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こんばんは、おはよう、ビッグママヨーコの【懺悔クラブ】のお時間です。
今日は、137回目。
今日のテーマはね、ザ・懺悔シリーズです。
何に懺悔かというと、もう本当に私嫌なやつでごめんね〜っていう懺悔。
私さあ、本当に嫌なやつだったなあって、もうね、ずくずく思ってる。
まあ、いろんな人に会った時にね、わあ、この人すごいなあとか、素敵だなあ、優しいなあは、いろいろあるよね、皆さん、もちろん。
で、なんて嫌な人なんだろうとか、なんでそんなこと言うのとか、なんとなく嫌な人っていうのもいらっしゃるし、
もちろん、もう二度と会わないっていう人もいるんですよ。皆さん、いる?そういう人。
でね、まあ私、若い頃はさあ、本当にガムシャラっていうか、まあ超絶ひねくれてた。
どうせ私なんて、どうせどうせって生きてたんですよ。
それは、やっぱりね、両親不在っていうか、両親が蒸発した時点で、親だってね、私を捨てた。
親っていうのはさ、無条件に子供を愛するものだとその当時思ってたんで、親の状況がどうとかね、周りがどうなんて一切思わず、
親だって私を捨てたんだから、どうせ人は去るってね、心の中で思ってたわけ。
で、もちろんね、いろんな方が助けてくれたからこそ、今生きてるんですよ。
それは行政だったこともあるし、養護施設だったこともあるし、おばあちゃんだったこともあるし、知り合いだったこともあるし、
ね、いい悪い置いといて、その人たちがいてくれたからこそ、私は命をつないでるじゃん。
でもね、当時はね、分かんなかったんだよね。
うーん、なんで私はこんなに頑張ってるのに、とかさ、
普通に頑張っても、やっぱり親がいない子っていうことで結構いじめられたんで、
人以上に頑張らないと私は認めてもらえないんだ、っていうのがすごくあって、
まあなんていうの、いろんなことがまあまあできるようになっちゃうんですよ、そうすると。
まあもちろんさ、誰も手を出してくれないから、お人形の洋服一つ自分で縫うしかないしさ。
そんなとこからですよ。
なんか本も買えないから図書館に行くじゃん。
図書館に行っていいなと思うのをノートに一生懸命写してみたりとかさ、
今思えばですよ、物がない、買ってもらいたいないっていうのは、
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すごいなんか自分の能力を、能力っておかしいな、自分のできることを増やしてくれた財産だったなって思うわけ。
あれがすぐ与えられてたら、たぶん私、縫い物とか裁縫興味全くなかっただろうし、
本を模写する、なんてね、やんないよね、普通。
だから今はデジタルで読めるじゃん。
デジタルで読むよりやっぱりページをめくる方が記憶には残るし、
ページをめくるだけじゃなくて線を引いてるとやっぱり記憶に残る。
そして必要なことは書き出すともっと残るよね。
一番残るのは読んで学んだことを誰かに伝える。
やっぱり自分の体をどれだけ動かしたか、語感をどれだけ使ったかっていうので、
潜在意識、記憶にすり込むっていうことはできるんですよ。
ちょっと本題からずれてるよね、今。
で、まあね、なんていうのかな、なんでこんなことができないんだろうって人のことを思うときってあるじゃん。
それって相手のことを何も考えずにね、
まあ頑張ってろ頑張ってない置いといてですよ。
自分が普通にできることを知るチャンスだったはずなんですよ。
自分ができるから相手もできる。
自分が頑張れたんだから相手だって頑張れる。
なんかね、そんなね、ちょっとね、行きつかない子供時代だったんですよね。
だからやっぱりさ、嫌われる率が高いのはね、じゅうじゅうわかる。
で、やっぱりすごくなりたいというかさ、一つでもなんか身につけたいと思ってたから、
すごい人を見るとね、本当に気になって気になってしょうがなかった。
で、それを頑張るけれどもできなかったときに、
どうせあの人はいいよねってまたどうせが発動するんですよ。
そんな可愛げのない私だった。
だからね、あの当時お友達でいてくれた人、私に関わってくれた人、
本当ごめんねって。そして本当にありがとうって。
つくづくね、今噛み締めるんだよ。今更だけど。
もう二度と会えない人たちなんだけど、思い出してはね、ありがとねって。
思い出すたんびに今ね、つぶやいてるんだよね。
でさ、無償の愛とか無条件の愛って言うじゃん。
これはね、本当に難しいと私は思うんですよ。
やっぱりどこかに自分を認めてほしいとかね、そこに利益が関わってきたりとかさ、
相手が喜んでくれるからとかさ、何かをやっぱり求めてない?正直なところ。
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一生懸命やって、相手が別に求めてなかったとか、
そんなこと必要なかったって言われても、やりたかったんだから全然大丈夫っていう、
マリア様のような心にはね、私やっぱり慣れないんですよ。
やってよかったなーって思いたい。
だからまだまだだなって思うんだよね。
子供にだってそうですよ。子供が喜んでくれたら最高に嬉しいし、
自分が、例えば我慢して子供のために動いたとするじゃん。
そしたら、我慢したのに何で?っていう口が出るよね。
だから私は、もう子供たちが成人してからはね、
自分が我慢してまで頑張るっていうことを少しずつね、やめようと思ったわけ。
やりたいことは頑張るし、やらないといけないこともします。
だけど我慢してまで、自分を犠牲にしてまでやって、
後で後悔が残るっていうことがね、まあまあいろんな事件であったんですよ。
それが無償の愛なのかどうかはわかんないけど、
心が動いた時には動く。
心が動くっていうのがさ、もちろん悲しみもあるし、憎しみもあるし、
怒りもあるし、嬉しいもあるし、ね、もうたまらなく楽しいもあるし。
自分の心が動いたことには必ず向かおうと思ってる。
これが私にとっての後悔しないこと。
で、いくら説明されても、いくら目の前で誰かが一生懸命言っても、
なんかね、1ミリも動かないことってあるんですよ。
なんでだろうと思うけど、なんかね、そこに数パーセントの嘘が混ざってるって言ったらいいのか。
何かそれ本音じゃないよねって言ったらいいのか。
言葉では難しいけれども、行きつかない私が学んだことは、
誰かの、自分が喜ぶために誰かの何かをするのではなく、
自分が最高にしたいことを一生懸命頑張って楽しんで、
その先に誰かが喜んでくれたら、そりゃ嬉しいよね。
だからまず自分が一生、なんかね、全力でやるってね、すごい楽しいなって思うわけ。
できないことにもぶつかるし、自分では思ってもなかったことに人が喜んでくださったりね。
なんかね、人の顔色を一生懸命見て、人に嫌われないように、人が役に立つようにって生きてきた、
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10代、20代、30代、人間観察しながら、足をバタバタしながら、
悔しい悔しいって言いながら生きてきたあの時代があったからこそ、
なんかね、空気で感じるっていうかさ、その基礎もあの時代かなとも思うんですよ。
そして40代、30代、40代かな、一生懸命上を目指して走って走って走って、
頑張るってこういうことなんだなっていう時代。
そしてね、あ、私の道はここじゃなかったんだっていうことに気づくためにポキッと折れた40代、50代。
でもやらないといけないからって言って、なんかさ、風に向かって走ってるライオンみたいな感じだったと思うんだよね。
可愛くないよね。もう本当に。だからもう強制終了怒るよね、そりゃ。
あんた違うよって神様が何回教えてくれても、私は凝りないんだよね。
で今やっと、なんかこういうことかなっていうことに、いろんなことをまたね、新たに気づかせてもらってるのも、
やっぱりいろんな人との出会いがあるから、いろんな仕事も違えば年齢も違うし、性格も違うし、やってることも違うし、
それこそ体に障害がある方、スポーツをすごく頑張られてる方、私の人生にはなかなかご縁のない方、
たちとのご縁も今すごくいただいてて、本当にね、鏡だなって思う。
人に一生懸命向き合えば向き合うだけ、自分の玉ねぎの皮が向けてる感じ。
表現は難しいけど、なんだか自分らしくっていうかさ、もしかしたら私ってこうなのかもしれないっていうのをね、
頭で考えてる時はさ、分かってるようでね、分かってないよ、これ絶対。
行動すればするほど分かる。だからといって、いろんな人に会えば分かるっていうことでもなく、
やりたいことをがむしゃらにやってみるっていうところからかな。
本当に何を懺悔したかったかというと、今まで私に出会ってくださった方。
私がいっぱい棘を発しても我慢してくださった方。
そして私に大っ嫌いを含めいろんな言葉を投げてくださった方。
いろんな感情を湧き起こさせてくれたのも人がいるからだよね。
そういうことに対してものすごい感謝が毎朝あふれてるんだよね。
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今日も出会ってくださる方に感謝を込めて、私の命を燃やして伝えていきたいなって思ってます。
今日も聞いてくださって本当にありがとうございます。
いいね、コメント嬉しいです。
何かお悩み事があったらぜひレタDMください。
じゃあ今日もいい1日になりますように。
じゃあまたねー。