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2025-06-06 09:16

#178 小さなデザイン事務所にはマミートラックなんてなかった。

自分の育休復帰時の話をしてみます。マミートラックが用意できるのそれなりの人数がいる会社。あるなら乗りったかったマミートラック…それが私の復職期の思い出です。
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サマリー

このエピソードでは、小さなデザイン会社での育休復帰について語られています。特に、マミートラックが存在しないことや、フリーランスや中小企業での仕事環境に関する考察が展開されています。

育休復帰の思い出
今日はですね、私もマミートラックの思い出を話してみようかなと思います。
皆さんがね、立て続けにマミートラックの話をされていたので、あ、皆さんというのは、スタンドFMの配信者の皆さんのことです。
私はですね、今、ボイシーとスタンドFMと、あとスタンドFMに連携する形で、スポティファイと同じ放送を配信しております。
少し前からね、この形にさせていただいております。
皆さんね、どのプラットフォームで聞くかっていうのが、結構ね、バラバラになってきているので、お好きなところで、聞きやすいところで聞いていただけるようにと思いまして、この形をとっております。
今日は久しぶりに、ちょっと流れに乗って、私も育休復帰、育休明けの思い出を話してみようかなと思います。
以前、私が毎月1回やっているイヤイヤナイトの中で、ちょっとだけ触れたことがあるんですけど、
ま、被るところも出てきてしまうかもしれませんが、一つ放送を撮ってみますね。
はい、私はですね、フリーランスになる前は、デザイン会社に勤めておりました。
大阪が本社のデザイン会社なんですけど、まあそんなね、大企業ではありません、もちろん。
社員は一番多くて、45人くらいがマックスだったかなという感じのデザイン会社でして、
で、私は東京支社を作る時に、東京に出てきまして、当時はたった2人で東京営業所っていうのを回していたんですね。
で、そこから少しずつ人数が増えて、それでもマックス7人くらいの、まあ小さな組織で働いておりました。
なので、まあ小さなデザイン会社にね、マミートラックなんてないですね。ありませんでした。
マミートラックの考察
まあ時代もあるかもしれませんけど、私は育休取得をしたのがね、初だったんです、このデザイン会社で。
で、ちょうど同じ世代で数名いたんですけど、我々がね、初めてだったんです。
育休から復帰してきて、一応時短勤務というのをね、初めてやったんですけど、
まだ、なんというか、ルールもね、整ってないという、そんな感じでしたね。
で、私は東京支社を作るために、大阪から東京に出てきて、当時、東京でね、こう仕事を作るために、もう必死になって営業活動をしていたっていう感じだったので、
結構、自分に仕事が、人にね、仕事がついてしまっているっていう感じだったんですよ。
で、他のメンバーも同様、その仕事はその人についているっていう感じで、大企業のようにね、こうちゃんとぐるぐるぐるぐる回してっていうことは、正直できない状態だったんですよね。
なので、私が育休だった頃、私が休んでいる間は、もうね、なんかすごい地獄のようにしんどかったっていうのを、当時のリーダーにね、思い出話として聞かされてました。
本当申し訳なかったなと思うんですけど、だからこそ、帰ってきたらですね、もう全部戻ってくるんですよ。ドファーッと元に戻ってきて、そんなね、育児中のね、ママさんはこっちのトラックを走ってくださいみたいなね、やりたい仕事もやらせてもらえない。
昇級の道も立たれたみたいな、そんなトラックは存在しないんです。そういうのがあるのは多分ね、大企業だけなんじゃないかなという気がいたします。
あ、でもそうだそうだ、私は東京支社だったので、7名しかいないね、小さな組織で、しかも自分はね、少し前に代表をやっていたっていう立場でもあったので、まあこういう感じでしたけど、大阪本社の同時期に育休から明けてきたデザイナーのね、社員の子は逆にね、マミートラックに乗せられてたらしいんですよ。
その代わりがきく、いなくなっても大丈夫みたいな仕事しか任せてもらえないっていう愚痴をこぼしていたんですよね。だから同じ会社でも、まあこのね、小さな小さなデザイン会社ですけど、あ、やっぱりね、ちょっと人数が向こうは多いので、何十人といるので、こんなにも違うのかと、同じ育休取得者でも全然愚痴が違うっていうのでね、驚いたっていう思い出話を、確かこの辺りをね、イヤイヤナイトでもお話ししました。
働くママの実情
そんな感じで私は、マミートラックなんて存在も知らないくらい、あの、もう記憶がないくらい忙しくね、当時働いていたので、正直あんまり覚えてないんですけど、でも、こう、8、9年前くらいですよね、今娘が10歳なので、その当時って、こう、ワーキングマザーっていう言葉が流行っていた感じだと思いますね。
ワーママっていうのが流行っていた時期だと思います。なので、なんでしょう、あの、得意先の代表の方とかトップの方もワーママで、結構ね、ワーキングマザーにあふれていて、むしろワーママ同士ですごい結託していて、夜はもう仕事できないから何時までにやりとりも終わらせましょうみたいな、なんかすごいハイパフォーマンスで効率よく、なんかワーママ同士でお客さんも私たちも回して、
すごいなんか頑張ってたっていう、そんな記憶の方がなんか強く残ってますね。で、しかも、あの、ワーママ、ママであることを結構利用して、ママサービス向けの仕事を結構営業でとってきたりしてたんですよね。
私今、まさに2歳児を育てていますと、育てながら働いてるんで、その人たちへのサービスの気持ちめっちゃわかりますみたいなね、そういうサービスも立ち上げたんですよ。
B2Mメッセンジャーっていうサービスを立ち上げて、普通はB2BとかB2Cって言うじゃないですか、それをママに向けて我々がわかりやすく伝えますみたいなね。そんなので結構お仕事もね、とってきてましたね。
なんか、したたかですよね。頑張ってたなと思います。なので、なんでしょう、子供を連れてね、旅行の取材に行ったりとか、1歳児2歳児連れてね、栃木にね、取材旅行とかも行ってましたね。そして、撮影とか、出張とかも、もう、なんでしょう、交代できないので、もうやるしかないからって、もうなんとかどうにかこうにかやってましたね。
きっとね、お金もそれなりにね、使ってたんだと思いますけど、まあ、夫のね、協力もあってこそだったとは思いますが、うーん、なんでしょうね、私は自分の育休明けの思い出をこう思い出すとね、マミートラックなんてものがあったんだったら、乗りたかった、なんとかそっちに乗せてほしかったって、むしろ思うような、そんな働き方をしていました。
まあ、小さなね、デザイン会社の話なので、大企業とはまた違うんじゃないかなという気がいたしますが、こういう人もいましたよ、というね、何か参考になればと思います。
まあ、でも、要は売り上げあげないと潰れちゃうよっていうような、小さなね、中小企業とか、数人でやってるね、会社とか、まあ、あとフリーランスの人とかもきっとそうだったんじゃないでしょうかね。
うーん、そういう人たちにとっては、マミートラック、何それ、食べれるの?みたいな、なんかそんな感じだったんじゃないかなという気がします。
今もそうなんじゃないでしょうかね、どうですかね。だから、こう、マミートラックに乗ってしまって、もやもやする、やりたいことがやれない、やらせてもらえない、みたいな、そういう気持ちは正直ちょっとわからないんですけれども、
もし、まあ、自分にたとえるとしたならば、子供を産んで、育児をしているから、アイミーさんには、この絵は描かせてあげないよっていう、無理でしょって言って、やりたい絵、すっごいいい仕事が来てるのに、その絵は、じゃあ、後輩に描いてもらいます、みたいなふうになるっていうことですよね。
そう想像すると、いやー、いやですね、ムキーってなりますね。もう、なんとしてもやる、やりますって言う気がしますけどね。まあ、そんなことをさせられるんだったら、じゃあ、自分一人でやりますのでって、きっとやめるんでしょうね。
まあ、そういうことは逆になかったので、あの会社にはね、居続けましたけれども。と、私の育休明け時代の思い出をお話ししてみました。年代とか時代とか、あと職種や会社の規模なんかによって、全然違うんだろうなっていうのもね、結構あの配信を聞いていて、面白いなというふうに思いました。
皆さんの会社ではマミートラックありましたか?はい、イラストレーターの原絵美でした。フォローやコメントいただけるととても嬉しいです。また話します。
09:16

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