00:14
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさやみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
10月に入って、9月からちょうど1ヶ月経ちまして、バタバタがまだ続いているみたいな感じですかね。
そうです。まだバタバタの余韻を引きずっていますね。
9月が新学期なので、なんでこんなにバタバタするんだろうか。
本当に不思議ですよね、毎年。一気に出さなきゃいけない書類がすごい量じゃないですか。
書類社会というか文書社会のフランスだなってすごい思いますけども、いろんなものをプリントアウトしたり、コピー取ったり、本当に大変ですよね。
あと、スポーツやアクティビティーをする時にお医者さんに行って、メディカルチェックの認定をしないとスポーツさせてもらえないので、すごい並んだりとか、そういうものがいろいろあるんですけど、
今回ちょっとお話ししたいなと思ったのは、9月に私のところとさよみさんのお子さんが2人とも中学生になって、中学生といっても日本の小学校5年生なんですけれども、
ちょっと学校の仕組みをお話ししたいなと思って、多分日本の方には馴染みのないフランスならではの仕組みかなと思って、さよみさんのお子さんの学校の話を聞きたいなと。
私の事情は2年くらい前かな、バレリーナになりたいって、それもオペラ座のエトワールになりたいとか突然言い出しちゃったの。
どうしましょうと思って、3つの学校に通いつつ、どこの学校が一番彼女に合っているのかなっていうのをちょっと様子を見てたんですよ。
じゃあもうそろそろ中学に上がる。じゃあ中学校、普通の中学にするか、もしくは午前中だけ学校に行って、午後、例えば音楽、ピアノだったらピアノ、あとはスポーツだったらゴルフとかテニスとかダンスもあり、
そういったことをもっと本格的にやりたい子のための学校っていうのがあるんですよ。学校というかクラスですね。
この中に普通のクラスと、そういう芸術とかスポーツとかをちゃんと時間をそこに当てたい子たちのクラスって分かれるんですね。
03:09
たまたま彼女が通っていたバレエ学校の先生にこういう学校があってお勧めよって勧められたのが今、次女が通っている学校で、クラスは3クラス1学年あるんですけど、
普通の子たちと特別にスポーツとか音楽とかをやっている子たちはクラスみんなミックス。
一緒のクラスなんだ。
すごいミックスで一緒に勉強するんですけど、時間割がすべて午前中に重要科目、必修科目をすべて入れているんですよ。
午後は例えば美術とか音楽とかスポーツとかそういったものが入るようになっていて、午後にうちの子供みたいにダンスをやっている人はダンスの学校で2、3時間ずっと過ごす。
つまりその午後行われる芸術とかスポーツの授業はもう学校はやらないで、自分が本来やりたい芸術方面とかスポーツの学校にそれを単位として認められるっていう。
学校同士でバレエ学校と普通の中学校との間で提携がされていて、それですべて単位が満たされますっていうことですね。
だから彼女はいわゆる学校でスポーツをやったりとか美術とか芸術をやるわけではなく、その時間はもう全部自分のやりたいバレエの方に充てられるっていう。
やっぱり日本だと、ちゃんと授業は全部受けなきゃいけない。スポーツをやっている子たちも多分放課後とか、
学校が終わった後ですよね。
あるいは朝とかね。
終わりの時間がものすごく遅くなってしまうから、スポーツを始めるんだったらその時間が遅い時間からスタートするわけなので、体的にも結構きついですよね。
私ね、すごく感動したことがあって、次女が行く中学校の校長先生との面談があったんですよ。
その時に先生がおっしゃられた言葉が、家族との時間はとても大事ですから、ちゃんと午後のうちにアクティビティを終わらせて、
だいたい5時ぐらいには終わるんですが、早くお家に帰ってきちんと宿題をして、家族のディナーとか談覧の時間を持つのはとても人間として大事なことです。
06:03
そういうところは非常に大事なので、だから私たちはこういうプログラムを進めてますっていうことを言われて、すごいなぁと感動というか関心というか。
要は学校のプログラムとしてというか、ある意味教育省が、政府が決めているそういうプログラムがあって、
芸術をやりたい子も勉強しながらちゃんと芸術と両立できるとかっていうプログラムがあるっていうのも、それもフランスらしい文化かなっていう感じはしますよね。
そうですね。だから芸術とかスポーツとかに一生懸命やっている子たちも、別にお勉強で遅れをとっているとかっていうふうには見なされないので、私はそれが素晴らしい、ありがたいなと思いました。
要は宿題をする時間が取れるとか、要は普通に学校行っている子と変わらないリズムでできるっていう。
家に帰ってもみんなと同じ宿題があるわけで。
そういう意味ではね、だからシドユシステムって中学からスタートするんですよね。
実はね、小学校でもあるんです。
そういうところあるんだ。
あるんです。
地上の行っている学校の小学部、小学生の小学校の方にもそれがあります。
そうなんだ。じゃあ小学校からやっている子もいるってこともいます。
だからそういうふうに考えると、やっぱり芸術系でも本格的にプロになりたいとかっていう子にとっては、なんか学校をおろそかにしなくてもいいっていう。
そうですね。
それはすごくいいあれですよね。
理性までね、そういうシステムがあるんですよ。
それはすごいなって思いましたね。やっぱりね。
だからね、やっぱり中学のシステムが本当に面白いなと思っていて、
うちの場合は全然芸術系とかスポーツ全く興味がないんだけど、
中学校を選ぶときに、中学校でバイリンガルクラスっていうのがあって、
普通の子は英語だけをスタートするんだけども、
ドイツ語をやりたい子はドイツ語もスタートする。
で、その時に最初は英語の授業が少ないかと思ってたんですよ、私。
その英語の授業を少なくして、その分ドイツ語をやってっていう感じで、
でも英語とドイツ語を同時にスタートさせるって思ってたら、単に多いだけだった。
英語は多分必修で、減らさないんですよね。
減らさないんですよね。
だからみんなと同じクラスの中に、
そのドイツ語選択をしているバイリンガルクラスの子と、
普通の英語だけをとっているクラスはやっぱり混ざっていて、
で、ドイツ語をとっている子たちはプラス3時間。
09:01
週に3時間。
そうなんだ。
だから週3やるんだと思って、
要は国語、フランス語の授業はやっぱり4、5時間とかありますよね。
で、英語の授業も4時間ぐらいあって、プラス3時間なんですよ。
だから英語だけやっている子たちより、
3時間。
多いんですね、最初から。
プラス3時間多いの。
だからある意味かわいそうというか、かわいそうなんだけれども、
朝だから8時から5時まで。
毎日。
水曜日はね、午前中で授業終わるけれども、
1日だけ4時に終わるけど、
基本5時まで。
すごいですね、それも。
きついだろうなと思います。
だから水曜日にアクティビティーを固めて、うちの場合。
あとアクティビティーがなぜか射撃をやりたいって初めて。
どう思います、これ。
やっぱ男の子ですね。
たまたま夏にスイスに行った時に、オリンピックミュージアムに行ったわけですよ。
そこでいろんなスポーツを体験できるところがあって、
スキーのクロスカントリーと射撃がセットになっているのって知ってます?
よくクロスカントリーでスキーで走りながら射撃も。
走って射撃のところに着いたら射撃をして、
的を当ててまた動くっていう。
ゲームみたい。
そういうのがあって、それはやっぱ動くの。
正と同をどちらもやってないとメダルを取れないっていう競技の、
それを体験できるのがあって。
それで、だから走る時にはただ単にその場で走るだけで、
あと射撃もあるわけですよ。
画面上でやるんですよ。
要はゲームですよ、本当にその美術館はね。
そしたらね、下の子が射撃がすごい敵中率が高かったんですよ。
すごいじゃないですか。
そこで何かを勘違いしたらしく、
自分には射撃の才能があるらしいと思ったらしく。
それは大事。
ちゃんとそこで自信を持っていることはとても大事ですよね。
そしたらそこから、
球道じゃなくてアーチェリー?
アーチェリーをやりたいって言い出した。
的に当てるから。
そしたらうちのやっているアクティビティのところでは、
アーチェリーは14歳から。
もうちょっと大きくなってからじゃないと、
扱ってる道具もあるので、
ダメと言われ、だったら射撃みたいな。
その射撃は9歳から大丈夫で、
やっぱり的を狙うものをやりたいって感じですね。
それでできると思っちゃった。
それでトライアルに行ったら、
兄弟揃ってハマり、
私は射撃をやることによって、
何のスポーツっていうか、
体的にメリットがあるのか、
ちょっとよくわからないんだけど、
でも本人たちが楽しいって言ってるので、
それを火曜日の夜に行ってるんですけど、
行くっていう。
だからそういうアクティビティは、
夜になっちゃうんですけれども、
9時、5時、学校行き、
12:01
私も9時、5時に行くから、
バカンスが待ち遠しいんだなって、
いつも思うんですよね。
だって長いですもんね、
1日の学校で過ごす時間がね。
お昼時間は、
日本のお昼休みよりも長いと思うんですよ。
基本的にそういうふうに、
わざととってるんですけど、
でもそれでも、
9時、5時じゃなくて8時ですね。
うちの子は8時半からスタートするので、
8時過ぎにはもう学校行っちゃうので、
8時、5時、
帰ってくるの5時20分ぐらいって考えると、
やっぱり、
時間長い。
長い。
っていうので、
だからバカンスがあるから、
日中の時間が長くなると思うんですよ。
バカンスもっと減らせばいいのになって、
いつも思うんですけどね。
せめて1週間ぐらいにね、
すればいいんですけどね。
でもそこは誰も譲らないんですよね。
家の方の考えもきっとあるのかな。
だからバカンスを、
6週間に1回は2週間の休み。
あとやっぱり、
両親ともに働いてる、
フルタイムで働いてる方が多いので、
学校で長い時間、
過ごさせるっていうのも、
なんかあるんじゃないかなっていう。
カノス中2週間いるのも、
そっちも大変だと思うんですけどね。
大変ですよ。
それもしょっちゅう2週間のバカンスが来るじゃないですか。
もう今月来ますからね、
10月の後半にね。
あっという間ですよ。
だから落ち着かないうちに、
夏休みだったのにね。
そう、というね、
フランスの学校のシステムをちょっとね、
なかなか知る機会がないので、
お伝えしてみました。
それでは本編スタートです。
はい、本編です。
今回は、
呼吸アドバイザーのシーナユキさんに、
インタビューをさせていただいています。
実はユキさんは今年の1月にパリにいらして、
呼吸法のレッスンをね、
フランス人向けにやったんですよ。
で、その時に、
ちょっと知り合いの方のつてで、
本当は日本人だから受け入れたくないと言われたんですが、
その企画の方に、
でもいいですよって言ってくださって、
だからフランス語でね、受けたんですけども。
で、やっぱその時に、
私もいろいろ発見があって、
で、夏に日本に戻った時に彼女にインタビューをさせていただき、
せっかくだから日本語でもう1回ちゃんとした講座を受けたいと思って、
受けたというご縁なんです。
とっても面白い話がいっぱい出てくるので、
ぜひ聞いてください。
こんにちは、アキです。
今日も素敵な方にゲストに来ていただいています。
呼吸アドバイザーのシーナユキさんです。
ユキさん、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ユキさんは呼吸アドバイザーということなんですが、
実は他にもお仕事をされていると聞かれました。
これだけじゃないぞと。
15:00
何をちなみにお仕事にされてらっしゃるんですか?
メインは呼吸法、全呼吸法という呼吸を伝える仕事なんですけど、
その前に本業としてやっていたのがMCの仕事ですね。
MCって例えばどういう仕事ですか?
今は完全に韓国の韓流スターの皆さんのファンミーティングというか、
トークショーのお相手という、
お相手って言ったらちょっとおこがましいんですけど、
トークを引き出す役割ですね。
なので、2003年、下手したら一万円とかの箱でステージ上でハイヒール、
ハイヒールを履いてらっしゃるんですね。
お日頃と全然違う。
全呼吸の雰囲気とは全然違うんですね。
もうまるで違いますね。
それが2つ目の仕事。
ちなみにそれはどれくらいやってらっしゃるんですか?
もともとそっちが本業なので、
いつからですか?
韓流スターのファンミーティングを主要させてもらうようになってからは、
多分10年ちょっと。
全呼吸法をやって本当になんて言うんでしょう、
ラッキーが舞い込む人生になっちゃったので、
いわゆる大スターのお隣でお話を聞かせていただくっていうのは、
そういう幸運ですから。
同じくらいの時期。
なるほど。
じゃあちょっと近いタイミングですか?
ただその前に喋り手の仕事はしていたので、
具合が悪いながらも。
なるほどね。
その辺はちょっとまた追いかけたいんですけども。
3つ目は?
3つ目はもう今絶賛かき入れ時のおふさぎをしている、
ムヒルム農薬でお米を育てている。
米農家ですね。
米農家。
いわば。
これはちなみにいつ頃からされてらっしゃるんですか?
4年前に長野県の上田市っていうところに、
家と田んぼと畑を買って、
もうだからあれですよ、エネルギーがあり余っちゃったので、
これを何か良きことに使わねばならぬと。
それで米農家?
なんて言うんでしょう。
いわゆる出荷しているという米農家というよりは、
生徒さんを元気にする場を都会ではなく、
ちゃんと土と水と山のあるところで、
一緒にお手伝いしてもらいながら体を動かして、
共に呼吸を深めて元気になろうというのもあったという感じなんですよね。
なので生徒さんにはもちろん販売しているんですけれども、
一般に出回るほどの大規模な米農家という感じでは。
それまでは全然、米農家と縁があったんですか?
それももともと全国で元気になっちゃってから、
人様のオーガニックの田んぼに行って、
お手伝いという形でさせていただいていたんですけど、
田んぼが楽しくてしょうがなくて、
18:00
土と水の中に入ると、
頭というより体の細胞が危機として行動しちゃうみたいな。
そうなんだ。
なかなかないじゃないですか、日常。土の中に、泥の中にね。
もともと田舎とか米農家と縁があった家ではないんですよ。
全くですね。私も東京育ちなんで。
そうですか。じゃあ家がないですよね。
そうです。やったことなかった。
こんな楽しいことがあるのに、
なんで六本木で飲んでたんだろうみたいな。
なるほどね。
それで4年前に、
住居はあちらをベースにされてるってことですか?
結婚期に東京に住むのはいいかなと思って、
湘南にまず今日構え。
なるほど。東京から湘南に移ったわけですね。
そうですね。それが10年くらい前に移った。
で、海に行ったら、本当は山が私好きなんで。
なるほど。海よりも山。
山に勝手に今日構えた。別にうちの主人と仲が悪いってことじゃないですよ。
なるほどね。じゃあ湘南と長野を行ったり来たりしてるんですか?
そうですね。それでスタジオは代々木なんで。
東京にも代々木を。
山拠点山職業みたいな。不思議な感じかもしれないですね。一般的には。
確かにお米の時期によって長野に長くいることも多いとかいろいろあると思うんですけど、
平均するとどういう割合でいらっしゃることが多いんですか?
現時点、2019年の夏はもう草引きがいっぱいいっぱいなので、
週3日は長野にいますよね。
長野は湘南のスタジオといるっていう感じですか?
日本全国飛び回ったりしてるんで、そういうのを入れちゃうとますます分からなくなっちゃう。
どこにいついるのかよく分からないみたいな。
そうですね。あんまり都会にはいない人になりましたよね。
そういう交差とかがスタジオに来ない限りは東京は比較的少なくなる。
できるだけ避けてる方がいいかもしれないですね。
東京育ちの人が地方とか田舎に行くと、東京ってどう見えます?
こんなこと言ったらみんなに怒られちゃうかもしれないですけど、
私も東京の中でミストキュートもやってました。
そうでしたね、確かに。
なんであんな高い家賃を払って、こんな空気の悪いところに住んでたんだろうって。
もう一回帰ってくるために東京駅で吸う空気がないなって思って。
それはすぐ感じる?
いや、ぐっさいですよ。
でもやっぱり住んでるとそこのぐさいという感覚は真似しないと生きていけないので、
21:06
順応するというかシャットアウトするというか。
それをやっていたから体もどんどん感度が悪くなってたのかなっていうのは感じますよね。
なるほどね。
じゃあ、あまり東京に住むことには未練は?
いや、誰かのマンションをくれるとかだったら考えますけど。
自分の意思では?
自分はそんなに投資するお金もないですしね。
自分が住むことはないと思いますね。
なるほどね。
卒業。
卒業。東京人卒業みたいな感じですか。
なるほどね。
さっき言った体調の不調の話をずっとされてたんですけど、
まずは呼吸法に出会ったきっかけっていうところをお伺いしたいんですけど、
ずっと東京にお住まいになってて、
結城さんは呼吸と縁があった人なんですか?
いやいやいや。
坂登子と呼吸法に出会ったのは13年くらい前なんですね。
今年44なんですけど、31の時でした。
31まで、私高校2年から31まで、つまり15年くらいなんですけど、
本当に毎日頭が痛くて、
起きている時に頭痛がしないという時間がない人生を送ってたんですね。
高校2年の時に突然そういう感じになってたんですか?
地獄ですね。
きついですね。
いや、きついとかそういうレベルじゃなくて、
頭痛に起きていることがもう困難なぐらい。
頭痛もいろいろぐるぐる回ったり、ガンガンしたり、ぎゅうぎゅうされたりっていうような
いろんな頭痛があったんですけど、
当時、何年前?30年近く前ってことですか?
そうですね。
前10年、15年は。
少なくとも25年以上経ってますよね。
そういった頭痛外来とかもちろんないし、
普通にものすごい頭痛で日々の生活を学校に行くとか、
自主をきたす感じですかね。
授業なんかとてもじゃないですけど、受けられないような。
行ってはいたんですけど。
耐えてたんですか?
いや、耐えしのんでましたよね。
本当に生きているだけで、こんなになぜ苦しまないといけないんだ、この若さで。
哲学的な。
高校生活を謳歌するって感じじゃなさそうですよね。
してたんですよ、直前までは。
高2の途中までは、箸が転がっただけで笑える感じで。
それが突然。
絶頂から始まって、絶だけじゃなくて、
今となったら、肩と首をあまりにも上半身に力を入れすぎていて、
ダイノに行く血流が足りなくて、三血の状態ですよね。
24:05
体が一生懸命、あなたそんなに力を入れてたら三血で苦しいんですけど、
シャッチャーみたいな社員たちのクレームだったんですけど、
そんなことはつゆ知らず、いろんな病院に行って、
私のこの頭痛の原因を何とかしてくれと、
薬出してくれ、教えてくれって言いまくってたら、
結局、自分でその症状を作り出しているだけの話なので、
別に主要があるとか。
そういう具体的な症状があったわけでは、
体の中は別にただの高校生だったようで、
原因が結局わからなかったわけです。
お医者さんも具体的にこれだと言ってくれるわけではないということですよね。
もう原因不明ですね。検査結果は何ともない。異常なしですね。
こんなに異常あるから来てるんじゃねえ。
また力を入れて号泣して帰ってくるみたいな。
本当にどこ行ってもダメだったので、
針行ったり、いろんなことやったり、それだけにすがって。
でも治らないわけですよ。
だって自分でその状態を作って力を入れて、
血流を悪くして、ジェル神経を使えないようにして、
あちこちしなやかに生きるものをガチガチにして生きてたわけですから。
だから結局、今の現代人の大人バージョンを早口にやっちゃったんですよね。
確かに。高校生のうちにスタートしちゃったわけですね。
ちっちゃい頃から私頑張らないと悪みたいなことを思ってたので。
すごい頑張り屋さんだったんだ。
めちゃめちゃ頑張り屋さんだったらしいんですよ。
私にとってはそれが普通だから。
意識がなかったんだ。
全くないです。
ただもう何でも人より上を目指さなきゃいけない。
エストも100点取らなきゃいけない。
お姉ちゃんより褒められないといけない。
もう全力で全部頑張りすぎちゃったんですね。
で、一人早くドカンと。
早かったですね。高校生って早いですね。
その当時はね、早かったですけど、今はもう全然小学生でも中学生でも
育てる人いっぱいいますよ。
そんな子供でも?
夏休みなんか子供のための講座みたいなのをするんですけど、
小学校1年生で肩こってますからね。
へー、肩こり。
もうすぐひどいと頭痛になっちゃいますし、
テレビゲームとか牛姿勢のね、私の時とはまた違う。
違う要素が入ってきて。
ニューカマーな感じですよね。
そういうの見たらもう想像できちゃうね、この先が。
小学校1年で肩こりですもんね。
まずいですよ。
で、高校そのまま終わり、大学生も続いたわけでしょ?
高校の大学ちょっと入る前ぐらいの時に
27:05
診療内科に行ったんですよ。
診療内科が東京に3つぐらいしかなかった時代です。
まだない時代ですよ。
結局身体と心が結びついてというかね、
心で身体の中の一部ですから、
実は心がしんどいんじゃないの?みたいな話で、
要するに私が処方されたのはカルル胃口薬だったんですけど、
そっちに行くんですね。
そっちに行ったんですね。
もう今とかだったら絶対飲まないですけど。
当時はそれしかね。
話を聞いてくれた大人が初めての教育先生、
女医さんだったりというのがあって、
ちょっと緩んだんですよ。
簡潔に言うと。
緩んだら少し楽になったんですね。
ただ私の頑張り屋さんの根性とか、
そういう培ってきたものは相変わらずあるので、
完全に緩む何かをしたとかというわけでもないので、
そこを脱するってことはなく、
10だったら頭痛が3くらいに落ちたから、
これでよしとしましょう。
生活できるレベルに少し近づいてきたっていう感じで。
そうです。でも頭痛が止むってことはなかったです。
頭痛が痛いんだ。
軽くなっただけで。
忘れられるようなレベルではない。
でもあれくらいひどかったのはこれくらいになったから、
よしとするか。
だって全ての大人に異常ないって言われちゃったんで。
そうですよね。
そう言われちゃうと。
どっかでずっとそのことを気にしながら、
まだ20代も育って生活されてたわけですよ。
どこかでというか常に頭が痛い。
やっぱり痛いのはそうなんですね。
大学卒業して喋り業をやろうということになって、
ただ私具合悪いんで、そんな人使ってもらえないんですよ。
体調の良くない人。
しかもラジオとかだとブースの中とか真っ暗だったりとかしちゃうので、
ますます緊張もして力が入ってしまって、またガンガン痛くなるみたいな。
その繰り返しで20代になってくると、
頭が痛いだけじゃなかったんですけど、
関節痛とか微熱が下がらないとか、
膝がポンと腫れたりとか、
くるぶしに山ができるとかですね。
適面に出てくるんですね、いろいろなところに。
常時、いわゆる皆さん、一般の人が抱えているような、
肩こりとかひげ症とか便秘とか、
そういうものは当たり前にあったとか自分で作ってたんですけど、
その他にちょっと他の人にも味わってないような、
歯がずっと痛いとか、
30:02
関節炎とか、
微熱が止まらないとかね。
月経痛とかもちろんそうですけど、
あるとあらゆる歩調を体験した方がいる感じ。
いろんな症状はもう全部体験してきたみたいな感じ。
目眩とかだるさとか、
吐き気とかも常にあったので、
特別なこととかも思わない。
本当に肺腎ですよね。
この症状たちってお持ちの方も結構たくさんいらっしゃるんですけど、
他の人から見えないんですよ。
確かに見た目的には、確かにちょっと膝があるかもしれないですよね。
2倍になってるわけじゃないので、
結構よく歩いてればね、あれどうしたのってことなんですけど。
全くされずに、
なんてこんな不幸な、こんな不良品の体に生まれて、
なんでこんなに辛い思いをしてまで生きなければならぬのだろうみたいな。
毎日やってましたけど。
オーディションなんか絶対受かんないですよね。
いつも常に思ってるのは、この頭痛さえなければ、
私はもっともっとできる人間なのにって、
思ってた。
もっと勘違いですけど。
わかんない。
20代の頃そういう感じです。
16から31までですからね。
地獄ですよ。
地獄ですね。
そこの中でどうやって呼吸法と出会っていったんですか。
ありとあらゆる良いと言われるものすべてやったわけですよ。
お金はないけど、もし少しでも楽になれるんだったらということで。
すべて自分の給料は健康費についてもらったから。
そうですよね。何とかしたいって思っちゃいますもんね。
それだけ症状が出てたら。
何やってもダメで、どんどん悪化もすることもあって、
31の忘れもしない秋ですよね。
呼吸法がいいんじゃないって言われたんですよ。
たまたまあった方に。
はあ?呼吸法って言って。
それまでは全く縁がない。
全くですね。
健康に投資する中には入ってなかった。
そんな呼吸なんかで健康になったら、
私の順番で何だったんですかって話し合いになると。
そうですよね。
もしかしたら誰か言ってくれてたかもしれないですよ。
本人が全く聞く耳を持たなかっただけで。
一応記憶の中にはそんなになかったですよね。
でも全くそんなんで健康になるわけないと思ったんですけど、
たまたまお食事に行きましょうって誘われて、
その誘ってくださった方がお連れになった女性の方なんですけど、
その方がすごく素敵な方だったんですよ。
33:02
で、自分もすごく具合が悪かったっていう話をされていて、
なんかこの人共感が持てるし共感してくださってるなっていうので、
素敵な人だからちょっと騙されてもいいから、
もう頑張るわけでもないし、やってみようかなっていうくらいのノリで、
やったらまああっという間ですね。
あっという間?もうすぐ?
いや、すぐですね。
まず私、正呼吸法って静かに伏し呼吸を細く長く深く吐いてするだけなんですけど、
すぐできちゃったんですよ。
本当はできてたんですよ。でもやってなかったんですよ。
確かに。
もうガチガチにすごい排出っていうのがいっぱい入って、
頑張るぞ呼吸をやってたので、
思いも寄らなかった呼吸を、こんな?みたいな。
で、そしたらすぐできちゃったんで、
はっきり言って翌日くらいにかなりの便秘だったのが、
そろそろ出始めたんですよね。
翌日?
要するに便秘の方って体調を呼吸で動かしてないっていうだけの話なので、
私、動かしただけなんですよ。
動かしたら活動しちゃって。
活動したんですよね。
でも全く信じたわけですよ。
こんな呼吸なんやねん。
ちょっとびっくりはしたけど、みたいな感じ。
3日に1回くらいだったのが、お食事中の方いらっしゃるとごめんなさいなんですけど、
3日に1回だったのが、その次の日に打っていたので、
まあまあなアバウトで排泄が上手にできて、
で、また翌日サボったら普通に出なかったんですよ。
で、またその3日後とかに呼吸法をしてみたら、
また大量にお掃除ができたわけですよ。
で、これ、やばい、ここ呼吸かもとか。
さすがに。
自分の体の中で変化が大きい。
で、毎日やるようになったら、もうあっという間に出せるものが出せるようになっちゃったんで、
すぐ痩せたんですよ、私。
じゃあ、まずベイピンドの方と、痩せるっていうところが適明に一番最初に出てきた。
要するに出すもの出せてないから、とどこで太ってきただけだったんで、
私ガンガンジム行ってたんですよ、週に半分くらい。
そんな健康に年するくらいな。
そうですよね。
出して帰ってご飯も食べてないし、そんなに量も。
だけど、力を緩めて動かして出すことをしないといけないのに、
ガッガッと力を入れる方にもっと滞らせてたわけですよ。
だからもう完全に頭で考えて、全く真逆のことをし続けてたわけですよね。
自分で自分の体の中をどんどん不自然にして滞らせてたっていう。
それを自然にして巡りよく、本来の生きている生物としての
人間の楽なところに戻しただけなんですよ。
そしたら周りに、なんか最近痩せたよねみたいな。
36:02
見た目で分かりますよね。
なんでダイエットしたの?みたいな。
全然してない。呼吸しただけみたいな。
呼吸みたいな。自分でも大きなハテナマーク。
また自分の中でもそこまで実感でき始めてる感じの。
2週間くらいですもんね。
そんなにわかりやすく出ちゃったの?2週間で。
やっぱり適応面でしたね。呼吸法ってほんとにすぐできた人はすぐ変わるので。
だってね、10何年くらい食べてたのが。
そんなにしょーっと。
だから動かしてなかったものを内臓が動かしてただけですけど。
本人の動かしてる感覚と内臓の動かしてる感覚が全然違ってたんですよね。
全然違いました。
外の筋肉ばっかり動かして、内臓を停滞させてたんですよね。自分で。
で、気づいたんですよ。
全部自分が作ってたんだ、この様々な症状、不調は。
そこで気づいたんだ。
そうなんです。
クレームだったんだ、体の中からの。
ここが多分今、ほとんど99%の日本人がまだ気づいてないんですよ。
自分の体の不調を何か外に原因を探しちゃってるんですよ。
確かに。
なんでこんなに痛いんだろう、なんでこんなに辛いんだろう。
でも私はもうパッと見すぐ分かっちゃうんですよ。
この人膝痛いだろうなーとか、この人腰痛いだろうなーとか、この人700%肩凝ってるとか。
それは何?姿勢とか?
姿勢です、姿勢です。
それで分かっちゃうんだ。
いや、楽な姿勢してたら絶対肩凝らないし、
楽な姿勢してたらなんか福祉呼吸するんですよ。
だから肩が楽だから。
ただそれだけなのに、15年もえらい遠回りしちゃって。
15年後に分かった発見だったわけですね。
だからこれはやっぱり伝えるためのギフトの15年だったんだろうなと。
なかなかそんな10代から15年配信の人いなかったんだ、その当時。
確かに青春時代は全部不調な健康状態でいたってことで。
本当にお酒飲んでましたよ。
お酒飲むとめぐり良くなって楽になるんです。
ああ、そうなの。
前で知らなかったの。
ポンギド西原族で人のお金で。
そうだった。
呼吸を始めて頭痛とかもすぐ良くなってた?
頭痛もそうですね。
大体2週間くらいに痩せたねって言われた時には、
あれといえば先週張りに行ってないとか。
ああ、そう。
不調ってすごい面白いんですよ。
あると、要するに肩って凝ってるから肩を気にするんですよ。
もちろん気になっちゃいますよね。
肩凝らなかったら肩の存在なんて意識いかないですよね。
全く思いも肩に意識を向けない生活になるんですよ。
胃が痛くて初めてみんなに様子があるんです。
胃が痛くない人は胃の存在なんて全然感じてないんですよ。
確かに確かに。
だから忘れちゃったんですよ、頭痛くなかったってことを。
あれ、私毎日頭痛いって言ってたのに。
あんなに意識してたのに毎日に。
39:02
あれ、これ?みたいな感じでそこから真面目にやり始めました。
それは呼吸法を教えてくださるクラスとかに行ったんですか?最初は。
その方も別にクラスに行って習ったわけじゃなく、
アーティストを目指されてた方だったので、
アートの師匠に呼吸を深めなさい、呼吸をやりなさいって言って進められたっていうことで。
それであまりにも簡単に頭が元気になっちゃって。
呼吸法で何だったんだろうって。
本当に呼吸だと思って、生命維持の根源ですからね。
よく考えてみればそうですよね。
呼吸がダメだったら全部ダメになるだろう、身体しか。
そこで本を呼吸法とか呼吸とかっていう名のついての本を調べだしたんですよ。
なるほど。
あったんです、結構いっぱい。
気づいてないだけでね。
全然そこに目を向けてなかった。
誰かに直してもらおうと思ってたんで。
病気でもないのにね。
そしたら白犬、白犬っていう白犬、ゴイン巨大犬ですね。
はい、角犬という犬ですね。
出てきて、何これ?
地名?年号?人の名前?みたいな。
白犬の呼吸が、とかみんな書いてるんですよ。
その呼吸法の本に結構その名前が出てくるんですか?
出てきたんです。いろんな方の書かれてる呼吸の本に出てきて、
白犬を、白犬なんだけど、何て読むのかわからない人を調べたら、
江戸時代の静岡県に住んでいた禅僧。
人の名前だったんですね。
人の名前、禅僧、禅姉夫ですよね。
禅マスター姉夫で。
その方の本が、呼吸法の本があったわけですよ。
江戸時代頃書いてあった呼吸法の本だったんですか?
270年くらい前に書かれた。
日本の健康本の一番最初のベストセラーじゃないかって言われる本で。
じゃあ当時ベストセラーだったんだ。
みたいですよね。
それが要するに270年くらい経って、今でもみよくみよくと伝わってるって感じですよね。
やった人がみんないいと思ったんですよ。
実践した人が呼吸法をして、本当に健やかになって、心も穏やかになって、体も元気になって、
これはいいからみんなにやってほしいって思って、
それをその時代の現代語役をして広めようと努めたわけじゃないですか。
確かに。
そうなんです。
だからハンクリーソンの呼吸法の本って今でも50年のベストセラーとか、
昭和の中期くらいの本とかもあるんですよね。
読んだら私が聞いたこととまた同じものであった。
確かにそういうことか。
実は私最初聞いたときにフランスの呼吸法だって聞いてたんです。
最初に聞いたときは。
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そう。
あきさんびっくりでしょ。
うん、びっくり。
どこからフランスが出てくるんだろうみたいな。
で、私もフランスの呼吸法をたどれないじゃないですか、フランス語は。
確かに。
そしたらなんてことはない、日本の。
静岡県という。
そうそう、全層の呼吸法で、
多分それが向こうに向かったんだと思いますよ。
確かに。
フランス人の方がもう圧倒的に感度高いんで。
その辺の話もね、後でまた聞きたいんですけどね。
呼吸が大好きですからね。
本当にびっくりしましたよ。
本当にって思うことが安定度がやっぱり高かったかな。
一部のアーティストたちが受け入れたっていう感じなんですね。
多分。
じゃあその呼吸法を自分なりに調べていってたどって、
結局自分が習ってたことと一緒だったっていうところから、
もう何、ますます呼吸法を取り入れた生活に入っていき、
真面目にちゃんとやりました。
そしたらね、3ヶ月後くらいにはどんどん、
世の中がいい方向に回りだして。
自分の周りっていうか。
そうですね。
もう圧倒的に自分の中の体のお掃除をして、
本来巡ってるっていうのが自然な状態ですから。
巡りがいい状態になったら、
本当に何もかも体の外の周りの巡りも良くなって、
だからそれこそハンリュースさんの仕事もやってきて、
韓国語一個もわかんないんですけど。
行ってきたりとか、
それこそもう亡くなったんですけど、
ムッシュカマヤスというギター手と、
その後10年、彼が亡くなるまで一緒にラジオをさせてもらったりとか、
本当に人生が好転してきちゃったんですよね。
それで、これは私だけがこんな良い思いをしていてはいかん。
ちゃんとメソッド感をして人に広めないといけない。
で、覚悟が決まり、こっちで食っていこうという。
それは最初に出会った頃から、どれくらい経ってから?
結構あっという間ですね。1年以内ぐらいですね。
回転がどんどんスピードが上がって、もう1年後には。
そうですね。ただもう何もなかったので、
どういう風にメソッド化をするというか、体系化をすればいいかとか、
そういうことから考えないといけないし、
別にそういうことを指示して、教授してくれる友達がいたわけでもないし、
本当にまっさらな状態で、
自分一人でね、いろいろ英語時代の本を読んだり。
ただその体系として、こうやったからこうなったっていう、
確固とした自分が意気承認のような。
確かにそれは大きいですね。
大きいと思います。
で、お医者さんで、こういう呼吸法が大事というふうにおっしゃってくださって、
本も出していらっしゃる方も何人かいらっしゃるので、
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コンタクトを取ったり、動き出して、ある程度のメソッドを作って、
私の周りの知人・友人10人を募集して、
フリーでレッスンをするので、フィードバックが欲しいと。
で、何人くらいの人ができるようになるかなと思って、
そういうリスナーチームを考えてやったんですよ、一番最初に。
そしたらね、ちゃんとやった人は本当に私くらい元気になって。
やっぱり早かったんだ。
早っというわけですよ、でもできた人はね。
で、やっぱりちゃんとやらない人もいるんですよ。
やっぱり参与したくてやる日があったり、やらない日があったりとかそういうことですよね。
やらない日があると、1日やらないと3日戻るって、
本当に音楽と一緒だよね。
そうですね、芸術系よく言いますよね。
でも本当にそうで、なので3日に1回やった人とかはあんまり変わらなかったですよね、
3ヶ月くらいのスパンだと。
最初よりはちょっと良くなったけど、みたいな。
でも真面目にマインチやった人は、その時で2人、3人くらいいたんですけど、
本当に調子良くなって、肌艶が全然違うんですよ。
で、これはやっぱり広めないとということで、
1年後にはもう中学校のスタジオから独教室やってたんじゃないかな。
そうなんだ、良かったね。
で、それでこう生徒さんに教え始めるようになったっていう。
ただ私のメソッドじゃないので、私絶対教えるって言葉を使わないようにしてるんですけど。
そうなんですね。
だって勝手に継承してるんですよ。
確かにね、確かに。
素晴らしい先人の残してくださった健康遺産なんで。
2万円台から続いて。
日本の文化なんでね。
日本人がちゃんとこれを享受できるようにする役目を
15年という人生の中からそれをギフトに頂いたんだなと。
勝手に使命を。
使命って本当に命を使うって書きますから。
無駄に命を使わなくて良かったなって思いつつ
それを伝える、継承する役目を頂いたと思って一生懸命伝えてます。
ゆるゆるとですけどね。
はい、椎名由紀さんの1回目のインタビューでした。
元々はね、15年間くらい不調人生だったところからの
大逆転じゃないけれども、呼吸法に巡り合ったっていうところを伺いましたけども
どうですか?高校時代から灰燼のような生活を送ってたっていうのは。
常に頭痛があるっていうのは原因で。
辛かったでしょうね。
ちょこっと頭痛があるだけでも。
それが毎日ずっとっていうのは
高校生とか20代の方には辛いんじゃないかな。
でも本人もおっしゃってましたけど、頑張り屋さんだった。
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本人が無意識、無自覚のまま結構頑張って頑張ってやってたのが
多分そこに出てしまったっていう。
ありとあらゆる不調は全部体験したっていうのがね、すごいですよね。
やっぱり大変なんだろうなっていう中で
一番私がすごい彼女の、パリでもおっしゃってて
おおっと思ったのは、不調を自分で作り出してると自覚するっていうところが
要は不調は外からやってくるわけじゃなくて
全部自分で作り出してるんだよって気づいたところからスタートするんだっていう
これ後半にも出てくるんですけど
その不調っていうのを普通は認めたくないじゃないですか。
だってどっかで自分が悪いわけじゃないのにとか
なんで私だけだとか思っちゃうところを
特に自分が作り出してるとは認めたくないじゃないですか。
ないですよね。
だって特に不幸にもずっと高校時代から頭痛だったりなんとか症だったりっていうのをやってる中で
原因がわからなかったらそこまで普通いけないですよね。
でもそこに気づくっていうところから
この15年の胚人生活は呼吸法を伝えるためのギフトだったって思えるところまで来たっていうのが
本当に素晴らしい。
彼女らしさだなっていうのを感じたし
1日で呼吸法やって1日で便秘が治るとか
すごいですよね。
すごい急に痩せちゃったっていう感じですよね。
全然痩せたいですみたいな。
やっぱり江戸時代の禅僧の本っていうのを
彼女が元に最初は呼吸法って怪しいとか思ってたものが
自分の体がめぐりが良くなっていくプロセスを自ら体験したっていうところから
それを外に伝えていこうと思ったっていうところでしたね。
2回目はもっと健康っていうこととか
日本人とフランスでのレッスンで感じたことの違いであるとか
そういうところを伺ってますのでぜひ聞いてください。
ありがとうございました。
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
秋でした。