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2021-10-13 07:50

#195 小さな欲望を叶え続けていく

愛
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「愛はフラクタル」

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※この番組は「幸せってなんだっけ研究所」の“深層”開店版です。

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真の愛のある 皆さま、アロハです。
愛はフラクタルの 愛です。
愛はフラクタルとは 何でしょうか。
今、私は、バンクーバーの 朝の8時です。
秋晴れの晴天です。
葉っぱが 黄色や赤に 色づいて、空気が 冷えています。
秋のような 冬のような 寒さのような 気もします。
バンクーバーの 良いところは、日本のように 四季を 感じられるところです。
水分が あります。
春や 秋の 季節の 巡りを 感じられる ところだと 思っています。
四季が あるからこそ、自然は 美しいなぁ とか、
巡りゆくものへの 受け入れ力が、
日本人も カナダの人々も、
もともと DNAに 備わっているのでは ないかと 思っています。
坂道なので、息が 切れ切れです。
今日、朝8時に 一人で 朝活を していきます。
私は 今 カフェを 目指しています。
家から 15分ぐらい 歩かないと カフェが ないんですけど、
このお散歩も 朝活のうち ということで、
カフェに 向かっております。
今日は、ダーリンも お仕事の日 なんですけど、
朝、11時ぐらいに 出ればいいよ ということで、
8時から10時まで 朝活に 行ってきても いいかな ということで、
ゆたろを お願いして、 朝活に 今 出かけております。
なぜかというと、
結構、先週ぐらいから ゆたろが またまた 風邪を 引きまして、
保育園で イケアに 行けなかったりとか、
あと、行こうと思っていた イベントが 行けなかったりとか、
ということで、
子供は、風邪引くもんだし、 鼻水垂れるもんだし、
ママならないもん なんですけども、
やっぱり、母ちゃんである 自分は、それを 受け入れつつ、
でも、私であるところの 私は、
やっぱり、私時間を すごい 必要としていまして、
自分時間が 足りなくなっちゃうと、
心が カピカピと 干からびてきて、
ブーンという風になっちゃう わけなんですよね。
なので、今日の この隙間時間を 見つけ出しまして、
カフェで、私と ゆっくり向き合う時間を 取ろうかなと思って、
今、向かっているところです。
そういう、私の小さな 欲望を ちゃんと 言っといて、
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受け入れてくれる ダーリンにも 感謝だし、
それを言えるように なったというかね、
ちょっと前だったら、 いや、そんなことできないというかね、
いや、悪いしとか、 休日の、休日というか、
お袖の朝だから、家族で ゆっくりしなきゃみたいな、
本当はこうしたいな ということを、
ちょっと隠す傾向に あったと思うんですよね、私自身が。
本当そういう小っちゃな 欲求とか、これやりたいけどなっていうことを、
素直に相手に 伝えられたりとか、
自分に許せたりするように なってきたかなと思ってます。
めっちゃ息が上がってますけど、
それってすごい大事な ことだと思うんですよね。
私たちって結構、夢を描いたり、 ビジョンボードを作ったり、
大きな目標に計画立てるのは すごい得意ですけれども、
そういう日々の小っちゃな夢、
ここにこういう パスケットを置きたいなとか、
ここにこういうお花があったら 素敵だろうなとか、
まずそういう自分の小っちゃな、 生活の中の小っちゃな欲望を
満たしてあげることというのが、
大きな夢を叶えてあげる力にも 繋がるんじゃないかなというふうに
思ったりします。
そうなんですよね。
やっぱり出産してから、 ユタラがまだ小っちゃい頃は、
本当に母と一体化という感じで、
なかなか物理的にも、 おっぱいも上げてたしね、
私の気持ちも結構不安定というか、 ホルモン的にね、
カーチャングマ、ホルモンになってたので、
なかなか離れて過ごすことに すごいドキドキしたり、
罪悪感感じたりしてたんですけど、 もう3歳だしね、
おっぱいも去年卒業したし、
ちょっとずつね、親子のね、 親子別々って大変だけど、
それぞれの時間を楽しめる ようになってきたなって思います。
それはユタラの成長を頼もしく思ったり、
自分の自由を楽しんだりすると同時に、
なんか寂しいなみたいな、 まだまだ抱っこ成人ですけど、
抱っこの抱っこっていう回数が 減ってきたなみたいな、
こうやってギュッて出来るのも、 今のうちだなみたいな感じでね、
既に将来を、きっとこうなるんだろうな、 反抗期みたいなね、
今のうちだな、ハグハグ出来るのとか、 いろいろ思うよね。
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勝手に馳せたりしながら、 切なくなっている母ちゃんでございます。
なんかそういうね、愛おしさと切なさが、
本当に同居している、 私たちの人生だなって思います。
そしてね、私が婆ちゃんになってね、 120まで生きるって言われてますけど、
婆ちゃんにね、私がなった時に、 またユー太郎にね、
おっさんになったユー太郎に、 ハグハグされながら、
魂に帰って、 その魂に帰った私の命はですね、
またユー太郎の命の中に、 帰っていくんだろうなーって。
なんかね、そこのゴールがあるので、 すごく私はハッピーなんですよね、いつも。
寂しい時とかね、なんか、 もっとハグハグしたいなっていう時とかね、
いろいろあると思うんですけど、 きっとそこはね、叶うと信じてね。
信じてというかね、当たり前のようにそのね、 私が魂に帰り、ユー太郎のね、
命の中に溶けていくっていうね、 そのビジョンがね、私の中にありありとね、あるので。
そこに向かって、今日も一日、朝活動を楽しんで、 ユー太郎とね、時間を楽しんで、
ダーリンとの時間を楽しんで、 私の命をね、喜ばせることをたくさんしたいなと、
思う朝でございました。
皆さんも、今日一日、皆さんの命をどのように使われますか、 また教えてください。
じゃあね、バイバイ。
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