1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.434「魔法の言葉"大丈夫"..
2024-07-18 27:22

Vol.434「魔法の言葉"大丈夫"とメンタルの関係」

子育てにおいても受講生とのセッションにおいても、アキが口癖のように使っている言葉があります。それは「大丈夫」。実はこの言葉には、自分と相手の信頼関係を築き、自己肯定感を高めていくという大きな力があります。
今回は、「大丈夫」という言葉にまつわる自身の子育てエピソードをシェアするとともに、このワードがメンタルに及ぼす影響についてお話ししています。

オープニングトークでは、「パリの女性のイメージとメンタリティ」についてお話ししています。

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サマリー

パリの大会規模縮小によりパリ市内での規制が厳しくなり、開会式を見た後にグループでパリから離れる予定です。パリではパリジェンヌのイメージについても話され、自然体や知性を重視することが褒められています。家庭の雰囲気づくりには、子供に対して「大丈夫だよ」という言葉を繰り返し言うことが重要であり、相手に信頼感を持つためには自分自身に対する信頼が必要であることを認識されています。信頼感と自己信頼を常に意識しながら、相手に対し「大丈夫だよ」と断言されることが仕事の条件の一つであるそうです。受け入れられない人が多く、自分の長所やいいところを受け入れることができない人が多いと認識されています。自分のいいところも含めて受け入れることで自信を持ち、積極的に取り組むことができるようになるそうです。

00:12
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
パリオリンピックの規制厳化
7月も後半に入ってきて、あと1週間ちょっとって言っていいのかな?パリオリンピックも近づいてきました。
実際ね、今本当にパリの中が規制が厳しくなってきて、なかなか普通に歩けなかったり、セキュリティが厳しくなってきました。
来週以降はもっと厳しくなるかなと思いますので、また追ってレポートしたいんですけれども、
私はね、7月終わりからパリから逃げ出そうと思っているグループなので、実際に開会式は見れると思うんですけれども、それ以降はパリから離れてしまうという感じになります。
実際に開会式は見るって言っても、テレビで見るだけですから、実際に具体的にどうなるのか。
今、西野川は本当に雨が降ったりもして、非常に汚い状態なので、もともとは水泳とかそういうのも使う予定だったんですけど、あまりにも水質状態が悪いということで、西野川は使えなくなった。
じゃあ具体的に次どこでやるのっていう話は、今のところ私のところに情報が入ってこなくて、調べればわかるんですけど、私が調べた限りではわからないという感じなので、どういう感じでお金をかけずにオリンピックをやっていくのかっていうのは結構見物だなと思っています。
あちこちオリンピック仕様になっていて、例えばメトロの駅のところにもここはオリンピック会場になりますよみたいな駅とか、そういう印があったり、あとエッフェル塔も久しぶりに友達が日本から来ていて、エッフェル塔が見たいって言って見に行ったんですけど、ちゃんとオリンピックのマークになっていて、あちこちにこのオリンピック仕様みたいな雰囲気は出ています。
実際に終わってからまたいろいろ総括っていうのができるのかなと思います。
今日はちょっと前になるんですけれども、パリ式でしなやかでブレない自分を作るワークショップっていう、私の個人的なワークショップをやりました。
これはもともと最近はマインドの話、それからどちらかというとノートの話が多かったので、私の本当の核になる、もともと私は自分の生き方、ライフスタイルもあるんだけれども、自分の在り方っていうのが全ての現象を決めていくっていうコンセプトなので、
この自分の生き方、特にしなやかでブレない自分を作っていく、それを私なりにパリに23年くらい住んでますから、このパリ式のブレない自分っていう視点でワークショップをやると。
ワークショップといっても、今回どちらかというと私が喋るケースが多かったんですけども、もし今後またやるかどうかは決めてないんですけども、やるとしたらちょっと違った形にしてもいいなとは考えています。
パリジェンヌのイメージ
そこで話したこともあるし、話せなかったこともあるんですけれども、パリの女性のイメージってどんな感じっていう話をみんなに聞いてみたんですよね。
そうすると、やっぱり真があるとか、結構かっこいいとか、そういうイメージが結構出てたんですよね。
その辺の意味っていうものもお伝えしました。
その中で、私がパリに来た頃も含めて感じたことなどをちょっとお伝えしたいなと思いました。
私はフランスの前にはイギリスにいた、ロンドンにいたっていうこともあって、ある意味ヨーロッパしか知らないんですよね。
旅行でアメリカ行ったくらいで細く知りません。
なので、あんまりアメリカのこととかね、そういった別の比較っていうのがなかなかできないんですけれども、いわゆる欧米とくくられる意味で言うと、やっぱりアメリカとヨーロッパは全く違うんですよ。
そしてヨーロッパの中でもやっぱり違うんですよ。
まず言葉も違うし文化も違うので、それはやっぱりオランダとかドイツっていうところで考えると、フランスとかあるいはイタリア、スペイン、やっぱり違うんですよ。
語版も違えば文化違う、言葉違う、全く違うんですね。
なので、どちらが良い悪いではないんですけれども、やっぱりこのフランスのカルチャー、大事にしている価値観、こういったものとその中に住んでいる人のメンタリティーってやっぱり関連するんじゃないかなと思います。
その中で特にフランスを考えた時に私の中でとってもお気になる視点というのはですね、自然体って言葉なんですよね。
この自然体っていう言葉をどういうふうに解釈されるか、人によって違うと思うんですけれども、自然体っていうのはもちろん人の目を気にしないとかね、あと作り込んでいないとか、そういった意味もあるんですけれども、やっぱり自分の本音に正直だっていうところで言うならば、そういう意味の自然体っていうのも含まれてくるかなと思います。
あの人ナチュラルでシンプルだよねっていうのは完全に褒め言葉なんですね。
シンプルな人っていうフランス語で言うとサンプルっていうのはシンプルって意味なんですけど、その反対が複雑な人、コンプリケイって言うんですけど、コンプリケイテッドですよね、英語だと。
これのフランス語なんですけれども、あの人複雑だよねっていうのは結構面倒くさい人だよねみたいな。
でもその反対のシンプルな人っていうのは単純っていう意味じゃなくて、ナチュラルに物事をひねくり回したりこねくり回したりすることなく、いいものはいいと感情を表現し素直に受け取れる感性みたいな感覚がするんですよね。
だから自然体っていうのはナチュラルでシンプルな人っていうのは非常にフランスでは褒め言葉。
例えば映画とかドラマで見ると、エミリーパリに行くっていう話をその時もしたんですけども、エミリーパリに行く、このネットフリックスの番組見たことある方いらっしゃるかわかんないですけど、シカゴからやってきたアメリカの女性がパリの中でカルチャーショックにあいながら適応していくみたいな話なんですよね。
で、まずフランス人から見た時に、これエミリーパリの回でもね、私昔話したことがあるんですけど、もうツッコミところが満載なわけですね。
で、パリジェンヌのイメージ、まずなぜかベレー帽をかぶり、真っ赤なベレー帽ね、真っ赤な口紅、ルージュをして、バケット持っちゃったりしてみたいな。
あとちょっとバレーシューズみたいな、履いてたりとか、あの昔のイラストとかに出てきそうなイメージ。
これね、とってもパリジェンヌのイメージなんですけど、あんな人どこにもいませんからね。
私のパリジェンヌのイメージっていうのは、今のファッションとかメイクでいうと、まさに抜け感っていう感じの言葉が近いんですね。
自然体っていうのは、抜け感に近い感じなんですね。
だから気合が入ってるっていう感じは、パリではね、オシャレじゃないんですよね。
だから全身気合が入りすぎてるとか、全身ハイブランドであるとか、なんか肩こっちゃう。
これは自然体の逆なんですよね。
むしろ髪の毛とかも一見ボサボサ。
この微妙なとこですよね。わざとボサボサなのか、一見ボサボサなのかみたいなところであるとか。
自然体と知性が重要
あとはメイクがほぼしないですよね。
フランスの人は、パリの人っていうふうに限定しますと、パリはある意味ポイントメイクだけです。
人によっては、もう本当にマスカラだけとか、眉だけとか。
アラブ系の人たちは、やっぱりアラブ系のエキゾチックな感じをガンと出す人多いので、全部個性出してガンとメイクする人いますけど、
どちらかというと、白人系のヨーロピアンのフランス人はしないですね。
全部バーンみたいなことはしなくて、本当にポイントメイクして、夜だけちょっと奥まる感じですね。
これも自然体とか抜け感っていうのがすごく影響しているなと思います。
これがしなやかさを出していくんですよね。
自分がいいと思っているスタイルを貫くっていう感じですよね。
あと、このフランス人の特徴で面白いなと思ったのは、これ他の国も多分そうかもしれないんですけども、お友達と全く違ってていいって発想なんですよね。
例えば、学生でもお家の事情であったとしても、お友達同士で経済的格差があるんですよね。
お金持ちのお嬢さんとかね、自分でめっちゃ稼いでる人だとお金かけられるわけですよね。洋服とかバッグとか。
かたやそこに余裕がない人だと、いつも同じ服を着ている。
でもそこに引け目とかあるのかもしれないですけど、そういうところにフォーカスを当てませんよね。
私はある意味、そういう状態だから仕方がないからお金かけませんと。いつも同じセンター着てますと。
でもお金持ちの友達とも仲良くしていると。
だから人の目を気にしたりすると、多分そういうところは難しいかもしれないんですけど、逆にそういうことを気にせずにいられるっていうのも、それも自然体っていう感じですよね。
なのでこのメンタルのしなやかさとか、しなやかなんだけど自実してる感。
私のイメージだと、やってもらって当たり前このくれくれ感。
くれくれ系の人って、やっぱりこうもらって当たり前とは思ってないんだけれども、やっぱり自分の足で立つって意識がない人は、どうしてもちょっとした言葉の端々にくれくれ系が出てきてしまうという感じなので。
私のイメージするパリの女性から学べるところっていうのは、そこが大きいかな。
あとは最後に一言付け加えるとしたら品格。
そして知性。
やっぱりね、女性も男性も知的であるっていうのは非常に好かれるというか褒められるというか褒めポイントなんですよね。
かわいいだけでおばかちゃんっていうのはあんまりフランスでは好かれないかな。
やっぱりもちろん天然でいいところもあるけれども、知性があるっていうのはやっぱりポイントが上がるというイメージなので。
子供への「大丈夫だよ」という言葉の重要性
私がモノブとしたらそういう知性と気品みたいなところと、あとはこのしなやかだけどぶれない、自立している。
そういった人がフランスのイメージかな。
そういった人に日本の女性が、例えばパリの女性に憧れを抱くっていうのもそういうところなのかなと思いました。
今日はね、パリの女性のイメージとメンタリティというところをちょっとお話ししました。
それでは本編スタートです。
本編です。
先日ね、私はFacebookにこういうことを書いたんですよね。
それは何かというと、私の息子がバカロレアが終わる数日前、たまたまあることに気づいたんですね。
それは何かっていうと、基本的に例えば中学とか高校って、なんかそういうアプリがあって、
学校の点数とか宿題とかそういうのは全部そのアプリを通してくるんですよね。
メッセージのやり取りも先生とできるし、成績表とかそういうのも全部くると。
そこで親だと全部そのやり取りが見れるんですよね。
たまたまある時に夫がそのアプリのメッセージを見たかって言われて、私全然知らないって言って、
うちの息子が学校の生活指導の先生になるんですかね。
そこにすごく長いメッセージを書いていた。
そのメッセージっていうのは、自分の高校3年間を振り返ってこういうことを考えましたと。
中学、公立だったところから友達と別れて、今の学校に入り、あまりにも勉強が厳しくて苦しくて、
数学が全くついていけなくなってとかね、そういうことを書いていたり、
実際には仲のいい友達ができたり、自分が行ったことで弟が今2学年下に入って、
彼もすごく楽しんでいると言ってよかったと思っているというところで、
この学校に入ったおかげで自分の行きたい進学先が見つかり、やりたいこともそこで勉強できると。
そういう彼は南仏に行ってしまうので、南仏に行っちゃうのは多分彼だけで、
ほとんどの人がパリに残るっていう感じだと思うので、
そういう中で友達とか家族から離れてしまうのは寂しいんだけど、
やりたいことにできる、ちょっと希望を持っているという学校と先生に対する感謝の気持ちっていうのを、
すごい長々と書いていたんですね。
これもちろんフランス語で書いているんですけど、もちろん私にも十分わかる言葉で、
こういうことを情感たっぷりに書けるんだっていうことをFacebookに書いたんですね。
私自身はありがたいのかありがたくないのかわからないんですけども、
フランス語がわからないんですね。わからないんですって自慢げに言うなって感じなんですけども、
フランスの教育システムがいまだによくわからないし、細かいこともよくわかんないし、
なにせ勉強を全く見てあげられないんですよ。
日本語だけです。日本語と英語ぐらい。
それ以外は聞くなと私に聞いてもしょうがないということは子どもたちに言っている。
だから進路のこととか勉強のこととかはどちらかというとお父さんに聞いている感じなんですよね。
私は子どもたちに何ができるかっていうのを考えたときに、
とにかく食生活、子どものためにおいしいかおいしくないかは知らないけれども、
フランスのご飯と日本のご飯、アジアのご飯を半々ぐらいにして、やっぱりご飯って大事だよねっていう、
健康っていう意味も含めてご飯はちゃんと適当な日もいっぱいあるという前提なんですけども、
ご飯は作ってあげようと。
あとは家の中の空気をあんまりピリピリしないで気分よくいられる空気感を作ってあげるっていう感じだったんですね。
あとは試験前にはマッサージしてあげたりとか、
高校生にそんなお母さんにマッサージさせるって珍しくないですかとか言われたんですけども、
もしかしたらこれはフランスの特徴かもしれないんですけれども、
そういうのを書いた時にある方が進路に関してもノータッチって書いた時に、
この距離感って逆に日本の人にとってはとっても新鮮なんじゃないですかって言われたんですよね。
日本の例えば一生懸命頑張ってるお母さんだと、
もう子供の教育のために自分の身を削ってっていう人が多い中で、
私は勉強ノータッチ、進路ノータッチ、ご飯作りますみたいなノリ的にはですよ。
そういう感じなので、ある意味教育熱心ではない部類に入ると思います。
教育熱心ではないって言うとあれですけどもね、
教育に関しては熱心なんだけれども、
彼の進路に対して口を出すことはほとんどしてないという感じなんですよね。
これを聞いた時に大抵の人は自分と自分の子供に対して一種同一視してしまうっていうところがあるんじゃないかと思うんですよね。
その空気感とか家の雰囲気、とにかくお母さんが家の空気感を作るっていうところはなんとなくわかっていて、
もちろん私はフランス語が一番家族の中でできないわけだし、
ある意味、バカにさせられる立場なんですよ。
家族の中でね、フランス語っていう意味では。
なので、自分の空気感としてそういうところは非常に大事にしてきたんですね。
で、自分が何を意識してきたかっていうと、
これもね、今日たまたま母と喋ってた時に、
母が言ったわけじゃなくてたまたま思い出したことなんですけども、
私が子供を産んだ時に、母がちょっと1ヶ月間ぐらいとか来てくれたんですよね。
上の子の時も下の子の時も。
その時に言われて気づいたのが、
あなたは大丈夫だよしか言ってないよねって言ったんですね。
子供に大丈夫だよ大丈夫だよしか言ってないと。
それだけ言っていると。
そればっかり喋ってたと思うんですよね。
泣けば大丈夫だよって言って、
何か言えば大丈夫だよってずっと言い続けてた。
とにかく大丈夫だからっていうことは繰り返し言ってたと思うんですよね。
これはほぼ無意識ですけれどね。
この大丈夫だよっていうのが、
たぶん私のうちの家の雰囲気づくりにつながっていたのかなと思います。
子供がどう捉えているかわからない。
でも母がそばで見ていて、私が大丈夫だよしか言ってないっていうのを聞いて、
確かに大丈夫だよって結構しょっちゅう言ってるなぁと思ってた。
考えたら私って、とにかく大丈夫だから結構言っているなと思ったんですよね。
言ってなくても思ってる。
信頼感と自己信頼の関係
これは自分のクライアントさんとか講座をやってくれている人とか、
どんなつらい状況でも、たぶん大丈夫だよっていう思いは常にある。
あんまり大丈夫大丈夫とか言ってると結構無責任に取られるから、
思うじゃないですか、言われる側は。
いや大丈夫じゃないんだよって反発したくなるので、
たぶん口では言ってないと思うんですけれども、
イメージとしては大丈夫しか言ってない、思ってない。
これは何かっていうと、
自分の相手に対する人間としての信頼度しかないんですね。
信頼できてるから大丈夫だと言っていると。
もし相手に対して信頼がないと気になっちゃうから、
口出ししたくなったりすると思うんですよね。
大丈夫っていうにも結構信頼関係がないと、
あるいは自分が相手に対して信頼をしてないと難しい。
相手に対して信頼できるってどういうことかっていうと、
これはもう完璧に、私、これ自分個人の話ですけど、
自分に対する信頼度が相手に対する信頼度につながっていると。
だって大丈夫だよって言っても、
やっぱり相手に信頼してるよと思っている自分に対して、
自分に信頼がないと言えないと思うんですよね。
言えないし、そこで本音とずれちゃうんですよ、信頼してないと。
相手に信頼してるよ、大丈夫だよって言ってる自分が信頼できなかったら、
その大丈夫だよっていう気持ちが嘘っていうか嘘っぽくなっちゃうんですよね。
本音だったとしても。
ということは結果的に相手に対して信頼が起きるっていうことイコール、
自分に対する信頼度が問われている。
信頼感を持ちながらの仕事と自己成長
これは私自身は個人的にはカウンセラーとかコーチとか、
人と接するサービス業は違いますけどね。
人の内面に入っていく仕事の場合には絶対的に必要な条件だと思ってるんですね。
だから自分が自分を常に問われているのがこの仕事だと思ってるんですよね。
信頼感が相手になかったらできないじゃないですか。
そしてその相手が信頼できるんだよって断言できるためには、
その自分が自分に対して信頼してないと言えないと思うんですよね。
これは何かあると常に揺らぎます。
例えばちょっと疲れてしまうとかメンタル的にちょっとやられると、
その土台が崩れるんですよね。
その崩れる中でどう自分の中でリカバリーし、
常にいい状態をキープできるか。
これが私のいうトレーニングなんですよね。
これが永遠に続くんじゃないかなと思います。
私は少なくとも自分のグループの人たちにはとにかく大丈夫だよって。
大丈夫なんだけれども、
そこでやっぱり癖が出ないようにするためにはどうしたらいいかっていう視点を加えて、
あとはその人の変化を待つって言ったら変なんですけど、
私は信頼してるから、
あなたはあなたを十分に信頼して思う存分やりなさいというところを常に意識。
常に意識してます。
自分を受け入れることの重要性
実際にね、私の講座の中でやっぱり自分に対して受け入れられない人って多いんですよね。
で、自分にいいところあるとか長所あるって聞かれても、
自分に一個もないとか、
いいところあるなんて見つかりませんとか分かりませんとかっていう人がまあいるんですよね。
でもよくよく聞いてみたらね、
最近お友達からこんなこと褒められました、こんなこと言われましたって言うんですよ。
めっちゃいいとこあるじゃんっていう感じなんだよね。
でもその恩恵を本人は受け止めてなかったっていうか、
どっかで違うって思ってるんですよね。
こういう人すごく多いんですね。
本来はいっぱいいいところがあるのに受け入れるスペースがない。
受け止めることができない。
いやいや違う、私にはそんないいところありませんって否定してしまう。
なのでまず自分のいいところも含めて、悪いところも両方なんですけど、
自分のいいと言われてるところを素直に受け止めましょうと。
これはさっき言った自分が自分を信頼するっていうことなんですよ。
彼女は実際どうなったかっていうと、
それを受け止められるようになって、
一旦受け止めてごらんって言ったんですね、私も。
一回受け止めるようになってから、
彼女自身が言ってたのは、自分が大丈夫なんだと思えるようになったと。
大丈夫なんだと思えるようになったら、
仕事も自信を持って結構積極的に取り組めるようになったと。
この1,2週間でガラッと変わったっていう話をしてたんですよね。
これが大丈夫の連鎖だなと思ったんですね。
本人が受け止める力がない時って、何言ってもダメなんですよ、最初は。
でもこっちか働きかけて、私は大丈夫だと思ってるよっていう、
大丈夫の連鎖
もちろん本音ですけど、大丈夫だと思ってるんだから心配しないで、
まず一旦受け止めてごらんっていう、そういう姿勢で臨むと、
本人のスペースが少しずつ開き、
ちょっとずつ自分で受けられるようになってくる。
まず一旦受け止めるっていう練習をすると、
なんだ私にはこんなに器があったんだっていうところが見えるようになり、
分かり、それから器があるってことは物が入るわけだから、
自分に対する信頼度も上がってきてる。
そういう流れになってます。
これはちょっとメンタルの仕組みなんですけど、
実際その大丈夫っていうメカニズムを、
私はトレーニングの中で取り入れてるっていう感じなんですけど、
大丈夫っていう言葉は、私の中ではほぼ無意識で使ってましたけど、
人を信頼する、自分を信頼するっていう意味での、
魔法の言葉なのかなって思いました。
なので、少なくとも私と関わる方には大丈夫なんだっていう環境と、
それから大丈夫なんだっていう自分に対する信頼、
人に対する信頼、これを私は愛する力と呼んでるんですけど、
そこを持っていただけるようなサポートをする感じですかね。
もし自分の中でまだこの大丈夫感が持てないっていう人は、
たくさん私はいらっしゃると思うんですけど、
可能性をちょっとでも感じていただけたら嬉しいです。
それではまた次回お会いしましょう。ありがとうございました。
いつも聞いてくださり本当にありがとうございます。
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