不安と心のなさで、すごく食べる方にストレスの掛け口がいっちゃって、そういうメンタル、自分ってなんでこんなに食べちゃうんだろうとか、そこがすごくガチっとそっちはハマっちゃって、悪循環の方はすごくバーっていっちゃって、結構太ったんですよね。
ちょっと難しいなっていうことで、もうやめようっていう風に思ったのが3年目に入る頃。
3年目の時。
じゃあやめて、ある意味モデルの世界とはさよならみたいな感じだったんですか、断ち切った感じだったの?
そうですね、もう無理だなって思って、私すごい運動神経良かったはずなのに、レッスンとか受けても、例えばウォーキングだったりとかポージングだったりとかも全然上手くならなかったんですよ。
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本当に、あんなに動くの好きだったのに、それはものすごく自信とつながってるんだと思うんですよ、マインドとつながってると思うんですけど、それでトントントンって掴んで上手くなっていく子とかもいるので、そこですごく自分は向いてないなっていうのを感じてたので、またやりたいなとかじゃなく、もう難しいなっていう風に思ってました。
で、やめて、それが20代後半ってことですか?
そうですね。
で、そこからどういう道を行ったんですか?
そこから、たまたま知人の紹介で美容関係のお仕事を数年やって。
もちろんモデルとは関係ない。
全然モデルと関係ない、お肌のお仕事とかそういう感じの全然違うお仕事でした。
なるほどね。で、そのタイミングで気持ち的にもまたストレスから解放されてちょっと落ち着いてった感じだったんですか?
そうですね。その仕事で落ち着いたっていうよりは、たまたまその仕事の中で出会った人がすごく細くて綺麗な人がいて、その人とのたわいまない話の中で、どうやってそんな綺麗なスタイルを維持してるんですかっていう話になった時に、私ね、すごい太ってたんやけど、ストレッチで痩せたのよっていう。
軽い会話。
そうそう軽い会話の中で、私も本当に子供の頃体操をやってて、すごいストレッチ好きだったんですよね。
そういうことも気づいたら、モデルの期間とかも何もやってなかったので、なんかやってみようっていう気持ちになれたんですよね。
なるほどね。
それでそういう体に向き合うっていうことがスタートして、それとともにすごくストレスも気づいたら緩和されていったっていう感じですね。
気持ちはやっぱり、結局ストレスとそういうので悩まされてたところから戻ってったのは、もともと好きだったその体の方っていうか、体と向き合ったからっていうところがきっかけになったっていう。
そうなんです。なんかその時にすごく自分の好きだったこととか思い出して、考えたら悩んでた時、モデル時代って、悩んでるばっかりで全然動いてなかったんですよ。
動いてなかったんだ。頭ばっかり動いてたって感じ?
頭ばっかり動いてた。たまには動いてるんですけど、なんかすごくほんと空回りして、例えば急に断食しますとか、めちゃくちゃハードなトレーニングを始めてみたりとか、走りに行ったりとか、そういう無謀なことをやろうっていう。
一気にこうやろうみたいな感じで、結局三日坊主になって、やっぱしんどいダメだみたいな感じで、だから後はまだ本当に思考がぐるぐる回ってみたいな感じで、全然効果的にいい感じで体を動かすとかっていうことが全然できなくてなかったんですよね。好きだったことなのに。
そっからストレッチは自分で始めたみたいな感じだったんですか?最初は。
そうなんです。ストレッチは本当に昔体操の時にやってたような、誰でも体育の時間にやるような簡単なストレッチから始めて、でもそういう簡単な誰でもできるようなことをやることによって、フラットにそういう潜入感もなく、自分の体をいたわるフィーリングすることができて、それで今まで自分が本当に嫌いだなって思ってた体のパーツとか、
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例えば太くなった足とか、お腹の周りについてる全肉とか、そういうのもどんどん愛おしく思えたっていうか、好き嫌いっていうよりは、今日は体育がこうだなとか、ちょっと違う角度から見ることができて、どんどんそういう体のことをやることによって、次はこういうこともやってみたいなっていう感じで、姿勢の勉強とかウォーキングの勉強とかを、
数年単位で始めていたっていう感じですね。
ちょまど ああ、じゃあやっぱりストレッチから入っていって、体と向き合って、そこから追求型に入っていって、もっと突き詰めていったら、姿勢とウォーキングにいったみたいな感じ。
ちょまど そうなんです。楽しくなってきて、それで姿勢とウォーキングのことを見つけたのはたまたまなんですけど、でもなんかふっとパッとウォーキングの先生になるとかいう情報を見つけて、なんかこれ面白そうって思ったんですよね。それで本当に軽い気持ちでウォーキングの先生の勉強を、もうそれからは何年も経ってたんですけど、やることになって、そしたら30代の前半ぐらいですかね。
ちょまど それはモデルのウォーキングとかではなくて、日常をこういうふうに筋肉を使って歩きましょうみたいなウォーキングだったんですよね。
ちょまど それをやることによって、なんか自分自身を全員否定してたんだけど、そうじゃなくて知らなかっただけなんだっていうのが分かって、すっごくつっきりしたんですよ。
ちょまど 知らなかったっていうのは何を知らなかった?
ちょまど やり方だったりとか、正しい情報というか、例えばウォーキングを習ったけどできなかったっていうのは、自分ができない子だったからダメだったっていうふうに思ってたけど、そうじゃなくて、正しい知識だったりとかやり方とか、そういう基礎知識がなかったからできなかっただけなんだよねっていうのもすごく自分の中で実感して。
ちょまど そこから教えようみたいな方に行ったってことなんですか?
ちょまど そうですね。段階を経て、すごく気軽な気持ちで始めたんですけど、一生やろうとか、大掛かりに先生になろうっていうよりは、本当に些細な感じで気軽な感じで、レッスンとかできたらいいなぐらいの感じで始めた。
ちょまど じゃあ最初はどういう感じでスタートしたんですか?
ちょまど 最初は、本当に会議室借りて、ちょっとレッスンを口コミでやるぐらいの感じ、自分でチラシ作ってねみたいな感じで。
30:00
ちょまど じゃあまずは知り合いの方とか、近くに住んでらっしゃる方から来てもらったみたいな。
ちょまど そうですそうです、アナログで。
ちょまど 当時はね、まだアナログの世界もいっぱいあったから。で、そこからお教室として人数が増えていったみたいな感じ。
ちょまど そうなんです。ありがたいことに。最初はちょっと半年、1年ぐらいはかかったんですけど、そこに至るまでは。
ちょまど でも、そのぐらいの期間になった時には、もうある程度人が人を呼んでみたいな感じで、結構人数がある程度増えてきた時に、私がたまたまスタートしたカーストレーニングっていうのがあったんですね。
アナログ 懐かしい。
ちょまど その頃は、カーストレーニングっていうのがすごくいいよっていうのをちょっと先行く人がやってましたぐらいの時で、私はたまたまそういうウォーキング友達から聞いて行ってみたんですよね。すごくいいなと思って。
ちょまど で、これウォーキングと組み合わせたら面白いかもって思って、それで組み合わせたもん。独自でちょっとやってみたんですよね。
アナログ カーツとウォーキングを組み合わせた。
ちょまど そう。それを組み合わせたものをちょっとやってみたら、すごくいいやんって思って、それを自分のオリジナルのメソッドっていうほど、大げさなもんじゃないんですけど、ちょっと試しにやってみてみたいな感じで、そこに来てたお友達とかにやってもらったら、みんなすごいいいやんって言ってくれて。
ちょまど もっとやりたい、もっとやりたいっていうのがどんどん増えていって、ウォーキングとそういったトレーニングの組み合わせでどんどん人が増えていって、期待頻度も上がってきたので、じゃあこれはもうちょっと場所探さないとなっていうぐらい忙しくなったんですよ。
アナログ じゃあそれまでは予定通り会議室とか場所を探してたんですか?
ちょまど いいお店があったの。
アナログ いいお店があったの。
ちょまど ここやと思って見に行ったら、もう本当に意抜きで使えるようなお店で、もうここにしますみたいな感じで、その日に1個目でもうここってピンって決めて、もうそこでお店をスタートしたっていう感じでスタジオをオープンしました。
アナログ どっかのスポーツクラブとかそういうところの場所で、いっぱい開通ができるように借りたんじゃなくて、もう本当に自分専門スタジオを借りちゃったわけね。もうそこで。
ちょまど そうなんですよ。もう一足と無計画にも。
アナログ じゃあそこでウォーキングレッスンをどれぐらいやってたんですか?週結構頻繁に。
ちょまど もう毎日やってました。1日に、それこそ多い日だったら8人から10人ぐらいの方にレッスンして、その時はもうスタッフも3人でオープンして。
33:04
アナログ 広井さん1人だと大変だよね。もう無理だよね。
ちょまど そうなんです。もうその前で結構いらっしゃったので、お客様が。でもこういう体制でスタートしようみたいな。あったらいいなってその時思ってたものを全部そのお店にアイデアを入れようと思って、そういう形でスタートしました。
アナログ それがいつぐらいの話なんですか?
ちょまど それが今から言うと20年はならない。18年とか19年ぐらい前ですね。
アナログ じゃあもう本当30代。
ちょまど 30代半ばぐらい。
アナログ ぐらいにはもうスタジオオープンしてた感じだったんだ。
ちょまど そうなんです。
アナログ へえ。でそっからじゃあもう本当スタジオの経営プラス、要は先生みたいな感じでやってきてたって感じだったんですね。
ちょまど そうなんです。あっという間に。
アナログ あっという間に。でその頃はもう全然モデルとかはもう、モデルの世界とは完全に離れちゃってたみたいな感じ。
ちょまど はい。離れてました。もう楽しすぎてウォーキングを伝えることが。
アナログ ああそうだったんだ。
ちょまど めっちゃくちゃ楽しかったんですよ。っていうか今も楽しいんですけど、ウォーキングのことは本当に変わったんですよ。私ウォーキングに出会って。
アナログ 広井さん自身が変わったってことですか?
ちょまど 変わった。まずは自分がすごく変わって、言ったら体型、見た目、で自分のメンタル、考え方とかもう性格とかそうなると出会いも変わるじゃないですか。
アナログ はいはい。
ちょまど だから本当人生が180度以上変わったくらいの感じで。
アナログ なるほどね。じゃあモデル時代の広井さんとは全然違うってことなんだもう。
ちょまど そう、だから自分の中ですごく絡まってたものがうわーってほどけていった感じ。
アナログ うーん。
ちょまど それが楽しくて、でも私だけじゃなくて、だからいいんだよって思って伝えたいって思って伝えた人がみんな同じように喜んでくれたから、またそれが嬉しくて。
アナログ その生徒さんたちはどういう人たちが多かったんですか?
ちょまど 本当に私の身近なお友達とかがスタートなんですけど、でも職業とかで言うと、本当OLさんだったりとか、あとはそうですね、もう主婦の方もいたし。
アナログ ああそうなんだ。
ちょまど 本当に自分の年代、30代、40代ぐらいの方々で、お勤めの方とか主婦の方が多かったですね。
アナログ まあでも考えたら、今ほどね、ジムっていうか筋肉ブームじゃなかったじゃないですか、当時は。
ちょまど なかったんですよ。だから、ないから作ろうっていう方が思いが強かったですね。
なんか自分が経営者になりたいとかって言うよりは、自分も通いたいって思ったところがなかったし、特にスタジオの女性が行けるところがなかったんですよ。
だから、もちろんウォーキングのスタジオなんて全然なかったし、だから作りたいなって思って、そういう場所を作ろうっていうのが進んだ感じですね。
36:01
アナログ なるほどね。
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