1. イラストレーター原あいみの話
  2. #88 「原・ストイック・あいみ..
2024-06-15 12:33

#88 「原・ストイック・あいみ」は足をノコギリで切っても作品を作り続けます。

昨日の🐰さん、フィカさんとのコラボ放送で、ネーミングのプロ、🐰さんに「原・ストイック・あいみ」の名をもらい、思い出したエピソードを話してみました。

昨日のコラボ生放送はコチラ!

「中学の時頭よかったママ芸人(芸人じゃないけど」」
https://stand.fm/episodes/666c525845bd876baeb12786

#イラストレーター
#造形作家
#作品展
#怪我

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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/651cb17b0bc9d6e1d62d5e69
00:06
イラストレーターの原あいみです。お疲れ様です。
スタイフの配信をやっていこうと思います。
昨日は、うさぎさんのチャンネルでやりました、生コラボ放送。
遊びに来てくださった皆様、ありがとうございました。
スタンドFMの生放送は、本当にコメントがねばーって流れて、
みんなで見れるからとっても楽しいですね。ありがとうございました。
まだ生放送に慣れてないもので、コメントも全部拾いきれずに、すみませんでした。
うさぎさんとはね、何度か生放送もしてるし、実際お会いもしてるんですけど、
フィカさんとは初めてお話をさせていただきましたが、
お声をね、フィカさんの放送を聞いてるので、
お声を聞いてると、もうね、なんか昔から知ってるような気持ちになるっていう、
このね、音声配信の良さですよね。
とっても楽しくできました。ありがとうございました。
まだ聞いていない方は、よかったらうさぎさんのチャンネルの方にアーカイブが上がってますので、
聞いていただけると嬉しいです。
その放送の中でね、うさぎさんが私に、
ハラストイックアイミーっていうね、また新しいネーミングをつけてくれたんですけど、
私はストイックなんですね。
なんか自分なのでね、よくわからないですけど、
忘れ物が許せなくて往復便たしたっていう話をね、ボイシーの方でしたんですね。
それを受けて、そんな話を膨らませてくれたんですけど、
ストイックなんだなというふうにね、改めて自分の特徴に気づくことができました。
で、その話を受けて、
そもそもね、ストイックというか何というか、
M機質なのかもしれないんですけど、
イラストレーターになるぞって言って、
作品を作り続けてるっていうこと、
その人生自体が、ストイックといえばストイックだなという気がするんですね。
で、ちょっと一つね、それに関連して思い出したエピソードがあるので、
今日はそのことをお話ししていこうかなと思います。
私は29歳で東京に出てきて、
デザイン会社の東京事務所を作りましょうっていうのに合わせて転勤をしてきたという形で上京してきました。
で、当時は東京に出てきたらね、いろんな仕事にチャレンジしたいと思って、
いろんな出会いがあるかもって、いっぱい売り込みとかね、頑張ったりっていう生活をしていました。
で、その頃、展覧会をね、一つやったんです。
で、それはですね、どんなものだったかというと、
俳優の池田哲博さんってご存知ですか?
池哲さんって呼ばれている、あの、明媒プレイヤーのね、あの素敵な俳優さんなんですけど、
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その俳優さんをテーマに、モチーフに、あの、2人の写真家さんが写真展を開催していたんですね。
で、そのお二方の写真家さんとちょっと仲良くなるきっかけがあって、
で、東京では写真展をやったんだけど、大阪巡回展は私も入って、
私は人形作品を作っている作家だったので、池田哲博さんの人形作品でそこにジョインして、
3人の、3人グループ展というか、そういう展覧会をやるっていうのに参加しました。
で、池哲さん、私すごく好きだったので、まあそれもあってこんなご縁なかなかないなと思って、
参加させていただくことを決めたんですけど、
当時ね、あの人形って言っても小さなものではなくて、なんか彫刻に近いくらいのね、
大きな人形を作品展ごとに作っていたんですね。
大きさで言うとね、1メートル、どのくらいあるかな、今の娘くらいの身長ある気がしますね。
そのくらいの人形というかね、造形作品を作っていました。
なので池哲さんも、そういったね、人形作品を作ろうと思って、頑張って制作をしていました。
ただ、こういった展覧会とか作品展に作品を出品するのって、もちろんお仕事ではないので、
劇無でね、普通にデザイン会社でデザイナーとイラストレーターしながら、
日々普通にめちゃくちゃ劇無な中、寝る時間を抑えて作品も作るみたいなね、
それこそ本当にストイックな生活だと思うんですけど、
そういう感じで作品作りをしていたんですね。
ってなると、大体もうギリギリなんですよね。
完成がもう本当に搬入の日の朝に完成するかどうかみたいな、
もうそういうね、めちゃくちゃヒヤヒヤな進行でしかできていなくて、
もうね、若いって恐ろしいなと思うんですけど、
少しでも失敗したら間に合わないみたいなね、そういう作り方をしていました。
で、その時ももう本当に、あと土日が例えば2回しかないから、
その土日まるまる作ったとして、みたいなね、
もう本当にヒヤヒヤな進行で作っていたんです。
で、その人形っていうのはね、どうやって作るかっていうと、
中身がスチレンボードといって、
ハポスチロールみたいなね、ブルーの削りやすい材質の素材があるんですけど、
それで大まかな形を作り、それをヤスリでやすって、
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その上から石粉粘土という粘土をね、紙粘土みたいな材質の白い粘土です。
それを持って、形を作ったらまたやすって、
で、形が整ったらそこの上から、私はアクリル絵の具で塗装していくっていう、
そういう作り方をしていました。
で、すごくね、巨大なので、最初の発泡スチロールのね、
そのスチレンボードをカットするのに、
ノコギリみたいなのを使っていました。
だから本当に作業としては、手芸みたいな、
机の上で、手先でやっているというよりは、
もう本当に部屋全部を使って、
大工仕事みたいなのをしているくらいのレベルの作業をしていました。
で、ノコギリでね、スチレンボードをギコギコと切っていて、
本当にもう間に合わないっていう感じだったので、
結構時間をね、タイムスケジュール区切って、
何分でその芯を作って、何分で何時までに粘土を持ってとか、
なんかね、本当に踏ん刻みで確かやっていたんですよ。
そんな状況の時に、焦ったからなのか、
わかんないんですけど、スチレンボードを切っているノコギリでですね、
私、自分の足を切っちゃったんですよね。
わーって思って、やっちゃったと思いました。
もうね、痛いよりも何よりも、やべー間に合わないって。
その時ね、もう本当に青ざめましたね。
ちょっと切ったレベルじゃなかったんですよ。
これはちょっとまずいなっていうくらい切っちゃったんですよね。
で、どうしようと思って、ちょっとね、今作業を中断するわけにはいかないと思って、
とりあえず、うち父が一応医者をしているので、
夜中だったのかな、ちょっと覚えてないんですけど、
目を撮って、写真をね、パシャッと撮って、
足を切ってしまいました。
ただ、病院とかに行く時間がありません。
何とかする方法はあるかな、みたいなのを、
なんかメールしたような気がしますね。
そしたら父から、これは縫わないとダメだねっていうのが返ってきて、
でも病院ちょっと行ってられないんだけどっていう風に返したんですけど、
ここでね、変な余計なことをして、後から困ると余計いけないので、
病院に行くのが一番時間の効率はいいと思いますと言われ、
渋々病院に行きました。
で、病院でね、行った先の先生に、
今私実はこういう事情でものすごく時間がなくて、
締め切りに追われているものを作っておりまして、
もうほんと1分1秒でも早く家に帰って作業を続けないとまずいんですとか言って、
知ったこっちゃないですよね、先生からしたら。
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とにかくもう、その後通院もできないと思うんで、
ちょっと大阪でね、展覧会をやる予定だったので、
とにかくなるべく早く帰れる方法でお願いしますとか言ってね、
頼んで、普通に麻酔してね、確か縫ってもらったんだと思います。
3針、4針くらい縫ったんだったかな。
で、すっごい時間をロスしてしまって、
しかもね、普通に痛いわけですよね。
痛いとかもどうでもいいってその時は思ってましたけど。
で、帰って再開しました、作業を。
でね、なんとか仕上げて、大きな池鉄人形を2体引っさげて、
大阪の作品展に行き、無事開催することができました。
で、その人形はね、ちゃんと当時ね、池鉄さんのファンの方っていうのが、
結構たくさんね、マニアックなファンの方がいらっしゃって、
で、ただね、展覧会やるだけじゃ面白くないからって言って、
池鉄さんもね、ギャラリーにお呼びして、トークショーとかもやったんですよね。
なんかいろいろ企画して、で、人形もね、せっかくだから、
そのまま持って帰ってきて、私の家に置いといても仕方がないので、
ファンの方がね、たくさん見に来てくれるんだったら、
ちゃんと作品として販売しようということで、値段をつけて販売したんですけど、
ちゃんと2体とも売れたんですよね。
で、しかも1体の方にはね、池鉄さんに声を収録してもらって、
ボタンを押すと池鉄ボイスが流れるみたいな、
そういう遊びもね、仕掛けも作ったりとかしてね、やって、
まあ、展覧会は本当に大成功でした。
でも私は足抜いたてだったので、ずっと足を引きずってね、
在牢してたっていうね、なんかむちゃくちゃな、
むちゃくちゃな生活をしてたなっていうのをね、
このハラストイックアイミーっていう名前をつけてもらったことで思い出しました。
で、ここのね、足を塗ったところなんですけど、
やっぱりね、人間ってそんな大きな傷じゃないんですよ。
まあまあ、普通に転んだ傷に比べればやっぱりね、
塗ったので大きい傷です。あの、のこぎりで自分の足切ってるんで。
で、塗って別に神経とか大丈夫なんですけど、
やっぱりね、その部分、もう20年くらい経ってんのかな?
10何年経ってるんですけど、やっぱりね、ずっと違和感があるんですよね。
だから、こんな小さな傷でもこんな風にね、違和感があるんだから、
大きな事故とかね、した人って本当に大変なんだなってね、
この自分の足の甲を切ったんですけど、この甲をね、見る度に思いますね。
はい、ということで今日は、ハラストイックアイミーの話をしてみました。
若い頃はね、作品に没頭して、でもある意味幸せな時間だったなと思います。
で、今私ね、あの久しぶりに、数年内に古典したいなと思って、
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作品を久しぶりに書きためているというか、
久しぶりに手を動かして練習してるくらいのレベルですけど、
そんなことをやってるんですけど、ちょっと昔を思い出してね、
お金のためにクライアントワークとして書く絵じゃない絵を書いて、
今めちゃくちゃ楽しいです。
あの頃をね、思い出して作品作っていきたいなと思います。
はい、イラストレーターの原江美でした。また話します。
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