1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.76「日本に生まれたという..
2017-09-07 52:54

Vol.76「日本に生まれたというだけで幸せ」

御年79歳、在仏生活51年の弓シャローさんのインタビュー(2回目)。
フランスに来てからどんな仕事をし、どんな生活をしていたのか、40代半ば日本人でもフランス人でもない根無し草のような苦悩の気持ち、日本、日本人の素晴らしさ、フランスの魅力などを語っています。

オープニングでは、日本で感じた「話し方や言葉に対する衝撃」についてお話しています。


00:15
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさやむさん、よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
またちょっと日本の話をしたいなと思ってるんですが、
7月に私も放送でお話ししたんですけども、やっぱりその東京に帰ると、東京の
東京の人は多分普通に感じることが、ちょっと面白く感じられたりとか、違和感を感じたりとかってあったと思うんですよね。
私もそこで話したのは、やっぱりこうフランスって気軽に謝るんだけど、ぶつかったりすると。
だけど、絶対何か間違いは絶対日は認めない。
そうね、自分の日は認めないっていうのはありますよね。
でも日本の人は、サービス的にすぐ申し訳ありませんとかって言うんだけれども、
特に東京の場合はぶつかっても全く無視っていうのを、私も感じたし、今回息子がやっぱりしきりに言ってたので、
それをちょっと実感して帰ってきたっていう、東京に関してね。
なんて言ってました?
なんでって言われても、私もわかんないから、フランスはこういうとこがあるよね、日本はこういうとこがあるよねって言って、
比較して終わるみたいな、こういう感じなんだよねって。
でも日本的にはぶつかったらフランスのように謝っていいんだから、彼がやってることは間違ってないっていう感じでは私は言ったけど、
彼はやっぱりなんで謝らないんだっていうのが、どうしても疑問だったんですよ。
だからやっぱり東京、彼は東京に住んだことがないから、これが東京なんだよって言っても、
単純に興味としてなんでだろうって思っちゃうと思うんだけども、
今回さゆみさんが東京、何日間?1週間くらいですか?
そうですね。
いて、久しぶりに住んでた時と、またこっちから行った時で、なんか今回新たな発見とか、なんかありました?
私ね、すごいショックなことがあったんですよ。
東京で?
そう、多分都内の駅のどこかだったんですけども、
多分切符を買おうと思って、その切符売り場の方に歩いてた時に、子供たち、数人の子供たち、4,5人かな?のグループがあって、小学生、小学校中学年くらいかな?
3年生、4年生くらいだと思うんですけど、歩いてたんですよ。
03:01
で、私、ぶつかりそうな感じで、その子たちがね、なんと邪魔です、邪魔です、どいてください、邪魔邪魔、どいてくださいって言いながら、
みんなに邪魔ですって言われたんですよ。どけって言われたんですよ。え?と思って。
誰?抜かしてきたかったの?
いや、向こうから来てて、私はぶつかりそうな感じで、邪魔です、どいてくださいって言うんですよ、みんな。
みんなで言ってんの?
え?と思って。邪魔ですって言うかな?普通と思って。
フランスでも言われたことないし、今まで日本でもそんなこと言われたことなかったんですけど、小学生に邪魔ですって大人が言われて。
さゆみさんはどうした?
もうね、カチンと来たんですよ。こんなものの言い方があるのかな?見ず知らずの人に。
すいません、お邪魔しますとかだったらまだわかる。失礼しますとか通るんだったらわかる。邪魔ですって見ず知らずの人に言うかな?と思って。
カチンと来た私だったんですけど、思わずあなたが邪魔です、どきなさいって言っちゃいました。
邪魔ですって言われたから、あなたが邪魔です、どきなさい。
で、その子供たちは?
何も言わず通り過ぎていきました。
たぶんびっくりしたかもしれないですけど、
たぶん言われたの初めてかもしれない。
あなたが邪魔ですってもうこらえきれず言いましたよ。小学生に大人げないとは思いつつも、でも言わなきゃこれはと思って失礼と思って。
結構今の子供たちもはっきり言うんですかね?
ちょっとびっくりですよ。
確かに大人に対するリスペクトとかっていうのはないけど、結構気軽な感じで言うのかもしれないけど、
私別に言われてるわけじゃないけど、
たとえばドラマとかパッと見た時に、おばさんとか、結構見ず知らずの人に、失礼なこと言うなって、たぶんね。
私もね、それ感じた。ドラマとかの中で平気でおばさんとか。
かなり失礼なことを言って、でもそれって、たぶん日本では当たり前に言われてるからなのか、気にならないレベルなのかもしれないけど、
言葉の端々に、ここでまずそのセリフが来るところがおかしいなっていうか、
わかります。
子供のいじめに関しても、そういうこと言っちゃうんだっていう、
06:03
いじめとして当たり前の場面なのかもしれないけど、すごく違和感を感じることがね、
チラッとしか見てない中で感じるから、
だから、これってたぶん普通でみんな流せることなのかもしれないのに、私たちが久しぶりだからそう感じるのか、ちょっとわかんないですけどね。
たぶん、そういった子供たちもね、何もそんな深く考えずに、邪魔邪魔みたいな感じで、
軽くとってったんだろうけれども、
私、そんなこと言われたことなかった。すごいショックでした。
確かに小学校4年生ぐらいに言われたら、
要は自分の子供たちの世代から言われることね。
うちの子供と同じぐらいの年齢ですよね。
そんなこと子供にも言われたことないよね。びっくりでした。
だからこの感覚が、聞いてる方たちはどういうふうに捉えるかだと思うんですよね。
たぶん私たちだから感じることなのか、
一般的に誰でも感じることなのか、ちょっと私もよくわからない。
私もちょっとドキッとする。そんなこと言われたら。
全然知らない子供にですよ。邪魔です。邪魔です。どいてください。ですからね。
結構、てんゆいの言葉、日本語が使えそうな感じはするのに、
すいません。失礼します。とか、通してください。とかだったら、
言い方っていうものがね、ちょっと直接的かなっていうのかなとちょっとね、思いました。
こういう違和感っていうのをね、やっぱ海外住んでるとちょっと敏感に感じてしまうのかもしれないですよね、私たちもね。
はい。それでは本編スタートです。
はい、本編です。今回も由美シャローさんのインタビューの2回目です。
今回はですね、由美さんがパリに戻ってきて、結婚してパリに生活を落ち着かせた後、どんなふうに過ごしていたかとか、
日本に対する思いとか、その辺を伺ってますので、ぜひ聞いてみてください。
なるほどね。パリに残られてからもずっと仕事は続けていらっしゃった。
そうですね。パキスタンから帰っても、その前にケンゾーさんが働いていらっしゃって、ケンゾーさんは独立されて辞められた。
そこをずっとやってたんで、特に子供服とか、いろんなプレタポルテの、あとニットの会社とか、
まだ戻ってらっしゃいっていうんで、子供もまだ小さかったんで、まだとてもいい方で、
うちで仕事するようにも仕事だけ取りに行ったとうちで帰ったり。
09:01
なるほどね。家でもできたっていう。
その後も雑誌の仕事とかすると、コーディネーターの、あの頃バブルだから。
コーディネーターっていうのは、日本からの。
日本からの広告でいっぱい来てらっしゃったのよ。
パリだったら多いでしょうね。
多かったんですよ。だから、お洋服とか、撮影とか、高倉健さんとか。
結構いろんな方を。
そうですね。お友達がそういうコーディネーターの会社やってらっしゃったから、
ゆんきちゃんこれやるみたいな感じで。
私もほら、割とフリーだったから、やるやるみたいな感じで。
いろんな仕事されてた。デザインとかだけじゃなくて。
テレビの仕事も結構まだワークあったから出れたというか、
お料理でデザイナーの方たちとか俳優の方たちのお相手するみたいな。
そうだったんですね。
背が小さいからずっとテレビで横位置で、すみませんね、縦位置じゃないと入りませんね。
感じで台に乗せられたりして。
あ、ゆみさんだけ?
そうそう。だってそうじゃないと、相手から両方入らないみたいな感じで。
そんなこともやって、あれは結構面白かったというか。
ゆみさんにとって仕事って何だったんですかね。
そうですね。でも本当に好きなことが仕事というか、それで一応稼げるというかね。
お金になったってことはすごくラッキーですよね。
でも本当に素晴らしいと思ったのは、そこでやっぱりお友達ができたってことですね。
これはやっぱり宝ですね。
なんかほら、ライバルとかそういうのデザイナーって本当にないですよね。
みんな仲いいですよ。
それぞれ自分の線でやってて、別にそれを批判することもないし。
自分の道でそれぞれやってるから、そこにしがみとかそういうのはない。
全然ないし、彼女があれをやってるっていうのはすごく理解できるし、みたいなね。
お互いみんなそうだったと思うの。だからみんなすごく仲いい。
私もそこで本当にお友達がいっぱいできて、それからまたほぼのお友達とかそういうのも楽しいじゃないですか。
亡くなった方も多くてすごく寂しいんですけど、やっぱりそういう方の会話とかからすごくいろいろ勉強になったと思いますよ。
今のデラックスマスクとか大好き。
ああいう感じが、ちょっと辛口で独絶が入りながら。
そういう方がいっぱい周りにいて楽しかったです。
だから全然違うフィールドの方っていうのをお友達がいっぱいいたんですね。
結局65歳までバッチリ働かれて。
12:00
家でした時にね、ここの辺でちゃんとお金を稼がないと息子に尊敬されないなっていうのがすごかった。
やっぱりフランスってお金も大切な国じゃないですか。すごくお金のことも言うしね。
やっぱり女でもちゃんと働いてるっていうのも周りはほとんどありますしね。
やっぱりここでね、ママがきちっと稼がれてないと息子に尊敬されないなっていうのがすごかったのと、
やっぱり日本でお仕事をした方がメリットはありまして、
ちょうど前からいい会社が拾ってくださって、
10年間本当に自分で言うのもなんですけども、
でもその頃結構お友達がいなくてすごく売りにくかったんですけど、
いわゆるシンプルで大人が着て、洋服を着ただけだとアクセサリーとか小物でその人らしく予想を得るっていうそういうコンセプトで、
だから売れるところはすごく売れてたの。渋谷西部とか銀座まで。
ブランドをやってらっしゃったんですね。
その時のお客様、今でもこの間も手の中にもずっと来てくださったり、いいお客様がいっぱいいらして、
でもなかなかそのデパートの中だと、契約した会社がブランスの会社だったもんで、
箱を持ってないといわゆるコーナーがなかったからなかなか難しかったんですけども、
そのコーナーを作ってくださったところはかなりよく展開できたと思うんですけど、
でももうちょっと本当は伸びなくちゃいけなかったんですけど、
10年間でバブルも終わったってこともあって、時期も良かったってこともあるんですけどね。
その会社もあまりやめて、その後ちょっと知ってるじゃない人の方がね、会わせたい人がいるっていうか、
会社ってそういう会社っておじさんたちがなかなか分かっていただけないみたいな、
おじさんは嫌みたいなこと言ったら、それもおばさんなのよって言ったら、
それがアクセサリーのバンドームの女社長が言ってたら、
社長さんもね、私のこと知っていってくださって、
でも私洋服があってのアクセサリーしか考えられないって言ったら、それがいいんですみたいな感じで、
それでもう大好きでどんどん書いたら、やっぱりそのデザインを、
いわゆるファッションジュエリーの100店舗ぐらいあるところを底上げしてくださいみたいな感じで、
いわゆるアドバイザーみたいな風に大物になったらしいんですけど、
私がガンガンいっぱい書いたのが、なんかもったいないから、
1ブランド作ってくださる。それはとっても素敵だったんですよ。
それで可愛いカタログも作って、その4年ぐらいやってて、
そうしまして、やっぱり100の方にそれを混ぜていった方がいいと。
15:01
もちろんそれは会社のね、ですからどうぞって言って、
そうなりますと、今度もうちょっとマスになると、
それか主人がね、その時もう57歳でリタイアしたの。
そうすると私はこの時は展示会があって、やっぱり動けないからとか、
そういうことが年に4回ぐらい出てくると、一緒に旅行行けなかったり、
そういうのもあって、もうなんか自分の中で65歳で辞めるって決めてて、
そしたらとっても惜しんでくださって、指輪の素敵なの頂いて、
もう本当にね、心よく6年間お仕事させて頂きました。
じゃあその間結構日本も変えられてたんですか?
そうですね、だから洋服の時は年に2回、春と秋2ヶ月ずつですか、
そうですね、それとアクセサリーの時は1ヶ月ずつぐらい。
でも定期的に年に変えられてた。
だからそこでやっぱり、25年ぐらい経った時かな、
日本人でもフランスでもなくて、寝なし草というか寝なし寝っていうの、
すごい悩みまでしないんですけど、なんかチューブラリンで自分で、
なんか不安な状態?不安までいかないんだけど、なんか嫌な感じっていうのがあったのね。
でもあれやっぱりそこの後で日本に定期的に行けたっていうのは、
やっぱりすごく良かったなと思って。
私やっぱり日本人ですよ。
そうですよね。
そうです。
その悩んでた頃って、おいくつぐらいの時だったんですか?
だから40何か頃かな。
その時まではやっぱり日本にはあんまり途中帰ってなかった。
だから日本に行く時は旅みたいになってて、旅人みたいに一応実家には帰ったりするんですけど、
やっぱりパリに帰るっていうか、なんかチューブラリンになったんですよね。
わかります。すごくわかります。
だからその時なんかどうしようみたいなね、なんかそういうのがあったんですけど、
それは本当にありがたかったですね。
定期的にやっぱり日本に帰ったことによって日本人である自分を実感できたっていうか。
そうですね。本当に日本大好きだし、
この間主人とクルーズでシンガポールからずっとアジアを回って日本に入った。
鹿児島にまず入った。
もう顔つき違う日本人好き。
顔つき違うっていうよりは周りの人っていうか。
うん、周りの人。雰囲気違う。
あったかいのとっても。
ずっとなんかこまやかなの。
それってやっぱり外に出るから余計わかるってことないですか?
そうですね。
日本にいると当たり前すぎてわからないことが、
外に出るとそのこまやかなところとか。
あとクルーズでね、例えばマッサージの女の子とか、
18:00
美容院の女の子とか、結構日本人の女の子が頑張って働いてるのよ。
そうなんですね。
それでそういう方達に会うと、
もうやっぱりね、皆さんに接してる、観察してるとやっぱり違うのよね。
どういうこと?
目配りとか、気の使い方とか。
なんかとってもやっぱり素晴らしいですね。
それってなんか教わることじゃなくて、
もうやっぱりずっと歴史の中で育われてきて、
それでなんとなく日本人のDNAに入ってるんじゃない?
と思います。
日本に入ってますよね。
入ってます。
今の若者たちにも入ってると思う。
そうなんですよね。
入ってるはずなんですよね。
それって素晴らしいことです。
これはもっと生まれて自慢していいと思います。
そうなんです。
それが多分中にいると案外わかんないんですよね。
自慢していいぐらいのレベルなんだっていうのが。
海外出ると、特にフランスに住んでると、
全然違いますよね。味方さというか。
最初来た時60年の終わりでしょ。
70年代になりましたでしょ。
最初アジアティックで、それこそベトナムは昔植民地だったし、
そんなのもあって、あとタイの方とか中国の方がいっぱいいらっしゃいますよね。
アジアティックでひっくるまって、ちょっと軽蔑までいかないかと。
でもデパートの店員さんなんかすごく冷たくされたり、
やっちゃいけにされたりってあったんですよね。
その時に70年代に入って、
それこそ名前言っていいの?
ソニーとかキャノンとかヤマハとかニコンとかとにかく。
企業ですね。
そうですね。いわゆるトラニスタラジオから始まった企業。
あの方たちが本当に頑張ってくださったから、
日本人の株がバッと上がったのよ。
変わったんですね、見方が。
本当に変わりました。
だから本当にインテリの方たちは、
フランスでもね、日本はすごくいい文化があって、
もちろん認めててくださいますけど、
いわゆるそう言っちゃうけど、
普通の方たちの中でもやっぱり日本人はどっか違うぞっていうのがすごくあって。
うちの子供なんかブラジルから帰った時にね、
やっぱり学校でもいじめまでは行かなくても、
中国人とか言われるんじゃないの?
やっぱりちょっと違うからね。
ママ、僕フランス人だよねって言ったことがあんな。
これってきっと言われてるんだなって。
そうよ、あなたフランス人よ。
パスポートもフランス人、パパフランス人じゃないってフランスで生まれたし。
ママは日本人だけどここに来てるだけよみたいな感じで言ってたのね。
そしたら日本に行ってね、
あの頃思ったらたまたま家のいとこのおじがね、
顔がってくれるおじが、
息子にジャンポルにおもちゃ買って帰らなくちゃって。
おもちゃ買わなくちゃって言ったら、
俺のぽんゆんが、おもちゃ屋だ。
21:00
一緒に俺も会いたいから行こうって言ったら、
考えたらにわかの方がもっと任天堂なのよって。
その頃小さい会社でしたよ。
そこでスヌーピーが晴れるみたいな、
ちっちゃなこんなの3つくらい下せたのよ。
それを持って帰ってきたら大人気で。
彼の顔が当たっちゃったわけですね。
でもあの頃任天堂の顔買ってこようと思って。
ねえ、暗くなってはね。
そう、そのおもちゃでしたらね、
こうよ、うちの息子。
僕って日本人のジャンプ入ってるよねって。
フランス人から日本人になってたんだ。
もちろん、あなた入ってるわよ。
日本人だからみたいに言ったんですけどね。
やっぱり戦後の、だって戦後30年。
で、主人も一緒にちょうど60年の記念のテレビ見てたんですけど。
やっぱりあんなやけの腹にされて。
まあアメリカもね、そういう意味ではとても、
いわゆるバックアップっていうか、
ヘルプはあったんでしょうけども。
やっぱり30年経って、
うちのカラクチの主人が、
どこの国が30年経っただけで、
世界経済第2国になれる。
それってすごいですよね。
そうですよね。
まあ今は中国人抜かれたりしてるみたいですけど、
でもかなりの、あんな小さな国よ。
で、あたたちね、日本にいる時って、
日本って地図の真ん中にあったじゃないですか。
外地図のね。
外地図のね。
今は民族の方にちょっとちょっとありますね。
まさに極東な感じ。
極東なのね。
こっちから日が昇るのね、みたいな思うんですけど。
こっちを見るとゾウさんみたいじゃないですか。
でもなんかトカゲさんぐらいですよ。
ずっとちっちゃいですよね。
だから素晴らしいんですよ。
そういう意味では、
こっこりに思っていいっていうか、
大切なCNAを持ってるっていうところで。
そうですよね。
日本に生まれて、
今ほらやっぱり祖国がね、
素晴らしい。
今だってシリアンが祖国だったらどうする?
みたいな感じでしょ。
つらいですよね。
だから祖国がやっぱり豊かで、
人が優しくて、
居心地がいいというか、
物が美味しくて、
物が美味しいっていうのはやっぱり、
年とともに子供の時から食べてた物が好きってなるんですけど、
とにかく本当に自然もあるし、
本当に五、六十カ国行ってるんですけども、
やっぱり日本の自然が一番美しいっていうか、
細やかだと思うの。
へー、例えばどういうところに感じますか?
例えば若葉だったら、
春と秋行ってるから、
例えば山があって揺れたとしたらば、
葉っぱの厚さも、
例えば30平米を切り取ったとしたらば、
その中にね、苔から始まって、
種類が日本はすごく多いと思うの。
なるほどねー。
日本の品揃えの多さとか、
そういうところから来てるんじゃないの?
贅沢なのよ。
バリエーションね。
言葉もすごいと思います。
言葉多い。
言葉多いでしょ。
だけど自然はあって、
24:01
それを万葉の時代から、
自然をどう表現するって言葉が多いんじゃないかと、
私は思うのね。
例えばね、つくづく、
特にね、
やっぱりイギリスに住んでるお友達が遊びに来て、
道歩いてて、
ねえユミさん、
なんか日本語でひらがなを2つずつくっつけて、
あの言葉ってすごくない。
フランス語にももちろんないでしょ、
英語にもない。
つまりね、つくづく思うと、
それからしみじみ思うと、
弟思うと、
そこで違うじゃないですか。
でも説明できない。
できない。
フランス語では説明できない。
全く。
しかも豆々し語るとかね、
なんか主人に言いたいわけよ、
豆でしょとか。
でもなんか地力引いても、
豆々しとか言ってなさそうですよね。
ただワークハードか、
カバイルビアンとかね。
確かに確かに。
そしたら豆の人いないんだとか思うわけよ。
なるほどね。
表現がないんですよね。
そういう細やかさ。
だけどやっぱり自然の細やかさ、
おかり災害も多いのは本当に心が痛みますけども、
やっぱりみずみずしくて、
湿気があるっていうことと、
湿気がわりとはっきりしてて、
素晴らしいと思いますよね。
やっぱりそれもいろんな国を見てらっしゃるから、
余計いろいろ感じるんでしょうね。
でも本当に美術、宝石ですよ、
世界の中の美術、
プチ美術ですよ、
と思い感じます。
そこに住んでる人たちは幸せですよね、
そういう考えですね。
そうですよ、だからもう日本に生まれただけでした、
もう大ラッキーというか幸せと思わないと。
本当にもったいないですよね。
中にいると案外気づかないから、
ここでやっぱり自分で認め直すっていうのも大事かもしれないですね。
そうですよね。
ユミさん、パリが教えてくれたモンシックな毎日ですからね。
こんな感じの毎日です。
でもパリが教えてくれたことももちろんいっぱいあるんですけども。
パリで豊かに、気持ち的にね、
生活の質を上げていくために、
パリから学んだこと、フランスから学んだことって、
一つにするのは難しいかもしれないけど。
でもやっぱりほら、アンティックなんか、
私もやっぱり日本に行った時から西洋骨董とか大好きで、
それから最初の一時、毎週のみの市に行ったりして、
けんそうさんなんかともよく言ってね、
もうここの真ん中に住みたいって思ったぐらいの人なんですけども。
やっぱりその古いものを大事にするとか、
やっぱりとても素敵なものがあるじゃないですか。
手作りのものとかね。
それからやっぱりバカンスの時に、
本当にこんなにお休みして、
社会復帰できるの?ってぐらい大人が遊んでるじゃないですか。
最初サントロッペにけんそうさんと荒牧さんと3人で行って、
目が手になったぐらいに。
日本人から見るとびっくりですよね。
27:01
びっくりしましたでしょ。
その時に、やっぱりすごくテントを持って行く方もあるわけじゃないですか。
それから、宿借りみたいにキャラバンとかね、
車で引いて行く方とか、
すごいサントロッペになって、すごい豪勢だね。
ヨットが、犬6匹いて、
お腹が、みたいなね。
乗客員がいっぱいいて、
そこからお帽子かぶった素敵な方が降りてきたり。
そういうのをみんな見に来てたりして、
キャンプのとこから見に来たり。
バカスがすごく嫌だったのは、
貧富の差がすごく見えちゃって嫌だなと思ったんですよね。
だけど、そうじゃなくて、
それぞれが身の丈に応じて、
自分の中で楽しめる、
それで十分満足してる人たちっていうの。
比較はしないんですよね。
その人たちが、自分が別にゴージャスじゃないから、
どうのどうのってわけではないんですよね。
それってすごく素敵ですよね。
だから本当にそういうことっていうのは、
本当に日の中のちょっとしたことで、
美しいってことを見つけられたり、
幸せを見つけられたり、
そういうことなんでしょうね、彼らは。
だから自分の基準っていうのがあって、
人は人、自分は自分っていうのがちょっと近いのかなと思って、
自分の幸せとか、自分の楽しみとかっていうところにこだわってはいますよね。
そうですよね。
だからそれって一つには自分を大事にして、
自分の好きなものとかを決められ、
自分が好きっていうものがやっぱりわかるっていうか、
でもそういうのをどうやってわかりましょうって言っても、
そう教えられるもんじゃないんですけどね。
なんか秘訣ありませんかね。
なんでしょうね。
でも私とともは、これ言ってしまうためなんですけども、
パリの街とかすごく綺麗じゃないですか。
だからやっぱりその美しいものに対して敏感?
例えばね、やっぱりパリに行って、
セーヌが真ん中に流れてて、
やっぱり一時代に計画された街っていう、
素晴らしさ。
都市計画がやっぱり考えられてますね。
ナポレオン3世ね。
それは大変なことだったと思うけど、
あれってすごいですよね。
よくできてますよね。
その辺の考え方がもう歴史的にそういうふうに向かったと。
そうですよ。
日本も一度やけどあらに東京なんかされてしまったわけだから、
ビルが建つのはしょうがないんでしょうけども。
やっぱりそういう意味で、
30:01
だからその辺りはもう何とも言えないんですよ。
新宿なんかを電車から上から見たとき、
なんかおもちゃ箱ひっくり返す。
そういう感じですよね。
そうなんですよね。
それからちょっと言ったところに、
ビールの黄色いバーなんて置いてあったりするじゃない。
その辺の汚いも片付けてみたいな。
そういうことに目が慣れてしまう。
そうなんですよね。
確かにその通りだなって思いましたね。
でもやっぱり私小さい時から好きなものとか結構あったし、
でもだからやっぱり両親も、
やっぱりそれも代々いろんなのもきっとあると思いますよ。
だからやっぱりよくこっちで、
この母にしてこの娘ありみたいな。
だからやっぱりお母さんがそのお家をきれいにして、
いつもお花飾ってたり、
今日ないけど飾ってたり、
例えば身切れにしてらしたり、
なんかそういうことってやっぱり子供の、
それからこっちはやっぱり、
子供なんかよく美術館に連れてってあげたり。
気軽に行けますからね。
それから一つこれも本当に、
日本って残業辞めましょうとか、
いろんな事件があったりして問題になってますけど、
でも結局遅いみたいね。
うちの1個は東芝にいたりするんですけどね。
だからお父さんに時間の余裕がないっていうか、
こっちはバカンスで海か山に別にお金かけなくてもね、
自然の中で何日間かその両親と暮らせるっていう、
それってすごく大切。
お子さんのところが違うかもしれないですね。
そうですよね。
だからバカンスっていうのはやっぱりいい風習。
自然も土地が広いのもありますけど、
どこ行ってもあるし。
楽しみますしね。
そういうのがお安いですよね。
シャモンに行ったって1週間380ユーロくらいよ。
ホテルアパートの人。
50平方メートル以上あって、
2ベッドルームくらいで。
目の前モンブランみたいでね。
だから7月、8月とかそれでも高い方だから、
時期ずらしたらもっと安く行けますもんね。
冬は好きだから。
もっと暖かくなりますよね、あの辺はね。
80に来年になるっていうことで、
由美さんが美しく楽しく年を重ねる秘訣っていうのがあったら教えてほしいなと思って。
何でしょうね、でもなんかやっぱり、
いつも同じことになるんですけど、
33:00
何でも興味持って、
少しでも何かやったらそれを綺麗にしたいとか、
今日もこのクッションを買いようと思って綺麗買ってきたのがあったり。
そうなんですね。
なんかそういうことしたり、
それからやっぱり、
お友達、元気なお友達にも会いましょうみたいな。
なるほどね、積極的に外に出てくる。
でもここってちょっと郊外じゃないですか、
パリの真ん中に住んでたら、
電話かけて、
由美さんパリさんいつ出てくるの?みたいな。
そんな遠いわけじゃないじゃないですか。
ないんですけどね。
でもやっぱりパリに行った時、
1個だけで戻ってくると疲れるから、
もったいないから、
3つくらいの用事を入れちゃうんですね。
デパートとかお店とか、
やっぱり行けば行ったって楽しいじゃないですか。
だからやっぱりなるべく外に出て、
足越しも。
そう、やっぱり車と一緒でね、
やっぱり動かしてないと、
体さびますよね。
だから少しでも。
特にね、年齢ともにね。
だからそれを主人に負けるっていうか、
もう見客さんだから、
私も頑張らないと。
あともう1点最後に聞きたいのは、
やっぱりフランスって、
1人のパートナーと何十年もいるって、
結構少ないじゃないですか。
少ないですね。
ユミさんだって50年、
結婚してからだと、
46年くらい。
ですよね。
1人のパートナーと長く続けていく、
秘訣というか、
大事にしてることって何かありますか。
そうですね。
うちが続いてるのはもしかしたらば、
そんなに一緒にいつもいないっていうか、
それぞれが好きなこと。
主人は57歳で、
計らずもラッキーにもっていうか、
なんかほら、
日本だと長く働くのがいいみたいな、
お友達たちもね、
また次の会社に移ったりして。
でもなんかこっちだとカードがあるのびっくりしたわ。
前に見たんだけど。
カードって何?
君は早くリタイアして、
ブラボーみたいな、いいねみたいな。
そうそう。
リタイアおめでたカードみたいなのがあって、
びっくりしたことあるんですけど、
今はあんまり見ないけど。
主人は57歳で、
たまたまリタイアしたから。
だから体力的にもね、
あれで山登りとか。
ネパールも行きましたし、
モンブランも、
キリマンジェルも上まで行ったんだよね。
映画も大好きで行ったり。
でもどうしてそんなに映画行くの?
やっぱりどっかに行ってなくちゃ。
私が出かけたりすると、
なお対抗意識で出かけるからね。
それぞれお互い刺激しちゃってるわけですね。
それからやっぱり主人はね、
36:00
若いときすごく留守が、
転勤というか長い出張が多かったんですよ。
外国との仕事がいっぱい。
だから私も一人でいるってことが、
そんなに苦にならないし、
やっぱりその間にすることがいっぱいあるし、
その間に油絵も、
てんぺらがあったから始めて、
最初ネパールに長く行ってるときに、
並べたあなたの家の間にこれだけ書いてあったら、
ぱっと一目見て、
のぎの内に箱をこんなに売ってるとか、
ガクッてきましたけど。
とにかく私は私でやってるでしょ。
お互いにそれぞれの趣味を持って、
逆に一緒にいる必要もないんだ。
時間にないとっていう感じじゃない方が、逆に。
でも例えば、シャモニに行く。
それも私もカジノがあったりなんかするから、
行くんだけど、
私の気に入ってるところに行くんだけど、
自分の楽しみもあって。
それでも昼間は違うことしてて、
でもご飯はちゃんと一緒でしょ。
旅も一緒に行けるし、
元気だから本当ありがたいんですけど、
やっぱりちょっと離れてることが、
かえって秘訣なんじゃないですか。
っていうのもありますよね。
だからあんまりお互いにベタベタすることはない。
寄りかかって寄りかかんないで、
インデポンダントでいた。
自立それぞれしているっていう。
その人が、例えば彼が
お友達とお昼ご飯、
明後日食べるよとか言うと、
私すごく嬉しいもん。
いってらっしゃいみたいなね。
彼たちが仲良くしてるっていうかね、
一緒に出かけることも嬉しいし、
嬉しいんですよ。
別に自分が取り残されるとか、
そういうのはないし。
私がまた日本人のお友達とね、
最初夫婦二人だから、
彼も連れていかなきゃいけないと思ったけど、
結局彼もつまんない。
私も通訳してるうちに、
もうなんかわけわかんなくなる。
ある日やめましょうと。
それぞれが、それぞれの。
でも二人で呼ばれたっていうかね、
お二人の共通の友達もいるし。
そうですよね。
やっぱり46年って。
フランスでは。
間ちょっとあれしました。
でもフランスって結構離婚したり、
今結婚しないでお子さんっていうのも
いっぱいありますけどもね。
だけど別れても、
離れてもいわゆる生活が、
子どもたちとか、
おばあちゃんたちとか、
家族ぐるみで付き合いとか結構ありますよね。
それはすごくいいなと思う。
面白いですよね。
子どもの中、何ていうの、
サバサバしたっていうか。
でもやっぱりそのパパはパパみたいなね。
あれはすごくいいと思います。
これを詳しいのは、
全部本に細かくいろいろ書いてらっしゃるので、
読んでいただきたいんですけど、
ありがとうございます。
ゆうさんの中で、
一番この本で伝えたかったこととか、
これから30代、40代で、
これから年齢を重ねていく
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日本人の女性に
何かメッセージがあったら
最後いただけますか。
なんか近頃、
アンチエッジっていうのを
言うのをやめましょうみたいな。
そこに別に逆らうこともないし、
その年にね。
アンチ。
あんまり年感じないで、
その1年1年、
なんか病院なんか行って
自分の年書くと
自分でびっくりするみたいな。
ほんと自覚ゼロは
父親にとってみたいなとこあるんですけども、
やっぱり体が元気だと、
心も元気になるじゃないですか。
だからちょっとまずは、
体っていうか、
朝、朝起きるとき
すごいいろいろ、
ネジネジ体操みたいなのを
やるわけ。
じゃなくてパッと起きるよりも
いいかなと思って。
固くなってますからね。
寝てる間ね。
だからとにかく
元気でいたいですよね。
本当に元気でいたいですよね。
それにはやっぱり
食べ過ぎないとか、
ちょこちょこと食べてるとか、
ちょっとずつやっぱり
こまめに気をつけましょうみたいな。
ちょっとずつのことが大事ってことですね。
そうですね。
大きなこと何かするっていうよりは。
そうですよね。
日々楽しみ見つけたいですよね。
何でもいいんですけども。
それでもすごく大事ですよね。
そうですよね。
だから
女の方だったら
今本当に少なくなったけど
縫うこととか
編むこととか。
でも今でもそういうの好きって
言う方もあるじゃない。
でもそういうのはやっぱり
またお母さんが生まれたら
その子たちの洋服なんかも縫えるじゃない。
縫えたらいいですよね。
だからそういう
手仕事っていうのも
すごく手を動かすっていいって
思いませんか。
楽しいことは
だからお料理してても楽しくなりますよ。
もちろん。
残りもんでこうやってやったら
こうしたらみたいなのもあるし。
着ることもみんなそうじゃないですか。
生活の一部ですね。
だから
生活の中で結局
必要な
ことがありますよね。
食べること着ること住むこと。
その中で楽しみっていうのを
ちょっとずつ
どれにも少しずつ見つけていったら
やっぱり楽しいんじゃないですか。
毎日楽しくなりますよね。
それもこの本で
細かいことがいろいろ書いてあるので。
例えば
戸棚の中きれいにしようと思ったら
タオルこういうふうにたたんで
みたいなことも書きました。
本当に写真入りで
いろいろ細かい
お料理のことも書いてある。
そうですよね。
ちょっとしたことで
日本の女の方大好きだから
日本の女の方が
本当に生き生きときれいに
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本当にきれいなのよ。
私もわかりますよ。
帰るとびっくりするみたいで。
きれいだし
前よりもやっぱりきれいになったし
背も10センチも
中もちっちゃいんだけど
10センチ背が高くなって
みんな素敵だし
肌とかも本当きれいですよね。
素晴らしい質権のある。
どっかちょっとおしとやかで
温かいじゃないですか。
そういう方たちが
本当に幸せに
毎日ね
暮らしてほしいって思うのですよ。
しかもあんなに
日本の土地の高度の中で
本当にちょっとしたことで
だからみなさん
娘さんとかきっとお孫さんとか
ペットとかはいろいろあるんでしょうけども
そういう中で本当に
自分が心よい毎日を
過ごしていただけたら
なんかそれのちょっと
アイディアのお手伝いにできたらいいかなって
私一生懸命生きてきました
っていうところを
読んでください。
細かいのは
私の本もまたブログで写真載せますけど
よかったらぜひ本をね
お手に取って読んでいただきたいなと
よろしくそうしていただけたら
嬉しいです私も。
あゆみさん長い時間
ありがとうございました。
あきさんありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
はい、ゆみさんの2回目の
インタビューでしたけれども
かなり波乱万丈的に
いろんなことを
経験されて
さやみさんはどの辺が
印象深かったですかね。
そうですね
いくつかあるんですけども
旦那様の
旦那様のところから
家を出て
別居した経験があるとか
でもまた戻って
離婚するわけじゃなくて
戻ったっていうところが
長年別居して
どうして戻ったのかなっていうのが
すごく興味があったのと
あとはやはり
世界中いろんなところにも
ご旅行されてると思うんですけど
だから
彼女が感じてる
日本の良さ
みたいなところって
私も同じように感じるところ
すごくあるんですよ
とっても興味深かったです
その部分を
やっぱり日本の皆さんに
自信を持って
欲しいなと思います
DNAが
って話が出てましたね
何もしなくても体の中に
存在してるんですよね
きっとね
体の感覚が
わかりますよ
スーパーの
店員さんからして全く違います
そうなんですよ
ほんと些細なことだけでも
全然やっぱり
働き方違いますし
教わらなくても多分
そうなっちゃう
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ところが
日本じゃ
当たり前みたいな
当たり前だと思ってるので
体に染み付いてるというか
本当に生まれ持ったDNAなんだな
っていうのが
私も感じましたね
私もその印象に残ったところが
この25年ぐらい経ってから
自分が根なし草のように感じて
日本人なのかフランス人なのか
わかんなくなっちゃって
っていうところで
多分まだ
自分たちは日本人だって感覚を持ってるけど
やっぱりそんなに
日本に家がないわけだし
だんだん日本人なのに
日本と遠くなってるっていう
実感が
25年ぐらい
住むとそうなるのかなっていうのを
聞いて
彼女がそれでいいタイミングで
日本とお仕事を
することになって
定期的に仕事で
帰るようになった旅じゃなくて
っていうことで
自分の日本人としてのアイデンティティを
取り戻したって話がね
すごく印象に残ったんですよね
特に昔だとそんなに
しょっちゅう帰れないと思うんですよ
今はもっとなんか
ちょっと簡単に
サクッと日本に行こうとか
っていうことも
気軽にできると思うんですけど
昔は多分そう簡単にはしょっちゅう
帰れなかったんじゃないかと
思われます
だからある意味も
結婚するとか
っていう状態でも
日本にはもう帰れないみたいなところも
半分ねそういう
もう覚悟で
いらっしゃったってこと
になりますよね
そういう意味では
私たちの感覚とは
時代が違うから
彼女も相当な覚悟を
持って多分楽しんでらっしゃった
とは思うけれども
その部分がやっぱり
日本人としての
なしぐさの
そういう感覚が芽生えてしまった
っていうのもあるのかもしれない
ですよね
あとやっぱり
DNAとも
関係してるんだけど
じゃあ逆にフランスの良さって
どんなところっていう話も
されてらっしゃって
やっぱり本に書いてあるから
ぜひ本の方見ていただきたいんですけど
やっぱり日常のことで
そうしたことを楽しめるっていうところを
あと何でしたっけ
サントロペの話をしてたじゃないですか
けぞうさんたちといったら
片屋すっごい
ゴージャスな人もいれば
片屋キャンプで
なんか普通っぽい感じの人もいる
それぞれのレベルで
楽しむと
その辺の
感覚をフランスで
学んでいる
っていうのは私もすごく実感するし
これはやっぱり
日本とちょっと違う
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人の目とかはあんまり気にしない
気にしないですよね
自分の置かれた状況で
いかに楽しんでいくかと
そこはすごいと思います
そうなんですよね
だから
フランスの良さっていう部分は
ぜひ彼女が
どういうところを学んだのかっていうのは
ぜひ本を読んでいただければ
タイトルを入れれば
すぐアマゾンで出てきますし
写真も
由美さんの写真が出てくるので
どれくらいミンキーがお若いか
すぐお若いになると思います
やっぱりね
私お宅にお邪魔したんですけど
彼女
すごいホスピタリティが日本人で
いろいろお菓子作ってるんですよ
すごいですね
だから79歳で
お菓子も作って
ゼリーみたいなのも作って
お茶碗ができないね
本当に何百年前の
すごく良いお茶碗が出てきたりとか
うちの蔵にあったのよ
みたいな感じ
日本からそれをわざわざ
すごいですね
ホスピタリティとかも
すごい良いし
あと本当に
写真見ていただけるとわかるし
この表紙もそうなんですけど
ボーダーを79歳で着こなすって
どうですか
若くないですか
若いですよ
だって
お写真見ると
物理的なものとか
ちょっと置いといて
多分内側から
湧き出してきてる
雰囲気とか
とても
本当に年齢を超越してる
そうなんですよね
ところがすごいですよね
だからそういう意味でも
本当に
私は本当に真のパリジェンヌだな
みたいなところをすごく感じ
させていただいて
やっぱり
彼女もね
おっしゃってて
インタビューの後に
別におっしゃってた言葉があって
好きなことを仕事にして
出会った人がすごい財産だな
っていう話は
インタビューでもされてましたけど
なんでブティックを
やらなかったか
お店をやらなかったか
人を使えないとか責任の話とかしてましたけど
やっぱりね
いつも自由でいたいってことが
自分の大切な思いだったの
そこがやっぱり
そこを大切にしようとすると
やっぱ自分が
本当に楽しくいられることって
なんなんだろうっていうところが
影響してるのかな
分かる
私も自由でいたい
どういう意味ですか
いつも自由で
やっぱりいたいと思いますよ
誰かに使われたくないとか
特に仕事に関しては
誰かに使われたくない
自分で
やりたいっていうのがすごく
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ありましたね
仕事一つ取ってもそうですし
やっぱり
家庭の中でも
できれば自由でいたい
100%それはちょっと無理なんですけど
できるだけ
だから分かりますよ
ユミさんの
おっしゃってることがね
彼女の恩師である
長谷哲さん先生の
教えが軽く生きる
軽いって
身軽にって意味だと思うんですけど
自由っていうことに近いんじゃないかと
思うんですけど
その話ともすごく直結してるなと
思いました
よかったらユミさんの
生の声は
聞いていただいたと思うので
彼女の考えを本という形で
もしよかったらぜひ
読んでいただけたらなと思います
また来月も素敵なゲストを
お迎えしたいと思います
ありがとうございました
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秋でした
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